キングクリムゾン
2006年7月22日記憶がよく飛ぶ。
今朝は、出掛けようとしてて身支度をしてて、5秒前には確かに手にしていたはずの自転車の鍵が、いざ玄関出ようとするときには手に無かった。「あれ???」
まるで時間が数十秒ほど掻き消されたみたい。
どこを探しても無くて焦った。
たまにあるね。
ミニ、異次元。
今の今まで読んでたはずの本が、目を離したすきにどこにもなかったり。
3秒前に考えてたことを忘れたり。
TVつけてビールもってきて、飲みながらチャンネル回そうとしたらリモコンがなくて、次の日冷蔵庫の中にあったという話があったけど。
僕は、メールしながら着替えてたら、ケータイを洋服ダンスの中においてきたことがある。
一つのことを考えてるときって記憶のもう一方が空白だってことか。
以前に友達のO君が、確実に食ったはずのものを食ってないと言い張って面白かったことがあったけど。
情報量が増えたとき、脳内がさばききれなかったりするのかな。
忘却は僕の敵だ。
ひらめいたことはいつでもメモることにしてる。夢も面白かったときは出来るだけメモっている。
いつかしら僕の脳は終わる。
だからいま創りあげてる。
誰一人、何一つ、忘れたくない。
今日の栃東
● 黒海 (突き落とし) 8勝6敗 ……………。
今日のtakebono
・朝青龍優勝おめでとうちくしょう!!!
今朝は、出掛けようとしてて身支度をしてて、5秒前には確かに手にしていたはずの自転車の鍵が、いざ玄関出ようとするときには手に無かった。「あれ???」
まるで時間が数十秒ほど掻き消されたみたい。
どこを探しても無くて焦った。
たまにあるね。
ミニ、異次元。
今の今まで読んでたはずの本が、目を離したすきにどこにもなかったり。
3秒前に考えてたことを忘れたり。
TVつけてビールもってきて、飲みながらチャンネル回そうとしたらリモコンがなくて、次の日冷蔵庫の中にあったという話があったけど。
僕は、メールしながら着替えてたら、ケータイを洋服ダンスの中においてきたことがある。
一つのことを考えてるときって記憶のもう一方が空白だってことか。
以前に友達のO君が、確実に食ったはずのものを食ってないと言い張って面白かったことがあったけど。
情報量が増えたとき、脳内がさばききれなかったりするのかな。
忘却は僕の敵だ。
ひらめいたことはいつでもメモることにしてる。夢も面白かったときは出来るだけメモっている。
いつかしら僕の脳は終わる。
だからいま創りあげてる。
誰一人、何一つ、忘れたくない。
今日の栃東
● 黒海 (突き落とし) 8勝6敗 ……………。
今日のtakebono
・朝青龍優勝おめでとうちくしょう!!!
ビール、ビール、ビール
2006年7月21日
昼間からMM氏と恵比寿の麦酒会館でエビスビールを飲みました。
写真は人気のビール。
なんかイベントがあったらしいけど、日時を間違えたらしく、MM氏ガッカリしとりました。いやエビスビール美味しかったな。
大政奉還の年に武士がビール飲んでた写真を見た。ビールはさすがだな。
その後は新宿でギネスビールを飲みました。
ざっくばらんに語りました。いやギネスビール美味しかったな。
夜はキリンビールを飲みました。美味しかった。
ビールはすばらしいな。
今日の栃東
● 雅山 (はたき込み) 8勝5敗 ………。
今日のtakebono
・ビール美味しかった。
写真は人気のビール。
なんかイベントがあったらしいけど、日時を間違えたらしく、MM氏ガッカリしとりました。いやエビスビール美味しかったな。
大政奉還の年に武士がビール飲んでた写真を見た。ビールはさすがだな。
その後は新宿でギネスビールを飲みました。
ざっくばらんに語りました。いやギネスビール美味しかったな。
夜はキリンビールを飲みました。美味しかった。
ビールはすばらしいな。
今日の栃東
● 雅山 (はたき込み) 8勝5敗 ………。
今日のtakebono
・ビール美味しかった。
ブルーダークの少年の記憶【Ⅹ】
2006年7月20日 エッセイなんでもいいから小学校の頃の記憶を覚えているかい? あの小さなブルーダークはもはや次元や時空さえ超越するものだとは思わないかい? 精神世界さんの構造も、シナプス氏の形成も、イデオロギィ坊やも、比較しようがないほど今とあの頃は異なるはずだ。ここまで、こんなふうに、どうしようもなく生きてきた僕が、これまたどうしようもなかった小学生時代なんかを振り返ってみると、あの時代の行動様式は、実に今では形容しがたい世界観なり感覚なりで成立していたということに気付く。つまり、今の僕らは既に、大人なんだ。
教職課程の教育原理では、コメニウスの次くらいに出てくるJ・ロックの「タブラ・ラサ」は、要するに「子ども=白紙」論なのだけど、それに対しルソー派が子どもは「芽」であるとか言ったりして。そこで僕は思う。あれは、白日夢のように、豆腐のように、原始の白い記憶だ。
なぜそんなことをしたのか――?という問いは、他人からもそして自己の内にもある。
僕の場合それは、決まり文句への分かり切った回答だ。
「それが、真っ白だったから」だ。
今回は、小学生の頃の記憶だ。誰しも無限に抱えるエセトラウマは、その実体なんて確認できやしないほど陰鬱だ。ともかくあの時代はただ閃光のように白い原始時代だった。どうしようもねえことは数え切れないくらいあったけど、こびり付く一つの記憶は今尚拭いきれない。故に書き残しておきたい。
◆
ガスッッ!!!と音がした。僕がそいつを殴りつけた音だった。
あらゆる感情が渦を巻いていた。〈怒〉や、〈憎〉や、〈悲〉。だけど、瞬間のほとんどの部分はそんな風にカテゴライズできるものじゃなく、ただただ真っ白な感情の渦だった。そうだ。あれは真っ白な感情のカーテンだった。核が炸裂したように白い閃光の中で、ただ一人の人間を傷つけるためだけに、僕の全身は躍動した。
「うえッえッッ!」って呻いて。ドダンッッ!!!っと。そいつはアスファルトの路上に転倒した。
倒れたボブサップの頭を狙って渾身の力で蹴り込もうとする藤田和之みたいに、僕はさらに回り込んでそいつの顔面をメッタメタに蹴りつけようかと思った。しかし僕は、しかし、そこで、やめた。
僕は復讐を恐れた。僕は罪の意識を恐れた。ただひたすら、暴力の巻き起こす醜悪で吐き気さえする心臓の鼓動を恐れた。脈が速まる。なんでこうなった? 誰がこの結果を望んだ? それは、数分前にはニタニタと笑っていたそいつへの、制裁だった。
許されようとも思わない瞬間にそのときはくる。何かを許せずにそれはキレたのだ。ぷつんとキレたのだ。負荷が張りつめて張りつめて、崩壊や革命みたいに、弾け千切れるときに、白光が闇を覆ったのだ。
白い闇に包まれたとき、細胞が自我を裏切った。
暴力による秩序の構築。拳による平和。このときの僕はそのおぞましさを初めて知ったわけだ。自らの衝動と、相手が流す血によってである。
僕はその日以来、エンタメ以外の現実世界の暴力に、吐き気がするようになった。
暴力は、暴力を確かに生む。
そして、恐怖と絶望こそが暴力を生む。
相手がナイフや銃を構え、ミサイルを持ち出したとき。
無抵抗者を少しでも傷つけたとき。
かけがえのないものを奪ったとき。
恐怖と絶望による暴力に、「正義」が与えられ、「正しい暴力」はそこから地獄の連鎖を始めるのだ。
ギリギリの、最後の瞬間まで、僕は愚かでもいいと考える。
暴力を、否定するだろう。
悲しみの連鎖を断ち切るために。
暴力を、否定するだろう。
☆今回のブルーダークメモリは小学生の頃に僕が同じ学校の子を殴ったときの嫌な記憶でした。そいつはいつも僕をいきなり殴りつけておきながら笑って逃走する最低の奴でした。僕は足が遅かったので追いかけられず毎回イラついてたわけ。ある日に、僕が善意からとったある行動を、彼が見事に踏みにじったことがあって、そしてまたしても彼は僕を殴りつけて逃走しようとしたので、僕はいい加減にイラララっときて襟首つかんで引き倒して思い切り殴りつけたわけです。「この野郎死ね」と思ったよあんときは普通にね。そんでそんとき多少殴りすぎてしまったんですね。僕は数発だったと思ったんだけど、何十発も殴ってたのかもしれない。そいつは泣きながら道路で血を流してました。そこで暴力に酔ってる自分に気付いたわけです。客観的なら「正当な防衛」なり「報復」なり理屈付けられるんだろうけど、僕はああゆう類の暴力とは、実に真っ白なもんだとそこで思ったわけです。PRIDEのリングみたいな白さです。あの白さは、正義とか悪とかそんなものを超えた領域だと思う。自分の中の神が一瞬だけ罪を見逃すために目を瞑った、そんなような感覚。 とにかくそれ以来彼は僕に近づかなくなった。僕は降りかかる火の粉を「仕方なく暴力で解決」したわけでした。 今だから言えること。恐ろしいことだけど、正当性の名の下の暴力は昂揚感がありました。それが最低に嫌だった。
あの白い暴力は、二度と見たくない。ブルーダークで、良いのです。
【END】
今日の栃東
● 白鵬 (寄り倒し) 8勝4敗 ………うぇえ。
今日のtakebono
・早起きした。
教職課程の教育原理では、コメニウスの次くらいに出てくるJ・ロックの「タブラ・ラサ」は、要するに「子ども=白紙」論なのだけど、それに対しルソー派が子どもは「芽」であるとか言ったりして。そこで僕は思う。あれは、白日夢のように、豆腐のように、原始の白い記憶だ。
なぜそんなことをしたのか――?という問いは、他人からもそして自己の内にもある。
僕の場合それは、決まり文句への分かり切った回答だ。
「それが、真っ白だったから」だ。
今回は、小学生の頃の記憶だ。誰しも無限に抱えるエセトラウマは、その実体なんて確認できやしないほど陰鬱だ。ともかくあの時代はただ閃光のように白い原始時代だった。どうしようもねえことは数え切れないくらいあったけど、こびり付く一つの記憶は今尚拭いきれない。故に書き残しておきたい。
◆
ガスッッ!!!と音がした。僕がそいつを殴りつけた音だった。
あらゆる感情が渦を巻いていた。〈怒〉や、〈憎〉や、〈悲〉。だけど、瞬間のほとんどの部分はそんな風にカテゴライズできるものじゃなく、ただただ真っ白な感情の渦だった。そうだ。あれは真っ白な感情のカーテンだった。核が炸裂したように白い閃光の中で、ただ一人の人間を傷つけるためだけに、僕の全身は躍動した。
「うえッえッッ!」って呻いて。ドダンッッ!!!っと。そいつはアスファルトの路上に転倒した。
倒れたボブサップの頭を狙って渾身の力で蹴り込もうとする藤田和之みたいに、僕はさらに回り込んでそいつの顔面をメッタメタに蹴りつけようかと思った。しかし僕は、しかし、そこで、やめた。
僕は復讐を恐れた。僕は罪の意識を恐れた。ただひたすら、暴力の巻き起こす醜悪で吐き気さえする心臓の鼓動を恐れた。脈が速まる。なんでこうなった? 誰がこの結果を望んだ? それは、数分前にはニタニタと笑っていたそいつへの、制裁だった。
許されようとも思わない瞬間にそのときはくる。何かを許せずにそれはキレたのだ。ぷつんとキレたのだ。負荷が張りつめて張りつめて、崩壊や革命みたいに、弾け千切れるときに、白光が闇を覆ったのだ。
白い闇に包まれたとき、細胞が自我を裏切った。
暴力による秩序の構築。拳による平和。このときの僕はそのおぞましさを初めて知ったわけだ。自らの衝動と、相手が流す血によってである。
僕はその日以来、エンタメ以外の現実世界の暴力に、吐き気がするようになった。
暴力は、暴力を確かに生む。
そして、恐怖と絶望こそが暴力を生む。
相手がナイフや銃を構え、ミサイルを持ち出したとき。
無抵抗者を少しでも傷つけたとき。
かけがえのないものを奪ったとき。
恐怖と絶望による暴力に、「正義」が与えられ、「正しい暴力」はそこから地獄の連鎖を始めるのだ。
ギリギリの、最後の瞬間まで、僕は愚かでもいいと考える。
暴力を、否定するだろう。
悲しみの連鎖を断ち切るために。
暴力を、否定するだろう。
☆今回のブルーダークメモリは小学生の頃に僕が同じ学校の子を殴ったときの嫌な記憶でした。そいつはいつも僕をいきなり殴りつけておきながら笑って逃走する最低の奴でした。僕は足が遅かったので追いかけられず毎回イラついてたわけ。ある日に、僕が善意からとったある行動を、彼が見事に踏みにじったことがあって、そしてまたしても彼は僕を殴りつけて逃走しようとしたので、僕はいい加減にイラララっときて襟首つかんで引き倒して思い切り殴りつけたわけです。「この野郎死ね」と思ったよあんときは普通にね。そんでそんとき多少殴りすぎてしまったんですね。僕は数発だったと思ったんだけど、何十発も殴ってたのかもしれない。そいつは泣きながら道路で血を流してました。そこで暴力に酔ってる自分に気付いたわけです。客観的なら「正当な防衛」なり「報復」なり理屈付けられるんだろうけど、僕はああゆう類の暴力とは、実に真っ白なもんだとそこで思ったわけです。PRIDEのリングみたいな白さです。あの白さは、正義とか悪とかそんなものを超えた領域だと思う。自分の中の神が一瞬だけ罪を見逃すために目を瞑った、そんなような感覚。 とにかくそれ以来彼は僕に近づかなくなった。僕は降りかかる火の粉を「仕方なく暴力で解決」したわけでした。 今だから言えること。恐ろしいことだけど、正当性の名の下の暴力は昂揚感がありました。それが最低に嫌だった。
あの白い暴力は、二度と見たくない。ブルーダークで、良いのです。
【END】
今日の栃東
● 白鵬 (寄り倒し) 8勝4敗 ………うぇえ。
今日のtakebono
・早起きした。
幅広く読む。というかいま部屋の整理をしているので、借りたり買ったりしたまま置きっぱなしの本を、片っ端から読んでるだけ。
◇星新一の『未来いそっぷ』読んだ。ショートショートのカリスマ。これは傑作。「いそっぷ村」は傑作揃い。
−北風が冷たい風を吹きかけると、旅人は寒がって近くのバーに飛び込んだ。そして飲み物を注文し、旅人はコートを、脱いだ。 太陽が温かい光で照らすと、旅人は暑がって喫茶店に逃げ込んだ。店内は冷房がききすぎていて、旅人はコートを、脱がなかったとさ。
(↑「北風と太陽」傑作じゃね?)
◇カミュの大名作『異邦人』読む。 これは面白い、気がする。近代が、人間に理由を持たせたってのはもしかしてこうゆうことなのかな。それが、理性か。 平凡な主人公によって描かれる「人間性」の無い行動や、動機の無い殺人。だけどやはり当然のようにそれらの意味や意義が追求されて、司法の理性によって裁判されることってのは、もしかすっと人間にとって本当は不条理なことなのかもしれない。 もっかい読んでもいいな。
−主人公の男ムルソーは、母親の死の翌日に海水浴に出かける。女と遊び、映画を観て楽しんだ後に、友人が起こしたトラブルの関係もあり、ふとしたことである殺人を犯してしまう。裁判にかけられたムルソーは人間性を言及される。さらに動機について問われた彼は、「太陽のせい」と答えてしまい、死刑判決を受けるのだった。
◇吉本ばななのベストセラー『キッチン』読んだ。丁度一年前に読んだのだけどまた読んだ。読み返してみて、ああそういえばこんな話だったなあと。ばななノベルは少し独特な雰囲気ですがあまり読まないのでどうもぴんとこない。同時収録の『ムーンライトシャドウ』もなかなか良い。
−唯一の家族だった祖母を亡くし、祖母と仲の良かった雄一とその母親(父親)の家に同居することになったみかげ。奇妙な3人の同居生活が始まり、何気ない二人の優しさにみかげは心を静かにうたれてゆく。 悲しみはまた愛によって救われる。それを信じることができるなら、優しさはいつだって優しさのまま、君をありのまま包むだろう。
今日の栃東
● 朝青龍 (寄り切り) 8勝3敗 …期待してたけど…はあああ。
今日のtakebono
・発泡酒を飲んだ。
◇星新一の『未来いそっぷ』読んだ。ショートショートのカリスマ。これは傑作。「いそっぷ村」は傑作揃い。
−北風が冷たい風を吹きかけると、旅人は寒がって近くのバーに飛び込んだ。そして飲み物を注文し、旅人はコートを、脱いだ。 太陽が温かい光で照らすと、旅人は暑がって喫茶店に逃げ込んだ。店内は冷房がききすぎていて、旅人はコートを、脱がなかったとさ。
(↑「北風と太陽」傑作じゃね?)
◇カミュの大名作『異邦人』読む。 これは面白い、気がする。近代が、人間に理由を持たせたってのはもしかしてこうゆうことなのかな。それが、理性か。 平凡な主人公によって描かれる「人間性」の無い行動や、動機の無い殺人。だけどやはり当然のようにそれらの意味や意義が追求されて、司法の理性によって裁判されることってのは、もしかすっと人間にとって本当は不条理なことなのかもしれない。 もっかい読んでもいいな。
−主人公の男ムルソーは、母親の死の翌日に海水浴に出かける。女と遊び、映画を観て楽しんだ後に、友人が起こしたトラブルの関係もあり、ふとしたことである殺人を犯してしまう。裁判にかけられたムルソーは人間性を言及される。さらに動機について問われた彼は、「太陽のせい」と答えてしまい、死刑判決を受けるのだった。
◇吉本ばななのベストセラー『キッチン』読んだ。丁度一年前に読んだのだけどまた読んだ。読み返してみて、ああそういえばこんな話だったなあと。ばななノベルは少し独特な雰囲気ですがあまり読まないのでどうもぴんとこない。同時収録の『ムーンライトシャドウ』もなかなか良い。
−唯一の家族だった祖母を亡くし、祖母と仲の良かった雄一とその母親(父親)の家に同居することになったみかげ。奇妙な3人の同居生活が始まり、何気ない二人の優しさにみかげは心を静かにうたれてゆく。 悲しみはまた愛によって救われる。それを信じることができるなら、優しさはいつだって優しさのまま、君をありのまま包むだろう。
今日の栃東
● 朝青龍 (寄り切り) 8勝3敗 …期待してたけど…はあああ。
今日のtakebono
・発泡酒を飲んだ。
筆坂秀世氏の『日本共産党』を読みました。
筆者は元日本共産党の大幹部ナンバー4までいったビッグな人であり、セクハラ疑惑不祥事で離党し議員辞職したつまんねえ男でもある。アホみたいな不祥事で失脚したくせに、今さら組織の裏側暴露本だなんて、腹いせか嫌がらせなのか、どっちにしろ情けねぇやつだなーとか思ってたけど、まあそれほどでもない本だなと思った。こんなものは、誰かが言ってたみたいに、「裏切り者」だとか「攻撃」だとか敢えて言わなくても良いんじゃないか。むしろ際だった悪意は特に見られず、組織への執着や容赦が未だ見える感じでもある。むしろ激励本のような気さえした。
組織集団ならどこにでもあるだろう問題が結構書かれてたけど、こうゆうのは今さら暴露したところで何にもなんないしあくびが出た。
ただ、この政党が「正しさ」を貫き、それ故に孤立し、窮地に立たされているというのはよくわかるような気がする。衰退し続け、敗北し続け、全てが悪い方向に流れきった後でも、「我々は正しかった」と言えるのだろうか。僕は、正しさを貫くとは、示すことだと思っている。ふてくされや小爆発はどこまでも意味がない。勝つことだ。悪法成立を阻止しきることだ。それ以外にないのだと思うのだけど。
あと僕は「前衛」だとか「啓蒙」だとか、嫌いだ。自分が何をわかったつもりになるのも嫌だからだ。この国の人々の大半は思考停止で、社会も教育もメディアもそれを推し進めている、と今日読んだどっかのコラムが書いてたけど、例えそうであってもだ。僕は、思考停止の人々のことをどうにか非難して、自分を上げたりは決してしない。
僕だって大衆の一人だ。あらゆる愚かさで一人一人生きてるんだ。
やっぱり、どうやって手を繋ぐか、だ。
アフターバブルの僕ら若い世代には、まだ「立場」や「利害」さえそれほど見えてこない。だからこそ、「共感」しかないと思う。
何かを疑問視する目。何かを顧みることのできる目。本質を見ようとする目。それらを育てないといけない。もちろん僕も含めて。
社会主義については何も言い切れない。
自衛隊の問題についても何も言い切れない。
僕の限界なんてそんなもんだ。それでも世界は回ってゆく。僕らは戦争と経済に巻き込まれてく。
だからこそその中でも、立場を決めていくこと。政治に参加してくこと。シンプルでもいいんだと思う。政治参加意識があれば。
少なくとも、胸を張って、投票権を行使させてくれる政党であってほしい。
一番大変なのは、草の根で倒れそうになりながらも、偏見や差別と闘い、尚頑張ろうとする一般党員の皆さんだと思う。それ故に、痛い。
わかるんだけど、ね。このままだと妥協になっちまうからね。
僕にできること。探したい。
今日の栃東
● 魁皇 (上手投げ) 8勝2敗 あああああ…ありえね…。あの形から魁皇に勝てる力士は現相撲界に存在しない…。
今日のtakebono
・SKさんと焼酎を飲んだ
・MM氏とビールを飲みに行く約束をした
・そしてビールが飲みたい
筆者は元日本共産党の大幹部ナンバー4までいったビッグな人であり、セクハラ疑惑不祥事で離党し議員辞職したつまんねえ男でもある。アホみたいな不祥事で失脚したくせに、今さら組織の裏側暴露本だなんて、腹いせか嫌がらせなのか、どっちにしろ情けねぇやつだなーとか思ってたけど、まあそれほどでもない本だなと思った。こんなものは、誰かが言ってたみたいに、「裏切り者」だとか「攻撃」だとか敢えて言わなくても良いんじゃないか。むしろ際だった悪意は特に見られず、組織への執着や容赦が未だ見える感じでもある。むしろ激励本のような気さえした。
組織集団ならどこにでもあるだろう問題が結構書かれてたけど、こうゆうのは今さら暴露したところで何にもなんないしあくびが出た。
ただ、この政党が「正しさ」を貫き、それ故に孤立し、窮地に立たされているというのはよくわかるような気がする。衰退し続け、敗北し続け、全てが悪い方向に流れきった後でも、「我々は正しかった」と言えるのだろうか。僕は、正しさを貫くとは、示すことだと思っている。ふてくされや小爆発はどこまでも意味がない。勝つことだ。悪法成立を阻止しきることだ。それ以外にないのだと思うのだけど。
あと僕は「前衛」だとか「啓蒙」だとか、嫌いだ。自分が何をわかったつもりになるのも嫌だからだ。この国の人々の大半は思考停止で、社会も教育もメディアもそれを推し進めている、と今日読んだどっかのコラムが書いてたけど、例えそうであってもだ。僕は、思考停止の人々のことをどうにか非難して、自分を上げたりは決してしない。
僕だって大衆の一人だ。あらゆる愚かさで一人一人生きてるんだ。
やっぱり、どうやって手を繋ぐか、だ。
アフターバブルの僕ら若い世代には、まだ「立場」や「利害」さえそれほど見えてこない。だからこそ、「共感」しかないと思う。
何かを疑問視する目。何かを顧みることのできる目。本質を見ようとする目。それらを育てないといけない。もちろん僕も含めて。
社会主義については何も言い切れない。
自衛隊の問題についても何も言い切れない。
僕の限界なんてそんなもんだ。それでも世界は回ってゆく。僕らは戦争と経済に巻き込まれてく。
だからこそその中でも、立場を決めていくこと。政治に参加してくこと。シンプルでもいいんだと思う。政治参加意識があれば。
少なくとも、胸を張って、投票権を行使させてくれる政党であってほしい。
一番大変なのは、草の根で倒れそうになりながらも、偏見や差別と闘い、尚頑張ろうとする一般党員の皆さんだと思う。それ故に、痛い。
わかるんだけど、ね。このままだと妥協になっちまうからね。
僕にできること。探したい。
今日の栃東
● 魁皇 (上手投げ) 8勝2敗 あああああ…ありえね…。あの形から魁皇に勝てる力士は現相撲界に存在しない…。
今日のtakebono
・SKさんと焼酎を飲んだ
・MM氏とビールを飲みに行く約束をした
・そしてビールが飲みたい
スマッシャーtakebono
2006年7月17日
今日は墨田区の体育館でスポーツ企画。
バドミントンと卓球がメイン。
汗だっくだく。2日連続休日スポーツもなかなかいいね。
バドミントンはダブルスで神懸かり。オグシオへの挑戦権をゲット、したいもんだ。僕はシオ派。
卓球はブランクがあったな。
写真はMM氏との死闘3本勝負。僕はペンラケット使い。サー!!
1セットを逃げ切り勝ったものの、2セット目は惜しくも奪われ、運命の3セット目は、14−14までは全くの互角だったけど、「やばい」と思って若干逃げ腰守りに回ってしまったところをズルズルいかれて敗北。くそお。卓球はメンタルスポーツ。「やばい」なんて思った方がペース持ってかれるのです。
前回は僕が至らなかったためにすれ違いまくったIさんとも、スポーツの合間にたくさん色々話せたのでよかったです。向こうも気にしてたみたいだった。普通に、とてもいい人だよ。まあ悪い人であるわけがなくて、それ故にすれ違うのだけども。
いつもそうだけど、馴れ合いは嫌いで、不毛な衝突はもっと嫌いだ。手を繋げる者たちがまず手を繋ぐべきだからだ。
だから、どうやって手を繋ぐか、なんだよな。
人生をかけちゃってる人は強い。生き方を信じれている人は結局強い。
すれ違うことで傷つけ合うことも、生きてればたくさんあるのだけれど、僕はまだシンプルな方へ向かってるんだなあ。無知な勇敢は無謀。だけどそんなこという奴も(自分含めて)何を第三者気取ってやがるんだ、と思う。
でもなー、時々思ったりするんだよな。デッドボールを恐れて内角ストレートを投げないなんて、一流じゃないな、とか。
それぞれの生き方を認めてあげることは、優しさなのだと思うのだけど、正しさではないのかもしれない。優しさと正しさ、無理矢理一致させようとしても埋まらない。知と力は今後それを埋めうるのだろうか。
自分が信じる方へ行くべきなんだろう。どちらにも後悔はあるし、喜びもあるだろう。そこまできて、まだ考えてる。何が、良いのか、と。
一人じゃなかなか見えてこないものもある。人と話して考えてみたい。
誰かと話したいな。全く異なる人と。そこら辺に滅多にいないような人と。ソウルフルな人と。
今日の栃東
● 千代大海 (はたき込み) 8勝1敗 ああ…
今日のtakebono
・ビールが飲みたい
・足首を痛める
バドミントンと卓球がメイン。
汗だっくだく。2日連続休日スポーツもなかなかいいね。
バドミントンはダブルスで神懸かり。オグシオへの挑戦権をゲット、したいもんだ。僕はシオ派。
卓球はブランクがあったな。
写真はMM氏との死闘3本勝負。僕はペンラケット使い。サー!!
1セットを逃げ切り勝ったものの、2セット目は惜しくも奪われ、運命の3セット目は、14−14までは全くの互角だったけど、「やばい」と思って若干逃げ腰守りに回ってしまったところをズルズルいかれて敗北。くそお。卓球はメンタルスポーツ。「やばい」なんて思った方がペース持ってかれるのです。
前回は僕が至らなかったためにすれ違いまくったIさんとも、スポーツの合間にたくさん色々話せたのでよかったです。向こうも気にしてたみたいだった。普通に、とてもいい人だよ。まあ悪い人であるわけがなくて、それ故にすれ違うのだけども。
いつもそうだけど、馴れ合いは嫌いで、不毛な衝突はもっと嫌いだ。手を繋げる者たちがまず手を繋ぐべきだからだ。
だから、どうやって手を繋ぐか、なんだよな。
人生をかけちゃってる人は強い。生き方を信じれている人は結局強い。
すれ違うことで傷つけ合うことも、生きてればたくさんあるのだけれど、僕はまだシンプルな方へ向かってるんだなあ。無知な勇敢は無謀。だけどそんなこという奴も(自分含めて)何を第三者気取ってやがるんだ、と思う。
でもなー、時々思ったりするんだよな。デッドボールを恐れて内角ストレートを投げないなんて、一流じゃないな、とか。
それぞれの生き方を認めてあげることは、優しさなのだと思うのだけど、正しさではないのかもしれない。優しさと正しさ、無理矢理一致させようとしても埋まらない。知と力は今後それを埋めうるのだろうか。
自分が信じる方へ行くべきなんだろう。どちらにも後悔はあるし、喜びもあるだろう。そこまできて、まだ考えてる。何が、良いのか、と。
一人じゃなかなか見えてこないものもある。人と話して考えてみたい。
誰かと話したいな。全く異なる人と。そこら辺に滅多にいないような人と。ソウルフルな人と。
今日の栃東
● 千代大海 (はたき込み) 8勝1敗 ああ…
今日のtakebono
・ビールが飲みたい
・足首を痛める
真夏日SOMA
2006年7月16日いつものアリーナでフットサルとバドミントン。
汗だくだくのガックガク。
疲れたァ。
みんなもそうなんだろうけど、最近はどんなにグッダグダに運動しても、翌日などの筋肉痛が全く無い。週1回とはいえ、肉体が運動に確実に慣れてきているのだろう。
今、腿の裏が張っているのは、準備運動を怠ったからだと思う。
今日の栃東
○ 露鵬 (不戦勝)←出場停止。ばかめ。 うぉい8連勝!!!
今日のtakebono
・ビールが飲みたい。
・新しいことを始めたい。
・ソウルが全然足りない。
・相撲をなめるなよ、露鵬。
汗だくだくのガックガク。
疲れたァ。
みんなもそうなんだろうけど、最近はどんなにグッダグダに運動しても、翌日などの筋肉痛が全く無い。週1回とはいえ、肉体が運動に確実に慣れてきているのだろう。
今、腿の裏が張っているのは、準備運動を怠ったからだと思う。
今日の栃東
○ 露鵬 (不戦勝)←出場停止。ばかめ。 うぉい8連勝!!!
今日のtakebono
・ビールが飲みたい。
・新しいことを始めたい。
・ソウルが全然足りない。
・相撲をなめるなよ、露鵬。
相変わらず小説を読む。
今回はmixiの読書コミュで「泣ける本」で抜群に好評だった2冊。
まあいつものように、前評判で読んで泣けた試しがないんだけど、素敵な本だったことは言っておこう。
mixiの利用価値ってこれだきっと。マーケティングのようなもの。
◇梨木果歩の『西の魔女が死んだ』。作品の中を突き抜ける爽やかさは、「泣ける」以前の静かな感動。
−登校拒否を続けていた少女・まいは、その年の初夏を母方の祖父母の元で過ごすことになった。まいが大好きなおばあちゃんは、日々の生活の中で様々な「魔女修行」をまいに課してゆく。大自然の中、サンクチェアリの静寂。意志の強さが希望に変わるとき、一人の少女は生の価値をまなざしてゆく。そして魔女は死んだ――。
ラストかな。ラストはすーっと通るような爽やかな感情に包まれた。そう、きたか、と。
◇湯本香樹実の『夏の庭―The Friends』。大学3年の時に授業で映画を観たことがあって、あれは確か途中までしか観れなかったから気になっていて、やっと小説で結末を知ることができた。良い話だった。
−町外れの汚い家で一人の老人が暮らしていた。僕らはその老人が死ぬ瞬間をどうしても見たくて、彼を「観察」することにした。夏休みが始まると、僕らの「観察」は次第に、彼との不思議な交流へと変化していく。
「死んだ人、見たことあるか」
死ぬことがあり、生きることがある。喪われるものがあり、決して失われないものがある。生命から、生命へと、伝わるものは夏の庭に咲くコスモスのように。
まあ、こんなもんでしょう。感動を呼ぶツボというのもある程度条件がある感じがする。共感、が大事なんだろう。登場人物設定は大きい。子どもと老人ってのは、そういう意味ではベストなのかもしれない。生死の問題も共感動が大きそうだ。
そうなんだよね、共感、なんだよね。
今日の栃東
○ 旭鷲山 (寄り切り) 7連勝!!!
そして露鵬が土俵外でまた騒動を起こしたそうだな。まったくもう。相撲を何だと思ってやがるんだ。
今回はmixiの読書コミュで「泣ける本」で抜群に好評だった2冊。
まあいつものように、前評判で読んで泣けた試しがないんだけど、素敵な本だったことは言っておこう。
mixiの利用価値ってこれだきっと。マーケティングのようなもの。
◇梨木果歩の『西の魔女が死んだ』。作品の中を突き抜ける爽やかさは、「泣ける」以前の静かな感動。
−登校拒否を続けていた少女・まいは、その年の初夏を母方の祖父母の元で過ごすことになった。まいが大好きなおばあちゃんは、日々の生活の中で様々な「魔女修行」をまいに課してゆく。大自然の中、サンクチェアリの静寂。意志の強さが希望に変わるとき、一人の少女は生の価値をまなざしてゆく。そして魔女は死んだ――。
ラストかな。ラストはすーっと通るような爽やかな感情に包まれた。そう、きたか、と。
◇湯本香樹実の『夏の庭―The Friends』。大学3年の時に授業で映画を観たことがあって、あれは確か途中までしか観れなかったから気になっていて、やっと小説で結末を知ることができた。良い話だった。
−町外れの汚い家で一人の老人が暮らしていた。僕らはその老人が死ぬ瞬間をどうしても見たくて、彼を「観察」することにした。夏休みが始まると、僕らの「観察」は次第に、彼との不思議な交流へと変化していく。
「死んだ人、見たことあるか」
死ぬことがあり、生きることがある。喪われるものがあり、決して失われないものがある。生命から、生命へと、伝わるものは夏の庭に咲くコスモスのように。
まあ、こんなもんでしょう。感動を呼ぶツボというのもある程度条件がある感じがする。共感、が大事なんだろう。登場人物設定は大きい。子どもと老人ってのは、そういう意味ではベストなのかもしれない。生死の問題も共感動が大きそうだ。
そうなんだよね、共感、なんだよね。
今日の栃東
○ 旭鷲山 (寄り切り) 7連勝!!!
そして露鵬が土俵外でまた騒動を起こしたそうだな。まったくもう。相撲を何だと思ってやがるんだ。
マンガ少年
2006年7月14日部屋の掃除してます。
おっきな収納ケースを使って、とりわけマンガ本の整理をした。手塚治虫だけで結構あった。
間違いなくこれらのマンガたちは、僕の人格形成に寄与したのだろう。僕はマンガ少年だった。
マンガがなかったら、生きてこれなかったな。
本棚の奥からコロコロコミックが出てきた。このマンガ雑誌は僕にとって、ドラえもんが全てだった。藤子F先生が死んで、僕のコロコロコミック時代は終わったのだ。
もうあの頃のように、ただ先が読みたくてドキドキしてたり、マンガに生かされていたような感覚は戻らないんだろうな。大人たちの周りにはいくらでも娯楽消費が存在してるからだ。
でも、そういう部分なんだろうな。マンガのこっち側にあるものってのは。
だから僕はマンガを描いていたんだと思う。
「マンガなんてもの」に没頭するために。
子どもで在り続けるために。
かつて「誰しもが大人になる、そんなもんです」などと聞かされてから、もう10年くらい経った。変わったものはたくさんあるけれど、僕はいまそんなふうに、「誰しも」的には大人になっていないと思う。
いつか、何かを、どのように、「わかる」ために? 大人になるの? それも示されないままに。結局の所、あやふやで、言葉に出来ないもどかしさと、決定的に矛盾なところがあったんだろう。自然の法則なんてとっくに通用しないんだ。
かつて、戦争や経済が弱肉強食自然の理だとか言うのなら、人類はそんなもの既に超越してるのだから、そりゃないぜと思ったことがあった。そしてそんなマンガを描いたことがある。「戦争」と「経済」を、それこそ力によって、ぶっ潰しに来る男の物語だった。
いま思うと、何が変わることを信じてたのだろう? 僕や、彼や、あの人たちも、同様に。何をもってそんなことを言ったのだろう。
大人へのなり方がわかった今。
そのなり方では決してなることのできない大人になろうと思っている。
今尚僕はマンガがすきだ。支出のほとんどはビールとマンガなのです。
今日の栃東
○ 稀勢の里(押し出し)6勝
おっきな収納ケースを使って、とりわけマンガ本の整理をした。手塚治虫だけで結構あった。
間違いなくこれらのマンガたちは、僕の人格形成に寄与したのだろう。僕はマンガ少年だった。
マンガがなかったら、生きてこれなかったな。
本棚の奥からコロコロコミックが出てきた。このマンガ雑誌は僕にとって、ドラえもんが全てだった。藤子F先生が死んで、僕のコロコロコミック時代は終わったのだ。
もうあの頃のように、ただ先が読みたくてドキドキしてたり、マンガに生かされていたような感覚は戻らないんだろうな。大人たちの周りにはいくらでも娯楽消費が存在してるからだ。
でも、そういう部分なんだろうな。マンガのこっち側にあるものってのは。
だから僕はマンガを描いていたんだと思う。
「マンガなんてもの」に没頭するために。
子どもで在り続けるために。
かつて「誰しもが大人になる、そんなもんです」などと聞かされてから、もう10年くらい経った。変わったものはたくさんあるけれど、僕はいまそんなふうに、「誰しも」的には大人になっていないと思う。
いつか、何かを、どのように、「わかる」ために? 大人になるの? それも示されないままに。結局の所、あやふやで、言葉に出来ないもどかしさと、決定的に矛盾なところがあったんだろう。自然の法則なんてとっくに通用しないんだ。
かつて、戦争や経済が弱肉強食自然の理だとか言うのなら、人類はそんなもの既に超越してるのだから、そりゃないぜと思ったことがあった。そしてそんなマンガを描いたことがある。「戦争」と「経済」を、それこそ力によって、ぶっ潰しに来る男の物語だった。
いま思うと、何が変わることを信じてたのだろう? 僕や、彼や、あの人たちも、同様に。何をもってそんなことを言ったのだろう。
大人へのなり方がわかった今。
そのなり方では決してなることのできない大人になろうと思っている。
今尚僕はマンガがすきだ。支出のほとんどはビールとマンガなのです。
今日の栃東
○ 稀勢の里(押し出し)6勝
かたるしす
2006年7月13日またSKさんと夜飲みました。いろんなことを語りました。
何度でも思うんだけど、その人なりの、ぞれぞれの、生き方なり人生なりを、精一杯、幸福になろうと、人は生きているのだということ。僕だってそう。だから、誰の人生が、誰に比べて、劣っているだとか勝っているだとか、そんなバカみたいなことやっぱり僕に言えるわけないんだ。その人の、その人なりの、精一杯の人生は、やはり掛け替えがないんだって。
ただ僕は、僕として、僕の立場を、示すということ。僕は、僕として、この世界の現実を、決して許しはしないということ。
基準は、自分。自分が、どう、生きるか、だ。
「そんなもんだよ」とか、人生や、世界を、そんな形で切り捨てた瞬間に、それは「そんなもん」になっちまう。もう、信じるとか、信じないとかじゃないのさ。いま息してる、この僕自身が、その「可能性」を、証明してみせるってことなのさ。「そんなもん」になんか、絶対にならないってことをさ、強く思うことなのさ。
世界に絶望することより、自分を変えて動くってことを思う。
脳死になることで、世界が成立しているのなら、最後の最後まで僕はそんな一般論に抗ってみせる。正義とか、ヒューマニズムとか以前に、僕の、ただこんな僕の、ちっぽけな、憤りにしかすぎない何かで、この世を変えてやりたいのだ。
この世界で僕を生かしてくれている、何かよくわからない何かに対して、このままじゃ胸を張れないんだ。
このまま、生きていきたくないんだ。一般論で否定されても関係なくて、僕がここで思う故になんだ。
このまま、生きていきたくないんだ。
この世界を、誇れないんだ。
MM氏、今日は長々すみませんでした。
今日の栃東
○ 琴奨菊(寄り切り)5勝
何度でも思うんだけど、その人なりの、ぞれぞれの、生き方なり人生なりを、精一杯、幸福になろうと、人は生きているのだということ。僕だってそう。だから、誰の人生が、誰に比べて、劣っているだとか勝っているだとか、そんなバカみたいなことやっぱり僕に言えるわけないんだ。その人の、その人なりの、精一杯の人生は、やはり掛け替えがないんだって。
ただ僕は、僕として、僕の立場を、示すということ。僕は、僕として、この世界の現実を、決して許しはしないということ。
基準は、自分。自分が、どう、生きるか、だ。
「そんなもんだよ」とか、人生や、世界を、そんな形で切り捨てた瞬間に、それは「そんなもん」になっちまう。もう、信じるとか、信じないとかじゃないのさ。いま息してる、この僕自身が、その「可能性」を、証明してみせるってことなのさ。「そんなもん」になんか、絶対にならないってことをさ、強く思うことなのさ。
世界に絶望することより、自分を変えて動くってことを思う。
脳死になることで、世界が成立しているのなら、最後の最後まで僕はそんな一般論に抗ってみせる。正義とか、ヒューマニズムとか以前に、僕の、ただこんな僕の、ちっぽけな、憤りにしかすぎない何かで、この世を変えてやりたいのだ。
この世界で僕を生かしてくれている、何かよくわからない何かに対して、このままじゃ胸を張れないんだ。
このまま、生きていきたくないんだ。一般論で否定されても関係なくて、僕がここで思う故になんだ。
このまま、生きていきたくないんだ。
この世界を、誇れないんだ。
MM氏、今日は長々すみませんでした。
今日の栃東
○ 琴奨菊(寄り切り)5勝
◇第一回「このミス」の大賞作、朝倉卓弥の『四日間の奇跡』を読み終えた。とてもよかった。まばゆいほどの輝きを放つ「描写」力。圧倒的な筆力。すばらしかった。
−かつてピアニストへの道を歩みながらその道を絶たれた如月敬輔。彼が夢と引き替えに救った少女・楠本千織は、脳に障害を負い言葉を失っていた。その後とあるきっかけからピアノ演奏の旅を続けることになった二人は、ある日訪れた山奥の診療所施設で働く一人の女性と出会った。そして、悲劇が起き、そして奇跡は起きた。
「神というものがいるのかどうかは知らん。だが時として俺自身、自分の肉体が命というものを維持しているということが、どれほど奇跡的なことかを思い知る時がある。意志とは無関係に体内で生成される様々な酵素。その一つでも狂ってしまえば人間というのは簡単に死ぬんだ。外傷など無くてもだ。我々はやはり、生かされているのだと感じるよ。だがその一方で、生きているのは俺自身だという意識も、俺は強固に持っている。俺はその俺を裏切らぬよう、俺自身に誇れるように生きていくだけだ」
そうだ。我々は生かされている。だが生きているのは僕自身なのだ。
「それはでも、幸せなことだったのよ。…ねえ、あたし今、千織ちゃんにとても感謝してる。この時間をあたしにくれた何かに、とても感謝しているの。…だっておかげで、――そう、確かめられたもの。あたしの願いはみんな叶ってたんだって、確かめられたもの。ただ自分で気付いていなかっただけ。知らなかった、見ようとしなかっただけだったの。かつて手にしていたものにこだわって今の自分を受け止めていなかったのは、それは貴方でも患者さんたちでもなくて、あたしだったのよ」
真理子がかわいそすぎて。かわいそーすぎて。takebono泣けてくる。こんな奇跡、あったっていいと思う。それだけで充分だ。
ありふれたようで輝きを放つ、この奇跡のストーリーにはきっと、それこそ「心」というものをうたれた思いだ。
今日の栃東
○ 垣添 (押し出し)4勝
栃東今場所はいける!
朝青龍のヤロー右腕全開じゃねーか!
千代大海マジで守護霊が憑いたか!
やべ、名古屋場所ドキドキする。
−かつてピアニストへの道を歩みながらその道を絶たれた如月敬輔。彼が夢と引き替えに救った少女・楠本千織は、脳に障害を負い言葉を失っていた。その後とあるきっかけからピアノ演奏の旅を続けることになった二人は、ある日訪れた山奥の診療所施設で働く一人の女性と出会った。そして、悲劇が起き、そして奇跡は起きた。
「神というものがいるのかどうかは知らん。だが時として俺自身、自分の肉体が命というものを維持しているということが、どれほど奇跡的なことかを思い知る時がある。意志とは無関係に体内で生成される様々な酵素。その一つでも狂ってしまえば人間というのは簡単に死ぬんだ。外傷など無くてもだ。我々はやはり、生かされているのだと感じるよ。だがその一方で、生きているのは俺自身だという意識も、俺は強固に持っている。俺はその俺を裏切らぬよう、俺自身に誇れるように生きていくだけだ」
そうだ。我々は生かされている。だが生きているのは僕自身なのだ。
「それはでも、幸せなことだったのよ。…ねえ、あたし今、千織ちゃんにとても感謝してる。この時間をあたしにくれた何かに、とても感謝しているの。…だっておかげで、――そう、確かめられたもの。あたしの願いはみんな叶ってたんだって、確かめられたもの。ただ自分で気付いていなかっただけ。知らなかった、見ようとしなかっただけだったの。かつて手にしていたものにこだわって今の自分を受け止めていなかったのは、それは貴方でも患者さんたちでもなくて、あたしだったのよ」
真理子がかわいそすぎて。かわいそーすぎて。takebono泣けてくる。こんな奇跡、あったっていいと思う。それだけで充分だ。
ありふれたようで輝きを放つ、この奇跡のストーリーにはきっと、それこそ「心」というものをうたれた思いだ。
今日の栃東
○ 垣添 (押し出し)4勝
栃東今場所はいける!
朝青龍のヤロー右腕全開じゃねーか!
千代大海マジで守護霊が憑いたか!
やべ、名古屋場所ドキドキする。
テンパることだ
2006年7月11日TAさんが遊びにきたり、TAさん家に遊びに行ったりしました。TAさんは麻雀が強いです。僕は将棋が強いです。
ワールドカップも終わったし、そろそろまたいろいろなことを考え始めなければなりません。(ちなみに今回のワールドカップは人種差別問題を浮き彫りにした感があったね)
最近特にね、一つのことを、履き違えていたていたなと感じることがありました。とりあえずわかった気になるだけでもいいから、自分が考えてたことに対して思考の決着をほしがっていたのです。
僕は、惰性や妥協が恐かったのです。未決着のまま、ずるずるとひきずられるのが嫌だったのです。いま、メチャクチャ勝手で知ったかぶりをしながらなんだけど、ようやく僕にとって前進するべき方向を向けたような気がしてるのです。
人は、何かしらを殺しながら生きている。
この世の正体は死者の国でした。人々は死人なのでした。
わかりきってたそのことへの、吐き気が、最近止まったのです。僕は、反吐が出るものを前にして、目を覆っていただけなのですね。殺してもないのに、泣こうとしてた。傷ついてもいないのに、痛がろうとしてた。そんなことで、奇跡は起こらないのだ。
世界を歩くことなしに、ソウルを感じられるわけがなかったのだ。
こないだN先生言ってくれたよね。
takebonoくんの、その根拠のない自信、素晴らしいよって。
あれで、うわN先生と結婚したいわとまで思ったtakebonoさん。
僕は、言葉の力を信じてたんだ。そして、その力を創りゆくものは、あらゆる表現主体なんだなと思うようになってた。
いまは、創ることなのだ。
それを示すこと。
なんでだろうね。
なぜか僕は絶望することをしらないんだよ。
わかりきった顔をしたくもないんだよ。
まあ。
みてろって。
今日の栃東
○ 琴光喜 (寄り切り)3勝
ワールドカップも終わったし、そろそろまたいろいろなことを考え始めなければなりません。(ちなみに今回のワールドカップは人種差別問題を浮き彫りにした感があったね)
最近特にね、一つのことを、履き違えていたていたなと感じることがありました。とりあえずわかった気になるだけでもいいから、自分が考えてたことに対して思考の決着をほしがっていたのです。
僕は、惰性や妥協が恐かったのです。未決着のまま、ずるずるとひきずられるのが嫌だったのです。いま、メチャクチャ勝手で知ったかぶりをしながらなんだけど、ようやく僕にとって前進するべき方向を向けたような気がしてるのです。
人は、何かしらを殺しながら生きている。
この世の正体は死者の国でした。人々は死人なのでした。
わかりきってたそのことへの、吐き気が、最近止まったのです。僕は、反吐が出るものを前にして、目を覆っていただけなのですね。殺してもないのに、泣こうとしてた。傷ついてもいないのに、痛がろうとしてた。そんなことで、奇跡は起こらないのだ。
世界を歩くことなしに、ソウルを感じられるわけがなかったのだ。
こないだN先生言ってくれたよね。
takebonoくんの、その根拠のない自信、素晴らしいよって。
あれで、うわN先生と結婚したいわとまで思ったtakebonoさん。
僕は、言葉の力を信じてたんだ。そして、その力を創りゆくものは、あらゆる表現主体なんだなと思うようになってた。
いまは、創ることなのだ。
それを示すこと。
なんでだろうね。
なぜか僕は絶望することをしらないんだよ。
わかりきった顔をしたくもないんだよ。
まあ。
みてろって。
今日の栃東
○ 琴光喜 (寄り切り)3勝
その日世界はまた夢を見る−さらばtakebonoのワールドカップ
2006年7月10日早朝の6時頃。海の向こうで締め括られた夢。
ベルリンの夜空に絶え間なく降り注ぐ紙吹雪。
カルチョの夢が光り輝いた瞬間。
僕はワンダモーニングショットを飲みながら。
2006のファイナルを制したイタリア・アズーリに拍手を送った。
カンナバーロが天高く掲げたジュール・リメ杯。
サッカーを愛する者なら誰もが一度はそれを夢見たことがある。
ワールドカップ。
ドイツvsコスタリカで始まったあの開幕戦から。あのラームの美しすぎるシュートから。時間と体力が許す限り、観れる試合は全て観ることができた。幸福だった。
世界中の大陸の、あらゆるサッカーどうしが凌ぎを削る。
ワールドカップ。
時差はきつかった。僕の体調は日増しに悪くなっていった。
砕け散ったジャパンドリーム。
若き日のベッカムと重なったルーニー。
カーンとレーマンの絵なんてもう言葉じゃない。
カンビアッソや、テュラムや、中田の、涙。
その他にも、いろんな、いろんなシーンが焼き付いてる。
どんなシュートがどんなふうに唸りをあげても。
ボールの回転で芝がえぐれても。
ポストに当たる音や。
選手の叫びや。
1?でも長く伸ばそうとした足や。
誰よりも高く飛ぼうとした身体。
何よりも観客の、あのサッカーを愛する者たち全ての、世の中が終わるほどの、あの歓声を。
そして、ジダンや中田のサッカーを、もう二度と見ることはないなんてことにも。
まさしくそれは夢だったのでした。
ワールドカップは。
みんなみんな夢のようだった。
それが夢だったように。あれが夢だったように。
こんなふうに夢は。
夢で在り続けるのだ。
ヘーウチ先生が書いてたね。
こんなふうに、一つの白黒のボールの行方を、世界中の人々が、それに歓喜し、激昂し、笑ったり、泣いたりすることって、もう、夢のように、もう二度と無いんだよね、と。
それは。
夢だったからなんだよね。
夢が終わり。目覚めながら。僕の体調は日常のリズムと共に。だんだんと元に戻るだろう。過去の一部として。
ある日、よく晴れた日の空を見上げ。
ああ夢だったんだなあなんて思いながら。
僕はサッカーボールを片手に家を飛び出すはずだ。
やっぱりサッカーをするために。
素晴らしい仲間たちと。
輝く日差しの中で。
サッカーボールを蹴るために。
生きる不安なんて、振り払いながら。
生きる喜びを、無限に感じるんだ。
4年に一度、人々が見る夢。
世界はそれをワールドカップと呼ぶ。
さよならだよ。ドイツ。ありがとう。ワールドカップ。
南アフリカでまた会おうね。
ベルリンの夜空に絶え間なく降り注ぐ紙吹雪。
カルチョの夢が光り輝いた瞬間。
僕はワンダモーニングショットを飲みながら。
2006のファイナルを制したイタリア・アズーリに拍手を送った。
カンナバーロが天高く掲げたジュール・リメ杯。
サッカーを愛する者なら誰もが一度はそれを夢見たことがある。
ワールドカップ。
ドイツvsコスタリカで始まったあの開幕戦から。あのラームの美しすぎるシュートから。時間と体力が許す限り、観れる試合は全て観ることができた。幸福だった。
世界中の大陸の、あらゆるサッカーどうしが凌ぎを削る。
ワールドカップ。
時差はきつかった。僕の体調は日増しに悪くなっていった。
砕け散ったジャパンドリーム。
若き日のベッカムと重なったルーニー。
カーンとレーマンの絵なんてもう言葉じゃない。
カンビアッソや、テュラムや、中田の、涙。
その他にも、いろんな、いろんなシーンが焼き付いてる。
どんなシュートがどんなふうに唸りをあげても。
ボールの回転で芝がえぐれても。
ポストに当たる音や。
選手の叫びや。
1?でも長く伸ばそうとした足や。
誰よりも高く飛ぼうとした身体。
何よりも観客の、あのサッカーを愛する者たち全ての、世の中が終わるほどの、あの歓声を。
そして、ジダンや中田のサッカーを、もう二度と見ることはないなんてことにも。
まさしくそれは夢だったのでした。
ワールドカップは。
みんなみんな夢のようだった。
それが夢だったように。あれが夢だったように。
こんなふうに夢は。
夢で在り続けるのだ。
ヘーウチ先生が書いてたね。
こんなふうに、一つの白黒のボールの行方を、世界中の人々が、それに歓喜し、激昂し、笑ったり、泣いたりすることって、もう、夢のように、もう二度と無いんだよね、と。
それは。
夢だったからなんだよね。
夢が終わり。目覚めながら。僕の体調は日常のリズムと共に。だんだんと元に戻るだろう。過去の一部として。
ある日、よく晴れた日の空を見上げ。
ああ夢だったんだなあなんて思いながら。
僕はサッカーボールを片手に家を飛び出すはずだ。
やっぱりサッカーをするために。
素晴らしい仲間たちと。
輝く日差しの中で。
サッカーボールを蹴るために。
生きる不安なんて、振り払いながら。
生きる喜びを、無限に感じるんだ。
4年に一度、人々が見る夢。
世界はそれをワールドカップと呼ぶ。
さよならだよ。ドイツ。ありがとう。ワールドカップ。
南アフリカでまた会おうね。
ワールドカップ…ワールドカップよ
2006年7月9日終電近くで都心まで。ドイツサポーターが集ってる場所で大スクリーンで3位決定戦を観てきました。くずめーとのAさんとOくんと一緒に。それでも終電近くでも1時くらいですから、試合開始は4時なもんで、それまでだらだら飲んだり話したりしてて、試合開始前はぐだぐだになるかと思いきや、案外目がさえて、試合に酔えた。
シュバインシュタイガーの1点目は超絶技の無回転シュート。3点目のミドルはアウトにスピンをかけたウルトラシュート。あれを止めることのできるキーパーは存在しない。
クリスチァーノロナウドの35MFKも無回転で揺れる軌道のスーパーシュートだったけど、神懸かりカーンのミラクルセーブ。デコの渾身のシュートも片手一本横っ飛び。
フィーゴも最後に見せ場を作ったし、素晴らしい試合だった。
ワールドカップも残り決勝を残すのみになったなあ。
試合後、朝死んでました。時差は考えもんだ。ワールドカップのおかげで先月から体調が悪かったけど、でもそれももう終わるのだ。うれしいようなかなしいような。
イタリアかフランスか。心情的にはフランス。でも最後はイタリアが勝つよな気がする。しかしセリアAの八百長軍団にゃリメ杯を渡したくねーな。がんばれマケレレ。ビエラ。
ああやっぱりワールドカップおわらないで。
昼間は体育館でサッカー。takebono愛用のブラジルスラム少年式体育館シューズが見当たらなくて、裸足でやったけど、ボール感覚が良かった。今まで靴底が相当滑っていたことがわかった。今度から裸足でも良いかなと思った。汗がだくだくにでた。
で今日から大相撲名古屋場所。
急死した師匠に白星を捧げた白露山はしかしひどいハゲぶりで笑えた。千代大海は「オーラの泉」に出て守護霊が憑いたそうで、あのバカ単純だから真に受けて案外今場所は大勝ちするかもしれんな。それほど今日の相撲は迷いが無かった。
今日の栃東
○ 旭天鵬 (押し出し) 1勝
シュバインシュタイガーの1点目は超絶技の無回転シュート。3点目のミドルはアウトにスピンをかけたウルトラシュート。あれを止めることのできるキーパーは存在しない。
クリスチァーノロナウドの35MFKも無回転で揺れる軌道のスーパーシュートだったけど、神懸かりカーンのミラクルセーブ。デコの渾身のシュートも片手一本横っ飛び。
フィーゴも最後に見せ場を作ったし、素晴らしい試合だった。
ワールドカップも残り決勝を残すのみになったなあ。
試合後、朝死んでました。時差は考えもんだ。ワールドカップのおかげで先月から体調が悪かったけど、でもそれももう終わるのだ。うれしいようなかなしいような。
イタリアかフランスか。心情的にはフランス。でも最後はイタリアが勝つよな気がする。しかしセリアAの八百長軍団にゃリメ杯を渡したくねーな。がんばれマケレレ。ビエラ。
ああやっぱりワールドカップおわらないで。
昼間は体育館でサッカー。takebono愛用のブラジルスラム少年式体育館シューズが見当たらなくて、裸足でやったけど、ボール感覚が良かった。今まで靴底が相当滑っていたことがわかった。今度から裸足でも良いかなと思った。汗がだくだくにでた。
で今日から大相撲名古屋場所。
急死した師匠に白星を捧げた白露山はしかしひどいハゲぶりで笑えた。千代大海は「オーラの泉」に出て守護霊が憑いたそうで、あのバカ単純だから真に受けて案外今場所は大勝ちするかもしれんな。それほど今日の相撲は迷いが無かった。
今日の栃東
○ 旭天鵬 (押し出し) 1勝
DVDなどつれづれ
2006年7月8日最近観たDVD映画と感想と。
・「パッチギ」 …井筒作品。共感できそうでできない。その理由もなんとなくわかった。不毛な暴力が多すぎるからだね。「パッチギ」=「頭突き」のこと。
・「グリーンマイル」 …うーんん??
・「レイクサイドマーダーケース」 …東野圭吾原作なるほど。戦慄の真実にしばし考え込む。
・「フライトプラン」 …はぁ?? このどんでん返し、無理矢理つくったな。ジョディー・フォスターはかっこええ。
・「SHINOBI」 …ストーリーはメチャクチャ。忍者アクションはかっこええ。
MM氏推薦作。
・「スクールオブロック」 …観るのは二度目。なかなか良い。
・「いまを生きる」 …なかなか良かった。
一応教員免許持ってる身としては、「教育」についてはこの2作品、考えさせられるところがあったね。僕の今のバイト先は教育産業なのだけど、こないだ、生徒と戯れながら面白おかしく教えてたら、ちゃんとやってくれって怒られた。まあごもっともなんだけどね。しかしつまんねえよなあ。あんなに「学力」伸ばした先に何があんだよと思う。これは決して負け組takebonoのルサンチマンだけではないと思う。小さい子供が、僕にも解けないような問題やってたり、わざわざ来てるのに勉強そっちのけで話をしたがったりするの見ると、少なからず人生の豊かさとこの場所がほど遠いんだろうなと思うのだ。堕落しろとか遊べとか言うわけではない。むしろ市場価値に一喜一憂するのをやめればいい。10代だからこそ、人間の幅を作ってほしいのさ。自分を創ってほしいのさ。頭おかしくなるくらい読書しーよ。酔えるくらい音楽聴ぃてよ。倒れるまでサッカーしよぉぜ。
それこそが教養なんじゃないか。人生を豊かにするものなんじゃないか。本と、音楽と、サッカーと、大すきな人たち、仲間たちは、いまの僕にとって掛け替えのなさすぎる財産であると同時に、幸福の大部分でもあるのだよ。学校や受験の勉強よりも、こういうものたちを、もっともっともっともっと育てたかった。大きな後悔なんてそれだけなのだ。一度きりの生を生きてるのなら、生きてることに気付いたのなら、僕は学校になんかいかなければよかった。勉強などしなければよかった。絶望と諦めが早すぎた。こんな腐敗した世界でも、こんなに素晴らしいものたちで周りは満ち溢れていたんだってこと。
いまを生きる、なんだわ。
ではこれからワールドカップ3位決定戦を観に行くか。終電で、都心へ。
今度あの教え子を念願の夜遊びに連れてってやろうかなあ。でもやっぱり問題になるだろかなあ。どっちにしろそろそろ新しいバイトを見つけんべえ。
・「パッチギ」 …井筒作品。共感できそうでできない。その理由もなんとなくわかった。不毛な暴力が多すぎるからだね。「パッチギ」=「頭突き」のこと。
・「グリーンマイル」 …うーんん??
・「レイクサイドマーダーケース」 …東野圭吾原作なるほど。戦慄の真実にしばし考え込む。
・「フライトプラン」 …はぁ?? このどんでん返し、無理矢理つくったな。ジョディー・フォスターはかっこええ。
・「SHINOBI」 …ストーリーはメチャクチャ。忍者アクションはかっこええ。
MM氏推薦作。
・「スクールオブロック」 …観るのは二度目。なかなか良い。
・「いまを生きる」 …なかなか良かった。
一応教員免許持ってる身としては、「教育」についてはこの2作品、考えさせられるところがあったね。僕の今のバイト先は教育産業なのだけど、こないだ、生徒と戯れながら面白おかしく教えてたら、ちゃんとやってくれって怒られた。まあごもっともなんだけどね。しかしつまんねえよなあ。あんなに「学力」伸ばした先に何があんだよと思う。これは決して負け組takebonoのルサンチマンだけではないと思う。小さい子供が、僕にも解けないような問題やってたり、わざわざ来てるのに勉強そっちのけで話をしたがったりするの見ると、少なからず人生の豊かさとこの場所がほど遠いんだろうなと思うのだ。堕落しろとか遊べとか言うわけではない。むしろ市場価値に一喜一憂するのをやめればいい。10代だからこそ、人間の幅を作ってほしいのさ。自分を創ってほしいのさ。頭おかしくなるくらい読書しーよ。酔えるくらい音楽聴ぃてよ。倒れるまでサッカーしよぉぜ。
それこそが教養なんじゃないか。人生を豊かにするものなんじゃないか。本と、音楽と、サッカーと、大すきな人たち、仲間たちは、いまの僕にとって掛け替えのなさすぎる財産であると同時に、幸福の大部分でもあるのだよ。学校や受験の勉強よりも、こういうものたちを、もっともっともっともっと育てたかった。大きな後悔なんてそれだけなのだ。一度きりの生を生きてるのなら、生きてることに気付いたのなら、僕は学校になんかいかなければよかった。勉強などしなければよかった。絶望と諦めが早すぎた。こんな腐敗した世界でも、こんなに素晴らしいものたちで周りは満ち溢れていたんだってこと。
いまを生きる、なんだわ。
ではこれからワールドカップ3位決定戦を観に行くか。終電で、都心へ。
今度あの教え子を念願の夜遊びに連れてってやろうかなあ。でもやっぱり問題になるだろかなあ。どっちにしろそろそろ新しいバイトを見つけんべえ。
旅立てば銀河
2006年7月7日去年の七夕は「世界平和」を願った。ロンドンでテロが起きたからだ。
今年の七夕も「世界平和」を願う。テポドンだけじゃない。イラクや、パレスチナにも。世界中の国へ。平和を。
おしえてほしいし。
考え続けたい。
僕らに何ができるのか。
何かを言う前に。
何かを見たい。
聞きたいし。
知りたい。
力への衝動が強くなる。
ソウルが導いてる。
フォースの御加護みたいに。
いま。静かに。
時を睨む。
確立は成された。
僕、次第だ。
開ける。
決意は?
今年の七夕も「世界平和」を願う。テポドンだけじゃない。イラクや、パレスチナにも。世界中の国へ。平和を。
おしえてほしいし。
考え続けたい。
僕らに何ができるのか。
何かを言う前に。
何かを見たい。
聞きたいし。
知りたい。
力への衝動が強くなる。
ソウルが導いてる。
フォースの御加護みたいに。
いま。静かに。
時を睨む。
確立は成された。
僕、次第だ。
開ける。
決意は?
takebonoの嫌いな傲慢な言葉たち
2006年7月6日 読書
MM氏に借りて読んだ中島義道『私の嫌いな10の言葉』。
相当イカれて攻撃的だった。この本は、読む人にとっては好き嫌いあるだろうなと思った。ただ僕は、読んで、あはははと笑いまくった。
スカッとするのは、結構僕も共感する部分をたくさん言ってくれてたこと。
とても面白かった。
誰もが言われて首をかしげたことのある言葉たちだろう。takebonoが共感した例をあげよう。
・「お前のためを思って言っているんだぞ!」
かつて僕もよく教師などに言われたことのあるようなこの言葉。大人になった今、子どもに対してこんな言葉、傲慢すぎて言えやしない。それは、間違いなくハイ間違いなく、誰もが「お前のためを思って」いるわけが100%無いからだ。自分が「知っている」側として、「無知な」僕を、ただ遠回しにジャブ攻撃するための、最低の言葉にすぎなかった。こんなキチガイ台詞を興奮して吐く奴は、憎悪をヒロイズムで中和してただ発散してるだけだ。怒鳴られただけで何もしてくれなかった。怒鳴られたことも、今から思えば全く無意味なことだった。正義を振りかざしたかっただけだろ。
・「もっと素直になれよ!」
よく言われた気がするこの言葉。不思議なことに、僕は素直になればなるほど、この言葉を言われ続けた。最低の大嘘の言葉。「素直」っていうのは、「すなお」がどうゆうことなのか?を傲慢にカテゴライズして認識して使い廻してるだけの、幻想と侵害に充ちた言葉だ。「誰」の「素直」が一体どんなモンなのか?理解できてるわけない。未だわからない。「素直」ってどうゆうことなのか。僕がどうなれば満足したのか。 ハッキリ言えばいいじゃないか。「逆らうな!」なんだろ? 「素直」なんて単語わざわざ持ち出すなって。
・「相手の気持ちを考えろよ!」
・「一人で生きてるんじゃないからな!」
もう、どれもこれも吐き気がする言葉。偉そうな言葉をこれでもかと吐くくせに、真実からは目をそらす。いつまでも「いい子」でいたいのは奴らのほうなのだ。
・「自分の好きなことが必ず何かあるはずだ!」
極めつけの最低最悪の言葉。「革命がすきです」「暴力が好きです」「一日中寝てることが好き」は許されないくせに「自主選択」の構えを取らせる究極傲慢な言葉。結局は産業社会に有用な「好き」であったり、職業につながる「好き」以外は許されないくせにさ。
他にもおもしろいのありましたがもうめんどくさいのでまとめ。
愛、平等、思いやり、協調性、相手の気持ち、素直さ、それら全部言葉としては素晴らしいと思うよ。だけど絶対に傲慢だ。社会に出れば、それらが普通に「踏みにじられている」ことに気付くからだ。その現実に対しては目をつぶり、ヒューマニズムワードだけを唱えて何になる? そこが傲慢だっていうんだ。 じゃあ何故命をかけて現実を変えようとしない? 自分だけが「いい子」のつもりで、お決まりの道徳言葉を吐いて、何かを守った気になっているのか? ふざけるな、だ。少なくとも、何か語りうる根拠がないままに、吐ける言葉ではないのだ。
わかりきった妥協のくせに「正義」を持ち込んで。
誰も納得はしないのにそれは論理立てられている。
現実をより知っている大人が、どうしてそんな空虚な言葉を吐けるのか。
真実を言うことがそんなに恐いのか?
それなら黙っていればいいのに。
言葉を何だと思ってやがるんだ。
相当イカれて攻撃的だった。この本は、読む人にとっては好き嫌いあるだろうなと思った。ただ僕は、読んで、あはははと笑いまくった。
スカッとするのは、結構僕も共感する部分をたくさん言ってくれてたこと。
とても面白かった。
誰もが言われて首をかしげたことのある言葉たちだろう。takebonoが共感した例をあげよう。
・「お前のためを思って言っているんだぞ!」
かつて僕もよく教師などに言われたことのあるようなこの言葉。大人になった今、子どもに対してこんな言葉、傲慢すぎて言えやしない。それは、間違いなくハイ間違いなく、誰もが「お前のためを思って」いるわけが100%無いからだ。自分が「知っている」側として、「無知な」僕を、ただ遠回しにジャブ攻撃するための、最低の言葉にすぎなかった。こんなキチガイ台詞を興奮して吐く奴は、憎悪をヒロイズムで中和してただ発散してるだけだ。怒鳴られただけで何もしてくれなかった。怒鳴られたことも、今から思えば全く無意味なことだった。正義を振りかざしたかっただけだろ。
・「もっと素直になれよ!」
よく言われた気がするこの言葉。不思議なことに、僕は素直になればなるほど、この言葉を言われ続けた。最低の大嘘の言葉。「素直」っていうのは、「すなお」がどうゆうことなのか?を傲慢にカテゴライズして認識して使い廻してるだけの、幻想と侵害に充ちた言葉だ。「誰」の「素直」が一体どんなモンなのか?理解できてるわけない。未だわからない。「素直」ってどうゆうことなのか。僕がどうなれば満足したのか。 ハッキリ言えばいいじゃないか。「逆らうな!」なんだろ? 「素直」なんて単語わざわざ持ち出すなって。
・「相手の気持ちを考えろよ!」
・「一人で生きてるんじゃないからな!」
もう、どれもこれも吐き気がする言葉。偉そうな言葉をこれでもかと吐くくせに、真実からは目をそらす。いつまでも「いい子」でいたいのは奴らのほうなのだ。
・「自分の好きなことが必ず何かあるはずだ!」
極めつけの最低最悪の言葉。「革命がすきです」「暴力が好きです」「一日中寝てることが好き」は許されないくせに「自主選択」の構えを取らせる究極傲慢な言葉。結局は産業社会に有用な「好き」であったり、職業につながる「好き」以外は許されないくせにさ。
他にもおもしろいのありましたがもうめんどくさいのでまとめ。
愛、平等、思いやり、協調性、相手の気持ち、素直さ、それら全部言葉としては素晴らしいと思うよ。だけど絶対に傲慢だ。社会に出れば、それらが普通に「踏みにじられている」ことに気付くからだ。その現実に対しては目をつぶり、ヒューマニズムワードだけを唱えて何になる? そこが傲慢だっていうんだ。 じゃあ何故命をかけて現実を変えようとしない? 自分だけが「いい子」のつもりで、お決まりの道徳言葉を吐いて、何かを守った気になっているのか? ふざけるな、だ。少なくとも、何か語りうる根拠がないままに、吐ける言葉ではないのだ。
わかりきった妥協のくせに「正義」を持ち込んで。
誰も納得はしないのにそれは論理立てられている。
現実をより知っている大人が、どうしてそんな空虚な言葉を吐けるのか。
真実を言うことがそんなに恐いのか?
それなら黙っていればいいのに。
言葉を何だと思ってやがるんだ。
ミサイルが落っこちるとき
2006年7月5日テポドン。
七発。
かすりさえせず。
どうしようもないこの歪んだ経済大国に、どうしようもない腐ったミサイルを撃ち込むこの北の小国は、ほんとにもう果てしなくどうしようもない国だ。
今尚。極東アジアは危機にある。
いつまで続くのか。
いつまで続けるのか。
本当は気が付いているんだろうに。
止まらないのかい。
止められないのかい。
正しさは論じれない。
藻掻きは計り知れない。
だけど。無駄な血だ。望まない熱なんだ。
暴力に依る、暴力に対する、暴力。
僕の限界からは、何を説いたって、間違ってしまうだろう。
またしても口を閉ざしてしまう。
無力こそが悔しくて。
世界が忘れてくものが。
恐くて。
国というやつが、すっげえ。
恐いんだ。
こんなときこそ。
冷静になって。
たくさんのことを知って。
たくさんの人と話して。
僕らのビジョンや在り方を顧みること。
無知な僕のスタンスを、確認しながら。
全てを受け入れや、しない。
させない。
喉が、痛い。
こんな日に限って、教科教室を任された。
ガキども騒ぎすぎ。しかし楽しかった。
喉が悪化したけど。
しかしながら。
この国の子どもたちに、絶望にまみれた未来を残したくない。
僕のちいせえエゴ。吹けば飛ぶくらい脆いだろう。
だけど今は。
それは確かに僕のソウルだ。
全ての未来を、殺させない。
平和のために。
僕が。
七発。
かすりさえせず。
どうしようもないこの歪んだ経済大国に、どうしようもない腐ったミサイルを撃ち込むこの北の小国は、ほんとにもう果てしなくどうしようもない国だ。
今尚。極東アジアは危機にある。
いつまで続くのか。
いつまで続けるのか。
本当は気が付いているんだろうに。
止まらないのかい。
止められないのかい。
正しさは論じれない。
藻掻きは計り知れない。
だけど。無駄な血だ。望まない熱なんだ。
暴力に依る、暴力に対する、暴力。
僕の限界からは、何を説いたって、間違ってしまうだろう。
またしても口を閉ざしてしまう。
無力こそが悔しくて。
世界が忘れてくものが。
恐くて。
国というやつが、すっげえ。
恐いんだ。
こんなときこそ。
冷静になって。
たくさんのことを知って。
たくさんの人と話して。
僕らのビジョンや在り方を顧みること。
無知な僕のスタンスを、確認しながら。
全てを受け入れや、しない。
させない。
喉が、痛い。
こんな日に限って、教科教室を任された。
ガキども騒ぎすぎ。しかし楽しかった。
喉が悪化したけど。
しかしながら。
この国の子どもたちに、絶望にまみれた未来を残したくない。
僕のちいせえエゴ。吹けば飛ぶくらい脆いだろう。
だけど今は。
それは確かに僕のソウルだ。
全ての未来を、殺させない。
平和のために。
僕が。
ノベルを述べる51 −僕が「障害」者ではないということについて−
2006年7月4日 読書
◇打海文三『時には懺悔を』読んだ。ミステリーから始まるヒューマンドラマだった。そしてシリアスな「障害」にまつわる話でもあった。
−元・大手探偵社の社員だった佐竹は、探偵スクールのレディース一期生・中野聡子の代理教官を務めることになった。探偵実習における盗聴器設置業務のために、かつての同僚・米本の事務所に忍び込むが、そこで二人は米本探偵の死体と遭遇する。そして一人の探偵の死の謎は、過去に、ある「障害児」を巡り起こった一つの事件を浮上させてゆく。。
この小説を読んで、「障害」についてしばし考えさえられた。
大学の教職課程で「介護実習」をやったこともあったけど、それよりもずっと前に僕はある養護学校でボランティアをしてた時期がある。そこでは、学校の生徒である障害児や、OBである障害者の方々と、たくさんたくさん触れ合う機会を頂いた。もちろん歩けない人や、涎を垂らしてる人や、顔面がひん曲がった人などをたくさん僕は見ることができた。一人ではトイレや食事もできない人もいた。彼らは一人では生きてくこともできない。そういう所謂「障害」ってやつを目の当たりにすることもできた。僕はその時点で陳腐な「同情」などすぐにやめた。正直に言えば、僕は確実に、「僕が健常者であること」の「優越」を感じていた。それは「五体満足でサッカーができること」の素晴らしさや、「自分の力で何百冊もの本を読める」ことの素晴らしさだった。いまの僕には障害もなければ借金もないということ。僕自身こそが、幸福に生きてることの、限りない奇跡的な現象だということを絶対的に感じた。聖者にはなれない。彼らの絶対的な「障害」を、「同情」等で括りたくもないのだ。カイジと同じ。涙を流すことで許されようなんて僕は思わない。彼らのありのままの姿を見続けることなんだと思う。絶対的弱者の醜さとそして悲しさと、なによりも打算や虚飾の無い美しさを僕は感じただけだった。障害児を産んで、苦しんでいる親たちはやはりいた。一方で、もちろん素晴らしく生きている障害者だってたくさんいた。アプローチの中には、僕らがすべきことでないことだってある。僕らのエゴだけのものもある。そして外からの支援を心から待っている人たちもやはりたくさんたくさんいたのだった。僕らは全てを背負うことはできない。それでも行政やNGOとかと連携すれば、少しだけでも僕らは彼らと共に生きながら支えることだってできるのだろうと思った。
かつて『セックスボランティア』という本を読んだことがあった。僕があの本を読んで思ったのは、障害者の「権利」というものをどう考えるのかという問題でもあった。
言うまでもなく障害とはハンディだ。障害を持った人はあらゆる社会生活の場面で、障害を持たない人より不利な立場におかれ困難を強いられる。だから「権利」や「バリアフリー」が叫ばれる。「障害者だって健常者並みに社会生活を送りたい」のだ。それは、わかるんだ。『セックスボランティア』においては、障害者の「性」というものにスポットを当ててそれが論じられていた。でも僕が思ったのは、セックスに関わらず、どこまでが障害者の「守られるべき権利」で、どこまでが「諦めるべきもの」なのか?という部分だった。
パラリンピックなんかを見ると、「スポーツ」ってのは開けてる分野かなと思う。僕の大学は「バリアフリー」推進校だったし、公共施設などの「バリアフリー」も一応は目に付くし、とりあえず生きてく余地はあるんだろう。そして「恋愛」や「セックス」とかが閉ざされてるってのはそうだと思うし、だから抵抗感ありつつも障害者の「性」のシステム化みたいのはとりあえず、わかるんだ。医学の発展は、子供の産めない夫婦が子どもをつくることさえ可能にしたのだしね。これまではハンディとして「諦めていた」ものが、可能性として開けてきてるってのはなんとなくわかるのさ。賛否両論はあるんだろうけどさ。
その一方で、それでも尚人間社会の残酷さは、「障害」を悲惨なものとしてるとも思うのだ。『ブラックジャックによろしく』の新生児医療編では、そんな一面も取り上げられてた。「差別」とか意識の低さとかだ。しかし僕は、いま根本的な部分もきてると思う。つまりそれは「金」だ。金がなければ、障害者はスポーツだって進学だって就職だってセックスだってできないという、ごく当たり前のことがだ。
今年4月からスタートした「障害者自立支援法」という法システムが、早くも破綻を起こしているという。この法律は「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができる」ために定められたものだ。従来の支援費制度に変わり、障害者には費用の原則1割負担が求められ、障害者の福祉サービスが一元化され、保護から自立に向けた支援がなされるという。これまでの制度ではサービスを利用出来なかった精神障害などは一元化でよかったんだろけど、これまでの応能負担(福祉サービスを利用する際に、所得に応じて利用料を負担すること)から、応益負担(福祉サービスを利用する際に、所得とは関係なく一律定率で負担すること。定率負担とも言う)への移行で、障害者の経済的負担は確実に増した。施設の使用料が払えず退所する障害者もぼちぼち出てきた。家族の負担、或いはなけなしの障害者施設での労働賃金、雀の涙のような血の滲む金が、奪い取られることになった。「自立」の名の下で、とりあえずこの国がこれまで保護してきた障害者という絶対的弱者でさえ、今後は公共システムに寄りかかることができなくなるということなのだろう。
この問題をどう考えるかは個人の自由だ。だけど健常者の僕は、この精一杯の他人事に、それでも憤りや悲しみを感じざるをえない。正義とか思想とかヒューマニズムとかそんな大したモンじゃない。いつもそう、ただ素朴な問いかけなんだ。「これでいいのだろうか?」っていう。
こんな僕が、こんなこと思ったっていいと思う。
弱さとは、一体誰の、誰に対する、罪なのか?
−元・大手探偵社の社員だった佐竹は、探偵スクールのレディース一期生・中野聡子の代理教官を務めることになった。探偵実習における盗聴器設置業務のために、かつての同僚・米本の事務所に忍び込むが、そこで二人は米本探偵の死体と遭遇する。そして一人の探偵の死の謎は、過去に、ある「障害児」を巡り起こった一つの事件を浮上させてゆく。。
この小説を読んで、「障害」についてしばし考えさえられた。
大学の教職課程で「介護実習」をやったこともあったけど、それよりもずっと前に僕はある養護学校でボランティアをしてた時期がある。そこでは、学校の生徒である障害児や、OBである障害者の方々と、たくさんたくさん触れ合う機会を頂いた。もちろん歩けない人や、涎を垂らしてる人や、顔面がひん曲がった人などをたくさん僕は見ることができた。一人ではトイレや食事もできない人もいた。彼らは一人では生きてくこともできない。そういう所謂「障害」ってやつを目の当たりにすることもできた。僕はその時点で陳腐な「同情」などすぐにやめた。正直に言えば、僕は確実に、「僕が健常者であること」の「優越」を感じていた。それは「五体満足でサッカーができること」の素晴らしさや、「自分の力で何百冊もの本を読める」ことの素晴らしさだった。いまの僕には障害もなければ借金もないということ。僕自身こそが、幸福に生きてることの、限りない奇跡的な現象だということを絶対的に感じた。聖者にはなれない。彼らの絶対的な「障害」を、「同情」等で括りたくもないのだ。カイジと同じ。涙を流すことで許されようなんて僕は思わない。彼らのありのままの姿を見続けることなんだと思う。絶対的弱者の醜さとそして悲しさと、なによりも打算や虚飾の無い美しさを僕は感じただけだった。障害児を産んで、苦しんでいる親たちはやはりいた。一方で、もちろん素晴らしく生きている障害者だってたくさんいた。アプローチの中には、僕らがすべきことでないことだってある。僕らのエゴだけのものもある。そして外からの支援を心から待っている人たちもやはりたくさんたくさんいたのだった。僕らは全てを背負うことはできない。それでも行政やNGOとかと連携すれば、少しだけでも僕らは彼らと共に生きながら支えることだってできるのだろうと思った。
かつて『セックスボランティア』という本を読んだことがあった。僕があの本を読んで思ったのは、障害者の「権利」というものをどう考えるのかという問題でもあった。
言うまでもなく障害とはハンディだ。障害を持った人はあらゆる社会生活の場面で、障害を持たない人より不利な立場におかれ困難を強いられる。だから「権利」や「バリアフリー」が叫ばれる。「障害者だって健常者並みに社会生活を送りたい」のだ。それは、わかるんだ。『セックスボランティア』においては、障害者の「性」というものにスポットを当ててそれが論じられていた。でも僕が思ったのは、セックスに関わらず、どこまでが障害者の「守られるべき権利」で、どこまでが「諦めるべきもの」なのか?という部分だった。
パラリンピックなんかを見ると、「スポーツ」ってのは開けてる分野かなと思う。僕の大学は「バリアフリー」推進校だったし、公共施設などの「バリアフリー」も一応は目に付くし、とりあえず生きてく余地はあるんだろう。そして「恋愛」や「セックス」とかが閉ざされてるってのはそうだと思うし、だから抵抗感ありつつも障害者の「性」のシステム化みたいのはとりあえず、わかるんだ。医学の発展は、子供の産めない夫婦が子どもをつくることさえ可能にしたのだしね。これまではハンディとして「諦めていた」ものが、可能性として開けてきてるってのはなんとなくわかるのさ。賛否両論はあるんだろうけどさ。
その一方で、それでも尚人間社会の残酷さは、「障害」を悲惨なものとしてるとも思うのだ。『ブラックジャックによろしく』の新生児医療編では、そんな一面も取り上げられてた。「差別」とか意識の低さとかだ。しかし僕は、いま根本的な部分もきてると思う。つまりそれは「金」だ。金がなければ、障害者はスポーツだって進学だって就職だってセックスだってできないという、ごく当たり前のことがだ。
今年4月からスタートした「障害者自立支援法」という法システムが、早くも破綻を起こしているという。この法律は「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができる」ために定められたものだ。従来の支援費制度に変わり、障害者には費用の原則1割負担が求められ、障害者の福祉サービスが一元化され、保護から自立に向けた支援がなされるという。これまでの制度ではサービスを利用出来なかった精神障害などは一元化でよかったんだろけど、これまでの応能負担(福祉サービスを利用する際に、所得に応じて利用料を負担すること)から、応益負担(福祉サービスを利用する際に、所得とは関係なく一律定率で負担すること。定率負担とも言う)への移行で、障害者の経済的負担は確実に増した。施設の使用料が払えず退所する障害者もぼちぼち出てきた。家族の負担、或いはなけなしの障害者施設での労働賃金、雀の涙のような血の滲む金が、奪い取られることになった。「自立」の名の下で、とりあえずこの国がこれまで保護してきた障害者という絶対的弱者でさえ、今後は公共システムに寄りかかることができなくなるということなのだろう。
この問題をどう考えるかは個人の自由だ。だけど健常者の僕は、この精一杯の他人事に、それでも憤りや悲しみを感じざるをえない。正義とか思想とかヒューマニズムとかそんな大したモンじゃない。いつもそう、ただ素朴な問いかけなんだ。「これでいいのだろうか?」っていう。
こんな僕が、こんなこと思ったっていいと思う。
弱さとは、一体誰の、誰に対する、罪なのか?
◇大崎善生のロングセラー『パイロット・フィッシュ』。村上春樹に似てた。『ノルウェイの森』にすごく似てた。透明感溢れる文章というのはこうゆう作品のことを言う。
−「パイロット・フィッシュ」――生態系を作るためだけに、一番最初に水槽に入れられる魚。
生態系の中で僕らは出会う。
「それは、どんな長い長い旅にも、必ず終わるときがくるということに似ている」
水槽の中の、あまりにも透明な水のせいで、僕らはそんな風に出会う。忘れられないものを増やすこととは、そんな風に時間の功罪を生むことだということを、感性を主戦場にした20代の果てに僕らは知った。記憶の集合体はそんな風に僕らを追いつめてゆく。
「一度巡りあった人間と、一度発した言葉と、人は二度と別れることはできない」
それもまた、あまりにも透明な水のせいで。僕たちは生きているのだ。曖昧な優しさを糧に。透明な水を世界に。僕たちは記憶の中を泳いでいるのだ。
人間の想いというやつは、これほどまで切なく透明なものだろうか? 「優しさ」のかぎりない力を描く、永遠の青春小説。
takebono的にはストレートなんだろう。真っ正面から読んでしまった。なかなか透明な気持になれた。
◇舞城王太郎『熊の場所』読んだ。舞城ワールドはほんとにすごい。これ傑作です。
−「まー君」が猫を殺して切り取った尻尾をコレクションしてた。僕はとんでもねえ恐怖を感じてしまって、そして思い出した。かつて熊を殺した父親が言っていたこと。
「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない」
そして僕は「まー君」と仲良くなる。
ある日、近所の犬が行方不明になった。そして近所に住む小学生も行方不明になった。僕らは笑いながらサッカーボールを蹴って遊ぶ。「まー君」と僕との戦慄の友情物語。
舞城王太郎は天才だなと思った。
−「パイロット・フィッシュ」――生態系を作るためだけに、一番最初に水槽に入れられる魚。
生態系の中で僕らは出会う。
「それは、どんな長い長い旅にも、必ず終わるときがくるということに似ている」
水槽の中の、あまりにも透明な水のせいで、僕らはそんな風に出会う。忘れられないものを増やすこととは、そんな風に時間の功罪を生むことだということを、感性を主戦場にした20代の果てに僕らは知った。記憶の集合体はそんな風に僕らを追いつめてゆく。
「一度巡りあった人間と、一度発した言葉と、人は二度と別れることはできない」
それもまた、あまりにも透明な水のせいで。僕たちは生きているのだ。曖昧な優しさを糧に。透明な水を世界に。僕たちは記憶の中を泳いでいるのだ。
人間の想いというやつは、これほどまで切なく透明なものだろうか? 「優しさ」のかぎりない力を描く、永遠の青春小説。
takebono的にはストレートなんだろう。真っ正面から読んでしまった。なかなか透明な気持になれた。
◇舞城王太郎『熊の場所』読んだ。舞城ワールドはほんとにすごい。これ傑作です。
−「まー君」が猫を殺して切り取った尻尾をコレクションしてた。僕はとんでもねえ恐怖を感じてしまって、そして思い出した。かつて熊を殺した父親が言っていたこと。
「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない」
そして僕は「まー君」と仲良くなる。
ある日、近所の犬が行方不明になった。そして近所に住む小学生も行方不明になった。僕らは笑いながらサッカーボールを蹴って遊ぶ。「まー君」と僕との戦慄の友情物語。
舞城王太郎は天才だなと思った。