教職講演会

2005年12月6日
大学ばれるな。まいっか。
今日は、毎年恒例の教職課程の講演会をききにいきました。講師は藤田英典先生というすげー大物。教育社会学系では知らない人はいないだろう。あの教育改革国民会議のメンバーでもあったお方だ。本は数冊読んだが、いわゆる反政府側の第一人者ってかんじか。 去年はあの広田照之だし、一昨年はなんとあの苅谷剛彦。その前は佐藤学。どれもこれも教育系では名のある超大物ばかりだ。どの人の本もどれかしら誰もが読んでる。M先生の人脈ってホントすごいんだなと思った。
講演は興味深かったけど、内容を詰め込みすぎてて時間切れで勿体なかった。もっと聞きたかった。でも概論って感じだったな。うちの親父に聞かせたかったな。
HとSTさんはいたけどあと知り合いは誰もきてなかったな。感想交流したかったのにな。でもMNさんが一人できてた。この人やっぱソウルってるかも。

TGとITとMZとNK君とで軽く飲んで帰った。彼らはソウル的にはあまり魅力を感じないけど、最近は色々勉強させてもらってる。すきでもないし嫌いでもないけど、いいやつらだ。コミュニティーはすきだ。

最後の最後まで僕はソウルをコラボレーションするんだ。心臓を、動かすんだ。終わりは近い。今やっと気づいたことって多すぎる。卒業したくないな。小中高ってドブみたいな卒業式でそんなこと思ったことなかったのにな。

それは恐怖ではなかった。ただ悲しみが涙を落とさせていた。(『good-by-by』)
卒論の傍らブログは自由に書きまくります。卒論は20000字以上書かなきゃいけないんだけど、このブログの下流論シリーズは15000字いったよ。なにやってんだ僕は。SK兄さんの卒論に役立ててあげようかな。
下流論シリーズも残り僅か。「下流」とtakebonoの運命やいかに…。くほほ。興味深くねーなあ。

「テレビ番組視聴の階層性」について。興味深いデータ。「上」ほどNHKをよく観る。「下」ほどフジテレビをよく観る。えー僕はどっちもよく観るぞおい相撲NHKだしよー受信料は払わねばならんなあ相撲ファンは。

次は「政党支持の階層性」について。これは世代でだいぶ違う。
自民党…まんべんなく支持獲得。「上」も「下」も自民支持。さすが日本。さすが大衆党。興味深いのは団塊ジュニア世代では「上」ほど不支持。あらゆる面で若さだな。若い野心家どもはもう腐れ伝統政党を見限っているのかもな。
民主党…これまたまんべんなく支持獲得。団塊ジュニア世代「上」は自民より民主支持の傾向にあるということ。烏合の衆政党。
公明党…団塊世代以降の「下」の支持を伸ばす。さすがエセ救済宗教党。
共産党…団塊世代以降全く支持皆無。おいおい中高年しか支持してませんよ。
社民党…共産よりは幅がある感じ。没落末期の元大政党。さすが団塊世代「下」には人気。
支持政党無し…相当数いるんだこれが。日本における政党の存在価値なんてこんなもんなんかなあ。若い人ほど政党離れが酷い。まーこれじゃ政治が変わるわけないわね。しかしなんて多いのだろうね。
政治のことなんか書けばきりがないなあ。政治家は「下流」問題を何とかしてください。

「東京都内の階層性における住居の棲み分け」というのも取り上げられてて興味深かったんだが、読み飛ばした。読んだ人は教えて。今後に役立てよう。
今日はこれまで。
“つづく”
『下流社会』を読み続けていて「あてはまるなあ」て思った後で書いています。今回はライフスタイルにおける階層論について。(一)のイントロで書いたtakebonoさんの理想とする低生産低消費型ソウルフルコミュニティー型ライフスタイルとかいうクソクズな代物は、まさしく「下流」生活そのものですね。S先生に説教されるのはTAじゃなくて僕であるべきだった。だけどM先生はそんな僕のことを「高等ルンペン」と言った。自分を無理矢理納得させるために僕はいろんなことを思考しているつもりはなかったけど。まだ見ぬ「下流」が僕にとって何なのか、飛び込まなきゃ見えてこないのは当然だけど、そのときはもう僕は下流へ流されてるのだろうか。

「趣味と階層性」について。
「あなたの趣味はなんですか?」の問い。まず団塊ジュニア男性。「PC・インターネット」はどの層でも多い。かつて「デジタルディヴァイド」とか言われたやつは、低所得者がPCを持てず、PCスキルの有無に差がつき、ひいては情報格差がつく、という懸念でもありましたが、「下流」社会は少し違う。接続料さえ払えば多様な娯楽を楽しめるPCは、むしろ低階層の趣味になっている。ハードを持っているかどうかのディヴァイドではなく、ソフトを使いこなし、目的に応じて活用できるかどうかのディヴァイドは存在するだろうけど、PCを所有し楽しむという点では階層差はないのである。むしろ趣味が「PC・ネット」は「下」ほど多い。 
「上」ほど多い趣味はやはり「旅行・レジャー」「スキー」「サイクリング」「ゴルフ」と金がかかるイメージのものばかり。うーだめなんだ僕はこーゆうの。 一方で「下」ほど多い趣味は「AV機器」「音楽コンサート鑑賞」「テレビゲーム」「スポーツ観戦」と、低消費とインドア傾向といえるかな。つうかtakebonoやっぱ近いな。僕はあと読書とサッカーが好きです。 階層性があまりない趣味は「PC・ネット」の他には「カラオケ」「ドライブ」「外食・グルメ」(行ってる店で差がついてんじゃね?とか思うが)

次に団塊ジュニア女性。「上」ほど多い趣味は「読書」「園芸・ガーデニング」「料理」etc…。高所得旦那を持つ専業主婦をイメージできるね。セレブか。 「下」ほど多いのは「音楽コンサート鑑賞」「楽器の演奏」「絵画・イラスト」「ダンス・舞踏」でした。 階層性があまりない趣味は「PC・ネット」「旅行・レジャー」「外食・グルメ」「ショッピング」でした。

総合的にみますと、「下」の男は「上」よりもAV機器を操作し、コンサートにでかけ、テレビゲームをし、スポーツ観戦をし、ネットをする。「上」よりも旅行やスキーやサイクリングやゴルフは趣味にしない。そしてどの層の男もカラオケとドライブと外食グルメをする。 単純に所得差が窺えるし、「下」ほどどこかひきこもりっぽいように思う。
次女性。「下」の女は「上」よりもコンサートにでかけ、楽器をひき、イラストを描き、踊る。「上」よりも本を読まず、料理をせず、庭をいじらない(庭なんて無いんだろ)。そしてどの層の女もネットをし、旅行し、外食グルメをし、ショッピングにでかける(やはり内容的に差はあるだろうけど)。 「下」ほどサブカルチャーに走るのは狩谷教授の説と対応してる。なるほど。でも料理とか読書とかはした方がいいな。

あてはまるよね。あてはまる。レジャーだめだしね。金のかかる趣味には縁がないし。協調性ゼロだし。それがどういう質のものなのかもわかんないくせに、やってみたくもない。つまんなそうだ。まるで埋まりそうにないのだ。
“つづく”

J・ソウルフル

2005年12月3日
2005Jリーグは遂に今日最終節!大混戦の優勝争いもいよいよ最終戦!TAは等々力にガンバの優勝を観に行ったけど、僕はセレッソを信じTV観戦。セレッソとガンバは多少きつい相手だから、5位ジェフまで優勝可能性は在りまくり。さあ!どうなってしまうのか!?

1セレッソ大阪   …勝ち点58(VS東京)
2ガンバ大阪    …   57(VS川崎)
3浦和レッズ    …   56(VS新潟)
4鹿島アントラーズ …   56(VS柏)
5ジェフ千葉    …   56(VS名古屋)

直接対決は一つもなく、勝ち点2の中に5チームがひしめく! ナビスコ杯を獲ったジェフはもういいよって感じ。レッズも今更気にくわん。心情的にはナビスコを落としたガンバか、長年takebonoが応援する小汚い鹿島アントラーズか。…いや、いやいや、セレッソでしょ!日本代表選手が一人もいないセレッソ大阪。昨年は降格争いまで繰り広げた弱小チームセレッソ大阪。我が愛するモリシがいる桜色のチーム。悲願の初優勝は、3年前に夢破れたときと同じホーム・大阪長居スタジアム。あぁあモリシにタイトルとらせてあげたいなあ。勝ちさえすれば優勝だ。長居に揺れる桜色。勝って桜よ咲き誇れ!

前半3分。西澤のヘッドが炸裂!セレッソ先制!1−0! 西澤さん、あんた英雄だよ。さあ今日もモリシが走る。どんなに潰されても愚直に走る。大すきよ森島さん。モリシ・西澤の往年のコンビは今も健在。絶対絶対お前ら!今度こそなんだぜ! しかし早すぎた先制点で若干浮き足立ち、再三FC東京の速攻サッカーを喰らう。前半20分。とうとう追いつかれ1−1!さらにPKをゼ・カルロスが外す!やはりセレッソは優勝に縁がないのかなあ。
前半終了。各地途中経過。レッズも鹿島もリード。どうやらセレッソは勝たなければ優勝はないようだ。モリシ、モリシ、がんばれ!がんばれ!

後半開始早々こぼれ球をまたも西澤が叩き込む!セレッソ勝ち越し2−1!西澤さん、やっぱあんたは英雄だ。その後FC東京の攻撃を守り抜くセレッソ。キーパーが抜かれた決定的ピンチもベテランDF柳本がゴールを死守。守る!守るセレッソ!守り抜けば優勝だぞ。マジで、優勝だぞ!残り時間10分。右足を痛めたモリシがキャプテンマークを古橋に託しピッチを去る。 守り続けてロスタイム直前!そして!一瞬僕がやばいなと感じドキンと心臓が音を立てた瞬間―。CKからのこぼれ球がシュートされ、ボールはセレッソゴールに吸い込まれていた。2−2。桜…散る。

等々力でガンバが勝利。劇的な逆転優勝。TV画面はその後ずっと、西野監督や宮本の涙を映し続けていた。宮本の夢は今日叶ったんだね。 セレッソの悲願そしてモリシの夢はいつ叶うのかなあ。モリシが現役中にはもうないだろうなあ。それでも僕はモリシがすきだよ。彼のサッカーは素晴らしいわ。

願いを叶えるチャンスってそんなにないんだよな。一瞬一瞬のワンプレーを僕も大切にしなきゃな。
J2はベガルタ仙台残念でした。入れ替え戦は甲府−柏か。Jリーグはすばらしい。今年も僕を震えさせてくれました。takebonoはサッカーがすきです。
さあ下流論も佳境です。

繰り返される論争。「個性」「自分らしさ」「ホントの自分探し」「夢」について。
団塊ジュニアの調査で、「生活の中で大事にしてること」で、「個性・自分らしさ」「自立・自己実現」が多かった階層はやはり「下」。労働収入は「自分らしさ」や「自己実現」に反比例してるんだな。自分を追い求める限りは困窮は仕方ない。そしてそれでよい。しかし同じ調査が団塊世代では逆の結果を生んでいることが興味深い。団塊世代は「上」の方が「自分らしさ」や「自己実現」を答えているのである。きっと働きすぎたんだよあなた方は。
『希望格差』でもあったけど、「下」の若者が現実逃避のために「夢」を持とうとするって話。そんなんもう最近は、いっちまえばいいやん、って思う。帰ってくる現実なんか用意しないで突っ走っちまえ、と思う。これも若さだろうか。自分らしく死ねばいい。
かの有名な東大の狩谷教授が言うように、勉強以外での自己能力観の肥大化による自主的ドロップアウトと「成功物語否定的」価値観の形成が、結果低学歴低所得につながるならば、やはり「下流」ほど「自分らしさ」に心中するのだともいえなくはない。〈自分らしさ派〉はその代償として階層意識と生活満足度を低下させていて、尚「夢」を見る。その夢を現実のものにするのは個々のソウル次第だが、困窮や無念を愛することができればそれでも素敵だと僕は思うけどな。
〈自分らしさ派〉は未婚率が多く、結婚してても子どもはいない率が高い。職業ではフリーターが多い。まあ予想通りです。雇用環境の悪化と産業構造の変化が非正規雇用を増加させ低所得者を生み出し、結果的に晩婚化と少子化が進み、相互作用的に〈自分らしさ派〉が生まれていったという感じか。決して「青い鳥」ではなく、現実を見てそれでも〈自分らしさ〉を追いたい奴は追えば良いと思うし、いくら問題視したって放置してるからしょうがあんめえと思うし、やっぱり自分らしく死ねれば最高だとも思う。自分が自分にどれだけ基づいているか試されるの、素敵だよ。

そして面白いのが最近流行りの「コミュニケーション能力」の有無ってやつ。この実に曖昧なスキルが備わっているかどうかで、「勝ち組」「負け組」が左右されるという論まである。総じて「下」では「コミュニケーション能力」が希薄な人間が多いとデータは示すのである。
「コミュニケーション能力が高い者は、よりよい就職をし、よりよい所得を得て、より恵まれた結婚をし、結果、より高い階層に属する可能性が高い。他方、自分らしさにこだわりすぎて、他者とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む若者は、結果的には低い階層に属する可能性が高いのである」(『下流社会』p174)

僕は人と話すのがすきだけど、「コミュニケーション能力」とは違うと言われるのだろう。モチベーション次第だけど人と仲よくなるのが得意だと自分では思ってんだけど、それも違うと言われるのだろう。でもなあ、隙間が圧倒的にすきだしなあ、人に話しかけるのすきだよ。愛想笑いはモチベーション次第ですね。リラックスしてるときほど無神経で無表情だよ僕は。ゼミもGWも社会運動も結局すきですよ。要するに僕にはゴミュニティーにおけるゴミュニケーション能力なら備わってるんだけどね。 なんでもそうだけど無理矢理測ろうとするよな「コミュニケーション能力」ってつまるとこなによ? 僕ゴミュニケーションの方がすきよ。生ゴミュニケーション。
“つづく”
2005年、結婚情報会社が新成人に実地した結婚意識調査で、「早く結婚したい」が女性で2年前より倍増。80年代以降、資格や技能などでの「自分探し」ブームで、「女」よりも「自分」に磨きをかけた上の世代を反面教師として、早婚と出産願望が強まっているそうだ。女性のキャリア社会参入は一方でこんな現象を生むのも頷ける。こんな不安定な世だから、最短距離でシンプルな安定こそ結婚という形だというのもわかる気がする。だけど今やパートナーとなる男も不安定社会に晒されているわけだから、将来性含め男はピンキリなわけだ。早婚も良し悪しかと思うがな。しかし今後のメガコンペティション時代というのは女性にとっては本当に男獲得競争時代になってゆくのかも。 「中」以上でいたいから結婚するの?結婚したいから恋愛するの?恋愛したいから「女」を磨くの?とりわけ「下流」女性にはがんばれとしか言えないな。愛は神秘であってほしい。takebonoはソウルラブを祈るよ。

というわけで今回はちょっとした番外編かも。「恋愛結婚の階層化」について。
「恋愛結婚率」(どうやって定義づけたのかしら?「お見合い」や「許婚」と区別したのかな)が、55年当時35%だったのが、75年には65%にまで急増したんだと。多くの人が恋のマイアヒーに目覚め結婚していったのだね。戦後民主化、工業化と都市化と大衆消費社会化、農民の雇用者化、家族の核家族化、高学歴化、総じて個人主義化か。身分も階級もお家も何かしらのしがらみもなく、中流化の時代にふさわしい結婚形式として「恋愛結婚率」は急増した。「駆け落ち」って言葉は今もあるのかな?家柄や階級を乗り越えた真の愛はとてもロマンチックだったろうなぁ。そんな「駆け落ち」を描いたドラマが多かったらしい70年代にピークを迎えたという恋愛結婚は、階層化によって自由恋愛が困難になってきた80年代以降から晩婚化という形で衰退が表れてきたのだとさ。はァ!?ほんとかよって。恋愛市場は複雑かつ拡大したけど、恋愛の機会は階層によっても制限されてるってことか。へェェ。恋に上等も下等もあるかよって。いや、あるとするならばやはりそれが「結婚」に帰結するときなんだろうな。じゃあ結婚を意識した恋愛は自由恋愛ではないの?確かに一流商社マンはパチンコ屋で働くねえちゃんとは結婚しねえだろうよ。キャリアウーマンは自分のオフィスの清掃員とは結婚しねえだろうよ。確率的で一般的でもっともな話だ。そしてもっともっと複雑だろうし。それに、人の結婚にも恋愛にも、何か意見するなんてことが僕に出来るわけがない。姉の結婚式も、TちゃんKちゃんの結婚式も、やっぱり嬉しかったから祝ったんだ。

あれだけ援助交際を煽り、既存体制の破壊を唱えた宮代真司も、20歳下の東大名誉教授の娘と「ふと目があって激震が走」り、彼女の父親に「うちはクリスチャンなので離婚はできませんよ」と釘を刺されながらもめでたく入籍したっとさ。階層性の壁の前に保守的な結婚をしたっとさ。いや別にいいよそんなん。それこそ「自由」なんしょ。 上野千鶴子がイケメン医師と結婚して専業主婦になっても別にいいよ。笑わないよ。
“つづく”
『週間ポスト』11月11日号特集が、小泉自民党に圧勝をもたらしたのは都市部下流層の若者たちだったのだと指摘。それを受け、慶大教授・金子勝はいつも通りの感じで言う。「下流層の人々は…改革という美名に踊らされているだけだということに気付いていない。もはや弱者は踊りながら殺されていくだけなんです」 ふぅん。

ではでは、引き続き筆者の調査データの考察より。「生活水準意識」では、ここ10年間で貧富の差にハッキリ勝負がついた観が窺え、また「貯蓄額からの階層意識」では、「上」は500万以上で「中」「下」は150万以下と、これまた貯蓄額と階層意識が密接にリンクし、二極化によって共に同時推移している観が窺える。では格差が拡大する中でライフスタイルには実際にどんな現象が起こっているのか。僕らのすぐ未来でもある団塊ジュニア世代にスポットを当てよう。

「結婚に見る階層差」が興味深い。男性の所得(共働きの場合は夫婦合計所得)と配偶関係の相関図を見ると、所得が上がるほど既婚率が上昇することは明らかになっている。経済的余裕が無ければやはり一般的に結婚は出来ないということになる。その%割合だが、150万未満では結婚の可能性はほぼなく、300万未満でも8%とかなり厳しい。300万を超えると30%と可能になり始め、500万で初めて70%と現実味を帯びる。700万を超えると90%、1000万を超えるとほぼ100%が結婚できるのだとデータは示している。「できちゃった婚」のような例外(でも実際にはこの例外が多いじゃないかよ!)を除けば、世帯の所得が500万以上になる結婚が求められていることもデータにより示された。あくまでデータではあるが、年収が低いほど結婚は出来ないという実態は近年様々な調査でアプローチされてもいる。

「階層意識と家族形態の相関」も興味深い。「下」に極端に多いのが「一人暮らし」と「パラサイト」である。ただしパラサイトにおいては男性の方が女性よりも「下」が多く、親と同居することに引け目を感じているのは男ほど多いといえる。男はそんな生き物だよね確かに。 女性は結婚家庭において25%が「上」であるが、男性は結婚家庭の中でも専業主婦と子供のいる世帯でしか25%を超えない傾向にある。女性は結婚することで階層意識を上昇させるが、男性は「俺の給料だけで女房子供を養っている」意識があって初めて「上流」気分を味わうということになる。なるほど。標準意識が強いのね。 「できちゃった婚」を除けば、所得500〜700万辺りが出産のラインらしい。700をキープしたいから出産をとりあえず控えてる「ディンクス」(子供のいない共働き夫婦)が多いと推測されている。なぜかというと、出産したら女性は仕事をやめるケースが多く、そしたら世帯年収が落ちるからだ。子供とリッチライフの間で悩むラインがこの辺なのか。 未婚パラサイト女性は加齢と共に「下」が増加するが、未婚一人暮らし女性は逆に「下」が減少する。未婚であることによる階層意識の低下作用よりも、所得が高まることによる解消意識の上昇作用の方が強いといえるらしい。一人暮らしを始められるくらいのリッチ条件の平均意識は年収400万くらいからで、そのラインが脱「下」ラインといえる。加齢は女性にとって恐怖らしいが、結婚と所得がそれをカバーする状況。30過ぎて未婚でも年収高けりゃハッピーと考えている女性も多い。「負け犬」って空虚だな。一人きりの楽しさだって大きな魅力だってこと。結局総合すると「結婚できないパラサイト女性が年を重ねても年収400未満」という状況が一番惨めだということになるのかな。これら全てはあくまで世間の認識パターンだがね。 

多様化社会の到来といわれ、確かにあらゆる社会的枠組みの形態は多様化してきている。まさに「ケータイ」の機種機能のようにである。だけど、価値観や意識は形態ほどには多様化していない。必ずしも「幸福の形」が多様化しているとは言えないという。現実を後追いしながら模索されている状況にあるのか。これを過渡期と言えるのかな。

「…現状では、最も階層意識と生活満足度が高いのはやはり裕福な男性と専業主婦と子供のいる家庭であり、次いで裕福な夫婦のみの世帯である。未婚でも既婚でも、一人暮らしでもパラサイトでも、子供がいてもいなくても、専業主婦でも共働きでも、同じような階層意識と満足度が得られるほど多様化した状況にはなっていないと言えるだろう。(『下流社会』p152)

だがしかし、僕はまた数字に表れないくだらないことを思う。「下」って答えるよそりゃさ。階層意識的にはさ。確かに理想の結婚モデル、家族モデル、職業モデル、生活モデルがあって、社会の変動がそれを破壊した上で「多様化」などと言われ、教育では「個性重視」「生きる力」などと言われ、階層意識は経済格差と共に二極化するんだろう。それを嘆いたっていいだろう。でもそんなこと初めからわかってたんじゃないか。多様だとか個性だとか自己責任だとか、わざわざ奨励されなくても批判されなくても、僕らはアフターバブルの申し子として、破壊された幸福モデルの破片を踏み潰して生きてゆくことしかできないんじゃないのかってさ。「幸福の形」にこそ今の僕は気が滅入るしさ。「上」でも、そしてそうじゃなくても、僕は幸福とか不幸とか未だわかんないんだよ。そしてそのまま「下流」へゆくの? うーん。なにが「上」だよ。寿司じゃあるまいしよ。
“つづく”
「下流社会」が何やら注目されているね。ベストセラーなんだって。知らなかった。世間での捉えられ方は必ずしもマイナスというわけでもなく、『SPA!』11月29日号特集「楽しい『下流社会』の歩き方」(「地球の歩き方」みたいじゃね?)では、「中流にしがみつくことなく、何かを捨てることで楽しい下流ライフを謳歌する人々急増中!」として下流人を取材し紹介。例えば、もともとは短期滞在の外国人旅行者用だった一軒家をシェアするゲストハウスに「満員電車に詰め込まれた中流社会に嫌気がさした人」が転がり込むようになって、今や利用者の7割近くは日本人なんだと。世も末だね。

今日は階層意識調査の統計から。世代別で見ると階層意識は年を追うごとに「中」が減少し「下」が増加してきてるなあという印象を受ける。とりわけ団塊ジュニア世代といわれる層は、階層意識をガンガンに下落させている。団塊ジュニア世代は丁度うちの兄の世代で、まあ僕らも含んでいくのだけど、兄貴に階層意識を尋ねたらやっぱり「下だよ下、ゲゲゲ」とか言いそうだ。厳密に言うと兄の世代は真性団塊ジュニア世代(厚生労働省「人口動態統計」より。団塊世代が実際に産んだ子供の比率が最も多い世代。団塊ジュニアが大体70〜75年生まれに対し、真性は大体73〜80年生まれとされている)とも呼ばれ、学生から社会人への移行期に大きな景気後退に遭遇した世代であり、落ち方が顕著だとも言われている。 こうして見てみると団塊世代や新人類世代はやはり上昇意識があってしかも安定した「中流」だったんだなあと思うし、団塊ジュニアの僕らはその恩恵を多少なりとも受けてきたんだなあとも思う。豊かさを既に知り、不安定社会の到来も知った今の僕らが、将来の消費生活の向上なんて確信できるわけがないのだ。そこで「希望格差」ってやつも生まれているんじゃないか。

団塊ジュニア男性の80%が「今の日本の社会は所得格差が広がっている」と感じている一方で、60%が「成果主義・能力主義」には賛成。しかも「下」ほど多い。「年功序列・終身雇用」支持は15%。特に「下」でやはり少ない。「下」には終身雇用の恩恵を受けていないフリーターや契約社員が多いせいだろう。救えねえなあ。
他方、団塊ジュニア女性の75%が「今の日本の社会は所得格差が広がっている」と感じており「下」ではなんと95%。女性の方が就労の関係などでやはり深刻なのかもしれん。64%が「成果主義・能力主義」には賛成。でも男と違って「上」の方が多い。キャリアウーマンはやはり男性に対抗意識があるのだろう。「年功序列・終身雇用」支持は僅か6%。「上」ではゼロ。女性は年功序列・終身雇用の恩恵に溶していないので全く評価してないのだ。特に「上」の女性にとっては雇用システムは憎むべき男性社会の壁だもんね。主婦だって、高所得の旦那なら成果主義の方が有利と見てるのかもしれない。

以上のように団塊ジュニア世代においては、正規職員を中心とする「上」では…無能な上司や男性社会の壁を破るために、非正規職員を多く含む「下」では…正規職員への嫉妬から、「成果主義・能力主義」が支持されているといえる。面白いな。

「成果主義の中で勝ち続ける者とそうでない者の差は大きく開く。もちろんフリーターとの差はますます拡大する。とすれば、その格差の拡大=下流化をどこまで冷静に受け止められるのかが大きな問題になるだろう。子供がいて住宅ローンもあるのに成果が出せないで給料が下がる人はどうするのかという問題も拡大するだろう。そうなれば、未婚化、少子化はますます進むであろう。結婚して、子供を産んで、平凡に暮らす、そうした普通の「中流」の生活が、どんどん難しくなっていくことは、どうやら間違いない」(『下流社会』p114)

団塊ジュニア世代の僕らは、既に切られたゴールテープを前にして、今何に向かって走ればいいのだろ。走り続けてきた団塊世代がリタイヤ後に自己を喪失するように、僕らも少し戸惑ってやしないかい。トラッキングにしたってレーン自体がないような気がして、走る前から戸惑っている。ニートを笑えない。核戦争が終わるまでは地球は回ってるような気はするけど、僕らのスタートラインが既に失われていて、やはりこのトラックでは未来に期待できないだけに走り甲斐がなく、走る動機付けも生まれてこないんだ。やっぱり「下流」に落ち着いていくんかなあ。
“つづく”
M先生に会いに行った。こないだ書いた文章ほめられちった。嬉しかった。まあでも誰でもほめるからなあの人は。でもあれはホントにほめてくれたんかもしんない。ダメ出し部分を明日もらうけど楽しみだ。僕の文章どこまで読んでくれたんだろ。 そして僕は人にほめられるのに慣れてないんだなあと思った。それも先生にほめられることなんかやっぱなかったからなあ。先生にほめられて嬉しいなんて小学生みたいだけど、やっぱり嬉しかったな。僕の衝動。僕のモチベーション。卒論に全力投球したいけどM先生にもアプローチしたい。どっちにしろ最後の機会なんだ。
その後実習から帰ってきたS氏と遅くまで話し込んだ。相変わらずいいやつだな。
こうやって人は人から何かを得て、そして道を選んでゆければすてきですね。僕の脳も心臓も一つずつしかない。セオリーなんてないんだ。次も無いんだな。僕には僕しかなく、君には君しかない。かすめればいい。互いの基盤をかすめて放たれればいい。ラストはいまこのとき。エンドはその向こう。いっちゃうぜーtakebonoっ。

琴欧州史上最速大関昇進確実。黒海、露鵬、白露山ら同じ白人力士に先んじて彼が大関になれるのはやはり相撲技術のおかげ。あのフィジカルにあってあの四つ相撲技術。外人力士によく言われる「馬力を生かした相撲を」なんていうのは、逆に言えば外人力士に伝統的な相撲技術なんてできない又はやらせたくない、みたいな感じが今まであったのではないかって思うくらい、琴欧州は相撲が上手ですよ。 まあ黒海は筋トレはしているようだが相撲の稽古はあまりやらないらしいからな。だからあんなに力をもてあましながら負けるのだ。黒海よ相撲をなめるな。相撲を知れ。相撲の恐ろしさを知れ。そうすればもっともっと強くなれる。来年は絶対本場所を見に行くぞ。

それと今日S氏とも話したけど、大晦日チャドがボビーに敗れるようなことがあれば、takebonoは2006元旦から失踪するよ。またはひきこもるよ。
グレイトフルサンデイ
週末の青空の下のスポーツの後でT氏の部屋でまたまったり。途中買い物に付き合いました。ケトルやら耐熱皿やら。包丁は高いと思った。徐々に家具や台所用品が整い、日に日に一人暮らしがそれらしくなっていくT氏がすてきです。相撲やらビールやらヘブン美濃輪やらじゃがバターやら枝豆やらホントごちそうさま。

今日の僕ら、グラタンを作りました。ハプニングなんてなんのその。いつものことだろあっちっち。いまみたら指軽火傷。
忘年会も楽しくまったりやろうね。ラララソーマ。ルルルソーマ。
昨日の朝生で『下流社会』が早速取り上げられていましたね。久しぶりにスピードに乗ってるぞtakebonoさん。 朝青龍前人未踏の七連覇・年間完全制覇・相撲記録年間83勝。伝説を超える伝説の誕生にtakebonoさん震えた。

では、前回は階層化による企業戦略など生産者側の動向でしたが、今回は階層化による消費者側の分裂を見ていこうと思います。 まずよく言われる男女別の展開論だが、僕は男性だし女性の意識や立場は実際よくわからないということを前置きしておきながらGO。
まず女性における階層論。まあ要するに、階層化+雇用機会均等法以降の女性の雇用市場参入が、女性の生き方を多様化させて格差も拡大してるっていう、ありふれた話。筆者は女性の階層文化を類型化してたけど、くだらなかったし大体イメージできたので端折る。要は所得と家柄とキャリアと結婚意識と教養と将来展望と消費文化の格差の類型です。
「現在、女性の格差が拡大している。それはかつてのように、夫の所得の多寡に帰せられる格差ではない。自分自身が稼ぎ出す所得、その背景にある自分の学歴、その背後にある親の階層、そして自分自身の性格、容姿など、様々な要因によって形成されるライフスタイル全体の格差である」(『下流社会』p69)

かつて女性はただ女だからという理由で女らしくあることを要求され、女であることだけを理由に共同戦線を張れた。その後台頭するジェンダーやら男女平等やら女性の地位の向上やらによって、性差別は撤廃に向かい、女性は一人の「個人」として尊重され、学歴、性格、容姿など全ての要素によって評価され、選別され、差別されるようになった。多くの選別要素は純粋に個人の能力と努力だけの産物ではなく、親の階層や、運にも左右される。 女性同士の差別や格差拡大や戦争なんかもう起きてるよ。もう男女差別なんて主張してる場合じゃねえんだよ。

さて次は男性における階層論。女性に比べてドラスティックな変化こそないが、それでもやはり立場は似たようなもの。親の所得階層と階層性に基づく生活と価値観によって規定される「個人」が、当然二極化を起こしていくという流れ。よくTVに出る放送大の宮本みち子は、90年代以降の高卒者自動的就職システムの崩壊が、弱者としての若者の増大を引き起こしたのだと語る。
「しかしもちろん、若者の全てが弱者に転落したわけではない。結局、若者が弱者と強者に分裂、二極化したのだ」(『下流社会』p73)

高階層の親の下での教育環境では、教養文化と機会が保障され、学歴やよりよい職をやはり得やすい。一方で低階層の親の下での教育環境では、高い教養文化や充分な機会は多少なりとも制限され、低学歴や職を得にくい状況になりやすい。至極当然な話。 就職後の状況も昔とは違い、同学校卒同学歴でも30歳くらいで給与格差がつき始める今日の競争社会では、ガンガンに過労しレールに乗り続けるか、マイペースでの適度な昇進でよしとするか、態度決定をせねばならない。その態度決定こそが男性における階層文化を類型化させる。
筆者の類型化はやっぱりくだらないので男性も端折る。要するに所得と出世志向と消費文化の格差の類型。

男女ともに出来すぎたインタビューが載せられておりなかなか興味深い。なるほど同じ年齢でもだいぶ階層化が進んでるんだなあと思う。年齢はもう関係ないんだね。所得格差もそうだけど文化もだいぶ違う。まさに多様化時代だ。僕なんか確実に「下」だろうな。既に決定しちゃってる。自分でもそう思う。そしてそれで別に悪い気はしない。そしてそんな考え方が既に「下流」なのだろうかなとも思う。

遅ればせながら「下流」の定義。
「「下流」は「下層」ではない。…基本的には「中の下」である。食う食わずとは無縁の生活をしている。しかしやはり「中流」に比べれば何かが足りない。例えば60年代にTVがない家庭は「中流」とは言い難かっただろう。しかし現在は下流でもDVDもPCも持っている。単に物の所有という点から見ると下流が絶対的に貧しいわけではない。では「下流」には何が足りないのか?それは意欲である」
「「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ」(『下流社会』p7)
“つづく”
戦後日本の高度経済成長から生まれていった「新中間層」。それは所謂サラリーマン家庭の増加。そしてそれはかなり多くの人たちが自分たちのことを「中」と感じるような時代。そんな日本社会らしい日本社会が近年崩壊していくという。圧倒的多数であった「中」は、「上」と「下」に分裂することで減少していく。だけど決して餓死者が出るようなことはない。

金融広報中央委員会(事務局・日銀)が発表した最新の調査で、「貯蓄を保有していない」と答えた世帯(除単身)の割合が全体の23%であった。これは53年の調査開始以来、過去最高の数字だという。現在の日本の景気は回復基調にあり、全体平均の金融資産保有額は前年比で増加してるが、より多くの世帯の実感に近いとされる「中央値」てのが減ってるという。つまり全体の貯蓄平均は増えてるのに、多くの家庭では「貯蓄は減った」と感じていることになる。これ一体どういうことか? 「統計の誤差の範囲の動きで、格差が確認できるほどの変動はない」と、同委員会は言う。
所得格差の不平等度指数である「ジニ係数」の増加はもちろん、90年代に入ってからは人々の意識にも明確に格差が表れてきたと筆者はいう。かつてどの収入階層でも階層意識に差が無く、半数以上の人が自分のことを「中の下」と回答したが、95年調査では上層20%の人たちの半数が自分のことを「中の上」と回答している。バブル後には「中の中」が減り「中の下」と「下」が増大。戦後の大衆消費社会が作り上げた国民過半数の「中の中」意識に解体がみられ、その分「中の下」「下」が増えたと見られている。一方で「中の上」は10%前後を維持している。全体は下降傾向にある中で、上層意識の%は維持されている。これ一体どういうことか?

「上」と「下」への二極化が進んでいるとして、それは消費社会に何をもたらすか。これまでのように国民の多くが中流を目指すため或いは中流であることを確認するための消費をしなくなることがいわれている。中流であることを象徴するようなものはもう売れなくなるのだ。いやそもそもそんなもんあるのか?僕がいま周りを見てみると、TVがありPCがありDVDがある。マンガがあり本があり大量のカップ麺とペットボトル飲料がある。近所に図書館とコンビニとレンタル店とサッカーできる場所があれば、中流でも中流でなくても僕は今のところあと何も欲しくない。こんな意識がそもそも豊かな時代後に生まれた僕らの考え方ではないのかな。第三次産業における過度なサービス精神すらうぜえと感じる僕らのようなアフターバブル世代が、構造改革の遅れと共に不況をキープしているのかもね。 物が売れなきゃ死ぬしかない企業はそれじゃ参る。リストラだけじゃ限界が来るし、価格競争でも限界が来る。「一億総中流」期には中流トレンドだけを追い、中流向けの商品を大量生産してきた日本企業は、「中流」が解体する今、階層別商品生産計画を立てねばならなくなっている。二極化が進む中で、中流社会モデルのままに経営を続けた百貨店業界は軒並み敗れ去っているのだ。

「財布に金が無えんだよ。買えるわけねーだろが。そんな高え品物無理だろが。ボケが」って人が多分どこにでもいて、もちろんそれは「下」の人たちで、だからユニクロ現象とか起きたりして、結局デフレとか言われたりして。「中」が減る中で「中」に向けて商品を売っても売れないし、「下」に向けて売っても儲からない。じゃあどうすっかって。「上」の人たちに「上」の物を買わせればいいじゃんよ。もっと言えば、商品戦略を階層化するってことだ。膨大な中流のために大量の物を売る時代は既に終わり、利益の最大化は新しいビジネスモデルへのシフトになった。

2003年新宿伊勢丹メンズ館は高級化路線に転換。百貨店といえば中流の部長・課長へ向けた紳士服売場であったがそのスタイルを改め、まさに「上」に向けた差別化によって生まれ変わった。 世界観の狭い僕の周りでも、六本木ヒルズが登場したし、億ションが結構売られていってるらしい。金はあるところにはありやがるのだ。ちっとも不況じゃない。 トヨタは8月、「一部の富裕層」に向けてレクサスを投入。55年体制の始まりとともに登場したトヨタクラウンは、「カローラ、コロナ、いつかはクラウン」という典型的階層上昇型消費モデルの象徴であったというが、レクサスは「いつかはレクサス」なんかでは当然売られやしないだろう。 僕は一連の市場メカニズムの蠢きを賞賛すべきだろうか。わからないけど、どこからか取り残されていく気がするのは、僕が「下」だからか?それともtakebonoだからか?
“つづく”

敗北知りたくない

2005年11月24日
体がガクガクだ。
起きれなくて2限の教職ゼミに遅刻。今日は共同研究の中間発表日だった。ギリギリ間に合って発表。いちおうレジュメも作ったけれど、口頭でいいやろと思ってたし、中間なんだからそんな大したこと無いやろと思ってたのが誤算。頭が痛かったので誰かにやってほしかったけどやっぱり発表者は僕。突っ込まれまくった。H先生はここぞとばかりに痛烈に突っ込んでくる。定義概念を社会学辞典と教育学辞典と心理学辞典から引っ張ってまず比較してから〜という僕の案に対し、「ああ安直にいくのね」とチクリ。そして「じゃあ哲学は哲学辞典を読めばわかるもんなのかね?」とグサリ。くっそ。イチャモンに近い気がするなあ。でも自分の力不足は否めない。グループワークもなんか結局「takebonoさん待ち」みたいのがいやだなあ。僕が今日間に合わなかったらどうなってたんだ?まいいか。
MZとTGとMB君とで昼御飯。いつものバカメンツだなぁ。
頭痛てぇのに午後は延々と勉強。

6限にMNさんとEつんと総合演習の打ち合わせをしました。図書館の談話室ってレベル高えな。法学部が判例を議論してた。僕らは抽象的な議論を繰り返したが、形は見えてきたかも。もう一度M先生の所へ行くしかないな。90分短かった。MNさんもEつんも理知的に話すのが素敵だからだ。教養の差かな。

今日の相撲は学食の下のテレビでみました。学校来ててもあそこで観れるんだな。卒業間際に知って残念。朝青龍マジ強いわ。遂に明日で相撲記録か。伝説が伝説を超える。琴欧州、大関をそして先場所までの悔しさ全てをかけて、あの横綱に一矢報いよ!

「強さとは何か」をEつんと話してて、ヒョードルやヒクソンや朝青龍しか思い浮かばなかったけど、いろんな「強さ」の中で、とりわけ自分以外の誰かを守るためや、自分の欲望を超えたような所にある何かを守るために、人は強くなるような気がする。精神的なものとしての「強さ」。 だけど帰りにコンビニで『チャンピオン』を立ち読んで『バキ』で遂に、バキVS地上最強の親父!!震えた。純粋な肉体的戦闘能力としての「強さ」にロマンを感じるのが男の子です。 それでも勇二郎はマホメット・アライ(モハメド・アリ)を尊敬していると言ったっけ。「強さ」かあ…。

ガクガクで帰ってすぐ寝た。あとは明日明日明日。。
だらだら書き綴る学問の時間再開。栃乃花三年ぶり幕内勝ち越しtakebonoさん涙。

前回イントロ。それでは本題。 戦後日本が作りあげた「一億総中流」社会と呼ばれる(あくまで意識上の)平等社会が、今後解体されてゆくという話。「格差拡大社会」だとか、「二極化社会」だとか言われ、これからの日本社会は確実に人々の生活実態と意識の両方共に格差が拡大してゆく傾向にあるらしい。つまり貧富の差が拡がってゆくのね。所得及び意識が格差化・二極化してゆくのなら、これまでこの社会ではあまり意識されてこなかった「階層」という概念が、今後は社会問題になってゆくのかもしれない。こんな豊かな国でそんなことがもし起こるとするならば、やはりそれは消費社会面において顕在化すると思うのです。現実に僕らはそんな時代をこれから生きてゆくわけですから、実に身近だなあって思うんす。

横山源之助の名著『日本之下層社会』は、日清戦争後の日本の産業革命期における新旧下層各層の生活・労働状態を、客観的且つ総合的に調査した社会学の古典。

「貧民はその生活に欠陥あると共に、知識思想の上においてもこれに等しき程度を以て、むしろその以上の欠陥を有す。即ち貧民は経済上の欠乏者たると共に、思想の上の大欠乏者たり。鮫ヶ橋・万年町の路地に住めるものにして、手紙を書き得るものとは言わじ、僅かに自己の姓名を記し得るもの幾人あるべきや。余輩はかれらが経済上の欠乏者たるを憐れむと共に、思想の欠乏者たるを憐れむこと最も切なりとす」(『日本之下層社会』p60)

「貧民と教育」という章立ての部分で横山氏はそう述べ、貧困と教育の相互関係を調査して論じました。庶民教育の是非がそのまま生活の貧富に繋がっていた時代だったのです。
でも現代は違うよね。みんな字書けるっしょ。そんで履歴書書けるっしょ。なんだかんだ言って義務教育が保障されていたのだから。現代において、死ぬほどの貧困とはなかなか出会うことがない。公園のホームレスくらいだ。
小さい頃、友達のお家などに遊びに行くとき、それぞれ小さい家もあれば大きい家もあったし、例えば家具であったり本棚の数であったりその家における教養レベルというか文化資本というかそういうものも目にしたことはあったけど、でも「金持ち」とか「貧しい」とかって序列あまり感じたことはなかった。お家バラバラでも、義務教育で同じ学校に通ってんだし同じことして遊んでたし、大人になれば仕事ついて結婚して、人並み以上の生活なんてものは誰にでも訪れるもんだと思ってた。そんな一見普遍的な意識自体が「一億総中流」社会だったのかもしれないと思うようになったのは義務教育が終わってからだった。

「格差拡大社会」?「二極化社会」?がやってくる?戦後日本が作り上げた「一億総中流社会」の崩壊が始まる?どゆこと?これからの日本の社会で貧富の差が拡がる?どこにそんなもんある?

新しい形での貧富の差(といえるんか?)が拡がっているという。特にいま新しい貧困層がこの社会に生まれてるのだという。それが「下流社会」と呼ばれる社会の出現なんだと。
というわけで、三浦展の『下流社会』を読みました。「下流社会」はこの筆者の造語。筆者曰く、階層研究における初の消費社会論なんだと。へぇ。

経済的な序列なんて感じたことなかった「一億総中流」社会がこれから壊れてってそして「下流」社会が出現する。そんなん実に簡単な理屈だ。 問えばいい。あなたは未だ「中流」ですか?それとも「下流」かな? イマジンすればいい。ある日、「上流」から大きな桃がどんぶらこっこどんぶらこっこと流れてくるのだ。それを見て初めて僕らは理解するのだ。あぁ!…僕らが今いるここは…「下流」だったんだぁ!…と。そんなかんじ。

この国はこれから第2第3のホリエモンを生む。そしてその倍の倍の倍の……倍くらい、低所得者やフリーターや失業者やホームレスや犯罪者を生む。それが良いことなのか悪いことなのか、問う暇もなくこの社会はその流れのように流れてゆく。そして僕は間違いなくその下の方を流れてゆく。「現実を見ろ」と言われ続けて現実を見ていたら、なんだこんな状況だったんじゃないかよって。これが現実かって、思うだけだった。好きで下を流れるわけじゃない。でも上に流れていく動機付けもない。そんな考え自体がしかし既に下へ下へと流されている証拠なのだとも思う。「新貧民」は遂に具体的に現実化するのか。「下流社会」とは何か?それは単なる貧困ではない。現代の複雑な階層社会を知るためには、「下層社会」を論じた横山源之助氏のように、人々のライフスタイルに密着した消費論や文化論が必要なのだと思う次第でこんなこと書きながら思いめぐらしています。
“つづく”
今日は12月のグラウンドの抽選に行ったけど、確立二分の一を3連続ではずしました。もう…ガッカリ。不運に怒りさえ覚えるよ。あぁ、グラウンドでサッカーやりたかったなあ。

その後MNさんと一緒にアポなしでM先生の研究室へ。こうでもしないと会ってもくれないことをもう僕は知っている。M先生はやはり学生が牙をむくとまではいかなくとも、食らいついてくるのを待っているんだ。僕はM先生の目の動きを見逃さなかったぞ。手応え感じたぞ。ソウルが揺れた。M先生に初めて僕の文章を読んでもらえることになった。読んでもらえるならもっとちゃんと書けばよかったな。しかしどうだろ。どうくるMっち。こんな風に、最初からアプローチすればよかったんだよな。僕はバカだったなまたしても。それからM先生の6限を見学させてもらった。学生がバカみたいにうるさかったな。イラついたわ多少。

MNさんとは合間に色々話をした。とても理知的で素敵な人だった。最初から思ってたけど、少しソウルの香りがしました。久しぶりにtakebonoを語らせてくれて嬉しかったし、こういう出会いを久しく忘れてたからそれも新鮮だった。もっと話してみたかった。差異だ。差異こそがパトスとソウルのウエーブだ。ドラえもんも、GANTZも、そして僕も。マネー市場の為替相場みたいに、オフロードみたいにバウンドする起伏がそれだ。言葉を交わしたかった。夕飯にさそうことに戸惑うなんて僕らしからぬわ。
ピンクダークのBちゃんも、グレーダークのMZも、僕のことを指さして笑う。イカれてるのは君らの方だろうが。

仕方ないのとなりゆきとで、MZとTGと御飯を食べてから帰りました。多少笑えるからまあ居心地は悪くなかった。でもどうでもいいな。

山手線がトラブルで止まっている中、安吾を読みふける。あの人やあの人やあいつは今頃何をしているのかな。僕はあの頃の未来にちゃんと立っています。

クラシコの至幸

2005年11月21日
日付変わっても勉強してて、2時半頃コンビニ行って夜食を買い、朝4時まで勉強してた。大学4年が一番勉強してるなー。今になって色々なことを知り学ぶ。僕は今まで何を勉強していたのだろと思う。

クラシコまじすげえ。バルサ最高。
セレッソ遂に2位だ。モリシにタイトルとらせてやりたいなあ。
J2ではアビスパが遂に昇格リーチ。STさん喜んでたな。
何もかも輝いてる。ワクワクする。

朝遅く起きて昼から夕方も夜もずっと勉強するか本を読んでいた。合間に映像を眺めていた。こんな日もまたいい。歩けるときに歩けばいい。でも頭痛え。

僕ぁ、もういいよ。早すぎたものも、遅すぎたものも、全部優しく抱きしめて、いまこのときを生きればいいやん。世界も狂っていたし僕も狂っていたし君も狂っていたしそして誰も狂ってなんかいなかったんだわ。何度だって終止符を打ちながら、終焉と競争するだけさ。二度と戻れないからこそ胸を張って飛んでゆくべきさ。(「Elysium」)
今日はバドミントンとサッカーをして、T氏ん家でサッカーやら相撲やらカツカラやらを観ました。朝青龍やっぱ強ぇーなー。ビールなぞご馳走様でした。行政の効率化政策でもある「すくすくスクール」によって今や完全に活動場所を追われたR−SOMA。ピンチだな。まあでも年末は忘年会をやろう。神になったNさんを崇め直そう。

卒論にかかりたいのに、最近いろんなもんがかぶってる。僕がやらなければ動いていかないものも多いような感じ。時に全部を引きちぎりたくなる。クソッ。こんなんで終わっちゃいけないんだろが。がんばれがんばれがんばれ。

今日はリラックスできたわ。最近気ばかり焦ってたからな。しかし公園で腹筋するのっていいね。競歩はやめよう。

今日は寝ないで勉強するぞ。

infer-takebo-no

2005年11月19日
精神が不安定になるとき。心が動揺しているとき。自分でもわかるそんなとき。僕の場合、何故かソウルがそこから生まれてくる。おかしいよ。愚かな願いです。バカだよ。でも。不安定になれ。時々不安定になれ。崩れ落ちないくらいまでグラグラになれ。周期的に現れる闇こそがIDだった。覚めることを祈る一方で、悪夢の続きを見たがっている僕がいた。そうです。日の光でなんだか消え去ってしまいそうなんだ。気付いても見つけたくはない。悟られても見つかりたくはない。くだらない。自分を自分で動かせないくらい僕は怠惰だ。だがそれ故に僕の息は今日も白い。生きていたい。消えたくない。終わりが恐いんだ。ちっぽけな起伏よ、隆起よ、なだらかな傾斜よ、せせらぎのようなうねりよ、微かな響きよ、僅かに残った痛覚よ、思考しうる矛盾よ、カオス様よ、精一杯世界の足りない僕を生かしておいてください。僕を死ぬまで生かしておいてください。

無知の知よ

2005年11月18日
今日はゼミで卒業アルバムに載せる写真撮影をしました。つまんないゼミだったけど一応所属してるんでね。その後S先生の研究室で卒論の中間提出のを返却された。ボコボコに赤ひかれてたぞ。がんばんなきゃあ。

卒論を出したら卒業なんだな。ああ卒業したくないなー。いま一番楽しいのに。
教職課程のM先生が言ってた。今の大学は1、2年で一般教養をやって3、4年で専門科目なんだけど、そんなんで専門の学問が出来るわけがないと。スペシャリストではなくジェネラリストを作りたいんだってさ今の学歴インフレ下の大学では。本当に専門の学問をやりたいんなら大学院なんだってさ。企業は、大学3、4年で学んだことは全部忘れろと言ってるんだって。文系なんて特にね。経済学部とかならまだしも社会学部なんてね。大学での専門なんてまあそんなもんで、そういうことなんだろう。M先生や僕がいくら憂いたって、脳死学生は大量に生産されるし、それがある意味望まれてるんじゃしょうがないじゃないか。TGが半キレ気味で呟いてた。「大学1、2年が一般教養だっつうんなら、じゃあ高校までのは一体なんだったんだ?」と。

大学がつまんねえって、先に進学した知り合いとかからよく聞いてたから、ああそんなもんなんかなとか思ってたけど、僕は全然そんなこと無かった。超楽しかったよ大学。超楽しかったじゃん。
マンガしか読めなかった文盲takebonoさんはいつしか小説や本を読むようになってました。ゲーマーだったtakebonoさんはいつしかコントローラーを握らなくなりました。万年運動不足だったtakebonoさんがフットサルチームを作ってサッカーが大すきになりました。人間が嫌いだったtakebonoさんにも大すきな友達がたくさんできたよ。集団と協調が大嫌いだったtakebonoさんがコミュニティーを作り続けようと思うようになった。自分の無知と無力を知り、知と力の素晴らしさを知りました。大学は僕の人生を変えたんだよ。
だから、もう少しいたいなあ。離れるのが寂しくて仕方ないんだ。いつもいつも惜しむことなんてなくて何一つ構わず去ってきた僕だが、僕に無知を教えてくれた大学だけは、サヨナラを告げるのが寂しくてどうしようもない。寂しさってこういうことか。

2006W杯によせて

2005年11月17日
サッカーワールドカップ参加32カ国が決定しました。最終枠を奪い合うプレーオフでは、スペインが強豪国の意地を見せ勝利。チェコもカリスマ・ネドベドを代表復帰させてやっと勝利。 今回のW杯はオランダも出るので楽しみ。王者ブラジルのサッカーは僕を相当震えさせてくれるだろう。ジダンを緊急復帰させたフランスの優勝はあるのか。何よりもホスト国ドイツのゲルマン魂が見たい。英雄フィーゴ率いるポルトガルは素晴らしいサッカーを見せてくれるはずだ。揺れ動いているウクライナも悲願のW杯出場を果たし、シェフチェンコには大暴れしてほしい。イタリア・アズーリもやっぱカッコイイし、イングランドやスウェーデンもかなり素敵。そしてやはり我らが日本代表。サッカーの素晴らしさを。素晴らしいサッカーを。みんながんばってくれい。

4年の月日は短いですね。またあのサッカーワールドカップがやってきます。
前回のワールドカップ。予選最後の試合チュニジア戦。あのとき僕はNちゃんとうちで観てた。森島さんが叩き込んだあの先制シュート。あれはさあ、Jリーグの屋台骨を支え続けた男へのサッカーの神様からのプレゼントだったんだよ。中田や稲本のゴールなんてもうどうでもよかったんだよ。僕はそうあのモリシのゴールに日本サッカーの何たるかを見たのでした。そうなんだそれはJリーグだった。あのゴールには、日本中のJリーグファンの願い全てが込められてた。それが僕を震えさせたのだった。試合前日から不思議と予感があった。ワールドカップを決めるシュートは、Jリーガーが決めるんじゃないかって。それもモリシがやってくれるんじゃないかって。だからもう嬉しかったさああんときゃー。
日本のサッカーの在処はJリーグにこそである。Jリーグで育った実力派選手が次々ヨーロッパへ挑戦してゆく流れの中で、「生涯セレッソ大阪」を宣言したモリシ。今尚現役でピッチを鼠のように走り飛び回るモリシ。今はスペインリーグのマジョルカに行っちまったあの大久保も、かつてはモリシに憧れてセレッソ大阪に入団した。僕はアントラーズがすきだけど、そんなチームの枠を超えて森島寛晃選手が大すきです。Jリーグファンなら誰もが知ってる。モリシが何よりも日本サッカーを愛し、日本サッカーに愛されている男だってこと。みんなみんなモリシが大好きよ。モリシは、あんな小さいのにあんなに走り回るし、あんなに超カッコイイ奴だからです。華麗なテクニックやプレースキックや抜群のフィジカル力なんてものは神様は彼に与えなかったけど、だけどサッカーの神様はきっとモリシを見ていたんだ。「日本一腰の低いサッカー選手」で知られる心優しき男・モリシ。ああ一度でいいからタイトルを取らせてあげたいなあ。弱小チーム・セレッソ大阪はしかし今期は大健闘を見せただ今3位!残り4試合!でもね、アントラーズがね、優勝するねきっと。まあガンバにも取らせてあげたいが。

サッカーと全然関係ないけど、今日の朝青龍の強かったこと!凄まじい強さだ。今日の横綱の取り口、あれさあ、相撲ファンは唸ったはずだぜ。なんだあれ。言葉出なかったよ。何もかも違いすぎるよ。 あと琴光喜のふがいなさには期待してただけにガッカリしたよ。

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