満点でした。
去年の今頃、満点とかいくやつすげーなとか思ってたのと同じ試験。
しかしそれでもやはりまったく関係なく、これっぽっちも自信にはなりません。
去年の今頃、満点とかいくやつすげーなとか思ってたのと同じ試験。
しかしそれでもやはりまったく関係なく、これっぽっちも自信にはなりません。
バーミヤンで勉強してました。
MTR氏の家が目の前なのでお茶にさそった。
やっぱり元気なかった。
電池切れみたいに。
なにか言えちゃうのもいやんなる。
どーすればいいというのでしょうか。
MTR氏の家が目の前なのでお茶にさそった。
やっぱり元気なかった。
電池切れみたいに。
なにか言えちゃうのもいやんなる。
どーすればいいというのでしょうか。
ノベルを述べる165
2008年12月6日 読書
◇古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』
-1943年、日本軍が撤退したキスカ島に残された4匹の軍用犬。すべてはそこから始まった。戦争の世紀を疾走する、壮大で鮮烈なイヌたちの叙事詩。
イヌよ、イヌたちよ、お前はいま何処にいる?
すんごく読みづらかった。
takebonoには珍しく挫折しかけた本でした。
-1943年、日本軍が撤退したキスカ島に残された4匹の軍用犬。すべてはそこから始まった。戦争の世紀を疾走する、壮大で鮮烈なイヌたちの叙事詩。
イヌよ、イヌたちよ、お前はいま何処にいる?
すんごく読みづらかった。
takebonoには珍しく挫折しかけた本でした。
東中野で映画観てきた。
「いのちの作法」
昭和30年代、全国に先駆けて高齢者医療費無料化・乳児死亡率ゼロなどを実践した岩手県沢内村(現西和賀町)の「命の行政」を描くドキュメンタリー。「いのちに格差があってはならない」。医療過疎の現実に立ち向かった旧村長の生命尊重理念を、現代まで50年近く継承してきた西和賀町の人々の姿を、児童養護施設の子どもや知的障害者、高齢者を地域ぐるみで支える人々の活動として映し出す。
支え合うとはこうゆうことかもしれません。
平等な貧しさから不平等な豊かさへと、経済や社会が動いていく中でぶっ壊されたものが、こんな小さな場所で現代にまだ生きていることに、どこかあたたかみをおぼえるのかもしれないね。
ほんとうにこうゆうものを大切に支援してゆければいいのにな。
「いのちの作法」
昭和30年代、全国に先駆けて高齢者医療費無料化・乳児死亡率ゼロなどを実践した岩手県沢内村(現西和賀町)の「命の行政」を描くドキュメンタリー。「いのちに格差があってはならない」。医療過疎の現実に立ち向かった旧村長の生命尊重理念を、現代まで50年近く継承してきた西和賀町の人々の姿を、児童養護施設の子どもや知的障害者、高齢者を地域ぐるみで支える人々の活動として映し出す。
支え合うとはこうゆうことかもしれません。
平等な貧しさから不平等な豊かさへと、経済や社会が動いていく中でぶっ壊されたものが、こんな小さな場所で現代にまだ生きていることに、どこかあたたかみをおぼえるのかもしれないね。
ほんとうにこうゆうものを大切に支援してゆければいいのにな。
養老孟司・池田清彦『ほんとうの環境問題』
間違った「環境問題」がイメージ先行してるよ、って本。
「問題」問題論、てかんじでいろんな視点から切ってる。たしかにオゾン層も環境ホルモンも騒がれなくなってるよな。
結局は、既存のシステムをすぐには変えられないとゆうことと、科学の問題なのに政治問題が絡んでいるとゆうこと。
なにかを持続するために、それを支えるために依存するエネルギーのキープ。肉体は食物。生活は賃金。公共サービスは税金。年金は保険料。これまで文明は石油石炭エネルギーに依存し発展してきたけれど、その依存がもう持続できないなら、コストをかけてでも代替エネルギーをもってこなけりゃならない。
ただそのコストが、いろんなやつの思惑と誤った情報認識のために、ぐちゃぐちゃになってること。環境問題とゆうささやかな倫理観につけ込んで。
一方で、僕たちはこうゆう問題に対し何ら知識を持たないから、なにが正確な情報なのかまるでわからない。わからない中で判断するしかない。選挙と同じかもしれない。
知識ある人の論争を見つめることしかできないし、その結果判断するしかない。
なによりも、起こってしまってからじゃ遅い問題だというからきてるんだから、信じるも信じないもない。都合良く現れたものだとしても、可能性を危惧してるんだろうからだ。
ほんとうが本当かどうか、わからないから、慎重になることしかまずはできないのかもしれない。
本自体、収拾ついてないかんじ。
環境問題以前にあるもの知っておきながら、環境問題についてなんか、こんなふうに語れちゃうから、くだらなく見えるのかも。
間違った「環境問題」がイメージ先行してるよ、って本。
「問題」問題論、てかんじでいろんな視点から切ってる。たしかにオゾン層も環境ホルモンも騒がれなくなってるよな。
結局は、既存のシステムをすぐには変えられないとゆうことと、科学の問題なのに政治問題が絡んでいるとゆうこと。
なにかを持続するために、それを支えるために依存するエネルギーのキープ。肉体は食物。生活は賃金。公共サービスは税金。年金は保険料。これまで文明は石油石炭エネルギーに依存し発展してきたけれど、その依存がもう持続できないなら、コストをかけてでも代替エネルギーをもってこなけりゃならない。
ただそのコストが、いろんなやつの思惑と誤った情報認識のために、ぐちゃぐちゃになってること。環境問題とゆうささやかな倫理観につけ込んで。
一方で、僕たちはこうゆう問題に対し何ら知識を持たないから、なにが正確な情報なのかまるでわからない。わからない中で判断するしかない。選挙と同じかもしれない。
知識ある人の論争を見つめることしかできないし、その結果判断するしかない。
なによりも、起こってしまってからじゃ遅い問題だというからきてるんだから、信じるも信じないもない。都合良く現れたものだとしても、可能性を危惧してるんだろうからだ。
ほんとうが本当かどうか、わからないから、慎重になることしかまずはできないのかもしれない。
本自体、収拾ついてないかんじ。
環境問題以前にあるもの知っておきながら、環境問題についてなんか、こんなふうに語れちゃうから、くだらなく見えるのかも。
鎌倉へ紅葉をみにいきました。
鶴岡八幡宮とかいきました。
切通しを歩いてきました。
大仏の中に入りました。
ずっと乗りたかった江ノ電に乗れました。
江ノ島で海を眺めてきました。
長谷寺で夜間紅葉ライトアップやってました。
たのしかったー。
またいきたいなー。
鶴岡八幡宮とかいきました。
切通しを歩いてきました。
大仏の中に入りました。
ずっと乗りたかった江ノ電に乗れました。
江ノ島で海を眺めてきました。
長谷寺で夜間紅葉ライトアップやってました。
たのしかったー。
またいきたいなー。
しゃっくりが100回続くと死ぬのだと。
試しているのです、と少年が。
「いま98…~ッふぇっjrックッ!!…99っ!!」
へー初めて見る。100回目のしゃっくり。
「死ぬのかなー」
「どーだろーねー」
…あっあ…ッッく。
…100ッッ!!!
「…生きてる~!」
「よかったなあ」
試しているのです、と少年が。
「いま98…~ッふぇっjrックッ!!…99っ!!」
へー初めて見る。100回目のしゃっくり。
「死ぬのかなー」
「どーだろーねー」
…あっあ…ッッく。
…100ッッ!!!
「…生きてる~!」
「よかったなあ」
ブルーダークの少年の記憶【ⅩⅡ】-2
2008年11月23日 エッセイ僕たちは秋にHの大学に集った。冬に都内の大学間で連携するイベントのためだった。その企画自体は大規模で面白いもので、大学生活において貴重な思い出となった。僕はスタッフとして参加し、Hはリーダーとして苦しみ抜き、イベントを大成功に終わらせた。イベントの最中、Hは僕にぼそっと言った。
「おれは今回のこの企画が終わったら、ある賭けに出ようと思ってるんだ」
いま思うと陳腐なものだったが、あのスタイルはその後の僕に多少影響を与えたように思う。しかし、その「賭け」がどうなったのかを知らないまま、僕たちはそれ以来会うこともなく、あっという間に1年ほどが過ぎていった。
ある日、大学の7限の講義が終わって帰り際の教室でケータイが鳴った。着信画面を見たら奴だった。慌てて電話に出て「久しぶりじゃんH!」と僕が言おうとする前に、
「takebonoくん? あのさァ、旅に出たくない?」
と、懐かしいHの声が耳に入った。
「ハァ!?」と、僕は呻いた。
「おれさー、いま映画監督と飲んでるんだ。監督と一緒に今度世界の国々をみて回ってくるんだ。takebonoくんも一緒にどうかなーと思ってさ!」
電話を切ってしばし僕はボーっとした。あいつは世界か。すごいなと。
ふと顔を上げたらBちゃんがキレてた。「人と話してるときってさ、フツー何かしら断ってから電話とるもンじゃない?」とBちゃんは言った。
ゴモットモ。そういえばBちゃんと何話してたんだっけ僕は、とそこで気が付き。
全然頭に残ってなくて、「今何話してたっけ?」とか聞くとまたキレそうだったのでゴメンゴメンと即座に誤った。
Hいまなにしてんだろ。
「監督」とやらと世界を観て回れたんだろうか。
もしかしたら、と思う。
アイツは「賭け」に勝ったのかもしれない、と。
いろんなものを始めようとしていたお互いのあの頃の、Hと食って飲んだお好み焼きとビールの味が忘れられなくて、僕は広島に行ったときは必ずあの「お好み村」に寄る。
もしあなたが広島に行くことがあったら、具だくさんのお好み焼きを、火傷に気を付けながらガツガツ食ってビールを飲んで、広島市民球場でカープの応援をした後で、もう一度原爆ドームの前を歩いてみてはくれないか? 僕がHと汗を拭い語り合いながら歩いた道がそこにあるんだ。
あの頃は何かを始めたくて仕方がなかった。何が出来るのかもわからないのに、何かを始めたくて仕方がなかった。そんな二人が出会ったということ。そんな一つの奇跡から、僕は一つのことを確信したんだ。
求め続ければ、出会い続ける、ということ。
いくら熱く、いくらクールで、いくら他人から評価され誤解されようとも、結局は君は優しい人間だった気がするよ。
いつか会うだろう。外国かもしれないね。いやたぶん場末の飲み屋だろうね。せめてそのときまでブルーダークメモリとして残しておくよ。なーH。
【END】
市民球場なくなるなんて思いもしてなかった頃に書いた文章なんだな
「おれは今回のこの企画が終わったら、ある賭けに出ようと思ってるんだ」
いま思うと陳腐なものだったが、あのスタイルはその後の僕に多少影響を与えたように思う。しかし、その「賭け」がどうなったのかを知らないまま、僕たちはそれ以来会うこともなく、あっという間に1年ほどが過ぎていった。
ある日、大学の7限の講義が終わって帰り際の教室でケータイが鳴った。着信画面を見たら奴だった。慌てて電話に出て「久しぶりじゃんH!」と僕が言おうとする前に、
「takebonoくん? あのさァ、旅に出たくない?」
と、懐かしいHの声が耳に入った。
「ハァ!?」と、僕は呻いた。
「おれさー、いま映画監督と飲んでるんだ。監督と一緒に今度世界の国々をみて回ってくるんだ。takebonoくんも一緒にどうかなーと思ってさ!」
電話を切ってしばし僕はボーっとした。あいつは世界か。すごいなと。
ふと顔を上げたらBちゃんがキレてた。「人と話してるときってさ、フツー何かしら断ってから電話とるもンじゃない?」とBちゃんは言った。
ゴモットモ。そういえばBちゃんと何話してたんだっけ僕は、とそこで気が付き。
全然頭に残ってなくて、「今何話してたっけ?」とか聞くとまたキレそうだったのでゴメンゴメンと即座に誤った。
Hいまなにしてんだろ。
「監督」とやらと世界を観て回れたんだろうか。
もしかしたら、と思う。
アイツは「賭け」に勝ったのかもしれない、と。
いろんなものを始めようとしていたお互いのあの頃の、Hと食って飲んだお好み焼きとビールの味が忘れられなくて、僕は広島に行ったときは必ずあの「お好み村」に寄る。
もしあなたが広島に行くことがあったら、具だくさんのお好み焼きを、火傷に気を付けながらガツガツ食ってビールを飲んで、広島市民球場でカープの応援をした後で、もう一度原爆ドームの前を歩いてみてはくれないか? 僕がHと汗を拭い語り合いながら歩いた道がそこにあるんだ。
あの頃は何かを始めたくて仕方がなかった。何が出来るのかもわからないのに、何かを始めたくて仕方がなかった。そんな二人が出会ったということ。そんな一つの奇跡から、僕は一つのことを確信したんだ。
求め続ければ、出会い続ける、ということ。
いくら熱く、いくらクールで、いくら他人から評価され誤解されようとも、結局は君は優しい人間だった気がするよ。
いつか会うだろう。外国かもしれないね。いやたぶん場末の飲み屋だろうね。せめてそのときまでブルーダークメモリとして残しておくよ。なーH。
【END】
市民球場なくなるなんて思いもしてなかった頃に書いた文章なんだな
ブルーダークの少年の記憶【ⅩⅡ】-1
2008年11月22日 エッセイこないだお好み焼き食べたときに、ふと胸に沸き起こるものがあった。
お好み焼きを食べるたびに思い出すのは、クールで熱かったあいつのこと。
takebonoくんよぅ、あの熱い夏のブルーダークメモリを憶えているかい?と、僕の耳には今でもとりわけ彼のクールな声が聞こえたりするのだ。
今回は熱い話。
◆
Hに出会ったのは、僕が大学1年のときで、あのメチャクチャに暑く熱い夏の、広島だった。
あのときHは「お好み村」で、具がメチャメチャに入ったお好み焼きにかぶりつきながら、現代世界の地域紛争のことかなんかについて、友人と語り合っていた。隣のテーブルにいた僕はその話が何故だか妙に興味深くて、お好み焼きとビールジョッキ片手にあっさりその卓に移り、あっさり会話に紛れ込んで、これまたあっさりと僕らは友達になった。
Hは(おそらく)2歳年上の大学3年生で、茶髪にグラサンで不気味な目つきをした兄ちゃんだったけど、平和を愛する優しい男だった。指輪やら腕輪やらがジャラジャラで手首から先が重そうで、とんでもなくプライドを気にしつつもたまに自分を見失ったりもする男だった。
夜中にHの部屋に集まって少人数で議論したことがあって、某超有名大学のK君がHの安全保障論に噛み付いて空中戦になり、傍らにいたA君がウヘウヘと笑ってたことにHがキレて「おれが話してンだろがッッ!!」と枕をぶん投げて壁に叩き付けて一触即発になったことがあった。あのとき僕は「やめろやめろ!」と間に入って、ウンザリした。平和のための議論で戦争、バカみたいだと。
「Hと議論?やめた方がいいね」と誰かが言ってた理由がそのときやっと分かったわけだった。
僕が広島を発つ日、高速バスの発車時間ギリギリまで僕らは二人で飲んでいた。僕らは本当にいろんなことを語り合った。まるで昔からお互いを知っていたみたいに、それは穏やかで激しくて多様で熱く厚く深い会話だった。
昔マンガを描いてたんだよ、と僕が言ったとき、彼はジョッキのビールを飲み干してから言った。
「じゃあtakebonoくんはさ、『ナニワ金融道』読んだ? おれの部屋に全巻あるんだけどさ、今度貸してあげるよ。おれいま経済学部なんだけど、学部選んだのは、アレ読んでから世の中への考え方が少し変わったからなんだよね」
そして僕らは路面電車に乗っている間も語り続け、広島駅の高速バスターミナルで、
「東京で会おうや」と、握手をして別れた。
会えるわけねーよなーと思ってたら、Hは本当に東京の某有名大学の学生だったわけで、その数ヶ月後には僕らは実際に新宿で再会して飲んだ。
Hはそこで、僕にある学生イベント企画の話をした。夏にも聞いたことはあったけど、ハッタリだと思ってたし、企画倒れが常の学生イベントだからどうだかなァと思ってたけど、Hは真剣だったんだ。
それはHが指揮をとり行う、T大とH大とM大とW大と…あらゆるHの人脈を駆使するアングラのインカレのようなビッグイベントだった。
takebonoくんの大学にはおれの人脈が薄いから、手伝ってくれないか?とHは言った。
夏のときを遙かに超える数乱立するビールのジョッキの隙間をぬって、何かを繋げるように、僕らは再び握手をした。
【つづく】
2年も残してたブルダクメモリ。
お好み焼きを食べるたびに思い出すのは、クールで熱かったあいつのこと。
takebonoくんよぅ、あの熱い夏のブルーダークメモリを憶えているかい?と、僕の耳には今でもとりわけ彼のクールな声が聞こえたりするのだ。
今回は熱い話。
◆
Hに出会ったのは、僕が大学1年のときで、あのメチャクチャに暑く熱い夏の、広島だった。
あのときHは「お好み村」で、具がメチャメチャに入ったお好み焼きにかぶりつきながら、現代世界の地域紛争のことかなんかについて、友人と語り合っていた。隣のテーブルにいた僕はその話が何故だか妙に興味深くて、お好み焼きとビールジョッキ片手にあっさりその卓に移り、あっさり会話に紛れ込んで、これまたあっさりと僕らは友達になった。
Hは(おそらく)2歳年上の大学3年生で、茶髪にグラサンで不気味な目つきをした兄ちゃんだったけど、平和を愛する優しい男だった。指輪やら腕輪やらがジャラジャラで手首から先が重そうで、とんでもなくプライドを気にしつつもたまに自分を見失ったりもする男だった。
夜中にHの部屋に集まって少人数で議論したことがあって、某超有名大学のK君がHの安全保障論に噛み付いて空中戦になり、傍らにいたA君がウヘウヘと笑ってたことにHがキレて「おれが話してンだろがッッ!!」と枕をぶん投げて壁に叩き付けて一触即発になったことがあった。あのとき僕は「やめろやめろ!」と間に入って、ウンザリした。平和のための議論で戦争、バカみたいだと。
「Hと議論?やめた方がいいね」と誰かが言ってた理由がそのときやっと分かったわけだった。
僕が広島を発つ日、高速バスの発車時間ギリギリまで僕らは二人で飲んでいた。僕らは本当にいろんなことを語り合った。まるで昔からお互いを知っていたみたいに、それは穏やかで激しくて多様で熱く厚く深い会話だった。
昔マンガを描いてたんだよ、と僕が言ったとき、彼はジョッキのビールを飲み干してから言った。
「じゃあtakebonoくんはさ、『ナニワ金融道』読んだ? おれの部屋に全巻あるんだけどさ、今度貸してあげるよ。おれいま経済学部なんだけど、学部選んだのは、アレ読んでから世の中への考え方が少し変わったからなんだよね」
そして僕らは路面電車に乗っている間も語り続け、広島駅の高速バスターミナルで、
「東京で会おうや」と、握手をして別れた。
会えるわけねーよなーと思ってたら、Hは本当に東京の某有名大学の学生だったわけで、その数ヶ月後には僕らは実際に新宿で再会して飲んだ。
Hはそこで、僕にある学生イベント企画の話をした。夏にも聞いたことはあったけど、ハッタリだと思ってたし、企画倒れが常の学生イベントだからどうだかなァと思ってたけど、Hは真剣だったんだ。
それはHが指揮をとり行う、T大とH大とM大とW大と…あらゆるHの人脈を駆使するアングラのインカレのようなビッグイベントだった。
takebonoくんの大学にはおれの人脈が薄いから、手伝ってくれないか?とHは言った。
夏のときを遙かに超える数乱立するビールのジョッキの隙間をぬって、何かを繋げるように、僕らは再び握手をした。
【つづく】
2年も残してたブルダクメモリ。
シンクロニシティ
2008年11月20日ほんとーにたまたま、
とあるTV番組をネットで調べてたら、
大学時代ゼミで師事した教授、と同姓同名の人が、番組制作側に名前が載ってた。
えっあの教授なのかと思って検索したら、やっぱ別人だった。
検索ついでにその教授のゼミ関連のHPがあったので、ふと懐かしくなって、いまのゼミどんなんかなーとか色々ぐだぐだ調べてた。
じーさん教授まだ大学にいるらしいということがわかった。
そしたら数十分後にその教授から卒業以来のメールがきた。
まったくの偶然に恐ろしくなった。
しかも、今年度で自分は定年で、いまゼミ生の名簿を整理しているから、住所と連絡先をおしえてほしいという内容のメールだった。
まず教授の名を騙った新手の情報系サギか、と思った。個人情報をメール一本で簡単に晒していいのだろうかと思った。
でも発信元は教授のケータイアドレスだった。
ケータイを盗まれてでもしてなければまあ大丈夫なのだろう。
いやいや油断はならぬ。
とあるTV番組をネットで調べてたら、
大学時代ゼミで師事した教授、と同姓同名の人が、番組制作側に名前が載ってた。
えっあの教授なのかと思って検索したら、やっぱ別人だった。
検索ついでにその教授のゼミ関連のHPがあったので、ふと懐かしくなって、いまのゼミどんなんかなーとか色々ぐだぐだ調べてた。
じーさん教授まだ大学にいるらしいということがわかった。
そしたら数十分後にその教授から卒業以来のメールがきた。
まったくの偶然に恐ろしくなった。
しかも、今年度で自分は定年で、いまゼミ生の名簿を整理しているから、住所と連絡先をおしえてほしいという内容のメールだった。
まず教授の名を騙った新手の情報系サギか、と思った。個人情報をメール一本で簡単に晒していいのだろうかと思った。
でも発信元は教授のケータイアドレスだった。
ケータイを盗まれてでもしてなければまあ大丈夫なのだろう。
いやいや油断はならぬ。
きたのふじ
2008年11月19日「ほんとにねえ、… ちよのうみはねえ…」
……??
「っと…千代大海はねえ」
名前…間違え…ッッ!?
ああ、この人は、もう…千代大海が、勝とうが負けようが、どんな相撲やダンスをしようが、どーでもいいんだ。眼中にないんだ。まったく興味がないんだ。すげえ。ほんと。
「えっ、カド番じゃなかったの?」発言が3日目にあったし。
ほんとすげー解説。
……??
「っと…千代大海はねえ」
名前…間違え…ッッ!?
ああ、この人は、もう…千代大海が、勝とうが負けようが、どんな相撲やダンスをしようが、どーでもいいんだ。眼中にないんだ。まったく興味がないんだ。すげえ。ほんと。
「えっ、カド番じゃなかったの?」発言が3日目にあったし。
ほんとすげー解説。
ノベルを述べる164
2008年11月18日 読書省みることがなければ、市場の失敗なんて呼ばないんしょ。
犠牲を糧にして回ってるもん経済。
それならば、ひかれているラインとはなんなのだろう。
最近そんなこと考えた。
不均衡と不平等を前提としてつくられた、この基準たちは、いつでもいつまでもいくらでも論じられなければならないことだけ思う。
犠牲を糧にして回ってるもん経済。
それならば、ひかれているラインとはなんなのだろう。
最近そんなこと考えた。
不均衡と不平等を前提としてつくられた、この基準たちは、いつでもいつまでもいくらでも論じられなければならないことだけ思う。
朝からお勉強。
満点に近かったけど全く無意味に感じちゃう。
NっちゃんはPK戦のことを「運試し合戦」と言ったけど、
そうなんだろうけど、
それでもPKの練習は絶対意味があるんだろう。
運のせいにすればするほど、やりきれなくなるわさ。
満点に近かったけど全く無意味に感じちゃう。
NっちゃんはPK戦のことを「運試し合戦」と言ったけど、
そうなんだろうけど、
それでもPKの練習は絶対意味があるんだろう。
運のせいにすればするほど、やりきれなくなるわさ。