takebonoとりあえず卒業旅行2−北陸
2006年3月14日 旅行福井で迎えた凍えるような早朝は、尚果てしなく降り続いていた豪雪に見舞われながら、放浪者takebonoの行く手を完全に阻んでいた。闇の中に延々と降る雪を街灯が照らし、僕は新雪にその歩みをめり込ませながら一歩一歩駅に向かった。車道はスプリンクラーが機能しているってのに、歩道は雪に埋もれたままだった。結局都会生まれ育ちの僕は、雪国とそして雪ってやつ自体をなめていたのだ。
吹雪の中、駅に転がり込み、まだ薄暗い始発の北陸本線で福井を脱出。
だんだん夜が明けてきた頃、敦賀駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。滞在時間は40分くらい。なんだか999号の旅みたいだなあと思った。停車時間はその星の一日時間。地球時間では99時間の星もあったし20分くらいの星もあったっけ。
メーテルは言ったっけ。999号が停車する全ての星に降り立ちなさいって。それが鉄郎の夢を叶える条件なんだって。 人生だ。停車駅もまたその過程なのだ。少年が大人になるとき、停車駅は意味を成す。あらゆるリスクを背負って。優しさと勇敢さと情熱を持って。人間的にそして社会的に、決定的に愚かな僕は、そんな生き方を衝動化させてゆきたいのだ。鉄郎はあらゆる少年像であり、僕であった。メーテルは少年を導く母親であり恋人であり、一人の美しき勇敢な女性でもあった。いつだってメーテルは少年が憧れる青春の幻影。999は人生の無限軌道。
敦賀駅は何故か実際に999の駅でもある。駅前には松本キャラの像が乱立。松本チルドレンの僕としてはうれしすぎる駅だ。そんな敦賀駅をうろつきながらいろんなことを考えました。
小浜・舞鶴線に乗り換えて、日本海沿いを延々と西へ。どこまでいっても雪景色だ。ローカル線ってやつは、2時間1本2両なんてのが普通。鈍行長距離移動なんてもうなれたもんだ。
福知山で山陰本線に乗り換える。
城崎温泉駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。志賀直哉を読んでくればよかったなあと思った。温泉や足湯がたくさんあり、特産のカニの店ばかり乱立してた。地方経済はやはり大変だ。観光産業も大競争だ。
山陰本線を西へひた走り、鳥取駅到着。ここで豪雪が凄まじさを増す。寒冷前線の断末魔か。体力の限界も感じ、駅前のビジネスホテルに宿を取る。
相撲を観て、缶ビール2本飲んで爆睡。
吹雪の中、駅に転がり込み、まだ薄暗い始発の北陸本線で福井を脱出。
だんだん夜が明けてきた頃、敦賀駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。滞在時間は40分くらい。なんだか999号の旅みたいだなあと思った。停車時間はその星の一日時間。地球時間では99時間の星もあったし20分くらいの星もあったっけ。
メーテルは言ったっけ。999号が停車する全ての星に降り立ちなさいって。それが鉄郎の夢を叶える条件なんだって。 人生だ。停車駅もまたその過程なのだ。少年が大人になるとき、停車駅は意味を成す。あらゆるリスクを背負って。優しさと勇敢さと情熱を持って。人間的にそして社会的に、決定的に愚かな僕は、そんな生き方を衝動化させてゆきたいのだ。鉄郎はあらゆる少年像であり、僕であった。メーテルは少年を導く母親であり恋人であり、一人の美しき勇敢な女性でもあった。いつだってメーテルは少年が憧れる青春の幻影。999は人生の無限軌道。
敦賀駅は何故か実際に999の駅でもある。駅前には松本キャラの像が乱立。松本チルドレンの僕としてはうれしすぎる駅だ。そんな敦賀駅をうろつきながらいろんなことを考えました。
小浜・舞鶴線に乗り換えて、日本海沿いを延々と西へ。どこまでいっても雪景色だ。ローカル線ってやつは、2時間1本2両なんてのが普通。鈍行長距離移動なんてもうなれたもんだ。
福知山で山陰本線に乗り換える。
城崎温泉駅で乗り継ぎを待つ。その間やはり駅前をうろつく。志賀直哉を読んでくればよかったなあと思った。温泉や足湯がたくさんあり、特産のカニの店ばかり乱立してた。地方経済はやはり大変だ。観光産業も大競争だ。
山陰本線を西へひた走り、鳥取駅到着。ここで豪雪が凄まじさを増す。寒冷前線の断末魔か。体力の限界も感じ、駅前のビジネスホテルに宿を取る。
相撲を観て、缶ビール2本飲んで爆睡。
takebonoとりあえず卒業旅行−北陸
2006年3月13日 旅行
新宿駅を23時9分に発った「ムーンライトえちご」は真夜中の闇の中を順調に北へ快走。明け方5時ごろの到着地は新潟。
で、いつも気になる夜行列車の隣の座席の人は?前回散々だったからね。まあ、万が一よ、隣がかわいい女の子だったら?そりゃあナンパ…いやいや話しかけるんだけどねアハハ。 「えちご」が人気ないのか、この時期新潟いく奴が少ないのか。車内はガラガラだった。隣の人どころじゃなくて、空席のほうが多かった感じ。 キリンビールを飲んで寝ました。アイマスクなんて必要なかった。
起きたら新潟駅。5時前。まだ暗い。雪。この時点まで北へ行くか西へ行くか決めてなかったのだけど、日本海の雪景色もいいなあと思い、越後線で西へ。
吉田。柏崎。直江津。と、ひたすら日本海沿いを西へ。車窓から眺める雪景色と日本海は最高の眺め。
黒部を通り過ぎて、やってきたのは富山。特産の「ますのすし」を食って、いつもように初めての街をうろつく。途端嫌がらせのように雪がやたら降り出したので、富山市役所へ逃げ込む。ここは展望台が観光名所。景色はまあまあそこそこ。僕が住む東京都E区のF駅の300億ゼネコンタワーのほうが数倍上だよ。
雪が止んだので富山城址公園へ。
そんなこんなで午後には富山を離れて、北陸本線で高岡駅へ。富山県高岡市はあの藤子不二夫の故郷。takebonoは藤子チルドレン。あの名作中の名作「まんが道」にも何度も出てきた高岡大仏や、高岡城址公園などを歩いてまわる。幼き日に手塚チルドレンだった藤本と安孫子が、時を経て自らも伝説を作った。そしてtakebonoもまた彼らの歴史の跡を辿ってるのです。どこか感慨深い。射水神社にも行きました。藤本と安孫子は漫画家になることをお願いしてたけど、僕はお賽銭を上げて、「ソウルフルに生きれること」をお願いした。何もかもこれからだ。 それから「ドラえもんの道」とか通って高岡を離れました。
その後、金沢に到着しました。でも少し歩いて飯食って発っただけ。あと駅の待合室にTVがあってそこで出発前に相撲を観た。あぁ栃東が…。浮浪者くずれのおっさんたちと一緒に観てたんだけど、やつら最終的には酔っ払ってケンカを始めやがった。しょうがねえなあと思って止めようとしたんだけど、押されてつんのめったのでイラついてやめた。駅で迷惑行為はやめましょう。
そんでさらに北陸本線を西へ。今現在は福井です。福井の漫画喫茶で始発を待ってまぁす。明日は山陽地方をうろつくぞ。
雪の中にキリンビールを突っ込んでグウシャグウシャかき回したらガンガンに冷えて超美味かった。あうー。
写真は富山城址公園。
で、いつも気になる夜行列車の隣の座席の人は?前回散々だったからね。まあ、万が一よ、隣がかわいい女の子だったら?そりゃあナンパ…いやいや話しかけるんだけどねアハハ。 「えちご」が人気ないのか、この時期新潟いく奴が少ないのか。車内はガラガラだった。隣の人どころじゃなくて、空席のほうが多かった感じ。 キリンビールを飲んで寝ました。アイマスクなんて必要なかった。
起きたら新潟駅。5時前。まだ暗い。雪。この時点まで北へ行くか西へ行くか決めてなかったのだけど、日本海の雪景色もいいなあと思い、越後線で西へ。
吉田。柏崎。直江津。と、ひたすら日本海沿いを西へ。車窓から眺める雪景色と日本海は最高の眺め。
黒部を通り過ぎて、やってきたのは富山。特産の「ますのすし」を食って、いつもように初めての街をうろつく。途端嫌がらせのように雪がやたら降り出したので、富山市役所へ逃げ込む。ここは展望台が観光名所。景色はまあまあそこそこ。僕が住む東京都E区のF駅の300億ゼネコンタワーのほうが数倍上だよ。
雪が止んだので富山城址公園へ。
そんなこんなで午後には富山を離れて、北陸本線で高岡駅へ。富山県高岡市はあの藤子不二夫の故郷。takebonoは藤子チルドレン。あの名作中の名作「まんが道」にも何度も出てきた高岡大仏や、高岡城址公園などを歩いてまわる。幼き日に手塚チルドレンだった藤本と安孫子が、時を経て自らも伝説を作った。そしてtakebonoもまた彼らの歴史の跡を辿ってるのです。どこか感慨深い。射水神社にも行きました。藤本と安孫子は漫画家になることをお願いしてたけど、僕はお賽銭を上げて、「ソウルフルに生きれること」をお願いした。何もかもこれからだ。 それから「ドラえもんの道」とか通って高岡を離れました。
その後、金沢に到着しました。でも少し歩いて飯食って発っただけ。あと駅の待合室にTVがあってそこで出発前に相撲を観た。あぁ栃東が…。浮浪者くずれのおっさんたちと一緒に観てたんだけど、やつら最終的には酔っ払ってケンカを始めやがった。しょうがねえなあと思って止めようとしたんだけど、押されてつんのめったのでイラついてやめた。駅で迷惑行為はやめましょう。
そんでさらに北陸本線を西へ。今現在は福井です。福井の漫画喫茶で始発を待ってまぁす。明日は山陽地方をうろつくぞ。
雪の中にキリンビールを突っ込んでグウシャグウシャかき回したらガンガンに冷えて超美味かった。あうー。
写真は富山城址公園。
takebonoなりゆき
2006年3月12日 旅行近所の図書館で講演会があったので聴いてきました。出版業界の社長とかが来てて、出版だとか編集だとか書籍業界のあれこれを話してた。いずれ作家になるtakebonoさんには興味深い話ばかりでした。 今日の講演会は申し込んだのが一ヶ月くらい前で、そんときは丁度就活をしてて、どこも就職できなかったらこの講演会で出版会社社長に体当たりで自分を売り込もうかと本気で考えてた。でも今は全くそんなこと考えてなくて。人間ってわからないもんだなと思う。やっぱり弁護士を目指そうかと思う。
社長が最後に言ってた。「人生なりゆき」
その後T氏の家に寄ってビール飲んで、栃東のさい先良い初日を見届けて。いやもう今日の栃東の相撲ったら。がんばって。
そんでもって突然ですが、これから23時9分新宿発の夜行列車で北陸の方へいつもの独り旅に出発します。向こう大雪だってね。超楽しみ。卒業旅行がこんなんだとはなー。まあそれもまたいいんじゃないかなー。 週末の卒業式までには東京に戻りますー。ブログはしばらく更新が遅れるかも。もしかしたら旅先で更新するかも。
ではでは。いってきます。
社長が最後に言ってた。「人生なりゆき」
その後T氏の家に寄ってビール飲んで、栃東のさい先良い初日を見届けて。いやもう今日の栃東の相撲ったら。がんばって。
そんでもって突然ですが、これから23時9分新宿発の夜行列車で北陸の方へいつもの独り旅に出発します。向こう大雪だってね。超楽しみ。卒業旅行がこんなんだとはなー。まあそれもまたいいんじゃないかなー。 週末の卒業式までには東京に戻りますー。ブログはしばらく更新が遅れるかも。もしかしたら旅先で更新するかも。
ではでは。いってきます。
新しいものへ
2006年3月11日
Nちゃんと亀有まで遊びに行きました。先週オープンしたショッピングモールとスーパーを観に。土曜なので、大混雑×大混雑。
「アリオ亀有」は、日本板紙の工場跡地に建設された庶民カラーの大規模なショッピングモール。テナントもユニクロなり無印なりマックなり、まあ半分はイトーヨーカドーだもんな。でも映画館もくっついてやがったりして。122の店舗にシネコン。外観は巨大なバームクーヘンを切り取ったかのようですね。やっぱり小売店は大ダメージなのかなあ。
「両さんワールド」みたいのがありました。下町の、あの情緒の、あの懐かしき世界観すらも、でかい資本主義的構造の中に飲み込まれてるようで、ガクッときた。時代の流れとやらで昔懐かしの駄菓子屋さんなんてどんどん姿を消してく中で、こうやって最先端のショッピングモールにはそれが復元される。昭和ブームとかもこうゆうのなのか。極めて資本主義的に。「亀有」という付加価値をCMとして。僕が言えたことじゃないんだけど、誰かの何かが踏みにじられてるような思いだ。まあ、それも、今更か。
僕の家の近くに、たった一つ生き残った駄菓子屋がある。僕が子どもの頃から、不気味に変わらぬおばあちゃんが店番してる、小学校の隣にあるあの店のことだ。 あの店を潰しちゃだめだなとふと思った。経済の方向に逆らってるけど、あの駄菓子屋は僕らの地域コミュニティーの共有財産であり、失われてほしくない文化でもあるからだ。
家族連れ。カップル。友達グループ。極めて社会的な人たちがごった返しながら、次々と飲み込まれて、ささやかな余暇とささやかな所得を楽しく消費してく。亀有に完成した巨大モールは、大きな口を開けて彼らを出迎えている。
一方で今日も僕の家のそばのあの駄菓子屋には、いつものように教養のなさそうな放任家庭っぽいガキ共がたむろして、何するでもなく楽しく過ごしているんだろう。
大なり小なり経済とはそうゆうものだろう。客観的になるほど、比較することさえ不毛だ。
ただ、僕がもし家族なり、きわめて社会的な消費主体となったときとかは、あそこは二度といかないな。もちろん前者の経済のこと。「両さんワールド」なんか子どもを絶対連れてかない。
こんな気持ち、わかる人はわかるよね。
「アリオ亀有」は、日本板紙の工場跡地に建設された庶民カラーの大規模なショッピングモール。テナントもユニクロなり無印なりマックなり、まあ半分はイトーヨーカドーだもんな。でも映画館もくっついてやがったりして。122の店舗にシネコン。外観は巨大なバームクーヘンを切り取ったかのようですね。やっぱり小売店は大ダメージなのかなあ。
「両さんワールド」みたいのがありました。下町の、あの情緒の、あの懐かしき世界観すらも、でかい資本主義的構造の中に飲み込まれてるようで、ガクッときた。時代の流れとやらで昔懐かしの駄菓子屋さんなんてどんどん姿を消してく中で、こうやって最先端のショッピングモールにはそれが復元される。昭和ブームとかもこうゆうのなのか。極めて資本主義的に。「亀有」という付加価値をCMとして。僕が言えたことじゃないんだけど、誰かの何かが踏みにじられてるような思いだ。まあ、それも、今更か。
僕の家の近くに、たった一つ生き残った駄菓子屋がある。僕が子どもの頃から、不気味に変わらぬおばあちゃんが店番してる、小学校の隣にあるあの店のことだ。 あの店を潰しちゃだめだなとふと思った。経済の方向に逆らってるけど、あの駄菓子屋は僕らの地域コミュニティーの共有財産であり、失われてほしくない文化でもあるからだ。
家族連れ。カップル。友達グループ。極めて社会的な人たちがごった返しながら、次々と飲み込まれて、ささやかな余暇とささやかな所得を楽しく消費してく。亀有に完成した巨大モールは、大きな口を開けて彼らを出迎えている。
一方で今日も僕の家のそばのあの駄菓子屋には、いつものように教養のなさそうな放任家庭っぽいガキ共がたむろして、何するでもなく楽しく過ごしているんだろう。
大なり小なり経済とはそうゆうものだろう。客観的になるほど、比較することさえ不毛だ。
ただ、僕がもし家族なり、きわめて社会的な消費主体となったときとかは、あそこは二度といかないな。もちろん前者の経済のこと。「両さんワールド」なんか子どもを絶対連れてかない。
こんな気持ち、わかる人はわかるよね。
地に足をつけるということは
2006年3月10日学校で法学部の記念講演会とかで、某大物の小泉チルドレン政治家がきてたので聴いてきました。すんげえ頭の回転率で、超エリートで、これが自民党のブレインなんだなと。結局こういう方々が国を動かしているのだなと。
専門知識も飛び交いさっぱりだった面もあるけど、でも要するに「地に足をつけた」論を展開してるということ。現実の現実における現実的政策の展望を示しているということ。例えば野党的には、「軍事費を削れ」「金持ちから税金を取れ」「無駄を削れ」なんだろうけど、軍事費はアジアの脅威やら国際貢献の重要性とやらがどういったものなのか僕らは結局ホントのとこ分からないし、そう考えると予算0に近づけることなんかやっぱり非現実的なんだろう。金持ちから税金を取るとなると自民党は地獄のような凄まじい抵抗に遭うことだろう。その結果どのような状況になるかわからないからやっぱり非現実的だ。無駄を削るのも、結局何がどれくらい無駄なのかもわからない中でいろんな部分を改革してるわけで。
僕らが何かを批判するのは容易いことだ。だって無知なままに選挙権を持ってるから。僕らは非現実的な意見をいくらだって吐けるから。
現実とは、人々の総意であり現状のことだ。現実を受け入れることとは、妥協することでも目を背けることでもただ非現実に依存することでもなく、よりリアルな現実を認識し、立ち向かうことなのだと思う。
あれが正義かどうかはわからないし(僕は正義だとは思わないし)、だからそれも含めて僕らが判断し参政権を行使してくことなんだろう。ただ、あの自民党のブレインが、「地に足をつけた」論を提唱してることだけは確かだった。あれを批判する側は、どこまで現実と理想のバランスをとっていくのかが、やはり問われるのだと思った。
だが全てはこの国の国民に政治性が皆無だからなのかもしれない。
Aと飲んで帰りました。Aとはいつも幅広く素で話せるから素敵。僕を生かしてくれる。
「耳をすませば」は、ジブリで一番すき。もう何回か相当観たんだ。天沢くんはいいとして。雫が勉強を投げ出して小説を書くとことか。猫とか。おじいさんとか。純粋で。共感つうか。ただ素敵なんだ。穿って観られないの。
みんなそれぞれ何かの原石であったとして。
たぶんそのまたクズの。
僕のような人間が生きることにも。
ちっぽけでもいいから何か価値が生まれたらなあ。
専門知識も飛び交いさっぱりだった面もあるけど、でも要するに「地に足をつけた」論を展開してるということ。現実の現実における現実的政策の展望を示しているということ。例えば野党的には、「軍事費を削れ」「金持ちから税金を取れ」「無駄を削れ」なんだろうけど、軍事費はアジアの脅威やら国際貢献の重要性とやらがどういったものなのか僕らは結局ホントのとこ分からないし、そう考えると予算0に近づけることなんかやっぱり非現実的なんだろう。金持ちから税金を取るとなると自民党は地獄のような凄まじい抵抗に遭うことだろう。その結果どのような状況になるかわからないからやっぱり非現実的だ。無駄を削るのも、結局何がどれくらい無駄なのかもわからない中でいろんな部分を改革してるわけで。
僕らが何かを批判するのは容易いことだ。だって無知なままに選挙権を持ってるから。僕らは非現実的な意見をいくらだって吐けるから。
現実とは、人々の総意であり現状のことだ。現実を受け入れることとは、妥協することでも目を背けることでもただ非現実に依存することでもなく、よりリアルな現実を認識し、立ち向かうことなのだと思う。
あれが正義かどうかはわからないし(僕は正義だとは思わないし)、だからそれも含めて僕らが判断し参政権を行使してくことなんだろう。ただ、あの自民党のブレインが、「地に足をつけた」論を提唱してることだけは確かだった。あれを批判する側は、どこまで現実と理想のバランスをとっていくのかが、やはり問われるのだと思った。
だが全てはこの国の国民に政治性が皆無だからなのかもしれない。
Aと飲んで帰りました。Aとはいつも幅広く素で話せるから素敵。僕を生かしてくれる。
「耳をすませば」は、ジブリで一番すき。もう何回か相当観たんだ。天沢くんはいいとして。雫が勉強を投げ出して小説を書くとことか。猫とか。おじいさんとか。純粋で。共感つうか。ただ素敵なんだ。穿って観られないの。
みんなそれぞれ何かの原石であったとして。
たぶんそのまたクズの。
僕のような人間が生きることにも。
ちっぽけでもいいから何か価値が生まれたらなあ。
無知takebono経済学
2006年3月9日 戯言戯言諸々その他大手町の経団連ホールで東京新聞主催のシンポジウムがあったので行ってきました。「景気シンポジウム−少子化・増税、どうなる暮らし」とかいうやつでした。パネリストは、前財務相の塩川氏(「塩じい」ってなんか妖怪の名前みたいじゃね?)とか、経済同友会のお偉いさんだとか、大学教授とか。 なんというか、「どうなる暮らし」も今さらあったもんじゃねえだろとか思ったけど。格差拡大・不安定・下流化・腐敗政治・暴走市場・衰退社会…とか思ったけど。まあまあそれはいいとして。内容は大したことのないシンポジウムでした。満員だったけどオジサンオバサンばっかだし。若い世代を抜かしての「少子化」「増税」論議。あなた方はさぁ、自分の所有する有価証券や土地の心配しかしてないんじゃなかったのか。今さら「少子化」をどのような視点で憂いたりしちゃうの?「社会問題」だとかって思っちゃったりするの? 誰の?「暮らし」が?「どうなる」のか?なんて、いつだって知ったことではなかったんじゃないのか?
そんなこんなでふと僕は経済について考えてみようと思いました。今まであまり経済って触れるの難しかったから。で、考えてみると、全くの無知なわけです。わけわかんないんだよね経済の知識って。無知を露呈します。しかしその過程でもあります。基礎教養であるべきだったのにいつもわかんなかったのです。
経済というのは恐らく社会の基盤というか全てですよね。故に経済学です。社会を構成してる流れのようなものが見える感じが、少なくとももっと無知だった頃にはしたのです
経済学を真正面からやると、数字やグラフが多く出てきます。人の経済活動の根っこは、欲望や文化や集団心理とか個人的なものまでも関ってくるのに、数字的なもので切り取れるものなのかなあとか昔は漠然と思ってました。「限界効用逓減」のグラフとか見て、ハァ?とか思ったときもありました。要するに2杯目のビールは1杯目より満足度が小さくなるとか、回転寿司で食った10皿目は1皿目より満足度が小さいとか、ミクロ経済のそういうわかりやすい話にすればいいわけで、そしてそんなことは自明のことで、でもそこで、「その人の胃袋次第だろ」とか、「2杯目のビールには2杯目なりの満足度があるときもある」とか、そういう屁理屈は経済学ではカバーしないということ。胃袋や、ビールの好き嫌いも含めて、多様で複雑な人間そしてその社会というものの一般的経済活動パターンの枠組をおさえることが経済学だからです。基準を規定して切り取らなければ、その例外も見れないということなんだと。このしごく当たり前の前提にまず僕は長いことピンとこなかったの。
そしてまたイラつくのが、「ミクロ」「マクロ」に始まり、「雇用」「金融」「貿易」等々、経済学の分野ってのは多岐に渡ること。そして立場によっては主張する経済政策が異なるということもです。経済とは怪物のような生き物なわけで、誰もまだその完全な正体を掴んではいなくて、そんなことはやはり当たり前なのですが、現実目の前の経済世界と、経済学の論理のギャップとがあまりにも僕の中にはありすぎたの。だからイマイチピンとこなかった。無知ド素人の僕から見て、経済学はあまりにもそうだった。
そしてあとそれが机上の理論だったからというのがある。デフレやインフレの仕組み、マクロ政策の仕組みとか理解しても、実際には、目先だけ考えればデフレは雇用されてない消費者にとっては価格破壊で嬉しいわけで、自営の人には厳しいわけで、雇用者は嬉しい半面恐ろしいわけだ。つまり立場やレベルによってはホントに凄まじく考え方も違うからです。規制緩和だとか、M&Aがどうとか、初等教育でマネー経済教育をやるよとかっても、一般の末端雇用労働者たちやリストラの対象になるような立場にいる人たちは、情報公開がなされれば、そうゆうのはやっぱり冗談じゃねえぞオイと叫ぶように思うのです。「既得権」なんて一方ではその人たちの生活権利だからです。 つまるとこ、僕が何らかの思想を持ったり、或る立場に立ったり、客観的になれないような状況になればなるほど、経済学は理解しづらかったのです。だから、教科書的な一般的な経済学論理は、ある枠組として捉えなければならなかったわけです。「社会」を知ることと、「社会問題」を考えることが、全く違うことであるのと同じ事なわけでした。
或いは、「所有」に関する哲学的前提なども経済学はタッチしないということ。あくまで、主として取り扱うは「一般的」パターンなのです。
バブルが「根拠無き熱狂」なのなら、この世界全てがバブルみたいなものじゃないかよとか僕は昔思っていたし、そう、だから、自分の置かれた状況も相当に関ってくるのだということなのです、そう一方では。
結局よくわかんなかったのです。だから、ただ興味から入れば良かったんだよいつもそう。僕の興味なんて偏ってる。そしてそれでよかったんだよ。まず見切り発車なんだよそんなもん。いつだって僕は。
〈→→〉
そんなこんなでふと僕は経済について考えてみようと思いました。今まであまり経済って触れるの難しかったから。で、考えてみると、全くの無知なわけです。わけわかんないんだよね経済の知識って。無知を露呈します。しかしその過程でもあります。基礎教養であるべきだったのにいつもわかんなかったのです。
経済というのは恐らく社会の基盤というか全てですよね。故に経済学です。社会を構成してる流れのようなものが見える感じが、少なくとももっと無知だった頃にはしたのです
経済学を真正面からやると、数字やグラフが多く出てきます。人の経済活動の根っこは、欲望や文化や集団心理とか個人的なものまでも関ってくるのに、数字的なもので切り取れるものなのかなあとか昔は漠然と思ってました。「限界効用逓減」のグラフとか見て、ハァ?とか思ったときもありました。要するに2杯目のビールは1杯目より満足度が小さくなるとか、回転寿司で食った10皿目は1皿目より満足度が小さいとか、ミクロ経済のそういうわかりやすい話にすればいいわけで、そしてそんなことは自明のことで、でもそこで、「その人の胃袋次第だろ」とか、「2杯目のビールには2杯目なりの満足度があるときもある」とか、そういう屁理屈は経済学ではカバーしないということ。胃袋や、ビールの好き嫌いも含めて、多様で複雑な人間そしてその社会というものの一般的経済活動パターンの枠組をおさえることが経済学だからです。基準を規定して切り取らなければ、その例外も見れないということなんだと。このしごく当たり前の前提にまず僕は長いことピンとこなかったの。
そしてまたイラつくのが、「ミクロ」「マクロ」に始まり、「雇用」「金融」「貿易」等々、経済学の分野ってのは多岐に渡ること。そして立場によっては主張する経済政策が異なるということもです。経済とは怪物のような生き物なわけで、誰もまだその完全な正体を掴んではいなくて、そんなことはやはり当たり前なのですが、現実目の前の経済世界と、経済学の論理のギャップとがあまりにも僕の中にはありすぎたの。だからイマイチピンとこなかった。無知ド素人の僕から見て、経済学はあまりにもそうだった。
そしてあとそれが机上の理論だったからというのがある。デフレやインフレの仕組み、マクロ政策の仕組みとか理解しても、実際には、目先だけ考えればデフレは雇用されてない消費者にとっては価格破壊で嬉しいわけで、自営の人には厳しいわけで、雇用者は嬉しい半面恐ろしいわけだ。つまり立場やレベルによってはホントに凄まじく考え方も違うからです。規制緩和だとか、M&Aがどうとか、初等教育でマネー経済教育をやるよとかっても、一般の末端雇用労働者たちやリストラの対象になるような立場にいる人たちは、情報公開がなされれば、そうゆうのはやっぱり冗談じゃねえぞオイと叫ぶように思うのです。「既得権」なんて一方ではその人たちの生活権利だからです。 つまるとこ、僕が何らかの思想を持ったり、或る立場に立ったり、客観的になれないような状況になればなるほど、経済学は理解しづらかったのです。だから、教科書的な一般的な経済学論理は、ある枠組として捉えなければならなかったわけです。「社会」を知ることと、「社会問題」を考えることが、全く違うことであるのと同じ事なわけでした。
或いは、「所有」に関する哲学的前提なども経済学はタッチしないということ。あくまで、主として取り扱うは「一般的」パターンなのです。
バブルが「根拠無き熱狂」なのなら、この世界全てがバブルみたいなものじゃないかよとか僕は昔思っていたし、そう、だから、自分の置かれた状況も相当に関ってくるのだということなのです、そう一方では。
結局よくわかんなかったのです。だから、ただ興味から入れば良かったんだよいつもそう。僕の興味なんて偏ってる。そしてそれでよかったんだよ。まず見切り発車なんだよそんなもん。いつだって僕は。
〈→→〉
こんとんとん
2006年3月8日TAの家で飲みました。ビールと焼酎を飲んで、ボクシング観ました。亀田のボディ攻めは鬼。ドスッ!ドスッ!バズン!ドスッ!ウッ!ゲボッ!グエ〜ッ!
飲みながらプレステのクイズゲームをやりました。驚異的な記録が出るまでやりました。「スポーツ」は完全に二人とも得意分野。歴史はTAが「世界史」で僕が「日本史」。TAは電車男だから「地理」の鬼。僕はどっちかってっと「政経」。またTAは小説魔だから「文学」がやはり強くて、マンガ家の僕は「マンガ・特撮」が強かった。 意外やお互いの領域をカバーしてたりして、くだらない雑学ばかり僕らは驚異的だ。クイズ王を目指すかなあ。
夜中まで飲んで帰った。とりわけこの先どうするかなあ。
言葉にしてしまうのが、今まで曖昧で不明確だったものが形になってしまうからだから恐かった。恐いのは、曖昧なままに逃げてきたということもあるけど、逆にその曖昧なものに逃げ込むことでもあるかなとか思うからだ。核心。どっちの腕でも殴れること。結局自分から仕掛けるのだから。まあ、まあ僕がこんなこと考えてても誰も喜びやしないから意味無いことだが。
法律を学びたいと思った。東大入学以上に難しいと言われる司法試験をその最終地点として。法の前に立ち尽くさない人間になるのだ。以前から、教育に限界を感じたときくらいから思ってたこと。
あと語学ね。
そして文学を。職業作家なんて目指しちゃいないんだ初めから。
一生の内にどうしてもやりたかったことなんかいくらでもあんねん。もう充分に生きてもう死んでもいいのだけど、生きてるのだから、目指すんだ。一生に一度なら、いまやりたい。
でも本当は就職もしたかった。社会も見たい。でも見るだけじゃな。
よく考えよう。
おやすみ。ぐぅぐぅ。
飲みながらプレステのクイズゲームをやりました。驚異的な記録が出るまでやりました。「スポーツ」は完全に二人とも得意分野。歴史はTAが「世界史」で僕が「日本史」。TAは電車男だから「地理」の鬼。僕はどっちかってっと「政経」。またTAは小説魔だから「文学」がやはり強くて、マンガ家の僕は「マンガ・特撮」が強かった。 意外やお互いの領域をカバーしてたりして、くだらない雑学ばかり僕らは驚異的だ。クイズ王を目指すかなあ。
夜中まで飲んで帰った。とりわけこの先どうするかなあ。
言葉にしてしまうのが、今まで曖昧で不明確だったものが形になってしまうからだから恐かった。恐いのは、曖昧なままに逃げてきたということもあるけど、逆にその曖昧なものに逃げ込むことでもあるかなとか思うからだ。核心。どっちの腕でも殴れること。結局自分から仕掛けるのだから。まあ、まあ僕がこんなこと考えてても誰も喜びやしないから意味無いことだが。
法律を学びたいと思った。東大入学以上に難しいと言われる司法試験をその最終地点として。法の前に立ち尽くさない人間になるのだ。以前から、教育に限界を感じたときくらいから思ってたこと。
あと語学ね。
そして文学を。職業作家なんて目指しちゃいないんだ初めから。
一生の内にどうしてもやりたかったことなんかいくらでもあんねん。もう充分に生きてもう死んでもいいのだけど、生きてるのだから、目指すんだ。一生に一度なら、いまやりたい。
でも本当は就職もしたかった。社会も見たい。でも見るだけじゃな。
よく考えよう。
おやすみ。ぐぅぐぅ。
此社会、或破壊につき… “最終回”
2006年3月7日 戯言戯言諸々その他人間が「コスト」になった90年代、企業は人を安く使うことの素晴らしさを知ってしまった。人的資源の「在庫調整」として、中高年のリストラ、新卒採用の抑制、退職者後の未補充などが至る所で激しく進行していった。そして多くのものが失われる中で新たに生まれたものこそが「非正社員」だった。彼らに、彼らが持っていた本来の臨時労働役割を超えさせることによって、日本の企業社会はいま醜悪に蘇ったのである。
雇用社会の本流は「新時代の『日本的経営』」に示された。結果、雇用労働者の3人に1人は非正社員になった。もはやライフスタイルの多様化が雇用の多様化を生むのではない。雇用破壊が生活破壊を生むのだ。 狂った市場に流通する狂った商品の価格破壊が、地獄の競争で血にまみれながら、結局は賃金破壊を起こし、雇用破壊へと繋がってゆく。その先にあるものは、恐らくは社会の破壊なのだ。
仕事にプライドを持てる社会。自活できるだけの賃金が保障される社会。努力が報われる社会。筆者が願うそんな社会。takebonoが願うそんな社会。当たり前の、普通の、多くの人が願う社会だろう。敢えて言おうじゃないか。多くの人にとって、「あるべき」社会じゃないのか、と。最低限「そうあってほしい」社会じゃないのか、と。こんな僕だって願うんだぜ。強く願う。優しい人や誠実な人がちゃんと生きていける社会のことをだよ。だけどまたしてもみんなはそんな社会を選べないのだろう。
破壊は創造を生む。そうやって市場経済は回ってゆく。だけど僕らの社会はもう、本当は破壊しちゃいけなかった所までも、既に破壊しちゃったんじゃないのか?ささやかな幸せって本当は存在したんじゃないのか?存在できたんじゃないのか?
破壊は何を生んだ?カネは何を生んだ? 格差と。バブルと狂熱と。ちっぽけな欲望と身勝手な夢たちと。ホリエモンと。大量の経済的精神的不安定と。卑屈な下流社会を生んだだけだろ。 橋本っ…橋本っ…頼むっ。生き返ってくれ。本当に破壊しなければならないものをお前のニールキックで破壊してくれっ。頼むっ。なあっ。頼むよ橋本っ。
カジノみたいな人生はお前らだけでやってくれ。本当に誠実な者や、優しい者や、努力した者が、なぜささやかに生きちゃいけないんだ? 市場論理は何でそんなに僕らを食らって楽しいんだ?
こんな市場社会で生きたくない。ずっとそう思ってた。
でもね。結局はそれすらソウルフルだったんだよね。
公務員で左翼寄りの両親の市場社会観が結構偏っているのにも、それも理解した上でそれでも僕は、そうなのだ。毅然として社会に出るべきなのだったと。社会をもっと感じるためにだ。あらゆるものが僕を形作った故にだ。
就活は遅すぎたけど、今後どんな形でもいい。社会に打って出たい。力をつけたい。力を。衝動がきそうなんだ。
そんなソウルがあれば充分だろうよと思うのだ。
いまこの国では、雇用が破壊されかけ、社会が破壊されかけてる。どんな社会問題を憂うにしても、この問題を避けて通ることは恐らく出来ないだろう。一番身近でありながら、一番僕らに知らされてこなかったものだからだ。多くの人が目を向けてほしい。人は何故人を傷つけなければならないのか。有意義な競争ではない、不毛な殺し合いが何故いつまでも続くのか。潰れてく人や排除されていく人がいるのか。そして無力な僕らに一体何が出来るのかということも。
僕はでも、破壊されているものを知ることで、守るべきものや、優しいものの存在を知ったような気もするのです。そう思考するように形成され生きてきた僕がここにいるということにもです。それはそう、そうなのです。もしあなたが絶望したとき、僕はここにいます。僕は、優しい人を守るためにいます。人に優しく在れる人を守るためにいます。絶対にね、だから、どうか、takebonoさんだけは信じてくれ。 ああ、やっぱ、僕は強くなろうかな。くそう。
―――
追伸
いま暖かな日差しの中でこれを書いています。どうか、実りある人生を。充実した日々を。お健やかにお過ごし下さい。もうすぐ春ですね。新しい時代をみんなが歩き出す頃、きっと僕も生き急ぎ始めていますよ。
親愛なるあなたへ…
−takebono−
〔終り〕
雇用社会の本流は「新時代の『日本的経営』」に示された。結果、雇用労働者の3人に1人は非正社員になった。もはやライフスタイルの多様化が雇用の多様化を生むのではない。雇用破壊が生活破壊を生むのだ。 狂った市場に流通する狂った商品の価格破壊が、地獄の競争で血にまみれながら、結局は賃金破壊を起こし、雇用破壊へと繋がってゆく。その先にあるものは、恐らくは社会の破壊なのだ。
仕事にプライドを持てる社会。自活できるだけの賃金が保障される社会。努力が報われる社会。筆者が願うそんな社会。takebonoが願うそんな社会。当たり前の、普通の、多くの人が願う社会だろう。敢えて言おうじゃないか。多くの人にとって、「あるべき」社会じゃないのか、と。最低限「そうあってほしい」社会じゃないのか、と。こんな僕だって願うんだぜ。強く願う。優しい人や誠実な人がちゃんと生きていける社会のことをだよ。だけどまたしてもみんなはそんな社会を選べないのだろう。
破壊は創造を生む。そうやって市場経済は回ってゆく。だけど僕らの社会はもう、本当は破壊しちゃいけなかった所までも、既に破壊しちゃったんじゃないのか?ささやかな幸せって本当は存在したんじゃないのか?存在できたんじゃないのか?
破壊は何を生んだ?カネは何を生んだ? 格差と。バブルと狂熱と。ちっぽけな欲望と身勝手な夢たちと。ホリエモンと。大量の経済的精神的不安定と。卑屈な下流社会を生んだだけだろ。 橋本っ…橋本っ…頼むっ。生き返ってくれ。本当に破壊しなければならないものをお前のニールキックで破壊してくれっ。頼むっ。なあっ。頼むよ橋本っ。
カジノみたいな人生はお前らだけでやってくれ。本当に誠実な者や、優しい者や、努力した者が、なぜささやかに生きちゃいけないんだ? 市場論理は何でそんなに僕らを食らって楽しいんだ?
こんな市場社会で生きたくない。ずっとそう思ってた。
でもね。結局はそれすらソウルフルだったんだよね。
公務員で左翼寄りの両親の市場社会観が結構偏っているのにも、それも理解した上でそれでも僕は、そうなのだ。毅然として社会に出るべきなのだったと。社会をもっと感じるためにだ。あらゆるものが僕を形作った故にだ。
就活は遅すぎたけど、今後どんな形でもいい。社会に打って出たい。力をつけたい。力を。衝動がきそうなんだ。
そんなソウルがあれば充分だろうよと思うのだ。
いまこの国では、雇用が破壊されかけ、社会が破壊されかけてる。どんな社会問題を憂うにしても、この問題を避けて通ることは恐らく出来ないだろう。一番身近でありながら、一番僕らに知らされてこなかったものだからだ。多くの人が目を向けてほしい。人は何故人を傷つけなければならないのか。有意義な競争ではない、不毛な殺し合いが何故いつまでも続くのか。潰れてく人や排除されていく人がいるのか。そして無力な僕らに一体何が出来るのかということも。
僕はでも、破壊されているものを知ることで、守るべきものや、優しいものの存在を知ったような気もするのです。そう思考するように形成され生きてきた僕がここにいるということにもです。それはそう、そうなのです。もしあなたが絶望したとき、僕はここにいます。僕は、優しい人を守るためにいます。人に優しく在れる人を守るためにいます。絶対にね、だから、どうか、takebonoさんだけは信じてくれ。 ああ、やっぱ、僕は強くなろうかな。くそう。
―――
追伸
いま暖かな日差しの中でこれを書いています。どうか、実りある人生を。充実した日々を。お健やかにお過ごし下さい。もうすぐ春ですね。新しい時代をみんなが歩き出す頃、きっと僕も生き急ぎ始めていますよ。
親愛なるあなたへ…
−takebono−
〔終り〕
此社会、或破壊につき… “10”
2006年3月6日 戯言戯言諸々その他駅で組合がビラ配ってました。んで色々あってSK兄貴と飲みました。君はときに横暴だけど偉いよ、いろんな事に自覚持ってるから偉い。雇用社会について少し語りました。takebonoさん本気で法律学ぼうかなと思った。
では雇用社会論。なんか書いてて気分が滅入ってくるのでこのシリーズも次回で終わりにします。
「経済統計が不況からの脱出を示し始めたのと裏腹に、厳しさにあえぐ人々を量産している。景気の回復は、入れ替えのきく、安価な労働力を投入したからこその成果であって、そのひずみが非正社員に押し寄せている」(p146)
景気後退期までの不況対策は、まず非正社員を整理し、正社員は温存するというのが典型的パターンだった。不況克服を目指した90年代半ば以降はそれが変わる。人件費負担の重い正社員をリストラし、その代替を非正社員に依存するようになったのである。だから今時のパートは正社員以上の働きを期待されるのだ。
永遠の未決着とされた課題における永遠の2番手とされてきた女性の「継続就業型(結婚・出産しても仕事を続ける)」がいま支持を集め、「再就職型(出産したら仕事を辞め、育児がなんとかなったら再び就業する)」を画期的に抜いたらしい。もちろん厳しい雇用情勢が背景にはある。だが意識とは逆に現実にはやはり「再就職型」が占めている。
共働きしないと家庭は築けない。だから収入を落とさないために、結婚・出産をしても仕事を辞めずにキャリアを維持したい。でも実際に出産をしたら仕事を続けることは出来ない。だから辞めたら育児後にパート再就職する。 …これが一般的コース。こうやって低賃金体系は維持される。
パートへの依存度が高い外食産業は2003年、「外食産業はパートタイマーの社会保険適用拡大に強く反対します」という報道資料をマスコミに送った。先に何度も述べたが、事業主は本来1日の所定労働時間、1ヶ月の所定労働日数が正社員の4分の3以上という条件を満たした労働者を社会保険に加入させなければならない。この加入基準の見直し案として1週間所定労働時間が20時間以上――という変更案が当時上がった。多くの人が厚生年金に入り保険料を負担すれば、年金財源にもなるし、労働者としての自立にもつながる…という案だったが…外食産業界はこれに猛反対したのだと。社会保険料は労使折半だから、経営圧迫になるから。そして一方で、パートタイマー側もこの変更案に難色を示していた。社会保険料を払いたくないからだ。女性の家計補助的労働スタイルにもはや浸透している「○○ゾーン」(「ライン」?)てあるよね(違う呼び名かも)。年収が103万を超すと所得税を払わなきゃならないし、130万を超すと保険料負担(国民年金加入)への義務が生じる。保険料非負担の「ゾーン」範囲内でささやかに働くというもはや「装置」が、労使の協調のもとに機能しており、両者の既得権を反映させているのだ。業界は安く使うことに慣れきり、人は安く使われることに慣れきってしまってる。主婦はそれでいいだろうしパラサイトもとりあえずそれでいいんだろうが、ちゃんと社会保険に入って自立して生きていきたい人はキツい。
派遣業における女性の派遣スタッフは年代34歳以下が76%である。囁かれる派遣業の女性35歳定年説ってやつがこれ。35歳を過ぎると、不安から正社員になったり(新採用からスタートだから企業も都合がよかったりする)、悲惨なのはお呼びがかからなくなったりすることがあるからだ。パートを30後半〜40代女性中心労働とすると、派遣は30代半ばまでの女性労働である。派遣業界の若年志向は、IT分野が多いからというのもあるが、派遣先が使いやすい人を求める結果だからともいわれる。違法な事前面接を派遣先が行うケースがあるのも、若くて素直で可愛くて従順な女性を「見定め」て使おうぜウエヘヘという魂胆があるからだともいわれてるのだと。
派遣業は男女雇用機会均等法と同じ1986年に「労働者派遣法」が施行され、当時は専門的業務13種でスタートした。96年の改正で26業種に拡大。99年にはほとんどの分野で派遣OKになり、派遣社員に対する専門的イメージは崩れ去った。2004年施行の改正法では、「派遣労働者への直接雇用の申し込み義務」が盛り込まれた。原則3年の有機雇用期間が過ぎても受け入れるときは、「直接雇用」を打診しなければならないというものだ。でも「直接雇用」といっても非正社員のまま更新されるだけだ。厚生労働省は「できれば正社員にしてあげて」と言ってるけど、もちろんそんなこと率先してやる企業はない。 余談ですが、「紹介予定派遣」というのがあるね。派遣先の正社員になれる可能性を秘めた派遣のされ方のこと。派遣てのは、やはり正社員以下なんだね。でもフリーター以上か?どっちでもいいけど不安定には変わりはないはずだろう。
パートは頭打ちだけど、派遣社員の増加傾向はすごい勢いである。半分くらいの企業が何かしら派遣社員を使っている。 「常用型」と「登録型」がある。前者は派遣会社に常時雇用され、派遣先に派遣される労働者。後者は派遣会社に登録しておき、派遣が決定したときだけ派遣会社の社員になる。全体の8割は不安定な後者の方である。仕事の紹介や派遣期間の細切れ化が、非常に不安定な状況に彼らを追い込んでいる。(何度も言うが、就労期間が2ヶ月以内の短期労働者は厚生年金の適用も除外される)ここでもやはり8割が女性。
「ポジティブアクション」というのがあるらしいね。所謂格差是正の取り組みの動きが近年出てきているそうです。正社員はまだ救いはある。だけど、非正社員はやはりその視野に入ってないのですよね。所詮正規な労働じゃないんだ結局。だけどそれが労働力の主力となりつつあることが結局問題なんだ。過剰の中での競争。人もインフレの例外ではない。
〔続く〕
では雇用社会論。なんか書いてて気分が滅入ってくるのでこのシリーズも次回で終わりにします。
「経済統計が不況からの脱出を示し始めたのと裏腹に、厳しさにあえぐ人々を量産している。景気の回復は、入れ替えのきく、安価な労働力を投入したからこその成果であって、そのひずみが非正社員に押し寄せている」(p146)
景気後退期までの不況対策は、まず非正社員を整理し、正社員は温存するというのが典型的パターンだった。不況克服を目指した90年代半ば以降はそれが変わる。人件費負担の重い正社員をリストラし、その代替を非正社員に依存するようになったのである。だから今時のパートは正社員以上の働きを期待されるのだ。
永遠の未決着とされた課題における永遠の2番手とされてきた女性の「継続就業型(結婚・出産しても仕事を続ける)」がいま支持を集め、「再就職型(出産したら仕事を辞め、育児がなんとかなったら再び就業する)」を画期的に抜いたらしい。もちろん厳しい雇用情勢が背景にはある。だが意識とは逆に現実にはやはり「再就職型」が占めている。
共働きしないと家庭は築けない。だから収入を落とさないために、結婚・出産をしても仕事を辞めずにキャリアを維持したい。でも実際に出産をしたら仕事を続けることは出来ない。だから辞めたら育児後にパート再就職する。 …これが一般的コース。こうやって低賃金体系は維持される。
パートへの依存度が高い外食産業は2003年、「外食産業はパートタイマーの社会保険適用拡大に強く反対します」という報道資料をマスコミに送った。先に何度も述べたが、事業主は本来1日の所定労働時間、1ヶ月の所定労働日数が正社員の4分の3以上という条件を満たした労働者を社会保険に加入させなければならない。この加入基準の見直し案として1週間所定労働時間が20時間以上――という変更案が当時上がった。多くの人が厚生年金に入り保険料を負担すれば、年金財源にもなるし、労働者としての自立にもつながる…という案だったが…外食産業界はこれに猛反対したのだと。社会保険料は労使折半だから、経営圧迫になるから。そして一方で、パートタイマー側もこの変更案に難色を示していた。社会保険料を払いたくないからだ。女性の家計補助的労働スタイルにもはや浸透している「○○ゾーン」(「ライン」?)てあるよね(違う呼び名かも)。年収が103万を超すと所得税を払わなきゃならないし、130万を超すと保険料負担(国民年金加入)への義務が生じる。保険料非負担の「ゾーン」範囲内でささやかに働くというもはや「装置」が、労使の協調のもとに機能しており、両者の既得権を反映させているのだ。業界は安く使うことに慣れきり、人は安く使われることに慣れきってしまってる。主婦はそれでいいだろうしパラサイトもとりあえずそれでいいんだろうが、ちゃんと社会保険に入って自立して生きていきたい人はキツい。
派遣業における女性の派遣スタッフは年代34歳以下が76%である。囁かれる派遣業の女性35歳定年説ってやつがこれ。35歳を過ぎると、不安から正社員になったり(新採用からスタートだから企業も都合がよかったりする)、悲惨なのはお呼びがかからなくなったりすることがあるからだ。パートを30後半〜40代女性中心労働とすると、派遣は30代半ばまでの女性労働である。派遣業界の若年志向は、IT分野が多いからというのもあるが、派遣先が使いやすい人を求める結果だからともいわれる。違法な事前面接を派遣先が行うケースがあるのも、若くて素直で可愛くて従順な女性を「見定め」て使おうぜウエヘヘという魂胆があるからだともいわれてるのだと。
派遣業は男女雇用機会均等法と同じ1986年に「労働者派遣法」が施行され、当時は専門的業務13種でスタートした。96年の改正で26業種に拡大。99年にはほとんどの分野で派遣OKになり、派遣社員に対する専門的イメージは崩れ去った。2004年施行の改正法では、「派遣労働者への直接雇用の申し込み義務」が盛り込まれた。原則3年の有機雇用期間が過ぎても受け入れるときは、「直接雇用」を打診しなければならないというものだ。でも「直接雇用」といっても非正社員のまま更新されるだけだ。厚生労働省は「できれば正社員にしてあげて」と言ってるけど、もちろんそんなこと率先してやる企業はない。 余談ですが、「紹介予定派遣」というのがあるね。派遣先の正社員になれる可能性を秘めた派遣のされ方のこと。派遣てのは、やはり正社員以下なんだね。でもフリーター以上か?どっちでもいいけど不安定には変わりはないはずだろう。
パートは頭打ちだけど、派遣社員の増加傾向はすごい勢いである。半分くらいの企業が何かしら派遣社員を使っている。 「常用型」と「登録型」がある。前者は派遣会社に常時雇用され、派遣先に派遣される労働者。後者は派遣会社に登録しておき、派遣が決定したときだけ派遣会社の社員になる。全体の8割は不安定な後者の方である。仕事の紹介や派遣期間の細切れ化が、非常に不安定な状況に彼らを追い込んでいる。(何度も言うが、就労期間が2ヶ月以内の短期労働者は厚生年金の適用も除外される)ここでもやはり8割が女性。
「ポジティブアクション」というのがあるらしいね。所謂格差是正の取り組みの動きが近年出てきているそうです。正社員はまだ救いはある。だけど、非正社員はやはりその視野に入ってないのですよね。所詮正規な労働じゃないんだ結局。だけどそれが労働力の主力となりつつあることが結局問題なんだ。過剰の中での競争。人もインフレの例外ではない。
〔続く〕
春うらうらあれこれ
2006年3月5日よく晴れた日。サッカー日和。Nちゃん久々に参加でしたね。
でもって、サッカー後のビールの犯罪的美味さ。
WBC観てたら日本が負けました。アジアをなめすぎるからだ。
昨日録画したPRIDEを観てたら、洋介山が負けました。まあよくやったよくやったよ。
K1inニュージーを観てたら、キワモノ王者が負けました。でもKOが多かったのでよかったですよ。 最凶巨人王者はまるでセンスのない質量戦法なので毎回ですがガックリ。セフォーのパフォーマンスや、バンナの豪腕や、レミーのコンビネーション、そういうのがK1なのだと僕は思ってたのにな。これが原点回帰だというのかね。
今日はだらだらしながらだらだら書きました。
もう春だなあ。3月はたくさんご本を読もうと思います。うんみんな僕に本を貸してね。
でもって、サッカー後のビールの犯罪的美味さ。
WBC観てたら日本が負けました。アジアをなめすぎるからだ。
昨日録画したPRIDEを観てたら、洋介山が負けました。まあよくやったよくやったよ。
K1inニュージーを観てたら、キワモノ王者が負けました。でもKOが多かったのでよかったですよ。 最凶巨人王者はまるでセンスのない質量戦法なので毎回ですがガックリ。セフォーのパフォーマンスや、バンナの豪腕や、レミーのコンビネーション、そういうのがK1なのだと僕は思ってたのにな。これが原点回帰だというのかね。
今日はだらだらしながらだらだら書きました。
もう春だなあ。3月はたくさんご本を読もうと思います。うんみんな僕に本を貸してね。
「ZZ」
2006年3月4日「ガンダムZZ」全部観終わった。最初はダラダラの展開だったけど、ラストへ向けては結構盛り上がりを見せた感じ。アムロもシャアも登場しませんが、きっちりストーリーは時系列的に進んでた。これで3作全部観たことになるわ。
「正気かっ!?」
「正気で戦争ができるかあっ!!」
地球の汚染と人口増加により、人が宇宙に飛び立ち開始された宇宙開拓時代。宇宙空間の人工居住区「コロニー」。ある時そのコロニーの一つが独立独裁国家「ジオン皇国」を名乗り地球に宣戦布告する所から始まる「ガンダム」。地球連邦VSジオン皇国の戦争はある意味独立戦争といえますが、ジオン皇国の壊滅により終結。 数年後、宇宙移民側の独立運動組織「エウーゴ」と地球連邦側の運動鎮圧組織「ティターンズ」が激突するのが「Zガンダム」。地球連邦・「ティターンズ」VS「エウーゴ」の戦争は、ジオン復活の影も見せつつ「ティターンズ」の壊滅で終結。 そして今回の「ZZ」では、遂にジオン皇国の残党が「ネオジオン」を名乗り、地球連邦と「エウーゴ」を巻き込む乱戦に発展。「ネオジオン」の中でも、完全な復古主義のグレミーと、新しき独裁主義の野望に走るハマーンとの対立軸で激突。腑抜けになった地球連邦を半ば脱退した「エウーゴ」も参戦する三つ巴戦。結構複雑な対立関係の中で、「大人が起こした戦争」に巻き込まれてゆく主人公はジャンク屋の少年ジュドー・アーシタ。
「ガンダム」ではアムロVSシャア。「Z」ではカミーユVSシロッコ。そして「ZZ」ではジュドーVSハマーン。どの作品もラストの最終決戦はなかなか震えるものがある。
「どうして…どうしてみんなで生きていけないんだぁーっ!!」
作品を通してキーワードとなるのが「ニュータイプ」。最初僕は「ニュータイプ」とは戦争が生み出した変種かと思っていた。だけど、「ニュータイプ」は元々人間の中に存在していた「人間の可能性」だったらしい。「地球の重力」がそれを呼び覚まさなかったのだと。スペースノイドは地球人のことを「地球の重力に魂を奪われた者たち」と批判し、ニュータイプに目覚めた者も含め、腐敗した地球を自分らの手に取り返そうとする。地球側からすればそんなものはテロリストというわけだ。一方で、地球は全ての人類の母なのだと主張し平和を願う人々もいる。
3作全ての主人公たちが少年であり、戦争を否定していたのはそういうことだったのだと思う。戦争など起こさず「わかり合う」ための、「人間の可能性」であったはずのニュータイプが、皮肉なことに戦争によって成長を遂げる。人類自体が前進するためには仕方のない戦争なのか。そしてそれにも懐疑を向け、しかし戦争は大切な人たちを奪い続けていったりして。
前作同様たくさん人は死んだけど、まあ爽やかなラストでしたよ。
誰に正義があるのか。わかりはしないけど、意志を背負う者同士が決着をつけられたのならよかったじゃないか。ラストは、「正義」の理由に挙げられ続けた「大儀」や「イデオロギー」をも振り切り、「大人が起こした戦争」に振り回され続けたジュドーが、自分の手で「正義」という曖昧な感情とそれが巻き起こした戦争に決着をつけようとするのが素敵だった。
そしてモビルスーツはやっぱりかっこよかったね。
「正気かっ!?」
「正気で戦争ができるかあっ!!」
地球の汚染と人口増加により、人が宇宙に飛び立ち開始された宇宙開拓時代。宇宙空間の人工居住区「コロニー」。ある時そのコロニーの一つが独立独裁国家「ジオン皇国」を名乗り地球に宣戦布告する所から始まる「ガンダム」。地球連邦VSジオン皇国の戦争はある意味独立戦争といえますが、ジオン皇国の壊滅により終結。 数年後、宇宙移民側の独立運動組織「エウーゴ」と地球連邦側の運動鎮圧組織「ティターンズ」が激突するのが「Zガンダム」。地球連邦・「ティターンズ」VS「エウーゴ」の戦争は、ジオン復活の影も見せつつ「ティターンズ」の壊滅で終結。 そして今回の「ZZ」では、遂にジオン皇国の残党が「ネオジオン」を名乗り、地球連邦と「エウーゴ」を巻き込む乱戦に発展。「ネオジオン」の中でも、完全な復古主義のグレミーと、新しき独裁主義の野望に走るハマーンとの対立軸で激突。腑抜けになった地球連邦を半ば脱退した「エウーゴ」も参戦する三つ巴戦。結構複雑な対立関係の中で、「大人が起こした戦争」に巻き込まれてゆく主人公はジャンク屋の少年ジュドー・アーシタ。
「ガンダム」ではアムロVSシャア。「Z」ではカミーユVSシロッコ。そして「ZZ」ではジュドーVSハマーン。どの作品もラストの最終決戦はなかなか震えるものがある。
「どうして…どうしてみんなで生きていけないんだぁーっ!!」
作品を通してキーワードとなるのが「ニュータイプ」。最初僕は「ニュータイプ」とは戦争が生み出した変種かと思っていた。だけど、「ニュータイプ」は元々人間の中に存在していた「人間の可能性」だったらしい。「地球の重力」がそれを呼び覚まさなかったのだと。スペースノイドは地球人のことを「地球の重力に魂を奪われた者たち」と批判し、ニュータイプに目覚めた者も含め、腐敗した地球を自分らの手に取り返そうとする。地球側からすればそんなものはテロリストというわけだ。一方で、地球は全ての人類の母なのだと主張し平和を願う人々もいる。
3作全ての主人公たちが少年であり、戦争を否定していたのはそういうことだったのだと思う。戦争など起こさず「わかり合う」ための、「人間の可能性」であったはずのニュータイプが、皮肉なことに戦争によって成長を遂げる。人類自体が前進するためには仕方のない戦争なのか。そしてそれにも懐疑を向け、しかし戦争は大切な人たちを奪い続けていったりして。
前作同様たくさん人は死んだけど、まあ爽やかなラストでしたよ。
誰に正義があるのか。わかりはしないけど、意志を背負う者同士が決着をつけられたのならよかったじゃないか。ラストは、「正義」の理由に挙げられ続けた「大儀」や「イデオロギー」をも振り切り、「大人が起こした戦争」に振り回され続けたジュドーが、自分の手で「正義」という曖昧な感情とそれが巻き起こした戦争に決着をつけようとするのが素敵だった。
そしてモビルスーツはやっぱりかっこよかったね。
今回読んだ石田衣良作品は『波の上の魔術師』です。デジタルマネー戦争の話でしたが、やっぱ石田衣良作品おもしろいと思った。こないだ落ちた会社での最初の面接のとき面接官が言ってたけど、石田衣良氏の本名イシダイラ○○さんなんだってね。なるほどねー。
−株価という究極のランダムウオークは、おれたちが持つ感情という決して数式化できないもう一つのランダムウオークによって誘導される。魔術師とともにこの数字の波をものにするためには、無機質なアングロサクソン流合理主義をテイストに、カネ地獄に脅え悪魔と化した銀行をツールとして、二度と訪れないリアルを信じ、ミラクルなタイミングのディールこそにチャージすることだ。マーケットというジャングルが、デジタルマネーを壮絶に喰らい尽くす!若者よ、ソウルの波動を感じ続けよ!
不定期的に外国文学にも触れたりします。今回はトォマス・マンの『ヴェニスに死す』を読むのです。
−初老の小説家グスタァフ・アッシェンバッハは、芸術と自分の生活とのバランスを保ちながら、世間的な名声も既に手にする芸術家であった。ふと思い立って発った旅先で、彼はポーランド人の美しい少年に出会う。ヴェニスの街に恐るべき疫病が侵攻する中で、深まる少年への想いはアッシェンバッハの自己と芸術のバランスを喪失させてゆく。芸術という貪欲かつ恐怖なる神と、ギリシャ美を表す少年タッジオと、ヴェニスに取り憑かれたアッシェンバッハの精神とソウルの交流劇。
恐ろしいと噂に聞いた作品2冊目。ホラー小説大賞もとった岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』を読む。岡山地方の方言で「とても、恐い」という意味。うん結構恐いな。荒俣弘が講評してるけど、プロレタリア文学の残酷描写はもはやホラー並みであると。明治時代の地方農村のリアルな描写。確かにきょうてえ(恐い)ものがあるわね。
−「きょうてえきょうてえ夢を見りゃあせんじゃろか?」 岡山のとある遊郭で、客と遊女の寝物語が始まる。それは恐ろしい恐ろしい農村の話だった。 「それでもええて?…そんなら話そうか……」
山田悠介のデビュー作『リアル鬼ごっこ』を読みました。マンガ化もされたっけねこれ。10代の頃の作品はつたない文章で浅いですね。期待はずれの声も多いようですがネタ的にはすきです。
−「全国の“佐藤”姓を皆殺しにせよ!」 一人の狂った王様が発案した計画「リアル鬼ごっこ」とは、一日一時間ずつ7日間を全国500万人の“佐藤”さん達が、「鬼」から逃げまどうという国家主催のビッグイベント。捕まれば死。最終日まで逃げ切った者には王様が直々に一つだけ願い事を叶えてくれるという特典付き。あのタレントもあのスポーツ選手も、鬼ごっこに参加することになってしまった。 大学陸上部短距離界の新星・佐藤翼は、14年前に生き別れた妹・佐藤愛を探すため、「鬼」から逃げ切り生き残ることを誓う。 全ての人々の思いが交錯する中、いま壮絶な「鬼ごっこ」が開始される!
−株価という究極のランダムウオークは、おれたちが持つ感情という決して数式化できないもう一つのランダムウオークによって誘導される。魔術師とともにこの数字の波をものにするためには、無機質なアングロサクソン流合理主義をテイストに、カネ地獄に脅え悪魔と化した銀行をツールとして、二度と訪れないリアルを信じ、ミラクルなタイミングのディールこそにチャージすることだ。マーケットというジャングルが、デジタルマネーを壮絶に喰らい尽くす!若者よ、ソウルの波動を感じ続けよ!
不定期的に外国文学にも触れたりします。今回はトォマス・マンの『ヴェニスに死す』を読むのです。
−初老の小説家グスタァフ・アッシェンバッハは、芸術と自分の生活とのバランスを保ちながら、世間的な名声も既に手にする芸術家であった。ふと思い立って発った旅先で、彼はポーランド人の美しい少年に出会う。ヴェニスの街に恐るべき疫病が侵攻する中で、深まる少年への想いはアッシェンバッハの自己と芸術のバランスを喪失させてゆく。芸術という貪欲かつ恐怖なる神と、ギリシャ美を表す少年タッジオと、ヴェニスに取り憑かれたアッシェンバッハの精神とソウルの交流劇。
恐ろしいと噂に聞いた作品2冊目。ホラー小説大賞もとった岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』を読む。岡山地方の方言で「とても、恐い」という意味。うん結構恐いな。荒俣弘が講評してるけど、プロレタリア文学の残酷描写はもはやホラー並みであると。明治時代の地方農村のリアルな描写。確かにきょうてえ(恐い)ものがあるわね。
−「きょうてえきょうてえ夢を見りゃあせんじゃろか?」 岡山のとある遊郭で、客と遊女の寝物語が始まる。それは恐ろしい恐ろしい農村の話だった。 「それでもええて?…そんなら話そうか……」
山田悠介のデビュー作『リアル鬼ごっこ』を読みました。マンガ化もされたっけねこれ。10代の頃の作品はつたない文章で浅いですね。期待はずれの声も多いようですがネタ的にはすきです。
−「全国の“佐藤”姓を皆殺しにせよ!」 一人の狂った王様が発案した計画「リアル鬼ごっこ」とは、一日一時間ずつ7日間を全国500万人の“佐藤”さん達が、「鬼」から逃げまどうという国家主催のビッグイベント。捕まれば死。最終日まで逃げ切った者には王様が直々に一つだけ願い事を叶えてくれるという特典付き。あのタレントもあのスポーツ選手も、鬼ごっこに参加することになってしまった。 大学陸上部短距離界の新星・佐藤翼は、14年前に生き別れた妹・佐藤愛を探すため、「鬼」から逃げ切り生き残ることを誓う。 全ての人々の思いが交錯する中、いま壮絶な「鬼ごっこ」が開始される!
此社会、或破壊につき… “9”
2006年3月2日 戯言戯言諸々その他僕は結局新卒フリーターかなあ。だが何も理解せず逃げた末になりたくはない。ここまで理解してて、それでも僕がフリーターに走ることが、結局は問題なのではないのかなってのも思う。いずれは金よりも時間やソウルを選ばなければならなくなるtakebonoさんは、今だからこそ企業社会を見ておこうとも思ってるよ。
2007年を契機に、団塊世代が大量退職する。現在の団塊就業者は約500万人。現在推測されるフリーター&ニートの総数も約500万人。高い給料を貰っていた団塊中年の代わりに、その穴を低賃金フリーター共が埋める。熟練技能の継承などに不安は残すものの、一気にフリーター問題は解決するし、企業の人件費も一気に減少するから、新たな雇用もガンガン生まれる。 …これが一番前向きな未来予測。だけど、「そのビールをジュースに替えて〜」(はい内輪ネタ)なんて都合良くいくものなのかな。人間はそんな簡単じゃないだろ。
若者の労働社会への不信感もすごいが、労働社会による若者不信もすごい。「職業意識と知能・技能がない」という理由で、企業はフリーターを評価しない(厚生労働省『雇用管理調査』)。 小杉礼子の『フリーターという生き方』によると、フリーターを「脱」し正社員になった人のケースは、フリーター経験が1年未満の人であり、企業も1年くらいなら浪人や留年と同じくらいで受け止めるそうだ。「脱フリーター」の動機は、やはり「結婚」が主である。生活苦や家計の維持など、差し迫った理由がある場合は本人が積極的に正社員へ変わろうと動き出すことにも特徴がある。やはり豊かさが生んだニュータイプなのですか。 女性に関しては、正社員の道が男性よりも厳しいから、フリーターをある意味肯定的に捉えているともいう。どこかに結婚(夫)への依存もあるだろうけど、僕は女性はシンデレラでいいとも思ってる。
フリーターの就職先受け皿として中小企業が注目されている。高度成長期には大企業の若年労働力確保力と対抗するため、中途採用に力を入れフレキシブルな人材獲得をしてきた中小企業だからこそ、フリーター再生の力を秘めているという。いいかもしんない中小企業。管理がアバウトな中で底力がつくのだね。でも僕は不採用だったがね。
企業が採用で重視するのは「年齢」で、上限は「25歳」。その次は「30歳」が多い。前者が新卒者枠、後者が第2新卒者(学校卒業後6ヶ月以上5年以下の間隔)枠といえる。長寿高齢社会のくせに、20代が大きな分岐点となっているところが就活での大きな「壁」ともいわれている。
フリーターはその後どうなるのか。団塊世代が消え、景気が上向き、企業の新卒者採用意欲が高まったとしてもその後で中高年フリーターは置き去りにされているかもしれない。2002年時点で中高年男性フリーターは100万人時代であります。
最初からフリーターになりずっとフリーターで在り続ける「漂流組」がいる一方で、真面目に働いてきたのにリストラ等で失職或いは非正規社員になった人たちもいる。よく聞くけど、リストラは社内での「いじめ」の形をとることが多い。普通の退職よりも「自己都合退職」に追い込めば、退職金の扱い等で会社負担がかなり減るからだ(これは実態は凄まじく酷い)。教育問題で「いじめ」が問題になる以前に、大人社会で公認されてる「いじめ」に対し、牙をむいて噛み付けと言いたい。迫害された者が今さら何を脅えるのか。 リストラを飲んで「自主都合退職」するか、「いじめ」られるか。多くのお父さんが「妻や家族には言えない」で、頭抱えてる。プライドと家族崩壊を恐れてか。 「いじめはいけません」なんてよく言えたもんだよなどっかの先生オイそこのあなただ。
僕にはそんなものはまるでないけど、「男は稼いで一人前」というジェンダー神話が根強いとされるこの国では、男性が抱く経済から疎外される屈辱感と焦りは相当なものだという。知ったことか、と思うが。
経営難だとしても、市場原理を唱うなら、雇用を守れない時点で企業は倒産すればいい。ピンハネされてんのはいつも末端だ。底辺のくせに何を恐れているのか。そんなことを言っちゃあダメですか? 日本経済を憂う前に、首が絞まってるのは末端労働者の生活。経営側が目先を追うのなら、労働者側も自分らの利益を守り抜くことを優先し考えるべきだろ。も一度言う。労働者を守りきれない企業は倒産すればいい。生き残ることに悔い改めてよ。犠牲の上の勝利に何の意味があるのかって。だから、お願い。どうか社会的責任を果たしてほしい。いじめはやめてほしい。自己責任が、万人の闘争への一歩になってしまってゆくようで、たまらない。できることなら、傷つけ合いたくないんだ。
フリーターはじゃあ正社員を目指すべきなのか?どっかの政治家が叫ぶように。
これまで「非正社員」を問題として捉えてきたけど、じゃあ「正社員」はホントにすばらしいのかって? まぁそんなわきゃーないよねー。
「ワーク・ライフ・バランス(仕事と私生活の両立)」が最近よく叫ばれていますが、雇用の実態を見ればそんなものはお話にもならないクズ題目だということがわかります。ハッキリ言って、日本の労働社会は働き過ぎ、働かせすぎ、働かされすぎの悪性三拍子。
激務と忙殺。育休無し(女性は妊娠したら辞める)。自己判断でありながら半強制的な残業。セクハラ。パワハラ。いじめ。不払い残業(最近はサービス残業とは言わない)。無理なノルマと締め付け。無関心な労組。醜悪に煽られるガンバリズム。従えなければまたいじめ。そもそも異常な長時間労働(高度成長時に比べ時短が進んでいるというのも見かけ上のものであることが言われている)。近年では成果主義の導入が拍車をかけているともされている。 バランスなんて初めから無い。そうやって成り立ってる。みんなで成り立たせてる。
「正社員は多忙すぎる反面、賃金面でもかつてのような厚遇は受けない。そんな実態を若い世代はよく見抜いている。豊かな時代を生きる彼らは、だからこそ、青春の一時期、フリーターを選択したいと考える。正社員になっても、フリーターになっても、夢が持ちにくいのが現状である」(p132)
どっちがリアルかって。現実見てるのは誰なんだって。だからさ、証明してほしいんだよ。いつも、そうなんだよ。
〔続く〕 [編集する]
2007年を契機に、団塊世代が大量退職する。現在の団塊就業者は約500万人。現在推測されるフリーター&ニートの総数も約500万人。高い給料を貰っていた団塊中年の代わりに、その穴を低賃金フリーター共が埋める。熟練技能の継承などに不安は残すものの、一気にフリーター問題は解決するし、企業の人件費も一気に減少するから、新たな雇用もガンガン生まれる。 …これが一番前向きな未来予測。だけど、「そのビールをジュースに替えて〜」(はい内輪ネタ)なんて都合良くいくものなのかな。人間はそんな簡単じゃないだろ。
若者の労働社会への不信感もすごいが、労働社会による若者不信もすごい。「職業意識と知能・技能がない」という理由で、企業はフリーターを評価しない(厚生労働省『雇用管理調査』)。 小杉礼子の『フリーターという生き方』によると、フリーターを「脱」し正社員になった人のケースは、フリーター経験が1年未満の人であり、企業も1年くらいなら浪人や留年と同じくらいで受け止めるそうだ。「脱フリーター」の動機は、やはり「結婚」が主である。生活苦や家計の維持など、差し迫った理由がある場合は本人が積極的に正社員へ変わろうと動き出すことにも特徴がある。やはり豊かさが生んだニュータイプなのですか。 女性に関しては、正社員の道が男性よりも厳しいから、フリーターをある意味肯定的に捉えているともいう。どこかに結婚(夫)への依存もあるだろうけど、僕は女性はシンデレラでいいとも思ってる。
フリーターの就職先受け皿として中小企業が注目されている。高度成長期には大企業の若年労働力確保力と対抗するため、中途採用に力を入れフレキシブルな人材獲得をしてきた中小企業だからこそ、フリーター再生の力を秘めているという。いいかもしんない中小企業。管理がアバウトな中で底力がつくのだね。でも僕は不採用だったがね。
企業が採用で重視するのは「年齢」で、上限は「25歳」。その次は「30歳」が多い。前者が新卒者枠、後者が第2新卒者(学校卒業後6ヶ月以上5年以下の間隔)枠といえる。長寿高齢社会のくせに、20代が大きな分岐点となっているところが就活での大きな「壁」ともいわれている。
フリーターはその後どうなるのか。団塊世代が消え、景気が上向き、企業の新卒者採用意欲が高まったとしてもその後で中高年フリーターは置き去りにされているかもしれない。2002年時点で中高年男性フリーターは100万人時代であります。
最初からフリーターになりずっとフリーターで在り続ける「漂流組」がいる一方で、真面目に働いてきたのにリストラ等で失職或いは非正規社員になった人たちもいる。よく聞くけど、リストラは社内での「いじめ」の形をとることが多い。普通の退職よりも「自己都合退職」に追い込めば、退職金の扱い等で会社負担がかなり減るからだ(これは実態は凄まじく酷い)。教育問題で「いじめ」が問題になる以前に、大人社会で公認されてる「いじめ」に対し、牙をむいて噛み付けと言いたい。迫害された者が今さら何を脅えるのか。 リストラを飲んで「自主都合退職」するか、「いじめ」られるか。多くのお父さんが「妻や家族には言えない」で、頭抱えてる。プライドと家族崩壊を恐れてか。 「いじめはいけません」なんてよく言えたもんだよなどっかの先生オイそこのあなただ。
僕にはそんなものはまるでないけど、「男は稼いで一人前」というジェンダー神話が根強いとされるこの国では、男性が抱く経済から疎外される屈辱感と焦りは相当なものだという。知ったことか、と思うが。
経営難だとしても、市場原理を唱うなら、雇用を守れない時点で企業は倒産すればいい。ピンハネされてんのはいつも末端だ。底辺のくせに何を恐れているのか。そんなことを言っちゃあダメですか? 日本経済を憂う前に、首が絞まってるのは末端労働者の生活。経営側が目先を追うのなら、労働者側も自分らの利益を守り抜くことを優先し考えるべきだろ。も一度言う。労働者を守りきれない企業は倒産すればいい。生き残ることに悔い改めてよ。犠牲の上の勝利に何の意味があるのかって。だから、お願い。どうか社会的責任を果たしてほしい。いじめはやめてほしい。自己責任が、万人の闘争への一歩になってしまってゆくようで、たまらない。できることなら、傷つけ合いたくないんだ。
フリーターはじゃあ正社員を目指すべきなのか?どっかの政治家が叫ぶように。
これまで「非正社員」を問題として捉えてきたけど、じゃあ「正社員」はホントにすばらしいのかって? まぁそんなわきゃーないよねー。
「ワーク・ライフ・バランス(仕事と私生活の両立)」が最近よく叫ばれていますが、雇用の実態を見ればそんなものはお話にもならないクズ題目だということがわかります。ハッキリ言って、日本の労働社会は働き過ぎ、働かせすぎ、働かされすぎの悪性三拍子。
激務と忙殺。育休無し(女性は妊娠したら辞める)。自己判断でありながら半強制的な残業。セクハラ。パワハラ。いじめ。不払い残業(最近はサービス残業とは言わない)。無理なノルマと締め付け。無関心な労組。醜悪に煽られるガンバリズム。従えなければまたいじめ。そもそも異常な長時間労働(高度成長時に比べ時短が進んでいるというのも見かけ上のものであることが言われている)。近年では成果主義の導入が拍車をかけているともされている。 バランスなんて初めから無い。そうやって成り立ってる。みんなで成り立たせてる。
「正社員は多忙すぎる反面、賃金面でもかつてのような厚遇は受けない。そんな実態を若い世代はよく見抜いている。豊かな時代を生きる彼らは、だからこそ、青春の一時期、フリーターを選択したいと考える。正社員になっても、フリーターになっても、夢が持ちにくいのが現状である」(p132)
どっちがリアルかって。現実見てるのは誰なんだって。だからさ、証明してほしいんだよ。いつも、そうなんだよ。
〔続く〕 [編集する]
卒業間近なんだなあ
2006年3月1日就活に行くつもりだったけど、学校に用事があることを思い出してキャンセル。雨の中、学校へ。
THさんに会ったので食堂で少し話しこみました。思えば大学1年生の時の彼女との最初の出会いが、僕の大学生活におけるソウルの始まりでもありました。きっとこの先どちらかが倒れても、どちらかが世界をよりよくしてゆくことを、どこかで僕は信じているのです。卒業して、もう長いこと会えなくなったとしても、僕はきっといろんな事を忘れないでしょう。この出会いが何かを動かしたこととかをね。後に奇跡を超えるような奇跡に、この繋がりが人脈となってゆけばよいのだと。THさんの背中が一瞬セピアに見えました。次会うときは、お互い変わっているのだろうな。願わくば、あの頃のように、希望のような何かを信じながら、再び何かを共に起こしたいものです。 卒業って寂しいなあ。すごく寂しい。くっそ。卒業したくないよ。
夜はTAの家に飲みに行った。また本貸してもらった。同じゼミでクズ?1を争うTAと僕。でもどこかで、この世界、こっち側の居心地の良さというかそんなもの感じるのさ。長居はしないけどね。どっちが先にソウルフルにイカれた作品でデビューするか、競争だぜ。
TAは今夜あと数時間後の夜行で東京を発って独り卒業旅行だと。いいなあ。あんなに飲んでんのに大丈夫かなあ。
ふと最近、法律か語学をやりたいなと思った。就職できてもできなくても、どっちかはやっていこうと思った。なんでかって。ソウルフルだからだ。
THさんに会ったので食堂で少し話しこみました。思えば大学1年生の時の彼女との最初の出会いが、僕の大学生活におけるソウルの始まりでもありました。きっとこの先どちらかが倒れても、どちらかが世界をよりよくしてゆくことを、どこかで僕は信じているのです。卒業して、もう長いこと会えなくなったとしても、僕はきっといろんな事を忘れないでしょう。この出会いが何かを動かしたこととかをね。後に奇跡を超えるような奇跡に、この繋がりが人脈となってゆけばよいのだと。THさんの背中が一瞬セピアに見えました。次会うときは、お互い変わっているのだろうな。願わくば、あの頃のように、希望のような何かを信じながら、再び何かを共に起こしたいものです。 卒業って寂しいなあ。すごく寂しい。くっそ。卒業したくないよ。
夜はTAの家に飲みに行った。また本貸してもらった。同じゼミでクズ?1を争うTAと僕。でもどこかで、この世界、こっち側の居心地の良さというかそんなもの感じるのさ。長居はしないけどね。どっちが先にソウルフルにイカれた作品でデビューするか、競争だぜ。
TAは今夜あと数時間後の夜行で東京を発って独り卒業旅行だと。いいなあ。あんなに飲んでんのに大丈夫かなあ。
ふと最近、法律か語学をやりたいなと思った。就職できてもできなくても、どっちかはやっていこうと思った。なんでかって。ソウルフルだからだ。
此社会、或破壊につき… “8”
2006年2月28日 戯言戯言諸々その他雇用は破壊されかけてる。そいつを論じる。ただ、それを「破壊」と見るかはわからない。しかし実際に「労働」というものがどこか従来の終身雇用型のものから、様々な面で変わりつつあることは否めません。
まず非正規社員の増加。そして先に述べたようにフリーターの雇用形態が直接雇用から間接雇用に移りつつあること。企業が正社員やバイトを直接雇うのではなくて、派遣会社から派遣してもらったり請負会社に代行してもらったりするケースだ。派遣という形。これだと人事管理が簡単になり、社員教育投資もいらない。福利厚生も社会保険も雇用保険も、退職金のための引当金(将来積立金)も、負担はゼロ。そりゃ借りてるだけだからね。残業手当も有給も関与しない。 働く側から見れば、別会社へ送り込まれてるということになる。ここにも色々問題が生じてる。いろんな面で不安定だなと思う。ポスト終身雇用型の課題は多い。
有名なトヨタの「カンバン方式」だとか、或いは「受注生産」だとか。オンデマンドだとか。いまや労働力がそれ。人間が「効率的」な名の下のそれ。多様で実に効率的に人は使い回され、使い捨てられる。全ては金と契約。義理も人情も努力論も精神論もそこに入る余地はない。労働はもう尊いものでは無い。労働の尊さを巡ってはよく両親と意見が衝突する。僕はアフターバブル世代だからだ。 オール自己責任。そして、だからこそ自分で自分を守らなきゃいけない時代。
製造業現場はいま派遣社員、請負社員、外国人労働者でもっている。深夜や早朝のきつくて単調で低賃金労働を彼らが引き受ける。その数の公式統計は存在しない。 熾烈なグローバル競争下にあり、多くの製造業が東アジアに工場を作り安価な労働力として現地人を雇う中で、対抗するには日本国内の工場も安価な労働力を使わざるをえない。それを担うのが彼ら。労働者派遣法の改正により、2004年から派遣社員は製造業現場でも働けるようになった。現場では、正社員、請負社員、派遣社員三者の使い分けが課題になっているし、貸し借り先の企業現場での指揮・命令の在り方とか、人間関係とか、すっげえ複雑になっていろいろ混乱してるそうだ。ポスト終身雇用型は、水面下では問題続出なのだろう。
近年流行りだした「個人請負」という形。個人が企業から業務を請け負ったり委託契約されたりする「個人事業主」になれる!という画期的システム。あなたもわたしも「個人事業主」♪。一見素敵そうけど、これがとんでもないんだってさ。「雇用」じゃないから、「労働者」として何の保護も受けられないことになるのだと。雇用保険も社会保険も何も無い。「雇用契約」じゃなくて「委託契約」故にだ。だけど、素敵なはずの「個人事業主」が、実際は別に専門仕事でもなく普通の末端労働をしてたりするんだって。職人とかじゃなくてまぎれもなく「労働者」やってたりするんだって。じゃあ「労働者」のはずだろが!要するに企業は本来すべき負担をもしたくないから、こんな卑劣なロジックまで生み出しやがったてこと。汚いな。 非正社員社会のシステムの隙間につけ込む企業によって労働問題は続出してる(例は書きたくもないほど酷いものばかりだ)けど、ほとんどの個人は泣き寝入りしてる。
法令遵守(コンプライアンス)なんて死語? それくらい企業は法律を守ってない。膨大な数の労働問題があり、これまでにそんなものはいくらでも見聞きしてきた。酷いものばかりだよ。 今回はその一般例として、企業の社会保険料逃れの手口を紹介しよう。
まずあるパート女性が、老後不安だから厚生年金に加入したいと考えたとする。その場合企業側は、加入すれすれの所で仕事時間を組み立てるのだ。第2号被保険者は、1日の所定労働時間が正社員の4分の3即ち週30時間以上勤務が条件なので、悪質事業主は週27、8時間に設定したりする。厚生年金への加入条件を満たす従業員がいるのに加入させてない事業所は、2004社保庁調査で2万7200に及ぶ。もちろん氷山の一角だ。こんな実態に憤ったら、社会保険事務所に訴え出ましょう(匿名OK)。
他にはこんなケース。 就労が2ヶ月以内の短期労働者は厚生年金適用が除外される。そこを狙ったもの。つまり2ヶ月以内で更新を繰り返して労働者を社会保険に加入させないのです。どこまで卑劣なのか。
大手の有名製造業の多くは請負労働者を活用してます。請負業界自体が、急成長な分だけ不透明な業界です。管理体制が未熟だったり、非上場企業も多い。傘下会社の名前を頻繁に変更するケースもある。そんな業界だ。法律遵守なんて初めから眼中にないのかも。
いろんな人が、企業社会の悪意の部分の前に、泣き寝入りしてる。
強くなりたい。もう自分が生き残るためだけじゃない。僕はいつもそうかもしれない。テリーマンと同じだ。この世に生をうけて、強者が嫌いだった。なめられるのが嫌いだった。弱い者いじめは殺してやりたくなる程嫌いだった。強者の正義や、「正常」な人の「正しい」判断や、世俗の「常識」や、安易なトレンドへの安息も、そしてやられっぱなしの弱者や烏合の衆も大嫌いだった。 僕がこの世でやっと見つけたものまで破壊されはしない。こんな腐った世界でも、誠実でささやかに生きてゆこうとする優しさが、踏みつけられてねじ曲がったり潰れちゃったりするのは、もう見たくないし、僕は時々キレそうになるんだ。
〔続く〕
まず非正規社員の増加。そして先に述べたようにフリーターの雇用形態が直接雇用から間接雇用に移りつつあること。企業が正社員やバイトを直接雇うのではなくて、派遣会社から派遣してもらったり請負会社に代行してもらったりするケースだ。派遣という形。これだと人事管理が簡単になり、社員教育投資もいらない。福利厚生も社会保険も雇用保険も、退職金のための引当金(将来積立金)も、負担はゼロ。そりゃ借りてるだけだからね。残業手当も有給も関与しない。 働く側から見れば、別会社へ送り込まれてるということになる。ここにも色々問題が生じてる。いろんな面で不安定だなと思う。ポスト終身雇用型の課題は多い。
有名なトヨタの「カンバン方式」だとか、或いは「受注生産」だとか。オンデマンドだとか。いまや労働力がそれ。人間が「効率的」な名の下のそれ。多様で実に効率的に人は使い回され、使い捨てられる。全ては金と契約。義理も人情も努力論も精神論もそこに入る余地はない。労働はもう尊いものでは無い。労働の尊さを巡ってはよく両親と意見が衝突する。僕はアフターバブル世代だからだ。 オール自己責任。そして、だからこそ自分で自分を守らなきゃいけない時代。
製造業現場はいま派遣社員、請負社員、外国人労働者でもっている。深夜や早朝のきつくて単調で低賃金労働を彼らが引き受ける。その数の公式統計は存在しない。 熾烈なグローバル競争下にあり、多くの製造業が東アジアに工場を作り安価な労働力として現地人を雇う中で、対抗するには日本国内の工場も安価な労働力を使わざるをえない。それを担うのが彼ら。労働者派遣法の改正により、2004年から派遣社員は製造業現場でも働けるようになった。現場では、正社員、請負社員、派遣社員三者の使い分けが課題になっているし、貸し借り先の企業現場での指揮・命令の在り方とか、人間関係とか、すっげえ複雑になっていろいろ混乱してるそうだ。ポスト終身雇用型は、水面下では問題続出なのだろう。
近年流行りだした「個人請負」という形。個人が企業から業務を請け負ったり委託契約されたりする「個人事業主」になれる!という画期的システム。あなたもわたしも「個人事業主」♪。一見素敵そうけど、これがとんでもないんだってさ。「雇用」じゃないから、「労働者」として何の保護も受けられないことになるのだと。雇用保険も社会保険も何も無い。「雇用契約」じゃなくて「委託契約」故にだ。だけど、素敵なはずの「個人事業主」が、実際は別に専門仕事でもなく普通の末端労働をしてたりするんだって。職人とかじゃなくてまぎれもなく「労働者」やってたりするんだって。じゃあ「労働者」のはずだろが!要するに企業は本来すべき負担をもしたくないから、こんな卑劣なロジックまで生み出しやがったてこと。汚いな。 非正社員社会のシステムの隙間につけ込む企業によって労働問題は続出してる(例は書きたくもないほど酷いものばかりだ)けど、ほとんどの個人は泣き寝入りしてる。
法令遵守(コンプライアンス)なんて死語? それくらい企業は法律を守ってない。膨大な数の労働問題があり、これまでにそんなものはいくらでも見聞きしてきた。酷いものばかりだよ。 今回はその一般例として、企業の社会保険料逃れの手口を紹介しよう。
まずあるパート女性が、老後不安だから厚生年金に加入したいと考えたとする。その場合企業側は、加入すれすれの所で仕事時間を組み立てるのだ。第2号被保険者は、1日の所定労働時間が正社員の4分の3即ち週30時間以上勤務が条件なので、悪質事業主は週27、8時間に設定したりする。厚生年金への加入条件を満たす従業員がいるのに加入させてない事業所は、2004社保庁調査で2万7200に及ぶ。もちろん氷山の一角だ。こんな実態に憤ったら、社会保険事務所に訴え出ましょう(匿名OK)。
他にはこんなケース。 就労が2ヶ月以内の短期労働者は厚生年金適用が除外される。そこを狙ったもの。つまり2ヶ月以内で更新を繰り返して労働者を社会保険に加入させないのです。どこまで卑劣なのか。
大手の有名製造業の多くは請負労働者を活用してます。請負業界自体が、急成長な分だけ不透明な業界です。管理体制が未熟だったり、非上場企業も多い。傘下会社の名前を頻繁に変更するケースもある。そんな業界だ。法律遵守なんて初めから眼中にないのかも。
いろんな人が、企業社会の悪意の部分の前に、泣き寝入りしてる。
強くなりたい。もう自分が生き残るためだけじゃない。僕はいつもそうかもしれない。テリーマンと同じだ。この世に生をうけて、強者が嫌いだった。なめられるのが嫌いだった。弱い者いじめは殺してやりたくなる程嫌いだった。強者の正義や、「正常」な人の「正しい」判断や、世俗の「常識」や、安易なトレンドへの安息も、そしてやられっぱなしの弱者や烏合の衆も大嫌いだった。 僕がこの世でやっと見つけたものまで破壊されはしない。こんな腐った世界でも、誠実でささやかに生きてゆこうとする優しさが、踏みつけられてねじ曲がったり潰れちゃったりするのは、もう見たくないし、僕は時々キレそうになるんだ。
〔続く〕
不採用祝い飲み2
2006年2月27日
MM氏の家で飲み。不採用祝い飲み。
色々お世話になり、ごちそうさまでした。
かなり様々な範囲でMM氏と語り合っていたら、明け方近くまで飲んでしまいました。2夜連続か。ではは。
MM氏とは結構何でも話せる間柄で、思想もイデオロギも大体近いしね。頼りになるアニキて感じです。
僕らの人生が、どんどん楽しくなってけばさ、またそれが誠実なもので在れる居場所であればさ。なんか盛り上げていきたいよこれからも。
そうさ。最悪でも死ぬだけだもんね。
色々な人が手を繋げられればな。奇跡だと思うのだよね。
引っ越し先には僕の誇るくずメートたちを連れて遊びに行こうかなー。
明日二日酔いだなー。
写真はMM氏の家のねこさんです。かわいいわあもうおとなしくて。
色々お世話になり、ごちそうさまでした。
かなり様々な範囲でMM氏と語り合っていたら、明け方近くまで飲んでしまいました。2夜連続か。ではは。
MM氏とは結構何でも話せる間柄で、思想もイデオロギも大体近いしね。頼りになるアニキて感じです。
僕らの人生が、どんどん楽しくなってけばさ、またそれが誠実なもので在れる居場所であればさ。なんか盛り上げていきたいよこれからも。
そうさ。最悪でも死ぬだけだもんね。
色々な人が手を繋げられればな。奇跡だと思うのだよね。
引っ越し先には僕の誇るくずメートたちを連れて遊びに行こうかなー。
明日二日酔いだなー。
写真はMM氏の家のねこさんです。かわいいわあもうおとなしくて。
不採用祝い飲み
2006年2月26日Oくん家で飲み。不採用祝い飲み。
Aさんだらけすぎ。Oくんをパシリに使いすぎ。
とりわけEつんとたくさん語れて楽しかったなあ。Eつんとは語り合えるからすきです。
もういっかなとか思ってたけどmy就活。もう1、2社うけることにしました。Eつんと話してて、やっぱ正社員はいいなと思ったし。それに、就職したいとか進路云々だとか、もはやそういうものよりもいまは
「このままじゃ…このままじゃ…、気がすまねえんだ」(by不知火守)
て感じだから。
「完全決着を望むなら…」(byドリアン)
徹底してやる。今度は。しくじらない。ああしてればよかったとか、こうしてればなあとか、あれを使ったら勝てたとか、そんなものが入り込む余裕が微塵もないくらい、もう遅いのかも知れないけど、完全敗北を知りたいのです。
「張れっ…手痛く負けたときこそ、胸をっ…」(byカイジ)
誰か、僕にあと2打席をください。
あっ、takebonoくん。バットを金属バットに替えてきましたっ。
「腕力だ!バッティングは腕力だぜ!」(by賀間)
みんな、みててね。
Aさんだらけすぎ。Oくんをパシリに使いすぎ。
とりわけEつんとたくさん語れて楽しかったなあ。Eつんとは語り合えるからすきです。
もういっかなとか思ってたけどmy就活。もう1、2社うけることにしました。Eつんと話してて、やっぱ正社員はいいなと思ったし。それに、就職したいとか進路云々だとか、もはやそういうものよりもいまは
「このままじゃ…このままじゃ…、気がすまねえんだ」(by不知火守)
て感じだから。
「完全決着を望むなら…」(byドリアン)
徹底してやる。今度は。しくじらない。ああしてればよかったとか、こうしてればなあとか、あれを使ったら勝てたとか、そんなものが入り込む余裕が微塵もないくらい、もう遅いのかも知れないけど、完全敗北を知りたいのです。
「張れっ…手痛く負けたときこそ、胸をっ…」(byカイジ)
誰か、僕にあと2打席をください。
あっ、takebonoくん。バットを金属バットに替えてきましたっ。
「腕力だ!バッティングは腕力だぜ!」(by賀間)
みんな、みててね。
此社会、或破壊につき… “7”
2006年2月25日 戯言戯言諸々その他学びのブログ再開です。つうか、こんなもん書きながら就活するような奴がかつていただろうか。落ちて当然か。しかたなや。
では今日は、殆ど蔑ろにされているけど日本の労働法律について少し論じます。これは本当に大事なことなのです。僕なんかが本来論じるようなことではないのです。もっと詳しいことを知りたい人は是非『ポケット労働法』を一読。
まず労働基準法では、採用時の雇用契約において、書面での労働条件提示をしなければならない。そして就業規則の開示もしなければならない。…って知ってた? 僕ら若者はそんなこと全然知らないような気がする。契約して働き始めてから「条件が違う」「賃金が違う」「働く内容・場所が違う」というトラブルがいま(に限ったことではないが)続出してるそうだ。無知の代償は大きい。
同じく労基法では、「6ヶ月間の連続勤務、全労働日の8割以上出勤」という条件を満たせば、非正規社員でも有給休暇を取れることになってる。でも調査によると半数が「ない」と答える。事業主の裁量に任される退職金制度も、6割以上が「ない」。ボーナスも過半数は「ない」。厚生労働省が出した「短時間労働者の雇用改善に関する指針」では、「賃金だけでなく賞与や退職金も、就業の実態や通常労働者との「均衡」を考慮し定めるように「努め」なさい」と規定してある。もちろん実際には「努め」られていない。罰則規定がない法律がザル法だってことは僕だって知ってる。国は見て見ぬふりってことです。
不払い残業(サービス残業)については、労基署が2003年度に支払いを行わせたケースは1184企業(支払額100万以上の企業)。対象労働者数は19万4653人。支払額は238億7466万円。これでも氷山の一角とされています。 不払い残業がまかり通るおかげで、企業は本来2人必要な現場で1人に2人分働かせたりしてます。全ての不払い残業を支払わせることができれば、またそれが慣習的になっていけば、ちゃんと2人必要な現場では2人雇うようになるのだと思う。多忙なのに雇用が無いなんて本来バカげたことだと僕は思う。そしてこの場合、経営難は別問題にしたい。会社を倒産から守りたいのなら、経営者及び自分の限界と相談して我慢すればいいだけのことだからだ。不安定就業者の方々は我慢するメリットはないと思うけどね。末端のくせにこれ以上何を堪え忍ぶんだ?って思う。 そして違法の証拠、言質、労働時間を証明するものは常に確保しておくことです。団体交渉・示談・裁判で有利になるからだ。
1カ所の仕事だけでは生活できないので、数カ所を掛け持ちする「複合就労」が、特に女性の非正規労働者に増えてきている。そんな昨今は実に様々な問題が続出し、ユニオンなどに寄せられてる。 …有期雇用1ヶ月更新は当たり前。使用期間に成果が出なければお払い箱。パートといえども企業が雇用する場合は労働条件の明示が必要なのに、就業規則も見せない。労働条件もちゃんと取り決めない。契約書のコピーを渡さない。「社会保険に入れますか」と言うと「そんなことを聞くのはあなたが初めてだ」と言う。社会保険に加入すれば時間給を引き下げられる。etc… 今流行りのCSR(企業の社会的責任)なんてどこにある? こんな風に、一部の企業は法令など無視して抜け道ばかりを探しまくってるんだよ。
会社が法律に違反する働き方をさせた場合、その事実を労働者は労働基準監督署に申告することができます。(我が親愛なる横暴フレンドSK兄はちゃんとこの仕組みを知ってますよ。嬉しい限りです) 雇用が破壊され、健康すら破壊されそうなとき、この労基法一〇四条を使いましょう。本人だけじゃなく家族の情報提供でも労基署は動きます(自分で思考できなくなってるケースもあるから)。自分を、そして愛するパートナーや家族を守るために、どうかこの法律があることを忘れないで下さい。そして、takebonoさんがいることも忘れないで下さい。何度だって言います。僕は優しい人の味方だ。
〔続く〕
では今日は、殆ど蔑ろにされているけど日本の労働法律について少し論じます。これは本当に大事なことなのです。僕なんかが本来論じるようなことではないのです。もっと詳しいことを知りたい人は是非『ポケット労働法』を一読。
まず労働基準法では、採用時の雇用契約において、書面での労働条件提示をしなければならない。そして就業規則の開示もしなければならない。…って知ってた? 僕ら若者はそんなこと全然知らないような気がする。契約して働き始めてから「条件が違う」「賃金が違う」「働く内容・場所が違う」というトラブルがいま(に限ったことではないが)続出してるそうだ。無知の代償は大きい。
同じく労基法では、「6ヶ月間の連続勤務、全労働日の8割以上出勤」という条件を満たせば、非正規社員でも有給休暇を取れることになってる。でも調査によると半数が「ない」と答える。事業主の裁量に任される退職金制度も、6割以上が「ない」。ボーナスも過半数は「ない」。厚生労働省が出した「短時間労働者の雇用改善に関する指針」では、「賃金だけでなく賞与や退職金も、就業の実態や通常労働者との「均衡」を考慮し定めるように「努め」なさい」と規定してある。もちろん実際には「努め」られていない。罰則規定がない法律がザル法だってことは僕だって知ってる。国は見て見ぬふりってことです。
不払い残業(サービス残業)については、労基署が2003年度に支払いを行わせたケースは1184企業(支払額100万以上の企業)。対象労働者数は19万4653人。支払額は238億7466万円。これでも氷山の一角とされています。 不払い残業がまかり通るおかげで、企業は本来2人必要な現場で1人に2人分働かせたりしてます。全ての不払い残業を支払わせることができれば、またそれが慣習的になっていけば、ちゃんと2人必要な現場では2人雇うようになるのだと思う。多忙なのに雇用が無いなんて本来バカげたことだと僕は思う。そしてこの場合、経営難は別問題にしたい。会社を倒産から守りたいのなら、経営者及び自分の限界と相談して我慢すればいいだけのことだからだ。不安定就業者の方々は我慢するメリットはないと思うけどね。末端のくせにこれ以上何を堪え忍ぶんだ?って思う。 そして違法の証拠、言質、労働時間を証明するものは常に確保しておくことです。団体交渉・示談・裁判で有利になるからだ。
1カ所の仕事だけでは生活できないので、数カ所を掛け持ちする「複合就労」が、特に女性の非正規労働者に増えてきている。そんな昨今は実に様々な問題が続出し、ユニオンなどに寄せられてる。 …有期雇用1ヶ月更新は当たり前。使用期間に成果が出なければお払い箱。パートといえども企業が雇用する場合は労働条件の明示が必要なのに、就業規則も見せない。労働条件もちゃんと取り決めない。契約書のコピーを渡さない。「社会保険に入れますか」と言うと「そんなことを聞くのはあなたが初めてだ」と言う。社会保険に加入すれば時間給を引き下げられる。etc… 今流行りのCSR(企業の社会的責任)なんてどこにある? こんな風に、一部の企業は法令など無視して抜け道ばかりを探しまくってるんだよ。
会社が法律に違反する働き方をさせた場合、その事実を労働者は労働基準監督署に申告することができます。(我が親愛なる横暴フレンドSK兄はちゃんとこの仕組みを知ってますよ。嬉しい限りです) 雇用が破壊され、健康すら破壊されそうなとき、この労基法一〇四条を使いましょう。本人だけじゃなく家族の情報提供でも労基署は動きます(自分で思考できなくなってるケースもあるから)。自分を、そして愛するパートナーや家族を守るために、どうかこの法律があることを忘れないで下さい。そして、takebonoさんがいることも忘れないで下さい。何度だって言います。僕は優しい人の味方だ。
〔続く〕