つらつら
2006年1月15日借りたまま読めてなかった書籍。
録画したまま観てなかった映像。
書きかけの文章。
ふらふら散歩。
卒論が終わったのでそれら全て解禁。素敵な日。
不規則と酒が多かったせいか体重少し増。絞ってかないと。筋トレを。
少しずつ早寝早起きにシフトしてる。体調を戻すんだ。
愚かな僕は追いつめられなきゃだめだ。卒業までに何かできるかな。
録画したまま観てなかった映像。
書きかけの文章。
ふらふら散歩。
卒論が終わったのでそれら全て解禁。素敵な日。
不規則と酒が多かったせいか体重少し増。絞ってかないと。筋トレを。
少しずつ早寝早起きにシフトしてる。体調を戻すんだ。
愚かな僕は追いつめられなきゃだめだ。卒業までに何かできるかな。
ブルーダークの少年の記憶【Ⅴ】-2
2006年1月14日 エッセイ僕にとって学校教育は青黒い思い出しかない。自我が目覚めた中等教育以降はとりわけそうなんだ。
何もかもつまらなくて生徒会に入ったっけ。
それほど面白くもなかったけれど、結果的に暇潰しとなり学校をやめずに済んだからよかった。感謝してる。そういえばいろんな奴がいたっけよ。もう忘れちゃったけど。生徒会室はたまり場だったっけ。よくあそこで昼御飯を食べたり漫画を読んだりしたっけ。
部活もやったっけ。
色々なものを作ったっけ。部費で私物を買ったっけ。もっと動けたはずだけど、それでも結構楽しかったな。SJにも会えたしね。
そういや図書委員てのやってたっけ。本もあまり読まないくせに図書室がすきだった。もう忘れちゃったけど、外国の小説かなんかわけもわからず読みふけってたっけ。
学校の「勉強」も意味わかんなかったけど、がんばればテストの点は取れていた。でも全然面白くなかった。一学期だけがんばって点取って、二学期三学期は勉強する必要はなかった。
中等教育までのカリキュラムは僕に学力を保障し、僕を社会化した?結果ここにいる僕はみんなと同じように教育のなれの果てに立っているのかな?
卒論書く中で、教師存在は学校という社会階層選別機関におけるふるい分け作業と、「人間形成」としての教育作業の間でジレンマ起こすとか本に書いてあったけど、そんなことあったんかなあと思う。僕は普通に切られたような気がするんだが。教師は葛藤もなく僕を切り付けたような気がするんだが。
それでも、期末テストかなんかでテスト用紙に「授業あまり面白くないです」と書いて提出したことがあったけど、返却された答案には「いろいろ制約があって思うように出来ないのです」と書かれてた。僕はその言葉の意味を教育実習でやっと気づかされることになるのだけどね。
複雑でもないのだろうけど、単純ともいえなかったような。ちゃんとみんなと同じように生きることができるもんだと思っていたんだよ。僕自身が出来損なっているくせに、出来上がってもいないくせに、形だけを求めちまってた僕は。だからいつの間にか気付いて動いちまってた。何をすれば僕は楽しかったっけ?
なんか、僕次第で何にでもなったことに対して僕が無関心だったことが、結局一番青黒いの。ブルーダークなんだ。だからってそれは決められた答えじゃなくて、カリキュラムがとりあえず指しているもんでもなかった。もっと教えてほしかった。何にもわからなかったもん。理解できなくても語りかけてほしかったかな。僕聞く耳持ってたよ。
今回は学校の記憶を語ろうと思ったけれど記憶断片的すぎ。単なる独り言だこりゃ。もう忘れていいものなんだなあきっと。
あの頃聞きたかった言葉たちに今震えてたりして、ソウルってたりして。何万回でも行き来するコミュニケーションたちに僕はソウルを吹き込んでやりたいの。
【END】
何もかもつまらなくて生徒会に入ったっけ。
それほど面白くもなかったけれど、結果的に暇潰しとなり学校をやめずに済んだからよかった。感謝してる。そういえばいろんな奴がいたっけよ。もう忘れちゃったけど。生徒会室はたまり場だったっけ。よくあそこで昼御飯を食べたり漫画を読んだりしたっけ。
部活もやったっけ。
色々なものを作ったっけ。部費で私物を買ったっけ。もっと動けたはずだけど、それでも結構楽しかったな。SJにも会えたしね。
そういや図書委員てのやってたっけ。本もあまり読まないくせに図書室がすきだった。もう忘れちゃったけど、外国の小説かなんかわけもわからず読みふけってたっけ。
学校の「勉強」も意味わかんなかったけど、がんばればテストの点は取れていた。でも全然面白くなかった。一学期だけがんばって点取って、二学期三学期は勉強する必要はなかった。
中等教育までのカリキュラムは僕に学力を保障し、僕を社会化した?結果ここにいる僕はみんなと同じように教育のなれの果てに立っているのかな?
卒論書く中で、教師存在は学校という社会階層選別機関におけるふるい分け作業と、「人間形成」としての教育作業の間でジレンマ起こすとか本に書いてあったけど、そんなことあったんかなあと思う。僕は普通に切られたような気がするんだが。教師は葛藤もなく僕を切り付けたような気がするんだが。
それでも、期末テストかなんかでテスト用紙に「授業あまり面白くないです」と書いて提出したことがあったけど、返却された答案には「いろいろ制約があって思うように出来ないのです」と書かれてた。僕はその言葉の意味を教育実習でやっと気づかされることになるのだけどね。
複雑でもないのだろうけど、単純ともいえなかったような。ちゃんとみんなと同じように生きることができるもんだと思っていたんだよ。僕自身が出来損なっているくせに、出来上がってもいないくせに、形だけを求めちまってた僕は。だからいつの間にか気付いて動いちまってた。何をすれば僕は楽しかったっけ?
なんか、僕次第で何にでもなったことに対して僕が無関心だったことが、結局一番青黒いの。ブルーダークなんだ。だからってそれは決められた答えじゃなくて、カリキュラムがとりあえず指しているもんでもなかった。もっと教えてほしかった。何にもわからなかったもん。理解できなくても語りかけてほしかったかな。僕聞く耳持ってたよ。
今回は学校の記憶を語ろうと思ったけれど記憶断片的すぎ。単なる独り言だこりゃ。もう忘れていいものなんだなあきっと。
あの頃聞きたかった言葉たちに今震えてたりして、ソウルってたりして。何万回でも行き来するコミュニケーションたちに僕はソウルを吹き込んでやりたいの。
【END】
ブルーダークの少年の記憶【Ⅴ】-1
2006年1月13日 エッセイ学校って教育機関に行きたくないときはあったかな?そして行かなかったことはあったかな?
今回は、takebonoが忌み嫌い続けた学校教育にまつわる青黒い話。
◆
卒論執筆期間に、今更と思いながらも教育社会学うんたらの本を読んだ。特に藤田先生の著書はまとまっててよかった。読んだ後にそしてどうでもいい記憶を思い出した。
「君たちはね、労働力なんですよ」
社会科公民の授業中にその教師はそう言った。ほとんど授業と脈絡なかったと思う。誰も意味がわかんなかったと思う。教科書も開かずにボーッとしてた僕はその言葉で顔を上げた。教師は無表情で黒板にチョークを走らせてた。
生活空間の中で得うる全ての情報知識とは別に、学校という近代教育システム機関においては、極めて限定され選別されぬかれた所謂「教育知識」が扱われるわけだが、それがいわゆる「勉強」なのだけども、産業社会面と国民社会面あるといわれ、初等教育ではどっちかってっと国民社会面の国民性とコミュニティ性だとか、そんなもんの重視らしい。そういや小学校ってのはくだらない雑務役割分担がやたらあったっけ。中等教育では産業社会面にシフトしていって、適応力や分業能力とかそんなもんが重視される。で高等教育では産業社会の専門分野になってゆくわけだ。
そう考えると教育とは納得ゆくものだった。行っても意味がないと思ってたあの学校教育には、意図された意味がちゃんとあったのだ。そいつをちゃんと僕に伝えてくれればよかったのに。
あの頃、僕は遅刻常習高校生で、本当によく遅刻をした。1時間目が始まる10分くらい前までに校門入らないと門閉められちゃって「遅刻指導」とかで、その場で朝っぱらから説教を聞かなければならない制度になってて、それがうざすぎた。大体何でみんなそんなくだらないこと茶番みたいによくやってられんなって。だから僕は遅刻しそうなときはうんと遅れて登校した。わざわざ10分遅れで「遅刻指導」なんてバカみたいだからだ。先生だって忙しい日々の業務の中でそんなことする必要ない。みんなして1時間遅刻して登校すれば済むじゃんって思ってた。
そんなことを続けてたら、あるとき担任に朝早く職員室に会いに来るように言われた。そしてわざわざ朝っぱらから職員室に会いに行ったら、遅刻多過ぎることについて尋ねられた。
「学校に来る意味が無いような気がするんです」と僕は言った。本心だ。
「じゃあ帰れ!」と担任はキレた。
大人げないな、と思った。こっちが下手に出てりゃキレやがるんだいつも。中学の時の教師もそういえば僕に、帰れ!ってキレたっけ。デジャブだこれって思った。しかし何かしら答えてくれたっていいのにな。話し合いの余地ないのかよって。そしてなんかすごいめんどくさくなった。イラつくの通り越して。帰るのもめんどくさくなった。大体さー朝来たばっかだろお前が来いって言ったからさー、帰れはないだろ。朝職員室に来たおかげでその日は遅刻がつかなかった。せっかくだから早退もしたくなかったのでした。
その後は教師も何も言わなくなった。僕は進級がやばくなるまで遅刻を繰り返した。
もう1時間目始まってんなーとか考えながら漕ぐ自転車の上で、僕は風を受けながら凄まじくリラックスしていた。あの意味のない時間がすきだった。無意味とされてるものって僕には生産的だったみたいだ。どうしてもあの頃の僕にとって教育は意味が無かった。
【つづっく】
今回は、takebonoが忌み嫌い続けた学校教育にまつわる青黒い話。
◆
卒論執筆期間に、今更と思いながらも教育社会学うんたらの本を読んだ。特に藤田先生の著書はまとまっててよかった。読んだ後にそしてどうでもいい記憶を思い出した。
「君たちはね、労働力なんですよ」
社会科公民の授業中にその教師はそう言った。ほとんど授業と脈絡なかったと思う。誰も意味がわかんなかったと思う。教科書も開かずにボーッとしてた僕はその言葉で顔を上げた。教師は無表情で黒板にチョークを走らせてた。
生活空間の中で得うる全ての情報知識とは別に、学校という近代教育システム機関においては、極めて限定され選別されぬかれた所謂「教育知識」が扱われるわけだが、それがいわゆる「勉強」なのだけども、産業社会面と国民社会面あるといわれ、初等教育ではどっちかってっと国民社会面の国民性とコミュニティ性だとか、そんなもんの重視らしい。そういや小学校ってのはくだらない雑務役割分担がやたらあったっけ。中等教育では産業社会面にシフトしていって、適応力や分業能力とかそんなもんが重視される。で高等教育では産業社会の専門分野になってゆくわけだ。
そう考えると教育とは納得ゆくものだった。行っても意味がないと思ってたあの学校教育には、意図された意味がちゃんとあったのだ。そいつをちゃんと僕に伝えてくれればよかったのに。
あの頃、僕は遅刻常習高校生で、本当によく遅刻をした。1時間目が始まる10分くらい前までに校門入らないと門閉められちゃって「遅刻指導」とかで、その場で朝っぱらから説教を聞かなければならない制度になってて、それがうざすぎた。大体何でみんなそんなくだらないこと茶番みたいによくやってられんなって。だから僕は遅刻しそうなときはうんと遅れて登校した。わざわざ10分遅れで「遅刻指導」なんてバカみたいだからだ。先生だって忙しい日々の業務の中でそんなことする必要ない。みんなして1時間遅刻して登校すれば済むじゃんって思ってた。
そんなことを続けてたら、あるとき担任に朝早く職員室に会いに来るように言われた。そしてわざわざ朝っぱらから職員室に会いに行ったら、遅刻多過ぎることについて尋ねられた。
「学校に来る意味が無いような気がするんです」と僕は言った。本心だ。
「じゃあ帰れ!」と担任はキレた。
大人げないな、と思った。こっちが下手に出てりゃキレやがるんだいつも。中学の時の教師もそういえば僕に、帰れ!ってキレたっけ。デジャブだこれって思った。しかし何かしら答えてくれたっていいのにな。話し合いの余地ないのかよって。そしてなんかすごいめんどくさくなった。イラつくの通り越して。帰るのもめんどくさくなった。大体さー朝来たばっかだろお前が来いって言ったからさー、帰れはないだろ。朝職員室に来たおかげでその日は遅刻がつかなかった。せっかくだから早退もしたくなかったのでした。
その後は教師も何も言わなくなった。僕は進級がやばくなるまで遅刻を繰り返した。
もう1時間目始まってんなーとか考えながら漕ぐ自転車の上で、僕は風を受けながら凄まじくリラックスしていた。あの意味のない時間がすきだった。無意味とされてるものって僕には生産的だったみたいだ。どうしてもあの頃の僕にとって教育は意味が無かった。
【つづっく】
おつかれさんtakebonoさん
2006年1月12日卒論を無事提出した安堵と気のゆるみから爆睡。出さなきゃ卒業できないレポートがあったので朝からやった。教職ゼミ最後だったから出たかったけど行けなかった。残念。
そして無事レポートも出せました。これで卒業が決まったかんじです。本当におつかれさまでした。
その後は横浜の方に行って焼き鳥を食べたり酒を飲んだりしました。全て終わった後の飲み食いはなんて美味しいんだろ。
帰り、疲れからか安堵からか、やばそうだなと思いながらも爆睡。目が覚めたら上野。慌てて引き返しなんとか帰宅。O君が終電前に送ってくれたのが結果助かった。
まだいろいろあるんだけど、これでとりあえずは大学生活は終わりです。これからは、たくさんあるやりたいことを、少しずつやっていきたいよ。
このブログでもそろそろまたくだらないことを書き始めたいと思います。
そして無事レポートも出せました。これで卒業が決まったかんじです。本当におつかれさまでした。
その後は横浜の方に行って焼き鳥を食べたり酒を飲んだりしました。全て終わった後の飲み食いはなんて美味しいんだろ。
帰り、疲れからか安堵からか、やばそうだなと思いながらも爆睡。目が覚めたら上野。慌てて引き返しなんとか帰宅。O君が終電前に送ってくれたのが結果助かった。
まだいろいろあるんだけど、これでとりあえずは大学生活は終わりです。これからは、たくさんあるやりたいことを、少しずつやっていきたいよ。
このブログでもそろそろまたくだらないことを書き始めたいと思います。
よくやりました
2006年1月9日高校サッカー決勝みました。鹿児島実業VS野洲。
昨年優勝の王者鹿実は決勝まで無失点。フィジカル、総合力、共に抜群。 対する野洲は初の国立。でもサッカーは素敵。ドリブル主体の個人技サッカー。
高校サッカーっていうと、教育の一環とかいわれ、これからのサッカー人生のための身体作りとかがいわれ、個々の技術よりもチームプレーと精神力と基本技術の積み重ねなどがいわれたりする。そんな高校サッカーの理念全てを背負い、長髪茶髪ピアスを禁じ、高い組織力と高いフィジカルと高い基礎技術に基づく堅実なサッカーを見せるのが鹿児島実業。対する野洲高校の監督さんは、そんな現高校サッカー界に「一石を投じる」と宣言し、ドリブルや個人技やクリエイティブプレーを重視したチームを創りあげ、今大会に旋風を巻き起こし勝ち続けてきた。まさに理念の激突。どっちが勝つか。王道か、挑戦か。
野洲の挑戦ドリブルサッカーに対し、ファウルを警戒し慎重なプレスをかける鹿実が唯一与えたFKが得点に結びついたかと思えば、守りに入り自分らのカラーを見失った野洲に対し、王道プレス津波サッカーと執念で同点に追い付く鹿実。どっちのサッカーイデオロギーが勝つか最後までわからんかったが。
結果すばらしい試合でした。死闘延長戦の末に野洲が2−1で劇的勝利。残り3分の美しい野洲サッカーの全てが詰まったゴール。PK戦を見越して選手交代などした鹿実に対し、見失った自分らのサッカーを取り戻し最後の最後まで現実と闘い続けた野洲。その差かな。
野洲高校がみせてくれたものは、高校サッカーにやはり一石を投じるものとなったように思う。いいんだよ。長髪でもよ。ドリブル個人技も。ヒールパスも。禁止されなくても優勝できるんだよ。それにさ、絶対そういうサッカーの方が楽しいよ。
きれいごとを並べるくせにさ、僕はベスト16くらいから少し見てたけど、今の高校サッカーって汚いプレーが多くて、イエローカードもやたら出るんだよ。信じられないよ以前そんなことなかったよ。勝利至上主義は別に否定しないが、日本の高校サッカーにはもっと違った素晴らしさがあったはずなのにな。ヘドが出た高校もありましたよ。鹿実は準決までにイエローを出し過ぎて、エースが決勝出れなかったというのも敗因でしょう。フェアプレーと楽しいサッカーを貫き通した野洲が、高校サッカーの堅さとその裏側の偽善的な部分をも打ち破り優勝したのがうれしかった。
卒論まだです。今日中に終わりそうです。
サッカーなんてみてんじゃねえつうの。でも相撲も見ました。横綱が敗れたよ。やはりね、金星は相撲理論の外にある。横綱を倒すのは精神力だ。皮肉にも相撲技術のない黒海がそれを見せることが出来たということか。よくやった黒海ッッ!
「伝説なんて打ち破るためにあるのさ」(by小林さん)
ああ早いとこ終わらそ卒論。
昨年優勝の王者鹿実は決勝まで無失点。フィジカル、総合力、共に抜群。 対する野洲は初の国立。でもサッカーは素敵。ドリブル主体の個人技サッカー。
高校サッカーっていうと、教育の一環とかいわれ、これからのサッカー人生のための身体作りとかがいわれ、個々の技術よりもチームプレーと精神力と基本技術の積み重ねなどがいわれたりする。そんな高校サッカーの理念全てを背負い、長髪茶髪ピアスを禁じ、高い組織力と高いフィジカルと高い基礎技術に基づく堅実なサッカーを見せるのが鹿児島実業。対する野洲高校の監督さんは、そんな現高校サッカー界に「一石を投じる」と宣言し、ドリブルや個人技やクリエイティブプレーを重視したチームを創りあげ、今大会に旋風を巻き起こし勝ち続けてきた。まさに理念の激突。どっちが勝つか。王道か、挑戦か。
野洲の挑戦ドリブルサッカーに対し、ファウルを警戒し慎重なプレスをかける鹿実が唯一与えたFKが得点に結びついたかと思えば、守りに入り自分らのカラーを見失った野洲に対し、王道プレス津波サッカーと執念で同点に追い付く鹿実。どっちのサッカーイデオロギーが勝つか最後までわからんかったが。
結果すばらしい試合でした。死闘延長戦の末に野洲が2−1で劇的勝利。残り3分の美しい野洲サッカーの全てが詰まったゴール。PK戦を見越して選手交代などした鹿実に対し、見失った自分らのサッカーを取り戻し最後の最後まで現実と闘い続けた野洲。その差かな。
野洲高校がみせてくれたものは、高校サッカーにやはり一石を投じるものとなったように思う。いいんだよ。長髪でもよ。ドリブル個人技も。ヒールパスも。禁止されなくても優勝できるんだよ。それにさ、絶対そういうサッカーの方が楽しいよ。
きれいごとを並べるくせにさ、僕はベスト16くらいから少し見てたけど、今の高校サッカーって汚いプレーが多くて、イエローカードもやたら出るんだよ。信じられないよ以前そんなことなかったよ。勝利至上主義は別に否定しないが、日本の高校サッカーにはもっと違った素晴らしさがあったはずなのにな。ヘドが出た高校もありましたよ。鹿実は準決までにイエローを出し過ぎて、エースが決勝出れなかったというのも敗因でしょう。フェアプレーと楽しいサッカーを貫き通した野洲が、高校サッカーの堅さとその裏側の偽善的な部分をも打ち破り優勝したのがうれしかった。
卒論まだです。今日中に終わりそうです。
サッカーなんてみてんじゃねえつうの。でも相撲も見ました。横綱が敗れたよ。やはりね、金星は相撲理論の外にある。横綱を倒すのは精神力だ。皮肉にも相撲技術のない黒海がそれを見せることが出来たということか。よくやった黒海ッッ!
「伝説なんて打ち破るためにあるのさ」(by小林さん)
ああ早いとこ終わらそ卒論。
励みにし
2006年1月8日あんま寝てない。卒論で。終わる間際の断末魔。
大体は完成してて、このまま終わってもいいんだろうけど、最後にせっっかくだからもう少しだけ煮詰めたい。そんなことを思ったおかげで行き詰まる。
気分転換というわけではないが、仲間たちとバドミントンしてサッカーした。僕ら体力落ちてる。そして堕ちてる。
T氏宅で相撲観戦しながらビール。すげーうめー。
その後は漫画やらUNOやら。初代UNO王は僕でしたね。うのかおる。
で今は自宅でまったり。いかんなー卒論書かなきゃー。余裕こいてんじゃねーぞtakebonoさん。卒論とどめさすよ今日明日で。
複雑な悔いが残る出来損ないの文章だけど、僕なりの卒業論文だから。最後まで向き合うよ。
がんばる。
大体は完成してて、このまま終わってもいいんだろうけど、最後にせっっかくだからもう少しだけ煮詰めたい。そんなことを思ったおかげで行き詰まる。
気分転換というわけではないが、仲間たちとバドミントンしてサッカーした。僕ら体力落ちてる。そして堕ちてる。
T氏宅で相撲観戦しながらビール。すげーうめー。
その後は漫画やらUNOやら。初代UNO王は僕でしたね。うのかおる。
で今は自宅でまったり。いかんなー卒論書かなきゃー。余裕こいてんじゃねーぞtakebonoさん。卒論とどめさすよ今日明日で。
複雑な悔いが残る出来損ないの文章だけど、僕なりの卒業論文だから。最後まで向き合うよ。
がんばる。
thin-k
2006年1月7日卒論が終わりそうです。
さっき引き出し開けたら昔書いてた日記帳が出てきた。読んでて、僕は随分無駄で不毛なことを延々悩んだり考えたりしてたんだなあと思った。このブログももう一年後に読み返したらそんなことを思うのだろうか。
自分の思いこそ理解するのは容易じゃない。可能性なんてあるかないのかさえわからない。だから自分を理解した気になって、恐れたふりなんかしてても勿体ないのだ。僕は何一つ知らなかった、自分のこと。だから悩んでいたんだな。飛んでみなければわからない。恐ろしさも素晴らしさも本当は何も分かっちゃいなかった。ただ飛ぶことを恐れていたんだ。墜落死なんて恐くなかったんだよ。空だけが恐かった。いろんなもんが飛び交う空がさ。
あるわけねえ何処かになんて。誰かが何処かで生きているだけだ。ここ以外のどこにもない自分は。これが僕です。僕でした。この僕が飛んで会いに行かない限り、僕は世界の風すら認識しない。通り過ぎる前にそれを掴まえてやりたい。僕は弱虫だ。どっちがどっちなんだ。もっと恐れたい。いま生き急ぐ以外に僕にはすることがない。
さっき引き出し開けたら昔書いてた日記帳が出てきた。読んでて、僕は随分無駄で不毛なことを延々悩んだり考えたりしてたんだなあと思った。このブログももう一年後に読み返したらそんなことを思うのだろうか。
自分の思いこそ理解するのは容易じゃない。可能性なんてあるかないのかさえわからない。だから自分を理解した気になって、恐れたふりなんかしてても勿体ないのだ。僕は何一つ知らなかった、自分のこと。だから悩んでいたんだな。飛んでみなければわからない。恐ろしさも素晴らしさも本当は何も分かっちゃいなかった。ただ飛ぶことを恐れていたんだ。墜落死なんて恐くなかったんだよ。空だけが恐かった。いろんなもんが飛び交う空がさ。
あるわけねえ何処かになんて。誰かが何処かで生きているだけだ。ここ以外のどこにもない自分は。これが僕です。僕でした。この僕が飛んで会いに行かない限り、僕は世界の風すら認識しない。通り過ぎる前にそれを掴まえてやりたい。僕は弱虫だ。どっちがどっちなんだ。もっと恐れたい。いま生き急ぐ以外に僕にはすることがない。
@食堂地下
2006年1月6日ブログ始めて初めて学校から書いています。卒論の合間にです。
この腐れブログもそろそろ一周年だ。感慨深いな。
食堂の地下のフロアスペースで書いてます。たまにうるさいが大抵は夜はここはすごい静かでいいよ。おすすめ、っても卒論もうみんな書き終わってるんだろうな。
日曜から初場所が始まるね。伝説更新はなるか朝青龍の8連覇はいかに。そして相撲中継来週はこの食堂地下で観よう。TVが置いてあるんです。僕のためにあるような場所だ。
卒論提出まであと5日。がんばるそしてがんばれ。
この腐れブログもそろそろ一周年だ。感慨深いな。
食堂の地下のフロアスペースで書いてます。たまにうるさいが大抵は夜はここはすごい静かでいいよ。おすすめ、っても卒論もうみんな書き終わってるんだろうな。
日曜から初場所が始まるね。伝説更新はなるか朝青龍の8連覇はいかに。そして相撲中継来週はこの食堂地下で観よう。TVが置いてあるんです。僕のためにあるような場所だ。
卒論提出まであと5日。がんばるそしてがんばれ。
ゴールは新たなスタートで、そしていまはその手前
2006年1月5日あたまいたいあたまいたいあたまいたいなー。
卒論最後まで苦しんでるよ。
明日からは最後の仕上げを学校でやろう。卒論執筆者にはノートパソコンを特別扱いで提出日まで貸し出ししてくれるらしい。休みの日も学校行って書けるってことなのか。だとしたらいいな。
新年会もやりたかったし、Nちゃんとサッカー観に行きたかったなー。何もしないまま正月も終わっちまう。
僕の学生生活も終わる。去年の父の早期退職に続き、母も今年度で早期退職が決定した。いろんなものが変わりゆく、今はその手前。
見てろよ。限りある命。僕が生き尽くして、そして骨を埋める21世紀。衰える前だからこそ、いま僕は歩くぞ。
さて卒論に戻ります。ゴールはまだか。ちっともはかどらない。
卒論最後まで苦しんでるよ。
明日からは最後の仕上げを学校でやろう。卒論執筆者にはノートパソコンを特別扱いで提出日まで貸し出ししてくれるらしい。休みの日も学校行って書けるってことなのか。だとしたらいいな。
新年会もやりたかったし、Nちゃんとサッカー観に行きたかったなー。何もしないまま正月も終わっちまう。
僕の学生生活も終わる。去年の父の早期退職に続き、母も今年度で早期退職が決定した。いろんなものが変わりゆく、今はその手前。
見てろよ。限りある命。僕が生き尽くして、そして骨を埋める21世紀。衰える前だからこそ、いま僕は歩くぞ。
さて卒論に戻ります。ゴールはまだか。ちっともはかどらない。
ヒートアップ
2006年1月4日ささいなことで両親と討論した。我が家ではこれがたまにあるんですわ。世代の違いを認め合い、それでも尊重し合わないといけないと思うがね。父は議論が発展しないレベルで一定の一般論しか言わないのでドードーメグリ。母は感情的になり論点が飛びまくるのでカラマワリ。僕は勉強不足でシリメツレツといった感じです。
発端は僕だったが、こうゆう論争はホント苦手です。もっと相手から引き出したいんだよ。しかし引き出しようがないんだよな団塊世代は。まあでも無駄な衝突が必要なときもあるかもな。
あんな白熱したけれど、数時間後には何事もなかったかのように仲良く過ごしております。素敵な両親だ。うちは基本ぬるま湯なんだけどなあなあでもない、こういうとこがすき。僕は優しさの中で優しく育てられたことに感謝してます。
発端は僕だったが、こうゆう論争はホント苦手です。もっと相手から引き出したいんだよ。しかし引き出しようがないんだよな団塊世代は。まあでも無駄な衝突が必要なときもあるかもな。
あんな白熱したけれど、数時間後には何事もなかったかのように仲良く過ごしております。素敵な両親だ。うちは基本ぬるま湯なんだけどなあなあでもない、こういうとこがすき。僕は優しさの中で優しく育てられたことに感謝してます。
ファミレスミッドナイター
2006年1月3日また夜中ファミレスに行って卒論をやった。
夜間料金時間帯に入る前に入店する。ドリンクバーを注文する。ドリンクバーだけだと割高なので、合わせてポテトも注文する。しかもネットでいくらでも落とせるクーポン券を使って更に割り引かせる。そして音楽を聴きながらずっと卒論をやる。クズみたいな原価だろうけどコーヒーを何杯もいただく。ジュースやお茶もいただく。何せ5、6時間ぐらいはいるからね。テーブルの上は本が積まれ、プリントが散乱している状態。オフィスか。靴も脱いじゃってるしね。散々居座って2時半頃に店を出る。お会計は税込みで399円だった。儲けることできてんのかこれで?まあ知ったこっちゃないが。
少し前にノートパソコンを持ち込んで店のコンセントで電気ドロで使用してたらさすがに非常識か。3日目くらいで注意された。あのときゃすみませんウェイトレスのお姉さん。
夏は冷房が寒すぎて長時間いられないけど、冬はあったかくていい感じあのファミレスは僕のたまり場。読書やネットは家だけど、勉強はファミレスになってる最近。実にはかどる。結局家だとなんだかんだでだらけちゃうのだ。
さて深夜のファミレス。空いてて素敵。僕と同じように書類や本広げて勉強してる人もいれば、カップルがいたり、夜遊び集団がいたり、コーヒーをすすってボーッとしてるおっさんがいたりする。真夜中に小さい子ども連れて入店してくる家族連れもいる。365日24時間、開店し回転し続けるフロアと厨房。すごいな。ニーズ在るところ市場は存在する、とはいえ、客としての僕は絶対に店の売り上げに貢献してないし、むしろ迷惑客じゃないのかなとも思う。それでもお客は神だからね。僕も仕方なく、自分の効用と利益を最大限にするように動いてしまう。相手は大手チェーンだし遠慮もいらない。従業員の方にだけ迷惑がかからないようにしたい。
時々一休みしてボーッとするのだけど、そのまま時間が相当経過することがある。人は1時間くらいボーッと物思いにふけることができるのだと実感。想像こそ創造。どんなグロくてもくだらなくても。M先生が言うドロドロゾーンってこれだきっと。
帰る前にコンビニに寄ったらSKと遭遇。彼もまた卒論でいっぱいいっぱい。時間ないくせに少し話し込んだ。くだらないビジネスニーズの話を。そして彼もまたファミレスでパソコン電気使って注意されたって。しょうもないな僕ら。
卒論ラストスパートだよ。
夜間料金時間帯に入る前に入店する。ドリンクバーを注文する。ドリンクバーだけだと割高なので、合わせてポテトも注文する。しかもネットでいくらでも落とせるクーポン券を使って更に割り引かせる。そして音楽を聴きながらずっと卒論をやる。クズみたいな原価だろうけどコーヒーを何杯もいただく。ジュースやお茶もいただく。何せ5、6時間ぐらいはいるからね。テーブルの上は本が積まれ、プリントが散乱している状態。オフィスか。靴も脱いじゃってるしね。散々居座って2時半頃に店を出る。お会計は税込みで399円だった。儲けることできてんのかこれで?まあ知ったこっちゃないが。
少し前にノートパソコンを持ち込んで店のコンセントで電気ドロで使用してたらさすがに非常識か。3日目くらいで注意された。あのときゃすみませんウェイトレスのお姉さん。
夏は冷房が寒すぎて長時間いられないけど、冬はあったかくていい感じあのファミレスは僕のたまり場。読書やネットは家だけど、勉強はファミレスになってる最近。実にはかどる。結局家だとなんだかんだでだらけちゃうのだ。
さて深夜のファミレス。空いてて素敵。僕と同じように書類や本広げて勉強してる人もいれば、カップルがいたり、夜遊び集団がいたり、コーヒーをすすってボーッとしてるおっさんがいたりする。真夜中に小さい子ども連れて入店してくる家族連れもいる。365日24時間、開店し回転し続けるフロアと厨房。すごいな。ニーズ在るところ市場は存在する、とはいえ、客としての僕は絶対に店の売り上げに貢献してないし、むしろ迷惑客じゃないのかなとも思う。それでもお客は神だからね。僕も仕方なく、自分の効用と利益を最大限にするように動いてしまう。相手は大手チェーンだし遠慮もいらない。従業員の方にだけ迷惑がかからないようにしたい。
時々一休みしてボーッとするのだけど、そのまま時間が相当経過することがある。人は1時間くらいボーッと物思いにふけることができるのだと実感。想像こそ創造。どんなグロくてもくだらなくても。M先生が言うドロドロゾーンってこれだきっと。
帰る前にコンビニに寄ったらSKと遭遇。彼もまた卒論でいっぱいいっぱい。時間ないくせに少し話し込んだ。くだらないビジネスニーズの話を。そして彼もまたファミレスでパソコン電気使って注意されたって。しょうもないな僕ら。
卒論ラストスパートだよ。
お正月だわ
2006年1月2日少し風邪をひきかけた感じ。でも治りかけてる感じ。
お雑煮とおせちも食べました。そして卒論を淡々とまとめにかかる年始。全てはこれが終わってからだ。TAは全く進んでないって。それは少しやばいだろ。
読みたい本、読みたい本、読みたい本。
小説を書きたい。
録画するだけして観てない格闘技やら映画やら。
飲みきれてないビールやら。
一つだけ残っているレポートを忘れたら卒業できないし。
教職のやつの仕上げも残ってる。
そして学生のうちにやっておきたかったことがわらわらと。
全ては卒論が終わってからだ、とがんばるtakebonoさん。
今年はこんなお正月ですか。
お雑煮とおせちも食べました。そして卒論を淡々とまとめにかかる年始。全てはこれが終わってからだ。TAは全く進んでないって。それは少しやばいだろ。
読みたい本、読みたい本、読みたい本。
小説を書きたい。
録画するだけして観てない格闘技やら映画やら。
飲みきれてないビールやら。
一つだけ残っているレポートを忘れたら卒業できないし。
教職のやつの仕上げも残ってる。
そして学生のうちにやっておきたかったことがわらわらと。
全ては卒論が終わってからだ、とがんばるtakebonoさん。
今年はこんなお正月ですか。
takebonoニューイヤー2006
2006年1月1日あけましておめでとうございます!
2006ですな。戌年か。takebonoはそういえば年男だった。
なんか、去年以上にすばらしい年にしたいもんです。
やりたいことたくさんあるのだけど、一体その中でどれがソウルフルな衝動にあたるのだろうか。わからないことさえ今は歩く力。無力こそ渇望。不安こそエネルギー。闇こそ光。死こそ生。夜こそ朝。心臓が動いてるほんの少しの間だけ、僕は僕の生を全うしたいと考えてます。できるだけできるだけ、僕は僕の思うとおりに、ソウルと衝動を手に、歩くままに生きてみようと考えてます。
一年後の僕も希望と絶望にまみれて生きていることを願う。
2006年に尚続く僕らの時代を歩く。
共に生きるものたちの息づかい。希望へのまなざし。僕を震わせるソウル。勇敢な言葉たち。在処にあって尚吐く息のあたたかさ。僕を生かしてくれるものたちに勇気を出して触れること。きっと愛すること。小さな世界を見渡すこと。感じること。まだ想像もしてないものたちを創造すること。手を繋ぐこと。繋げること。優しさを守ること。どんなことがあっても生きていること。
今年もよろしく!!
2006ですな。戌年か。takebonoはそういえば年男だった。
なんか、去年以上にすばらしい年にしたいもんです。
やりたいことたくさんあるのだけど、一体その中でどれがソウルフルな衝動にあたるのだろうか。わからないことさえ今は歩く力。無力こそ渇望。不安こそエネルギー。闇こそ光。死こそ生。夜こそ朝。心臓が動いてるほんの少しの間だけ、僕は僕の生を全うしたいと考えてます。できるだけできるだけ、僕は僕の思うとおりに、ソウルと衝動を手に、歩くままに生きてみようと考えてます。
一年後の僕も希望と絶望にまみれて生きていることを願う。
2006年に尚続く僕らの時代を歩く。
共に生きるものたちの息づかい。希望へのまなざし。僕を震わせるソウル。勇敢な言葉たち。在処にあって尚吐く息のあたたかさ。僕を生かしてくれるものたちに勇気を出して触れること。きっと愛すること。小さな世界を見渡すこと。感じること。まだ想像もしてないものたちを創造すること。手を繋ぐこと。繋げること。優しさを守ること。どんなことがあっても生きていること。
今年もよろしく!!
さよなら2005年 takebonoは時を超えて
2005年12月31日2005年が終わります。ホントに終わってゆきます。時代は数十分後には2006年になるんだってよ。
今年はいろんな事がありましたが、すごい良い年でした。自分がこんな自分を創ることも想像できなかったし、時間というのはやはりかけがえがなかった。その中を生きているということは本当に素晴らしいことも再確認した。自分を生かしてくれるもの、ソウルを、もっともっと見つけてゆくしかねえ。たった一つのこの時代と自分、たった一度かけがえなく生きること。
2005にtakebonoを輝かせ、共に生きてくれた全ての者たちに感謝する。
生まれて初めて僕は来年を迎え撃つ。こいよ2006。takebono年にしてやるよ。
2005サヨナラ。みなさん良いお年を。
200512312348 by takebono
今年はいろんな事がありましたが、すごい良い年でした。自分がこんな自分を創ることも想像できなかったし、時間というのはやはりかけがえがなかった。その中を生きているということは本当に素晴らしいことも再確認した。自分を生かしてくれるもの、ソウルを、もっともっと見つけてゆくしかねえ。たった一つのこの時代と自分、たった一度かけがえなく生きること。
2005にtakebonoを輝かせ、共に生きてくれた全ての者たちに感謝する。
生まれて初めて僕は来年を迎え撃つ。こいよ2006。takebono年にしてやるよ。
2005サヨナラ。みなさん良いお年を。
200512312348 by takebono
体調悪い感じ。でも卒論できそうです。結局内容は、教育社会学−教師論みたいになりました。「教師像」の歴史的変遷と現代の教育問題の類を絡め、社会的要因と教育システム等を中心にまとめてみましたのです。
僕らが「教育」を語るとき、国家が教育を統制・管理するとき、必ず中心にきてる教師の存在。だけど教師は必ずしも「教育」そのものではない。カリキュラムやシステムをはじめ多様なものからも教育はアプローチされるからだ。現場はいつだって無視されるし、先生によって教育内容は多種多様になりうるし、それはその先生の自由裁量の部分の「特色」として、子どもは様々な教師に出会えたことを幸運に思ったり不幸に思ったりする。「こんな先生がいたあんな先生がいた」って。 教育論争とは「善さ」の衝突であり、学校とは「学習・人間形成・集団生活の場」「子ども社会」「スキルアップ・学歴取得機関」「社会化と選抜配分機関」「規律・訓練・抑圧・統制装置」「監獄或いは刑務所」等々、様々なレベルで語られる。そんな混沌な教育の中で、教師の位置づけってどうゆうものなのかなってのが本論、になるのかなあ一応。
僕はかつて義務教育において教師が嫌いでした。僕にとって嫌悪すべきは教育システムとその末端歯車である教師の存在だった。僕に社会性が欠如していたため学校教育そのものが合わなかったのと、あと、『希望格差』でもあったような、システム機能としての教育崩壊の中にあって尚、前時代的な権威のようなものでしか自らを存在づけることができない教師の姿が醜悪に感じたからだった。「センセイ君主」と呼ばれるような、情熱と勘違いした教育エゴも吐き気がした。先生に従うことで得る物なんか一つも見つけられなかったのだ。一方で、教員である両親は本当に僕と正面から向き合い理解しようとしてくれた。教師もまた家庭に戻れば普通の親なのだ。ただの人間なのだ。なのになんで学校内で彼らは威張りくさってられる?何故彼らの言うことだけがいつも「正しい」のか?僕が本音で語ろうとすると彼らはキレた。彼らは何者なのだ?僕は彼らの何もかもが理解できなかった。
大学に入って教職課程を取ったのも、教育社会学っぽいゼミに携わったのも、それが根底にあった。僕は「教師」を理解したかった。僕のことをいつも嫌な目で見てたあいつらのことをね。
戦後改革と高度成長を経て、全ての人々が教育を通じての社会的地位獲得競争におかれるようになった所謂「大衆教育社会」において、今現在行われてる市場主義的な教育改革によって教育の市場的なサービス業化が強まり、先生や学校は、消費者としての保護者に選択され評価される「商品」となり、競争こそが教育の質を上げるのだからガンガン精進せえという教師論があるけど、教師改革を望む一方でそうゆうのもホント乱暴に聞こえるんだ。例えば僕のような社会に適応できないタイプの生徒や、家庭に問題を抱えている生徒、闇を背負ってしまっている生徒、そういう「賢い消費者」になりえない層に対して、サービス業としての教育はアプローチできるのだろうか。公教育は業績ではかれるのか。僕らのようなクズは、教育サービスの業績対象にもなれず放り出されるんだろう。そしてやはり自己責任の下に堕ちてゆくんだろうと思うのさ。
教職の脱聖職化は教師のサービス業化を促進し、現行の教育改革はそれを後押ししてゆく。組合は文科省と協調路線をとり、かつての日教組のような攻撃的過激的な活動はもうありえないだけに、今や教育現場は中央集権文科省の教育政策をザルのように受容してゆくことになった。今や教員の組合組織率は酷いものです。夏休みは無くなり、「人材確保法」は廃止され、教員免許は更新制になる。教師はもう特権職でも聖職でもなく権威もなく、過労し残業手当もないボーダレスな職務範囲を抱える雑多なサービス業労働者の一人に過ぎなくなった。そいつを自覚しなけりゃいけないのに未だ前時代的な権威にすがる教師がいて、一方で教師は人々やメディアのまなざしをも受けているのだ。
かつてジャーナリズムは「サラリーマン教師」「デモシカ教師」等と、情熱無き教師たちを批判したし、現在も教師への社会の目は厳しい。教育改革が軌道に乗ってからの教師の疲弊ぶりは見るに耐えないよ。
今日の金八先生を観てもそうですが、教師をめぐる状況は厳しくなっているが、「教師像」だけは聖職のままなのです。
金八さん、ブラックジャックのように叫んでくれよ。「教師は何のためにあるんだ!」って。 だけど、だけどね、そう、金八はそうあっちゃいけない。それを口にしちゃいけない。それもわかってる。わかってる。でも僕はそんなことを思っちゃうんだ。教師は神なんかじゃない。
教師は聖職ではない。権威も力もない。喫煙だってするし金に目が眩みもするし風俗にだっていくさ。社会がそうさせていったのに、未だみんなの教師を見るまなざしは聖職の呪縛に充ちている。教師は人間だ。そして僕は根拠のない崩壊しかけた権威に従うのではなく、人間として教師を尊敬したかったんだ。
もうこれで最後だ。卒論を書き終えて僕はもう教師を憎むことも軽蔑することもなくなるんだろう。そしてあの教育実習は確かに僕に何か教えてくれたんだ。とりあえず今の僕の答え。僕の中の問いであり続けた何か。そいつはもう僕から離れるだろう。もう終わらせていいのだ。僕はもうそれを終わらせていいんだ。迷惑かけた全ての「先生」、僕の中の「教師」、サヨナラだ。
だからとりあえずは
Say hello to teacher "KINPACHI"
金八っつぁん、あなただけじゃない。僕の手で、みんなの手で、この国の子どもたちを守ってゆくんだ。
僕らが「教育」を語るとき、国家が教育を統制・管理するとき、必ず中心にきてる教師の存在。だけど教師は必ずしも「教育」そのものではない。カリキュラムやシステムをはじめ多様なものからも教育はアプローチされるからだ。現場はいつだって無視されるし、先生によって教育内容は多種多様になりうるし、それはその先生の自由裁量の部分の「特色」として、子どもは様々な教師に出会えたことを幸運に思ったり不幸に思ったりする。「こんな先生がいたあんな先生がいた」って。 教育論争とは「善さ」の衝突であり、学校とは「学習・人間形成・集団生活の場」「子ども社会」「スキルアップ・学歴取得機関」「社会化と選抜配分機関」「規律・訓練・抑圧・統制装置」「監獄或いは刑務所」等々、様々なレベルで語られる。そんな混沌な教育の中で、教師の位置づけってどうゆうものなのかなってのが本論、になるのかなあ一応。
僕はかつて義務教育において教師が嫌いでした。僕にとって嫌悪すべきは教育システムとその末端歯車である教師の存在だった。僕に社会性が欠如していたため学校教育そのものが合わなかったのと、あと、『希望格差』でもあったような、システム機能としての教育崩壊の中にあって尚、前時代的な権威のようなものでしか自らを存在づけることができない教師の姿が醜悪に感じたからだった。「センセイ君主」と呼ばれるような、情熱と勘違いした教育エゴも吐き気がした。先生に従うことで得る物なんか一つも見つけられなかったのだ。一方で、教員である両親は本当に僕と正面から向き合い理解しようとしてくれた。教師もまた家庭に戻れば普通の親なのだ。ただの人間なのだ。なのになんで学校内で彼らは威張りくさってられる?何故彼らの言うことだけがいつも「正しい」のか?僕が本音で語ろうとすると彼らはキレた。彼らは何者なのだ?僕は彼らの何もかもが理解できなかった。
大学に入って教職課程を取ったのも、教育社会学っぽいゼミに携わったのも、それが根底にあった。僕は「教師」を理解したかった。僕のことをいつも嫌な目で見てたあいつらのことをね。
戦後改革と高度成長を経て、全ての人々が教育を通じての社会的地位獲得競争におかれるようになった所謂「大衆教育社会」において、今現在行われてる市場主義的な教育改革によって教育の市場的なサービス業化が強まり、先生や学校は、消費者としての保護者に選択され評価される「商品」となり、競争こそが教育の質を上げるのだからガンガン精進せえという教師論があるけど、教師改革を望む一方でそうゆうのもホント乱暴に聞こえるんだ。例えば僕のような社会に適応できないタイプの生徒や、家庭に問題を抱えている生徒、闇を背負ってしまっている生徒、そういう「賢い消費者」になりえない層に対して、サービス業としての教育はアプローチできるのだろうか。公教育は業績ではかれるのか。僕らのようなクズは、教育サービスの業績対象にもなれず放り出されるんだろう。そしてやはり自己責任の下に堕ちてゆくんだろうと思うのさ。
教職の脱聖職化は教師のサービス業化を促進し、現行の教育改革はそれを後押ししてゆく。組合は文科省と協調路線をとり、かつての日教組のような攻撃的過激的な活動はもうありえないだけに、今や教育現場は中央集権文科省の教育政策をザルのように受容してゆくことになった。今や教員の組合組織率は酷いものです。夏休みは無くなり、「人材確保法」は廃止され、教員免許は更新制になる。教師はもう特権職でも聖職でもなく権威もなく、過労し残業手当もないボーダレスな職務範囲を抱える雑多なサービス業労働者の一人に過ぎなくなった。そいつを自覚しなけりゃいけないのに未だ前時代的な権威にすがる教師がいて、一方で教師は人々やメディアのまなざしをも受けているのだ。
かつてジャーナリズムは「サラリーマン教師」「デモシカ教師」等と、情熱無き教師たちを批判したし、現在も教師への社会の目は厳しい。教育改革が軌道に乗ってからの教師の疲弊ぶりは見るに耐えないよ。
今日の金八先生を観てもそうですが、教師をめぐる状況は厳しくなっているが、「教師像」だけは聖職のままなのです。
金八さん、ブラックジャックのように叫んでくれよ。「教師は何のためにあるんだ!」って。 だけど、だけどね、そう、金八はそうあっちゃいけない。それを口にしちゃいけない。それもわかってる。わかってる。でも僕はそんなことを思っちゃうんだ。教師は神なんかじゃない。
教師は聖職ではない。権威も力もない。喫煙だってするし金に目が眩みもするし風俗にだっていくさ。社会がそうさせていったのに、未だみんなの教師を見るまなざしは聖職の呪縛に充ちている。教師は人間だ。そして僕は根拠のない崩壊しかけた権威に従うのではなく、人間として教師を尊敬したかったんだ。
もうこれで最後だ。卒論を書き終えて僕はもう教師を憎むことも軽蔑することもなくなるんだろう。そしてあの教育実習は確かに僕に何か教えてくれたんだ。とりあえず今の僕の答え。僕の中の問いであり続けた何か。そいつはもう僕から離れるだろう。もう終わらせていいのだ。僕はもうそれを終わらせていいんだ。迷惑かけた全ての「先生」、僕の中の「教師」、サヨナラだ。
だからとりあえずは
Say hello to teacher "KINPACHI"
金八っつぁん、あなただけじゃない。僕の手で、みんなの手で、この国の子どもたちを守ってゆくんだ。
年末にがんばってます
2005年12月29日卒論いよいよ佳境です。先生に頼んどいた最終添削が今日やっと届きました。これを参考に、今年中には書ききりたいと思っとります。先生の評価はまあまあ。進行はというと、本論は大体書いてしまってあとは最終的なまとめの部分です。でも何かもっと述べることができたなあとも思います。結局勉強不足ですか。しかしまあ現在の未熟さをここで20000字も記録しておけるのだから、今後いい財産なんかになるのでしょう。字数じゃないのはわかってんだけど、このぶんなら30000は書けんじゃねえかと思ってます。
しかし昼間は天皇杯サッカーなんかずっと観てしまいました。モリシのセレッソはまたも惜しく敗れ去りました。結局元日決戦はしぶとく生き残った清水エスパルスと、やはり底力を見せた浦和レッズという激突になりました。浦和の若き司令塔長谷部は2ゴールをあげ、A代表に猛烈なアピールとなりました。春先に僕が予言したように、彼は間違いなく近いうち日本代表に名を連ねる存在になるのでしょう。しかし2006W杯は無理だろうな。中田中村小野小笠原といるからねジーコジャパンには。2010W杯あたりでは日本代表を仕切ってるかもしれないな。
そして夜中はファミレスで卒論をやりました。SK兄貴も呼んで話したりしながらね、結構進みました。SKの卒論も何とか形になりそうでよかったわ。ちょっとした卒論合宿のようなのもしたかったがね、まあ僕ら揃うとどうしても飲んでダベってしまうからね、ファミレスあたりが丁度いいのだよね。ここにきて、家ではどうしても集中できないもんです。学校も図書館も年末は休みなのでやはりファミレスがいいわ。明日もいくべかな。
思い残すことなんかがとりあえずないくらい書ききりたい。これ書き終えれば卒業です。がんばろう。
しかし昼間は天皇杯サッカーなんかずっと観てしまいました。モリシのセレッソはまたも惜しく敗れ去りました。結局元日決戦はしぶとく生き残った清水エスパルスと、やはり底力を見せた浦和レッズという激突になりました。浦和の若き司令塔長谷部は2ゴールをあげ、A代表に猛烈なアピールとなりました。春先に僕が予言したように、彼は間違いなく近いうち日本代表に名を連ねる存在になるのでしょう。しかし2006W杯は無理だろうな。中田中村小野小笠原といるからねジーコジャパンには。2010W杯あたりでは日本代表を仕切ってるかもしれないな。
そして夜中はファミレスで卒論をやりました。SK兄貴も呼んで話したりしながらね、結構進みました。SKの卒論も何とか形になりそうでよかったわ。ちょっとした卒論合宿のようなのもしたかったがね、まあ僕ら揃うとどうしても飲んでダベってしまうからね、ファミレスあたりが丁度いいのだよね。ここにきて、家ではどうしても集中できないもんです。学校も図書館も年末は休みなのでやはりファミレスがいいわ。明日もいくべかな。
思い残すことなんかがとりあえずないくらい書ききりたい。これ書き終えれば卒業です。がんばろう。
大晦日の血祭りについて
2005年12月28日大晦日は僕は格闘技番組を観てます。一体いつからこの国は年越しに血生臭い映像を流すようになったのかしら。でも観ます。格闘技大好きなのです。
大体の対戦を列挙してみました。順番とか興業とかTVとか階級とかごちゃまぜですよ。どうせ全て観るからね。未だ出場の有無も対戦相手も未定な人もいるかと思うんだけど、そういうのは大抵は白ける試合になるでしょう。結局は大晦日はお祭りイベントだわに。
・桜庭vs美濃輪 …人気の日本人選手二人、何かしらパフォーマンスはやらかすだろうけど殺気が無い脱力な試合になるだろう。お互いに賭けてる物も失う物もこの試合には無いからです。客沸かすだけだな。
・五味vsマッハ速人 …我らゴミたちの夢・五味ちゃんが軽量級最強を示すか、或いはマッハの意地か。この階級で一つの決着章が見られるようなこの試合。
・KIDvs須藤 …視聴率は今年もKIDにもってかれるのか。須藤が失神する姿なんて見たくないよ〜。しかし見たいホントは僕それが見たいのです。
・ミルコvsハント …昔K1でやったカードだが、お互いK1出身選手が総合のリングで戦るなんて奇妙なことです。ハントは怪物。距離とって蹴り殺せミルコ。
・吉田vs小川 …これこそ今更だな。柔道王対決?まあせいぜい盛り上げてほしい。
・曙vsボビー …僕は全ソウルを使い我が愛するチャド(=曙)を応援します。ボビーなんざァ半殺しにしてほしィ。もしチャドが敗れたら僕は錯乱し家を出ます。曙さん、頼むからちゃんと練習やってください。体重も絞ってください。貴乃花を見ろよお前あの激痩せぶりをっ。「いつ勝てるんだよっ…!」なんて、ヤケにならないでくれえ。
・金子さんvsチャールズ“クレイジーホース”ベネット …金子さんお気の毒。殺されますよあなた。まだ芸能人でいたかったら顔はガードした方がいい。ある意味注目カード。
・シウバvsアローナ 卑劣なアローナをもうギタギタにぶちのめしてほしいわシウバ。絶対タイトル取られんでください。
・ヒョードルvsズール …見たくも何ともない。
・ホイスvs所英男 …大物を喰うチャンスが遂に君に巡ってきたか所くん。がんばって。
・シュルトvsホースト …キワモノ怪物王者を零封するか生きる伝説。
・ジェロム・レ・バンナvsアラン・カラエフ …ロシアのデブは完全にかませ犬。つまんないよバンナの今年ラストマッチメイクがこれではね。
その他…
・ダン・ヘンダーソンvsムリーロ・ブスタマンチ
・ジャイアント・シルバvsジェームス・トンプソン
・近藤有己vs中村和裕
・瀧本 誠vs菊田早苗
・ヒョードル弟vsパウエルナツラ
・魔裟斗vs大東旭
・武蔵vsボブ・サップ
・ボンヤスキーvsザ・プレデター
・永田克彦vsレミギウス
・アーツvs大山峻護
・中尾vsヒース・ヒーリング
etc…
…うーん。イマイチ。うーむ。震えないなあ。銘打てるような「世紀の対決」が今年はないんだよ。一夜限りのお祭り色だ。
これでは紅白は潰せません。選手の健闘次第だよ。がんばれよファイター共、グラップラー共。大晦日、楽しみです。
大体の対戦を列挙してみました。順番とか興業とかTVとか階級とかごちゃまぜですよ。どうせ全て観るからね。未だ出場の有無も対戦相手も未定な人もいるかと思うんだけど、そういうのは大抵は白ける試合になるでしょう。結局は大晦日はお祭りイベントだわに。
・桜庭vs美濃輪 …人気の日本人選手二人、何かしらパフォーマンスはやらかすだろうけど殺気が無い脱力な試合になるだろう。お互いに賭けてる物も失う物もこの試合には無いからです。客沸かすだけだな。
・五味vsマッハ速人 …我らゴミたちの夢・五味ちゃんが軽量級最強を示すか、或いはマッハの意地か。この階級で一つの決着章が見られるようなこの試合。
・KIDvs須藤 …視聴率は今年もKIDにもってかれるのか。須藤が失神する姿なんて見たくないよ〜。しかし見たいホントは僕それが見たいのです。
・ミルコvsハント …昔K1でやったカードだが、お互いK1出身選手が総合のリングで戦るなんて奇妙なことです。ハントは怪物。距離とって蹴り殺せミルコ。
・吉田vs小川 …これこそ今更だな。柔道王対決?まあせいぜい盛り上げてほしい。
・曙vsボビー …僕は全ソウルを使い我が愛するチャド(=曙)を応援します。ボビーなんざァ半殺しにしてほしィ。もしチャドが敗れたら僕は錯乱し家を出ます。曙さん、頼むからちゃんと練習やってください。体重も絞ってください。貴乃花を見ろよお前あの激痩せぶりをっ。「いつ勝てるんだよっ…!」なんて、ヤケにならないでくれえ。
・金子さんvsチャールズ“クレイジーホース”ベネット …金子さんお気の毒。殺されますよあなた。まだ芸能人でいたかったら顔はガードした方がいい。ある意味注目カード。
・シウバvsアローナ 卑劣なアローナをもうギタギタにぶちのめしてほしいわシウバ。絶対タイトル取られんでください。
・ヒョードルvsズール …見たくも何ともない。
・ホイスvs所英男 …大物を喰うチャンスが遂に君に巡ってきたか所くん。がんばって。
・シュルトvsホースト …キワモノ怪物王者を零封するか生きる伝説。
・ジェロム・レ・バンナvsアラン・カラエフ …ロシアのデブは完全にかませ犬。つまんないよバンナの今年ラストマッチメイクがこれではね。
その他…
・ダン・ヘンダーソンvsムリーロ・ブスタマンチ
・ジャイアント・シルバvsジェームス・トンプソン
・近藤有己vs中村和裕
・瀧本 誠vs菊田早苗
・ヒョードル弟vsパウエルナツラ
・魔裟斗vs大東旭
・武蔵vsボブ・サップ
・ボンヤスキーvsザ・プレデター
・永田克彦vsレミギウス
・アーツvs大山峻護
・中尾vsヒース・ヒーリング
etc…
…うーん。イマイチ。うーむ。震えないなあ。銘打てるような「世紀の対決」が今年はないんだよ。一夜限りのお祭り色だ。
これでは紅白は潰せません。選手の健闘次第だよ。がんばれよファイター共、グラップラー共。大晦日、楽しみです。
2005年忘却会その3
2005年12月27日
知り合いの忘年会に出席してきました。キムチ鍋と、普通の鍋と、タコ焼きと、ジンギスカンがメインメニュー。
結構飲みました。どれもこれもビールが美味しすぎて。
時がいくら過ぎようとも変わらぬコミュニティーがそこにはありました。それは暖かく、優しかった。こんな風に、多くの人が手を繋げれば素敵なんじゃないかな。相変わらずなんだけど、僕が言うことでもないのだけど、そのままの不器用で不格好で、でもそのままの人間らしいコミュニティーでみんなは在ってほしいのさ。そのためなら僕はいくらでも手を貸すんだ。
あんな風に、誰もが笑顔になれる空間にあって、いろんなものを進歩させてゆければ素晴らしいんだろうなって思うんだ。
懐かしくて、安心したんだ。人のあたたかさが織りなす輝きには、かつて僕は何度だって感動し希望や勇気をもらった。そんなあたたかい輝きのままに、これからも多くの人たちに希望を与えることのできるコミュニティーのままで、そのままの場所で、未だ彼らが輝いてたことにさ。
共に同じ時代を生きること。このコミュニティーを僕とみんなの手で守っていきたいよ。
結構飲みました。どれもこれもビールが美味しすぎて。
時がいくら過ぎようとも変わらぬコミュニティーがそこにはありました。それは暖かく、優しかった。こんな風に、多くの人が手を繋げれば素敵なんじゃないかな。相変わらずなんだけど、僕が言うことでもないのだけど、そのままの不器用で不格好で、でもそのままの人間らしいコミュニティーでみんなは在ってほしいのさ。そのためなら僕はいくらでも手を貸すんだ。
あんな風に、誰もが笑顔になれる空間にあって、いろんなものを進歩させてゆければ素晴らしいんだろうなって思うんだ。
懐かしくて、安心したんだ。人のあたたかさが織りなす輝きには、かつて僕は何度だって感動し希望や勇気をもらった。そんなあたたかい輝きのままに、これからも多くの人たちに希望を与えることのできるコミュニティーのままで、そのままの場所で、未だ彼らが輝いてたことにさ。
共に同じ時代を生きること。このコミュニティーを僕とみんなの手で守っていきたいよ。