人間で在るために
2005年4月23日今日は図書館行った。この頃はやはり卒論と教育実習のために、教育系の本ばかり読んでいる。経済や政治の本や小説も借りてくるんだけど、ろくに読めないまま返してしまう。悔しいけど今はこれでしかたない。これでいい緊張感なのだ。 その後またNちゃんにキャッチボールにさそわれた。正直面倒だなと思うけど付き合ってあげた。しかし、毎回のように、自分で時間指定しておいて遅刻してくるのはやめてほしい。そういう所も、95%くらいニートなのかなあ。Nちゃんは、優しい奴なんだけど、どこか、そう、弱い自分で在ることで優しく在ろうとしている。彼がニートじゃなくなるとき、強くなったとき、今のような優しさは持ち続けてること出来るのかなと、ときどき思う。たとえ自分が、周りより強くなっても、周りを蹴散らしたり食い物に出来るくらい強くなっても、尚優しく在ることは出来るだろうかと自問しながらも、そう在りたいと願ったりもする。 それでも今のNちゃんは僕の親友なんだ。
その後Sちゃんから相談メールもらった。人間関係で悩んでいるだとかよくわからなかった。たぶん男関係だと思う。僕に相談されてもなと思いつつ、よく考えて返信したけど文章おかしかった。でも少し落ち着いてたみたいでよかった。
今日の僕は、とりあえず友達にとってちっぽけな希望で在れただろうか。他の誰かの下に行っていいものが僕の下にくること。絶対に無視はしない。全部全部受け止めてやりたい。僕の生命なんて軽くていい。ちっぽけな希望で在ること以上の生き方が、今の僕にあるはずはないのだから。 母親を刺して逃亡して警察に追われてしまうケンジロウを探しに、金八先生は夜の街を走ったっけ。「ケンジロウ、俺の所へ来い、俺の所へ来い」 僕は僕自身に、そして、幾度も繰り返されてしまう人間の弱さってやつに、正面から立ち向かいたいだけなんだきっと。愛他でも勇敢でもなんでもねえ。人間で在る以上、背負いてえだけなんだ、人間を。
その後Sちゃんから相談メールもらった。人間関係で悩んでいるだとかよくわからなかった。たぶん男関係だと思う。僕に相談されてもなと思いつつ、よく考えて返信したけど文章おかしかった。でも少し落ち着いてたみたいでよかった。
今日の僕は、とりあえず友達にとってちっぽけな希望で在れただろうか。他の誰かの下に行っていいものが僕の下にくること。絶対に無視はしない。全部全部受け止めてやりたい。僕の生命なんて軽くていい。ちっぽけな希望で在ること以上の生き方が、今の僕にあるはずはないのだから。 母親を刺して逃亡して警察に追われてしまうケンジロウを探しに、金八先生は夜の街を走ったっけ。「ケンジロウ、俺の所へ来い、俺の所へ来い」 僕は僕自身に、そして、幾度も繰り返されてしまう人間の弱さってやつに、正面から立ち向かいたいだけなんだきっと。愛他でも勇敢でもなんでもねえ。人間で在る以上、背負いてえだけなんだ、人間を。
自分探し終えて
2005年4月22日今日もゼミの発表の順番がまわってこなかった。1週間前から準備してたのに…はあ、なんだかな。しかしテンションもモチベーションも上がらないゼミだなあ。ぶっちゃけ卒論書ければそれでいいやと思ってしまう。ダメだなあ僕は。でもダメでいいやその方が気楽だなあ、と思ってしまうこと自体がダメダメなのよな。結局仕方無えやん、肯定以上に、誇りを持ったダメクズ。 昨日の教職ゼミはしかし楽しかったな。やったるかって思うもんな。気持ちのいいドキドキワクワクするかどうかなのだ結局。僕がいる場所において。ほんと、インセンティブディバイドだわ昨日と今日それぞれのゼミで。ハハハ、だ。
その後食堂で読書してた。グラウンドのこともあるし、誰かしら食堂に顔見せるだろ、と思ってたけど、誰も来なかった。なんかつまんなかった。高校生じゃあるまいし「友達に会いに」学校に来てるなんて酷く愚かだけど、でもでも、僕がすきな奴ら誰もいない学校なんてつまんないや。こんなんで、大学生活終わったらどうなんだろ?やっぱり虚無感に襲われるのかなあ。それを埋めるために就職や勉強するのかなあ。限りある時間だから、掛け替え無く素晴らしいということは充分わかってたけど、だから充実していたのだけど、でもやっぱり寂しいもんなんだな。必要な寂しさってあるもんなんだろうか。でも、過ぎ去った時間を今の僕はもう許せてるのです。掛け替えがないことにももう気付いてるのですな。その日まで、その時代を、精一杯生きるしかないのだと。それだけが、何不自由なくこの国に生まれ落ちた僕の使命なのだと。
その後、バイトいった。教え子が勉強が出来るようになっていた。少しうれしかった。
その後食堂で読書してた。グラウンドのこともあるし、誰かしら食堂に顔見せるだろ、と思ってたけど、誰も来なかった。なんかつまんなかった。高校生じゃあるまいし「友達に会いに」学校に来てるなんて酷く愚かだけど、でもでも、僕がすきな奴ら誰もいない学校なんてつまんないや。こんなんで、大学生活終わったらどうなんだろ?やっぱり虚無感に襲われるのかなあ。それを埋めるために就職や勉強するのかなあ。限りある時間だから、掛け替え無く素晴らしいということは充分わかってたけど、だから充実していたのだけど、でもやっぱり寂しいもんなんだな。必要な寂しさってあるもんなんだろうか。でも、過ぎ去った時間を今の僕はもう許せてるのです。掛け替えがないことにももう気付いてるのですな。その日まで、その時代を、精一杯生きるしかないのだと。それだけが、何不自由なくこの国に生まれ落ちた僕の使命なのだと。
その後、バイトいった。教え子が勉強が出来るようになっていた。少しうれしかった。
ブルーダークの少年の記憶2
2005年4月21日 エッセイある授業中、教室の戸が開いてODが顔をのぞかせた。そして、その授業の教師と何か一言二言話すと、教師は僕に廊下に出るように言った。ODが僕を廊下に呼び出したのだ。「なんかやらかしたのかよォ?」と周りの連中がはやしたてた。そう思っても無理はない。あのODがわざわざ教室に来るくらいだ。僕はやっちまったかと思った。あのバカげた僕の作文、それをODが手に持っていたからだ。選考係のODが読んでその内容にきっとブチキレたのか、まさか怒鳴られやしないだろうかと。もういいよボツなんだろ、怒るなよ、はぁ…。
しかし事実は違っていた。廊下に出た僕にODがただ一言「よく出来てる」…あれ?これは、ほめて…くれてんのかな?一瞬わかんなかった。「ココ直して、このまま清書しろ」とだけ言ってODは去ってしまった。「はぁ…」これは…?作文コンクールにいよいよ応募者がいなくて企画倒れになるのを恐れた?中学校の時、僕のラジカル文章を、書き直しを認めなかったために教師が都合よく書き変えたことがあった、あの時みたいに、ボツに出来ないならどうせ書き直させるんだろ。それにしては…。ODに手渡された僕の作文用紙にはたった一行だけの赤線が入っていた。
僕は放課後、ODがいる体育教官室に出向いた。どうしても気になってた。ODが僕の文章をどんな思いで読んだのか。体育教官室…ここで幾人が幾度、殴られたり怒鳴られたりしたのかなぁとか思いながら、戸を開けた。ODがいた。「おう、作文よかったぞ。高校生でここまで考えてる奴なかなかいないよ」…え?「とても立派な考えだ」…あれ?「でも、社会を否定しちゃダメだ。人間は結局どうしたって社会で生きてるんだから…赤線はそういう意味だ、そこを直してくれ」「はあ…」ODは僕の文章をほめてくれていた。表情一つ変えずに、太い声で。「こんなこと考えてる奴が、この学校にいるとはな…今になって気付いたのが、残念だ…」 理解し合うということに対してか、残された時間の短さにか、どうにしろ僕はこいつを悔やませるほどの文章を書いたのだろうか。ODが言った。「がんばれよ」何を?このクズな僕がこれから一体何をがんばってゆく?そん時はわかんなかったけど、きっとODは僕を激励してくれてたのだ。僕の生き方を、認めてくれたような気がして、僕が完全に閉ざしていたもの…社会、或いは彼が教師であるということ、初めてこの僕も認めたのかもしれなかった。もっと早く、互いを理解し合えばよかったのかも。人を信じない僕が、人を信じれなかったことに後悔するのはこの後1回や2回じゃないけど、教師に対してはこれが初めてだったように思う。すぐ人を切り捨ててしまう僕の悪癖は、このとき少しだけ揺らいだ。最後にODが「ありがとう」と言った。僕はなんかわからんけど、うれしかった。やっぱり言葉って大事だったのだ。ちっぽけな、2度と来ないほんとちっぽけな放課後の時間。 その後僕は「ずぶねリズム」にて、ODの進路指導部が発行する『進路ニュース』を批判してしまったことに少し罪悪感が残った。
青い青い少年の頃の記憶を思い返しながら、来月には僕は教育実習生として母校に凱旋する。 教育効果とは長い長い試みである。終わりはない試みである。しかし、思い出だけは残るのだ。傷と同時に、それを癒すのも、未来につなげるのも、出来合いのものではなく、心から心に刻まれた何かなのだとも思う。
しかし事実は違っていた。廊下に出た僕にODがただ一言「よく出来てる」…あれ?これは、ほめて…くれてんのかな?一瞬わかんなかった。「ココ直して、このまま清書しろ」とだけ言ってODは去ってしまった。「はぁ…」これは…?作文コンクールにいよいよ応募者がいなくて企画倒れになるのを恐れた?中学校の時、僕のラジカル文章を、書き直しを認めなかったために教師が都合よく書き変えたことがあった、あの時みたいに、ボツに出来ないならどうせ書き直させるんだろ。それにしては…。ODに手渡された僕の作文用紙にはたった一行だけの赤線が入っていた。
僕は放課後、ODがいる体育教官室に出向いた。どうしても気になってた。ODが僕の文章をどんな思いで読んだのか。体育教官室…ここで幾人が幾度、殴られたり怒鳴られたりしたのかなぁとか思いながら、戸を開けた。ODがいた。「おう、作文よかったぞ。高校生でここまで考えてる奴なかなかいないよ」…え?「とても立派な考えだ」…あれ?「でも、社会を否定しちゃダメだ。人間は結局どうしたって社会で生きてるんだから…赤線はそういう意味だ、そこを直してくれ」「はあ…」ODは僕の文章をほめてくれていた。表情一つ変えずに、太い声で。「こんなこと考えてる奴が、この学校にいるとはな…今になって気付いたのが、残念だ…」 理解し合うということに対してか、残された時間の短さにか、どうにしろ僕はこいつを悔やませるほどの文章を書いたのだろうか。ODが言った。「がんばれよ」何を?このクズな僕がこれから一体何をがんばってゆく?そん時はわかんなかったけど、きっとODは僕を激励してくれてたのだ。僕の生き方を、認めてくれたような気がして、僕が完全に閉ざしていたもの…社会、或いは彼が教師であるということ、初めてこの僕も認めたのかもしれなかった。もっと早く、互いを理解し合えばよかったのかも。人を信じない僕が、人を信じれなかったことに後悔するのはこの後1回や2回じゃないけど、教師に対してはこれが初めてだったように思う。すぐ人を切り捨ててしまう僕の悪癖は、このとき少しだけ揺らいだ。最後にODが「ありがとう」と言った。僕はなんかわからんけど、うれしかった。やっぱり言葉って大事だったのだ。ちっぽけな、2度と来ないほんとちっぽけな放課後の時間。 その後僕は「ずぶねリズム」にて、ODの進路指導部が発行する『進路ニュース』を批判してしまったことに少し罪悪感が残った。
青い青い少年の頃の記憶を思い返しながら、来月には僕は教育実習生として母校に凱旋する。 教育効果とは長い長い試みである。終わりはない試みである。しかし、思い出だけは残るのだ。傷と同時に、それを癒すのも、未来につなげるのも、出来合いのものではなく、心から心に刻まれた何かなのだとも思う。
ブルーダークの少年の記憶
2005年4月20日 エッセイ先日実習校を訪問したとき、帰り際に階段のとこで体育のOD先生と擦れ違った。職員室には、僕が学校通ってた当時の先生方はもうほとんど残っていなかったけど、こいつはまだ残っていたんだ。「おう、教育実習か、頑張れよッ」とドスの利いた声でいい加減な態度ながら激励してくれた。「ありがとございまッす」僕は4年前を思い出していた。
体育のODといえば、笑顔を見たことがなく、ヤクザみたいな口調の教師で、無茶に筋トレをさせる奴で、連帯責任がすきで、ゴリラと吸血鬼を合わせたような顔で、僕はすげえすげえ嫌いだった。体育の授業でバドミントンのとき、僕らがせっかく張ったネットに、「なんだこりゃあ!」とかってラケットを叩きつけてネットが外れて「やり直ーし!」とか叫んで、マジにこいつ殺してやろかと思ったくらいだ。バカやったやつをたまに殴ったりして、完全な体育会系かと思いきや、説教をするときには意外と論理的だったりして、単なる体育バカではなく、頭のいい大学を出てるらしいと後で聞いてなるほどと思ったりした。 そんな醜悪なODの体育授業で、僕は卓球やテニスを嗜んだ。3年間で、あの最悪なODがたった一度だけほめてくれたときがあった。テニスでダブルスやってて(僕はテニスがすきだった)、相手の深いストロークを後衛の僕がバックハンドでうまくリターンしたときだ。ODが叫んだ「おーっし!うまい!」そんで授業の終わりに「テクニシャンだ」と言ってくれた。それだけ。でもなんかうれしかった。教師に否定されることはあっても、ほめられたことなんかクズな僕にはこれまでに一度もなかったから、たぶん初めてほめてくれたのが皮肉なことにこのODだったのだ。
月日は流れ、3年の終わり頃、校内作文コンクールってのがあった。こんな底辺校では、応募する奴なんか一人もいないだろうに、図書券が賞品だったので僕は書いた。テーマは指定されてたと思ったけど、僕はそんなもの度外視して、つらつらと普段思ってることだけを書き連ねた。要するに、自分が社会においてクズであること。だけどこの社会が脳死であること。故にクズの自分こそが脳死社会を否定すること。自分のような、排除されるしかない運命にあるクズたちを結集して、いつかそれを何らかの力に変えたいということ。これまでの義務教育課程でずっと教師に否定され続けてきた僕の言説。今回も排除されるのだろうけど、このコンクールは応募数がそもそも絶対的に少ないのだから、簡単には排除できないのではないか。そんな間隙をついた一撃、とか愚かにも最初はそんなこと思っていたのだが、なんとその作文コンクールの選考委員は、進路指導主任でもあったあのODだったのだ…。 〔つづく〕
体育のODといえば、笑顔を見たことがなく、ヤクザみたいな口調の教師で、無茶に筋トレをさせる奴で、連帯責任がすきで、ゴリラと吸血鬼を合わせたような顔で、僕はすげえすげえ嫌いだった。体育の授業でバドミントンのとき、僕らがせっかく張ったネットに、「なんだこりゃあ!」とかってラケットを叩きつけてネットが外れて「やり直ーし!」とか叫んで、マジにこいつ殺してやろかと思ったくらいだ。バカやったやつをたまに殴ったりして、完全な体育会系かと思いきや、説教をするときには意外と論理的だったりして、単なる体育バカではなく、頭のいい大学を出てるらしいと後で聞いてなるほどと思ったりした。 そんな醜悪なODの体育授業で、僕は卓球やテニスを嗜んだ。3年間で、あの最悪なODがたった一度だけほめてくれたときがあった。テニスでダブルスやってて(僕はテニスがすきだった)、相手の深いストロークを後衛の僕がバックハンドでうまくリターンしたときだ。ODが叫んだ「おーっし!うまい!」そんで授業の終わりに「テクニシャンだ」と言ってくれた。それだけ。でもなんかうれしかった。教師に否定されることはあっても、ほめられたことなんかクズな僕にはこれまでに一度もなかったから、たぶん初めてほめてくれたのが皮肉なことにこのODだったのだ。
月日は流れ、3年の終わり頃、校内作文コンクールってのがあった。こんな底辺校では、応募する奴なんか一人もいないだろうに、図書券が賞品だったので僕は書いた。テーマは指定されてたと思ったけど、僕はそんなもの度外視して、つらつらと普段思ってることだけを書き連ねた。要するに、自分が社会においてクズであること。だけどこの社会が脳死であること。故にクズの自分こそが脳死社会を否定すること。自分のような、排除されるしかない運命にあるクズたちを結集して、いつかそれを何らかの力に変えたいということ。これまでの義務教育課程でずっと教師に否定され続けてきた僕の言説。今回も排除されるのだろうけど、このコンクールは応募数がそもそも絶対的に少ないのだから、簡単には排除できないのではないか。そんな間隙をついた一撃、とか愚かにも最初はそんなこと思っていたのだが、なんとその作文コンクールの選考委員は、進路指導主任でもあったあのODだったのだ…。 〔つづく〕
クズたちの時代
2005年4月19日朝にNちゃんがメールしてきて、午前中キャッチボールした。彼は87%くらいニートなのかなあ。平日の昼間だってのに、僕が「チーム・くず」でなければ、こんなことに付き合う奴いないだろうなあ。 それからR−SOMAの区公認団体登録の更新に行った。書類一式をまた提出しなければならないらしく、明日また行かなければならない。すごい面倒。自分がやんなくてもいいことだけど、誰かがやれば誰かが助かるわけで、そんなことにも悩むことも馬鹿馬鹿しく、「フリーライダー」をぶっ壊したくて、僕がやってしまってる。愚かだな。「ありがとう」なんて言われるのも気持ち悪く、でも人の役に立ってる喜びも無いわけじゃない。つくづく救えぬクズか。
夕方から学校で教育実習の講演会があった。講師の人がすごい面白くて、とてもよかった。教育というもの、教師というものの、在り方。それこそを、またしても考えさせられた。 その後、懇談会とかで、先生方の酒の席に参加させてもらった。話を聞いてるととても興味深かった。でもついていけなかった。たぶん、乖離がある。「学生」と認識されるほど、勉強を積んじゃいない。僕が社会学部だからって、社会学の何を知っているというのか。なんつうか、前提が乖離してんのに、接点が見えないのに、何の意見も言えやしない。何よりも、こんなクズの僕が、こんな場所で「学生」かたっていいのかなあと思う。批判される価値も無いのではないか、と。 ああいう学閥ファミリーみたいのほんと嫌いだし、あの雰囲気、笑顔も嫌だ。極めて不本意に「いい子」演じるしか出来ない僕自身がホントにむかつく。学生に失望している先生方の前で、学生のパワーを見せつけてやりたいと思う反面で、無力な自分。それを見てやはり失望する先生方。どうしようもない時間の進み方に、やりきれなさが残った。 Hが僕のことを「丸くなった」と言った。Eつんと「我々も年ですなあ」と笑い合った。なんなんだろうなあ、ありふれて生きちゃってるのかなあ。でも、届かないからこそ眩しく掛け替えがなく思えるものだってある。「学生」として、レベルアップし、思想レベルを鍛え、世のノウハウを学び、社会にコミットメントしてゆくことは、本当に大切だしそうすべきだしそう在りたい。でもでも、例えば今朝のNちゃんや、昨日のTKや、R−SOMAや、「チーム・くず」なんかは、今の僕が今の僕故にコミットメント出来る世界であるし、何か自分を形成してるものでもある。何か僕が大切にしてたものが離れていってしまうようで、進歩したくないとまで思ってしまう。甘いのだろうけど。時代が変われば嫌でも離れてゆくのだし、時の流れに逆らっているのだろうけど。結局、「底辺」が抜けられないのかな。やっぱり、クズどもを守るために強くなりたかったりする。救えねえクズどもを活かすために、もっと優しい人間になりたかったりする。 僕は、クズでいい。クズのままに、強く、優しくなりたい。そう思った。
夕方から学校で教育実習の講演会があった。講師の人がすごい面白くて、とてもよかった。教育というもの、教師というものの、在り方。それこそを、またしても考えさせられた。 その後、懇談会とかで、先生方の酒の席に参加させてもらった。話を聞いてるととても興味深かった。でもついていけなかった。たぶん、乖離がある。「学生」と認識されるほど、勉強を積んじゃいない。僕が社会学部だからって、社会学の何を知っているというのか。なんつうか、前提が乖離してんのに、接点が見えないのに、何の意見も言えやしない。何よりも、こんなクズの僕が、こんな場所で「学生」かたっていいのかなあと思う。批判される価値も無いのではないか、と。 ああいう学閥ファミリーみたいのほんと嫌いだし、あの雰囲気、笑顔も嫌だ。極めて不本意に「いい子」演じるしか出来ない僕自身がホントにむかつく。学生に失望している先生方の前で、学生のパワーを見せつけてやりたいと思う反面で、無力な自分。それを見てやはり失望する先生方。どうしようもない時間の進み方に、やりきれなさが残った。 Hが僕のことを「丸くなった」と言った。Eつんと「我々も年ですなあ」と笑い合った。なんなんだろうなあ、ありふれて生きちゃってるのかなあ。でも、届かないからこそ眩しく掛け替えがなく思えるものだってある。「学生」として、レベルアップし、思想レベルを鍛え、世のノウハウを学び、社会にコミットメントしてゆくことは、本当に大切だしそうすべきだしそう在りたい。でもでも、例えば今朝のNちゃんや、昨日のTKや、R−SOMAや、「チーム・くず」なんかは、今の僕が今の僕故にコミットメント出来る世界であるし、何か自分を形成してるものでもある。何か僕が大切にしてたものが離れていってしまうようで、進歩したくないとまで思ってしまう。甘いのだろうけど。時代が変われば嫌でも離れてゆくのだし、時の流れに逆らっているのだろうけど。結局、「底辺」が抜けられないのかな。やっぱり、クズどもを守るために強くなりたかったりする。救えねえクズどもを活かすために、もっと優しい人間になりたかったりする。 僕は、クズでいい。クズのままに、強く、優しくなりたい。そう思った。
コラボレスソウル
2005年4月18日今日は教育実習校に打ち合わせに行った。次来るときまでに授業の指導案を作らなきゃなんない。やばいなあ勉強しなきゃと思った。こここそが正念場なのだ。がんばりたいと思う。 久しぶりの母校は懐かしかった。もう恐れやしない。正面から向き合えてる。一ヶ月後ここで教育実習かと思うと、ワクワクした。この教育実習で何かを掴めたらな。僕は僕の人生にも、正面から向き合わなきゃいけないと思った。
それからTKとうちで色々お喋りした。やっぱこいつはイカれてる。故に、素晴らしい。僕の予想以上のソウルをみせてくれた。しかし、決定的にこいつとは分かり合えそうにないとも思った。ぶつかるものはきっと何一つ無いのだけど、しかし僕らは手を繋がないだろう。こいつの強烈なソウルが、故に、僕と響き合わないような。僕がちっぽけだからだろうか。本とか学問とか小説の話をした。Sゼミあたりにはこいつと話し込める人がいるかもしれないけど、わざわざコラボさせるために奔走するのも疲れてきた。それとも僕は僕のちいせえ人間性をあえてさらけ出してその小ささを確認することにももう疲れてきてしまったのかもしれない。 それにしても、僕は随分長い間こいつを超えられたら、なんてことを思ってきたけど、今はあまりそう思わない。自分の生き方が自分に相応しく在るからだ。自分が自分に基づくこと。次元の違う場所で、それぞれのソウルが輝けばいい。コラボする必要もないほどに、いびつに輝くTKのソウル。手は繋がない。ありのままにかよわせない心が、素晴らしさを表している。出会わせてくれた神に感謝しながら、あろうことか僕は2度と出会わないことを願っていたりする。
それからTKとうちで色々お喋りした。やっぱこいつはイカれてる。故に、素晴らしい。僕の予想以上のソウルをみせてくれた。しかし、決定的にこいつとは分かり合えそうにないとも思った。ぶつかるものはきっと何一つ無いのだけど、しかし僕らは手を繋がないだろう。こいつの強烈なソウルが、故に、僕と響き合わないような。僕がちっぽけだからだろうか。本とか学問とか小説の話をした。Sゼミあたりにはこいつと話し込める人がいるかもしれないけど、わざわざコラボさせるために奔走するのも疲れてきた。それとも僕は僕のちいせえ人間性をあえてさらけ出してその小ささを確認することにももう疲れてきてしまったのかもしれない。 それにしても、僕は随分長い間こいつを超えられたら、なんてことを思ってきたけど、今はあまりそう思わない。自分の生き方が自分に相応しく在るからだ。自分が自分に基づくこと。次元の違う場所で、それぞれのソウルが輝けばいい。コラボする必要もないほどに、いびつに輝くTKのソウル。手は繋がない。ありのままにかよわせない心が、素晴らしさを表している。出会わせてくれた神に感謝しながら、あろうことか僕は2度と出会わないことを願っていたりする。
春風休日
2005年4月17日今日は天気がよかったので本屋行ったり、自転車でぶらぶら散歩したりした。風が気持ちよかった。自転車乗ってるときって一番リラックスしてる瞬間だと思う。行き先という「目的」があるならば、おそらくは完全なる過程としての「手段」の時間。通学電車内でこそ読書が充実できるように。 空いた時間ってどうしても何かしなきゃとか、あれやっておこうとかってして、結構リラックスできず結局はかどらなかったりする。「自由時間」に、読書したり思考することの難しさを僕は感じる。無駄な時間をあえて作ることの難しさだ。故に、僕は自転車の上がすきだ。あのペダルをこぐことしかできない間に、実に色々なことを思考できるからだ。 高校の頃、自転車通学をしてて、もう完全に遅刻が決定した後で学校に向かってこぎ始める自転車ほど、リラックスできた時間はなかった。色々なことを考えながら、僕はいつもの倍くらいかけてペダルをこいだものだ。あの不毛な高校生活では、5分遅刻も30分遅刻も僕にとっては同じだったから。 時間の使い方こそが幸福論であると僕は思います。時間が僕を追いかけないとき、まったりとした幸福感を味わえたりする。ごく自然な、人間的余暇としてかな。
昼寝もした。TKと長電話した。明日会って話せる。楽しみだ。
昼寝もした。TKと長電話した。明日会って話せる。楽しみだ。
神宮球場国士舘戦
2005年4月16日今日はNちゃんの母校(高校)の野球の試合を一緒に観にいった。神宮球場の脇にある神宮第二球場はなかなかこれもまたこじんまりとした情緒がある。試合は初回から荒れ、珍プレーもあり、逆転しかし逆転され、結局4発ものホームラン攻勢をくらったNちゃんの母校は14−7で乱打戦の末に準々決勝で敗れ去った。Nちゃんは先発投手と球審の批判をその後ずっとしていた。しかしふんぞり返って飲んだり食ったりお喋りしたり、ときに沸いたり、好プレーに拍手し、失策に苦笑いし、なかなかハイキング気分で良い。Nちゃんとは高校野球をよく誘われて観戦しにいくけど、そのたびになんかほのぼのまったりできる。よく言われるけど、野球の「間」、日本人に合ってるっつうの、正しいように思う。野球って、こうやって楽しむのが一番僕はすきだな。
その後Nちゃんの母校(大学)で、学食食べて色々話したりしてまったりした。うちの大学のメニューより豊富、で2〜3割は安い。そしてそんなにきれいじゃないけど結構広い。うちの大学は見てくればかり気にして機能性に優れてない。ある意味学食といえないように思う。
その後、講義にもぐってみた。「発達〜」とかいう講義で、教職の授業だったようだ。超つまんなかったからすぐ教室を出た。
Nちゃんとも色々話した。色々悩んでたみたいだけど、僕とは意識の差がありすぎて、あまり受け止めてやれなかったように思う。こういうのって仕方ない。わかりあえたふりはしたくないから。友達とは、エゴでなく故にどうしようもない他人だってこと。「救う」なんて心への冒涜だ。決定的に触れることは初めから出来ないのだ。手を伸ばすことが、救いになると信じて、僕は手を伸ばすしかないんだと思う。こういうもどかしさもあるんだな。でも、いい。ゆっくりゆっくりでいい。見守ってやること、側にいること、こんな僕が偉そうなこと言えないけど、共に友に在ることだと思う。僕が狂いそうだった頃、いつだってそういうものに救われた。誰にだって、息をする場所がある。僕はその微かな吐息を聞く者でありたい。僕は、ちっぽけでいい。ちっぽけな希望になれたらいい。そんなことを思っちった。若いな。しかし今はそれでいい。
その後Nちゃんの母校(大学)で、学食食べて色々話したりしてまったりした。うちの大学のメニューより豊富、で2〜3割は安い。そしてそんなにきれいじゃないけど結構広い。うちの大学は見てくればかり気にして機能性に優れてない。ある意味学食といえないように思う。
その後、講義にもぐってみた。「発達〜」とかいう講義で、教職の授業だったようだ。超つまんなかったからすぐ教室を出た。
Nちゃんとも色々話した。色々悩んでたみたいだけど、僕とは意識の差がありすぎて、あまり受け止めてやれなかったように思う。こういうのって仕方ない。わかりあえたふりはしたくないから。友達とは、エゴでなく故にどうしようもない他人だってこと。「救う」なんて心への冒涜だ。決定的に触れることは初めから出来ないのだ。手を伸ばすことが、救いになると信じて、僕は手を伸ばすしかないんだと思う。こういうもどかしさもあるんだな。でも、いい。ゆっくりゆっくりでいい。見守ってやること、側にいること、こんな僕が偉そうなこと言えないけど、共に友に在ることだと思う。僕が狂いそうだった頃、いつだってそういうものに救われた。誰にだって、息をする場所がある。僕はその微かな吐息を聞く者でありたい。僕は、ちっぽけでいい。ちっぽけな希望になれたらいい。そんなことを思っちった。若いな。しかし今はそれでいい。
今を生きる
2005年4月15日一限に出たり、実習校と連絡とったり、レジュメ作ったり、ゼミ出たり、休講掲示ミスをクレームしにいったり、なんか学校生活ぽくなってきた。 ゼミ終わった後、食堂でHやKBさんと話したりした。就活もやりたかったけど、当分は卒論と教育実習、教採の勉強、等に追われそうだ。小説も一本まとまったのを今年中に書いて投稿したりしてみたいなあ。やりたいこといっぱいあるわ。人生とはインセンティブ、モチベーション、これこそ「生きる力」。正しくも、正しくなくもなく、そこに僕の望む生き方がある。他人とは素晴らしき他人なのだ。自分とは素晴らしき自分なのだ。
どこまで人間はその化けの皮を剥がされてゆくのか。生命の安全を維持できるほどの豊かさを得た後、人間の欲望(=希望)は行き場を失ったのか。市場経済という怪物が、その主体であるはずの人間の姿すら変えてゆく。僕に、君に、あと一体何が残されているのか。余命?未来?薄明かりに照らされた淡い霧の道路をひたすら這い蹲りながら、誰も彼もそういったあやふやな彼方を心の隅に灯す。僕は言い放つ。歩くなら、忘れるなと。せめて息をするという喜びを、この手に。
力。生きる力。生きてゆこうとする力。僕を生きる力。それだけは、今尚決して揺らぎようのない僕の生命そのもの。奇跡が僕を生み出した。この誰でもない自分が、僕という自分に基づくという感覚。ダイヴしたいようなちっぽけな衝動と、ときに他人のために自分を抑え捨てようとする意志。その奇跡を使い果たす義務のようなもの。今、小さすぎる世界をフルに見渡しながら、僕は僕を生きてゆけばいい。僕は僕を逃がさない。僕だけは僕を裏切らない。今の自分を懸命に生き尽くすこと。
どこまで人間はその化けの皮を剥がされてゆくのか。生命の安全を維持できるほどの豊かさを得た後、人間の欲望(=希望)は行き場を失ったのか。市場経済という怪物が、その主体であるはずの人間の姿すら変えてゆく。僕に、君に、あと一体何が残されているのか。余命?未来?薄明かりに照らされた淡い霧の道路をひたすら這い蹲りながら、誰も彼もそういったあやふやな彼方を心の隅に灯す。僕は言い放つ。歩くなら、忘れるなと。せめて息をするという喜びを、この手に。
力。生きる力。生きてゆこうとする力。僕を生きる力。それだけは、今尚決して揺らぎようのない僕の生命そのもの。奇跡が僕を生み出した。この誰でもない自分が、僕という自分に基づくという感覚。ダイヴしたいようなちっぽけな衝動と、ときに他人のために自分を抑え捨てようとする意志。その奇跡を使い果たす義務のようなもの。今、小さすぎる世界をフルに見渡しながら、僕は僕を生きてゆけばいい。僕は僕を逃がさない。僕だけは僕を裏切らない。今の自分を懸命に生き尽くすこと。
卒論
2005年4月14日まだまだキャンパスに人が多くて嫌になる。どんどん減ってほしい。今日は食堂で読書しながら卒論計画を練った。やっぱり「教師」を取り上げようかと思う。こんだけ、鬱屈した社会の弊害、その責任を教育に押しつけられ、支離滅裂な教育言説が飛び交って、「あーすればいい、こーすればいい」のように無責任でいい加減に、公教育が槍玉にあげられてるのを見ていて、問題はカリキュラムや意識改革や政策の徹底とかじゃないだろうと思う。教育予算を増やして、絶対的な教育現場の余力をキープすることだと思う。全ての教育問題において、なにか真っ正面からの議論が出来ていない気がするのはこのせいだ。教師の力を最大限に引き出す環境作り論議を抜きにして、教育は語れないだろうと思うからだ。「ゆとり」がどうとか、生徒対応がどうだったとか、以前に、充分に力を発揮できる環境に現場はあるのかどうかだ。教師の多忙化は常態化しているというが、それが教育効果にどれほどの影響を与えているのか、このテーマでちゃんとした議論を僕はあまり聞いたことがない。故にまずはこれでいこうと思う。公教育の命題も意義も、結構ここから導き出されるのではないか。突破口にもなりそうだ。
今日も雨か〜
2005年4月13日雨は嫌だ、憂鬱になる。明日こそ晴れるといいな。
今日は教育実習のクラスの授業だった。担当のM教授はちょっとイカれててすげえ面白い。延々と喋りまくるスタイルは前と全然変わっていない。色々ためになる話をしてくれたし、今後このMと色々話が出来るのかなあと思うと楽しみ。教室の前の方の席に座ってたら案の定何回か絡まれた。いや〜僕自身絡んでほしかったからよかったぜい。それに、どこかそういうキャラでOK、みたいな、呼吸というかそういうものが伝わってきた。今後、僕からも絡んでいこうかな。
その後いつものように食堂でまったりしてたら、カツカレーを持ったH先生が現れて、色々話し込んでしまった。2年のときH先生の授業で、HとSちゃんと一緒にやった伝説の寸劇「狂育改革」のビデオダビングを頼んでいてすっかり忘れていたから明日とりにいかなければならなくなった。結局明日のH先生の授業をとるはめになったけど、話を聞いて超面白そうだったからやっぱとろうと思った。OTも一緒にとろうと言ってるけどぶっちゃけそういうのうざいなー、まあ仕方ないか。しかしMと同じくらいH先生面白いわあ。お茶おごってもらっちった、ごちそうさまです。
その後は文学部の授業にもぐった。今日は食堂が経済学部のフレッシャーズデイに貸し切られていたので早々に帰った。間近に迫った教育実習まで、気が抜けない。
頭痛い。雨のせいだ。やだやだ雨。明日は晴れかなあ。
今日は教育実習のクラスの授業だった。担当のM教授はちょっとイカれててすげえ面白い。延々と喋りまくるスタイルは前と全然変わっていない。色々ためになる話をしてくれたし、今後このMと色々話が出来るのかなあと思うと楽しみ。教室の前の方の席に座ってたら案の定何回か絡まれた。いや〜僕自身絡んでほしかったからよかったぜい。それに、どこかそういうキャラでOK、みたいな、呼吸というかそういうものが伝わってきた。今後、僕からも絡んでいこうかな。
その後いつものように食堂でまったりしてたら、カツカレーを持ったH先生が現れて、色々話し込んでしまった。2年のときH先生の授業で、HとSちゃんと一緒にやった伝説の寸劇「狂育改革」のビデオダビングを頼んでいてすっかり忘れていたから明日とりにいかなければならなくなった。結局明日のH先生の授業をとるはめになったけど、話を聞いて超面白そうだったからやっぱとろうと思った。OTも一緒にとろうと言ってるけどぶっちゃけそういうのうざいなー、まあ仕方ないか。しかしMと同じくらいH先生面白いわあ。お茶おごってもらっちった、ごちそうさまです。
その後は文学部の授業にもぐった。今日は食堂が経済学部のフレッシャーズデイに貸し切られていたので早々に帰った。間近に迫った教育実習まで、気が抜けない。
頭痛い。雨のせいだ。やだやだ雨。明日は晴れかなあ。
雨降り天狗
2005年4月12日今日は色々やろうと思ってたのに、つい家で居眠りしてしまった。まずいなまずいなあ。ほんとしょーもないなあ。明日だ、みんな明日、明日。今日は雨でなんか気分も沈んでたかんじ。晴れろ晴れろ早く。
TV観てたらNHK教育で「教師のうつ病」について特集してた。いま、教師のうつが増えているらしい。色々な意味で社会が変わりつつあるということと、あと、うつになる先生は結局真面目で真面目にがんばっちゃうのだろうと思った。変にプライドもあるし。また、学校とはストレスが緩和されにくい職場環境であることも影響しているだろう。 教育についてはほんとにくだらない言説が飛び交っているだけに、僕自身色々なことを語りたいのだけど、なんつうか、教師はそんな真面目にやらなくてもいいし、変なプライドは持たなくてもいいとだけ思う。権力を確保して生徒を従わせるだけの「指導力」に何の誇りを持っているのか、気が知れないし、適当にやって「問題教師」のレッテルを貼られたっていいじゃないか。教育効果って長期スパンだと思うし、教師一人に大きな現実を変える力は無いと思う。ただ子どもに、寄り添ってあげればいいのだ。見守ってあげればいいのだと思う。先生の言うことをよく聞く子なんか、僕はある意味脳死だと思う。 結局、教育幻想を信仰していた脳死教師がいま次々ダウンしていっているのだ。片方で、頑張れば頑張るほど燃え尽きてしまう労働環境にある学校教師社会の現実がある。だからクズみたいな先生しか残らないのだ。勤務評定のようなものが、政府ではなくもっとちゃんとした第3者機関のような所で行われれば、と願わざるを得ない。やはり家庭と地域は政治力を持つほどに学校に、そして社会に参加しなければいけないのだ。このままでは公教育は崩壊しちまう。民間教育と私立だけが、教育権を確立し、きっちり企業社会にコネクトして脳死を普及させてゆく時代も遠くはないのかもしれないな。 卒論は教師について書こうかな。
僕は、知がほしい。あの多感な子ども時代に抱く全ての懐疑に対して、優しく接することのできる知がほしい。教師はやはり聖職なのだ。全てを語ることのできる知識人そして哲学者であらねばならない。
教育実習、すげえ楽しみ!「チーム・くず」を代表して頑張りたい、なんて思ったりして。
TV観てたらNHK教育で「教師のうつ病」について特集してた。いま、教師のうつが増えているらしい。色々な意味で社会が変わりつつあるということと、あと、うつになる先生は結局真面目で真面目にがんばっちゃうのだろうと思った。変にプライドもあるし。また、学校とはストレスが緩和されにくい職場環境であることも影響しているだろう。 教育についてはほんとにくだらない言説が飛び交っているだけに、僕自身色々なことを語りたいのだけど、なんつうか、教師はそんな真面目にやらなくてもいいし、変なプライドは持たなくてもいいとだけ思う。権力を確保して生徒を従わせるだけの「指導力」に何の誇りを持っているのか、気が知れないし、適当にやって「問題教師」のレッテルを貼られたっていいじゃないか。教育効果って長期スパンだと思うし、教師一人に大きな現実を変える力は無いと思う。ただ子どもに、寄り添ってあげればいいのだ。見守ってあげればいいのだと思う。先生の言うことをよく聞く子なんか、僕はある意味脳死だと思う。 結局、教育幻想を信仰していた脳死教師がいま次々ダウンしていっているのだ。片方で、頑張れば頑張るほど燃え尽きてしまう労働環境にある学校教師社会の現実がある。だからクズみたいな先生しか残らないのだ。勤務評定のようなものが、政府ではなくもっとちゃんとした第3者機関のような所で行われれば、と願わざるを得ない。やはり家庭と地域は政治力を持つほどに学校に、そして社会に参加しなければいけないのだ。このままでは公教育は崩壊しちまう。民間教育と私立だけが、教育権を確立し、きっちり企業社会にコネクトして脳死を普及させてゆく時代も遠くはないのかもしれないな。 卒論は教師について書こうかな。
僕は、知がほしい。あの多感な子ども時代に抱く全ての懐疑に対して、優しく接することのできる知がほしい。教師はやはり聖職なのだ。全てを語ることのできる知識人そして哲学者であらねばならない。
教育実習、すげえ楽しみ!「チーム・くず」を代表して頑張りたい、なんて思ったりして。
雨降り蜥蜴
2005年4月11日白金キャンパスの人口が多くなったかんじ。一つには心理学部が新設されて、新入生は1年時から白金に来れるようになってるからだと思う。或いは、年度初めは皆最初の授業には出ようとするからだと思う。今年もGW明けくらいに学生数激減してほしい。今日はもぐろうと思ってた授業が教室満員だったからやめた。ほんと減ってほしい早いとこ。7限まで出てOTとダベりながら帰った。久しぶりの授業で疲れた。
最近色々悩んでる。でも幸福な悩みだと思うから人には話せないことが多い。せいぜい悩み尽くしてみたい。 僕は、今このとき、この生き方がすき。この人生、時代が、ほんとにすき。二度とやってこないから、輝かせたい。自分なりに、いびつに輝けばいい。何かを目指して試行錯誤するのって、それ自体が充実なのだ。振り返ればずっと喜びの中にいたことに、後で気付くよりも、いま自覚してたっていい。だから、動ける。より尊いものに、気付ける。生命という奇跡を輝かすのもまた、運命という自分自身なのですね。
最近色々悩んでる。でも幸福な悩みだと思うから人には話せないことが多い。せいぜい悩み尽くしてみたい。 僕は、今このとき、この生き方がすき。この人生、時代が、ほんとにすき。二度とやってこないから、輝かせたい。自分なりに、いびつに輝けばいい。何かを目指して試行錯誤するのって、それ自体が充実なのだ。振り返ればずっと喜びの中にいたことに、後で気付くよりも、いま自覚してたっていい。だから、動ける。より尊いものに、気付ける。生命という奇跡を輝かすのもまた、運命という自分自身なのですね。
桜舞う下にて
2005年4月10日今日サッカーしてたら、偶然あのTKに遭遇。いや、偶然じゃないと僕は思った。きた、と思ったのだ。今、今ならこいつと向き合えるかも、と。あの頃は手の届かなかったものに、神様がいるならば運命を、引き合わせたのかも知れない、と。スタンド使いがスタンド使いと引かれ合うように。 この偶然、この奇跡、この運命を、ただの珍しいひとときで終わらせないのが今の僕だ。遂に、神の気まぐれが巡り合わせた。何が出来る?こいつと何が出来る?わかんないけど、彼はあの時のままに、オーラをガンガンに感じた。「ソウル」の、その質を、今度は僕が引き出してみなければならない。時を経て、出会う過去のものは、自分に自分を見せてくれる。この奇跡とどれだけコラボ出来るかは、僕のソウルにかかってる。
その後Nちゃんと夜桜見物にいった。飲みながらいろいろ話せてよかった。生き方なんていろいろ。自分の生き方を、自分で生きることだけ、基本に据えておきゃいいと思った。 明日は雨みたい。桜も今日がピークかな。
その後Nちゃんと夜桜見物にいった。飲みながらいろいろ話せてよかった。生き方なんていろいろ。自分の生き方を、自分で生きることだけ、基本に据えておきゃいいと思った。 明日は雨みたい。桜も今日がピークかな。
フレッシャーズデイ
2005年4月9日社会学部の新入生歓迎会イベントを手伝った。すごい疲れた。でも楽しかった。みんなで一つのものを作り上げるのってなんて素敵なのだろ。義務教育時代は学校行事をボイコットしていた僕だけど、本当に主体性というものが僕らのもとにある今は、本当にたくさんのものに協力したい気持ちだ。何よりAやRさんの力になれるのなら。 新1年生ゼミクラスの交流会の進行など僕も今日は頑張った。僕の命題。互いを、つなげること。ともすればすれちがい終わってゆく者同士を、つなげること。奇跡を、偶然を、運命を、つなげること。だから、話せてない子に話しかけて、隣の子にそれをふってあげる。そうやって、つなげてやるのだ。それを今日は延々と繰り返した。自己紹介の時も、立食パーティーの時も。イベントはSSの感動モノの司会力で、大盛り上がりをみせて終わった。恐らく誰もが疲れの中で成功を噛みしめていただろう。Aの手腕に、Rさんの真摯によく働く姿に、らしくないKSさんの奮闘ぶりに、また素敵だと思った。
1年生は、初々しい。それだけに、無駄に生きてほしくない。友達を求めている子には友達を、学問を求めている子には学問についての、それぞれアプローチをしてあげた。これが、今日の精一杯だった。一人、誰とも話せないような女の子がいた。つなげてあげようと何回かふったり話しかけたりしたけど、微妙に浮いてて難しかった。何かを求めてやってきただろうに、あの子は今日は何も得られなかったように思う。あの子が今後あのゼミで、悲しい思いをしないだろうか、なんか気になってしまう。
大学に遊びにきたような男の子、未だ群れでしか動けない女の子、学問重視で浮いてるあの子、編入生のあの人、…今日は一体何人の人と会話したのだろうか。 本当に疲れた、でも、人と話すのは楽しい。
しかし、よかった。大成功だった。みんなお疲れ!
1年生は、初々しい。それだけに、無駄に生きてほしくない。友達を求めている子には友達を、学問を求めている子には学問についての、それぞれアプローチをしてあげた。これが、今日の精一杯だった。一人、誰とも話せないような女の子がいた。つなげてあげようと何回かふったり話しかけたりしたけど、微妙に浮いてて難しかった。何かを求めてやってきただろうに、あの子は今日は何も得られなかったように思う。あの子が今後あのゼミで、悲しい思いをしないだろうか、なんか気になってしまう。
大学に遊びにきたような男の子、未だ群れでしか動けない女の子、学問重視で浮いてるあの子、編入生のあの人、…今日は一体何人の人と会話したのだろうか。 本当に疲れた、でも、人と話すのは楽しい。
しかし、よかった。大成功だった。みんなお疲れ!
学びはじめ
2005年4月8日学校が始まった。知り合いの多くが就活してるってのに、なんか少しだけ複雑というか、そんな普通っぽいことを食堂で読書しながら考えてしまったけど、AやBちゃんに会ったらそんなん吹き飛んでしまった。そんなん、どうだっていいことなんだ。僕はこの場所が一番すき。それでいいや、と。 その後、新しいゼミに出向いた。ゼミ論の出来が悪かったと先生がキレていた。しょっぱなから緊張感あって少し面白くなりそうだ。相変わらず僕を楽しませてくれるような人はいないけど、発掘するっきゃない。1年生のあの頃のように。卒論も、今週時間かけて最初の構想だけでもまとめなきゃなんない。悩みどこだ。 その後偶然STさんに会ってサッカートークした。それからHと食堂で卒論の話してたらS氏もきて、議論した。久しぶりに教育について熱く語ってしまった。やっぱいいわ、大学。大学での友達。素敵すぎる。僕には勿体ないくらい、みんなみんな素敵すぎる。 その後バイト行った。今度から隔週になりそうだ。それくらいで丁度いい。4年生の空いた時間はためになるバイトや試みをどんどんしていきたい。 その後花見をするということだったけど、桜を見て飲むかわりに、何故か「さくら水産」という飲み屋で飲んだ。サクラちがいだ。
ついに始まった。学校は、楽しい。限りあるからこそ、すばらしい。この一年が、生きてきた中で尚一番に輝く年になりますように。
ついに始まった。学校は、楽しい。限りあるからこそ、すばらしい。この一年が、生きてきた中で尚一番に輝く年になりますように。
覇王国米国と桜日本
2005年4月7日超大国であり、人種のるつぼであり、資本主義・市場原理主義の最果ての国であるアメリカ。この大国と我が国日本とは、安保で繋がり、経済で繋がり、生活文化でかなり繋がっている。アメリカ社会文化は、これからの日本が辿る運命の果てを垣間見るような気持ちにさせるものでもある。 先日、アメリカの社会文化に関する本を少し読んで嫌な気分になった。あの国の、歴史の無いインスタント文化は、安易に商業・消費的価値に依存し、リストラクチャーや創造的破壊をいとも容易く賞賛している。常に破壊し常に生産し常に消費する、そうして回転し続ける市場サイクルの中で、カネと快楽と幻想に浸かったオートマチックで単純な価値だけが望まれる。暗い<明るい、遅い<早い、古い<新しい、というように、分かり易く安易に。結局何もかも使い回し使い捨てるのだ。グルメやファーストフードを消費し肥え太らせておいてから、ダイエット商品を消費させ痩せさせるように。食べ物も着る物も、友達も恋人も車も職も住居も、気に入らなければ取り替えがきくように、実に流動的に規制緩和が成されているという。日本以上の「生」のインフレがここにある。
アメリカ人にはわからないだろう、僕やあの天才アカギの信条…不都合と仲よくすること、無念を愛すること、僕にしてみれば「生」の証が、アメリカという国の社会ではまるでピンボケした世界に見えるのだろう。彼らは不都合と仲良くできない、無念を愛せないだろう。『もののけ姫』の10秒間程のサイレントシーンにも耐えられなかった奴らだ。それが彼らの「生」なのか。わびさびもまるでない、市場の呪いの中の「生」なのだ。 必要な不便だってある。意味のある後進だってある。すばらしい回り道だってあるはずなのだ。イスラムは非効率かい?金と快楽しか追えないアメリカよりはましだぜ。日本人は閉じこもっているかい?下品に開けっぴろげるアメリカ人よりはましだぜ。アメリカよ、あなたが世界の基準ではないのだ。
今日はSKと夜桜をみにいって飲んだ。それから彼の家でワインを飲んだ。明日から学校だってのに、僕は何やってんだ。でも、楽しかった。さあ学校だ。待ちくたびれたぜ。ラストイヤー、がんばってみよう。
アメリカ人にはわからないだろう、僕やあの天才アカギの信条…不都合と仲よくすること、無念を愛すること、僕にしてみれば「生」の証が、アメリカという国の社会ではまるでピンボケした世界に見えるのだろう。彼らは不都合と仲良くできない、無念を愛せないだろう。『もののけ姫』の10秒間程のサイレントシーンにも耐えられなかった奴らだ。それが彼らの「生」なのか。わびさびもまるでない、市場の呪いの中の「生」なのだ。 必要な不便だってある。意味のある後進だってある。すばらしい回り道だってあるはずなのだ。イスラムは非効率かい?金と快楽しか追えないアメリカよりはましだぜ。日本人は閉じこもっているかい?下品に開けっぴろげるアメリカ人よりはましだぜ。アメリカよ、あなたが世界の基準ではないのだ。
今日はSKと夜桜をみにいって飲んだ。それから彼の家でワインを飲んだ。明日から学校だってのに、僕は何やってんだ。でも、楽しかった。さあ学校だ。待ちくたびれたぜ。ラストイヤー、がんばってみよう。
サッカーの神様
2005年4月6日僕がサッカーという球技に興味を持ち始めたのは中学校の頃だった。当時、体育の授業で毎時間サッカーをやっていて、いじめも対立も内包してる普通のクラスがその時間の中ではまた違くて、なんつうか所謂クラス一丸になっていて、金八みたいに。でもサッカーには特別な役割分担なんかないから、だから、結構下手も上手いもごっちゃになって、楽しかったんだ。サッカーボールは不規則不確実に転がる。走って追わなければならないから、走るだけで参加してる感じになる。そのくせこぼれ球というやつが案外足下に転がってきたりする。どんなに普段いきがってる奴も、悪ぶってる奴も、ドリブル突破しようとすれば結構止められちまう。あの、サッカーの持つ平等性が好きだった。加えて、ボールが繋ぐコミュニケーションが好きだった。サッカーって、繋がれるのだ。僕みたいなクズでも、楽しめるのだ。スポーツってやつは、本来平等であるべきなのに、どこかスポーツを楽しんではいけないような、部活も出来ず、群れにも馴染めず、でも、社会不適応の僕がたった一つ楽しめるスポーツが、それがサッカーだったのだ。
あるとき、ボール持った僕が囲まれて、やぶれかぶれで適当に蹴ったボールがうまいこと抜けて、クラスで嫌われていた非行少年Xがそれを拾ってゴールに叩き込んだ。アシストじゃん!そいつとハイタッチでもしようかと思ったけど、僕は彼のこと大嫌いだったからやめた。そいつも、僕の事なんて目もくれないで「ゴォォーール」とか一人で叫んでた。 でも僕はそのとき、サッカーを面白いと思った。社会に必要とされない者同士が、お互いに何の信頼も無い者同士が、一つのボールをつなぎながら、確かにコミュニケーションしていたのだ。奇妙な、どこか不思議な魅力を、サッカーに感じたのだった。何の期待もされない者同士がつないだこの一つのゴールは、何の価値があるのかといわれればそれまでだけど、なんか、スポーツってこういうものだろうと思ったのだ。派閥も諍いも、差別も偏見もなく、ただ純粋に、球技をやりたかったんだ本当は。でもクラスも部活も何もかものしがらみが嫌だった僕には、スポーツを楽しむ機会すらなかった。皮肉なことに、義務教育が終わった今、やっとスポーツを心から楽しめてる。R−SOMAというフットサルコミュニティーも、だからこそ出来たのだ。
あの非行少年Xは、最近振り込み詐欺で逮捕されたそうだ。暴力団が囲ってくれる以外に、社会が彼の受け皿を用意できなかったとしか言いようがない。彼個人にも、家庭にも、環境にも問題があったのだろうけど、でも僕らには何故か居場所がなかった。スポーツできる環境が無かった。何処にいたって何をしてたって、はみ出して、排除されてきたじゃないか。なんつか、誰にだって幸せに暮らす権利があるはずなのにな。彼がそんなこと考えてなかったとしても、どこか居場所のようなものがあったら…と思わざるを得ない。僕は、サッカーをする場所がほしかった。それだけで、救われたかもしれないのに。 あの一瞬だけ繋がったサッカーボールは、もう遠い思い出になってしまった。僕は、ボールを蹴り続けたい。何か、多くのことのためにも。
あるとき、ボール持った僕が囲まれて、やぶれかぶれで適当に蹴ったボールがうまいこと抜けて、クラスで嫌われていた非行少年Xがそれを拾ってゴールに叩き込んだ。アシストじゃん!そいつとハイタッチでもしようかと思ったけど、僕は彼のこと大嫌いだったからやめた。そいつも、僕の事なんて目もくれないで「ゴォォーール」とか一人で叫んでた。 でも僕はそのとき、サッカーを面白いと思った。社会に必要とされない者同士が、お互いに何の信頼も無い者同士が、一つのボールをつなぎながら、確かにコミュニケーションしていたのだ。奇妙な、どこか不思議な魅力を、サッカーに感じたのだった。何の期待もされない者同士がつないだこの一つのゴールは、何の価値があるのかといわれればそれまでだけど、なんか、スポーツってこういうものだろうと思ったのだ。派閥も諍いも、差別も偏見もなく、ただ純粋に、球技をやりたかったんだ本当は。でもクラスも部活も何もかものしがらみが嫌だった僕には、スポーツを楽しむ機会すらなかった。皮肉なことに、義務教育が終わった今、やっとスポーツを心から楽しめてる。R−SOMAというフットサルコミュニティーも、だからこそ出来たのだ。
あの非行少年Xは、最近振り込み詐欺で逮捕されたそうだ。暴力団が囲ってくれる以外に、社会が彼の受け皿を用意できなかったとしか言いようがない。彼個人にも、家庭にも、環境にも問題があったのだろうけど、でも僕らには何故か居場所がなかった。スポーツできる環境が無かった。何処にいたって何をしてたって、はみ出して、排除されてきたじゃないか。なんつか、誰にだって幸せに暮らす権利があるはずなのにな。彼がそんなこと考えてなかったとしても、どこか居場所のようなものがあったら…と思わざるを得ない。僕は、サッカーをする場所がほしかった。それだけで、救われたかもしれないのに。 あの一瞬だけ繋がったサッカーボールは、もう遠い思い出になってしまった。僕は、ボールを蹴り続けたい。何か、多くのことのためにも。
takebonoマンガ夜話8
2005年4月5日前から読みたいと思っていて最近全巻を買って読み終えたのが、大友克洋の『AKIRA』だ。第3次世界大戦後のネオ東京を舞台に、AKIRAという少年を巡った抗争を描くSF漫画といっていいだろう。『ナウシカ』と『もののけ姫』の近現代都市版て感じだ。超能力、軍隊、兵器、宗教、クスリ、国家、ゲリラ、スパイ、バイク、愛憎、友情、生命、死、未来、…この種の漫画においておよそ考えうる全ての要素をこれでもかと散りばめながら、くせのないキャラクターを描ききっていてなかなか興味深かった。核兵器以上のエネルギーを秘めた少年AKIRAの争奪戦は、軍、ゲリラ、宗教団体、大国を巡るものに発展し、多少手に汗を握らせた。完成度は非常に高い作品だと思った。ただ、話の流れが読み切れなかった分、期待と予想がしづらかったというのはあるし、中盤間延びしたというのもあるが、それは例えばジブリ映画のように、読者に価値を開かせる要素でもあるといえる。そう、詰まるところ、この漫画世界をこれ程までに見事に描かれてしまっては、もうお手上げなのである。近未来抗争物ではこれ以降の作品はもう勝負のしようがないのではないか。故にこの作品は、近未来SF漫画の定番とも、傑作ともいわれていいのだろう。
今日は学校で健康診断だった。面倒くさかった。
今日は学校で健康診断だった。面倒くさかった。
ノベルを述べる6 落日の在処
2005年4月4日 読書太宰の『斜陽』を読んだ。敗戦直後の没落貴族家庭の、滅びゆきながらも哀しく美しい姿を描くこの作品は、時代の変動に翻弄される人々の、落日というか哀愁というかそういうものをすごく響かせながら描いていて、それを感じて、とても切なかった。 変わりゆく時代の中で、恋と革命に生きようとするヒロイン・かず子。一方で、「最後の貴婦人」としての生を全うしようとする母。破滅とデガダンスに突き進む弟・直治。ある時代の終焉という落陽は、落ちる間際にとても切なく哀しく美しく、この小説の登場人物達を輝かしていた。
「…私はその間何をしていたのだろう。革命を、憧れたこともなかったし、恋さえ知らなかった。今まで世間の大人達は、この革命と恋の二つを、最も愚かしく、忌まわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も……敗戦後、私たちは世間の大人を信用しなくなって、何でもあの人達の言うことの反対の方に本当の生きる道があるような気がしてきて、革命も恋も実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、大人の人たちは意地悪く私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」
直治の師であり、かず子が想いを寄せるデガダンな小説家・上原が呟く。「…生きているのが、悲しくって仕様がないんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものではなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きの溜息が四方の壁から聞えている時、自分たちだけの幸福なんてあるはずはないじゃないか。自分の幸福も光栄も、生きているうちには決してないとわかった時、人はどんな気持ちになるものかね。努力。そんなものは、ただ飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ…」
物語は、直治の遺書と、上原に充てたかず子の手紙の文面で締めくくられる。「…姉さん。だめだ。さきに行くよ。僕は自分が何故生きていかなければならないのか、それが全然わからないのです。…姉さん。僕には、希望の地盤がないんです。さようなら。結局、僕の死は自然死です。人は、思想だけでは死ねるものではないんですから。…夜が明けてきました。永いこと苦労をおかけしました。さようなら。夕べのお酒の酔いはすっかり醒めています。僕は素面で死ぬんです。もう一度、さようなら。姉さん。僕は、貴族です。」
時代が変わる中で、人間が揺れ動く中で初めて、人間というものがそれがなんなのかが、溢れだして、結局行き場無く彷徨って、沈んでゆく。沈む前の夕陽…それが斜陽か。没落とは、儚いけど美しく哀しい、時代が移り変わるということ。
現代は虚無すら飲み込むモノ社会・カネ社会。恋は氾濫、革命は幻想。貴婦人には程遠い、あの…「セレブ」って何?もはや憐れだ。かず子も、母も、直治も、もう現代には在りえない最後の貴族だったのだ。アメリカンな創造的破壊と、市場信仰と、常に流動し錯綜するアイデンティティー。今やもう、人間が、生命が、欲望が、世界の全ての価値がインフレです。本当にすばらしいものって、この世界にまだあるのかい?なんてことを思ってしまった。
「…私はその間何をしていたのだろう。革命を、憧れたこともなかったし、恋さえ知らなかった。今まで世間の大人達は、この革命と恋の二つを、最も愚かしく、忌まわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も……敗戦後、私たちは世間の大人を信用しなくなって、何でもあの人達の言うことの反対の方に本当の生きる道があるような気がしてきて、革命も恋も実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、大人の人たちは意地悪く私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」
直治の師であり、かず子が想いを寄せるデガダンな小説家・上原が呟く。「…生きているのが、悲しくって仕様がないんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものではなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きの溜息が四方の壁から聞えている時、自分たちだけの幸福なんてあるはずはないじゃないか。自分の幸福も光栄も、生きているうちには決してないとわかった時、人はどんな気持ちになるものかね。努力。そんなものは、ただ飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ…」
物語は、直治の遺書と、上原に充てたかず子の手紙の文面で締めくくられる。「…姉さん。だめだ。さきに行くよ。僕は自分が何故生きていかなければならないのか、それが全然わからないのです。…姉さん。僕には、希望の地盤がないんです。さようなら。結局、僕の死は自然死です。人は、思想だけでは死ねるものではないんですから。…夜が明けてきました。永いこと苦労をおかけしました。さようなら。夕べのお酒の酔いはすっかり醒めています。僕は素面で死ぬんです。もう一度、さようなら。姉さん。僕は、貴族です。」
時代が変わる中で、人間が揺れ動く中で初めて、人間というものがそれがなんなのかが、溢れだして、結局行き場無く彷徨って、沈んでゆく。沈む前の夕陽…それが斜陽か。没落とは、儚いけど美しく哀しい、時代が移り変わるということ。
現代は虚無すら飲み込むモノ社会・カネ社会。恋は氾濫、革命は幻想。貴婦人には程遠い、あの…「セレブ」って何?もはや憐れだ。かず子も、母も、直治も、もう現代には在りえない最後の貴族だったのだ。アメリカンな創造的破壊と、市場信仰と、常に流動し錯綜するアイデンティティー。今やもう、人間が、生命が、欲望が、世界の全ての価値がインフレです。本当にすばらしいものって、この世界にまだあるのかい?なんてことを思ってしまった。