いつもはじまり
2006年3月25日昼間っからTAん家に遊びに行って、ビール飲みながら野球とサッカーと相撲をTV観戦した。
野球。 パ・リーグ開幕ですか。ノリ・キヨのゴリラコンビはさい先良いスタートでした。
サッカー。 浦和レッズ強いな。ワシントンはすごい。長谷部はおいしすぎるな。
相撲。 白鵬、大関へ。虎視眈々と朝青龍。土壇場の魁皇。執念の栃東。明日優勝が決まるね。白鵬か、横綱か。今場所も壮絶なドラマの最終章を、相撲の神様は用意してるはずだ。
みろ、把瑠都が14連勝じゃないか。
それからプレステのクイズゲームをやりました。異常なハイスコアを叩き出しました。分野は「特撮・マンガ」。僕らってかなりのクズなのかな。オタクってわけでもないんだろうけど。
そのあとうちでマンガを10冊くらい貸してやりました。部屋には本とマンガが積み重なってたり散乱してたりするので、TAは驚いて嬉しがってました。
最近、小説を一編書き終えました。でもおもしろくないんだよね。なんでだろ。そりゃおもしろかったら既に作家だろってか。
気鋭の戯曲家takenatsu氏に今度読んでもらおうと思います。きっと「これマンガかねえ」とか言うと思いますが。
まず職業作家なんて僕は目指さない。ソウルは合理的であってはならない。効率的であってもならない。不確定要素というより不可抗力だ。そして憧れるものでもない。クズの極地だそんなもの。求めるときにだけ現れてる、リアルの一片でいいんですよ。実際、すべきことは書くことだけなんだ。
法律と金融を学びたいな。
低消費ソウルフルライフを確立しつつ。
僕の目に映った。ここからだ。
野球。 パ・リーグ開幕ですか。ノリ・キヨのゴリラコンビはさい先良いスタートでした。
サッカー。 浦和レッズ強いな。ワシントンはすごい。長谷部はおいしすぎるな。
相撲。 白鵬、大関へ。虎視眈々と朝青龍。土壇場の魁皇。執念の栃東。明日優勝が決まるね。白鵬か、横綱か。今場所も壮絶なドラマの最終章を、相撲の神様は用意してるはずだ。
みろ、把瑠都が14連勝じゃないか。
それからプレステのクイズゲームをやりました。異常なハイスコアを叩き出しました。分野は「特撮・マンガ」。僕らってかなりのクズなのかな。オタクってわけでもないんだろうけど。
そのあとうちでマンガを10冊くらい貸してやりました。部屋には本とマンガが積み重なってたり散乱してたりするので、TAは驚いて嬉しがってました。
最近、小説を一編書き終えました。でもおもしろくないんだよね。なんでだろ。そりゃおもしろかったら既に作家だろってか。
気鋭の戯曲家takenatsu氏に今度読んでもらおうと思います。きっと「これマンガかねえ」とか言うと思いますが。
まず職業作家なんて僕は目指さない。ソウルは合理的であってはならない。効率的であってもならない。不確定要素というより不可抗力だ。そして憧れるものでもない。クズの極地だそんなもの。求めるときにだけ現れてる、リアルの一片でいいんですよ。実際、すべきことは書くことだけなんだ。
法律と金融を学びたいな。
低消費ソウルフルライフを確立しつつ。
僕の目に映った。ここからだ。
無知takebono経済学?
2006年3月24日 戯言戯言諸々その他経済に触れようと思いながらなかなか時間が過ぎてしまった。自明な事ながら、「経済」と「経済学」は全然違うなということに改めて気付く。テキストにあるような経済メカニズムの仕組みや経済学者の論説から入るのか、経済の歴史や思想史のようなものも必要になってくるし。つまり途方もなく範囲が広いものにどこからどうやって触れようかと立ち止まってしまった。ハッキリ言って僕は市場経済の基本的なことすらわかっていないのだ。
まあしかしそれならそれで無知故の学びがあるような気もして、やっぱり興味から入ることにした。
さて、僕が経済という怪物を見ようとするにあたり、とりあえず一番興味を持ったのは「市場主義」というやつだった。需給バランスによる価格決定と欲望調節に始まる市場メカニズムってやつはホントに〈神の手〉で、すげえなあといつも思ってたからだ。無駄な摩擦や障壁や老廃物みたいなものが全て取り除かれた純粋な市場に全てを任せれば、何もかもうまく人間の欲望は調節できて、平和と秩序が守られるんじゃないかなあとか頭のどこかでなんとなく思ってたからだ。でもそれはやはり一面的であって、よく周囲を見渡せばやっぱ市場経済という怪物は残酷な暴力を生んでいるし、犠牲者や被害者をいくらでも生んでいることにも気付く。とりわけ自由競争という名の奪い合いは優勝劣敗が必然的なものであって、劣っている者が奪われることに対しどこまで認めどこまで反対するかという問題でもある。根こそぎ奪ってもOKとするのか、少しくらい残してやるのか、劣者が自暴自棄になり社会が不安定になり始めるのはその収奪レートがどれくらいからなのか。それらを決めるのは社会であり、市場主義は市場にそのルールを大きく委ねることに意義があるとされているらしいのだ。だから、或る正しさの根拠なんて、僕は簡単に口にすることなんてできなかったんだ。仮に「正義」という言葉を使うとして、そんなものを持ちながらだったら、この怪物はまともに見ることすら叶わないんじゃないかと。弱者が奪われることを当然だろと正当化できるその根拠なんてのは、考える前から現実そうなってるじゃんって思うからだ。
そして近年のこの国の社会ではその「市場主義」がやたら台頭してきてる。混迷する日本経済をよみがえらせるためには、並大抵の処置ではダメ、やはり経済構造改革というオペが必要!という声を受けてのものだ。郵政や教育を初めとしていろんな所が改革されたし、これからも改革されてゆくはずだ。日本型雇用制度・慣行はどれもこれもが見事なまでに競争回避型に仕組まれている、と彼ら市場主義論者はいう。市場主義改革とは、日本型制度・慣行をアメリカ型のそれに作りかえることを意味してる。でもまだそれがどうゆうことなのか僕はよくわかってない。
景気は回復軌道に乗ってきてる。求人倍率は上がってる。日銀の量的緩和策は遂に終わりを告げた。企業のリストラと非正社員化など諸処の人材合理化効率化作戦は、格差拡大と社会不安定化という重い代償を払いながらもそれ自体は一応うまいこと進行して、またしても景気はしぶとく回復するみたいだ。だけどその陰には政府の大増税政策が待ちかまえている。間違いなく庶民や底辺層を直撃するだろう。経済成長は再び軌道に乗り、社会は衰退するだろう。選挙で選ばれた政府と、それを選んだ国民がその責任を棚上げにしたりして、どうせまたどこかの誰かにその責任転嫁をしたり、はけ口にもってったりするんだろう。ばかめが、と思う。でも景気回復は市場主義改革の成果だ。
「市場主義」という言葉は、やはりそれ自体は社会進歩の甲斐あってのもので、19世紀に花開く古典的市場主義「レッセフェール(自由放任)」に始まって、その後はケインズ経済学の台頭で影を潜めていたらしい。それが20世紀の70年代くらいから復活してきてるということになるんだと。レーガニズムやサッチャリズムってやつがそれだと。日本はだいぶ遅れたけど、近年の小泉改革ってやつがそれなんだと。
背景には73年のオイルショックとか、先進諸国の高度成長が終わったことがまずあって。その半面で、肥大化した福祉予算による財政赤字の悩みが「小さな政府を!」の声へつながったこと。そこで反ケインズ経済学が一気に調子に乗ってきたってこと。
或いは、オイルショックを克服したのが結局「市場の力」だったろうが!って声。
そして、70年代に起きたこと。…中国文化大革命の破綻。中ソ対立。統一ベトナム共産化。ソ連アフガン侵攻。そして日本の新左翼運動の挫折。 要するに、社会主義への完全な幻滅が、政府の市場介入パワーを内包するケインズ経済学の幻滅にもつながっちまったということ。
市場主義のテーゼは「個々人が私利私欲を追求するにまかせておけば、社会全体の福利は最大限達成される」にある。狂った社会がその正義というか正当性のようなものを、倫理不在の時代に狂った末の拠り所としてここに委ねちまったってことでもあるのか。79年にサッチャー政権、81年にレーガン政権が誕生し、市場主義改革を断行した。
その後ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体され、社会主義は壊滅。グローバルな市場経済時代がスタートを切り、市場主義という復古思想がいよいよ浸透を始めることとなったわけだ。
日本の市場経済が不自由・不透明・不公正であることが常に言われ、市場主義改革はそれを一掃するとされている。そこには様々な「副作用」が不可避的に伴う。一般に「痛み」とか言われるやつだ。格差とか不平等とか公共部門の撤退とか荒廃とかだ。だから「副作用」を緩和したり、改革の暴走をチェックする政策が必要だと思うんだけど、まあ行われないんだろう。突っ走る「20年遅れのサッチャリズム」とグローバル化は、ただの楽観主義なのか、醜悪な強者の論理なのか。
市場メカニズム〈神の手〉に、僕らが僕らの社会を「どれくらい」そこに委ねるべきなのか――?
「市場主義」を巡る論争も、つまるとこ僕の問いもここにつきると思われる。
〈→→〉
まあしかしそれならそれで無知故の学びがあるような気もして、やっぱり興味から入ることにした。
さて、僕が経済という怪物を見ようとするにあたり、とりあえず一番興味を持ったのは「市場主義」というやつだった。需給バランスによる価格決定と欲望調節に始まる市場メカニズムってやつはホントに〈神の手〉で、すげえなあといつも思ってたからだ。無駄な摩擦や障壁や老廃物みたいなものが全て取り除かれた純粋な市場に全てを任せれば、何もかもうまく人間の欲望は調節できて、平和と秩序が守られるんじゃないかなあとか頭のどこかでなんとなく思ってたからだ。でもそれはやはり一面的であって、よく周囲を見渡せばやっぱ市場経済という怪物は残酷な暴力を生んでいるし、犠牲者や被害者をいくらでも生んでいることにも気付く。とりわけ自由競争という名の奪い合いは優勝劣敗が必然的なものであって、劣っている者が奪われることに対しどこまで認めどこまで反対するかという問題でもある。根こそぎ奪ってもOKとするのか、少しくらい残してやるのか、劣者が自暴自棄になり社会が不安定になり始めるのはその収奪レートがどれくらいからなのか。それらを決めるのは社会であり、市場主義は市場にそのルールを大きく委ねることに意義があるとされているらしいのだ。だから、或る正しさの根拠なんて、僕は簡単に口にすることなんてできなかったんだ。仮に「正義」という言葉を使うとして、そんなものを持ちながらだったら、この怪物はまともに見ることすら叶わないんじゃないかと。弱者が奪われることを当然だろと正当化できるその根拠なんてのは、考える前から現実そうなってるじゃんって思うからだ。
そして近年のこの国の社会ではその「市場主義」がやたら台頭してきてる。混迷する日本経済をよみがえらせるためには、並大抵の処置ではダメ、やはり経済構造改革というオペが必要!という声を受けてのものだ。郵政や教育を初めとしていろんな所が改革されたし、これからも改革されてゆくはずだ。日本型雇用制度・慣行はどれもこれもが見事なまでに競争回避型に仕組まれている、と彼ら市場主義論者はいう。市場主義改革とは、日本型制度・慣行をアメリカ型のそれに作りかえることを意味してる。でもまだそれがどうゆうことなのか僕はよくわかってない。
景気は回復軌道に乗ってきてる。求人倍率は上がってる。日銀の量的緩和策は遂に終わりを告げた。企業のリストラと非正社員化など諸処の人材合理化効率化作戦は、格差拡大と社会不安定化という重い代償を払いながらもそれ自体は一応うまいこと進行して、またしても景気はしぶとく回復するみたいだ。だけどその陰には政府の大増税政策が待ちかまえている。間違いなく庶民や底辺層を直撃するだろう。経済成長は再び軌道に乗り、社会は衰退するだろう。選挙で選ばれた政府と、それを選んだ国民がその責任を棚上げにしたりして、どうせまたどこかの誰かにその責任転嫁をしたり、はけ口にもってったりするんだろう。ばかめが、と思う。でも景気回復は市場主義改革の成果だ。
「市場主義」という言葉は、やはりそれ自体は社会進歩の甲斐あってのもので、19世紀に花開く古典的市場主義「レッセフェール(自由放任)」に始まって、その後はケインズ経済学の台頭で影を潜めていたらしい。それが20世紀の70年代くらいから復活してきてるということになるんだと。レーガニズムやサッチャリズムってやつがそれだと。日本はだいぶ遅れたけど、近年の小泉改革ってやつがそれなんだと。
背景には73年のオイルショックとか、先進諸国の高度成長が終わったことがまずあって。その半面で、肥大化した福祉予算による財政赤字の悩みが「小さな政府を!」の声へつながったこと。そこで反ケインズ経済学が一気に調子に乗ってきたってこと。
或いは、オイルショックを克服したのが結局「市場の力」だったろうが!って声。
そして、70年代に起きたこと。…中国文化大革命の破綻。中ソ対立。統一ベトナム共産化。ソ連アフガン侵攻。そして日本の新左翼運動の挫折。 要するに、社会主義への完全な幻滅が、政府の市場介入パワーを内包するケインズ経済学の幻滅にもつながっちまったということ。
市場主義のテーゼは「個々人が私利私欲を追求するにまかせておけば、社会全体の福利は最大限達成される」にある。狂った社会がその正義というか正当性のようなものを、倫理不在の時代に狂った末の拠り所としてここに委ねちまったってことでもあるのか。79年にサッチャー政権、81年にレーガン政権が誕生し、市場主義改革を断行した。
その後ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が解体され、社会主義は壊滅。グローバルな市場経済時代がスタートを切り、市場主義という復古思想がいよいよ浸透を始めることとなったわけだ。
日本の市場経済が不自由・不透明・不公正であることが常に言われ、市場主義改革はそれを一掃するとされている。そこには様々な「副作用」が不可避的に伴う。一般に「痛み」とか言われるやつだ。格差とか不平等とか公共部門の撤退とか荒廃とかだ。だから「副作用」を緩和したり、改革の暴走をチェックする政策が必要だと思うんだけど、まあ行われないんだろう。突っ走る「20年遅れのサッチャリズム」とグローバル化は、ただの楽観主義なのか、醜悪な強者の論理なのか。
市場メカニズム〈神の手〉に、僕らが僕らの社会を「どれくらい」そこに委ねるべきなのか――?
「市場主義」を巡る論争も、つまるとこ僕の問いもここにつきると思われる。
〈→→〉
◇昨年の石田衣良作品『東京DOLL』を読む。読み終わって、僕にとって愛とは何なのだろうかと思った。
−孤独な天才ゲームクリエイター・MGが見つけた女神・ヨリは、愛する者の絶望の未来を覗く力を持っていた。生命と性は、システムに罠として組み込まれた、生きているだけならその存在さえ気付かない、肉体の奥深くに眠るプログラムでもある。いずれは隠すこともできなくなるソウルの在処に脅え、僕はそれでも一人で生きてゆくことなどできないことを知りながら、でも一人でいることしかできなかった。取り返しのつかなくなるくらいその誰かを傷つけてしまうことが、僕を、人と繋がる幸福や恐怖からただ逃れさせていた。だから、僕が本当に愛し抱きしめたかったのは、背中に羽を持つ人形の彼女だったのだ。
◇TAに借りた村上龍を読む。まずは『限りなく透明に近いブルー』。村上龍氏が24歳の時に書いて賞をとったイカれデビュー作品。第一稿の元題は『クリトリスにバターを』だそうで、強烈な風俗描写が凄い。30%くらいは官能小説と言ってよいね。
−米軍基地に近い原色の街・福生。酒と麻薬と乱交とニューロック。常軌を逸した無軌道な青春とヒッピー文化。〈現実〉の洪水に溺れる中で、〈非現実〉に残される一滴のリアル。それはアルコールとヘロインとニコチン。体液と血液。汗と海水。不安定なブルーはこの上なく自己を反射させ、それは限りなく静かに透明に近く、穏やかに鮮烈に若者達を映し出していった。
◇あと合間に奥山貴宏氏の『ヴァニシングポイント』を読みました。「ジェネジャン」で騒いでたやつね。興味本位で読みました。自伝小説?奥山氏なりのソウルに溢れてた。僕にはこんな生き方はできないし、したくないけど。ご冥福をお祈りします。それでもやはりソウルだった。大切に、大切に、一度きりの人生を悔いなく生きなければならないこと、当たり前のことを改めて思うときって、僕ドキドキする。「生きている」ってことがどれくらい凄いことなのかってことを再確認するからだ。
−「これまでもその先にあってハッキリとは見えなかった「消滅点」が見えてきた。オレが消えて無くなってしまうポイント、地点が見えてきたのだ。もうすぐオレは消える、もうすぐオレはいなくなる…」
全てに悔いの残らないようになんて生きれないのだろうけど、一度、ただ一度、「瞬き一つの間の一生♪」を、やはり、こんな豊かな国に生まれ、素晴らしい人たちに囲まれ、幸運だったと思うなら、自分の全存在をかけて、自分自身や何か巨大なものと闘ったっていいんじゃないか。快楽じゃなくて惰性でもなくて、燃えたぎるようなエゴイズムとソウルの欠片で、生き尽くしてやるのもいいんじゃないか。僕はいつも愚かしく浅はかだな。でもそう思いました。
−孤独な天才ゲームクリエイター・MGが見つけた女神・ヨリは、愛する者の絶望の未来を覗く力を持っていた。生命と性は、システムに罠として組み込まれた、生きているだけならその存在さえ気付かない、肉体の奥深くに眠るプログラムでもある。いずれは隠すこともできなくなるソウルの在処に脅え、僕はそれでも一人で生きてゆくことなどできないことを知りながら、でも一人でいることしかできなかった。取り返しのつかなくなるくらいその誰かを傷つけてしまうことが、僕を、人と繋がる幸福や恐怖からただ逃れさせていた。だから、僕が本当に愛し抱きしめたかったのは、背中に羽を持つ人形の彼女だったのだ。
◇TAに借りた村上龍を読む。まずは『限りなく透明に近いブルー』。村上龍氏が24歳の時に書いて賞をとったイカれデビュー作品。第一稿の元題は『クリトリスにバターを』だそうで、強烈な風俗描写が凄い。30%くらいは官能小説と言ってよいね。
−米軍基地に近い原色の街・福生。酒と麻薬と乱交とニューロック。常軌を逸した無軌道な青春とヒッピー文化。〈現実〉の洪水に溺れる中で、〈非現実〉に残される一滴のリアル。それはアルコールとヘロインとニコチン。体液と血液。汗と海水。不安定なブルーはこの上なく自己を反射させ、それは限りなく静かに透明に近く、穏やかに鮮烈に若者達を映し出していった。
◇あと合間に奥山貴宏氏の『ヴァニシングポイント』を読みました。「ジェネジャン」で騒いでたやつね。興味本位で読みました。自伝小説?奥山氏なりのソウルに溢れてた。僕にはこんな生き方はできないし、したくないけど。ご冥福をお祈りします。それでもやはりソウルだった。大切に、大切に、一度きりの人生を悔いなく生きなければならないこと、当たり前のことを改めて思うときって、僕ドキドキする。「生きている」ってことがどれくらい凄いことなのかってことを再確認するからだ。
−「これまでもその先にあってハッキリとは見えなかった「消滅点」が見えてきた。オレが消えて無くなってしまうポイント、地点が見えてきたのだ。もうすぐオレは消える、もうすぐオレはいなくなる…」
全てに悔いの残らないようになんて生きれないのだろうけど、一度、ただ一度、「瞬き一つの間の一生♪」を、やはり、こんな豊かな国に生まれ、素晴らしい人たちに囲まれ、幸運だったと思うなら、自分の全存在をかけて、自分自身や何か巨大なものと闘ったっていいんじゃないか。快楽じゃなくて惰性でもなくて、燃えたぎるようなエゴイズムとソウルの欠片で、生き尽くしてやるのもいいんじゃないか。僕はいつも愚かしく浅はかだな。でもそう思いました。
日本プロレタリア文学を読むのです。まずど真ん中。小林多喜二の『蟹工船』。1929年に書かれながら、二次大戦終了まで発行禁止だったこの作品。小林多喜二はこれ書いた四年後に弾圧され拷問で虐殺された。つまりはこの作品は小林多喜二のプロレタリア文学を確立したものなのですね。素晴らしかったし面白かった。震えましたよ。
−時は戦時下、オホーツク海の北洋漁業に駆り出された蟹の加工母船・博光丸は、300人もの底辺労働者を船倉(通称:「糞壺」)に詰め込み、地獄の最底辺の労働環境にて虐使していた。辺境での酷使生活の中で漁夫たちは次々衰弱死してゆくが、しかし、「監督」の残酷な労働指揮による蟹工船の運営は尚、漁夫たちを人間以下の労働生活に従事させることで成立してもいた。そんな地獄の船上生活の中である日起きた一つのサボタージュが、黙って死んでゆくことしかできなかった漁夫たちに微かな希望を生む。それはやがて段々と「ストライキ」という命がけの確かな団結にまでつながってゆくのであった。プロレタリア大衆の血みどろの歴史が壮絶に描かれる渾身の一作。
「殺されるッて分かったら? 馬鹿ァ、何時だ、それァ。――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴らはな、上手なんだ。ピストルは今にも撃つように何時でも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれァ「手」なんだ。――分るか。…俺たちを殺せば、自分らの方で損するんだ。…本当の目的は、俺たちをウンと働かせて、締木にかけて、ギイギイ絞り上げてしこたま儲けることなんだ。そいつを今俺たちは毎日やられてるんだ。――どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われて桑の葉のように、俺たちの身体が殺されているんだ」
「こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴らが無茶なことをすればするほど、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりいいだけつまっているんだ。――俺はそいつを頼りにしているんだ」
「…俺たちが働かなかったら、一匹の蟹だって、金持ちの懐に入っていくか。…分るか。皆んな俺たちの力さ。…水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ」
もう一作、小林多喜二『一九二八・三・一五』を読む。 「三・一五事件」の話ですね。それにしても、極論根本的にはこうゆうものを考えざるをえないのだなと思います。マルクスやらレーニンやらとかいうことよりも、自分の幸せと他人の幸せを考えるということにおいてですね。むしろ現代において考えるべきではないのかって。だから古典的な左翼たちが生き残っていても、僕は彼らを遠くに見ながらも、無視できなかったりするのです。
−1928年3月15日未明。日本共産党員・労働組合などが全国一斉に検挙される「三・一五事件」が起こる。捕らえられた者たちは皆すべからく拷問を受け刑務所に送られた。中には拷問死する者もいた。彼らは何のために闘うのか。何のために社会変革を夢見たのか。それこそが、プロレタリア文学が描ききるソウルフルなテーマ。
−時は戦時下、オホーツク海の北洋漁業に駆り出された蟹の加工母船・博光丸は、300人もの底辺労働者を船倉(通称:「糞壺」)に詰め込み、地獄の最底辺の労働環境にて虐使していた。辺境での酷使生活の中で漁夫たちは次々衰弱死してゆくが、しかし、「監督」の残酷な労働指揮による蟹工船の運営は尚、漁夫たちを人間以下の労働生活に従事させることで成立してもいた。そんな地獄の船上生活の中である日起きた一つのサボタージュが、黙って死んでゆくことしかできなかった漁夫たちに微かな希望を生む。それはやがて段々と「ストライキ」という命がけの確かな団結にまでつながってゆくのであった。プロレタリア大衆の血みどろの歴史が壮絶に描かれる渾身の一作。
「殺されるッて分かったら? 馬鹿ァ、何時だ、それァ。――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。彼奴らはな、上手なんだ。ピストルは今にも撃つように何時でも持っているが、なかなかそんなヘマはしないんだ。あれァ「手」なんだ。――分るか。…俺たちを殺せば、自分らの方で損するんだ。…本当の目的は、俺たちをウンと働かせて、締木にかけて、ギイギイ絞り上げてしこたま儲けることなんだ。そいつを今俺たちは毎日やられてるんだ。――どうだ、この滅茶苦茶は。まるで蚕に食われて桑の葉のように、俺たちの身体が殺されているんだ」
「こっちは人数が多いんだ。恐れることはないさ。それに彼奴らが無茶なことをすればするほど、今のうちこそ内へ、内へとこもっているが、火薬よりも強い不平と不満が皆の心の中に、つまりいいだけつまっているんだ。――俺はそいつを頼りにしているんだ」
「…俺たちが働かなかったら、一匹の蟹だって、金持ちの懐に入っていくか。…分るか。皆んな俺たちの力さ。…水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ」
もう一作、小林多喜二『一九二八・三・一五』を読む。 「三・一五事件」の話ですね。それにしても、極論根本的にはこうゆうものを考えざるをえないのだなと思います。マルクスやらレーニンやらとかいうことよりも、自分の幸せと他人の幸せを考えるということにおいてですね。むしろ現代において考えるべきではないのかって。だから古典的な左翼たちが生き残っていても、僕は彼らを遠くに見ながらも、無視できなかったりするのです。
−1928年3月15日未明。日本共産党員・労働組合などが全国一斉に検挙される「三・一五事件」が起こる。捕らえられた者たちは皆すべからく拷問を受け刑務所に送られた。中には拷問死する者もいた。彼らは何のために闘うのか。何のために社会変革を夢見たのか。それこそが、プロレタリア文学が描ききるソウルフルなテーマ。
Dreams!
2006年3月21日アメリカでもドミニカでもなく決勝戦は日本vsキューバ。大リーグ最強説は完全否定される形となってしまったね。なんて皮肉。大体アメリカは国内リーグの優勝シリーズで「ワールド」シリーズ唱っちゃってるからなあ。
初回。ジャパン、押し出しで先制。負傷の岩村が強行出場を直訴してたらしいけど結局三塁スタメンとなった今江のタイムリーなどで猛攻!4−0
その裏。キューバの先頭バッターがガシャッ!とホームラン。松坂いきなり被弾。4−1
だが今日のジャパンは一味違う。多村のタイムリー。小笠原の義飛。日本野球界屈指の猛者たちが次々と打点を上げキューバを突き放す!6−1
松坂の熱投。イチローの快走。松中の激走。さらにムネノリのスーパープレーが飛び出した。完全に試合序盤の流れはジャパン。これは、優勝もらった!…だが!
好投の松坂をリリーフしたサブマリン渡辺が打たれる!6−3
しかもムネノリがファンブル。さらに渡辺が落球。ガチガチの日本。
そして、リリーフ3人目の藤田までもが被弾。これがキューバの底力か!6−5
だが、キューバにもミスが出る。やった!だけど1番ムネノリが痛恨のバント失敗!どっちだ?野球の神はどちらに勝利を持ってくる?
全く打てなかった怪物のような投手から、西岡が絶妙なプッシュバントを決め12塁。ここでイチロー登場。神打イチロー。日本野球界の全てを背負ってイチロー全てはこのときのため――。全ては、優勝のため。「野球」最強を世界に知らしめるため――!。誰も打てなかった怪物ピッチャーからイチローが一撃!ライト前へ弾き返す!ムネノリが激走!ゴシャッ!とブロックされながらも神業的なベースタッチ!日本のプロをなめたらいかんよ。7−5
その後福留の一撃と小笠原の犠飛など猛攻!10−5
最終回、大塚が1点失うも、有終の美となる三振ショーをみせてゲームセット。10−6
ジャパン優勝おめでとう。日本の「野球」が今日世界一になった。
日本のドリームチームは世界最強だ。それが歴史に刻まれた。
あいつら、夢叶えやがった。
すっごいなあ。いいなあ。
僕もいつか。世界最強になるんだ。
初回。ジャパン、押し出しで先制。負傷の岩村が強行出場を直訴してたらしいけど結局三塁スタメンとなった今江のタイムリーなどで猛攻!4−0
その裏。キューバの先頭バッターがガシャッ!とホームラン。松坂いきなり被弾。4−1
だが今日のジャパンは一味違う。多村のタイムリー。小笠原の義飛。日本野球界屈指の猛者たちが次々と打点を上げキューバを突き放す!6−1
松坂の熱投。イチローの快走。松中の激走。さらにムネノリのスーパープレーが飛び出した。完全に試合序盤の流れはジャパン。これは、優勝もらった!…だが!
好投の松坂をリリーフしたサブマリン渡辺が打たれる!6−3
しかもムネノリがファンブル。さらに渡辺が落球。ガチガチの日本。
そして、リリーフ3人目の藤田までもが被弾。これがキューバの底力か!6−5
だが、キューバにもミスが出る。やった!だけど1番ムネノリが痛恨のバント失敗!どっちだ?野球の神はどちらに勝利を持ってくる?
全く打てなかった怪物のような投手から、西岡が絶妙なプッシュバントを決め12塁。ここでイチロー登場。神打イチロー。日本野球界の全てを背負ってイチロー全てはこのときのため――。全ては、優勝のため。「野球」最強を世界に知らしめるため――!。誰も打てなかった怪物ピッチャーからイチローが一撃!ライト前へ弾き返す!ムネノリが激走!ゴシャッ!とブロックされながらも神業的なベースタッチ!日本のプロをなめたらいかんよ。7−5
その後福留の一撃と小笠原の犠飛など猛攻!10−5
最終回、大塚が1点失うも、有終の美となる三振ショーをみせてゲームセット。10−6
ジャパン優勝おめでとう。日本の「野球」が今日世界一になった。
日本のドリームチームは世界最強だ。それが歴史に刻まれた。
あいつら、夢叶えやがった。
すっごいなあ。いいなあ。
僕もいつか。世界最強になるんだ。
卒業祝いのみ
2006年3月20日
MM氏のお家に酒持って飲みに行きました。
MM氏が引っ越すというので送別会とかいう名目だったらしいけど。
何人か集まってました。久しぶりのメンツだな。
MM氏がつくったカレーはレストラン並みの美味さ。
戸がはずれたりしました。ガシャコーン。
ねこさんやっぱりかわいかった。
本をいいとこ取りで大量に借りました。
夜中の2時頃帰りました。
今度はMM氏の引っ越し先にも大量に酒持って飲みに行きたいです。つうか映画館いれてください。お願いします。
たのしかったです。
MM氏が引っ越すというので送別会とかいう名目だったらしいけど。
何人か集まってました。久しぶりのメンツだな。
MM氏がつくったカレーはレストラン並みの美味さ。
戸がはずれたりしました。ガシャコーン。
ねこさんやっぱりかわいかった。
本をいいとこ取りで大量に借りました。
夜中の2時頃帰りました。
今度はMM氏の引っ越し先にも大量に酒持って飲みに行きたいです。つうか映画館いれてください。お願いします。
たのしかったです。
すぽうつにゅうす
2006年3月19日WBC観た。
予選で二度敗れた宿敵・韓国との準決勝。絶対に敗北は許されない。
ジャパンの先発は国際試合20戦無敗、日本野球界の誇る巨人軍の沢村賞エース上原。日本野球界をその右腕に背負い上原がマウンドに立つ。
打線は、1番に青木、2番に西岡をおき、イチローを3番に上げた新布陣。もちろん足のある12番が出塁し、イチローは出塁だけでなく試合を決める打点を叩き出したいという王ジャパンの作戦だ。試合の序盤は見事にこれが失敗。
初回。12番が塁に出れず、イチローだけがヒットで出塁。さらに黄金の脚イチロー盗塁を決める。が4番松中が凡打。
3回。9番ムネノリが会心の当たりでツーベース。続く1番青木が四球を選び1死12塁。続く2番西岡の会心の当たりはサード正面でライナーゲッツー。ああ〜っと唸る解説衣笠。せっかく3番にあげたイチローの前に肝心のランナーが出ない…。
4回。イチローが内野安打で出塁しまたも盗塁を決める。彼は本当に生きる伝説だね。が4番松中は打球を転がせずに凡打。これは痛い…3塁にイチローを進めてれば…とか思ったとき5番多村が会心の一撃!「いった〜っ!」(解説衣笠)「いけっ!いけ〜っ!」(実況アナ)完璧ホームラン…が、風っ。風だ。レフトの逆風でフェンス手前で多村のホームランボールは失速。レフトのグローブに収まった。ぐう〜っと唸る解説衣笠。3塁に行けてれば犠牲フライだったのにっ…と畳を殴りつけるtakebonoさん。ツキは完全に韓国。
小笠原の弾丸打球を韓国のライトがスーパーキャッチしたかと思えば、元中日のリーの大飛球を今度は日本のレフト多村がスーパーキャッチ。アジアの大砲イスンヨプのライナーをイチローがランニングキャッチ。 宿命の決戦は死闘の様相を呈してきた。
我らが上原。最初から全開で飛ばす。もうペナント用のピッチングじゃない。日本のエースは1点も韓国に与えない。
7回。4番松中の弾丸ツーベース炸裂。鬼の形相のヘッドスライディング。セカンドベースを拳で殴りつけ雄叫びを上げる和製ボンズ。震えるtakebonoさん。続く5番多村は送りバント失敗。takebonoそしてTVの前の日本人も皆凍りつく。ほぼ覆されない野球の定説:ミスを繰り返す方が負ける。王もヤキがまわったか。バントなんかしたこともない男にバントを命じるとはよ。だがここでようやく王もアグレッシブに動く。代打福留登場。中日の主砲はいつも空気を読まないことやってくれっから可能性はある。頼むドメ。…ガシャッ!バット放り投げる福留。風も球場のイカれた広さも関係ない。起死回生の特大ツーラン!takebonoさん拳を突き上げる。福留あんたはやはり空気を読まない英雄だ! その後小笠原が死球をくらい、里崎のタイムリーツーベースが出たところで勝敗はほぼ決した。宮本(宮本最高)そして千両役者イチローのダメ押しタイムリー。8回には屈辱の多村が怒りの一撃、左中間最深部へのホームラン。最後は大塚がしめ終わり。
ジャパン、魂の勝利。決勝はあの世界最強アマ野球大国キューバだ。がんばれ。アジア野球の最強を見せてやれ。
その後相撲も観た。
栃東、魂の勝利。最後の最後まであきらめない。限界を超えた彼の相撲にはいつも涙します。そして全ての人々の予想通り今場所は、最凶横綱朝青龍と新星白鵬の一騎打ち。白青時代の到来を告げる場所か。しかし栃東がんばれ。もう横綱とかじゃねえ。お前がとる勇敢で最高の相撲を、時代を駆け上がってくるあいつらに見せつけてやれ。栃東よ、君は僕の最後の希望なのだ。
IWGPどうなったのかなあ。曙さんは勝ったのかなあ。
予選で二度敗れた宿敵・韓国との準決勝。絶対に敗北は許されない。
ジャパンの先発は国際試合20戦無敗、日本野球界の誇る巨人軍の沢村賞エース上原。日本野球界をその右腕に背負い上原がマウンドに立つ。
打線は、1番に青木、2番に西岡をおき、イチローを3番に上げた新布陣。もちろん足のある12番が出塁し、イチローは出塁だけでなく試合を決める打点を叩き出したいという王ジャパンの作戦だ。試合の序盤は見事にこれが失敗。
初回。12番が塁に出れず、イチローだけがヒットで出塁。さらに黄金の脚イチロー盗塁を決める。が4番松中が凡打。
3回。9番ムネノリが会心の当たりでツーベース。続く1番青木が四球を選び1死12塁。続く2番西岡の会心の当たりはサード正面でライナーゲッツー。ああ〜っと唸る解説衣笠。せっかく3番にあげたイチローの前に肝心のランナーが出ない…。
4回。イチローが内野安打で出塁しまたも盗塁を決める。彼は本当に生きる伝説だね。が4番松中は打球を転がせずに凡打。これは痛い…3塁にイチローを進めてれば…とか思ったとき5番多村が会心の一撃!「いった〜っ!」(解説衣笠)「いけっ!いけ〜っ!」(実況アナ)完璧ホームラン…が、風っ。風だ。レフトの逆風でフェンス手前で多村のホームランボールは失速。レフトのグローブに収まった。ぐう〜っと唸る解説衣笠。3塁に行けてれば犠牲フライだったのにっ…と畳を殴りつけるtakebonoさん。ツキは完全に韓国。
小笠原の弾丸打球を韓国のライトがスーパーキャッチしたかと思えば、元中日のリーの大飛球を今度は日本のレフト多村がスーパーキャッチ。アジアの大砲イスンヨプのライナーをイチローがランニングキャッチ。 宿命の決戦は死闘の様相を呈してきた。
我らが上原。最初から全開で飛ばす。もうペナント用のピッチングじゃない。日本のエースは1点も韓国に与えない。
7回。4番松中の弾丸ツーベース炸裂。鬼の形相のヘッドスライディング。セカンドベースを拳で殴りつけ雄叫びを上げる和製ボンズ。震えるtakebonoさん。続く5番多村は送りバント失敗。takebonoそしてTVの前の日本人も皆凍りつく。ほぼ覆されない野球の定説:ミスを繰り返す方が負ける。王もヤキがまわったか。バントなんかしたこともない男にバントを命じるとはよ。だがここでようやく王もアグレッシブに動く。代打福留登場。中日の主砲はいつも空気を読まないことやってくれっから可能性はある。頼むドメ。…ガシャッ!バット放り投げる福留。風も球場のイカれた広さも関係ない。起死回生の特大ツーラン!takebonoさん拳を突き上げる。福留あんたはやはり空気を読まない英雄だ! その後小笠原が死球をくらい、里崎のタイムリーツーベースが出たところで勝敗はほぼ決した。宮本(宮本最高)そして千両役者イチローのダメ押しタイムリー。8回には屈辱の多村が怒りの一撃、左中間最深部へのホームラン。最後は大塚がしめ終わり。
ジャパン、魂の勝利。決勝はあの世界最強アマ野球大国キューバだ。がんばれ。アジア野球の最強を見せてやれ。
その後相撲も観た。
栃東、魂の勝利。最後の最後まであきらめない。限界を超えた彼の相撲にはいつも涙します。そして全ての人々の予想通り今場所は、最凶横綱朝青龍と新星白鵬の一騎打ち。白青時代の到来を告げる場所か。しかし栃東がんばれ。もう横綱とかじゃねえ。お前がとる勇敢で最高の相撲を、時代を駆け上がってくるあいつらに見せつけてやれ。栃東よ、君は僕の最後の希望なのだ。
IWGPどうなったのかなあ。曙さんは勝ったのかなあ。
takebono卒業式
2006年3月18日大学の卒業式でした。
卒業するという実感は最後までなかった。ただ、もう二度と会えそうもない人たちと何度も手を振ったり握手したりして別れたこと。久しぶりに入ったチャペルはどこか懐かしい匂いがしたこと。ずっと感じてた卒業への寂しさのようなものがやっぱり充実してたことの裏返しなんだなと再認識したということ。これからよりtakebonoはソウルフルに生きていこうと思ったこと。
研究室でゼミの全員で集合して先生に花束とメッセージカードを渡してきた。完成した卒業論文集が配られた際に、先生が唐突に言った。
「どれも力作でしたけど、おすすめの論文はね…takebonoくんのです」
びっくりして。でもすんごくうれしくて。あぁっ…って、うれしかった。 へぇーって、みんながざわついてた。ノーマークだったかしら。でも先生が学部長賞に推薦したのは違う人のだったようだ。以前から聞いてたことだけど、やっぱりフィールド系じゃないと賞はきびしいんだって。そして産学連携的なテーマじゃないとダメなんだろうなやっぱり。 それでも先生が全員の前で、要するに僕の論文が一番面白かったよということをわざわざ言ってくれたことが、僕は本当にうれしかった。
別れ際に先生に握手を求めたら快く応じてくれた。
「takebonoくんは卒業後どうするの?」と先生がいつもの笑顔で言った。
僕は一瞬回答に困って、そして言った。
「まあ、見ててください」と。
みんながどっと笑った。 いつか。本当に。見ててくれよな。先生も。みんなも。
学部の卒業パーティーはやっぱり出ずに、M君とカラオケで騒いだ後で五反田で飲んだ。尾崎の「卒業」を卒業式に歌いたかった。喉がかれるまで歌った。ただ、僕の卒業は支配や闘いからの卒業ではないだろう。これからだ。これから闘うんだ。政府よりも資本家よりも犯罪者よりもテロよりも恐ろしいものと、僕はこれから一生をかけて闘っていくんだ。
結構飲んで帰った後で、雨はあがっていたからまた駅の側の公園を自転車でぐるぐるまわった。こないだ箱ごと拾ったセブンスターをラスト2本吸いながら、公園を5周した。
卒業――。
くだらないと思ってた小学校の卒業。少年であることのセーフティーを失うことに、ただそれだけに恐怖してた中学校の卒業。生きてゆく時代に自分自身が追いつけなくて、混沌に輝いた高校の卒業。 そして奇跡の連続の上に在り続けた大学を今日僕は卒業した。
僕はこれからどう生きていくか――。
答えはない。答えなんかない。あってたまるものか。僕はこの僕の脳と身体で、一生を過ごすことを、妥協なく選択するのだ。五体満足の上に成り立つコンプレックスが僕をむしろ鮮明に形成してくれている。僕の背中をいつも押してくれる後悔と劣等感が、結局の所は僕を生かしてくれてもいる。僕自身が最初から矛盾であり、その矛盾は欺瞞を打ち倒そうとしている。この僕が僕故の非合理をもってして、正義なんか表明しない闘いを、強者の醜悪な悪徳に対し無謀にも挑むだろう。それがソウルなのだろうか。上下し揺れて落ちるパームかナックルボールのような僕の衝動。ともすれば機会を得ることが僕の全知全能だったとしても、僕は決して人を傷つけはしないだろう。それも若さなのだ。わかっていても、それでも僕は若いのだ。誰かを待つわけでもなく、僕は誰かに会おうとした。傷つける相手を探したり、傷つけてくれる相手を探したりしてた。でも結局それらも僕の過剰飽和のバブル娯楽だったのかもしれない。僕とはなんだ。シンプルな僕とはなんだ。スタンダードはなんだ。僕の衝動とはなんなのだ。恐怖そのものに恐怖したり、幸福の形を喜んだり、あらゆる惰性であらゆる世界は動いている部分があるのだと思う。僕の歪んだ軌道は、美しくもない弧を描いて飛んでゆけばいいのかもしれない。賽はとっくに投げられていたことに何度だって気付くのだ。
僕の4年間はすばらしかった。僕なんかに訪れてはいけないんじゃないかって思うくらい幸せな時間だった。僕は楽しくて嬉しくて笑って泣いてばかりいたな。この大学生活を超える時代はもう永久にやってこないかもな。多くの人に出会い、すれ違い、また出会い、僕は語り合った。僕にはいつしか友達ができていた。この僕が人をすきになったりした。人間とは可能性に充ちていたんだ。
ともすればチンピラかひきこもりで終わっていた僕の人生は、あの合格発表のときから動き出していたんだ。
僕を生かしてくれた大学ももう過去のものにしなきゃなんない。寂しいけどそうすべきなのだ。学部のみんな、自主ゼミのみんな、クズたちみんなたち、教職のみんな、サッカーで繋がったみんな、時に人間は、何かを一瞬で超えたんだよね。僕が探してたもの、いくつだって大学で僕は見つけたんだよ。そうなんだよ。そこにはそれがあったんだよ。
いまが、あのとき夢にまで見た未来なんだ。未来って、あったじゃん。僕はこの先を果てまで生きていく。挫折したときは死ぬときなんだ。未来ってやつをも一度信じてやる。たった一度だけソウルフルに生きることに、もう僕は躊躇う必要がないんだよな。
卒業おめでとう。全てのものへ感謝します。
ありがとHepburn。
卒業するという実感は最後までなかった。ただ、もう二度と会えそうもない人たちと何度も手を振ったり握手したりして別れたこと。久しぶりに入ったチャペルはどこか懐かしい匂いがしたこと。ずっと感じてた卒業への寂しさのようなものがやっぱり充実してたことの裏返しなんだなと再認識したということ。これからよりtakebonoはソウルフルに生きていこうと思ったこと。
研究室でゼミの全員で集合して先生に花束とメッセージカードを渡してきた。完成した卒業論文集が配られた際に、先生が唐突に言った。
「どれも力作でしたけど、おすすめの論文はね…takebonoくんのです」
びっくりして。でもすんごくうれしくて。あぁっ…って、うれしかった。 へぇーって、みんながざわついてた。ノーマークだったかしら。でも先生が学部長賞に推薦したのは違う人のだったようだ。以前から聞いてたことだけど、やっぱりフィールド系じゃないと賞はきびしいんだって。そして産学連携的なテーマじゃないとダメなんだろうなやっぱり。 それでも先生が全員の前で、要するに僕の論文が一番面白かったよということをわざわざ言ってくれたことが、僕は本当にうれしかった。
別れ際に先生に握手を求めたら快く応じてくれた。
「takebonoくんは卒業後どうするの?」と先生がいつもの笑顔で言った。
僕は一瞬回答に困って、そして言った。
「まあ、見ててください」と。
みんながどっと笑った。 いつか。本当に。見ててくれよな。先生も。みんなも。
学部の卒業パーティーはやっぱり出ずに、M君とカラオケで騒いだ後で五反田で飲んだ。尾崎の「卒業」を卒業式に歌いたかった。喉がかれるまで歌った。ただ、僕の卒業は支配や闘いからの卒業ではないだろう。これからだ。これから闘うんだ。政府よりも資本家よりも犯罪者よりもテロよりも恐ろしいものと、僕はこれから一生をかけて闘っていくんだ。
結構飲んで帰った後で、雨はあがっていたからまた駅の側の公園を自転車でぐるぐるまわった。こないだ箱ごと拾ったセブンスターをラスト2本吸いながら、公園を5周した。
卒業――。
くだらないと思ってた小学校の卒業。少年であることのセーフティーを失うことに、ただそれだけに恐怖してた中学校の卒業。生きてゆく時代に自分自身が追いつけなくて、混沌に輝いた高校の卒業。 そして奇跡の連続の上に在り続けた大学を今日僕は卒業した。
僕はこれからどう生きていくか――。
答えはない。答えなんかない。あってたまるものか。僕はこの僕の脳と身体で、一生を過ごすことを、妥協なく選択するのだ。五体満足の上に成り立つコンプレックスが僕をむしろ鮮明に形成してくれている。僕の背中をいつも押してくれる後悔と劣等感が、結局の所は僕を生かしてくれてもいる。僕自身が最初から矛盾であり、その矛盾は欺瞞を打ち倒そうとしている。この僕が僕故の非合理をもってして、正義なんか表明しない闘いを、強者の醜悪な悪徳に対し無謀にも挑むだろう。それがソウルなのだろうか。上下し揺れて落ちるパームかナックルボールのような僕の衝動。ともすれば機会を得ることが僕の全知全能だったとしても、僕は決して人を傷つけはしないだろう。それも若さなのだ。わかっていても、それでも僕は若いのだ。誰かを待つわけでもなく、僕は誰かに会おうとした。傷つける相手を探したり、傷つけてくれる相手を探したりしてた。でも結局それらも僕の過剰飽和のバブル娯楽だったのかもしれない。僕とはなんだ。シンプルな僕とはなんだ。スタンダードはなんだ。僕の衝動とはなんなのだ。恐怖そのものに恐怖したり、幸福の形を喜んだり、あらゆる惰性であらゆる世界は動いている部分があるのだと思う。僕の歪んだ軌道は、美しくもない弧を描いて飛んでゆけばいいのかもしれない。賽はとっくに投げられていたことに何度だって気付くのだ。
僕の4年間はすばらしかった。僕なんかに訪れてはいけないんじゃないかって思うくらい幸せな時間だった。僕は楽しくて嬉しくて笑って泣いてばかりいたな。この大学生活を超える時代はもう永久にやってこないかもな。多くの人に出会い、すれ違い、また出会い、僕は語り合った。僕にはいつしか友達ができていた。この僕が人をすきになったりした。人間とは可能性に充ちていたんだ。
ともすればチンピラかひきこもりで終わっていた僕の人生は、あの合格発表のときから動き出していたんだ。
僕を生かしてくれた大学ももう過去のものにしなきゃなんない。寂しいけどそうすべきなのだ。学部のみんな、自主ゼミのみんな、クズたちみんなたち、教職のみんな、サッカーで繋がったみんな、時に人間は、何かを一瞬で超えたんだよね。僕が探してたもの、いくつだって大学で僕は見つけたんだよ。そうなんだよ。そこにはそれがあったんだよ。
いまが、あのとき夢にまで見た未来なんだ。未来って、あったじゃん。僕はこの先を果てまで生きていく。挫折したときは死ぬときなんだ。未来ってやつをも一度信じてやる。たった一度だけソウルフルに生きることに、もう僕は躊躇う必要がないんだよな。
卒業おめでとう。全てのものへ感謝します。
ありがとHepburn。
takebonoとりあえず卒業旅行5−東京帰還
2006年3月17日 旅行京都市発の東海道本線は結構人が多い。みんな考えることは同じだ。
米原で乗り換える。ここで時刻表を駆使し、始発から座れるようにわざわざ関ヶ原駅で下車し始発に乗り込む。こうすれば後は座ったまま一気に東海道本線を東へ突っ走れる。
岐阜。名古屋。豊橋。一気に通過。
恐るべき暇。寝過ぎてもう寝れない。ここでも小説を一冊読み終えた。あとはボーッと色々なことを考えた。色々なことをね。考えずにはいられない。己の中の執着を一つずつ整理するのだ。
浜松で乗り換え。静岡を過ぎ一気に熱海へ。
熱海で乗り換え。横浜を過ぎやっと東京到着。
その後我が家へ無事帰還。よい旅でした。
夜は家庭教師のバイトに行って、偶然帰りにSK兄に会ったのでSKの店で飲んだ。色々話した。
旅の途中でも色々考えたけど。僕の方向性は決まってきた。それは僕のソウルに照らし合わせながら、奇跡の機会を生かしきることだ。
回り道なんて、後で結果論にでも認識されるべき軌跡であっていい。一生がとりあえず一度なら、僕は慎重になんてなれないみたいだ。いま、いま選びたいんだ。軌跡の連続の上にこの生命があるのなら。行動において、惰性がその後未来の精神までを規定してしまいそうなのなら、僕は現在の行動において、まさに行動によってそれを凌駕してみせる。精神すら築いてやる。不完全だから価値なんだ。創りあげてみせるんだ。
一つの旅が終わり、誰もが新しい旅立ちなんだよ。
明日はいよいよ卒業式。
米原で乗り換える。ここで時刻表を駆使し、始発から座れるようにわざわざ関ヶ原駅で下車し始発に乗り込む。こうすれば後は座ったまま一気に東海道本線を東へ突っ走れる。
岐阜。名古屋。豊橋。一気に通過。
恐るべき暇。寝過ぎてもう寝れない。ここでも小説を一冊読み終えた。あとはボーッと色々なことを考えた。色々なことをね。考えずにはいられない。己の中の執着を一つずつ整理するのだ。
浜松で乗り換え。静岡を過ぎ一気に熱海へ。
熱海で乗り換え。横浜を過ぎやっと東京到着。
その後我が家へ無事帰還。よい旅でした。
夜は家庭教師のバイトに行って、偶然帰りにSK兄に会ったのでSKの店で飲んだ。色々話した。
旅の途中でも色々考えたけど。僕の方向性は決まってきた。それは僕のソウルに照らし合わせながら、奇跡の機会を生かしきることだ。
回り道なんて、後で結果論にでも認識されるべき軌跡であっていい。一生がとりあえず一度なら、僕は慎重になんてなれないみたいだ。いま、いま選びたいんだ。軌跡の連続の上にこの生命があるのなら。行動において、惰性がその後未来の精神までを規定してしまいそうなのなら、僕は現在の行動において、まさに行動によってそれを凌駕してみせる。精神すら築いてやる。不完全だから価値なんだ。創りあげてみせるんだ。
一つの旅が終わり、誰もが新しい旅立ちなんだよ。
明日はいよいよ卒業式。
takebonoとりあえず卒業旅行4−山陰その他帰路
2006年3月16日 旅行
出雲市の朝。旅ももう帰路モードにしなくては。
軽く雨降ってたのでレンタサイクルで出雲大社いくのもめんどくさくなって、ぶらぶらしてから駅に戻り山陰本線を東へ戻る。
やってきたのは松江。宍道湖と松江城下町を中心にまわるレイクラインとかいうかわいらしいバスに乗り込む。バスの後部は座先になってなくて立ちながら窓の外が見れる遊覧席みたいになってて、松江の景色を堪能。遠足か何かで幼稚園児が大量に乗車してて、このかわいいバスにかわいい園児たちがピッタリだなあと。
その後、松江城を眺めたりして鎮守の森を歩く。稲荷神社や護国神社は人気が無くて不気味で、でもお賽銭をあげてきた。帰りは松江ウオーカーとかいう(きわめて普通の)バスで松江に戻り、山陰本線で米子へ。山陰を去るときがきたのだ。
お土産の酒やら買い込んで伯備線に乗り込み、岡山を目指す。中国地方を縦断するのだ。
車内はあまりにも暇。小説を1冊読み終えた。
岡山に着いたのはもう夕方。山陽本線に飛び乗る。
姫路で乗り換えて神戸を通り過ぎ大阪へさしかかった辺りで電車が止まる。何事かと思ったらなんかトラブルで遅れてるらしい。結局京都に着くまで電車は40分くらい遅れたのだが、その間ずっと僕の後ろの乗車ドアあたりにいた男が延々と自分のカサを床に叩きつけていた。ガシイッガシイッって。遅れてキレてんのかなあと思ったけど、どうもなんかホントに延々とガシイッガシイッやってんので狂ってるのかと思った。他の乗客の皆さんもびびってた。僕はCDを聴きながら寝た。
そういえば米子あたりだったか。普通は電車遅れた場合、乗り継ぎ電車をJRが待たせてくれるもんなんだけど、アナウンスもなく乗り継ぎ電車が発車してたときがあった。時刻表を信頼して数少ない地方鈍行路線を乗り継ぎながら旅をしている僕のような人間にとってはそれは致命的なタイムロスになる。よっしゃ間に合うわって思ってたのに結局40分ほどロスすることになったのだ。まあむしろ40分に1本くる時間帯だったのが救いだったのだが。そんとき一人のおっさんがキレてた。ホームの待合室はそんな客でいっぱいだったもんだから、おっさんは大声で周りの賛同を集めようとしてた。駅員にもキレてきたらしい。まあ割を食ったのは確かだがアトノマツリなのだから。999型トラベラーのtakebonoはそんなことでは動じない。まあこんな旅先のどうでもいい一幕なんてたくさんあったんだけどなあ。
京都駅到着。もう夜だ。夏に四国行ったときも帰りに京都駅前の漫画喫茶で始発を待ったっけ。その前に吉野家で夕飯を食う。なんかこの前と同じパターンだ。
5時半の始発まで漫画喫茶でだらだらする。ネットがうまくつながらなくてブログの更新もめんどくさかったのでマンガタイムにした。『ジョジョ』と『ドリームス』と『将太の寿司』と『クロサギ』を少しずつ読みました。
いつだってターミナルとなってきた京都の夜は更ける。明日には東京に帰らなきゃならない。
そして卒業式に出なきゃならない。
僕の旅もいいかげんターミナルなんだ。ひとまず胸を張って区切りをつけなきゃならないんだ。
写真は松江城。
軽く雨降ってたのでレンタサイクルで出雲大社いくのもめんどくさくなって、ぶらぶらしてから駅に戻り山陰本線を東へ戻る。
やってきたのは松江。宍道湖と松江城下町を中心にまわるレイクラインとかいうかわいらしいバスに乗り込む。バスの後部は座先になってなくて立ちながら窓の外が見れる遊覧席みたいになってて、松江の景色を堪能。遠足か何かで幼稚園児が大量に乗車してて、このかわいいバスにかわいい園児たちがピッタリだなあと。
その後、松江城を眺めたりして鎮守の森を歩く。稲荷神社や護国神社は人気が無くて不気味で、でもお賽銭をあげてきた。帰りは松江ウオーカーとかいう(きわめて普通の)バスで松江に戻り、山陰本線で米子へ。山陰を去るときがきたのだ。
お土産の酒やら買い込んで伯備線に乗り込み、岡山を目指す。中国地方を縦断するのだ。
車内はあまりにも暇。小説を1冊読み終えた。
岡山に着いたのはもう夕方。山陽本線に飛び乗る。
姫路で乗り換えて神戸を通り過ぎ大阪へさしかかった辺りで電車が止まる。何事かと思ったらなんかトラブルで遅れてるらしい。結局京都に着くまで電車は40分くらい遅れたのだが、その間ずっと僕の後ろの乗車ドアあたりにいた男が延々と自分のカサを床に叩きつけていた。ガシイッガシイッって。遅れてキレてんのかなあと思ったけど、どうもなんかホントに延々とガシイッガシイッやってんので狂ってるのかと思った。他の乗客の皆さんもびびってた。僕はCDを聴きながら寝た。
そういえば米子あたりだったか。普通は電車遅れた場合、乗り継ぎ電車をJRが待たせてくれるもんなんだけど、アナウンスもなく乗り継ぎ電車が発車してたときがあった。時刻表を信頼して数少ない地方鈍行路線を乗り継ぎながら旅をしている僕のような人間にとってはそれは致命的なタイムロスになる。よっしゃ間に合うわって思ってたのに結局40分ほどロスすることになったのだ。まあむしろ40分に1本くる時間帯だったのが救いだったのだが。そんとき一人のおっさんがキレてた。ホームの待合室はそんな客でいっぱいだったもんだから、おっさんは大声で周りの賛同を集めようとしてた。駅員にもキレてきたらしい。まあ割を食ったのは確かだがアトノマツリなのだから。999型トラベラーのtakebonoはそんなことでは動じない。まあこんな旅先のどうでもいい一幕なんてたくさんあったんだけどなあ。
京都駅到着。もう夜だ。夏に四国行ったときも帰りに京都駅前の漫画喫茶で始発を待ったっけ。その前に吉野家で夕飯を食う。なんかこの前と同じパターンだ。
5時半の始発まで漫画喫茶でだらだらする。ネットがうまくつながらなくてブログの更新もめんどくさかったのでマンガタイムにした。『ジョジョ』と『ドリームス』と『将太の寿司』と『クロサギ』を少しずつ読みました。
いつだってターミナルとなってきた京都の夜は更ける。明日には東京に帰らなきゃならない。
そして卒業式に出なきゃならない。
僕の旅もいいかげんターミナルなんだ。ひとまず胸を張って区切りをつけなきゃならないんだ。
写真は松江城。
takebonoとりあえず卒業旅行3−山陰
2006年3月15日 旅行
鳥取の朝は昨日の吹雪が嘘のように晴れ渡り、僕はそんな気持ちの良い空をしばし見上げた。ホテルの朝食が無料バイキングだったので、昼御飯分もがっつり詰め込んで出発。すばらしくよく眠れたせいで体調良好。
まあまずせっかくだから鳥取砂丘を見てくるべえと思い立ち、バスで砂丘へ。だが、バスが延々と走ってるはずなのにちっとも砂丘らしき景色が見えてこない。昨日の大雪で砂丘は雪に埋もれていたのだ。雪に埋もれた鳥取砂丘はスキー場のゲレンデだったまるで。まあ、貴重な光景だったのかな。
駅に戻って山陰本線で鳥取を出発。さらに西へ走り米子へ。
米子から境線に乗り込む。一度乗ってみたかった米子駅0番線の「鬼太郎列車」だ。鳥取・境港は水木しげるの故郷で有名。境線「鬼太郎列車」は、各駅が妖怪の名前になっている。ちなみに米子駅は「ねずみ男」駅。終点の境港駅は「鬼太郎」駅だ。 途中「後藤」という駅で窓の外を見たら「泥太坊」駅だった。わっミラクルだわ。
境港駅到着。境港は鬼太郎の街。「鬼太郎ロード」を歩く。100個以上妖怪の像やら絵やらが街中に点々としているし、鬼太郎グッズの店だらけ。なんつうか、すばらしい。鬼太郎ファンの僕はほとんどの妖怪を知っている。昭和という時代を「妖怪」で描ききった水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」は日本が生んだ最高のマンガの一つである。
記念館にも入りたかったけど、時間がないのでさっさと境港を後にする。
米子から山陰本線はさらに西へ。とうとう出雲市駅までやってきた。出雲は出雲大社に代表されるように神の街。さらに西へ行って明日は下関をぐるっとまわろうかなんて考えてたら、時刻表に「3月16日は運休」とかあって、早々に下関攻略は諦めて、そろそろこの辺で明日から東京にUターンすることにした。土曜日は卒業式だし、金曜夜にバイトが入ってたのも思い出したからだ。出雲市駅の近くのビジネスホテルに宿をとる。部屋が空いてないとかで、なぜか和室の12畳くらいの部屋になった。広いっ。ラッキー。 缶ビール3本飲んで寝た。爆睡。
写真は鳥取砂丘。どこが砂丘やってくらいに雪で埋もれてるけど。
まあまずせっかくだから鳥取砂丘を見てくるべえと思い立ち、バスで砂丘へ。だが、バスが延々と走ってるはずなのにちっとも砂丘らしき景色が見えてこない。昨日の大雪で砂丘は雪に埋もれていたのだ。雪に埋もれた鳥取砂丘はスキー場のゲレンデだったまるで。まあ、貴重な光景だったのかな。
駅に戻って山陰本線で鳥取を出発。さらに西へ走り米子へ。
米子から境線に乗り込む。一度乗ってみたかった米子駅0番線の「鬼太郎列車」だ。鳥取・境港は水木しげるの故郷で有名。境線「鬼太郎列車」は、各駅が妖怪の名前になっている。ちなみに米子駅は「ねずみ男」駅。終点の境港駅は「鬼太郎」駅だ。 途中「後藤」という駅で窓の外を見たら「泥太坊」駅だった。わっミラクルだわ。
境港駅到着。境港は鬼太郎の街。「鬼太郎ロード」を歩く。100個以上妖怪の像やら絵やらが街中に点々としているし、鬼太郎グッズの店だらけ。なんつうか、すばらしい。鬼太郎ファンの僕はほとんどの妖怪を知っている。昭和という時代を「妖怪」で描ききった水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」は日本が生んだ最高のマンガの一つである。
記念館にも入りたかったけど、時間がないのでさっさと境港を後にする。
米子から山陰本線はさらに西へ。とうとう出雲市駅までやってきた。出雲は出雲大社に代表されるように神の街。さらに西へ行って明日は下関をぐるっとまわろうかなんて考えてたら、時刻表に「3月16日は運休」とかあって、早々に下関攻略は諦めて、そろそろこの辺で明日から東京にUターンすることにした。土曜日は卒業式だし、金曜夜にバイトが入ってたのも思い出したからだ。出雲市駅の近くのビジネスホテルに宿をとる。部屋が空いてないとかで、なぜか和室の12畳くらいの部屋になった。広いっ。ラッキー。 缶ビール3本飲んで寝た。爆睡。
写真は鳥取砂丘。どこが砂丘やってくらいに雪で埋もれてるけど。