ロード・トゥー…

2005年2月2日
シリア撃破!アントラーズ軍団大活躍。我らがミツオ!オンリーパワープレー鈴木!本山ァ、惜しかった! 来週、北朝鮮を叩きのめす。埼玉グラウンドは血の赤で染まる。

今日でテスト終わりだ。あとはレポートだけだ。12000字ついに到達。もう少し加筆して編集、もうあと一歩だ。
教育社会学系文献から引用。少しいいなと思った。以下−

−デスクの前に座ってキーボードをたたいてる我々が、手を汚してトイレを掃除してくれる人々の十倍、我々が使っているキーボードを組み立てている第三世界の人々の百倍の報酬をもらっているというのは耐えきれないと思うように、私たちの子どもを育てるべきである。最初に産業化した国々が、まだしていない国々の百倍の富を有しているという事実について、子どもたちが確実に憂慮するようにすべきである。子どもたちは、自分たちの運命と他の子どもたちの運命との不平等を、神の意志だとか、経済効率のために必要な代価だとかではなく、避けることのできる悲劇だと見ることを早くから学ぶ必要がある。子どもたちは、一方で飢えている人がいるのに、他方では過食の人がいるという事実を確実になくすためには、世界がどのように変わればよいのかについて、できるだけ早い時期に考え始めるべきである−R.ローティ「成就されざる預言と輝かしき希望」
ゼミ論レポート、11500字突破。構成も決まった。あとは書けるだけ書いて編集することにしよう。 明日、試験最後の1つ。勉強もしなけりゃなんねえし、参るぜ。

パターナリズムという考え方がある。「権利」意識っつうのは結局それを使いこなせる「強い」人間にとって必要なものにすぎなくて、「自由」とか「権利」とか平等に与えたとしても、「弱い」人間はそれを使いこなせない。むしろ、「自由」を自殺や犯罪に使ってしまうかもしれない。一時の苦しみに耐えられずにそうなってしまうかもしれない。もしかして未来は輝かしいものかもしれないのに、だ。「死なせて!あたしの勝手でしょ!」という人がいたら、「自由」「自己責任」を重視するなら、死なせてやるべきだろう。本人の「権利」を尊重するわけだ。でも、その人の苦しみが一時のもので未来は輝かしいと思うのなら、「権利」を取り上げてでも強制的に自殺を止めるべきである。「弱い」個人を拾い上げるために管理をする。 ともすれば一方は無責任な新自由主義というものになるし、一方は管理主義になる。難しい。でも、支配・管理をされなければ生きてはいけない個人もいるということも事実だ。左翼に言えば怒るのかな。
イラクにアメリカ式「自由」は根付くだろうか。秩序でもあったフセイン独裁支配をぶっ壊しちゃって、この先何年内戦は続くだろう。シーアイラク、スンニイラク、クルドイラクに分裂独立するまでかな。
いろんな所で起きている「保守回帰」「宗教回帰」にも思う。「自由」って何ですか? 人間が生きる本能と欲望のはざまで「自由」って揺れ動いてる代物なんではないだろうか。
ゼミ論レポート、9000字突破。いよいよ先が見えてきた。構想もまとまってきた。悔やまれるのはもっと本読む時間がほしかったこと。テストとかかぶってたからしょうがねっか。

「個人化」が進んでいるという。これはなるほどと思った。今や階級・階層は見えにくくなっているし(実際に経済格差はあるのだが)、1億層中流社会だし。地域は解体してるし。ジェンダーフリーなんて今や死語だし。冷戦終わってイデオロギーもわかんなくなってるし。企業福利なんてばかばかしいくらいに流動化する雇用情勢。 今まであったあらゆる「しがらみ」が取っ払われていってる。これは「解放」なのか。それとも「依る辺無き世界」の到来なのか。「個人化」は加速する。個人は個人とコラボする。団結しなくても、自分一人「勝ち逃げ」すればよくなった。個人による消費、個人による信仰…バモイドオキ神。 まあ、啓蒙主義と社会的使命に支えられた学校もまた、馬鹿馬鹿しい場所になった。そんなんより狂った消費世界の方がよっぽど刺激あるものだから、子どもは皆個人としてそっちにゆく。学校は学歴サービス機関か、惰性で行く場所になった。しかしなんて不毛なんだろ。少年少女の現在はなんて勿体ないのだろう。希望はまだ学校をコミュニティとして評価して来ていてくれてる子どもだが。 あと、「個人化」で消えゆく「しがらみ」の中で、最後に残ったのが「家族」という共同体だ。きっとこれも崩壊してゆくんだろうな。 それにしても、リスクをかけて夢を追える時代だと思う。アイデンティティはもはや与えられるものではなく獲得するものになった。その空虚に恐怖するときは、恋人でも親友でもいたほうがいい。個人間のつながりは、本物を生む可能性は高い。勇気にもなる。希望にも。だから僕はコミュニティーをつくり続けるのだ。 「個人化」を前向きなものにするためにも、学校はフレキシブルで人間的な場所でなければなんねえな。消費世界よりももっとおもしれえ「知の味」を、単なる球蹴りにあんな白熱するサッカーのような、あのシンプルでダイナミックなクリエイティブなサッカーのように、アイデンティティを試行錯誤できるような、そんな学校教育ってできないだろうか?

もはや愚かでもない

2005年1月30日
ゼミ論レポート、6000字到達。正念場はこれからだぜ。

学校教育って何だろう?「能力識別機能」か。「学歴取得機関」か。「階級の再生産」か。「外部権力の身体内在化」か。「消費機械」化なのか。いずれにせよ洗脳であることには間違いない。カリキュラム内において「学校的価値」を付与されるのだから。大なり小なり「社会化」されてゆくんだろう。前はその社会化が一律・均質であったことに意味があった。でも今経済・社会情勢が変わって、今度は従来の社会化が悪いものになってきた。だから変えろ、という。全くの傲慢だが、もともとの脳死を戦後加速されたこの国は、自分らの未来社会にすらコミット出来ないくらいに脳死になってて、もうどうしようもない。出来事がよいのか悪いのか以前に、思考停止・無力なのだ。 でもいちおう僕が思うのは、結局「社会化」の枠組み自体を変えることが出来なければ、どこまでいってもその社会その社会に合わせた「学校的価値」によって社会化されるという洗脳コースは変わらないということ。いちおう民主主義ですから、国民の質を反映した社会になってくはずで、文句も言いづらい。自分らと自分らの子どもの脳味噌を、お上に差し出しているのだから、洗脳された範囲内で苦しんでたまに喜んだりするしかないんでないかな。もっとも脳死ですからね。幸いこの国は高度の質の欲望消費文化をもっていることだし。国が滅ぶ前に、平和に死ねるかもしれない。

知の味

2005年1月29日
レポートのタイムリミットまで一週間を切る。さすがに焦る。やっと字を打ち始めた。文献も、もう乱読・回し読み。
しかし、知識ってすげえ。本読んでると、もっともっとリンクする本みんな読みたくなる。焦ってるのに、そんなことぐぐっと考えさせられちまう。図書館行って立ち止まって一冊の本読んでると、その目の前の棚の本全部読みたくなる。遅い遅い知への欲求の目覚めか。もっと本読んどきゃよかった。勉強なんかほっとけばよかったなあ。それでもまだ、古典には慣れない。入ってこないんだよな。だから今は、乱読につぐ乱読。 2月は勉強しよう。合間に就活しよう。
なんで知の味がすげえかって。混沌と探求があるからさ。自分の在り方が、表現が、無限になってゆくようで。ちっぽけな自分がはるかにちっぽけに見えることが何よりも、生命のダイナミズムを感じれるようで。
夏から少しずつ書いてる小説の構想がなぜかこの忙しい時期に限って、いいアイデアが浮かんで、完成に向かいそうなので、レポートが終わったら取りかかろうと思う。

ある底辺高校が舞台で、主人公は高校3年の女子高生。退廃した日常を過ごす日々で、思いがけず起こる多くの出来事に触れて、「生きる」ということを考えるってお話。テーマは「いのち」。

高校3年生になった「メイ子」は、退廃する日々を過ごす中で、一人の少年に恋をする。たまに学校に来るといつも屋上の給水塔の上で寝ている少年・「優人」だ。全てに自由であろうとする優人にメイ子は惹かれてゆく。優人を追いかけ、給水塔の上によじ登るメイ子。そこはメイ子にとって2人だけの聖域になっていた。世界が終わりそうな青空の下で、何一つの枷も無く、糧もなく、有り余る希望と絶望から自由に、2人は手を繋ぐ。尚廻りゆく運命の歯車は、「生命」を巡り揺れ動く若者たちを、幾度となく蒼き空間に漂わせてゆく。

ある日、優人を追いかけて、一人の少女がメイ子の前に現れる。少女の名は「ピア」。優人が、声を発すことが出来ないピアにとって唯一の理解者であることをメイ子は知ってしまう。
同じ日の深夜、メイ子の親友・「ミチ」の新しい彼氏「いのっち」が、ミチを乗せたバイクで事故って死んだ。
数日後、失踪していたメイ子の元彼「ゲン」が復学して…。

ピアのチャットフレンド「ノア」の自殺予告メール。「いのっち」の死の真相。メイ子の失われた記憶。「メイおばあちゃん」の末期治療。大震災。そしてイラク。メイ子と優人とピアが向かう「ユートピア」の結末は…。

全ての「いのち」へ。T・TAKEBONOがおくる「ユートピアライブルー」近日書き下ろし予定…。

東京教育道

2005年1月27日
宮代真司って社会学者が学校について書いてる本を読んだ。何言ってんだこいつ!と思う一方で、どこか、そうですねえと共感する部分もあった。僕らは学校っつう装置で「学校的身体」にされちまってるという。そういえば「階級の再生産」もそうだ。現代は特に、良き労働力主体をつくることと、良き消費力主体をつくることが混在してて、マルクスの「下部構造」やイリッチの「学校化」だってきっと似たようなことなんだと思う。苦しむ中学生高校生というのはとてもよく説明される論だと思う。だけどそれはとりあえず秩序であるわけで、結局その秩序に従えない僕なんかは、結局苦しむしかなかった運命なんだなと、妙に納得。でも、生きる力って必ず「反学校的」な方に存在するって宮代氏が言ってたから、なんつか、安心したのかな。そっか、って思った。
その本のあとがきにあったんだけど、いじめ自殺した子が通ってた中学校で追悼集会があったとき、追悼講演をした作家かなんか知識人の方に対して「綺麗事だろ!俺たちの足下をもっとよく見ろ!」と発言した男子中学生のK君が、自殺した子のお父さんに宛てた手紙で「学校は何もしない。いつも綺麗事。自殺した奴が弱いと思う」のような内容を綴った後で、最後に結んだ文章が少し興味深かった。以下−

−いまは夢が見えにくい時代。でも、ニヒリズムのかたまりだったやつが、倒れたおばあさんを病院に連れてったと聞いたとき、僕はうれしかった。僕は現実を見つめて、小さな喜びや正義を見つけたいと思う。味が薄くなったガムをそれでも噛みしめるように−

変革とか理想とか、前向きとか、人間的とか、上を向いて歩こうとか、そんなんより、そんなんよりも、「いまこのとき」の苦しんでいる時を、どうにかしてどうにかして生き延びてゆくすべを、結構多くの子が求めているんだと思う。「足下」ってそうゆうことやろ。足下が泥だらけ血だらけなのに、それが恐くて閉じてんのに、「前を向け」はないよな確かに。 そうだ。Aが言ってたっけ。「見る」ことなんだって。結局、大人や教師達が「子どもが見えなくなった」とかってるけど、じゃあ以前は「見えてた」のかよ!って言ってやりたくなる。自分らにとって都合のいい「学校的身体」をこれまた都合のいい部分だけを見て「見た」つもりになってたんじゃねえのか。社会に蔓延する嘘が、やっとばれそうになってきただけなのだと思う。子どもたちはどんどん気付くよ。だって今はもう子どもたちの方が「見て」るもん。現象を。真理への何かを。
いやしかしそれにしても、僕の教育批判も高度になったもんだ。

いま、日出ずる国で

2005年1月26日
12000字のレポート書き始めました。並行して関係文献読みあさっています。専攻は教育社会学で、テーマは教育改革と学校と教師を混ぜたようなものにしてこうかなというとこです。
それにしても、最近何を読んでも観ても、日本って歪んだ先進国だなあと思う。歪んだ経済大国。卑屈なミニアメリカってかんじ。こんな国で、皆がんばって生きてるよな。この国はいつか破綻するだろうけど、その時までに力をつけておきたい。力を持つものこそが、人々に希望を与えないでどうするのかと思うから。 まだまだ自分は無力で卑屈だけど、甘くて未熟なのだろうけど、愚かでもいいから今はそんなこと思って未来を描いて歩きたい。 「…自分を変えられる者だけが、世界を変えることができるのです」 金八の声が響くなあ。どうか金八先生、過労死しないでくれ。この国の子どもたちを、守っていってくれ。
毎日テストだ大変。
Rさんまたしても寝過ごして新小岩までいっちまったって。やってくれるなあマイペース。そんなちょっとイカれたクールなマイペースRさんが好きです。いつもヤニ臭いあの人に今度はどこで惚れ直すだろ。

最近、こんなん考えてんの自分だけだろなーなんて思ってたことが、結構どこでも誰にでも考えられてたりするもんだと思った。それも、何十年前かの古典とかにそういうのみつけたりすると、人間って面白いなあと思う。自分も含め、人は新しいもん新しいもん考え出そうとしてるけど、それみんなどっかで通過されてることだったりする。歴史って思考の部分でさえもう繰り返すしかないとこまできてるんでないか。僕らはむしろ、大人しく、ゆっくり息をしてればいいんじゃないかと。 そう、他人に優しくしながらさ。他人の他人のことも時々気にしたりしてさ。 そして何よりも、周りに生かされてるのだと。いつの日も自分の生の意味を、周囲の愛に感謝しながらさ。だから、あなたを愛して私は生きてるんだね。森山良子の声を聴きながら、そうゆうのもありかな、と思った。

ああ大相撲

2005年1月24日
そういや昨日のことだけど、朝青龍全勝優勝でした。相変わらずだけど、他に追える力士がいなかった。ライバル不在時代だけに、優勝回数記録つくれるかも。 あと白鵬、遂に挫折を知らぬまま関脇まで上り詰めて来やがった。本当に白青時代到来なのかも。 魁皇はいつも通り無様に消えたし、それ以上に無様に散ったのが若の里だ。期待させやがって。 黒海も露鵬もレスリングあがりの荒さが目立ってきて、上位の壁に阻まれてきて中、琴欧州が未だ挫折知らず。しあkし、上位陣は皆外国人力士じゃん。国技大相撲が侵略されちまうぞ。プチナショナリズムは嫌いだけど、これはさすがにまずいんじゃないか。 そして昨日朝青龍と対戦した千代大海はひどすぎた。勝負前の土俵下で待ってるとき、朝青龍はすげえ目つきで腕組んで、15連勝絶対してやんよ!という気迫ムンムンだったのに、千代大海はポーッとしてて、夕飯何食うかあ…みたいな表情だった。前日に8勝を決めてたから安心してやがって。「死合い」をなめやがって。大体大関が8勝でいいのか。朝青龍を殺してやる!くらいの気迫がほしかったな。勝負は一方的、千代大海は押されていきなりつんのめってアゴに突きを食らい、最期は後ろをとられて送り出された。大関の相撲じゃない。弱すぎる。まるでダンス。僕が客なら、金返せ、だ。 むざむざ15連勝されたダメ力士どもに告ぐ!3月場所では必ずあのモンゴル横綱をぶったおせ!このままでは年6場所完全制覇。90連勝されんぞ。 お前ら、来場所は気合い入れてかかれ!

takebonoマンガ夜話5

2005年1月23日
またまた『キン肉マン?世』から。24巻。白熱するミートのボディパーツ争奪正悪超人抗争。デーモンシード4人目のタトゥーマンに対するは、アイドル超人軍団参加が疑問視されていた「戦慄のエロ核弾頭」ことバリアフリーマンだ! 汚名を払拭すべく、そして正義超人としての誇りを証明するために、バリアフリーマンVSタトゥーマンの北海道・五稜郭決戦が始まった! ミートの右足救出リミット30分の中で、試合は一進一退の白熱する攻防を展開する! しかしリミットが3分を切った所で、タトゥーマンの大技「大江戸八百八町落とし」が炸裂する。誰もがバリアフリーマンの敗北を確信した次の瞬間!「て…手舞い…足ふ…踏めば…九十にして…お…老いずじゃ…!」 瀕死のバリアフリーマンが最後の力を振り絞りタトゥーマンにチョークスリーパーを仕掛けたのだ!これは正義と悪魔の執念と執念のぶつかり合い! 僕は祈った。勝ってくれ!バリアフリーマン! 万太郎が叫んだ。「もっとだーっ!もっと絞めろバリアーッ!」 みんなの応援が響き渡った。「しーめーろっ!しーめーろっ!」 全員がバリアフリーマンを応援してる!ものすげえ感動した。あのバリアフリーマンがここまでの大健闘を見せたことにも。 そして、バリアフリーマンの壮絶な最期に、友情と勇気に、僕は震えた。イリューヒンも感動したけど、バリアフリーマンにもすごく感動した。
今朝4時まで、Aの掲示板に載せるための文章を打っていた。3000字くらい。もはやレポート並みだ。課題でも何でもない、他にやることいっぱいあったのに…何やってんだ僕は…。 でもそれほど、Aに僕の文章を見せてやりたかった。僕の考えを聞かせてやりたかったのだ。何より、Aが喜ぶんじゃないかって、僕の「ソウル」がAの血肉になるんじゃないかって、考えたら、書かずにはいられなかったのだ。 Aのことを尊敬し、大好きで、あの感性を守ってやりたい。誰から?この腐った臭いのする社会からだろう。 Aのことを愛している故に、恋人にはなれないけど、Aの人脈になってやりたいと最近思う。あの子の未来をみてみたい。理想というものがもしあるのなら、Aが活きるような世界が、Aを活かせるような社会が、きっと僕の夢なんだ。僕の基盤…そうゆうものでもいいのかもしんない。もともと生きる意味なんてなかったんだし。 でも、依ってはいけない。絶対に、依っちゃだめだ。その上で、Aの生き方を、守ってやりたい。それまでは、死ねない。
掲示板に早速Aからレスきてた。なんだか、Aがこんな僕をまた一つ認めてくれたようで、嬉しかった。

takebonoマンガ夜話4

2005年1月21日
今日の試験何も書けなかった。終わった。

またも『キン肉マン?世』。23巻。「恐怖の将」復活の生け贄として、悪魔超人にバラバラにされてしまったミートのボディパーツ奪還をかけたアイドル超人軍団対デーモンシードの抗争第2戦は、「赤き死の飛行機(ママリオート)」ことイリューヒンVSモーターサイクル超人メルトダウンの一戦だ! そこには、ミートのボディパーツ奪還にかける、イリューヒンの特別な思いがあった。 「オレは、なんとしてもこの闘いには一人で挑んで、自分自身の手で勝ちたい!…ミートのためにも、そうせねばならない!…オレが超人オリンピック・ザ・レザレクションに出場できたのも、ミートがいたからこそ…、オレは本来なら超人オリンピック準決勝においてケビンマスクにKOされ、そのままスカイ・キューブ・リングから叩き落とされ死んでいた運命だった…。し、しかし、その運命を変えたのは…ミート自らが命を張ってくれた行為のおかげ…。…今度は、オレがミートのために命を張る番だ!!」 熱い!熱すぎるぜイリューヒン!これからバトル開始だってのに、これは泣いたぜ。 イリューヒンとミートの友情が。なによりあの冷徹殺人コンピュータのようなイリューヒンが、これほどまでに感情を燃え上がらせるとは!ホントにイリューヒンかっこよすぎるぜ!感動した。 ともかく地対空の機械超人決戦は、壮絶な死闘になります。最後の最後までわかんなかった。超人レスリングってすごいなあ。

takebonoマンガ夜話3

2005年1月20日
名作中の名作。僕がtakebonoとして、マンガという芸術表現に魅せられるようになったきっかけはこの作品だった。『銀河鉄道999』。 その中でも、何度となく読み返し、涙したのが9巻「永久戦闘実験室」。
惑星ライフルグレネードに降り立った鉄郎とメーテルは、そこで本物の戦争をみる。その星は、戦争を観光客へのショーにして儲けている星だった。殺し合ってる兵士達は、コンバットモルモットと呼ばれるその星の労働者たちである。観光客は防弾ガラス越しに生の戦闘を見ながら、食事を楽しむことができるのだった。 鉄郎を撃った反乱兵ゼーダが叫ぶ。「人の死をサカナにめしを食うハゲタカめが!…俺たちの血を見ると食欲がよりわいてくる吸血鬼どもだ!」 鉄郎は人間の尊厳をかけて、ゼーダと共に広大な熱砂漠を歩く。 「苦しいか?」「苦しくない!苦しくなんかないぞ!苦しくても苦しくなんかないぞ!!」鉄郎の魂の叫びは、沈んだときの僕をいつでも励ましてくれた。 そして、惑星ライフルグレネードに遂にコンバットモルモットたちの反乱が起こり、友情の芽生えたゼーダと鉄郎の別れの時がやってくる。「…じゃな、これでさよならだぜ、鉄郎…。俺たちは反乱軍になったんだ、この星の支配者どもとの戦いが始まったんだ。今度お前がこの星に降りる時には俺たちの政府ができているだろう。今より貧しいかもしれない、戦争の見せ物もないけど、きっと平和になってる。…でもな、鉄郎よ。なるべくなら…ここに戻ってくるとき…機会の体でなんかくるなよな…その生身のままのお前が俺はすきだ。…明日死ぬかもしれないけど、俺は永遠の命なんてほしいとは思わないぜ…」 ゼーダの言葉は鉄郎の心に、そして当時中学生の僕の心に突き刺さっていった。 その後、鉄郎を乗せた999がライフルグレネードを飛び立ったあとで、鉄郎はゼーダたちの反乱が鎮圧されたことを知る。「…ゼーダはあれほど歴史が変わると信じていたのになあ…」 メーテルに隠れて、一人っきりで鉄郎は泣く。メーテルは気がついていた。自分のことではめったに涙など流さない鉄郎が、他人のためにはよく涙を流すことを…。ゼーダの死に、信じている友達のために、男として涙を流す鉄郎の姿は、僕はもう涙なくしてはみられないのである。どうか世界が平和になりますように…。

takebonoマンガ夜話2

2005年1月19日
何度読んでも熱くなるのはやはり『はじめの一歩』22巻。
遂に迎えた日本フェザー級タイトルマッチ!最強のチャンピオン伊達英二VS最強のチャレンジャー幕之内一歩!伊達の超高等ボクシング技術の前に倒されかけながらも、一歩も得意技リバーブロー、必殺ガゼルパンチで応戦する!試合は死闘となる。しかし4R、伊達の“王者の拳”の重みが一歩の戦意を挫く!ボコボコになる一歩。試合は一方的な展開かと思われた。しかし、チャレンジャーとしての血が、再び一歩を突き動かすのだった。4R終了−「まだ…うごく、出し切ら…なきゃ、全部…、全部出し切るまで…終わる…もんか…、ボクは…挑戦者なんだから…」最後の最後まで挑戦者として戦い尽くそうとする一歩の姿勢は、この僕に人生の挑戦者としての姿勢をおしえてくれているようで、たまらなく感動する。 結局ハートブレイクショットで一歩は敗けちゃうんだけど、でもやっぱりいい試合だなあって思う。鴨川会長が投げ込んだタオルがゆっくりひらひらとリングに落ちていくのと同時に、ゆっくりリングに倒れ込んでゆく一歩に、僕は涙した。

takebonoマンガ夜話1

2005年1月18日
今日はSTさんとサッカートークしながら帰った。STさん地元福岡帰って就活だって。アビスパJ1復帰を僕も祈ってます。今度サッカー観戦でデートさそお。

日記も飽きてきたところで、これからときどきは僕が読んだマンガで感動したシーンを書いていくことにする。

まず、やはり『キン肉マン?世』から。
12巻の火事場のクソ力チャレンジ。VSノーリスペクト・最後の相手は超人ヒットマンことボーン・コールド。沖縄・シーサーリングでの決戦で、ボーンの圧倒的戦闘能力の前に大ピンチに陥る万太郎に、テリー・ザ・キッドとチェック・メイトが声援を送る!「起きるんだーっ!キン肉マン?世ーっ!GO!FIGHT!」参謀ミートを欠き、初めて正義超人軍が一つになったあのときから、実に30年の時を経て、いままた新世代超人軍が一つになる! そして、敗れたボーン・コールドが最後に一言、「チッ、いいなあ、友達ってやつも…」 そう、?世にもあった。倒した相手すらも受け止める、正義超人の伝統的ファイト…友情パワーが…。 ミートの父・ミンチの死。ボーンの父・キン骨マンの葛藤。時代を巡る様々な思いが交錯した一戦は、万太郎がボーン・コールドを倒し、火事場のクソ力に必要な最後の炎「友情」を手にして幕を閉じる。敗れたボーンの寂しげな笑顔がかわいそうで泣きそうになりました。

感傷のあとで

2005年1月17日
今日は「実習」ゼミが最後の授業でした。先生は来年は違う大学にいっちまうんだって。授業の終わりに少しだけ先生が話をして、少ししんみりした。色々あったけど、勉強させられた一年でした。共同研究報告書はまだ完成してないからまだがんばんないと。
皆教室出た後、Bちゃんが先生と話してた。僕はきまずくて教室を出た。最後まで波乱含みか。

Rさん、明後日までに12000字だって。相変わらずマイペースだなあ。僕も人ごとじゃないけど。

きっともう一生2度と出会えない人たちと、コラボしてくって奇跡。その奇跡、あと何回僕は動かせるのかな。何度も何度も輝いた後で、楽しすぎた後で、僕は余命をどう生きるのだろう。やっぱり、輝こうとするのだろうか。

夢の一つ。いつか家を出たら、誰かとルームシェアして一緒に暮らしたい。同棲してもいい。明日から同棲相手を探そうかな。

どうしても在るもの

2005年1月16日
朝からずっとPCに向かったけど、はかどらずはかどらず、やっと一つ課題が終わりました。続けてやらねば。

最近の僕は、得ることに臆病です。それは結局、失うことに対して臆病なのと同じことかもしれません。生きてこなければ死ぬことはなかった、なんて言うのは愚かなことなんだけど、まだまだ自分を超えきってないのだと思う。
嘘はつかずに、本当に立ち向かえることって、あるのだろうか?酔いたくない、しらふでいきたい。でもそれは戦いじゃないのだろう。結局僕は自分一人だけの戦争なのかなあ。
でも、失うことに臆病だから、守りきってみせるぞ。僕は、僕が愛するコミュニティーを、命をかけて守り抜くぞ。それは、全ての世界のためでもあると信じて。

焦燥、空回り

2005年1月15日
来週はテストだっつーのに課題が山積み。なんつってもゼミ論12000字が控えてる。はあ。一つずつ潰してくしかねえなあ。

で、今日は朝から課題に取り組んでたけど、ちっともはかどらなくてイライラして焦ってもどかしかった。追いつめられなきゃできないと思いつつ、追いつめられたらこんなもんなんだよな。だめだなほんと。夜中がんばんないとな。

幼なじみのSちゃんと久しぶりにメールした。去年はほとんど会えなかったな。Sちゃんは「ソウル」はあまり感じないんだけど、いい人だってのは知ってる。たぶんもっと仲良くなれたはずだけど、今の僕じゃもうSちゃんの側にいることはできないんだろうな。就活しないで法律の勉強始めるんだって。がんばってほしい。今度早稲田遊びにいこうかな。とりあえず久しぶりに会いたくて、来月飲みに誘いました。久しぶりに会う幼なじみは、今の僕を震わせてくれるだろうか。

栃東、がんばれ!
昨日S氏に借りた小説がすげえ面白くて、もう読み終わりそう。主人公の中学3年生は、まるであの頃の僕とあのYさんとを足して2で割ったような…なんつか、感性だけが不安定に研ぎ澄まされてんのに、世界観がついてゆかない、依るものもまだ作れず、失うことも得ることもなくて、ただ狂わずに演じるしかなかったような…ポケットの中のナイフを握りしめる少年の心がとても切なくて不安定で、リアルだった。ラストはどうなんだろ。これから一気に読むぞ。

食堂でKSさんと就職について話した。企業社会にとっては僕は爆薬だと。光栄だな。なんか、そこらの女子学生のブスな作り笑いより、色白美人のKSさんの貧血めいた無表情の方がとても魅力的。絶対にお互いを理解できないけど、故にかな、めずらしく自然体でKSさんとは最近いろんなことが話せてる気がする。マンガの相性がほんとに意外と合うんだよな。
Bちゃんはいつも通り理解困難でしたが、家庭教師バイトについて色々相談にのってもらっちった。いつもありがとBちゃん。

金八先生おもしろいわあ。丸山しゅう役の子、棒読みで下手なんだけど、何故か自然体なんだ。「得体の知れないキャラ」を結果的にかもしれないけど、ほんとに引き込まれるくらい演じてくれてる。
今回言いたいのは「ドラッグ」なんだろうね。校長先生の薬物依存症も含めて。人はものすごく追いつめられたときに何に依るか?…愛…宗教…自傷…虐待…友達を傷つけること…自殺…そしてドラッグ…。今回はそれ全部でてきてる。結局、追いつめられることが多すぎる社会をどうにかしないとどうしょもうないんだろうけど、でもたった一つだけ、追いつめられた人を救うものがあるならば、それはやはり人なんだと思う。人と人の間で人を守ってゆくこと。やはり「コミュニティー」なのだと思います。金八だって、多くの人たちとコミュニティーに支えられてるからこそだもん。

なんかわかんないけど今日の僕は神経高ぶってる…なんだこの感覚?覚醒剤か?
昔っから、深層心理になんかいやがると、体に影響するみたい。よくわかんないけど心臓が高鳴ってて、夢の中でその理由がわかったりする。自分が何を考えてるかわからない部分…無意識な部分…素直になっても消えやしない。これが僕って僕は、結局、僕にもわからない僕。

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