風邪は半分くらい治った。でもまだ少し頭痛い。
最近、村上龍の『半島を出よ』を読み終えた。登場人物総計100人以上。上下巻ハードカバー。合計1000P以上の大作でした。 まあまあ面白かった。日本という国がいかに現実的危機に対し無力で平和ボケした国かということを読んで改めて思い知った。
−西暦2011年4月。北朝鮮のコマンド9人がプロ野球開幕戦の福岡ドームを武力占拠。2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が福岡市に来襲。彼らは一様に北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。 経済が破綻し国際的孤立を深める近未来の日本に起こる戦慄のクライシス!九州は日本から遮断され、福岡は日本政府により封鎖された!占領下の福岡を舞台に繰り広げられる群衆劇と人間ドラマ!博多湾に12万人の北朝鮮後続部隊が接近する中、ある若者グループが決死の抵抗作戦を開始した!!
「反乱軍であって反乱軍ではなく、反乱軍ではないが反乱軍でもある。…君たちは、ホンギルトンのように、福岡及び九州に新しい国を造るために半島を出たのだという声明を出す。…日本帝国主義の圧政に苦しむ福岡及び九州の人々を解放するために、正義と自由を与えるためにやってきたのだと言うのだ。それはメッカを攻撃したムハンマドが主張したことと同じだ。またそれは十字軍の主張でもあり、アジアを侵略した日本帝国の主張でもあり、ヒトラーの主張でもあり、ナチスを打ち負かした連合軍の主張でもあり、アフガニスタンやイラクを侵略したアメリカの主張でもあった。ホンギルトンは歴史的であり、普遍的であるのだ!」
物語後半は震えながら読みました。若者テロリストグループVS北朝鮮軍の死闘は壮絶でしたが、前半引っ張った分あっさりだったかな。でもかなりドキドキした。 危機に対し無力すぎる我が国・日本で、その危機に唯一勇敢に立ち向かったのが若年テロリストグループだったってのも面白かった。
シーホークホテルでの最初で最後の本物の戦闘を前に、遂に恐怖に目覚め始めるメンバーの中で、テロに魅せられた年齢不詳男−カネシロだけが、死体と血の海の中で誰も知ることのなかった初めての笑顔を見せる。
「…見ろ。これがおれがずっと夢に見てきた世界なんだ。他にはもうどこに行ってもこんな世界はない。やっと見つけたんだ。だからおれはここに残る。自分でここを始末する。おれの世界だからおれが自分で壊すんだ。」
若者たちの中に息づくそれぞれのテロリズムは、福岡を占領する北朝鮮軍との戦いにおいて凄絶に帰結してゆく。それは本当に凄かった。 一方で、福岡に降り立った北朝鮮軍中尉チョ・スリョンは、日本の「退廃」と同時に自国の「退廃」にも気付き始める。そして処刑式を巡って己の精神の在処に気付く女性士官キム・ヒャンモク。最後の瞬間まで兵士で在ろうとするチョ・ヒョイル。北朝鮮軍の悲哀もまた本当に凄かった。 狂気によって恐怖を制する若者たちと、恐怖によって狂気を制する北朝鮮兵士たち。それぞれがそれぞれの精神の下での戦いを、封鎖された福岡の地で繰り広げる。僕は2011年の日本に起きた知られざる聖戦の真実を知った。
最近、村上龍の『半島を出よ』を読み終えた。登場人物総計100人以上。上下巻ハードカバー。合計1000P以上の大作でした。 まあまあ面白かった。日本という国がいかに現実的危機に対し無力で平和ボケした国かということを読んで改めて思い知った。
−西暦2011年4月。北朝鮮のコマンド9人がプロ野球開幕戦の福岡ドームを武力占拠。2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が福岡市に来襲。彼らは一様に北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。 経済が破綻し国際的孤立を深める近未来の日本に起こる戦慄のクライシス!九州は日本から遮断され、福岡は日本政府により封鎖された!占領下の福岡を舞台に繰り広げられる群衆劇と人間ドラマ!博多湾に12万人の北朝鮮後続部隊が接近する中、ある若者グループが決死の抵抗作戦を開始した!!
「反乱軍であって反乱軍ではなく、反乱軍ではないが反乱軍でもある。…君たちは、ホンギルトンのように、福岡及び九州に新しい国を造るために半島を出たのだという声明を出す。…日本帝国主義の圧政に苦しむ福岡及び九州の人々を解放するために、正義と自由を与えるためにやってきたのだと言うのだ。それはメッカを攻撃したムハンマドが主張したことと同じだ。またそれは十字軍の主張でもあり、アジアを侵略した日本帝国の主張でもあり、ヒトラーの主張でもあり、ナチスを打ち負かした連合軍の主張でもあり、アフガニスタンやイラクを侵略したアメリカの主張でもあった。ホンギルトンは歴史的であり、普遍的であるのだ!」
物語後半は震えながら読みました。若者テロリストグループVS北朝鮮軍の死闘は壮絶でしたが、前半引っ張った分あっさりだったかな。でもかなりドキドキした。 危機に対し無力すぎる我が国・日本で、その危機に唯一勇敢に立ち向かったのが若年テロリストグループだったってのも面白かった。
シーホークホテルでの最初で最後の本物の戦闘を前に、遂に恐怖に目覚め始めるメンバーの中で、テロに魅せられた年齢不詳男−カネシロだけが、死体と血の海の中で誰も知ることのなかった初めての笑顔を見せる。
「…見ろ。これがおれがずっと夢に見てきた世界なんだ。他にはもうどこに行ってもこんな世界はない。やっと見つけたんだ。だからおれはここに残る。自分でここを始末する。おれの世界だからおれが自分で壊すんだ。」
若者たちの中に息づくそれぞれのテロリズムは、福岡を占領する北朝鮮軍との戦いにおいて凄絶に帰結してゆく。それは本当に凄かった。 一方で、福岡に降り立った北朝鮮軍中尉チョ・スリョンは、日本の「退廃」と同時に自国の「退廃」にも気付き始める。そして処刑式を巡って己の精神の在処に気付く女性士官キム・ヒャンモク。最後の瞬間まで兵士で在ろうとするチョ・ヒョイル。北朝鮮軍の悲哀もまた本当に凄かった。 狂気によって恐怖を制する若者たちと、恐怖によって狂気を制する北朝鮮兵士たち。それぞれがそれぞれの精神の下での戦いを、封鎖された福岡の地で繰り広げる。僕は2011年の日本に起きた知られざる聖戦の真実を知った。
…
2005年11月15日風邪をひいた。これは間違いない。体が重い。熱っぽい。急速に脳が回転しなくなる。体が治そうとしているのだ。休んどけ、と神が。風邪を治すのももう慣れたもの。ここ3年ほど僕は病院に行ったことがない。
そして今日は無意味に学校に行ったからよけい悪くなったかんじ。
頭痛い。文章なんか書けない。
ふう。こんなんでくたばるかよ。
そして今日は無意味に学校に行ったからよけい悪くなったかんじ。
頭痛い。文章なんか書けない。
ふう。こんなんでくたばるかよ。
でも…それでもデモ
2005年11月14日昨日、文化センターのとこでデモパレードやってました。僕の知り合いが渋谷にデモしに行ってたので、同じ流れの各地同時多発イベント的なものなのかと思ったけどどうも違うようでした。
デモ行進って特に明確に訴える個別テーマでなければ、大体は平和運動系と労働運動系に分かれますが、昨日のはごちゃまぜだった感じ。僕はかつていろいろな運動に参加したことがあり、デモにはいろんなカラーがあることをそこで知りました。それはやはり思想であったり、運動団体の立場であったり、政治的なものも含んだりして、ポップで柔軟な「パレード」や「PW」系から、いわゆるシュプレヒコールに声を合わせるような旧来式の「〜集会」や「〜行動」みたいのまで、様々なものです。デモンストレーションには違いないので、ひっくるめて僕は「デモ行進」と呼んでいますが、規模や参加形式や中心団体や訴える目的などによってカラーが異なるのは当然といえばまあ当然なのです。
イラク戦争のときみたいに、日比谷で一般市民が結構集まって大規模なものになると、思想や団体の立場を超えたカラーになるので素敵だと思いました。デモ行進してて、僕の隣は子ども連れの夫婦とお年寄りだったし、後ろは女の子グループだった。それぞれ手作りの看板を手にして、隣は皆知らない人同士で、声を合わせるような統率もなく、バラバラで、だけどものすげえ長い列になって皆ただ日比谷を歩いたのです。左翼政党や組合色が出てない市民カラーだったので、ああいいなあこういうのと思ったのです。
逆に、組合の幟が乱立して、左系議員や組合系のお偉いさんとかの挨拶があって、拡声器があって、ほとんどが中高年で、声からして「〜はヤメロー!」とかって系の旧来型デモは、はっきし言って僕の居場所がないんですね。実に硬直的。閉鎖的。
学生系のにも行くけど、これはもっと疎外感を感じます。結局「若者」とかいって、「平和」を「peace」に変えて、「NONO小泉!」「やっぱり平和がイイじゃんヨー!」(ラップ調)とかって無理矢理「若者」カラー出そうとしてるのが非常にイラつくときがあるんですね。表面を変えて内実はほとんど旧来型の踏襲だからです。やはり旧来型のデモ運動の域を出ないし、むしろそれを、「ダサい」と感じる若者の新しいセンスだぜ楽しくやんなきゃさ、みたいにしちゃって、「今風」みたいにアレンジして、何かしら誤魔化してるところが大嫌いなんです。デモはデモだろと思うし、そんなにお前ら「若者」らしく在りたいのかよって。なんかもっと自然で紐付きじゃないデモンストレーションってできないのかなっていつも思う。
あと結局、運動がコミュニティーになっちゃってるところが一番嫌なんです。目的と手段がごっちゃになってるっていうのか、まるで宗教のように、確かに無条件で自分が必要とされるから居心地がいいんですあの場所は。とりわけ社会に適応できない奴が、運動というアイデンティティーと、コミュニテイーという居場所に心のセーフティーを見つけるって感じです。戦争や権力を共通の絶対悪に仕立ててね。僕も最初はそんなんだったと思うからあまり批判もどうかと思うんだけど、でも僕は次第にあの「居心地の良さ」に吐き気を催すようになったのです。
今の僕は群れることなく自分の脳で運動というものを考えていきたいのです。バラバラの中で手をつなぐことこそ、平和運動なんじゃないのかって思うんです。自分と全く考え方や行動性の異なる人と出会ったとき、僕はどうやったらこの人と手を繋げるだろうかっていつもドキドキします。だからいろんなことをその人と話せたときはすごく嬉しいのです。自分と全く異なるからこそ他人に魅力を感じて、だから理解し合える部分に感動するんだよ。人と人は、わからないしわかってもらえないしわかりあうことは相当に困難、でもだからこそリアルなんじゃん。その中にあって僕は手を繋ぐ努力をしたいのです。
デモ行進って特に明確に訴える個別テーマでなければ、大体は平和運動系と労働運動系に分かれますが、昨日のはごちゃまぜだった感じ。僕はかつていろいろな運動に参加したことがあり、デモにはいろんなカラーがあることをそこで知りました。それはやはり思想であったり、運動団体の立場であったり、政治的なものも含んだりして、ポップで柔軟な「パレード」や「PW」系から、いわゆるシュプレヒコールに声を合わせるような旧来式の「〜集会」や「〜行動」みたいのまで、様々なものです。デモンストレーションには違いないので、ひっくるめて僕は「デモ行進」と呼んでいますが、規模や参加形式や中心団体や訴える目的などによってカラーが異なるのは当然といえばまあ当然なのです。
イラク戦争のときみたいに、日比谷で一般市民が結構集まって大規模なものになると、思想や団体の立場を超えたカラーになるので素敵だと思いました。デモ行進してて、僕の隣は子ども連れの夫婦とお年寄りだったし、後ろは女の子グループだった。それぞれ手作りの看板を手にして、隣は皆知らない人同士で、声を合わせるような統率もなく、バラバラで、だけどものすげえ長い列になって皆ただ日比谷を歩いたのです。左翼政党や組合色が出てない市民カラーだったので、ああいいなあこういうのと思ったのです。
逆に、組合の幟が乱立して、左系議員や組合系のお偉いさんとかの挨拶があって、拡声器があって、ほとんどが中高年で、声からして「〜はヤメロー!」とかって系の旧来型デモは、はっきし言って僕の居場所がないんですね。実に硬直的。閉鎖的。
学生系のにも行くけど、これはもっと疎外感を感じます。結局「若者」とかいって、「平和」を「peace」に変えて、「NONO小泉!」「やっぱり平和がイイじゃんヨー!」(ラップ調)とかって無理矢理「若者」カラー出そうとしてるのが非常にイラつくときがあるんですね。表面を変えて内実はほとんど旧来型の踏襲だからです。やはり旧来型のデモ運動の域を出ないし、むしろそれを、「ダサい」と感じる若者の新しいセンスだぜ楽しくやんなきゃさ、みたいにしちゃって、「今風」みたいにアレンジして、何かしら誤魔化してるところが大嫌いなんです。デモはデモだろと思うし、そんなにお前ら「若者」らしく在りたいのかよって。なんかもっと自然で紐付きじゃないデモンストレーションってできないのかなっていつも思う。
あと結局、運動がコミュニティーになっちゃってるところが一番嫌なんです。目的と手段がごっちゃになってるっていうのか、まるで宗教のように、確かに無条件で自分が必要とされるから居心地がいいんですあの場所は。とりわけ社会に適応できない奴が、運動というアイデンティティーと、コミュニテイーという居場所に心のセーフティーを見つけるって感じです。戦争や権力を共通の絶対悪に仕立ててね。僕も最初はそんなんだったと思うからあまり批判もどうかと思うんだけど、でも僕は次第にあの「居心地の良さ」に吐き気を催すようになったのです。
今の僕は群れることなく自分の脳で運動というものを考えていきたいのです。バラバラの中で手をつなぐことこそ、平和運動なんじゃないのかって思うんです。自分と全く考え方や行動性の異なる人と出会ったとき、僕はどうやったらこの人と手を繋げるだろうかっていつもドキドキします。だからいろんなことをその人と話せたときはすごく嬉しいのです。自分と全く異なるからこそ他人に魅力を感じて、だから理解し合える部分に感動するんだよ。人と人は、わからないしわかってもらえないしわかりあうことは相当に困難、でもだからこそリアルなんじゃん。その中にあって僕は手を繋ぐ努力をしたいのです。
ナイトメアエレジー
2005年11月13日今朝の悪夢はなんだったの?僕はきっと悩んでいるんだなあ。僕なりの、いろんなものへの回答を、結局出してゆかなければならないのだろうなあ。それってでも、どこへどちらへ走れば向かうことになるの?どこにどちらに走れば逃げることになるの?そんなことも今の僕はよくわかってない。誰か教えてくれればいいのにな。その方が楽だけど、でも気持ち悪ぃんだろうなーやっぱり。僕は矛盾だらけのまま一体何処へ行きたいのです?
今日バドミントンとサッカーやって、あとは少年野球をずっとみてました。上手いなあ子どもたち。
人生を支える大なり小なりの形無き欠片。この世界に生きていることを許してくれている何か。僕らは一人ずつだけのそんなものたちに、拠り、依り、由り、因るのだろう。僕はそれを自分だけで決定しようとか思ってて、好きなように藻掻いたりしてた。
衝動の正体はなんだった?
何故他人と上手にやっていけないの?
すてきに思うことってたくさんあった。そんなの一つずつ感謝してた。優しかったのだ。僕が望んだ時間、日々は、どうしても壊れないくらい優しかったのだ。哀しくて、だからこそ嬉しかったのだ。(「優しい悪夢」より)
今日バドミントンとサッカーやって、あとは少年野球をずっとみてました。上手いなあ子どもたち。
人生を支える大なり小なりの形無き欠片。この世界に生きていることを許してくれている何か。僕らは一人ずつだけのそんなものたちに、拠り、依り、由り、因るのだろう。僕はそれを自分だけで決定しようとか思ってて、好きなように藻掻いたりしてた。
衝動の正体はなんだった?
何故他人と上手にやっていけないの?
すてきに思うことってたくさんあった。そんなの一つずつ感謝してた。優しかったのだ。僕が望んだ時間、日々は、どうしても壊れないくらい優しかったのだ。哀しくて、だからこそ嬉しかったのだ。(「優しい悪夢」より)
アジアシリーズ
2005年11月12日ロッテ狂のTAと東京ドームにアジアシリーズ中国戦を観に行った。プレーオフからまさかここまでつきあうはめになるとはなー。
シリーズ前に西岡の奴がTVで「野球のレベルの違いを見せつける」と発言したほどで、やっぱりロッテは圧倒的に強く、前日までに韓国と台湾を軽く撃破。でもって決勝行きがもう決まっていたので、今日の中国戦はほぼ控えメンバー。西岡も今江もスンヨプも里崎も橋本も出さず、おいおい大丈夫かなーよっぽど中国なめきってるなあと思ってたら、案の定エラーで失点。にわか内野はきついなやはり。先発ジョニー黒木もいまいちだったけど、あまり中国打線は恐さが無く、ヒットは打たれてたけど負ける気がしなかった。ジョニーが足に打球食らってリタイヤしても小宮山が淡々と凌いでいたし、あっさり逆転したし、まあロッテの控え選手チームVS楽天より弱そうな中国チームって感じで。昼間からビールを飲んで、眠い試合だったなあ。しかしドームは広いなあ。いま読んでる小説が村上龍の『半島を出よ』という小説で、北朝鮮コマンドがたった9人で福岡ドームを制圧する話なんだけど、9人でいけるかなあとかドーム内見渡しながら想像したりしてました。 国際試合だからって入場口で磁気検査があって、ケータイをビニール袋に入れなきゃいけないのは何故かはよくわからなかった。 まあ明日決勝、たぶん韓国サムスンだろうけど、ロッテがメタメタ圧倒的に叩きつぶしてアジアの王様になればいいんでないの。 ちなみに試合前に国歌・君が代が流れました。野球の国際試合なんてぴんとこないね。
その後はTA宅で飲みながらJリーグを観た。ガンバが勝ったなあ。ガンバサッカーもレッズサッカーも攻撃的ですきです。
昼間から飲むと夜眠い。寝ます。
シリーズ前に西岡の奴がTVで「野球のレベルの違いを見せつける」と発言したほどで、やっぱりロッテは圧倒的に強く、前日までに韓国と台湾を軽く撃破。でもって決勝行きがもう決まっていたので、今日の中国戦はほぼ控えメンバー。西岡も今江もスンヨプも里崎も橋本も出さず、おいおい大丈夫かなーよっぽど中国なめきってるなあと思ってたら、案の定エラーで失点。にわか内野はきついなやはり。先発ジョニー黒木もいまいちだったけど、あまり中国打線は恐さが無く、ヒットは打たれてたけど負ける気がしなかった。ジョニーが足に打球食らってリタイヤしても小宮山が淡々と凌いでいたし、あっさり逆転したし、まあロッテの控え選手チームVS楽天より弱そうな中国チームって感じで。昼間からビールを飲んで、眠い試合だったなあ。しかしドームは広いなあ。いま読んでる小説が村上龍の『半島を出よ』という小説で、北朝鮮コマンドがたった9人で福岡ドームを制圧する話なんだけど、9人でいけるかなあとかドーム内見渡しながら想像したりしてました。 国際試合だからって入場口で磁気検査があって、ケータイをビニール袋に入れなきゃいけないのは何故かはよくわからなかった。 まあ明日決勝、たぶん韓国サムスンだろうけど、ロッテがメタメタ圧倒的に叩きつぶしてアジアの王様になればいいんでないの。 ちなみに試合前に国歌・君が代が流れました。野球の国際試合なんてぴんとこないね。
その後はTA宅で飲みながらJリーグを観た。ガンバが勝ったなあ。ガンバサッカーもレッズサッカーも攻撃的ですきです。
昼間から飲むと夜眠い。寝ます。
「シークレット・ウインドウ」
「LOVERS」
「笑いの大学」
「ローレライ」
「ヘルボーイ」
「白い巨塔−66年映画版」
「モンスター」
大体最近はそんなところをだらだら観ましたな。
ジョニー・デップは素敵で、チャン・ツィーはかわいくて、戦時中の役所広司はかっこよくて、そして映画自体はだらだら観ました。
田宮次郎の財前はホントしぶくて。震えた。
シャーリーズ・セロンのアイリーンはすばらしいものがあって。震えた。
活字に飽きると映像。その合間にマンガ。その合間くらいに学問的なもの。
今日は映画を観てアニメを観てドキュメントを観て小説を読んで文章を打って寝て卒論をちょっと書いてバイトに行きました。あとサッカーと飲みがあればなーため息が出るくらい素敵な一日だなー。
今日ブックオフで買ったのは、マンガ4冊に小説4冊にエッセイ1冊に学問の本が1冊だよ。いま部屋ボコボコ。また積み上げて散乱するなあ。
こんなtakebono文化的な生活では、ルームシェアリングなんかやっぱ無理かなあ。
「LOVERS」
「笑いの大学」
「ローレライ」
「ヘルボーイ」
「白い巨塔−66年映画版」
「モンスター」
大体最近はそんなところをだらだら観ましたな。
ジョニー・デップは素敵で、チャン・ツィーはかわいくて、戦時中の役所広司はかっこよくて、そして映画自体はだらだら観ました。
田宮次郎の財前はホントしぶくて。震えた。
シャーリーズ・セロンのアイリーンはすばらしいものがあって。震えた。
活字に飽きると映像。その合間にマンガ。その合間くらいに学問的なもの。
今日は映画を観てアニメを観てドキュメントを観て小説を読んで文章を打って寝て卒論をちょっと書いてバイトに行きました。あとサッカーと飲みがあればなーため息が出るくらい素敵な一日だなー。
今日ブックオフで買ったのは、マンガ4冊に小説4冊にエッセイ1冊に学問の本が1冊だよ。いま部屋ボコボコ。また積み上げて散乱するなあ。
こんなtakebono文化的な生活では、ルームシェアリングなんかやっぱ無理かなあ。
本を読んでる君が好き
2005年11月10日という標語の読書週間が終わりました。僕がよく通う近所の図書館のです。
オープンしてまだ10年も経ってないこの図書館は結構広くて小ぎれいで本もよくそろっています。探してる本がそこに無くても、区内の図書館全ての在庫を検索できるシステムが便利なので、僕はやたら本の予約をします。自宅PCからでも予約できて、図書館に届いたらケータイにメールがくるシステムで超便利。出たばっかりの本もすぐ入るので結構素敵です。なるほどこうやって本を買わない人が増えているのだと思います。たまに「50人待ち」とかってなってるの見るとホントそう思う。一番酷いので、『ハリーポッター』が「700人待ち」だったときがあって、ハア!?何年かかるんだ?と思ったっけ。700人も待つんなら買えよ、と。 ブックオフだとかネットの本屋だとかが普及して、普通の本屋で本を買う人は減るのだろうと、ある講義である先生が言ってたけど、あの本屋独特の、なんつうか、新しい本の匂いというか未知へのドキドキというか、本棚の間を歩きながら、出会ったこともない本を探したり手に取ったりしばし立ち読んだりと、ああいう素敵な時間の素敵さを知ってる人は、まだまだ本屋に足を運ぶと僕は思います。 だいぶ前だけど、クラシック好きなうちの父親が100円ショップでフルトヴェングラーのブラームスやらヴェートーヴェンやらを買うてきておきながら、「こんな名曲集が100円とは…」と呻いてた。僕もこないだブックオフで太宰を100円で買った。どーでもいいマンガと一緒にね。太宰ならそんなん笑うだけだろうが。ええそのとおりですホントに憐れな奴です、と。
9月半ばに出て速攻で予約して借りて読んでた本を、これはSKに必要そうな本だなあと思ったので薦めたらSKはちゃんと買っていました。偉いな。 TAも本をよく買うね。TAが買った本を僕は借りて読んでいます。 うちの両親も忙しい中でよく本を買う。 そう考えると僕はあまりちゃんと本を買わないなあ。
オープンしてまだ10年も経ってないこの図書館は結構広くて小ぎれいで本もよくそろっています。探してる本がそこに無くても、区内の図書館全ての在庫を検索できるシステムが便利なので、僕はやたら本の予約をします。自宅PCからでも予約できて、図書館に届いたらケータイにメールがくるシステムで超便利。出たばっかりの本もすぐ入るので結構素敵です。なるほどこうやって本を買わない人が増えているのだと思います。たまに「50人待ち」とかってなってるの見るとホントそう思う。一番酷いので、『ハリーポッター』が「700人待ち」だったときがあって、ハア!?何年かかるんだ?と思ったっけ。700人も待つんなら買えよ、と。 ブックオフだとかネットの本屋だとかが普及して、普通の本屋で本を買う人は減るのだろうと、ある講義である先生が言ってたけど、あの本屋独特の、なんつうか、新しい本の匂いというか未知へのドキドキというか、本棚の間を歩きながら、出会ったこともない本を探したり手に取ったりしばし立ち読んだりと、ああいう素敵な時間の素敵さを知ってる人は、まだまだ本屋に足を運ぶと僕は思います。 だいぶ前だけど、クラシック好きなうちの父親が100円ショップでフルトヴェングラーのブラームスやらヴェートーヴェンやらを買うてきておきながら、「こんな名曲集が100円とは…」と呻いてた。僕もこないだブックオフで太宰を100円で買った。どーでもいいマンガと一緒にね。太宰ならそんなん笑うだけだろうが。ええそのとおりですホントに憐れな奴です、と。
9月半ばに出て速攻で予約して借りて読んでた本を、これはSKに必要そうな本だなあと思ったので薦めたらSKはちゃんと買っていました。偉いな。 TAも本をよく買うね。TAが買った本を僕は借りて読んでいます。 うちの両親も忙しい中でよく本を買う。 そう考えると僕はあまりちゃんと本を買わないなあ。
セレブヤブレカブレ
2005年11月9日授業終わってから良い天気だったので昼下がり、大学周辺を散歩しました。白金周辺をね。八方園とか。プラチナ通り?とかを。ほとんどこっちの方は歩いたことなかったなあ。小ぎれいなカフェが並び、犬の散歩なぞしてるマダムがちらほら。シロガネーゼかーこれが。こんなとこでお茶してもなあ。今日財布にお金がなかったので、あればEつんにお茶おごってあげたけどあら残念。 しかしでも最近出費してるなあ。いかんね。節約しなけりゃあ。ああ白金台を歩きながらそんな貧相なことを考えました。バカだね。
教員免許の申請説明会が今日でラストだった。ホントID君が教えてくれなかったらやばかった。Dさんも忘れてたって。ホント教育実習が終わって、とるべき単位も取っちゃって、4年生はあまり大学こなくて、絶対油断はあるよなあ。絶対忘れてるやつかなりいるぞ。恐ろしいなあ。 まあ教師はね、限りなく可能性なさそうだけど、がんばったんだから免許はちゃんとほしいね。しかしろくに勉強もしてないのに教師が生産されるこのシステムはどうかと思う。例の人材確保法を削ったりして競争原理などで教師の質を上げるのは、教育を支えるものが情熱だけってことだよな。それはそれでいいのかもしれんけど、M先生たちががんばって闘って、開放制免許制度を維持してても、私大の普通学部での教職課程がこれじゃあな。そう、そんなこというんなら、教職課程を見直してほしかったよって思う。「幅が広い」っていうのかこれを?ゆるゆるなだけだろ。はあ。免許申請に金かかるのも、ハア!?て思う。明日文句言ったろかな。
教員免許の申請説明会が今日でラストだった。ホントID君が教えてくれなかったらやばかった。Dさんも忘れてたって。ホント教育実習が終わって、とるべき単位も取っちゃって、4年生はあまり大学こなくて、絶対油断はあるよなあ。絶対忘れてるやつかなりいるぞ。恐ろしいなあ。 まあ教師はね、限りなく可能性なさそうだけど、がんばったんだから免許はちゃんとほしいね。しかしろくに勉強もしてないのに教師が生産されるこのシステムはどうかと思う。例の人材確保法を削ったりして競争原理などで教師の質を上げるのは、教育を支えるものが情熱だけってことだよな。それはそれでいいのかもしれんけど、M先生たちががんばって闘って、開放制免許制度を維持してても、私大の普通学部での教職課程がこれじゃあな。そう、そんなこというんなら、教職課程を見直してほしかったよって思う。「幅が広い」っていうのかこれを?ゆるゆるなだけだろ。はあ。免許申請に金かかるのも、ハア!?て思う。明日文句言ったろかな。
ぐずぐずーる
2005年11月8日だめだなあ。物事がなかなかうまくいかないや。そんなことにも慣れてしまっていて逆にたちが悪いのかもしれないな。
夜はSKの家に飲みに行った。地元での家飲みはホントリラックスするね。いろいろ話した。大体くだらない話だが、それほどくだらなくもなかったり、でもくだらなかったり。 SKの卒論は階層社会論でいけそうじゃないか。なんだかむしろ僕はいまいろいろいっぱいいっぱいで、SKの卒論でそのテーマ取り上げてくれると興味深いな。まとめてほしいもんだ。がんばれがんばれ。 ああ、焼酎のお湯割りおいしかったなあ。
大晦日の「ダイナマイト」の興業で、曙VSボビー・オロゴンが決まったそうな。あああ…マジかよ…なんてピエロカードなんだ…。そんなキワモノ決戦いいかげんにしてくれよ…。 だけど、それでも僕は曙を死ぬ気で応援するんだろうな。去年のホイス戦はマジで悔しかった。やはりやはりtakebonoは曙と一心同体なのです。絶対勝て。ボビーなんぞ殺せ。いやでもあんな素人倒しても嬉しくなんかない。ああ、結局は酷すぎるマッチメーク。悲しすぎる年越し。これで万が一我が愛する曙が負けたら…takebonoは2006年の朝日を見ることなく失踪します。間違いなくね。
夜はSKの家に飲みに行った。地元での家飲みはホントリラックスするね。いろいろ話した。大体くだらない話だが、それほどくだらなくもなかったり、でもくだらなかったり。 SKの卒論は階層社会論でいけそうじゃないか。なんだかむしろ僕はいまいろいろいっぱいいっぱいで、SKの卒論でそのテーマ取り上げてくれると興味深いな。まとめてほしいもんだ。がんばれがんばれ。 ああ、焼酎のお湯割りおいしかったなあ。
大晦日の「ダイナマイト」の興業で、曙VSボビー・オロゴンが決まったそうな。あああ…マジかよ…なんてピエロカードなんだ…。そんなキワモノ決戦いいかげんにしてくれよ…。 だけど、それでも僕は曙を死ぬ気で応援するんだろうな。去年のホイス戦はマジで悔しかった。やはりやはりtakebonoは曙と一心同体なのです。絶対勝て。ボビーなんぞ殺せ。いやでもあんな素人倒しても嬉しくなんかない。ああ、結局は酷すぎるマッチメーク。悲しすぎる年越し。これで万が一我が愛する曙が負けたら…takebonoは2006年の朝日を見ることなく失踪します。間違いなくね。
空白地帯
2005年11月7日眠みい。なんでこんなに眠いんだ。あがってくれ、瞼。
今すべきことがかぶりまくってんだよ。
シャキッとせえ、脳。
焦らすなよ、心臓。
ホントにだめだね、体内時計。
何かに括れるの?この感情。
今すべきことがかぶりまくってんだよ。
シャキッとせえ、脳。
焦らすなよ、心臓。
ホントにだめだね、体内時計。
何かに括れるの?この感情。
そう、創世期
2005年11月6日二日連続飲みは眠いなー。今日はバドミントンとサッカーをして、その後駅に自転車取りにいった。葛飾区なんか普段絶対行かないよなあ。
昨日の結婚式でみんなに配ったTちゃんブランドのイラストカレンダーを、今日改めて取り出して見たけど、ホントかっこよくて素敵だと思った。絵って素敵だなあ。 昨日のバンド演奏も。MM氏がサックスで、G弟がトロンボーンで、Hさんが歌ってて、いいバンドだなあと思った。かつて音楽に嫉妬して買った僕のギターはいまやインテリア以前に部屋の隅だ。音楽って素敵だなあ。 演劇の演出とかをやってるうちの兄は年明けの公演で死にそうらしい。演劇も素敵。 そしていまの僕は小説や詩を書いたりしてる。文字は素敵。 多様な表現力ってすばらしいな。消費でも生産でも投資でもなく、想像と創造。なによりも素敵だな。 MM氏が持ってたカメラで写真かじらせてもらおうかな。あと料理もやってみたいな。あとはサッカーの試合がしたいな。次の瞬間に自分の手によって生み出される自分だけのものって素敵だ。
年が明けて卒論を出していろんなことが終わったら、いろいろなことを考えて動き始めないとなあ。不安だなあ。でも前ほどじゃないな。 なによりも自分の生き方を自分の手で素敵に創造していかないとな。何の解答もいまはとりあえずいらないな。
「AHAHAと月が笑ってる。どうか飛ばないで。鳥にはなれないよ。逝くなよマイフレンド。此処には何だってある。死にそうな僕だっている」(「リーライフ」より)
昨日の結婚式でみんなに配ったTちゃんブランドのイラストカレンダーを、今日改めて取り出して見たけど、ホントかっこよくて素敵だと思った。絵って素敵だなあ。 昨日のバンド演奏も。MM氏がサックスで、G弟がトロンボーンで、Hさんが歌ってて、いいバンドだなあと思った。かつて音楽に嫉妬して買った僕のギターはいまやインテリア以前に部屋の隅だ。音楽って素敵だなあ。 演劇の演出とかをやってるうちの兄は年明けの公演で死にそうらしい。演劇も素敵。 そしていまの僕は小説や詩を書いたりしてる。文字は素敵。 多様な表現力ってすばらしいな。消費でも生産でも投資でもなく、想像と創造。なによりも素敵だな。 MM氏が持ってたカメラで写真かじらせてもらおうかな。あと料理もやってみたいな。あとはサッカーの試合がしたいな。次の瞬間に自分の手によって生み出される自分だけのものって素敵だ。
年が明けて卒論を出していろんなことが終わったら、いろいろなことを考えて動き始めないとなあ。不安だなあ。でも前ほどじゃないな。 なによりも自分の生き方を自分の手で素敵に創造していかないとな。何の解答もいまはとりあえずいらないな。
「AHAHAと月が笑ってる。どうか飛ばないで。鳥にはなれないよ。逝くなよマイフレンド。此処には何だってある。死にそうな僕だっている」(「リーライフ」より)
愛と祝福のTaKebono
2005年11月5日TちゃんとKちゃんの結婚式に出てきた。なんだよ。「結婚を祝う会」とかいうから、仲間内だけで公民館の会議室かなんかでクラッカーぱーん!みたいなささやかな催し物かと思ってたら、思いっきし普通の結婚式じゃん。人たくさんいてびびった。スーツで行ってよかったわ。 しかし居づらかったな。幸福の形はそれこそ多様なんだな。わかりはじめてた。ゴミじゃないんだ彼らは。そうなんだな。
M兄泣いてた。しかしこんな日がホントにきたんだね。
ヒキこもってた頃のKちゃんはもうそこにいなかった。真っ白なウエディングドレス着て超きれいになってたTちゃんの手を取って、スーツの似合うちゃんと立派な男になっていた。
思えば色々なことがあったっけ。
覚えてないだろうな。あの頃、死にそうな目をして完璧に閉ざしてるKちゃんに、最初に話しかけたのは僕だったんだぜ。takebonoさんは常に人と人をつなげたいんだってあの頃から思ってたんだ。だからまたいつものように、僕は話しかけておいてから、それから隣のSD君にふってあげたんだ。あそこからだったねきっと、あそこからどんどん築かれていったんだよ、SD君は今やKちゃんにとって掛け替えのない仲間になってる。今日の式の進行を全部しきってたのもSD君だった。途中泣いてたねSD。いや、かつてのKちゃんを知る人は、みんな泣いてた。嬉しすぎるよねこんな日が来たこと。 Kちゃんが長い間自分自身に苦しんできたことは、いまKちゃん自身の力になってる。みんな、Kちゃんをずっと応援し続けてきたんだぜ。Tちゃんを絶対に泣かすなよKちゃん。
覚えてないだろうな。KちゃんTちゃんがまだ付き合い始める前に、一回だけ3人で電車乗ったことがあったよね。あんとき、普段陰気で無口なKちゃんが、Tちゃんの前でだけは、とんでもなく楽しそうに笑顔で話してたことに僕は驚いたっけ。あのKちゃんがだぜ、なんていい笑顔をするんだろって僕は思った。Tちゃんの前でなら、Kちゃんはホント心から幸せそうに笑うんだ。既にあんとき、僕は見守ってたんだぜ。二人の会話を邪魔しないようにさ。
Kちゃんに教わったこと。自分の足で踏み出した一歩こそが、ものすげえ力に変わるんだってこと。 Tちゃんに教わったこと。自分の出来うる限りの、全ての人に優しく在ること。 ずっと僕は、二人の人間性を尊敬していた。勇気と優しさこそが世界を変えるのだということを、二人からは幾度も教わった。
花束を渡しそこねたので2次会まで出て渡して握手してきた。TちゃんKちゃん本当におめでとう。別れの有り得ない二人。お互いの全てを背負える二人。唯一無二の愛は、お二人の人間らしさがいつのときも共に紡ぎ上げた、全てのものへの感謝だったんだろうな。
何もかも、不純物らしきものが削ぎ落とされ、その人の全てを含めた「生」の意味が、いつの日かtakebonoさんの衝動になりうるのだろうか。いまそんなことを考えるのは愚かなんだろうか。
末永く、いつまでも、絶対に幸せに、手繋ぎながら日々を過ごしてってください。TちゃんKちゃん、本当におめでとう!T&K忘れるなよ。「T」a「K」ebono=TaKebono 僕はいつだって二人の味方だよ。結婚本当におめでとう。
M兄泣いてた。しかしこんな日がホントにきたんだね。
ヒキこもってた頃のKちゃんはもうそこにいなかった。真っ白なウエディングドレス着て超きれいになってたTちゃんの手を取って、スーツの似合うちゃんと立派な男になっていた。
思えば色々なことがあったっけ。
覚えてないだろうな。あの頃、死にそうな目をして完璧に閉ざしてるKちゃんに、最初に話しかけたのは僕だったんだぜ。takebonoさんは常に人と人をつなげたいんだってあの頃から思ってたんだ。だからまたいつものように、僕は話しかけておいてから、それから隣のSD君にふってあげたんだ。あそこからだったねきっと、あそこからどんどん築かれていったんだよ、SD君は今やKちゃんにとって掛け替えのない仲間になってる。今日の式の進行を全部しきってたのもSD君だった。途中泣いてたねSD。いや、かつてのKちゃんを知る人は、みんな泣いてた。嬉しすぎるよねこんな日が来たこと。 Kちゃんが長い間自分自身に苦しんできたことは、いまKちゃん自身の力になってる。みんな、Kちゃんをずっと応援し続けてきたんだぜ。Tちゃんを絶対に泣かすなよKちゃん。
覚えてないだろうな。KちゃんTちゃんがまだ付き合い始める前に、一回だけ3人で電車乗ったことがあったよね。あんとき、普段陰気で無口なKちゃんが、Tちゃんの前でだけは、とんでもなく楽しそうに笑顔で話してたことに僕は驚いたっけ。あのKちゃんがだぜ、なんていい笑顔をするんだろって僕は思った。Tちゃんの前でなら、Kちゃんはホント心から幸せそうに笑うんだ。既にあんとき、僕は見守ってたんだぜ。二人の会話を邪魔しないようにさ。
Kちゃんに教わったこと。自分の足で踏み出した一歩こそが、ものすげえ力に変わるんだってこと。 Tちゃんに教わったこと。自分の出来うる限りの、全ての人に優しく在ること。 ずっと僕は、二人の人間性を尊敬していた。勇気と優しさこそが世界を変えるのだということを、二人からは幾度も教わった。
花束を渡しそこねたので2次会まで出て渡して握手してきた。TちゃんKちゃん本当におめでとう。別れの有り得ない二人。お互いの全てを背負える二人。唯一無二の愛は、お二人の人間らしさがいつのときも共に紡ぎ上げた、全てのものへの感謝だったんだろうな。
何もかも、不純物らしきものが削ぎ落とされ、その人の全てを含めた「生」の意味が、いつの日かtakebonoさんの衝動になりうるのだろうか。いまそんなことを考えるのは愚かなんだろうか。
末永く、いつまでも、絶対に幸せに、手繋ぎながら日々を過ごしてってください。TちゃんKちゃん、本当におめでとう!T&K忘れるなよ。「T」a「K」ebono=TaKebono 僕はいつだって二人の味方だよ。結婚本当におめでとう。
優しいのみ
2005年11月4日Aの部屋で飲みました。久しぶりにOくんやC氏と話せて楽しかった。なんだか出会った頃からいつも僕らはこんなんだったね。みんなでゆっくり過ごすこんな時間が僕はとてもすきで、いつまでもみんなと飲みたいと願うけど、もうすぐ学生生活も終わりで、みんなそれぞれの道へ歩み出すんだよな。寂しいと思うよりも、楽しかったと思う方が強い。こんな僕を生かしてくれた、素敵すぎる仲間たちだったからな。
Aが酔っ払ってました。きっと優しいんだな誰もが。誰もがすてきで、僕が無神経なだけか。
無力に迎合か。自爆も犬死にも確かにバカバカしくて、社会というやつはそれでも小さい個人を次々飲み込んでいって、そして具体的に恐さや愚かさが襲ってきたりして。そんな中で格差が拡大して、個人は流動化して、社会は不安定化してく。不思議なことにそれでも自民党は大勝する。増税に憲法改正。あの頃予想した悪い方の未来にどんどん近づいてる感じ。安易な言葉に飛び乗るほど皆疲れちゃってるのかもしれないし。とりわけ忙しない幸福にその解答を見出そうと、正義に依ろうと、安全という愉悦に酔おうと、僕にはどれもがよくわからなくて、社会よりも自分に期待していたりする。でも僕が社会に何かできるのかな。
どう生きてこうかって散々考えた後で僕は高校を選び大学を選びここまできた。根本は何も変わってないな。大人社会が言う「変わるもんだよ」とかいう一般論の後には「変わらなきゃだめ」という強制がいつもあった。嘘を信じれず、現実に酔えず、グチャグチャでドロドロなヘドロとマグマの合わさったような部分はみんな否定されたり隠蔽されたりして、ハキダメみたいな所でダークフォースに落ちるんじゃないのかな。「個性」尊重しといてそりゃないわって思う。探すべきは自分を苦しめたものの正体だろ。自分自身に問い続けて、社会にアプローチするしかないか。 君を苦しめたのは大人か。自民党か。大企業の奴らか。官僚の奴らか。アメリカか中国か北朝鮮か。アダムスミスなのかケインズなのか。拳かそれとも言葉か。自分自身か。脳か。運命か。闇かそれとも光か。グレアム・ヤングなのか。 君を救うものはその中にあるのかい。白日夢に裁かれるは一体誰なのだね。
酒が入ると支離滅裂。寝よう。あぁもう書いたのにアップもできない。また明日。みんなおやすみ。
Aが酔っ払ってました。きっと優しいんだな誰もが。誰もがすてきで、僕が無神経なだけか。
無力に迎合か。自爆も犬死にも確かにバカバカしくて、社会というやつはそれでも小さい個人を次々飲み込んでいって、そして具体的に恐さや愚かさが襲ってきたりして。そんな中で格差が拡大して、個人は流動化して、社会は不安定化してく。不思議なことにそれでも自民党は大勝する。増税に憲法改正。あの頃予想した悪い方の未来にどんどん近づいてる感じ。安易な言葉に飛び乗るほど皆疲れちゃってるのかもしれないし。とりわけ忙しない幸福にその解答を見出そうと、正義に依ろうと、安全という愉悦に酔おうと、僕にはどれもがよくわからなくて、社会よりも自分に期待していたりする。でも僕が社会に何かできるのかな。
どう生きてこうかって散々考えた後で僕は高校を選び大学を選びここまできた。根本は何も変わってないな。大人社会が言う「変わるもんだよ」とかいう一般論の後には「変わらなきゃだめ」という強制がいつもあった。嘘を信じれず、現実に酔えず、グチャグチャでドロドロなヘドロとマグマの合わさったような部分はみんな否定されたり隠蔽されたりして、ハキダメみたいな所でダークフォースに落ちるんじゃないのかな。「個性」尊重しといてそりゃないわって思う。探すべきは自分を苦しめたものの正体だろ。自分自身に問い続けて、社会にアプローチするしかないか。 君を苦しめたのは大人か。自民党か。大企業の奴らか。官僚の奴らか。アメリカか中国か北朝鮮か。アダムスミスなのかケインズなのか。拳かそれとも言葉か。自分自身か。脳か。運命か。闇かそれとも光か。グレアム・ヤングなのか。 君を救うものはその中にあるのかい。白日夢に裁かれるは一体誰なのだね。
酒が入ると支離滅裂。寝よう。あぁもう書いたのにアップもできない。また明日。みんなおやすみ。
日本之下流社会(一)
2005年11月3日 戯言戯言諸々その他僕は大学で社会学部とかいう学部に属しているのもあって、もともと社会階層問題のようなものに興味を持っていました。戦後日本が作りあげた「一億総中流」社会と呼ばれる(あくまで意識上の)平等社会が、今後解体されてゆくであろうという話は最近どこからでも聞くことができて、そういうのも興味深いです。それは「格差拡大社会」だとか、「二極化社会」だとか言われるやつ。市場主義的な立場からは、「結果の平等」よりも「機会の平等」が叫ばれ、そしてそれに対しては、経済格差だけではない「意欲格差」や「希望格差」なんて興味深い論説も出てきました。そう、どうやらこれからの日本社会は確実に、人々の生活実態と意識の両方共に格差が拡大してゆく傾向にあるらしいのです。
それを踏まえて、唐突ですがこのtakebonoには20代を過ごすビジョンのような夢があります。それは低生産低消費ライフを優しいコミュニティーで過ごしながら、自分の精神を満たすような生き方というか活動をしてゆくというライフスタイルです。
その鍵となるのは間違いなく「生産」と「消費」だと思います。経済的な意味だけではないいろんな意味での「生産」と「消費」。 かつてある紙面で、「若者の生活実態」を取り上げた記事コーナーを読みました。東京都の最低賃金レベルでどれだけの生活が送れるのか、なんてのを考察したりして、実際底辺ラインの若者を取材したりするコーナーでした。取材された若者は皆一様に貧しく、生活の苦しさを言葉にしていました。「お金が無いので休みの日は家でじっとしています」「友達の飲み会にいけません」「好きなCDも買えません」「デートもあまりできません」etc…。 ホントにかわいそうでした。記事のねらいもまあそう思わせるところにあるのだと思いますが、かわいそうに思ったのはホントです。僕はしかしこの記事を読み実態を理解した上で、やはり深く共感できなかったのでした。なぜかというと、僕自身が休みの日に外出などしてお金を使うような消費体系に自分をおいてないからです。(それは僕が学生だってことも大きく関わってますが) 飲み会はほとんど家飲みです。外の飲み屋なんてぼったくりだってSKとかともよく話しながら家でかなり飲みます。第一地元以外で飲むと帰れなくなるのがとても心配だからです。交通費もかかるしね。それに家飲みは本当にまったりリラックスできるからです。それを可能にするのもコミュニティーなのだけど、とにかく家飲みは安い。 そして本やCDやDVDはほとんど買いません。図書館かレンタルです。お金を払って使用する趣味はどこかリラックスできないのです。そんなレベル。 そしてデートでお金なんかかけようとも思いません。僕はディズニーランド廃止論者でもあるんです。 どうも巷の若者の消費体系と僕の欲求体系は異なるようなのです。どうしていつの時も産業に貢献しなきゃならんのかよくわからんのです。それだけ消費型産業社会では消費意欲を常に刺激されてるってことで、アイデンティティーやライフスタイルなどもカネと消費に依存してるってことなのかもしれません。だけど消費する人がいて経済が回転しているのも事実です。だから消費社会自体を否定するわけでもありません。 ただ散歩とサッカーと読書と家飲みとマンガの立ち読みと新聞やネットの政治やスポーツニュースと小説書きとマンガ描きとネタ探しとソウルフィーリングが大すきなtakebonoさんは、全く消費型資本主義に貢献しないってことです。金と物とマジョリティーの流れに依存するような余暇や人間関係が、それこそ商品を消費してるようでたまらなく僕は嫌なのです。かつて義務教育でつまづいたときも僕はこんな感じでした。僕には「ネタ」とソウルだけで充分なんです。面白ければ当然楽しいのです。周囲を憎んでたわけじゃなくて、僕は自分に自分を依らせたかったんです。 本当に必要性に駆られたとき以外は自販機もコンビニも使いません。服もほとんど買いません。価値観の問題だからあまり苦しいとかとは違うように思います。 大学の知り合いでいつも「お金無くて」と言ってる奴が、結構高価な物を身に付けてたり、金かかる消費体系にいることを自画自賛してたりするの見ると、面白いなって思います。理解し合うことがないことを理解するからです。
学生時代に僕が確立したかったことは、僕がtakebono的な20代を過ごすビジョン作りでもありました。それは自分のフレームのようなものを創る作業だったのです。
だから僕は結局それは「消費」の体系次第なんじゃないかって思うのです。所得が格差化・二極化してゆくのなら尚更。だからこそ階層問題論は消費社会論と一緒だとより身近だなあと思うのです。そんな本をいま読んでいます。ゼミ合宿のとき飲みながら先生がTAに説教したとき話題に出てきたやつです。あれで先生はいい人なんだと思ったのです。
ああ書きすぎ。イントロで終わり。
“つづく”
それを踏まえて、唐突ですがこのtakebonoには20代を過ごすビジョンのような夢があります。それは低生産低消費ライフを優しいコミュニティーで過ごしながら、自分の精神を満たすような生き方というか活動をしてゆくというライフスタイルです。
その鍵となるのは間違いなく「生産」と「消費」だと思います。経済的な意味だけではないいろんな意味での「生産」と「消費」。 かつてある紙面で、「若者の生活実態」を取り上げた記事コーナーを読みました。東京都の最低賃金レベルでどれだけの生活が送れるのか、なんてのを考察したりして、実際底辺ラインの若者を取材したりするコーナーでした。取材された若者は皆一様に貧しく、生活の苦しさを言葉にしていました。「お金が無いので休みの日は家でじっとしています」「友達の飲み会にいけません」「好きなCDも買えません」「デートもあまりできません」etc…。 ホントにかわいそうでした。記事のねらいもまあそう思わせるところにあるのだと思いますが、かわいそうに思ったのはホントです。僕はしかしこの記事を読み実態を理解した上で、やはり深く共感できなかったのでした。なぜかというと、僕自身が休みの日に外出などしてお金を使うような消費体系に自分をおいてないからです。(それは僕が学生だってことも大きく関わってますが) 飲み会はほとんど家飲みです。外の飲み屋なんてぼったくりだってSKとかともよく話しながら家でかなり飲みます。第一地元以外で飲むと帰れなくなるのがとても心配だからです。交通費もかかるしね。それに家飲みは本当にまったりリラックスできるからです。それを可能にするのもコミュニティーなのだけど、とにかく家飲みは安い。 そして本やCDやDVDはほとんど買いません。図書館かレンタルです。お金を払って使用する趣味はどこかリラックスできないのです。そんなレベル。 そしてデートでお金なんかかけようとも思いません。僕はディズニーランド廃止論者でもあるんです。 どうも巷の若者の消費体系と僕の欲求体系は異なるようなのです。どうしていつの時も産業に貢献しなきゃならんのかよくわからんのです。それだけ消費型産業社会では消費意欲を常に刺激されてるってことで、アイデンティティーやライフスタイルなどもカネと消費に依存してるってことなのかもしれません。だけど消費する人がいて経済が回転しているのも事実です。だから消費社会自体を否定するわけでもありません。 ただ散歩とサッカーと読書と家飲みとマンガの立ち読みと新聞やネットの政治やスポーツニュースと小説書きとマンガ描きとネタ探しとソウルフィーリングが大すきなtakebonoさんは、全く消費型資本主義に貢献しないってことです。金と物とマジョリティーの流れに依存するような余暇や人間関係が、それこそ商品を消費してるようでたまらなく僕は嫌なのです。かつて義務教育でつまづいたときも僕はこんな感じでした。僕には「ネタ」とソウルだけで充分なんです。面白ければ当然楽しいのです。周囲を憎んでたわけじゃなくて、僕は自分に自分を依らせたかったんです。 本当に必要性に駆られたとき以外は自販機もコンビニも使いません。服もほとんど買いません。価値観の問題だからあまり苦しいとかとは違うように思います。 大学の知り合いでいつも「お金無くて」と言ってる奴が、結構高価な物を身に付けてたり、金かかる消費体系にいることを自画自賛してたりするの見ると、面白いなって思います。理解し合うことがないことを理解するからです。
学生時代に僕が確立したかったことは、僕がtakebono的な20代を過ごすビジョン作りでもありました。それは自分のフレームのようなものを創る作業だったのです。
だから僕は結局それは「消費」の体系次第なんじゃないかって思うのです。所得が格差化・二極化してゆくのなら尚更。だからこそ階層問題論は消費社会論と一緒だとより身近だなあと思うのです。そんな本をいま読んでいます。ゼミ合宿のとき飲みながら先生がTAに説教したとき話題に出てきたやつです。あれで先生はいい人なんだと思ったのです。
ああ書きすぎ。イントロで終わり。
“つづく”
ゴミクズのみ
2005年11月2日AとDさんとSSさんとでうちで飲んだ。今日はおでん。 Aは本当にビールがすきですね。Aとtakebonoならホントいくらでも永久にビールを飲めそうだぜ。 しかしDさんとSSさんは面白いな。全部ネタにしたいくらい面白い。とりわけSSは狂ってる。そんなところが大すきです。頭がおかしいみんながtakebonoは大すきだよ。「個性」だなんてマジックワード。そんなんどうだっていいくらいに、愛おしく感じるこのゴミュニティーをもっともっとすばらしく活かせないもんだろうか。
その後SKと飲んだ。連絡を忘れてて待たせちゃって悪いことした。色々話したけど楽しかった。 しかしSKとSSを対面させたらどうなってただろ。それはそれで面白かっただろうな。
飲みは楽しいな。本当に楽しい。それだけは僕ん中でいつまでも揺るがない。
その後SKと飲んだ。連絡を忘れてて待たせちゃって悪いことした。色々話したけど楽しかった。 しかしSKとSSを対面させたらどうなってただろ。それはそれで面白かっただろうな。
飲みは楽しいな。本当に楽しい。それだけは僕ん中でいつまでも揺るがない。
世界詩集【3】
2005年11月1日「今日の唄」
癒しはいらない 隣に座る他人もいらない
もう我慢できないくらいに
そんなにキレる日たくさんあるから
勝利した奴らが胸張って生きている
恐れ知らぬ奴らが今日もまた血流している
のたれ死ぬのはそりゃ多分楽しくないだろう
犬のように飯を食らうのもきっと多分嫌だろう
どうせどのようにどこに価値さえ見出すことできぬ俺
一生懸命生きること自体きっと誰も見逃してゆく
一体何処が楽しいのかなそれ
泣きながら死んでも歌いながら死んでも
別にきっと何処かで誰かが幸せになってゆくんだ
誰か幸せになってゆくんだ
→大昔に書いた詩。なんて卑屈なんだろう。
癒しはいらない 隣に座る他人もいらない
もう我慢できないくらいに
そんなにキレる日たくさんあるから
勝利した奴らが胸張って生きている
恐れ知らぬ奴らが今日もまた血流している
のたれ死ぬのはそりゃ多分楽しくないだろう
犬のように飯を食らうのもきっと多分嫌だろう
どうせどのようにどこに価値さえ見出すことできぬ俺
一生懸命生きること自体きっと誰も見逃してゆく
一体何処が楽しいのかなそれ
泣きながら死んでも歌いながら死んでも
別にきっと何処かで誰かが幸せになってゆくんだ
誰か幸せになってゆくんだ
→大昔に書いた詩。なんて卑屈なんだろう。
ノンタイトル
2005年10月31日今日は卒論の中間提出をしに学校へ。昨日実家に戻っていた姉が僕の定期を借りたまま福島に帰りやがったために、切符を買う羽目に。錦糸町に寄りたかったのにな。ちゃんとチャージさせて送り返してもらわなきゃな。
なんとか中間提出8000字をクリアし安心しました。どんどん書いていかないとな。今日は社学の友達を多く見かけた。皆卒論がんばっているな。Rさんは藤子マンガにテーマ絞ったのかな。Rさんぽいな。楽しみだ。
学園祭の準備とかでキャンパスはやたら人がいてやかましくて出店やイベントの準備作業が行われていて今日は実に歩きにくかった。早く終わらないかな。最後の学園祭だから何か絡もうかとも思ったけど、特に行っても面白くなさそうだ。TAの落研だけ見にいってやるかな。でもやっぱめんどいな。
昨日T氏がうちに足強化するやつ忘れてった。せっかくだから今日学校に両足着けていったよ。重かった。誰かに会ったら見せてやろうかと思ってたけど馬鹿らしくてやめた。
今週はいろいろ取り組もう。大切に時間を過ごそう。
なんとか中間提出8000字をクリアし安心しました。どんどん書いていかないとな。今日は社学の友達を多く見かけた。皆卒論がんばっているな。Rさんは藤子マンガにテーマ絞ったのかな。Rさんぽいな。楽しみだ。
学園祭の準備とかでキャンパスはやたら人がいてやかましくて出店やイベントの準備作業が行われていて今日は実に歩きにくかった。早く終わらないかな。最後の学園祭だから何か絡もうかとも思ったけど、特に行っても面白くなさそうだ。TAの落研だけ見にいってやるかな。でもやっぱめんどいな。
昨日T氏がうちに足強化するやつ忘れてった。せっかくだから今日学校に両足着けていったよ。重かった。誰かに会ったら見せてやろうかと思ってたけど馬鹿らしくてやめた。
今週はいろいろ取り組もう。大切に時間を過ごそう。
世界詩集【2】
2005年10月30日「告白」
こんなときに何を思うの?
どんなときに何を語るの?
奇跡だってこと知ってるよ
だからそんなに飾らないでよ
歪めることなんてできないよ
それはそうたとえば揺らめきに近く
ゆっくり佇む君だけが持っている
僕にしかわからない君の意味を
君にしかわからない僕の言葉で
ただ不確かにでも伝えられたのなら
きっと世界は変わってゆくのでしょう
一人ぼっちでも憧れた
誰かと一緒に生きること
いまその夢が叶うなら
→昔書いた詩。日の目を見れてよかった。
こんなときに何を思うの?
どんなときに何を語るの?
奇跡だってこと知ってるよ
だからそんなに飾らないでよ
歪めることなんてできないよ
それはそうたとえば揺らめきに近く
ゆっくり佇む君だけが持っている
僕にしかわからない君の意味を
君にしかわからない僕の言葉で
ただ不確かにでも伝えられたのなら
きっと世界は変わってゆくのでしょう
一人ぼっちでも憧れた
誰かと一緒に生きること
いまその夢が叶うなら
→昔書いた詩。日の目を見れてよかった。
小夢日記(?2)
2005年10月29日夢こそアイディアの宝庫です。漫画家の永井豪は度々夢の中で見た光景をマンガ化させています。夢こそネタの宝庫です。笑えます。 だから僕はよく忘れないうちに夢の内容をメモしておきます。
こないだは「アルマゲドン」で宇宙に出発するチームの一員になった夢を見ました。あまり憶えてないです。
ついこないだはSMAPのメンバーになった夢を見ました。でも「仮メンバー」とかいう扱いなの。??よくわかんないけど。メンバー全員でトーク番組か取材か何かでソファーに座って収録してたら、隣の中居くんがしつこく絡んでくるの。キレちったよ。 香取くんは穏やかでした。
そんで歌の収録することになって、ハモるところでメチャクチャ失敗した。木村くんは歌が上手かった。
くだらない夢ばかり見ます。精神状態が安定してる証拠です。
こないだは「アルマゲドン」で宇宙に出発するチームの一員になった夢を見ました。あまり憶えてないです。
ついこないだはSMAPのメンバーになった夢を見ました。でも「仮メンバー」とかいう扱いなの。??よくわかんないけど。メンバー全員でトーク番組か取材か何かでソファーに座って収録してたら、隣の中居くんがしつこく絡んでくるの。キレちったよ。 香取くんは穏やかでした。
そんで歌の収録することになって、ハモるところでメチャクチャ失敗した。木村くんは歌が上手かった。
くだらない夢ばかり見ます。精神状態が安定してる証拠です。
最近読んだのは、白石一文のロングセラー「僕のなかの壊れていない部分」です。 とっても面白かった。イカれた主人公に共感するのはいつものことだけど、この作品の描写はどこか感覚的にぎたぎたと描かれていないそれでいて繊細な新鮮さがあった感じ。人が何のために生きているのかとか、ありふれた命題を、ただ真正面から向かい合って放り投げもせずに投げかけているような。静かな静かなそれこそ何の意味も持たないような生きていることへのアプローチが実に心をうちました。 僕も、僕の中の壊れていない部分にこそ、そいつを探して向き合ってみなきゃいけないのかもしれない。だけど一方で、結局は真理とか世界とか自分とかって、知りすぎるとおかしくなるものなのかとも思った。
−出版社に勤める29歳の「僕」は、3人の女性と同時に関係を持ちながらも、そのどれもが何らかの意義を担うわけでもなくその意義自体が深くなるわけでもなく過ごしていた。ときに「僕」は恋人や父親や愛人となり、模索するでもなき「生」の意味を繰り返す。僕のことを想ってくれる恋人。僕のことを必要としてくれるシングルマザー。僕に快楽を求めてくる人妻。そして鍵のかけない僕の部屋に出入りする2人の居場所無き若者たち。愛に憤り、喪失に対して悲しむべき僕は、どこの誰なのだろう。生まれてこなければよかった故に、僕は死ねずに生きている。現代を取り巻く生と死の分かちがたき関係は、全ての人の「ごく当たり前の想像力の欠如」において、哀しみを哀しみ返すようにそれは切なく響き渡ってゆく。
「僕には、誰かと共に生きる資格がなかった。その能力も決定的に欠如していた」
「あなたはね、この世の中のいろんなことに自分だけの違った答えを見つけようとしているのよ。あなたは誰もが得る喜びや誰もが得る満足、誰もが得る悲しみに自分の身を任すことをためらっているのよ。何か新しいあなただけの喜びや悲しみがあるべきだといつも不平ばかりこぼしているのよ」
物語のラスト。総理大臣を襲撃し殺害した左翼少年・雷太がその犯行動機を供述する。
「…別に世の中を変えようとか、首相が日本をダメにしてるとか、そんなこと考えてみたこともないっす。…実際は、俺らと一緒で、こいつが死んだって、世の中、何にも変わりやしないっていうか。まあ、そういうのを、みんなに一度教えてやりたかったってことですかね。それだっていま思いついたみたいなもんですけど。…とにかく早く死刑にでも何でもしてくださいよ。自分で死んだりするの、俺、チョー不得意だと思ってますから。」
いつか死ぬなんて当たり前のことを、僕はどこまでわかろうとしているのかな。僕は壊れたくもない。普通にtakebonoさんであるだけでいいのです僕は。
−出版社に勤める29歳の「僕」は、3人の女性と同時に関係を持ちながらも、そのどれもが何らかの意義を担うわけでもなくその意義自体が深くなるわけでもなく過ごしていた。ときに「僕」は恋人や父親や愛人となり、模索するでもなき「生」の意味を繰り返す。僕のことを想ってくれる恋人。僕のことを必要としてくれるシングルマザー。僕に快楽を求めてくる人妻。そして鍵のかけない僕の部屋に出入りする2人の居場所無き若者たち。愛に憤り、喪失に対して悲しむべき僕は、どこの誰なのだろう。生まれてこなければよかった故に、僕は死ねずに生きている。現代を取り巻く生と死の分かちがたき関係は、全ての人の「ごく当たり前の想像力の欠如」において、哀しみを哀しみ返すようにそれは切なく響き渡ってゆく。
「僕には、誰かと共に生きる資格がなかった。その能力も決定的に欠如していた」
「あなたはね、この世の中のいろんなことに自分だけの違った答えを見つけようとしているのよ。あなたは誰もが得る喜びや誰もが得る満足、誰もが得る悲しみに自分の身を任すことをためらっているのよ。何か新しいあなただけの喜びや悲しみがあるべきだといつも不平ばかりこぼしているのよ」
物語のラスト。総理大臣を襲撃し殺害した左翼少年・雷太がその犯行動機を供述する。
「…別に世の中を変えようとか、首相が日本をダメにしてるとか、そんなこと考えてみたこともないっす。…実際は、俺らと一緒で、こいつが死んだって、世の中、何にも変わりやしないっていうか。まあ、そういうのを、みんなに一度教えてやりたかったってことですかね。それだっていま思いついたみたいなもんですけど。…とにかく早く死刑にでも何でもしてくださいよ。自分で死んだりするの、俺、チョー不得意だと思ってますから。」
いつか死ぬなんて当たり前のことを、僕はどこまでわかろうとしているのかな。僕は壊れたくもない。普通にtakebonoさんであるだけでいいのです僕は。