takebono、西へ

2005年8月8日 旅行
国会が郵政法案でもめてる最中、僕はこれから放浪旅行に出発します。

自民党は利権利害だけで結束してる腐敗政党ですから、今回の郵政利権戦争で内部抗争してる姿ってのはホント皮肉。滑稽。愚かだな。 反対派は言う。「総理の解散権の乱用だ!議会制民主主義の崩壊だ!」 はは…議会制民主主義なんてお前ら今までまともにやってきたのかよ?自分らの利権が絡むときだけしか、お前ら議会政治をまともにやろうとしてこなかったじゃないか。都合がよすぎるぜ。解散がそんなに恐ろしいかよ?国民の審判がそんなに恐いか?それでもお前ら既得権のために腐敗政党を支持し、小泉の力で生き延びようとしてきたじゃないか。国民を信じない政治家、そして政治家を信じない国民。初めから永田町には議会制民主主義なんてあったもんじゃねえってことよ。

ま、そんなこともあんなことも、浮き世を離れて。今日の23時40分東京発の夜行列車で一路、takebonoは西へ。誰かがこの日記を見ている頃には、僕は汽車の中〜。これ見た人はメール頂戴ねん。
SK兄貴と家で軽くビールをひっかけ、ほろ酔いで、では行ってきま〜す。
以前あのTKが奨めてくれた、町田康の「告白」を読み終えました。とっても長く、久しぶりにしっかり読めた。
−人はなぜ人を殺すのか…? 河内音頭のスタンダードナンバーとして唄われ、実在の大量殺人事件である「河内十人斬り」をモチーフに、永遠のテーマに迫る渾身の長編小説…。

河内の農村のお話で、貧乏百姓の家に生まれた主人公・どうしようもない半端者・熊太郎。紆余曲折を経て彼が凶行に走るまでを彼の内的面から淡々と描かれるのですが、その人間模様が何だか笑えたし、切なかった。人間というのはこういう側面もあるのだ。そう、あるのだ。「心の闇」すら綺麗事に聞こえるほど、それほどに熊太郎の人生は何もかもダメダメで、いつもどうしようもない方向へ走っていくなのです。 とりわけ幼少の頃の殺人の記憶が、後人生を全て狂わせていくのだけど、恐らくその記憶自体も熊太郎の「闇」の一部だったというか。人間とはこんなにもちっぽけで複雑で安易で純粋で困難に切なく生きているのだと思うと、考えちゃう。 人は誰しもが抱える「闇」。でもその「闇」を歪ませていった先に凶行があるのかもしれない。いつだって、自分の闇と誰かの闇を傷つけ合ったり傷をなめ合ったりしないで、共存していけたらと思う。その闇が互いにとって光になるように。闇のままに闇を照らす光、それこそがまた闇でもあるのだ。やはり人間は影なのだ。朧に現れ消え、照らす光に出会おうとする。闇という光で闇を照らすことこそが、僕の輝きでもあるのでしょう。
しかしラストで10人斬り殺すシーンは圧巻だった。姦通した嫁を撃ち殺すシーンが切なかった。警官隊に追われる最中、手負いの熊太郎は、復讐に狂い再び凶行を繰り返そうとした凶行の共犯者・弟分の弥五郎に対し、銃口を向ける。切なすぎるラストに、僕は分厚い本を静かに閉じました。

「思弁と言語と世界が虚無において直列している世界では、とりかえしというものがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそがとりかえしのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。所がそんなことは全然なく、今から考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことの出来る地点だった。ということがいま俺をこの状況に追い込んだ。つまりあれらの地点が本当に引き返し不能の地点であれば俺はそこできちんと虚無に直列して滅亡していたのだ。ということはこんなことをしないですんだということで、俺はいま正義を行っているがこの正義を真の正義とするためには、俺はここをこそ引き返し不能地点にしなければならない」

そして明日から放浪旅行です。明日の夜行でまず京都まで行きます。河内地方も見てこようと思いました。その後は四国大陸へや中国地方をまわろうかな。 もう鈍行電車旅も慣れたもんよ。今日はゆっくり明日の準備をしました。明日は出発前に日記を更新しますわい。

江戸川花火大会

2005年8月6日
今年もやってきました隅田川とためはる江戸川花火。保守本流王国の伝統的強さを今年も堪能しました。
昨夜の奮闘により去年に引き続きベストスポットを確保し、炎天下の中で場所取り。もう暑くて熱くて死にそうだった。こんな死にそうになりながらなにやってんだ僕は。だけど、やっぱりモチベーションなのだ。みんなのためになら、僕はがんばれるのです。自分には相当甘い僕が、こういうときは無理してでもがんばろうとするのです。
AとOとC氏とBちゃんとDさんとで、楽しく花火を堪能しました。あとガンガンに冷やしたビール。今年もマイ保冷器が大活躍を見せました。大量の枝豆とつまみ。
しかし間近でみる花火はまさに爆音。ピカドン。ホント、夏ってやつを堪能した。 ひゅるひゅるひゅるる…どどーん!!「わおー!」ぱらぱらぱら!どん!ぱっ!どん!ぱっ!どどどーん!!ばりばりばり!!
WDさんはあれほど言ったのに遅刻して電波が繋がらず、何とか奇跡のように合流できてホントよかった。

超楽しかったわ。飲んで、ひっくり返って花火みて、みんなと色々なこと話して。
夏が終わり秋が終わり冬を越して春を迎える頃には、僕らは大学を卒業し、みんなそれぞれの進路に向かってバラけていく。花火大会企画も今回が最後なのかなとか思ってたけど、でもきっと来年もこんな風にみんなで集まれたら最高だな。 来年の今頃何してるかわかんないけど、でも多分楽しく生きていて、あの大きな花火が炸裂する一瞬にまた、自分や誰かの幻影や、仲間たちとの思い出や、夏の匂いを感じたりするのだろうか。 最高の時は最高の一瞬を焼き付けて、最高のままに流れ去り終わっていった。楽しかった。楽しかったな。生きてて楽しいわ。

夏休みって感じか

2005年8月5日
上野の国立西洋美術館に行ってきました。国立美術館展「Dresden(ドレスデン)−世界の鏡」 ドイツ東部の古都ドレスデンは、ザクセン公国とやらの栄光を今に伝える芸術都市だそうで、ドイツ・ロマン主義誕生の地なんだと。なんでもこの国の皇帝が色々世界の美術品を収集したりして、ドレスデンは世界芸術の潮流を正に鏡のように映し出すほどの、各国の文化芸術を複合した芸術都市といえるそうなんだと。 世界史とりわけ中世とか近世とかに詳しくない僕にはドレスデン芸術の何が何やらようわからんかった。やっぱりゲルマンソウルのAと一緒に来れば良かったな。 しかし磁器とか装飾品とかよりも、図画や版画、水彩画や油彩画の方に興味がいきました。すげーうまいの。はぁ〜って見とれてしまいました。 でも、やっぱよくわかんなかった。キリスト教を描いた芸術作品なんかは見てて興味深かったけど、あの時代の知識がないのですから、さっぱりって感じ。まあたまには美術展もいいものです。
その後アメ横をうろついた。何年ぶりだろ。相変わらずゴミゴミしてたわアメ横。あ〜暑い、出かけるもんじゃねーなー、なんて呟きながらアメ横をぶらぶらしました。

その後は明日の花火大会の場所取りに奔走しましたtakebonoさん。ほんときつかったわ。隣の場所取ってた若者達と仲良くなっちゃって、一緒にビールを飲んだ。あいつら、僕の場所にまともな女子大生が来るもんだと勘違いしてやがる。明日は無視しとくか。でも、ビールはすごく美味しかった。ほんとありがと。
それにしても今日の僕はがんばったな。たった一人でよー。はあモチベーションだわ。なによりもみんなのためになら、がんばれたりする。出来ないことが出来たりする。人って不思議だ。僕の生き方や行動、こんなにもモチベーションやソウルに左右されていいものだろうか。最近そんなことをよく考えるけど、いつか叩きのめされて後悔すんのかもしんないけど、今は止めようがない、僕の心臓の鼓動。
明日は長いようで短い一日になりそうだ。あのベストスポットが横取りされてませんように。でも、楽しみだなあ。超楽しみ。
暑い。こう暑すぎると、暑いからって家にこもってるのも何故か腹が立つ感じがして、サッカーでもやりたい気分です。 愛する我が地域ゴミュニティーフットサルチームR−SOMAも、結成から幾ばくか月日が経ちましたね。今後の健闘を願ってやまない今日この頃。

サッカーといえば僕はやはりJリーグです。開幕当時から鹿島アントラーズがすきでした。ジーコ時代から、レオナルドやジョルジーニョ時代もすきだったな。その後最強時代へと続くが、ビスマルクの小汚さが何よりすきでした。アントラーズってチームはいつも、司令塔を中心としたしたたかなサッカーをするチームなのです。「カシーマアントラッズ!」それを現在受け継いでるのがミツオ(小笠原)と本山、柳沢あたりでしょうか。あヤナギは今海外か…。 それにしてもこないだのマンチェスターユナイテッドとの戦い、本山二発やってくれました。奴のサッカーこそ今後注目されるべきなんだけどな。代表ではまだまだサブメンバーだな。
つい最近まで、日本人で一番サッカーが上手いのは清水エスパルスの沢登だと思っていた。それとジュビロの藤田。あ今名古屋か。その次が小野やミツオだと思ってたな。あくまでボールさばきですが。 FKはやはり左足は中村俊輔。右足は阿部ちゃん。この2人が日本?1だろ。 ヘディングは中澤で。福西もいけるか。 ミドルシュートとドリブルがいないんだよな日本にはこいつはってやつが。アドリアーノやルーニーみたいなやつがよ。うーむ本山か田中達也か。 久保や高原、大黒なんかはターンとかキープとか上手いね。 こないだ代表戦少し観たけど右サイドの駒野はセンスがいいね。

最近注目はプレミア・マンUのクリスチァーノ・ロナウド。ベッカムの背番号7を受け継いだ伊達男。前々からこいつは来るなあと思っていましたが、今回の日本遠征で少しブレイク。なんつったってドリブル。ポルトガル代表の右ウイングといえば、あのルイス・フィーゴの後継者といえるだろ。フィーゴは渋いダンディーなベテラン俳優、C・ロナウドは若いイケメンの新人俳優ってとこだ。
ブラジルのロナウドは太ったね。

熱すぎる選手達。このクソ暑い中で、今日の僕はぬるく生きてしまった。

僕たちの朝

2005年8月3日
朝の9時頃までAの家にいました。NさんやSSやKSさんは結局一晩中色々なことを語り合っていました。語り合うことの素晴らしさ、ここに改めて見ることができたように思います。 みんなきっと自分が恐いのかもな。自分らしくいる自分が、散々あがいても社会とのバランスなんかとれやしないってことがさ。 Bちゃんは12限があるからって早朝に出て行った。イカれたタフだな。さすがだぜ。 皆が知り合いをネタにして話すとき、最近はBちゃんじゃなくてRさんのことが多いんだね。Bちゃんはもはや論証不可能という結論が出されちゃったんだと。さすがだぜ。 Rさんも色々あるんだろうけど、前から思ってたけど、あのコミュニティーでは少しあの人は異なるんじゃないかってこと。相性とかノリとかじゃなく、性質的なとこ。Rさんは質的にクズじゃないんだと思う。イカれる必要がないんだと思う。あの子は、少し無理をして狂ったふりをしてて、今その狂った部分が自分なのかどうかわからなくなってきてるんじゃないかなあ。だとすっとこのコミュニティーはRさんにとって居心地がいい場所なんだろうか。僕は皆がRさんを追いつめているようにも見えて、少し複雑だった。 弱い人だっている。正しい選択をとれない人もいる。孤独に叩かれる人も、一歩が踏み出せない人だってたくさんいる。そういう人たちに対し、「勇気」「強さ」や「応援」とかってのは、そういう市場開放・規制緩和的なアプローチってのは、確かに正しいと思う反面で、僕はその人の世界観をもっと理解してやりたいと考える。もどかしいのかもしれないけど、やっぱり精神的な問題だから、心ってやつはゆっくり包んでやりたいのだ。 イラク人は「自由」も「平等」も知らない?「自由」も「平等」も知ってるらしいアメリカって国がホントに人々にとってすばらしい国なのか? 望みが全て叶うことも、そのためにがんばることも、必ずしも素晴らしいことじゃないと僕は思う。半強制的に僕らに与えられた「将来」。ときには立ち止まったり遠回ったりしてもいいだろう。啓蒙とかいうやつの素晴らしさそして傲慢さを、散々僕らはみてきたはずだ。そのひずみのようなものが21世紀では様々に噴出するかもしれない。個人に内在する、テロリズムが。僕らの生命はしかしそのまっただ中にあるのだ。 それでもRさんのことを皆が心配したりするのは、やはり友達だからだと思いたい。クズたちがクズじゃない人の心配をするなんて…滑稽ではあるけど、一方で社会ってやつはとても興味深いとも思う。お酒の飲めないSSがハイテンションな笑顔で言った。「あと50年でみんな死ぬんだからっ!」
とにもかくにも僕たちに今日も朝はきた。生きてゆこうとする朝日はいつも通りにやってきた。出来るだけ気怠そうに、みんなでAの家を後にした。

炎天下になる前に帰った。昼過ぎまで寝て本とか読んで過ごした。

日本が中国と引き分けました。なでしこもジーコも中国の厚い壁を破れなかった。でも阿部ちゃんのFKはさすがだったな。和製ベッカムとか言われてっけど、あいつの右足FKだけはそう呼んでいいかもなあ。

僕たちの夜更け

2005年8月2日
今日は大学のグラウンドでフットサル。今日は平日なのでR−SOMAメンバーはほぼこられず。SK兄貴はやっぱりドタキャン。しかしMM氏がきてくれたし、あのTKが初参戦してくれました。 S氏つながりのESSやらサッカーサークルやらの連中はとっても上手で、ボールがよく通るし、通してくれる。とても高度なレベルでした。MM氏とも話したけど、攻撃も守備も楽しくやろうモードを、あれをちゃんとマークとかフォーメーションとかいれてやったらもう勝ちようがないんだろうな、と。 そしてTKは途中から来たってのに3点くらい叩き込んでました。異色だがR−SOMAメンバーにしたいなあと思いました。 僕はフリーでシュートを外しました。だめだねえ。

その後Aの家の飲み会に合流。着いたらもう皆できあがってた。初めましてのNさんは、とっても面白い人だった。僕はこの人と何を話せばいいんだろなあなんてずっと考えてた。すごく素敵な人でした。もう一人初めましてのMさんとは少し話しました。気さくで知的でとてもいい人だった。このコミュニティーはやはり幅が広い。類は友を呼ぶというけど、その「出会い」理論の堂々巡りの中に自分が入り込むことなのだとやはり思う。だけど入り込んだ後で僕はやはりソウルをどう生かそうかとかで戸惑うのだけど、まあ僕らしくいくしかないのだけど。
相変わらずの輝けるクズのコミュニティーで、僕らはまたも朝まで飲み明かした。途中酔っぱらってサッカーボール蹴りながらコンビニに行ったり、Bちゃんがいつも以上に狂ったように飲んでたり、SSのテンションに笑ったり、やっぱ楽しかったな。聞いてるだけで楽しい。笑える。ネタになるわこいつらの会話。なんだろうなあ。なんか楽しかったりして。なんか嬉しかったりして。しょーもねえゴミュニティーなんだけど、僕は大すきだなこの場所と時間。僕自身高等ルンペンだからだろうなあ。そんなこんなで夜が更けていきました。

こんな風に夜を明かすことも、これからはなくなってゆくんだろう。僕らのものだった夜も、いつかは誰のものでもなくなってゆくんだろう。寂しさとか、懐かしさとか、そういうの包みながらも、でも僕らはあまり振り返らないんじゃないかな。今よりも未来の方がもっともっと輝いていて、愚かで、残酷で、カオスで、素晴らしいものになってゆくってこと。みんな口にしないけど知っているんだと思う。時代はまわるしかないんだよな。僕らは死ねなければ生きていくべきなんだよな。

「息をするにも勇気がいる日々の中で、世界はあたしたちを裏切らないだろうか。時代はあたしたちを捕らえきるだろうか。揺るぎないものが、いつか誰もを覆い尽くしたとしても、そこに輝き誇り在った時間は、いつだってあたしたちを何も無いままに褒めてくれるだろう。あたしたちが生きていたことを褒めてくれるだろう」(『ユートピアライブルー』より)

Peacewalker☆takebono

2005年8月1日
MM氏と朝まで飲んで、見送った後、ふらつきながら宴の後片付け。いつもは二日酔い気味で目覚めた朝で、無心になれる後片付けの時間がすきなんだけど、今回はさすがにきつかった。その後昼まで寝た。
散歩してたら偶然SK兄貴に会ったのでパスタ屋と公園で話し込んだ。今さら何を語り合う仲でもないけれど、友達とサシで語り合える時間は大すきです。人生っておもしろいな。

帰り際に昔の社会運動仲間に会った。デモなんか古臭くてもう絶対やらねーよ。でもさー、反戦平和ってのは僕のちっぽけな感情以上のもんだよ。うちの兄が時折つくる反戦劇は、なんつうかそんなことを考えさせてくれたりする。思想とか、理念とか、中心に据えるものや考え方とか心の持ちようとかはそれでいいのだ。個人で。そうそして戦争とか平和とかをどう考えるかってことなのです。僕自身忘れかけていたな。「平和って何ですか?」 確かに重いわ。だけど、目を背けるものじゃねえ。質的に。そう思うぜ。
平和のために行動することはいつからヤバいことになっちまったのだろう。僕は委ねたりしねえ。コミュニティーからも切り離したい。それだけ平和運動ってのは、僕はイラつくんだわ。だけど、そんないわくつきなもんじゃねえとも思う。他にもたくさんいろんな生き方を今後僕はしていくけど、やっぱごまかせねーんだよ。綺麗事じゃないから美しいともいえるんじゃねーの。 歩くぜ。僕は高等ルンペンだけど、ピースウオーカーでもあるんだ。

大学1年の時−2002年8月−あの熱砂漠みたいな夏の広島で、金髪の美少女Mちんが僕の問いに答えたっけ。「進み方は人それぞれだと思うんよ。でもゴールは似てるんじゃないかな。その過程で、多くの人がぶつかったり話し合ったりするのが、うちらなんじゃないのかな」
安易じゃない。渦巻いてる。だけど、だから、今の僕は歩くのだ。戦争やテロが世界中からなくなることを祈りながらさ。

あけぼのみ

2005年7月31日
昼は炎天下の中だくだくでサッカーして、夜は家で飲み会。日本代表東アジア選手権と、K−1inハワイ大会をサカナに、飲んで笑って応援して飲んで、食って飲んだ。
北朝鮮に日本代表が敗れました。はーがっくりきたよ。

今日の飲みのメインはちゃんこ鍋。暑い中、ハフハフいって食ってサイコーでした。何よりも横綱曙の勝利へ捧げるちゃんこ鍋。あの巨神兵チェ・ホンマンに勝つことが出来たら…takebonoさんは現実を忘れ飲みまくるところだった。結果は、惨敗。我が愛する曙はボコボコにされてリングに沈みました。もう、見てられない。録画しなきゃよかった…。我が愛する曙が、会心の勝利をあげる日はいつだろうか。僕がその勝利に陶酔し泥酔するのはいつだろうか。早くきてほしいなあ。

その後はMM氏と朝まで飲みました。MM氏はおもしれえや。すげえいい奴。ワインと焼酎を空けました。彼とは色々なことを語り合えるなあ、マジメなこともくだらないことも。うん感じるぜソウルをよ。

あー眠い。眠い。寝ようか。ひどい生活してんな最近。
こう暑いと出かけたくなくてでもそれが丁度よくて、読書の時間が増えるわけです。「池袋ウエストゲートパーク」を?〜?巻まで読んでしまいました。いや石田衣良はおもしろいな。

池袋西口公園。通称・池袋ウエストゲートパーク
−ストリートコラムニストのマコトと、池袋ストリートギャングのキング・タカシが繰り広げる池袋ストリート騒動記。 ストリートギャング抗争。ドラッグレイブ。肉体破損ショー。幽霊ヴァン。ネット。暴力団。凶悪事件。誘拐。強盗。決闘。愚かな暴力事件。イカれた現代都市スラム池袋で起こるあらゆる現代的社会現象を描いた痛快作。 あらゆる無法と虚無が渦巻く池袋ストリート。愚かなガキの街で次々と起こる事件、騒乱、狂騒乱劇。 救いなんてあるわけがない。大人がほったらかし、目を背けてきた若者社会のリアル。一体誰がキレているの?って、わかんだろ。しかしコミカルにとても読みやすく描いた傑作だな。
明日のない頭の悪りぃガキどもは、いとも簡単にキレて、なんとも不毛に傷つけ合って、大人たちの食い物にされ、世の中に使い捨てられる。この世は支配者と被支配者しかいないことをわかっていながら、いつもそうだけど、ガキどもは大人社会を否定しながらも大人社会に飲まれてゆくのだ。永久に見つからない「自分」を探しながら、インフレった生命を枯渇させてゆくガキども。ふむ、池袋にソウルはあるのかな。
現代ってホントに何なんだろうな。ワクワクするくらいすっげえ時代に僕らは生きている。吐き気がするくらいとんでもない時代に僕らは生きてゆく。欲望とソウルという不確かなものだけを、僕は確かに僕の手の中に残しながら。この狂った時代を生き急ぐこと。それだけできっと安らかに眠れるんじゃねえかって、どこかで思いながら、生きていきたいとも思う。

最新の?巻が読みたいな。
試験終わってからも随分読んだぞ。小説はいいなあ。
本多考好という人の「真夜中の5分前」というのを読みました。「side−A」と「side−B」の2冊とも読みました。これは切ないなあ。
−死んだ恋人の癖だった、5分前の世界。最初で最後の恋人を亡くした僕は、それでも生きていた。ちっぽけな恋がいつしかかけがえのない愛に変わるとき、そして時間が何もかもを忘却させていくとき、僕は立ち止まりもせずに時をいつしか止めていたのだ。僕は失うことから逃げていた。なぜ僕は生きてるのだろう。なぜ僕はそこから動けないのだろう。それはきっとあれが愛だったから。愛というものが例えどんなものであっても…人はそれを愛と呼ぶ。真夜中の5分前に、人は誰かのことを想う。今日が去りゆく前のたった5分の間に、もう逢えないあの人のことを思い出したりするのだ…。  
大切な人がいなくなったらどうするって?恋だとか愛だとか、そういうほぼ無意味な肩書きも吹っ飛んで、喪失感の末に僕なんか泣き崩れちゃうだろうな。でも、崩壊することでその人を忘れちゃいそうだと思うなら、人は明日のために泣くのだと思うのなら(次にやってくる希望のために、いまを絶望することは必要だとも思う僕だが)、その人のためにだけ明日を捨て涙を流さない人だっているはずなのだろう。愛のために希望を捨てる。エゴが消える。なんて辛すぎるんだろ。騙せない。胸の中にいるから。それが愛なのか。

太宰の短編集を読みました。緻密な構成の中に、笑いと道化によって生きる苦しみを表現した太宰文学…か。でも僕には社会不適応者への精一杯の抵抗やエールにも思える。「ヴィヨンの妻」がダメ夫に言います。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
太宰はそれでも死んだけど。でも僕はまだ死なないけど、いつか自殺すんのかなあ。まあいつかだろう。その程度の自殺願望くらい誰でも持っとるさあ。
自殺を考え、トカトントン。

こんなわたし

2005年7月28日
朝駅から歩いて帰ってきてさすがに寝ました。昼起きてビデオとか観ながら過ごしました。

しかし昨日TGはいいこと言ってたな。あいつの考え方と姿勢は立派だな。とてもいい教師になれるんじゃないかなあ。逆に彼らをみて僕はやはり「教育」をソウルに利用していただけだったんだなあと、改めて思ってしまいました。あの教育実習は、僕がどこか嘘をついてた部分を剥ぎ取っていった感じ。また皮肉なことに「教育」の前では嘘がつけなかったんだと思う。ホントは最初からわかってたんかも。初めからわかってたのに、いろんなものが言うな言うなってさ。でもいま言えちゃうよ。これが僕なんだなって。
失って初めて自分にとっての大切なものに気付くのだね。絶望して初めて、これだけは失えないというものが見えてくるのだね。僕が僕を逃がしてくれないのなら、僕はもう僕こそを逃がさない。見せてやるぜ。おまえらが矛盾の中で散々尊重し続けた「個性」ってやつをさ。
ソウルフルにさ。

暗くなってから、駅の自転車置き場までチャリとりにいった。すっかり夏です。
僕が提案し企画した教育実習クラス飲み会が五反田でありました。台風直撃が危惧されてた中、東京の空は燦々と晴れ渡り、絶好の飲み日和。学生どものクズさを考えて、ギリギリまで飲み屋の予約をしてなかったんだけど(ドタキャンとか急遽参加とか、うっとおしいからね)極めつけは頭のイカれたM先生が、案の定五反田駅にふらりと現れやがッたこと。ホント、連絡してくださいよ〜いらっしゃるときは。まあいつものことか異端教授。
まあそんなこんなで、ギリギリで店を予約するために、クソ暑い中でtakebonoさん夏モードのタンクトップで五反田をうろつくのもきつかったよ。連絡とかしなきゃならんしよー、幹事ってすげー大変だわ。S氏の苦労が少しわかるわ。
案の定何やら色々あったけど、でもさすがだね教育実習クラス、教師の卵ども、大半はちゃんと時間通りにくるんだもん。 で、飲み会では、飲んで飲んで飲んだ。予約は7時からだっつうのにM先生がゴリ押して店に乗り込み、先行した僕とHと3人で6時半から飲み始めてしまった(お店の人すみませんでした)。でもM先生のこういうところ、マジ大すき僕。トラブルバスター。もみ消し屋。 そして3人で乾杯。早くも僕のジョッキ空く。そこで後発組が到着。6人で乾杯。早くも僕の2杯目のジョッキ空く。店の外へID君を迎えに行く。店に戻る。7人で乾杯。どんどんジョッキが空く。…
僕らは飲んで飲んで飲んだ。M先生が僕の卒業後の進路をズバリ言い当てた。「高等ルンペン」これには感銘を受けた。とうとう見つけた気がした、僕の進路。M先生は僕の運命を命名してくれたのだ。他にも「インテリヤクザ」。なるほど。僕は「高等ルンペン」か「インテリヤクザ」が向いているのだという。本気で目指そうかな。クズな僕にピッタリだ。
その後もテンションを上げに上げて、飲みまくり。歪んだモチベーション次第でその日その時の行動力が決まる僕の悪癖。しかしM先生が楽しんでくれてることが何よりうれしかった。調子こくボケとツッコミ。シンプルからディープな会話。アグレッシブな気配り。積極的に席替え。あの場の力学に、僕が一枚かんでるっつううれしさのようなものはやっぱありましたね。ID君、ゼミ長の座は渡さねえぜ。
噂のTMさんはマジメな女の子でした。もう、まとも。場の力学も影響して、あの場のトークだけではなかなか引き出せなかったな。だけど、僕が他人に興味があるってことは、伝わったかな。いとも消費社会的に「人間関係」が、キーワードみたいに先行しながら成立していくような、そんなんは所詮ノンソウル(ノンオイルみたいだな)。僕は「他人」にこそ興味があるのだ。いつだって他人を知りたくてしょうがないのに、「友達」とか「恋人」とかがいつも邪魔しやがるのだ。TMさんともっと話したかったな。IBさんもまだ底見せてくれない感じ。結局ハッキリしたツーショットにもちこまなきゃ、人はソウルを見せてくれないのだ。
ID君と2人で、クラスの名物男IT君を駅まで迎えに行く。2人とももう酔っぱらい。マルボロふかしつつ、バカみたいに騒ぎ笑いながら五反田の街を歩く。IT到着。8人で乾杯。空ジョッキの山。続けざまにオーダー。飲めや飲めや。狂乱飲酒会。ノマノマ…。
飲んで飲んで話して話して騒いで騒いで、かなり遅くまで僕らの飲み会は続いた。結局お会計は一人分ごまかしちゃったんだね(お店の人ごめんなさい)。あんなにバカ笑いして酔っぱらってたM先生は、やはり帰りも挨拶もせずにふらっと帰ってった。でもね、あれはきっとうれしかったんだよ。「あと30分で帰る」を繰り返しながら最後までいたもんな結局。僕も先生と喋れてすっげえ楽しかった。「あなたは私の若い頃にそっくりだ」そうなのかなあ。このインテリヤクザめ。
珍しくテンション上げたまま僕は当然2次会でカラオケ提案。五反田でいいじゃねえかってのに横浜まで付き合わされた。おかげで久方ぶりのカラオケオールに。僕とHとTGとITで、もう治安の悪そうな横浜駅周辺を、日付変わったってのにダラダラうろついた。ホント横浜は歩きたくねんだよな。恐い恐い。
怪しい姉ちゃんが客引きしてたから風俗店かと思ったらカラオケBOXだった。Hがぼったくり店じゃないのってびびってた。実際あぶないよな。酒入ってるし。後で危機意識を問われても仕方ない状況。もし何かあったら…僕はHだけは絶対守らなきゃなんない。命をかけてもHだけは無事に逃がさなきゃ。横浜の夜を歩きながらそんなことだけを思いめぐらせていた。
結局明け方までカラオケで狂乱。歌いまくって電池切れ。店出て、フラフラっとして見上げた横浜の夜明け空は、どこか情緒的でした。朝帰りするときは何度も見たような空だけど、何だか大学4年だっつうのに、未だ僕はこんな空を見てるんだなあとも思ったり。ただ自然に、朝って美しいなあとか思ったり。
Hの彼氏は、Hが男どもと夜遊びして朝帰ったりしてんのが心配じゃないのかな、キレないのかな。Hはちゃんと遊びに連れてってもらってんのかなあ。なんて、電池切れたHの横顔を眺めつつ、そんなことを思ったり。
始発の次のに乗ってガタゴト帰りました。まあまあ楽しかった。でもこんな夜は二度と無くていい。そう思うようにもなってきた。だって今は他に楽しいことがいくらでもあるから。誰も味わえない、自分だけに、在るから。だから生きてて楽しい。自分だけが自分だけを生きてるのだから。

宴の後の或る夏の日の朝の光。日常的な狂乱に中和されて、優しく静かに射し込む目も眩む日差し。2005年7月末。takebonoが歩く夏は盛りを迎えている。

旅立つ君へ2

2005年7月26日
アメリカへ発つYY君への壮行会やら送別会やらに、都合が悪くて行けそうもなく、皆でガヤガヤすんの大嫌いなので、今日の学校帰りのYY君を酒に誘った。個人的に酒でもおごって見送ってやろうと思ったのです。いいとこあんなーtakebonoさん。 台風の近づく中、品川の居酒屋でクズ学生二人、ちゃんと歩ける程度に酔いつつ、面白く楽しく語り合ったのでした。
YY君の第一印象そして第二第三印象も、さわやかな好青年スタイルで、裏ではいいかげんな遊び人っぽい感じの男なのだけど、彼の正体というか本性は、結構哲学的で思慮深くて、思いやりのある男なのです。だけど不器用っつうよりは社会不適応者なんだねこれもまた。女にも、スポーツにも、サークルのようなものにも、既に依り尽くし飽和してしまった彼が結局帰ってくるのは、案外僕の目指すコミュニティーのようなものじゃないのかと、そう思った。周囲の「遊び人」イメージからは想像もつかない、ビールを飲みながら「現代思想」について活き活きと語るYY君の姿は、僕に何かを与えてくれた感じがしたのです。
この大学生活で、彼ともっともっと話しておけばよかったと、僕はまたしても後悔するのだけど、何よりもソウルのチャンスを逃したことが悔しいな。きっと色々なソウルが生まれたはずなのにな。そうなのだ。ソウルメートになりえたのだ。振り返って初めて、もう二度と戻らないことに気付く。何度も何度も僕は気付かされてきたっけ。時代というものの貴重さを、いまという希少性を、ソウルが炸裂するチャンスの掛け替えの無さを。そうだな、逃した分だけ生き遅れてるんだ。死は迫ってる。生き急げ自分を。
そういえば先日一年ぶりにイギリスから帰国したあのOKさんは、今度はアフリカに行くらしい。卒業後の進路にびびってたOKさんは、いまとても充実してる感じ。不安なんてきっとそんなもんなんだろう。YY君もまた、そうあってほしい。
そしてYY君がアメリカから帰ってくるとき、僕は何をしているだろう。僕と、Bちゃんと、そしてYY君と、そんなルームシェリングライフなんてできないもんだろうかなあ。
YY君、USAでがんばってこいよ!いつかまた、飲もうぜ!

そんなわたし

2005年7月25日
今日で試験終わりです。さあすきなことするぞ!

試験後、食堂でS氏とC氏とダベってました。C氏は夏は海外旅行だって。いいなあ。僕もいつか行きたいな。S氏はいろいろハードスケジュールみたいだけど、がんばれ!
その後、教職ゼミの打ち合わせに行きました。相変わらず方向性に迷い、進行が遅いけど、なんとかなんとか僕が修正していく感じ。SK兄貴なら絶対ぶっちギレてますよ。 帰りに親睦を深めようと思って、メンバーを御飯にさそいました。だいぶ笑い合えたしたぶんこういうのが大学生らしい心地よい会話なんだろうね。僕も実際ウケたし、自分のこともたくさん話して、まずまず「親睦は深まった」のだけど、それだけ。別に嫌じゃないんだけど、ソウルは揺れなかったな。ぶっちゃけ、面白くないのだろうな。そんなこと考えながらボケに突っ込む自分も、ゼミグループワークの今後の進行のために「親睦を深めよう」とだけ努力してる自分にも、何だか疑問です。はあ。まあ、自分の快楽なんてちっぽけなもんだから別にいいんだけど、でもなんかもっと面白い奴いないのかなあ。Bちゃん以外に、僕とクズみたいな賃貸でルームシェアリングしてくれるような、面白い人。Bちゃん以外に、もぐりの授業の方が履修授業より多い時間割やってるような、面白い人。 夢見るのもバカバカしい。でもいるのなら、出会ってみたい。出会って尚、出会ってみたい。二度と無い時代に、それだけが価値があるようで…。
帰りにSAさんと電車で話しながら帰った。SAさんは見た目どこにでもいる女の子で、話すこともどこにでもいる女の子でした。(女の子は年中買い物と恋話をするのね…)しかし僕の引き出し方もマンネリになってきたか。攻めを変える必要があるね。
しかしこのグループワークは伸び悩むような議論を繰り返すものだ。話し合うということへのスタミナも少し無い感じ。自主ゼミのメンバーなら…グチャグチャになりながらも、向かい合い、上り詰めてゆくのに、な。だけど、引き出してゆくのも僕の役割なのだろう。あのクラスで、僕らは最高のパフォーマンスをみせてやりたいものだ。
昨日(っつうか今日)ファミレスから帰って夜中の3時くらいTV観てたら「ワールドプロレスリング」で橋本追悼特集やってた。まじ泣くわ。長州に食らわせた垂直落下式DDT。高田が目を回した袈裟切りチョップ。藤波に叩き込んだニールキック。もう見れない…。武藤と蝶野と橋本が手を取り合って、同じリングで吠えていた。もう見れない…。ああ永遠なれ…闘魂三銃士。 霊柩車出てくとき、蝶野泣いてたね。あのブラックカリスマが、あの真っ黒なグラサンの下から、だくだく涙が流れ落ちてた。あの獣人みたいな小川も泣いてた。はあ、最近何となく体調悪いのは、家の猫が夜中鳴きわめいて眠れないとか、そのせいでファミレス行くとドリンクバー飲み過ぎることとか、酒とか喫煙とか…でも、それだけじゃないよなあ。橋本をもうみることができないからだきっと。はあ…僕はどうしたらいいんだ。…takebonoくんっ、みんな同じ気持ちだよっ!僕も破壊王に勇気をもらった一人だもの。さあ、心が沈むときは、迷いなく叫ぼう。 …はっしもと!はっしもと!はっしもと!はっしもと!… みんな泣いてた。「破壊なくして創造なし!破壊王よ!永遠なれ!破壊王よ!永遠なれ!ありがとう!橋本真也!」

大相撲名古屋場所が終わった。ブルガリアの新星・琴欧州の掴みかけた夢は、千秋楽に散っていった。5連覇を決めた横綱・朝青龍はやはり強かった。強くて、むちゃくちゃかっこよかった。5連覇を決めた朝青龍のガッツポーズと満面の笑みは最高だった。それを見届けた琴欧州が無言で静かに去っていく姿も、かっこよかった。この悔しさはもっとお前を強くする。琴欧州、来場所がんばれよ!

昼間はサッカーとバドミントンをしました。

明日試験とゼミの打ち合わせが終わったら一段落だわ。

世界詩集【1】

2005年7月23日
これから暇なときは詩やすてきな言葉を載せてゆきます。自分で書いたもの、著作権などよくわからんがどこかしらで見聞きしたもの、何でも載せます。出来るだけ出典・引用先も載せます。
言葉ってすてきです。どんなに世論で評価されてても売れてても、そーゆーの関係なく、すてきだと思った言葉だけ載せます。むしろ誰も知らん言葉の、そのパワーを、自分がソウルめいたときの、そーゆーの載せよう。


(無題)

わたしのなかのいろんなもの
あらしのうみ およぐしだ
おこったさそり わらうさる
くだけたいわ おひさま

ぼくのなかのいろんなひと
こどものころのおかあさん
いつかしんだあとのおとうさん
にくらしいあのあいつ

みつけたらたのしい いろんなもの
あえたらうれしい いろんなひと
こわいゆめをみたあとで



→この詩すてきだなあと思ってずっととっといたんだ。ちっちゃい子どもが書いたんだよ。出典は忘れた。なんやよくわからんけど、なんかソウル感じました。

眠くねぇ

2005年7月22日
学校行った。レポートを書いて提出してきた。ほんと面倒で仕方が無くて一気に終わらせた。それからAにマンガ貸してあげた。10冊くらい。持ってくの重かったわ。でもAやKSさんにはどんどんマンガ貸してあげよう。だって僕のすきなマンガ、あいつらもすきそうなんだもん。 S氏がR−SOMAのホームページみたって。いや〜しょうもないだろうなあでも僕らの地域ゴミュニティーは素敵ですよお。日記もみてくれたって。いや〜はずかしいな。嘘でも、尊敬するS氏が面白いって言ってくれて嬉しかったわ。S氏みてる〜?僕はこんな人間なんです。幻滅しましたか?でも友達でいてね。それから他の人たちには教えないでねきわどいから。特にBちゃんにはね。殴られるから。

プロ野球オールスターで清原がホームラン打ちました。西口がストレートしか投げないから打てて当然。出来レースですよ。その後のバッター前田さんにはがっつりスライダーとフォーク投げてました西口。天才西口はしかし不幸そうな顔してるな。

ファミレス行きました。しかし勉強道具を忘れました。読書して帰りました。何やってんだ僕は。
マルボロをふかしながらブツブツ呟きながら深夜ぐるぐる公園を自転車でまわっていたら、警官に呼び止められました。そりゃ怪しまれるよな。

暑ちぃ

2005年7月21日
本を読んだり、レポートを書いたり、小説を読んだり、図書館に行ったり、パスタを茹でたり、散歩したりしました。あと本屋行ったりマンガ読んだり相撲観たり。ようするにだらけてた。こう暑いとだらけちまうなあ。酒を飲むとよけいだらけるから今日は飲まない。家にいても猫がうるさいし、親父がいて気が散るし、またファミレスの出番が来たようだな。

自殺を考え、トカトントン。

我在る今

2005年7月20日
今日は学校行った。あのM君に会って少し話した。その後帰りに品川でコーヒー飲んでまた少し話した。業界大手に就職が決まったM君。コネだよとか言ってたけど、彼の実力なら特に不思議はない。僕が認めるくらい彼は優秀な頭脳を持ってるし、大人の考え方をしてるから。マジメで切れ者な人ですから。社会不適応者の肩書きを持つ僕なんかとは、まさしく対極にいる人なのだ。それでも親しい付き合いが続いてるってのは面白いな。対極故にどこか通じ合うのかもね。
そんで、彼と話してて、わかった。確実にわかった気がした。こういう人こそが僕の対極なんだってことが。だから、おのずと自分が見えてくるこの感じ。自分がどこにいるのかが。何をしているのかが。なんかわかんねえんだけど、わかったのだ。 これが鏡の中の自己ってやつだろうか。確かに我思う故に我在るんだけど、でも一方で、自己は他者が規定するのだ。
スーツ姿で溜め息をつく彼は、誠実に生きている。これからはしがらみと経済社会の中で生きていくのだろう。自分の時間と労働力を売り、そのかわり彼はキャリアと賃金を手に入れる。大型二輪の免許を取ってツーリングしたいらしい。乗馬もしたいらしい。一軒家を構えて結婚もしたいらしい。僕はどれもしたくないな。ウンザリしちゃう。こういうのってたぶんルサンチマンだけじゃない。僕自身がなんかそういう生き物に、いつからかなっちゃってる。人を羨ましいとも思わなくなっちゃってる。傷つきもしなくなっちゃってる。どうしたってそれが僕なんだけど、でも、恐怖してこそ人間なのかもしれないとも思う。僕は逃げてる。恐怖からじゃない、勇気からだろう。登らないことで、乗り越えることをやめようとしてる。だけど、僕がよじ登りたくなる壁ってどんなんだろう?
いまが一番生きてて僕は楽しい。

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