ときどき凄まじく遠くに行きたくなるときが君にもあるだろうか?ホームで逆方向の電車に飛び乗ろうとしたことがあなたにもあっただろうか?
今回は、takebonoが初めて一人であてもなく遠くに行こうと思ったときの話だよ。その後すきになってゆく一人旅の原点かもしれないね。


記憶が途切れていてあの日がいつだったかも覚えていない。高校1年か2年のときだったかなあ。

ある日の早朝。僕は最寄りS駅の始発で都心から間逆へ向かう電車に乗り込んだ。あの朝はまだ少し寒かった気がする。その電車でどこまでもどこまでも行こうと、その日なぜか僕は急に思い立ったんだ。何も持たずに、何も考えずに。始発って初めて乗ったけど、なんだ普通の電車じゃんって思った。でも乗客はやっぱ少なかった。 僕が乗った電車は延々と東へ東へとガタゴト走り、千葉県に入り、窓の外の景色は徐々に殺風景になっていった。途中、部活の朝練かなんかの高校生の集団がどっと乗り込んできて、うざいなあと思った。電車はさらに東へガタゴト走り、結局は千葉の最東端まで僕を運んでしまった。僕は見慣れぬ地に降り立ち、ハア!?って思って、息を一つ吐き、うろうろして、やはり海を見ようと思って歩き出していた。

そうなんだ。海を見たかった。東日本の海から太平洋を見たかった。いつかは海の向こうのアメリカに渡ろうと僕は勝手に思っていたからだ。『釣りキチ三平』の矢口高雄が、子どもの頃に海の向こうといえばアメリカだと信じ、東北日本の西側の海岸からロシアに向かって「いつかアメリカへいくぞお!」と叫んだエピソード(矢口高雄『蛍雪時代』)があって、じゃあ僕は間違えずにちゃんとアメリカへと続く水平線を見渡してやろうと思ったのだ。

海を見るために、僕は早朝の人気のない千葉県の道路を歩いた。コンビニで買ったパンをかじり、お茶をすすり、マルボロをふかしながら歩いた。何も思考しないようでいて多くのことを思い浮かべながら歩いた。静かだった。小旅行だなあと思った。道路を横切って舗装されてない道に入りさらに歩くと海の匂いがした。さらに進むとけわしい断崖に出た。海が視界いっぱいに出現してた。わあおと呟いてた。打ち寄せる波のしぶき。潮風。海だ。
周囲には人一人いなかった。自殺しにきてるわけじゃないんだぞと思いながら、もっと眺めよく見ようと思って岩場のような所を登ろうとしたら、砂山みたいになってて足が滑りかけた。そしてどっと滑った。危ねっ。なんとか足場キープ。一歩間違えたら転落して死ぬところだった。ぞっとした。

そして僕はしばらくそこにいた。海はすてきだった。独りぼっちもすてきだった。いつまでもここにいたらどうなるんだろと思った。
その後また延々と駅まで歩き、延々と電車に乗り、普通に東京の我が家に帰宅した。何事もない普通の一日としてその日は過ぎていったのでした。

あの頃、どこまでも遠くに行きたいと思ったとき、僕にとっての世界の果てはあの千葉県の東端の名も無き自殺名所のような断崖だった。その数年後、同じような思いに駆られた僕は、真夏の沖縄の最南端の離島の海岸にいた。世界の果ては拡大していると思った。どこまで世界は続くのだろうかと思った。 その後の僕は、二度と見ることのない世界を幾度も巡るような一人旅がすきになっていった。世界は広大で僕は小さすぎる。だから、僕の世界の果てはいつも拡大してゆくんだ。ほとんどの場合、限界やら臨界やらのラインを、僕はうんと手前で引いてしまっていたからだ。小さいんだよ。

恐れること。その一歩を恐れようとすること。世界を知り自らを知ることで、無謀は勇敢へと変わるだろう。その歩みは僕を変えるだけでなく、世界をも変える力を持つだろう。

既に次の世界の果てを目指し歩き始めたtakebonoの、遠き良きブルーダークメモリでした。
【END】

2005年忘却会その2

2005年12月25日
2005年忘却会その2
軽く遊んで夜はみそちゃんこ鍋で忘年会。

一年間早かった。早すぎた。
写真とるのは遅すぎた。既に鍋最後のうどんです。
楽しかったな。
よいお年を。
クリスマスだからって特になんもないなあ。友達と飲むわけでも恋人と過ごすわけでも、出かけるでも美味いもん食べるでも、プレゼントもケーキもターキーもキャンドルもツリーもなく、サンタクロースやトナカイがくるわけでもない。街のイルミネーションが綺麗だなあと思う。一つ一つが不思議だなあと思う。何もかも消費社会なんだなあとも思う。
かつてはそんなときめく世の流れのようなものに逆らってたような気がするけど、今は別にどうでもよくなった。冷蔵庫に酒があればあるで飲んでしまえばいいし、何かしらネタがあればあるで飛びつくし、気分が乗らなければいつも通り本読んで文章でも打って過ごす。酔うこともなく、むしろ自然な聖夜にほっとする。

昔信じてたサンタさん。ほとんど毎年ほしがってた物をくれたっけ。小さい夢を叶えてくれた白ひげのあなた。いつしか僕の前に姿を見せなくなったあなたは、きっと世界中の子どもたちに夢を与えるため、南極を拠点に世界の夜を駆け回っているんでしょうね。もう大人になった今の僕は、時折心からあなたの活躍を祈っています。今年も全ての子どもたちに素敵な贈り物を届けてやってくださいね。
そうだ。昔僕はサンタクロースになりたかったんだっけ。キリスト教圏だけじゃないいろんな国に飛んで、仏教もイスラムも聖夜イベントに巻き込んで、世界中の子どもたちにプレゼントを配りたかったっけ。消費イベントの陰に、富のあまねく人々への分配という善行的ななんかを考えてしまっていた僕。takebonoサンタはあの暑苦しい衣装を脱ぎ捨てて炎天下の貧困地域へ人道支援に行けばいい。やめてくれといわれるか。殺されるかもしれん。

僕の住むこの腐った街も、今夜だけは闇の中で無限に彩られきらめいている。どこまでも華やかで聖なる闇の中で、実にいろんな時間がいろんな形で流れてってんだろう。ちゃんと今年もコンセントを通して、電力と幸福の形が人々に供給されていってる。しかし何を小細工したって僕はこの街が嫌いだ。光の色。闇の音。カロリーたっぷりに塗り固められたクリスマスケーキみたいなコンクリートとアスファルト。廃棄物と排気ガス。ボコボコにリンチされて放置されたサンタさんのようなホームレス。廃人になったカーロス・リベラ。何もかもいまさらの聖しこの夜だぜ。

窓をそっと開けてみる♪…寒いわ。閉める。サンタいなかった。闇がありました。

…よし。コーラでも飲んで卒論の仕上げにかかるとするか。イエス・キリストの誕生日よ、僕にこのつたない卒論を書ききる力を下さい。今夜はめりーくるしみます。

ノベルを述べる22

2005年12月23日 読書
石田衣良は面白いなあ。今回は『アキハバラ@DEEP』を読みました。プロローグからわけのわからん話だなあと思って読んだが、結局引き込まれてあっという間に読み終えた。石田衣良はやっぱり面白いなあ。完成された文章が非常に読みやすい。所々の言葉も素敵。こんな小説書きたいな。

−裏秋葉原に生息する社会不適応者たちが、ある日ネットの海の中で出会い、自分たちを救ってくれた愛する人の喪失を乗り越え、現実とデジタルの下に結束する。そして彼らは私たちの父と母になった。世界を変える裏秋葉ヴェンチャー「アキハバラ@DEEP」が創り上げた新時代AI型サーチエンジン「クルーク」は、IT界を支配する灰色の王によって無惨にも奪われてゆく。愛すべき父と母による私たちへの確かな愛が、勇敢にも未だかつてない明るいテロをこの街に生む。秋葉原の聖夜に、全世界の命運をかけた解放作戦が開始された。後に伝説となるアキハバラジハードであった。

バンドウイルカのユイが死後「アキハバラ@DEEP」のメンバーにAIを通じて語りかけるシーンは涙。
「長い間、私を救ってくれてありがとう。みんながこの世界を居心地悪く感じているのは、みんなの中に次の新しい時代への変化の芽が眠っているからだよ。私からのメッセージは一つだけ…変われる人から、まず変わろう!…みんな誰かがやってくれるだろうって、期待してる。誰かが世界をもっといい場所にしてくれるってね。でも今の世界を変えるには待ってるのではなく、まず自分から変わるしかない。先に変われる人間がどんどん変わっていくしか方法はないんだ。私は失敗しちゃったけど、種をまくことだけはできた。みんなは私の誇りだよ。…みんな、さよなら。いつかネットの海でまた会おうね」

ネットの海の中でバンドウイルカのユイに再会するシーンにも涙。ユイの言葉が、絶望の淵にいた「アキハバラ@DEEP」を再び立ち上がらせるのにも涙。
「私はみんなのそういう所が大好きだったよ。みんなは今何ももっていない。だから、全部をもっている人には怖いんだよ。…失うものは何もなかったんでしょう。…自由で、若くて、ちょっと病気な所もあるけど、優秀で、得意技だってある。なによりも今この瞬間だって生きてるんだよ。いいかな、もう一度言うよ。何ももっていないなら恐れるものなんてない。…今までと同じように、自由にできる限り楽しく生きていけばいい。それを無理やり抑える力があるなら…楽しく闘えばいい。傷つけたり殺したりしなくても、力を合わせて闘うことはできる。…みんなが楽しく笑って過ごせるなら、それが正しい方法だよ」

読み終わって、秋葉は今後世界の中心になってゆくと思った。でも秋葉はゴチャゴチャしてて嫌い。そういえばこないだ駅付近歩いたけど、変な所だなあの辺は。マニアになるためのものが何でも手に入る街だ。また少しおかしなマーケットが存在してんのだろうな。秋葉でおかしくはなりたくないな。

冬空つれづれて

2005年12月22日
H先生の教職ゼミで発表を終えました。出来は酷かった。全くの準備不足。僕の責任。だけどでもモチベーションが下がりまくってたから仕方ないわ。僕がくたばるとこんな結果か。大体が発表用じゃないんだ原稿が。最終的に報告書に反映させるしかないさ。 そして、これでようやく、ようやく、卒論一本に絞れる。だからそっちの方がうれしかったんだ。発表なんてもうどうでもいいんだわ。全ては卒論に全力いったあとだ。 そして一昨日にはとりあえずS先生に卒論の最終添削のやつを出してきました。20000字はいったけど、まだ僕は何も述べていない気がする。結局こんなもんなのかなあ。まだ書けるよ。

昨日はITと少し話した。人間的には好きにはなれないが、しかしまっすぐな人だと思った。筋があるんだ彼には。あの強烈なキャラのせいで、皆は彼を誤解するんだろうな。いやそもそも理解って誤解も含んでるんだろ。馴れ合いをしない分だけ彼は素敵だ。人間的には好きじゃないがね。なぜって、人に優しくないからだ。
今日はMZと話した。彼も人間的には好きじゃないけど、しかし物事を捉える優れたスタンスを持ってるなと思った。冷静でそれでいて配慮もできるしね。ちゃんと状況を正確に考えてるのは偉いわ。
その点Aの言葉はわかりやすくて起伏があるんだな。Aの話す言葉と、Aが書く文章も僕はすきだよ。 僕が読んで首をひねると「ハア?それくらいわかれよ」とか言った今日のMZのレジュメの説明文章のわかりにくかったこと!とてもわからんよ君の言葉は。

僕がこんな風に、卒論の合間にこんな風に、ぐだぐだに何も考えず無神経に打っている文章は、やっぱり誰かが読んでるんでしょうか。このブログ、内面をさらけ出してるようでさらけてる感じはあまりしてこない。こんな無知無能な僕が文章に出来るくらいの精神世界なんてたかがしれてるからだ。言葉にしきれないんだよこの起伏。説明できないんだよこの構造。僕に何が起きてるのかもわかんないんです。勉強と経験不足だからだ。貧しい世界観、ちっぽけな精神世界のくせにさ。でも誰もわかんなくていいんだよね。簡単にわかろうとするなんてだめだよね。でももっと簡単に空を飛べたらなとも思うけど。ときに恐くなるとき、地に足をつけようとするとき、人と人は手をつなごうとするのかな。飛ぶことが恐くなるときがくるのかな。僕は誰かと共に飛べる翼のようなもんがほしい。今日の空は青かったな。冬の空は本当にきれいだ。 でもここまで書いてやっぱり言葉って信じてる。魂の入った言葉なら僕にはそれ一言でいいんだって。
期末テストの時期だった。HIは留年が決まったらしく完全に学校に来なくなって、話し相手がいなくなったAKは隣の女の子とばかり話していた。聞こえてくる話の内容から、どうやらAKも試験の結果次第では留年だということがわかった。

最初は、僕が知ったことかよざまあみろと思った。いなくなればいい。こんなバカが、クズヤンキーが、社会のゴミが消えれば、このクソ学校も少しはマシになるだろう。消えろ。死ねばいい。勝手に自滅しろっ。そんな風に思ってた。 …だけど、思ったんだ。留年したらこいつどうなんだろって。僕らはクズだ。クズ故に、疎まれ、軽んじられ、避けられ、いつか排除されてく。でもホントにそれでいいのかよと思った。このままだとAKは確実に留年する。きっと彼のクズ仲間も、クラスメートも、教師も、親さえも、そんな結果を見て見ぬふりするんだろう。たかが一人のクズが当然のように落ちてゆく。社会はそんな風に僕らを切り刻むんだろう。takebonoよ、お前それでいいのか?って、そんとき僕は思ったんだ。救うなんて傲慢だ。でも、光を当てれば輝くものってあるんじゃないのか。手を伸ばせば繋げるものって実はあるんじゃないのか。何にもならないのだろうけど、誰も褒めやしないのだろうけど、慈善事業なんてしたくもないんだけど、でも僕はAKを助けたいと思ったんだ。強く思ったんだ。いくらクズでもよー、こんな所で消えていいわけがないだろが。淘汰なんかされていいわけがないんだって。同情なのか共感なのかもよくわかんなかった。ただそれは僕が初めて自分以外の友達のために動くことができる何かだったんだと思う。
そして僕はある日AKに話しかけたんだ。
(自分)「AK君は何(の教科)がヤバイんだ?」
(AK)「え?あ…あぁ…○○と○○と○○…」
(自分)「見してみ」
AKは何だこいつって目をしてた。力のある奴ほど今まで誰も君の力になろうとしてこなかったんだね。待ってろ、僕が今助けてやる。絶対に留年なんかさせない。 僕はAKのノートをひったくった。勉強の痕跡すらない真新しいページが開いた。教科別にファイリングできるノートで、期末テスト全ての科目が教科名だけ貼られてファイリングされてた。もがいていると思った。本当はコイツだって留年なんかしたくないんだ。だけど、きっと何をやっていいかわからないんだ。かつて僕もそうであったように。あらゆる勉強嫌いがそうであるように。
そして僕はAKに勉強を教えた。正確には、テストで点を取る勉強法を教えた。学校の試験なんてそんなものだった。AKは不思議そうな顔をして素直に僕に従った。

ヤマは当たった。AKは期末テストを無事クリアした。何とか僕はAKの力になることができたのだ。
「takebono君にお礼言わなきゃよー!」とかクズ仲間と騒いでたようだけど、仲間の手前、気まずさってやつだろうか、いざ僕と目が合うとAKはそっぽを向いた。別にお礼なんて不要だった。ただ僕はちゃんとAKが底辺を生き残れたことがうれしかった。そしてその日からまた僕らは一言も会話することはなくなった。

一度だけ、放課後にAKと自転車置き場でとすれ違ったことがあった。僕に気づくとAKは無言で頭をかくんと下げた。あれは、不器用なAKが見せた彼なりの誠実な感謝の気持ちだったのかもしれないね。

その後AKは髪型をよく変えた。ロン毛からアフロやドレッドにもなった。そしてその後卒業まで僕らは一言も口をきかなかった。それでよかったし、そうあるべきだった。たまに思い出すこともあるけど、僕らはきっと二度と出会わなくていいのだと思う。

ただ、歌を聞きたかった。AKがあの夜語った自分の夢に出てきた歌だ。流行りでもなく、誰かに歌えるものでもなく、ろくでもなく、みっともなく、どうしようもない、でもAKだけが創れる歌だ。それはきっと僕らの歌でもあるんだろう。いつか聴かせてほしいんだ。あの修学旅行の夜のような透き通る声で、遠くを見つめていたあの目で、君は激しく切なく君だけの歌を歌うんだ。作詞は僕がやってやる。曲名は「ブルーダークの番外地」だ。きっとまだくたばっていないで、どこか番外地みたいな所でバカやってるんだろうからな君は。

あの時代の僕がAKとコラボした記憶は、今でもたまに思い出す、特に鮮明に記憶に残っている僕のブルーダークメモリなのでした。
【END】
恐らく数十分の間だったのに、真夜中の誰もいないホテルの部屋で僕は何十時間も独りでいたような気がした。あんなクズどもの、しかし一刻も早い帰還を僕は願った。僕も一緒に行くべきだったのか。教師に牙をむいてでも奴らを救うべきだったのか。でもAKは僕のことをかばった。どうすればよかったのかなんてわけがわからなかった。ただ、部屋に一人残されたのが惨めだった。 きっとクズはクズ故に負のレッテルを貼られ、不当な扱いを受けることにももう慣れてしまっていて、傷つかなくていいのに傷つけられて、傷つけなくていいのに傷つけてしまうのかもしれない。争いなんて何も生みやしないのに。いくらだってうまくすり抜けてる奴らいるのに、クズはどっかでひっかかっちまうんだ。僕は悲しかった。アイツラって何なんだろうなって思った。でも僕も、結局は似たようなもんか…。クズなんだ結局。 僕らはどうしようもない現実にいつか叩きのめされるんだろうか。だから皆こんなどうでもいい旅行イベントで、現実を忘れようと、空騒ぎしてるのだろうか。そんなことを思った。

しばらくして3人が疲れた顔で帰ってきた。色々面倒なことになったらしいけど、とりあえず夜も遅いので部屋に帰されたようだった。YEは相当疲れたようで、一番遠くの布団にひっくり返って寝てしまった。HIが「まァどうぞ」と言ってお茶をいれた。もう真夜中だった。僕とAKとHIの3人はお茶をすすって一息ついた。僕はさっき起きたことについて僕が思うことを2人に語った。それは、高校に入学してからは欠片も出すことのなかった僕の内面的な感情だった。僕は学校で口をきいたこともないような奴ら、軽蔑しきっていた奴らに、確かに何かを熱く語っていたのだ。2人とも多少驚いてた。それまでの僕のイメージとキャラが崩れたようだった。ソウルに触れた、と僕は思った。

その後我々は世間話をした。一夜限りの世間話だ。明日になれば誰もが忘れ、また叩きのめされるためにそれぞれの現実で生きていくんだろう。それぞれのクズコミュニティーに帰り、言葉を交わすことは二度とないのだろう。 HIは半分寝ていた。僕はただいろんな話をした。AKは日本の将来の話をした。僕は当時軽く社会運動のようなものに携わっていたのもあり、社会についてAKと話した。不思議だった。社会から排除されかけてるクズどもが、何故この社会を憂い日本の将来について語り合っているのか。きっと僕らには他にもたくさん話すことがあった。いつものような期末テストの話だとか、友達や恋人の話だとか、部活の話や、TVの話や、下ネタや、内輪ネタでも何でもよかった。でも僕らは、クズ故に僕らは、社会を語ることしかできなかった。クズ故に僕らは社会を語り合いたかったんだ。僕らを生み育てた社会、そして僕らが生きていく社会、故にだった。

話してる最中にHIも寝てしまい、僕らは部屋の電気を落とした。日付が変わってから何時間も経っていた。AKは僕に夢の話をしてくれた。歌を創りたいんだと言ってAKが開いた汚いノートには、たどたどしい文字とつたない語彙力で、びっしりと歌詞が書き込まれていた。流行りを追うような音楽じゃない、本当の音楽、創りたい音楽をさとAKは呟いた。そして窓を開けて窓枠に座り、彼はタバコに火をつけた。AKが吐くマルボロの煙は月明かりに映し出されながら窓の外の冷たい外気に吹き飛ばされていった。
「もう(教師)来ないと思うよ。普通に(こっちで)吸えば?」と僕は言った。
北海道の夜の闇をバックに、AKがゆっくりこっちを振り向いた。学校では見せることのない穏やかな顔だった。
「小心者なんでね」と、AKは寂しそうに笑って言った。

翌日、我々は東京に帰還した。僕の修学旅行はこうして幕を閉じた。僕とAKは確かにソウルをコラボさせた。北海道の空に一夜限りの共鳴音を残して。

学校が始まるとまた日常が復活した。僕は相変わらず学校をサボったり遅刻したりした。AKはクズ仲間とつるんでばかりいた。HIは留年が決まったらしく学校に来なかったし、YEも相変わらず耳のピアスを手入れしながらあの小さい彼女と仲良く寄り添っていた。
誰も、誰とも何一つ会話しなかった。皆それぞれの在るべき世界に戻っていたんだ。在るべき日々と共にね。

だけどね。この話はここで終わらないんだ。僕が再びAKと向き合い、今度こそこのクズを救ってやろうと思い立ったのは、そのすぐ後のことだったんだよ。
【つづっく】
AKがバスに忘れたらしきMDウオークマンを担任教師から受け取ったとき、担任はすまんなあという顔をした。結局この修学旅行中の「ザ・クズ班」の統率は、少なからず僕の力でもあった。あなたの職務にクズな僕が貢献してんだぞおい!本当はこんな風に助け合いながらうまくやっていくことってできたんだろ。傷つけ合うことなんかなかったんだろ。互いの立場がすれ違いをさせたのだ。衝突ってでもそんなもんなんだろう。話し合う余地があるなら戦争なんて起こらないんだろう。 こんなくだらない修学旅行、面白くも何ともなかったけど、ただ、僕にはまだすることがあった。奴ら「ザ・クズ班」のクズ3匹と、僕はまだ何一つソウルをコラボしてない。奴らの内面に触れたかった。ここまできた本当の意味、その機会こそを僕はこの旅でうかがっていたんだ。

修学旅行最後の夜は、クズどもがどこかの部屋に一同に集まってバカ騒ぎでもやる計画があるらしかった。そして結論から言えばその計画は見事に潰れた。
事の始まりは、夜更けに2人の女子が「ザ・クズ班」の部屋に来訪したことからだった。2人ともガクガクに酔っていた。手にはウイスキーの瓶があった。バカかこいつらと僕は思った。しかし、修学旅行の本質的な部分を見た気もした。 別にヤバイ雰囲気もないし、ほっとくと彼女らは廊下で倒れそうなので部屋に入れてやった。だけど、こんな所を見られたらヤバイんだろうなと思った。夜中に男子の部屋しかも「クズ班」の部屋に女の子2人が泥酔一歩手前なんてね。各御家庭の親御さんたちはこんな事態を一番危惧してるんだろうに。 故に夜間の部屋間移動、とりわけ男子女子間の部屋間移動は厳しくチェックされてた。教師側も旅先で不祥事を起こさぬよう必死だったんだ。僕の高校は底辺校だけどそれを「伝統」とか言い換えて、ギリギリ入学者を確保してるような学校だった。まだまだ落下できる可能性があるからこそ落下を食い止めようと必死こく公立校の悲しいパターンだった。

そんなわけで、夜中もご苦労なことに教師が交替でホテルの廊下歩いてたり「見回り」とかしてるわけだった。でも、最終日の夜は引率教師全員でうちあげで酒が入ることを僕は知ってたし、そんなにピリピリしてないんじゃないかなとか思っていた。どうせ明日には東京に帰るのだ。第一、この2人の女子が千鳥足のまま「クズ班」の部屋に辿り着けたこと自体、警戒が緩い証拠だろうと思った。しかし、僕の推測は外れた。その数分後、まさに最悪のタイミングで、突如ものすごい勢いで2人の教師が「ザ・クズ班」の部屋に飛び込んできたのである。

その場の全員が、何が起きたかわかっていなかった。ハア!?と僕は思った。教師どもはものすげえ形相をしていた。なんだなんだこの一斉検挙みたいな雰囲気は!?僕らが何か悪いことしたのか?
女子2人は頭を叩かれて連れてかれた。「お前たちも外出ろ」と担任教師は言った。もう一人の教師は、僕らを突き飛ばして、部屋に敷いてあった僕らの布団をメチャクチャにひっくり返し、「まだ誰か隠れてんじゃないのかァ」とか言って戸棚まで調べてた。そんなとこに人が入れるかバカが。 そして僕は無性に腹が立ってきた。重なった。自我が芽生えたときから僕が嫌悪してきたものに、そのときの教師どもが重なった。それは見苦しい権力の末端の横暴の姿だった。不毛な争いと、たちの悪い熱と、傲慢な保守権力を醜悪に行使する姿だ。久しぶりに僕の中に怒りの感情が沸いた。「ザ・クズ班」を救わなければと思った。

クズ3匹への同情じゃない。自分に非がないことを証明したかったわけでもない。だけど、僕らが一体何をしたっつうんだ?あの時点で女子2人を追い返すことなんて出来なかったハズだよ。わからないけど、教師側から僕らへの何かしらの負のレッテルが、状況を酷くしていたのは確かなようだった。故に僕はキレていた。徹底的にやるぞ。屈するのはまっぴらだ。「ザ・クズ班」の誰にも非はないだろが。教師どもの横暴な態度こそを謝罪させるべきだろが。僕が教師に詰め寄ろうとした刹那、AKが口を開いた。
「takebono君は関係無いッすよ」
あ!? AKは僕をかばってた。今思うと旅行の最初から、いや「ザ・クズ班」が決定したときから、AKは僕に何か負い目を感じていたのかもしれない。AKが促すとHIも「そだな、takebono君は関係無いな」と言った。ハア!?お前らだって悪くないだろうに。なぜ噛みつかない。 僕は動揺した。こんなクズたちにかばわれても…。 「そうか」と言って担任は僕に何か言いたそうな顔をして、僕以外のクズ3匹を部屋の外に連行していった。修学旅行最後の夜に、僕は一人で部屋に残されたまま立ちすくんでいた。
【つづっく】

2005年忘却会

2005年12月18日
午前中は美術館に行った。午後は体育館貸し切ってスポーツ。バドミントンはダブルスはまた違ったおもしろさだわね。野球やバスケもいいもんだね。R−SOMAの体育館活動はこれで今年最後になります。そしてT氏の家で急遽、忘年会。グダグダに楽しみまくりました。まあもう一回くらいやろうぜ忘年会。
リヴァプールが負けたり、ダイヤモンドゲームや、mixiなどでね、やたら楽しんだわあ。
もうね、卒論を書かなきゃならなかったのだけどね、だらだら遊べてどこか消えた感じよ。家帰って現実に戻って青ざめてるよ。まあね、こんなものはきっちり向き合わないとね。がんばるよ。
しかし我らの神の子の行方を知りたいね。今年こそ会えると思ったんだけどな。
ねむいや。おやすみ。
就学旅行当日の朝の集合時間前。集合場所の羽田空港内にあった本屋で僕は本を立ち読んでいた。どうせ退屈な旅だろうから読書用に何冊か買っていこうかと悩んでいたのだ。「爆笑問題」の太田が高校時代やはり友達がいなくて退屈な修学旅行中に読書するための本を何冊も持っていったという話を聞いて、太田の気持ちわかるなあと思った。僕はしかも例の「ザ・クズ班」だし。大きな問題なく終わればそれでいいやと思っていた。それにしても、AKは旅行にくるのだろうか。友達の死を乗り越えてまでアイツはくるのだろうか。それだけが僕は気になっていた。

AKはきていた。みんなはもう前日までに荷物を現地に送っちまって手ぶらなのに、AKは一人だけ大きなバッグを背負って現れた。心なしか表情は暗かった。とにかく「ザ・クズ班」はこれで無事全員が揃い、takebonoの最初で最後の修学旅行が始まった。東京下町の底辺高校の生徒たちを乗せたジェット機は一路、北の大地に向かって飛び立った。
機内にて、離陸の瞬間に雄叫びをあげる奴らがいて、隣の席のチンピラ風YEはよだれを垂らして寝ていた。僕は当時はまっていた『銀河英雄伝説』を取り出して読み始めた。

数時間後には北海道に到着。その時期の北海道は東京の冬くらいだった。雪もないし、つまらなかった。団体でぞろぞろ歩くのはイラついた。お前ら奴隷か。
旅行の内容自体にはほとんど記憶がない。アウトドア体験だとか、森を散策するだとか、あとは各地の観光地をまわったような記憶が断片的にあるだけだ。不毛な時間だったように思う。協調性ゼロゼロ。 一つだけ覚えてるのは登山をしたことだ。確かカヌーだとかフィッシングだとかいろんな体験コースがあって、登山コースは希望者が少なければ中止だとかで、それに僕は飛びついたんだっけ。数人での登山は黙々と登るのが楽しかったし、頂上は雲が下に見えて最高に気分が良かった。まあこういうのもいいんでないかなー、と頂上で僕は空を見上げて美濃輪のように手をかざした。

さて「クズ班」である。宿泊地のホテルにて、先に鍵を開けて部屋で待ってたのに、やつらはなかなか部屋に現れない。やっときたと思ったらドアの前で「鍵?」「takebono君が持ってんじゃね?」とかグダグダやってる。鍵開いてるっつーの。早く入れよってドアを開けてやった。 クズ3匹は荷物を置くとすぐどこかへ散り散りに部屋を出て行った。おい僕は留守晩? 「鍵開けとけばいいヨ」とHIが言ったので、僕も部屋を出てホテル内をうろついた。何か盗られてもしらんぞお前ら。 で隣の部屋とか遊びに行ったけどつまらなかった。どこもつまらなかった。みんなは楽しそうなのに僕だけ冷めてるなあと思った。 一人で気ままに風呂に行ったり売店に行ったり、ぶらぶらして結局部屋に戻った。本を読んでたら突然部屋の電話が鳴った。なんだ?「○○です、YEいますかァ?」 YEの彼女だ。コイツなんで部屋の電話でかけてくるんだ!?「いまいないよ」と言って僕は乱暴に切ってやった。YEはおろかAKもHIも部屋を出て行ったきり帰ってこない。なんだかろくなことが起きそうもないな、と思った。

予想通りだけども夜中になると我々「ザ・クズ班」の部屋はクズどものたまり場になった。AKつながりだろうか、各クラスのクズどもが6〜7人くらいバラバラと集まってきた。連中は早速輪になってタバコをふかし始めた。たかが喫煙も見つかったら一応面倒なことになるなと僕は思った。旅先の不祥事は一番学校側にとってやばいからだ。「連帯責任」になるとか言われてたような気がして、僕は舌打ちした。それにしてもお前ら、北海道まできてなんでワルぶってんの?似非の悪意気取ってんの?闘いもせずにふてくされてるくせに、結局公立に胡座かいてやがるんだ。大体お前ら烏合の衆みたいに集まってたまって煙とため息吐くだけで、何にも面白いこととか話さないんだろ。僕のソウルを震わせろよ。何のために僕はこんなクズ班で旅行にきたと思ってんだ。ああイラつく。つまんないなーとか思いながらもう夜中だし寒いしすることもないし、窓際の椅子で僕は本をずっと読んでた。 「吸わない人もいるからさー(気を遣おうぜ)」とか言ってAKが僕の方をちらっと見た。それで奴らのスモーキングタイムは終了した。AKは発言力があるんだなと思った。でも気を遣われても嬉しくもなんともなかった。

そんなこんなで、いろんなことがあって、いろいろ語り尽くせないほどtakebonoさん大変だったんだよあの修学旅行は。しかしなんとかなんとか「ザ・クズ班」をまとめながら、とりあえず無事に修学旅行は進行していった。そして、明日は東京に帰るという修学旅行最後の夜がやってきた。そしてその夜が、takebonoの修学旅行唯一の鮮明なブルーダークメモリとなったのであった。
【つづっく】
「あのメンバーは嫌か?」と、中年小太りの担任教師はわざわざ僕を職員室に呼び出して尋ねた。あのメンバーとは例の同じ班になったクズ3人のことである。修学旅行になぞ行く気がないことを、どうやらうちの母が保護者会かなんかの際に話したらしく、担任教師は僕をなんとしても旅行に行かせようと説得にかかっていたわけである。もちろんあのクズ班は最悪で、旅先では色々困難に見舞われることは間違いないだろうが、僕にとってはそういうイベントの類は中学校の時から行かないことが自明になっていたものだったので、別にメンバーがどうとか以前に行く気は最初から毛頭無かったのだが。担任は恐らくクズ3人と一緒の班が嫌で僕が行きたくないのだと思ったのだろうし、しかしそれでもクズ3人のまとめ役として修学旅行に行くことを期待してもいたみたいだった。「いや、別に。むしろ気を遣わなくていいんじゃないっすか」と僕は答えた。「じゃあ(修学旅行)行こう」と担任は強く言い放ち、僕は「はあ」と答えた。「よし」と呟いた担任の顔には安堵と、説得が成功したという達成感に溢れていた。よかったねと僕は心の中で呟いた。
僕はあの時点でどっちでもよかった。無視することもできたし、いかねーよぜってーと吐き捨てることもできたけど、まぁ別にいっかと思ったのだ。だって、あのメンバーが嫌だから行きたくないなんて、ガキだろ?takebonoらしくないだろ?むしろあの時の僕は少しワクワクし始めていたんだ。面白い展開にソウルを感じていたんだよ。それと、担任教師が僕を必要としてくれたことがほんのちょっとだけ嬉しかったんだな。いつの時も結局甘いんだ僕は。かくして僕は北海道へ行くことになってしまった。修学旅行の2ヶ月くらい前だった。

今は義務化された「総合的学習」に近い形で、旅行に行く前に北海道のことを調べようとかいう「事前学習」とかいうやつのレポートを班でやらなきゃなんなくて、当然3匹のクズ共は全くやる気がない。北海道にまつわるワードが指定されてて各班ごとにレポートを出さなきゃならないんだけど、「安倍なつみ」とか「GLAY」とか「美味しいもの」とか「牧場」とか色々面白いのがあったのに、みんな他の班に取られちゃって、うちのクズ班は余り物ワードの「渡辺淳一」だった。ハア!?渡辺淳一と言えば『失楽園』の作家。北海道生まれなんだって。一応レポート係はHIだったのだが、結局僕がやった。なっちかGLAYについて書きたかったなあとか思いながら僕は渡辺氏の生い立ちなどをまとめた。文庫も一冊買ったけど読まなかった。

そんなこんなで修学旅行が2日後かなんかに迫っていた。クラスメートたちはみんなウキウキと浮き足立っていた。その日はなんか旅行にとって大事な日で(健康診断だか荷物を送る日だったか)、しかしその日「ザ・クズ班」のメンバーであるロン毛チーマーのAKが学校に姿を見せず、だいぶ遅れた時間にゆっくり教室に現れた。「なにやってたんだお前」と担任が冷たい目で言ったけど、それを無視してAKは僕の席の後ろである自分の席に座り、その後ろの席の唯一のクラス内友人である留年HI(←大事な日なので学校にきてた)に話しかけた。そして、「おれ、修学旅行行けない」とAKは力なく呟いた。僕は後ろの席のやりとりを振り返りもせず聞いていた。
「友達が、死んだんだ。昨日…バイクで事故って」
よくあることだなと僕は思った。問題はその一人のバカの死がどれだけAKにとって大きいものだったかということだった。そしてそれは、とりあえずこのくだらない旅行イベントを飲み込むほど大きなものだったのである。
「今日お通夜で、明日葬式、だから…」
AKの友人は停車中のトラックに猛スピードで突っ込んで血と泡を吹いて死んだらしい。自業自得だが、こうやって悲しんでくれる奴もいるのだから天国にいけたと思う。同じように僕が死んでも悲しむ奴はいるだろうかと、よくある台詞のようなことを思ったっけ。
たった一人のバカで掛け替えのなかった友人の死が、数日後に迫ったAKの修学旅行を奪おうとしていた。
【つづっく】
みんなは「修学旅行」とかいう誰にでも訪れるあの「思い出」イベントで、何か心に残ったブルーダークな思い出はあるだろうか?
枕投げとか愛の告白とかバカ騒ぎとか大事故とか?人に見られたらヤバイドキドキものや、「思い出」を作るために共有したワクワクものや、その他たくさんたくさんあるっしょ多分さ。 だけど、takebonoの高校の時の修学旅行といえば、そんな数々のトレンディーなものよりも、どこか奇妙で切なく素敵なある一つの思い出だけが記憶に残っています。
あの夜、真っ暗闇の部屋の中で、月明かりに照らされた揺らめくマルボロの煙の中で、静かに静かに語り出したあいつの横顔を僕は今でも思い出すんだ。今回はそんな修学旅行の思い出話だよ。


修学旅行はいつものように無視するつもりだった。中学校の時も林間学校とか修学旅行や遠足の類もサボったし、行く気も全く無かった。何で?って親や教師とかによく聞かれたけど、周囲を納得させる理由は用意できなかったので明確には答えられなかった。単純だけど僕は人が嫌いで集団が嫌いで、トレンドは吐き気するくらい嫌いだったからというのが理由だったんだけど、理解されないだろうなあとか思ってた。用意された出来合いのトレンド消費イベントに金と時間かけるのも二重に吐き気を催させた。僕は「☆高校生活☆」に死ぬほど気が滅入っていたからだ。第一、2日も3日もクラスの連中と一緒にいられるかって、冗談じゃねえって、思ってたからだった。
最初から行く気もなかったし、当時規則的に学校に通ってなかったこともあって、なんか僕の知らないところで、あれなに?班ていうの?旅行先のホテルの部屋割りが勝手に組まれてて、僕はある3人のクズと一緒の部屋割り班に入れられていた。これがひっでえメンツ!まさに行き場のない掃き溜まりクズ班。AKとHIとYEのクズ3人組。それプラスtakebonoで最クズ4人班。担任教師はクズをひとまとめにすることで、修学旅行を無事進行させたかったのだろうね。

「クズ班」メンバー紹介。まずロン毛の「AK」は、池袋のチーマーみたいな感じの奴。学校内外でつるむクズ共の(昔ならヤンキーとか呼ばれる系のクズか)中心的存在ぽいんだけど、かわいそうにクラス内でつるむ奴がいないの。校舎内の他の場所とか違うクラスではクズ仲間とつるんでるのよく見かけたけど、自分のクラスの教室では誰も友達いないの。だから教室にいるときはいつも寝てるか隣の女の子と話してばっかいる奴だった。僕の後ろの席でこいつはたまにからんできたりして、マジでイラつくし大嫌いだった。 次に、多少大人びた整った顔立ちの「HI」は、AKの後ろの席の奴でAK唯一の教室内の友達なんだけど、ほとんど学校にきてないので留年がほぼ決定してる奴だった。背が高くて長めの黒髪で、末はホストか、じゃなければ爽やかで売れないスポーツタレントみたいな奴だった。ほんとたまに学校くるときはずっと寝てる奴だった。こいつはホントにたまにしか学校にこないけど修学旅行にはいくのか??と僕は不思議でたまらなかった。 最後に、チンピラみたいな雰囲気の「YE」は、教室ではいつも寝てて、放課後になると背の小さな彼女が迎えに来て、寄り添いながら一緒に帰ってく姿がいつもの光景だった。黒いときを見たことがないくらい年間通じてずっと同じ明るい茶髪で、いつもピアスを付けたり外したりしてた。目つきが悪くて、こいつも教室内ではほとんど誰ともつるまなかったし、たまに凶暴な態度を取るけど基本いつも怠そうにしてる奴だった。 こんなクズ3人と、僕は修学旅行で一緒の班になったわけである。いくら底辺校ってもひどすぎるなぁ「ザ・クズ班」。
まァ知ったこっちゃねェわ、どうせ行かねんだし。そう思ってた僕に、しかし運命は興味深く、数ヶ月後には僕はその3人のまとめ役として、遠き悠久の大地・北海道へ、修学旅行へと向かう飛行機の中にいたのでした。
【つづっく】

僕は僕の速度で

2005年12月14日
今日は教職の総合演習の発表でした。前日は遅くまで学校でMNさんと語り、帰ってからは明け方までレジュメをがんばりました。頭痛い中発表。出来は、まあまあ、まあ。M先生の評価もまあまあ。まあでも、ともすればバラバラになりそうなグループワーク内でtakebonoさんよく奮戦したと思う。とりわけMNさんとはよく語り合えたし、ID君とはより仲良くなったし、Eつんの発表も結構良くてうれしかった。
なんだかんだいってグループを経由するものはすきなのかもしれない。結局過程がすきだ。安易に結論を求めずにあーだこーだやるのがすきなんだ。ワンマンも独裁も簡単で安易で効率的だけど、僕は遠回ってもいいから僕の周りのみんな一人一人を活かしたい。出来なんては二の次でいい。アートじゃないから。みんなを活かしきれれば、グループはそれが素晴らしいことのはずだよな。
ITが不機嫌でした。僕がつい余計なことを口走ってしまったからです。僕はただ絡んでほしかっただけなのにな。大人しいITなんて面白くないんだよ。もっと前に出てきてほしいから軽くふったのにキレることないよな。ITよ、実はみんなに好かれているんだぞ。

とりあえず一つは終わりました。あとは明日のH先生のゼミの発表と、卒論だけだ。体調は悪い。唇の端が切れて酷いことになってる。ビタミンと睡眠の不足と、胃腸が荒れてるのかもしれない。いつかやばそう。でもまだ倒れるわけにはいかない。あともう少しだけ、走りきれそうなんだ。僕は僕の速度のまま、走りきりたい。

いろんなことを考えながらも尚続く、僕の道。寿命は何年だろう。昨日帰り道おでん食いながらそんなこと考えてた。やりたいことなんて、なんだよ山ほどあったじゃないか。ちゃんと僕は僕を見てたんだ。もう逃げません。追われても恐れない。僕は負い、僕は老い、そして僕は追う。いまのところそれはどこまでもだ。

そしてガクガクだ。眠い。
くだらねーいつもの体育の時間はその日から驚くべき展開を見せていた。ダブルスを組むことになった僕とHNの「ザ・くずペア」は、実に相性(?)が良く、やたら強かったという驚愕の事実によってであった!! 全員がテニス素人とはいえ、僕とHNのペアは間違いなくクラスで1番か2番に強かった(と思う)。左利きのHNが左コート前面に張り、ボレーやドロップやスマッシュを次々決め、右コート後衛の僕がとにかく相手の攻撃を拾いまくる。この形。この形が僕らの完璧な布陣だった。どうでもいい場所でどうでもいい時間にどうでもいい最強タッグが生まれ、ほんの一時だけクズ二人組は陽の光の中で輝いた。
HNと僕の「即席くずタッグ」がダブルスで最強を謳歌してる??実に奇妙で愉快だった。僕はバックストロークが得意だったし、どんなボールでも大体は返せたので、あとはHNがネット際で決めるだけだった。とにかく僕らは強かった。皮肉といえるのか。集団からはぐれた者同士で黄金タッグなんてね。そして僕らは勝ち続けた。いつしかテニスの時間が僕はすきになっていた。体育の時間中もしかしHNとは特に会話を交わすこともなく、我々は黙々と最強伝説を作り続けた。

試合の合間に休憩してて二人きりになったときのこと。ガンガンに暑い日で、僕はグラウンドの球よけネットの影で水をかぶって滴らせながら座り込んで空を見上げていて、HNはラケット放り出してネットに寄りかかってボーっとしてた。そのとき、何気なく僕はHNに話しかけようと思った。たぶんこの学校で初めてHNに話しかけた人間が僕だろうな。確か前の時間が進路指導の時間とかで、卒業後の進路とかについて僕は話しかけてみたんだっけ。
(自分)「HN君は進路とか決めたん?」
(HN)「え…?あぁ…専門ガッコゥ…」
(自分)「へェ…俺なんかなんも考えてないからなぁ、いいなァ…」
(HN)「ん…(頷く)」
最初で最後の会話はそれで終わり。それ以降卒業までHNとは何一つ会話らしい会話はしなかった。最強を極めたテニスダブルスも季節と共に終わり、体育の時間は室内競技にシフトしていった。僕らがラケットを握ることは二度と無かった。その後ときどき担任の教師が気を遣って、何度かクラスの雑務の当番とかでHNと僕をペアにあてがったりして、ああこれは仲良くして友達になっててあげることを僕は期待されてんのかなあとか思ったけど、絶対友達になんねー!とか思っていた。教師とは日頃対立したり疎外されてたりすんのに、こんなときだけ利用されてたまっかい!みたいに思ってたからね。いま思えば若かったんだ。普通に接するだけでよかったのにね。

HNは今頃何をしてるだろう。僕のことは覚えているだろうか。もし叶うなら、もう一度彼とダブルスを組みたい。クズ同士の僕らが確かに最強だった時代が存在したことを僕は決して忘れないだろう。

あの青かった空。青すぎた僕の心の闇。そんなもん思い出す必要のない日がいつか来るのだろうけど、今はただ懐かしく思い出すメモリでもある。
【END】
takebonoにおける前世紀でもあるティーン。その青春の色はセピアでもモノクロでもなく、漆黒の闇と、蒼い蒼い小鳥一匹いない成層圏のような青でした。ブルーダークの少年は、番外地のような場所を心の在処として、ただ不確かな衝動に自らを委ね、4次元に佇むように日々をやりすごし、未来など眼差したこともなく、優しさと強さとそれを包括した勇敢さのようなものに日々心を震わせ、または脅え、一喜一憂し、誇り、絶望し、そして揺れ動き揺れ動かされてあの時代を生きていたのでした。
いまあの頃の記憶が次々と蘇りそしてまた次々に消えていってます。生命は新しい段階に移るときにそんな現象を見せるのかもしれません。僕は何処かへ歩き出すために振り返ろうとしているのかも。こうやって誰もが未来へ歩み出すのかもしれないね。
真っ青な闇の中に在ったあの輝ける10代。跡形も無く消え去る前に思い出したものは、もうどれだけ思い返そうとしても不可能な追憶どもの中にあって、やはり僕の中に欠片ほど残っていた前世紀の最後の最後の映像なわけでした。 季節は巡り、過去は何かを残す。僕は幾つかの未だ色褪せぬ青い闇の記憶を、忘却する前に追懐しようとしている。

あの青き闇の時代。数少なき他者との出会いの中で、掛け替えのないものを見つけたことはあるだろうか?
今回は、時が過ぎ去るほんの一瞬だけ最強伝説を築いたそんな2人のクズの話だよ。


昨日、テニスのネットでバドミントンをしていて、ふとある遠い記憶が脳裏をよぎった。青白い顔をしたあいつがラケットを振り回す映像だ。
その青白い顔をしたHN君とは、あの底辺高校2年と3年の時に一緒のクラスになった。彼は、僕と違って毎日ちゃんと学校にくるくせに、誰とも一言も口をきかず、触れ合おうとせず、いつも休み時間は机に突っ伏して寝ていて、放課後は部活もやらず速攻で帰っちまい、彼が誰かと話している姿を誰も見たことがなく、話しかける奴も友達も一人もいないようなそんな奴だった。僕は生徒会もやっていたし、一応部活もやっていたし、言葉を交わす友達くらいはいたけど、HNは全く学校で独りぼっちで、完全シャットアウターで、みんなも別に干渉せずに彼を放っておいた。不登校しないひきこもり。どの学校にも一人くらいいるような、彼はそんな奴だった。
一度そんなHNをからかったバカがいて、そんときHNはものすげえ顔をして無言のままそいつを睨みつけたっけ。ものすげえ眼で、すげえ長い間。あんときその場にいた全員に戦慄が走るほどその眼は殺気に充ちていた。それ以来誰もHNをからかうことはなくなったんだけど、彼は相変わらず独りでいたのだった。
そんなHNと体育の時間に僕はテニスでダブルスを組まされた。僕も独りがすきだったし、本当はダブルスなんてやりたくなくて、人嫌いの僕にとってはかなりうざい時間がきたなあと思っていた。狭い校庭のコートの都合上シングル戦は少なかったのだ。まぁあいつらクズ同士で組ませときゃーいいじゃんーみたいな流れで、僕とHNでザ・くずペア結成!…はしたものの、HNは例のごとく一言も口聞いてくんねーし、はあ、なんでこんなことせなあかんのって僕はウンザリ思ったっけ。まあ外れ者同士、社会不適応者同士、別にお互い干渉し合うことも絶対にないから気楽だったのだけど。しかし運命は興味深く、その日そのときその時間の我々に、あるミラクルが起こったのでした。
【つづっく】

不定期なクズメモリブログ再開。

師走ね

2005年12月11日
久しぶりに体育館を貸し切ってバドミントンと野球とサッカーとバスケとラクロスとビーチバレーをしました。長く続けたのはバドミントンね。自分なかなか上手いね。前に落とすのはね快感だね。
夕飯は寿司でした。すげーうめー。

今後ブログ何書いてくかなぁと最近思いめぐらしています。とりあえずtakebonoのクズシリーズでも書き始めようかなぁと。あと勉強してることね勉強してること。ネタなんてねーいくらでもあんのね自己満足のね。気が向いたら日記ね。

そして卒論がやばいですね。嫌な予感がしますよ。
いっそがしいな卒論以外にもいろいろありすぎんだよ。はぁあ。

ノベルを述べる21

2005年12月10日 読書
糸山秋子の『ニート』を読んだ後、これなんだか涙が出てきそうでした。
−どうでもいいって言ったら、この世の中本当に何もかもどうでもいいわけで、それがキミの思想そのものでもあった。キミはあらゆる権利の外にいて、健康だが働いていないし働く気もない。つまりキミはニートだ。キミは自分が社会から援助を受けることができないのをよく知っているし、他人からの援助を受けるには申し訳ないと思っている。とても失礼なことを言うけれど、キミにはニートの方が向いている。似合わないスーツを着るよりも。…なぜかは判らない。他の誰でもなくキミを甘やかしてやりたいと思う。…なぜかなんてそんなこと、どうでもよくないか?社会から駆逐されかけた人間にまだ理由が必要なのか?…その問いを今まで発することが出来なかったのは、キミがあまりにも弱すぎたからなのだ。だけど私はキミが不意に示すさりげない好意に打たれる。…それは不器用で、ささやかで、私が覚えていなければキミは明日にも忘れてしまうほどはかないことだ。

静かな文章が心を打ちました。現代社会の歪んだ構造が生んだニートだけど、彼らは優しい弱者でもあった。
残りの短編はスカトロとかでイカれてました。

その後読んだのは赤坂真理『ミューズ』。イカれた少女の話。
−崖の上の矯正歯科医がつけてくれた私の歯の裏側の金属。ミューズの匂い。赤髭。シェイバー。ピン・アンド・リガッチャー・カッター。そんなそれらはオーガズム。

この手の話はもう充分だな。僕にゃよくわからん。狂ってるって自覚はもうあまり起伏が無い。やっぱ差異だよ。差異。大衆社会そしてやってくる下流社会において、まだポップかつソウルフルなものは在るように思うのさ希望的観測。
現代小説のイカれ所か。そろそろまた前世紀の気品ある文学作品を読もうかな。

夜は兄が帰宅しました。軽く飲んでバカ笑いしました。ヒザの恐ろしさを知りました。
読んだのは、川上弘美の『神様』。主婦作家の川上さんはお家での育児の合間にこの作品を書いたんだって。
−くまが同じアパートに引っ越してきた。天気の良い日。くまに誘われて私はハイキングに出かける。くまが言う。「熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」 熊の神様ってどんな神様なの? 「熊の神様はね、熊に似たものですよ。人の神様は人に似たものでしょう」 なるほどねー。そして天気の悪い日。くまは故郷に帰っていった。

村上春樹も定期的に読む。今回は『羊をめぐる冒険』を読みました。『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』に続く、青春3部作の完結編。「僕」と〈鼠〉の最後の旅。
−「25まで生きるの。そして死ぬの」と言っていたあの彼女が26で死んだ。葬式が終わった後、あなたのことは今でも好きよと言い残して妻が出て行った。北海道に渡ったらしい〈鼠〉からの手紙は、僕をある冒険に巻き込んでゆく。羊が謎と謎を呼ぶ。耳のモデルをしている新しいガールフレンドと一緒に、僕は一頭の羊と〈鼠〉の行方を探す旅に出る。終わるべくして終えるべき僕らの最後の旅が始まった。

〈鼠〉は「僕」に語りかける。静かに何かが揺れ動く。
「もちろん誰にだって欠陥はある。しかし僕の最大の欠陥は僕の欠陥が年を追うごとにどんどん大きくなっていくことにある。つまり体の中で鶏を飼っているようなもんだ。鶏が卵を産み、その卵がまた鶏になり、その鶏がまた卵を産むんだ。そんな風にして、そんな欠陥を抱え込んだまま、人間は生きていけるんだろうか?もちろん生きていける。結局の所、それが問題なんだね」
「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや…。…わからないよ」

僕は読み終わって少し悲しくて少しホッとした。どうにもならないこんな気持ちをしかし静かに読み終えることができるような。これが村上春樹かそうなのかほんとか。なんとなくわかるがねえ。
名のある作家だから良いなんてありえない。でも名のある作家の小説は読んでいきたい。友達が薦めてくれたのとか。濫読っても目安がほしいな。
下流論も遂に最終章です。

これまで「下流社会」を延々と波もなくダベってきましたが、多少興味深かったと思います。僕なりの結論を言えば、やはりこれからの社会にて貧富の差が大きくなる中でどうすっかってことです。晩婚化と少子化はどんどん進み、自殺者や失業者や犯罪者やフリーターやニートとかが増えるかもしれないけど、でも餓死者が出るわけではないし、革命が起きるわけでもない。「下流」が固定されるだけです。働かず働けず、結婚せず結婚できず、子どもを産まず産めず、「自分」を追う迷路の中で疲れ果て、とりあえず歩くために「夢」を持ち、やはり納得いかず努力ができず、低価格消費を繰り返し、一人で考え悩み、孤独と虚無に怯え、何もかも面倒になり、その日その日を生きてゆく。そんな人たちが「下流」に増え、そしてその人たちはいずれ身動きが取れなくなるまでそこに生息し続けるのです。中にはダークサイドに落ちてゆくやつもいるかもしれない。 政治も経済も周囲の人たちでさえも、そんな状況をいま是認しています。だけど本当にこれは「仕方のない」ことなのでしょうか?

「上流」はいま、自分の全存在をかけて激烈な競争社会で日々を戦い抜いています。そこで得る誇りや自負こそが社会を支え、また「上流」を支えてもいます。一方で「下流」は「自分らしさ」を追い、トレンドに没しそうな葛藤の中でそこそこ楽しく生きようと藻掻いています。当然経済的な格差がついていきます。「上流」は「勝ち組」を名乗り、醜悪にそれを自画自賛します。「下流」は「別に負けてもいいや」「勝って何が面白いの?」と、ルサンチマン(て言うの?)的に、実は嫉妬しながら呟いています。 誰もが救われているようにも、救われぬようにも思えるし、流れの隙間にこそ実は素敵な豊かさがあるようにも僕は思うのです。

労働市場にとって今やなくてはならない存在である「フリーター」が何故か批判され、子供なぞ育てることもままならない環境の中で何故か「少子化」が懸念され、階層意識をまたしてもぼやかすような「個性」「ゆとり」「自分探し」が何故か教育界では奨励され、教育機関卒業と同時に現実に絶望するパターンを生んでいます。とりわけ教育は、もともと均一ではない人間というものを画一的に処理し、その上で競わせ、そのくせ時には手を繋いでゴールさせ、現実味のない協和幻想を吹き込み、しかし「良識ある公民」となることには常に恐怖を与え続け封殺してきました。 そして、どんなにがんばっても差のつかない「結果悪平等」を、弱肉強食のネオリベラリズムにて叩き壊し、永久にありえない「機会の平等」を唱えつつ、階層格差の固定化を遂に人々が是認し始めるところまでこの社会は来てしまいました。 政治や経済は「自己責任」を唱え、公共や福祉から徐々に撤退を見せ始めています。巷ではホームレスが凍死し、罪の無い子どもたちが狂気の犠牲になり、善良な人を狙った悪徳業が蔓延し、力を持たない一市民は権力の前に泣き寝入りをし、多くの若者たちが現実に脅え希望を失っています。一体いつからこの国では弱い者が更に弱い者を叩くようになったのでしょうか?

そんな中で「公共精神」を叫び、「昔はよかった」ノスタルジーに浸り、既得権の剥奪に脅えながらも自己の老後資産運用に必死こく大人たちがいます。片方で、政治にも参加せずに自分より更に弱いものに牙をむく奴らがいて、また一方では、優しい気持ちを裏切られ続け、閉ざし、破綻することを知りつつ闇に心を委ねていく人たちがいます。 ゴミクズの僕なんかよりもよっぽど優れてて優しくて素晴らしくて人に優しく在れる人たちが、僕なんかよりずっと素晴らしくこの社会に生きていくべきそんな人たちが、同じこの社会で何故傷ついてゆかねばならないのでしょうか?

だけど、だけどね。書いててずっと思ってました。takebonoは「下流」で、しかもそこにもう在処を見つけてしまっていたことを。いつからだろうかわからないけれど、たぶんずっとずっと前からだ。takebonoは「下流」に在ることが運命付けられてたような。思えばあの日やあの日からかなぁ。 きっと「藤子不二夫」も「アントニオ猪木」も「takebono」も、何かのキッカケで生まれたのだし、それでいいのだと思う。 僕の中の僕だけのテロリズムかヒロイズムかよくわからんものが帰結する一つの形かと。だけどまだ僕は「ただ一切が流れてゆく」ことを許していません。5年くらい前からそうでした。だから充実してたんじゃん。限りある命を、いま、生きてゆきたいんだよ。すごく。生きてゆきたいんだよな。この僕が知る僕を。知ろうとする僕をだよ。
そうさ。こんな僕にどんな意欲が足りないというんだ?
僕がどのように生きれば誰が納得するっていうんだ?

社会は普通に狂っている。だがしかし「下流」はクズである。そしてだからといって「上流」が素晴らしいわけでもない。ボケた「中流」が素敵なわけでもない。大切なのは「流れ」の中にあって、自分の足で歩き、自分を見極め続けることだ。立ち上がるときに立ち上がろうとすることや、変えられることから変えようとすることや、心臓の鳴り方に納得できるかどうかということなんだ。自分なりに創りあげたどうしようもないソウルを、自分の手で生かしていければ、きっと生きることが楽しいはずさ。この瞬間は、もう2度と無い、自分の生命なんだから。そうなんじゃないのかな。

H先生の教職ゼミの共同研究を終えて、M先生の総合演習のグループワークを終えて、Sゼミの卒論を終えたら、たっくさん飲んで、一通りの人に挨拶をして、書きかけの小説を書き終えて、いろんなやり残しのそのまたやり残しなどを終えて、そして大学を卒業したら、そして宙ぶらりんになったら、仕事とネタとたくさんのソウルを見つけて、本をたくさん読んでたくさん本を書くんだ。地方にも外国にも行きたいしルームシェアもしたいし、コミュニティーを守り、作ってもゆきたいんだ。僕はもはや死なない。動けなくなるまでは、僕は絶対に生きていく。

「下流」でもいい。アンバランスで方向感覚のないこの僕が、この社会でもし泳げるのなら。そこが「下流」でもいい。そう思うんだ。 S先生、ごめんなさい。僕はtakebonoでした。そしてtakebonoは「下流」がすきでした。

“おしまい♪”
「偏頗なる社会、不公平なる社会、黄金は万能の勢力を有して横梁跋扈する社会には余輩は歓んで社会問題を迎えんとす。余輩は諸君と共に今日静かに日本の下層社会を研究し、この問題を提げて今日政治社会の腐敗を叫破し、平民政治を開きて下層社会の幸福を謀らん」(『日本之下層社会』p389)

横山氏は偉かったなあ。

では長かった下流論も遂に次で最終章です。
最後は引き続き僕ら団塊ジュニア世代のライフスタイル分析。
「よく買い物に行く店の階層性」について。
まず団塊ジュニア男性。ツタヤは「中」「下」ほど多い。でも無印もユニクロもマツキヨも、「上」「下」関係なく買い物していますね。
次女性。「中」「下」ほどコンビニで買い物する。でも女性も「上」「下」関係なくユニクロ、ドンキ、マツキヨ、無印、とごく一般的に買い物している。
一般的な店の客層には階層性あんまないのだ。そりゃそーかもな。すっげえ高価そうな服着て宝石付けた女性が100円ショップで買い物してるもんな。ユニクロや無印の客層が全て「下」には見えないしね。

「買い物一般の傾向における階層性」について。
まず団塊ジュニア男性。「上」ほど、「普段買い物する時間がほとんどない」。「通販が好き」。「年齢・地位・役職にふさわしい買い物をする」。「老舗のものはやはりよいと思う」傾向にある。 「下」ほど、「買い物が大好き」。「ブランド・メーカーにこだわりを持つ」傾向にある。 ちなみに「中」は、「限定ものに弱」く、「年齢・地位・役職にふさわしいものを買」わず、「どうしても必要なもの以外を買」ってしまう傾向にあります。 商品を選ぶ際に情報収集に時間を割ける「下」とそうでない「上」の差が見られますね。「下」も買い物にはこだわっているんだね。 そして階層意識に関係なくどの層も「商品の機能や性能など細かいところまでチェックする」「本当に気に入ったものは価格にこだわらずに買う」傾向にある。「好きな車」や「好きなウイスキー銘柄」にも階層差はない(ウイスキー?)。 つまり所得多くてもだからといって特に欲しいものがない「上」と、欲しがってこだわっても手に入らない「下」がいるってことか。もっと「上」に無駄遣いさせて経済回さないとな企業さん。
次女性。端折って一つだけ、「団塊ジュニア女性の持っている腕時計の階層性」について。どーでもいいな。「上」ではセイコーやシチズンが多く、「中」「下」ほどロレックスやカルティエ。どーでもいいな。

次に「これからお金をかけたいこと」の階層性について。
団塊ジュニア男性。「上」ほど「財テク・投資」「インテリア」「健康」「スポーツ」「住宅・リフォーム」。「下」ほど「教養・資格取得」「娯楽・イベント」。
女性。「上」ほど「旅行・レジャー」「インテリア」「健康」「美容」。
金に余裕ができると健康や美容や財テクに投資する余裕も生まれるって感じか。
興味深いデータ。団塊世代の趣味は「上」ほど「旅行・レジャー」「ドライブ」など高かったけどこれらみんなジュニアでは階層性のない価値観。団塊世代の「上」が持ちえた価値はジュニア世代ではどの層でも持てるもんになってるんだな。最後のビッグマーケットとかいわれる団塊世代だが、あまり派手に消費するとは思えないな。

…以上。今まで延々と日本の階層社会についてそして「下流」について論じてきましたが、やっと次でまとめて終わろうと思います。やってくる「下流」社会に対し、僕はどんなファイナルゴミアンサーを出せばいいのかな。

日清食品の安藤社長はいう。「今後の日本人は年収700万以上と400万以下に二極化する。700万以上の消費者向けに高付加価値の健康志向ラーメンを、400万以下の消費者向けに低価格商品を開発する」
カップラーメンに「上」「下」が生まれる時代かよ…はあ。そしてそれはビールよりも発泡酒が売れる時代であり、100円ショップが大繁盛の時代である。片方で、メディアや政界をも食らおうとしたホリエモン。球団を誕生させた三木谷氏。ヒルズ族にセレブ。新時代だ。

「上」消費者を狙うトヨタレクサス。「下」消費者を狙う発泡酒。両方を狙う日清食品。やってくる二極化・階層化時代を巡り企業も全知を振り絞る。 誰でもいいからいい加減「勝」ったり「負」けたりして早く死んでくれ、と思っちゃったりする。
“最終下流へつづく”

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