絶望の国のカオスにアディオス[?]
2005年8月28日 戯言戯言諸々その他「…この国には何でもある。しかし、希望だけがない」
村上龍のベストセラー「希望の国のエクソダス」で、閉塞した日本に対する無血クーデター・独立を計画し実行する子どもたちのトップ−中学生のリーダー・ポンちゃんが言った名台詞だ。僕はこの小説を高校の頃に読んで、経済とかの理屈がさっぱりわかんないまま、ポンちゃんたちの日本からのエクソダス(脱出)ストーリーだけが興味深かった記憶がある。言うまでもなくあの頃の僕には希望なんてなく、常にエクソダスに憧れていたからだ。でも思う。「希望」ってなんだったんだろ?って。
幾分有名な社会学者・山田昌弘の「希望格差社会」を読みました。わかりやすくて、そんな単純じゃないんじゃ?とも思うとこもあったけど、でも興味深かった。作者が言う「1998年」−希望が失われ始めた年…僕は16歳だった。あの頃はサカキバラやら「17歳」やら、イカれた少年たちによる、犯罪のための犯罪−ある種のエクソダスが起こったりしてたっけ。
この国から「希望」が失われている。そんな抽象的な嘆き文句を、僕はもう一体何度耳にしただろう。
「希望」に格差が生じているという。 社会は否応なく不安定になっていってる。TVをつければ誰かがほざく。新聞を開けば誰かが宣う。「不安定」「閉塞感」「不況」「凶悪化」…「テロリズム社会」が到来し始めた?そして決まって有識者も世論も「誰か」の責任にしようとする。答えが見えないという恐怖に耐えられないからだ。学校のせい?大人のせい?若者のせい?政治家のせい?文化のせい?病気のせい?脳のせい?運命のせい?…キリがない。一体なぜこうなった?僕らの社会はどこで道を誤った?いや、道など誤っちゃいないんじゃないかって僕は思う。普通に歩いてこうなった。散歩に出たのび太がドブにはまるようにさ。ドラえもんが22世紀からやってきて初めて、のび太の人生に希望が生まれたようにさ。
全てはニュー・エコノミーの台頭にある。戦後の高度成長期を支えた大量生産大量消費型市場社会(オールド・エコノミー)は、オイルショックとバブルを経たあたりでその役割を終えた。90年代以降に到来したニュー・エコノミーとは、大量生産大量消費にすら飽和した新しい人々の消費生活体系であった。見るがいい。大量に、そしてそれ以上に「多種多様」と化し展開される商品市場を。人々の消費は今や生存生活を超えたのだ。
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」(Ludwig van Beethoven)
かつて「三種の神器」(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)がもてはやされ、3C(カラーテレビ、自動車、クーラー)がもてはやされ、そして今や消費世界は個人のものとなった。
企業社会が変わる。家族社会が変わる。人間自体が変わっていく。これまであった「神話」は音を立てて崩壊していく。 「希望」に格差が生じているという。カネ、地位、幸運を超え、今や「希望」にすら、持つ者と持たざる者に大きな差が生じているという。
この国に希望がなくなった理由を知ったとして、僕に何が出来るわけではないけど、ひとまずこの絶望の国に迫り来るテロリズム社会に対し、明確な訣別を表明できたら素敵だなと思います。 発狂しそうな程に恐るべき自由がやってくる。だけど、寄る辺なき時代は創造の時代でもある。バブル以前、高度成長以前には出来なかったような生き方を、してみろやと、都合の良い神様がいるならばそんなお告げをtakebonoは夢で聞くだろう。
〈つづく…〉
村上龍のベストセラー「希望の国のエクソダス」で、閉塞した日本に対する無血クーデター・独立を計画し実行する子どもたちのトップ−中学生のリーダー・ポンちゃんが言った名台詞だ。僕はこの小説を高校の頃に読んで、経済とかの理屈がさっぱりわかんないまま、ポンちゃんたちの日本からのエクソダス(脱出)ストーリーだけが興味深かった記憶がある。言うまでもなくあの頃の僕には希望なんてなく、常にエクソダスに憧れていたからだ。でも思う。「希望」ってなんだったんだろ?って。
幾分有名な社会学者・山田昌弘の「希望格差社会」を読みました。わかりやすくて、そんな単純じゃないんじゃ?とも思うとこもあったけど、でも興味深かった。作者が言う「1998年」−希望が失われ始めた年…僕は16歳だった。あの頃はサカキバラやら「17歳」やら、イカれた少年たちによる、犯罪のための犯罪−ある種のエクソダスが起こったりしてたっけ。
この国から「希望」が失われている。そんな抽象的な嘆き文句を、僕はもう一体何度耳にしただろう。
「希望」に格差が生じているという。 社会は否応なく不安定になっていってる。TVをつければ誰かがほざく。新聞を開けば誰かが宣う。「不安定」「閉塞感」「不況」「凶悪化」…「テロリズム社会」が到来し始めた?そして決まって有識者も世論も「誰か」の責任にしようとする。答えが見えないという恐怖に耐えられないからだ。学校のせい?大人のせい?若者のせい?政治家のせい?文化のせい?病気のせい?脳のせい?運命のせい?…キリがない。一体なぜこうなった?僕らの社会はどこで道を誤った?いや、道など誤っちゃいないんじゃないかって僕は思う。普通に歩いてこうなった。散歩に出たのび太がドブにはまるようにさ。ドラえもんが22世紀からやってきて初めて、のび太の人生に希望が生まれたようにさ。
全てはニュー・エコノミーの台頭にある。戦後の高度成長期を支えた大量生産大量消費型市場社会(オールド・エコノミー)は、オイルショックとバブルを経たあたりでその役割を終えた。90年代以降に到来したニュー・エコノミーとは、大量生産大量消費にすら飽和した新しい人々の消費生活体系であった。見るがいい。大量に、そしてそれ以上に「多種多様」と化し展開される商品市場を。人々の消費は今や生存生活を超えたのだ。
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」(Ludwig van Beethoven)
かつて「三種の神器」(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)がもてはやされ、3C(カラーテレビ、自動車、クーラー)がもてはやされ、そして今や消費世界は個人のものとなった。
企業社会が変わる。家族社会が変わる。人間自体が変わっていく。これまであった「神話」は音を立てて崩壊していく。 「希望」に格差が生じているという。カネ、地位、幸運を超え、今や「希望」にすら、持つ者と持たざる者に大きな差が生じているという。
この国に希望がなくなった理由を知ったとして、僕に何が出来るわけではないけど、ひとまずこの絶望の国に迫り来るテロリズム社会に対し、明確な訣別を表明できたら素敵だなと思います。 発狂しそうな程に恐るべき自由がやってくる。だけど、寄る辺なき時代は創造の時代でもある。バブル以前、高度成長以前には出来なかったような生き方を、してみろやと、都合の良い神様がいるならばそんなお告げをtakebonoは夢で聞くだろう。
〈つづく…〉
人間という神秘、それを侵す「知」
2005年8月27日哲学や現代思想の入門書のようなもんをちょこちょこっとかじってみました。深いね。はまるとヤバイんだろうなこういうの。でも要するにロゴスなのかな。言語こそが世界を構成してるってのはよくわかる。世界に何百個か言語体系があって、それぞれの言語世界があって、その中で「意味」が生まれてくるという。そうそう、全能の神は何語を話すのかって、子供の頃思ってたもんね。言語学を極めるときっと多くの謎が解けてくるし、深い知識になってゆくんでないかな。キリスト教の「原罪」ってやつ、蛇にそそのかされてアダムイブが「知恵の実」を食っちゃった話、あれもそうだし。「バベルの塔」も、神に近づこうとした罰で言語をバラバラにされちまった話だから、きっと通ずるものがあるのかもしれないな。よくわかんねけど。
とりわけ構造主義ってやつに関して少し読みました。まあさっぱりなんだけどね。レヴィ・ストロースとか、フーコーとか。ようわからんけど、人間や人間社会に通ずる不変の「構造」を調べようとする方法論のようなものらしい。あやふやな哲学みたいなものを、実際に証明するような。そう考えると、マルクス主義は単なるマルクスの予言と言説でしかないんだ。構造主義の台頭がマルクス主義を追いやったと言われても仕方ないような。
どうしても解明されないもの、解明されてはいけないようなもの。「死」や「生」「性」。そうゆうの考えると頭痛くなる。だけど人はどこかしらでそれらに携わってる。昔の哲学者は、自分の生命も含めた全ての世界の謎を解こうとしたのだね。
それは煩悩?ソウル? 突き詰めると人間は結局3つの方向に行くんだって。「哲学」と「芸術」と「宗教」なんだって。なるほど現代社会だって宗教だもんな。
ちょっとずつなら哲学やっていきたいな。芸術も。
とりわけ構造主義ってやつに関して少し読みました。まあさっぱりなんだけどね。レヴィ・ストロースとか、フーコーとか。ようわからんけど、人間や人間社会に通ずる不変の「構造」を調べようとする方法論のようなものらしい。あやふやな哲学みたいなものを、実際に証明するような。そう考えると、マルクス主義は単なるマルクスの予言と言説でしかないんだ。構造主義の台頭がマルクス主義を追いやったと言われても仕方ないような。
どうしても解明されないもの、解明されてはいけないようなもの。「死」や「生」「性」。そうゆうの考えると頭痛くなる。だけど人はどこかしらでそれらに携わってる。昔の哲学者は、自分の生命も含めた全ての世界の謎を解こうとしたのだね。
それは煩悩?ソウル? 突き詰めると人間は結局3つの方向に行くんだって。「哲学」と「芸術」と「宗教」なんだって。なるほど現代社会だって宗教だもんな。
ちょっとずつなら哲学やっていきたいな。芸術も。
豊かさサイコー(再考)【2】
2005年8月26日 戯言戯言諸々その他日本人は週末にわざわざ人混みの中へレジャーしに行って、短時間に金払って楽しんで、楽しかったねなんて言う。お盆に3、4日くらい焦って田舎帰ってゆっくりしてすぐ帰らなきゃならなくて、楽しかったねなんて言う。 一方で、フランスやドイツには「バカンス」って概念がある。どの人も夏には3〜4週間の長期休みを取って避暑地などでゆっくり家族や友達と過ごす。余暇を過ごすコストがバカみたいにかかる日本ではそんなことしたら破産だけど、ヨーロッパでは「バカンス」が常識だ。つまらない労働なんて、バカンスのためにあるのだから。 確かに日本は、金さえ払えば夢のように娯楽が楽しめる国なんだけど(それも安易でポップな市場消費的価値だが)、公共の優しいサービスは全くなくないか?金さえあれば楽しめるってことは、金がなきゃ安心できないってことで、結局どこかに不安を引きずったまま生活してるってことのように思える。金が絡めば当然「価値」は実に市場的ポップに変質してくるし。そう考えると、確かに物質面では「豊か」だけど、日本人はかわいそうなのかもしれない。日本の賃金は高いけど、生活にお金がかかる社会構造だし、いつの時も暇がないほど働かなきゃなんない。モノは買えるけど安心は買えない。ブランド商品に群がり、100円ショップに群がって、「豊かさの中の貧しさ」なんて言われちまう。 ものすげえ劣悪な住宅環境の中でローン組むマイホームドリーム。吐き出される子どもの教育費。帰ってこないお父さん。いつも会うことが出来ない友達。通勤ラッシュ。高い物価。無い時間。狂った肉体。リストラ。残業。テロ。BSE。アスベスト。終わらない娯楽と新商品と消費、そして労働につぐ労働。 それでも日本人はコミュニティーとアイデンティティーを求めながら誠実に懸命に生きている。
かつて知り合いの左翼団体の連中が言ってた。「世界全体で生産性が向上したのだから、労働時間も短縮できるはずです。短縮されない分だけ搾取されてるのです」と。確かにそうなんだけども、でも、お前ら衣食住の他に娯楽サービスも消費するようになったじゃないか。需要が成立しちゃったら当然そこに労働力を供給することになるだろが。搾取的支配はもう既に、物理的な力関係じゃないのだ。お前らも含めた生産力消費力が、資本主義経済のダイナモなのだ。
ずっとずっとずっと僕らは「豊かさ」を求めてきた。その中では、快楽が幸福であったり不幸であったりしてきた。僕らはまた「しあわせ」の行方を探したりもしてきた。それは真冬に咲く一輪の花のようなものでもあったのかもしれない。クスッと笑えるものや、どこかホッと和めるものだったのかもしれない。ただ平和の内に生存することだったのかもしれない。自分の存在がほんの少しだけでも何かの価値となり反映されることだったのかもしれなかった。 この国にあって、目も眩む高度成長とバブルを経て、いまこの長期不況時代だからこそ、「豊かさ」を考え直してみることって、未来のために意義のあることだと僕自身思うのだ。GDPを疑ってかかる人が現在増えているだろう。確かに「衣食足りて礼節を知る」のだけど、もう衣食は既に足りていて、生まれたときから僕らの前には「豊かさ」を考えるという苦楽が在った。「豊かさ」って何ですか?って。今日、そしてこの僕において、どれほどの経済的安定がどれほどの「豊かさ」にあたるのだろうか?そして精神的安定はそれに比例するのだろうか?反比例するのだろうか? 極めて個人的な、それでいて普遍的な、「豊かさ」という問題を、人知れず思考する日々が続く。
姉は結婚という安定を。兄は芸術という表現を。両親は近々地方に移住し田舎ライフを送る計画を立てている。2匹の老猫は相変わらず僕の万年床やソファーで気持ちよさげに寝てる。撫でると喉をゴロゴロ鳴らす。ふむ。皆それぞれの「豊かさ」を、それぞれの生命のレベルや「しあわせ」によって、ソウルづかせているのだ。 いま社会は新しい時代に入ろうとしている。やってくるのは間違いなく不安定な社会だけど、姉も兄も両親も、新しい時代の「豊かさ」をそれぞれに模索し表現しているように思う。僕もまた僕で僕なりに、この時代を生きていくソウルを自分勝手に創りあげていくことを誓おう。
かつて知り合いの左翼団体の連中が言ってた。「世界全体で生産性が向上したのだから、労働時間も短縮できるはずです。短縮されない分だけ搾取されてるのです」と。確かにそうなんだけども、でも、お前ら衣食住の他に娯楽サービスも消費するようになったじゃないか。需要が成立しちゃったら当然そこに労働力を供給することになるだろが。搾取的支配はもう既に、物理的な力関係じゃないのだ。お前らも含めた生産力消費力が、資本主義経済のダイナモなのだ。
ずっとずっとずっと僕らは「豊かさ」を求めてきた。その中では、快楽が幸福であったり不幸であったりしてきた。僕らはまた「しあわせ」の行方を探したりもしてきた。それは真冬に咲く一輪の花のようなものでもあったのかもしれない。クスッと笑えるものや、どこかホッと和めるものだったのかもしれない。ただ平和の内に生存することだったのかもしれない。自分の存在がほんの少しだけでも何かの価値となり反映されることだったのかもしれなかった。 この国にあって、目も眩む高度成長とバブルを経て、いまこの長期不況時代だからこそ、「豊かさ」を考え直してみることって、未来のために意義のあることだと僕自身思うのだ。GDPを疑ってかかる人が現在増えているだろう。確かに「衣食足りて礼節を知る」のだけど、もう衣食は既に足りていて、生まれたときから僕らの前には「豊かさ」を考えるという苦楽が在った。「豊かさ」って何ですか?って。今日、そしてこの僕において、どれほどの経済的安定がどれほどの「豊かさ」にあたるのだろうか?そして精神的安定はそれに比例するのだろうか?反比例するのだろうか? 極めて個人的な、それでいて普遍的な、「豊かさ」という問題を、人知れず思考する日々が続く。
姉は結婚という安定を。兄は芸術という表現を。両親は近々地方に移住し田舎ライフを送る計画を立てている。2匹の老猫は相変わらず僕の万年床やソファーで気持ちよさげに寝てる。撫でると喉をゴロゴロ鳴らす。ふむ。皆それぞれの「豊かさ」を、それぞれの生命のレベルや「しあわせ」によって、ソウルづかせているのだ。 いま社会は新しい時代に入ろうとしている。やってくるのは間違いなく不安定な社会だけど、姉も兄も両親も、新しい時代の「豊かさ」をそれぞれに模索し表現しているように思う。僕もまた僕で僕なりに、この時代を生きていくソウルを自分勝手に創りあげていくことを誓おう。
豊かさサイコー(再考)【1】
2005年8月25日 戯言戯言諸々その他「豊かさ」って何だろう?って問いは恐らくずっと前からあって、結構多くの人が興味を持ってるのだと思うのだけど、だけど面白いことにやはり多くの人はアイデンティティーに自分らが慣れ親しんだものを選んでると思うのだ。 将来は立派な高等ルンペンになって、高度消費なんかせず、本をバカみたいに読んで、芸術やスポーツをバカみたいに嗜んで、ちょっとだけ金稼いで、外国に暮らしたりして、黒人女性をお嫁さんにしたいなー、なんて考えてるtakebonoさんにとっては果たしてじゃあ「豊かさ」ってどうなのだろうかって、時々思ったりするのです。
唐突だが僕は日本のサラリーマンたちを尊敬してる。あんなに誠実に、勤勉で、真面目に働きまくること、恐らく僕には一生できないだろうからだ。政治家や官僚、大企業、その親族達、いわゆる既得権益を持ってる奴らがどうしたってこの世を支配しながら、くだらなくふざけ合いたらたらと欲望消費を謳歌してるってのに、日本のサラリーマンたちは一生懸命に、愚直に、コツコツと日々を戦い抜いている。ささやかな「豊かさ」を得るために。そして守り抜くために。 何はともあれその姿に、やはり僕が最初に抱くのは「偉いなあ」という思いだ。
日本では「サービス残業」やら「リストラ」やら、労働者が近年色々と大変な目に遭っている、ってのは今や当たり前の状況にある。一方ヨーロッパでは、ホントにゆるゆるだらだらと人が働いてるという。平均的ホワイトカラー層は例えば朝遅く出勤して夕方早くには仕事終わりだったりする。昼御飯の時間をバカみたいにとったりする。昼食に1時間しかとらないのは日本とアメリカくらいだよと彼らは言う。残業なんかしやしない。普通に皆飲みにいくために毎日定時であがる。夢のようじゃんって思う?でも日本の労働環境の方が僕はすげえと思う。たくさんたくさん働く日本人。家族も、自らも顧みず、一生懸命働き続ける。残業も単身赴任もこなす。みんながみんな疲れてる。一時のような企業忠誠心みたいのはなくなってるように思うけど、それでも日本人はよう働くわと思う。「カローシ(過労死)」は日本発祥の世界語になっちまった。日本人の働き過ぎに世界がいつも驚いていることは、今更疑いようがない事実なのだ。
だけど働きバチの日本人労働者のおかげで、この国ではとてつもなく高水準の市場サービスが受けられるってこともまた事実だ。お店でお釣りをごまかす店員さんなんて絶対いないし(たぶん)、お喋りに夢中になって仕事しない従業員なんてのも絶対にいない。電車は1分も遅れずにやってくるし、料理店は美味しいもんばっかだ。夜遅くまで開いてるし。その他これでもかと便利なサービスが乱立してる。それに比べたらヨーロッパの市場サービス水準は劣悪を極めるのだと思う。不便でルーズで相当イラつくと思うよ。日本に比べたら例えばイギリスなんかは生産性も当然圧倒的に低いし、工場製品の品質もケタちがいだと思う。だけど、だからといってイギリス人の生活ぶりがよくないとか、イギリス人はもっと働くべきだ、とかいうことにはならない。なんでか?それは長い歴史の中でイギリスが選択した社会の在り方だから。サービス水準なんか落ちてもいいから、自分らの労働時間をギリギリまで短縮して、労働以外の生活をエンジョイしようとするライフスタイルは、イギリス人が歴史を経て辿り着いた生き方だからだ。過労死するまで働かされるけど高水準の市場サービスを受けられる日本とどっちが「豊か」だろうか? 答えは無い(と言いたい)。日本のように、労働がこんなに強いアイデンティティーとなりうるのも、価値観に基づく一つの「選択」だからだ。日本には資源もないし自給自足もできないしね。
しかし日本人から「仕事」を奪ったらホントに何も残らないのかな。いわゆる「仕事ができる」人ってやつに、僕は何の魅力も感じないし、なりたくもない。飽和した経済の中で、もう労働なんかそれほど賛美できる価値じゃない(とか言ってみてはサラリーマンにホント失礼にあたるか)。でもだからこそ、毎日勤めに出るサラリーマンを尊敬してもいるのだ。
〈つづく〉
唐突だが僕は日本のサラリーマンたちを尊敬してる。あんなに誠実に、勤勉で、真面目に働きまくること、恐らく僕には一生できないだろうからだ。政治家や官僚、大企業、その親族達、いわゆる既得権益を持ってる奴らがどうしたってこの世を支配しながら、くだらなくふざけ合いたらたらと欲望消費を謳歌してるってのに、日本のサラリーマンたちは一生懸命に、愚直に、コツコツと日々を戦い抜いている。ささやかな「豊かさ」を得るために。そして守り抜くために。 何はともあれその姿に、やはり僕が最初に抱くのは「偉いなあ」という思いだ。
日本では「サービス残業」やら「リストラ」やら、労働者が近年色々と大変な目に遭っている、ってのは今や当たり前の状況にある。一方ヨーロッパでは、ホントにゆるゆるだらだらと人が働いてるという。平均的ホワイトカラー層は例えば朝遅く出勤して夕方早くには仕事終わりだったりする。昼御飯の時間をバカみたいにとったりする。昼食に1時間しかとらないのは日本とアメリカくらいだよと彼らは言う。残業なんかしやしない。普通に皆飲みにいくために毎日定時であがる。夢のようじゃんって思う?でも日本の労働環境の方が僕はすげえと思う。たくさんたくさん働く日本人。家族も、自らも顧みず、一生懸命働き続ける。残業も単身赴任もこなす。みんながみんな疲れてる。一時のような企業忠誠心みたいのはなくなってるように思うけど、それでも日本人はよう働くわと思う。「カローシ(過労死)」は日本発祥の世界語になっちまった。日本人の働き過ぎに世界がいつも驚いていることは、今更疑いようがない事実なのだ。
だけど働きバチの日本人労働者のおかげで、この国ではとてつもなく高水準の市場サービスが受けられるってこともまた事実だ。お店でお釣りをごまかす店員さんなんて絶対いないし(たぶん)、お喋りに夢中になって仕事しない従業員なんてのも絶対にいない。電車は1分も遅れずにやってくるし、料理店は美味しいもんばっかだ。夜遅くまで開いてるし。その他これでもかと便利なサービスが乱立してる。それに比べたらヨーロッパの市場サービス水準は劣悪を極めるのだと思う。不便でルーズで相当イラつくと思うよ。日本に比べたら例えばイギリスなんかは生産性も当然圧倒的に低いし、工場製品の品質もケタちがいだと思う。だけど、だからといってイギリス人の生活ぶりがよくないとか、イギリス人はもっと働くべきだ、とかいうことにはならない。なんでか?それは長い歴史の中でイギリスが選択した社会の在り方だから。サービス水準なんか落ちてもいいから、自分らの労働時間をギリギリまで短縮して、労働以外の生活をエンジョイしようとするライフスタイルは、イギリス人が歴史を経て辿り着いた生き方だからだ。過労死するまで働かされるけど高水準の市場サービスを受けられる日本とどっちが「豊か」だろうか? 答えは無い(と言いたい)。日本のように、労働がこんなに強いアイデンティティーとなりうるのも、価値観に基づく一つの「選択」だからだ。日本には資源もないし自給自足もできないしね。
しかし日本人から「仕事」を奪ったらホントに何も残らないのかな。いわゆる「仕事ができる」人ってやつに、僕は何の魅力も感じないし、なりたくもない。飽和した経済の中で、もう労働なんかそれほど賛美できる価値じゃない(とか言ってみてはサラリーマンにホント失礼にあたるか)。でもだからこそ、毎日勤めに出るサラリーマンを尊敬してもいるのだ。
〈つづく〉
早く家PC復旧しないかな
2005年8月24日今日は読みかけの本を2冊読み終えました。学問書やら小説やら、数冊同時に読みかけだったりすることが最近よくある。それはそれですてきです。 この夏はまずドストエフスキーの「罪と罰」を読み終わろうと思って図書館から借りてきてまず岩波文庫で「上」を読み始めてたら、置いといた「中」を母さんが誤って洗濯機に放り込んでしまって(どうしたらそんなことが起きるのかようわからんが)本がグシャグシャになった。ハイ弁償。まさに「罪と罰」(なのか?)。
本屋まわったけど岩波のがなかった。そして本屋に行くとつい他の本に目がいくね。そういえば図書館で予約して5ヶ月待った本をやっと借りることができました。こういうのうれしい。
午後はNちゃんとまたカラオケに行った。1時間半いて1ドリンクで1人184円?そんなんで儲かんのか?喫茶店より安いね。Nちゃんが部屋を2階間違えた。全然ドリンクがこなくてぶっちぎれそうになってやっと部屋間違いに気づいたマヌケな2人。
Nちゃんにバイトさそわれた。出来るだけ付き合ってやりたいけど、卒論やら教職ゼミもやらんとな。
つうか早く家PC復旧しないと落ち着かないな。日記も毎日更新しないと何か落ち着かない。今日は漫画喫茶で日記更新中。
本屋まわったけど岩波のがなかった。そして本屋に行くとつい他の本に目がいくね。そういえば図書館で予約して5ヶ月待った本をやっと借りることができました。こういうのうれしい。
午後はNちゃんとまたカラオケに行った。1時間半いて1ドリンクで1人184円?そんなんで儲かんのか?喫茶店より安いね。Nちゃんが部屋を2階間違えた。全然ドリンクがこなくてぶっちぎれそうになってやっと部屋間違いに気づいたマヌケな2人。
Nちゃんにバイトさそわれた。出来るだけ付き合ってやりたいけど、卒論やら教職ゼミもやらんとな。
つうか早く家PC復旧しないと落ち着かないな。日記も毎日更新しないと何か落ち着かない。今日は漫画喫茶で日記更新中。
民主主義国家に生まれて
2005年8月23日9・11選挙戦が近づいてる。僕が一生懸命に何度も考え憂いてきた日本の未来を、また国民が審判する機会がやってきた。 ドス黒い戦いが始まり、ド汚え駆け引きがガンガンに始まった。自民党は郵政造反組が新党を乱立。数年後まで存続するわけがない。いや選挙後には解党してるかもしんない。今まで国民にいくら「痛み」がいっても平気だったくせに、自分らの「痛み」になるとすぐに立ち上がった。バカみたいだ。 本家小泉自民党は、ホリエモンとか使って人気パフォーマンス選挙に走り始めた。相変わらず小泉にぶら下がるクズ共のなんと多いことか。日本腐敗政治の中枢・自民党。そして小泉改革を筆頭に、「勝ち組」を優遇し、庶民に厳しい政治が本格的に始まる。ろくな未来が見えてこない。バカみたいだ。 民主党は相変わらず無理矢理に自民党と対立点を作ろうとしてる。お前ら自民党とどこが違うんだよ。すげー似てるから違いがわかんねえや。民主党にだって郵政民営化したい奴ら相当いるのにな。「自民党に反対するため」だけの郵政反対。愚かだわ。今回の選挙では「政権交代」くらいしか叫ぶことできないだろ。カネと保守権力で一枚岩になる自民党に対し、何とも民主党はバラバラだし。将来の分裂は必至。民主党を見てるとイラつくんだよな。バカみたいだ。 自民党と連立政権の公明党は、今回またも自民党と選挙協力してがっつり勝ちにいくんかな。公明党ほどこの世から消えてほしい党はないぜ。低所得者層の支持基盤が、腐敗自民党を支えているという信じられない構造に、宗教の恐ろしさを感じる。かつて知り合いの創価学会員の若者と話したことがあったっけ。永久不変のカリスマ・ダイサク氏が逝けば、学会内は大混乱だってさ。早く死なないかなって、僕は結構本気で思うよ。学会婦人部による気が狂った選挙運動が、そろそろ選挙違反として大規模に報道されてほしいものだ。バカみたいだ。 そして社民党に共産党。相も変わらずリアリティーのない政治ビジョンと、あの優等生的姿勢。お前ら古豪野党が、もっとぶちあげろって。福島と志位のTV演説を見たけど、なんてオーラが無いんだろこいつら。終わったな。バカみたいだ。 ムネオがしぶとく地域政党を旗揚げしたりして…大バカみたいですが、しかしでも僕らはよくよく考えてどれかしらの政治勢力に投票しなければなりません。 選挙するカギは2つ。自分の利害を一番反映してくれる政策を持ってる勢力に投票すること。よりよい未来に近づく政策を持ってる勢力に投票すること。抽象的ですが、これだけでしょう。
「センキョ疎いんッスよね」って、昨日教職ゼミの打ち合わせが終わった後、学校からの帰り道一緒になったMW君が投票権放棄をほのめかしていた。あマジで?それでキミ教師めざしてんの? はあ。SK兄貴でさえ今回選挙行くって言ってんだぞ。ちっとは関心持てよな〜。
当然だけど、選挙において投票行かなかった人つまり参政権を行使しなかった人ってのは、後どんなことになっても政治や社会に文句は言えません。そして僕たちは投票に責任を持たなければいけません。いちおうこの国は民主主義ですから、やっぱりこの社会を作ってるのは紛れもなく僕たちなのだからです。僕らの今の民主主義の結果が今のこの国の政治そのものなのです。政治が腐ってると感じるのなら、腐っているのは同時に僕らの民主主義でもあるってこと。 かつてプラトンは民主主義を批判しました。民衆がバカで愚かになったとき、民主主義は最低最悪の政治形態になるからです。故に、哲学を嗜んだ良い王様が「哲人王」として君臨・独裁するのが一番良いと彼は説いたのでした。確かにそうかもしれないけれど、でもたぶん民主主義ってのは僕らを試してるんだよ。僕らの社会を僕ら自身に任せていいのかって。そうでなけりゃ独裁の方がよっぽどいいもん。だから、ここ一番、よく考えた末の投票権の行使を、僕は全国民に求めたいとただ思うだけです。 みんなの一票でクズ政治家を叩き落とすことが何よりも大事なのだ。そして今回、郵政問題だけで決めちゃダメだってこと。郵政のことだけ喋ってれば国民騙せると思ってる奴らゴロゴロいるから。今後衆議院4年間の日本政治を任せられるかという、実に根本的な所をちゃんと見ながら、本当に僕らの社会をよりよくしようとする政策を持ってる政治家及び政党に投票しようぜい。
「センキョ疎いんッスよね」って、昨日教職ゼミの打ち合わせが終わった後、学校からの帰り道一緒になったMW君が投票権放棄をほのめかしていた。あマジで?それでキミ教師めざしてんの? はあ。SK兄貴でさえ今回選挙行くって言ってんだぞ。ちっとは関心持てよな〜。
当然だけど、選挙において投票行かなかった人つまり参政権を行使しなかった人ってのは、後どんなことになっても政治や社会に文句は言えません。そして僕たちは投票に責任を持たなければいけません。いちおうこの国は民主主義ですから、やっぱりこの社会を作ってるのは紛れもなく僕たちなのだからです。僕らの今の民主主義の結果が今のこの国の政治そのものなのです。政治が腐ってると感じるのなら、腐っているのは同時に僕らの民主主義でもあるってこと。 かつてプラトンは民主主義を批判しました。民衆がバカで愚かになったとき、民主主義は最低最悪の政治形態になるからです。故に、哲学を嗜んだ良い王様が「哲人王」として君臨・独裁するのが一番良いと彼は説いたのでした。確かにそうかもしれないけれど、でもたぶん民主主義ってのは僕らを試してるんだよ。僕らの社会を僕ら自身に任せていいのかって。そうでなけりゃ独裁の方がよっぽどいいもん。だから、ここ一番、よく考えた末の投票権の行使を、僕は全国民に求めたいとただ思うだけです。 みんなの一票でクズ政治家を叩き落とすことが何よりも大事なのだ。そして今回、郵政問題だけで決めちゃダメだってこと。郵政のことだけ喋ってれば国民騙せると思ってる奴らゴロゴロいるから。今後衆議院4年間の日本政治を任せられるかという、実に根本的な所をちゃんと見ながら、本当に僕らの社会をよりよくしようとする政策を持ってる政治家及び政党に投票しようぜい。
残暑続く中で
2005年8月22日結局内容まとめるのに朝までかかった。出来も悪かった。
昼にNちゃんがまた突然カラオケ行こうって。一時間付き合ってから学校に教職ゼミの打ち合わせに行った。本当は歌ってる場合なんかじゃなかったんだけどな。でもNちゃん珍しくあまり歌いもしないでどことなく沈んでた。なんか話したかったのかなあ。心配だわ。
学校いく途中、あの品川の緩い坂の所で、ギターケース背負ったYD君に会った。久しぶりだったけど、ヒゲを剃って髪を多少短くしてたYD。これからスタジオ行くんだって。音楽できるやつは雰囲気があるな。彼はなんかしらんがtakebonoにわけのわからん期待をかけてくれてるイカれたギターマンだ。少し立ち話をして、お互いの卒業後の進路が結局白紙だってことになって「オレたちアウトローは何でも出来るんだぜ」って言ってYDはニヤリと笑った。勝手に「オレたち」にすんなってのお前。 「テロに近い何かを起こしてくれよ」と、かつて飲み屋で一口も酒を口にせず僕に何かわけのわからん思想を語ったYD。酒も女もタバコもやらないという究極の彼独自のロックミュージシャン哲学に、僕は少しだけソウル感じたりしたことがあった。この前、興味本位で就活に手をつけ始めた僕を失望の眼差しで見てた彼は、卒業後の進路を高等ルンペンに決めた今の僕を見てどこか喜んでるみたいだった。彼の期待に好きで応えたわけじゃねえんだが。はあ。でも今後こいつとはソウルメートになれる予感がする。どこかソウルの匂いがするもんさ。僕も音楽やりてえなあ。
教職ゼミの打ち合わせは順調でした。前回あれだけみんな僕の提案に否定的だったくせに、やってみたらうまくいったって感じかい。虫が良いなお前ら、とか思ったけど別に腹も立ちやしなかった。それよりも何とか形になりそうでよかった。夏の間に他のグループをひきはなしてやる。もう一頑張りしなきゃならんな。
早めに終わったので地元の駅をぶらぶらしてた。某左翼政党が選挙演説してた。なんとも弱々しく。チラシをもらったから少し聞いてあげてたら、駆け寄ってきて機関誌もくれた。ホントお人好しどもが。カネや利権や保身なんて考えてもいないんだろうなこいつら。だから負けんだよ、とは言いたくないけど、現実を何一つ見てないとも見えてしまう。まあ、腐敗した現実はそれはそれで彼らには意味もないのかもしれないが。
公園でビール飲んで帰った。隣のベンチには新聞紙にくるまったおっさんが寝てた。夏はいいね普通に野宿できて。巷の経済格差は広がる一方で、全くこれからは柔軟になれない日本人にはきつい社会になってゆくのだろうけど、でもこんなとこに寝てるおっさんを救うとか救わないとか、そんなことでもなく。規制緩和は必要だけど、「物言わぬ消費者」とまで揶揄される奴隷根性に充ちた日本人たちが、何か更なる市場開放による社会変動に耐えられるのかなって思う。もっとどこか違う形で、人々に優しい政治ができないものだろうかって思うのさ。あの某左翼政党はそんな僕の願いを形にしてくれるのだろうか。そしてこの国の民主主義は今回どのような審判を政治にぶつけるのだろうか。毎回少しだけ期待してあっさり諦めるパターンなんだけどどうだろ今回。選挙戦近づく残暑。
だらだら書いちまった。PCがまだ修理中なので更新が遅れています。でも毎日ちゃんと書いていますよ。
昼にNちゃんがまた突然カラオケ行こうって。一時間付き合ってから学校に教職ゼミの打ち合わせに行った。本当は歌ってる場合なんかじゃなかったんだけどな。でもNちゃん珍しくあまり歌いもしないでどことなく沈んでた。なんか話したかったのかなあ。心配だわ。
学校いく途中、あの品川の緩い坂の所で、ギターケース背負ったYD君に会った。久しぶりだったけど、ヒゲを剃って髪を多少短くしてたYD。これからスタジオ行くんだって。音楽できるやつは雰囲気があるな。彼はなんかしらんがtakebonoにわけのわからん期待をかけてくれてるイカれたギターマンだ。少し立ち話をして、お互いの卒業後の進路が結局白紙だってことになって「オレたちアウトローは何でも出来るんだぜ」って言ってYDはニヤリと笑った。勝手に「オレたち」にすんなってのお前。 「テロに近い何かを起こしてくれよ」と、かつて飲み屋で一口も酒を口にせず僕に何かわけのわからん思想を語ったYD。酒も女もタバコもやらないという究極の彼独自のロックミュージシャン哲学に、僕は少しだけソウル感じたりしたことがあった。この前、興味本位で就活に手をつけ始めた僕を失望の眼差しで見てた彼は、卒業後の進路を高等ルンペンに決めた今の僕を見てどこか喜んでるみたいだった。彼の期待に好きで応えたわけじゃねえんだが。はあ。でも今後こいつとはソウルメートになれる予感がする。どこかソウルの匂いがするもんさ。僕も音楽やりてえなあ。
教職ゼミの打ち合わせは順調でした。前回あれだけみんな僕の提案に否定的だったくせに、やってみたらうまくいったって感じかい。虫が良いなお前ら、とか思ったけど別に腹も立ちやしなかった。それよりも何とか形になりそうでよかった。夏の間に他のグループをひきはなしてやる。もう一頑張りしなきゃならんな。
早めに終わったので地元の駅をぶらぶらしてた。某左翼政党が選挙演説してた。なんとも弱々しく。チラシをもらったから少し聞いてあげてたら、駆け寄ってきて機関誌もくれた。ホントお人好しどもが。カネや利権や保身なんて考えてもいないんだろうなこいつら。だから負けんだよ、とは言いたくないけど、現実を何一つ見てないとも見えてしまう。まあ、腐敗した現実はそれはそれで彼らには意味もないのかもしれないが。
公園でビール飲んで帰った。隣のベンチには新聞紙にくるまったおっさんが寝てた。夏はいいね普通に野宿できて。巷の経済格差は広がる一方で、全くこれからは柔軟になれない日本人にはきつい社会になってゆくのだろうけど、でもこんなとこに寝てるおっさんを救うとか救わないとか、そんなことでもなく。規制緩和は必要だけど、「物言わぬ消費者」とまで揶揄される奴隷根性に充ちた日本人たちが、何か更なる市場開放による社会変動に耐えられるのかなって思う。もっとどこか違う形で、人々に優しい政治ができないものだろうかって思うのさ。あの某左翼政党はそんな僕の願いを形にしてくれるのだろうか。そしてこの国の民主主義は今回どのような審判を政治にぶつけるのだろうか。毎回少しだけ期待してあっさり諦めるパターンなんだけどどうだろ今回。選挙戦近づく残暑。
だらだら書いちまった。PCがまだ修理中なので更新が遅れています。でも毎日ちゃんと書いていますよ。
夏祭りも
2005年8月21日昼まで寝て、午後はサッカーした。汗だくだく。夏のサッカーも最高だな。
そのあとTVでボクシング観た。あのナニワの闘拳亀田がついに東洋太平洋タイトルを奪った。いやすげえの。1Rからチャンピオンをボコって、2回ダウンさせて、3Rでメタメタに殴り倒した。ディフェンスもフットも完璧。圧巻の完全勝利だった。TV相手に思わず、「強え」と呟いた僕に答えるかのように、「まあ、オレ強いから」と笑顔でインタビューに答えてた若き新王者は、これで遂に世界タイトルを照準に捉えることになる。亀田よ、奪れよ世界!カッコいいぜお前!
その後は仲間とボウリングして遊んでから、夜は地元各地で催される地域のお祭りをはしご。4つの公園で4つの盆踊りとお祭りを堪能。いいもんだわ祭囃子は。夏って感じがする。おばさんたちのなめらかな踊りも実に風流だった。子どもの浴衣姿はとってもかわいらしかった。お祭りっていう非日常空間にどこか少なからず心が躍り、熱気を帯びた空気にまた夜風が気持ちいいんだよね。僕も江戸っ子かやっぱり。
明日の教職ゼミの打ち合わせのために今日中に内容をまとめないと。くそ眠れないな。
そのあとTVでボクシング観た。あのナニワの闘拳亀田がついに東洋太平洋タイトルを奪った。いやすげえの。1Rからチャンピオンをボコって、2回ダウンさせて、3Rでメタメタに殴り倒した。ディフェンスもフットも完璧。圧巻の完全勝利だった。TV相手に思わず、「強え」と呟いた僕に答えるかのように、「まあ、オレ強いから」と笑顔でインタビューに答えてた若き新王者は、これで遂に世界タイトルを照準に捉えることになる。亀田よ、奪れよ世界!カッコいいぜお前!
その後は仲間とボウリングして遊んでから、夜は地元各地で催される地域のお祭りをはしご。4つの公園で4つの盆踊りとお祭りを堪能。いいもんだわ祭囃子は。夏って感じがする。おばさんたちのなめらかな踊りも実に風流だった。子どもの浴衣姿はとってもかわいらしかった。お祭りっていう非日常空間にどこか少なからず心が躍り、熱気を帯びた空気にまた夜風が気持ちいいんだよね。僕も江戸っ子かやっぱり。
明日の教職ゼミの打ち合わせのために今日中に内容をまとめないと。くそ眠れないな。
サッカーの後のビールは犯罪的
2005年8月20日今日は大学のグラウンドでサッカー。早めに行ってサッカーの時間まで勉強してようと思ってたのに、図書館も情報センターも閉まってた。そうか、今日は土曜日だったんだな。食堂も学校生協もやってなかった。その上、筆記用具を忘れた。勉強もできやしない。仕方ないからずっと本読んでた。
サッカーは人数が集まらなくて中止になりかけたけど、せっかくだからということで少人数で楽しんだ。結構楽しかった。
その後地元戻ってSK兄貴と公園で飲みました。屋外ビールが最高に美味いのも夏の魅力よ。一缶目のモルツが最高の美味さだったので、2缶目の発泡酒はまるで水でした。なんだこの炭酸麦水は?って感じ。そういえば四国は水不足だったらしい。まるで関係なく連日ビールだったからよくわからなかったわい。
その後はSK兄貴の店で飲んだ。SKは就職先の研修の、僕はサッカーの、それぞれ疲れとアルコールがマッチして、二人結構酔っぱらった。終わりかける夏の陽気がそうさせたのかもしれない。
本当は色々やりたいことがあって、まだ夏は終わってほしくない今日この頃です。
サッカーは人数が集まらなくて中止になりかけたけど、せっかくだからということで少人数で楽しんだ。結構楽しかった。
その後地元戻ってSK兄貴と公園で飲みました。屋外ビールが最高に美味いのも夏の魅力よ。一缶目のモルツが最高の美味さだったので、2缶目の発泡酒はまるで水でした。なんだこの炭酸麦水は?って感じ。そういえば四国は水不足だったらしい。まるで関係なく連日ビールだったからよくわからなかったわい。
その後はSK兄貴の店で飲んだ。SKは就職先の研修の、僕はサッカーの、それぞれ疲れとアルコールがマッチして、二人結構酔っぱらった。終わりかける夏の陽気がそうさせたのかもしれない。
本当は色々やりたいことがあって、まだ夏は終わってほしくない今日この頃です。
小夢日記
2005年8月19日PCを修理に出しているので、しばらくはこの徒然日記の更新が滞ることがあるかもしれません。学校のPCなりマンガ喫茶なりで、出来るだけ遅れずに更新しようとは思ってます。
さて、旅先で色々な夢をみたのでその記録。まず悪夢。やはりあれは悪夢だろうな。なんか、目の前にカオスのようなもの(空間だか物体だかよくわからない)があって、そこにグチャグチャとゴキブリやらウジ虫のようなこれまたカオスのようなものが群がっているという光景。なんだろ。死体に群がるハエみたいな感じ。払いのけたいんだけど、払いのけた後には恐ろしいものが顔を出すような感じ。ぐああって気が狂いそうになって目が覚めた。
さて次の夢。知り合いの女の子がヌードで登場しました。吐きそうになった。ぐああって気が狂いそうになって目が覚めた。
他にも色々みたけど忘れちゃった。夢って面白い。昔はもろ深層心理出てた感じだったけど、今や自分がそのまま出てる感じ。裏表が無いっつうか、だから恐いのは夢と現実がたまにごっちゃになること。ホントにあるんだわそんなことがさ。いいことか悪いことかはようわからんがね。
今日は図書館に行ってからマンガ喫茶に寄って日記の更新とか色々やって、それからバイトに行きました。夜もなんか暑い暑い。
さて、旅先で色々な夢をみたのでその記録。まず悪夢。やはりあれは悪夢だろうな。なんか、目の前にカオスのようなもの(空間だか物体だかよくわからない)があって、そこにグチャグチャとゴキブリやらウジ虫のようなこれまたカオスのようなものが群がっているという光景。なんだろ。死体に群がるハエみたいな感じ。払いのけたいんだけど、払いのけた後には恐ろしいものが顔を出すような感じ。ぐああって気が狂いそうになって目が覚めた。
さて次の夢。知り合いの女の子がヌードで登場しました。吐きそうになった。ぐああって気が狂いそうになって目が覚めた。
他にも色々みたけど忘れちゃった。夢って面白い。昔はもろ深層心理出てた感じだったけど、今や自分がそのまま出てる感じ。裏表が無いっつうか、だから恐いのは夢と現実がたまにごっちゃになること。ホントにあるんだわそんなことがさ。いいことか悪いことかはようわからんがね。
今日は図書館に行ってからマンガ喫茶に寄って日記の更新とか色々やって、それからバイトに行きました。夜もなんか暑い暑い。
旅行中に、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読みました。これからは名作とか外国文学も読んでいきたいな。
−シュワルツワルト地方の小さな町で生まれたハンス・ギイベンラアト少年は、100年に一度と言われるその天性の知力で、トップに近い成績で神学校への入学を果たす。彼の父、町の牧師、ラテン語学校の校長、多くの人が彼の進路を祝福し、彼に更なる飛躍を期待する。しかし、彼が受験のために失った青春は、後の彼に深く暗い闇を生み出すのであった。
大人の無理解と利己主義という冷たい「車輪の下」で、哀れにももがき苦しみ続ける少年の内面的な相克と、圧力に潰されてゆく悲惨な運命を、少年の繊細な心を通してその切なさがソウルフルに描かれていて、とても悲しかった。きっとどこにだっている。傷つきやすい少年の心、あまりにも砕けやすい少年の魂。不確実で、不安定で、危険で、それでもソウルに溢れていた青春というやつを、少年らしさを、そう、それこそに少年は息づくのではないかと、思う。 衝撃のラストに、僕は溜息を一つだけつきました。なんて悲しい物語だろうかと。
今日は疲れが残っていて、図書館行ったりしてだらだら過ごしました。
しかしやっぱり本を読みたくなるもんだな。旅先でもかなりの時間を本屋で費やしたもんな。この夏、たくさん本を読みたいな。
−シュワルツワルト地方の小さな町で生まれたハンス・ギイベンラアト少年は、100年に一度と言われるその天性の知力で、トップに近い成績で神学校への入学を果たす。彼の父、町の牧師、ラテン語学校の校長、多くの人が彼の進路を祝福し、彼に更なる飛躍を期待する。しかし、彼が受験のために失った青春は、後の彼に深く暗い闇を生み出すのであった。
大人の無理解と利己主義という冷たい「車輪の下」で、哀れにももがき苦しみ続ける少年の内面的な相克と、圧力に潰されてゆく悲惨な運命を、少年の繊細な心を通してその切なさがソウルフルに描かれていて、とても悲しかった。きっとどこにだっている。傷つきやすい少年の心、あまりにも砕けやすい少年の魂。不確実で、不安定で、危険で、それでもソウルに溢れていた青春というやつを、少年らしさを、そう、それこそに少年は息づくのではないかと、思う。 衝撃のラストに、僕は溜息を一つだけつきました。なんて悲しい物語だろうかと。
今日は疲れが残っていて、図書館行ったりしてだらだら過ごしました。
しかしやっぱり本を読みたくなるもんだな。旅先でもかなりの時間を本屋で費やしたもんな。この夏、たくさん本を読みたいな。
takebono西国漫遊記9
2005年8月17日 旅行始発の東海道本線で朝っぱらから名古屋へ。電車内でずっと寝てた。そのまま東海道でも充分帰れたけど、東海道も飽きたのでちょっと遠回りをして、名古屋から中央本線で帰ることにした。内陸地、山の中を走る中央本線。のどかな景色が広がります。中津川駅で乗り継ぎを待ってると、実家に帰省中の姉から?。どうやら福島で地震があって昨日帰れなかったらしい。そして東京では雷雨があり、家のPCがぶっ壊れて修理に出したそうだ。帰ってネットもできやしないのか。はあ。 中央本線はゆっくりと東へ。甲府を過ぎ、やっと西東京へ。途中、相模湖を通過。去年の調査実習が懐かしかった。
八王子駅でM君が車で迎えに来てくれた。M君は八王子を案内してくれて、八王子ラーメンをおごってくれた。M君顔なじみの店の主人が「八王子の名所?無えよそんなもん」とあっさり言った。渋いわぁおっさん。
M君家の側の、横浜線の片倉という駅で軽く飲んで、色々話しました。ホント面白いくらいに方向性の違う生き方を歩む2人が、この先どうなるのかねって。まあ、死ぬときにわかればいいのさ。人生がどうだったかなんてことはよ。
そして遅くならないうちにそのまま中央線つたって我が家に帰宅しました。10日振りか?でも全然懐かしくもない。相変わらず猫が僕の布団に寝そべってたし、両親は夫婦漫才みたいに馬鹿笑いしてた。PCが無くなってた。色々ネット使わなきゃならんのにな。東京に戻ってもどうやらマンガ喫茶を使う羽目になりそうだ。
というわけでtakebonoの西国漫遊は終わりました。今回の旅でも色々考えたけど、モヤモヤしたものはなかった。もう悩みなんて、あっても別に悩んじゃいないんだ。 それにしても四国の祭り巡りはすごかったな。食べ物も美味しかった。四国美人にはたくさん会えたけど、連れて帰ることは出来なかったな。ははは。 広島もよかったわ。行ってよかった。
今度バイク買おうかな。そしたら今度は一ヶ月くらい「放浪」しようかな。もう今回みたいな半分「観光」混じってるような旅は最後だろうな。 しかし今回は天候にも恵まれた。やっぱり楽しかった。そうね、楽しかった。
takebono、東京帰還。
八王子駅でM君が車で迎えに来てくれた。M君は八王子を案内してくれて、八王子ラーメンをおごってくれた。M君顔なじみの店の主人が「八王子の名所?無えよそんなもん」とあっさり言った。渋いわぁおっさん。
M君家の側の、横浜線の片倉という駅で軽く飲んで、色々話しました。ホント面白いくらいに方向性の違う生き方を歩む2人が、この先どうなるのかねって。まあ、死ぬときにわかればいいのさ。人生がどうだったかなんてことはよ。
そして遅くならないうちにそのまま中央線つたって我が家に帰宅しました。10日振りか?でも全然懐かしくもない。相変わらず猫が僕の布団に寝そべってたし、両親は夫婦漫才みたいに馬鹿笑いしてた。PCが無くなってた。色々ネット使わなきゃならんのにな。東京に戻ってもどうやらマンガ喫茶を使う羽目になりそうだ。
というわけでtakebonoの西国漫遊は終わりました。今回の旅でも色々考えたけど、モヤモヤしたものはなかった。もう悩みなんて、あっても別に悩んじゃいないんだ。 それにしても四国の祭り巡りはすごかったな。食べ物も美味しかった。四国美人にはたくさん会えたけど、連れて帰ることは出来なかったな。ははは。 広島もよかったわ。行ってよかった。
今度バイク買おうかな。そしたら今度は一ヶ月くらい「放浪」しようかな。もう今回みたいな半分「観光」混じってるような旅は最後だろうな。 しかし今回は天候にも恵まれた。やっぱり楽しかった。そうね、楽しかった。
takebono、東京帰還。
takebono西国漫遊記8−帰路・京都−
2005年8月16日 旅行ホテルの朝食が無料だったので、パンとコーヒーとオレンジジュースを昼御飯代わりにたくさん飲み食いしておいた。美味かった。そこらの店より美味いんじゃないかと思った。
今更醜悪な観光産業に貢献するのも嫌だったので、ホテルをギリギリにチェックアウトして、京都駅前をずっとうろうろしてた。 駅ビルで手塚治虫展をやってたから観に行った。京都タワーにでも上ろうかと思ったけど、今日はあの大文字の日だったから何か予約してないと上れないんだと。何を観るわけでもなく買うわけでもなく一日ボーっと過ごした。普段は散歩や図書館に行ったり、読書やサッカーを満喫する普通の休日と変わりない。生産も消費もしません。これは市場経済への冒涜かい?それでもそういう一日が大好きです。結局「観光」なんかするもんじゃねえってことか。
そうこうしてるうちに日が暮れた。今夜の宿はマンガ喫茶。 夜になってからBちゃんと連絡つきました。遅いっつーの。昼間の内に連絡着けばデートできたのに。ケータイ持ってないとやっぱ不便だ。まあでも四国で買ってきた酒で、東京で飲めたらすてきだわ。 京都駅前でストリートライブをしてる兄ちゃんたちがいました。暇だったのでずっと聞いてたらライブのチケットをくれました。ま、明日帰るんで観に行けないけどね。でもいい歌と曲だったよ。音楽という聴覚芸術への嫉妬は未だあるわ。 あと駅前で「生命(いのち)エネルギー」の勉強をしてるという2人組に声かけられました。あぶねえなこいつら。気功みたいなもんかと訪ねたら、いやいやあくまで「生命(いのち)」なんだ、と。はあ。変な奴らはどこにでもいるもんだな。
明日の始発で出発予定。東京へ。takebono帰還です。
−つづく−
今更醜悪な観光産業に貢献するのも嫌だったので、ホテルをギリギリにチェックアウトして、京都駅前をずっとうろうろしてた。 駅ビルで手塚治虫展をやってたから観に行った。京都タワーにでも上ろうかと思ったけど、今日はあの大文字の日だったから何か予約してないと上れないんだと。何を観るわけでもなく買うわけでもなく一日ボーっと過ごした。普段は散歩や図書館に行ったり、読書やサッカーを満喫する普通の休日と変わりない。生産も消費もしません。これは市場経済への冒涜かい?それでもそういう一日が大好きです。結局「観光」なんかするもんじゃねえってことか。
そうこうしてるうちに日が暮れた。今夜の宿はマンガ喫茶。 夜になってからBちゃんと連絡つきました。遅いっつーの。昼間の内に連絡着けばデートできたのに。ケータイ持ってないとやっぱ不便だ。まあでも四国で買ってきた酒で、東京で飲めたらすてきだわ。 京都駅前でストリートライブをしてる兄ちゃんたちがいました。暇だったのでずっと聞いてたらライブのチケットをくれました。ま、明日帰るんで観に行けないけどね。でもいい歌と曲だったよ。音楽という聴覚芸術への嫉妬は未だあるわ。 あと駅前で「生命(いのち)エネルギー」の勉強をしてるという2人組に声かけられました。あぶねえなこいつら。気功みたいなもんかと訪ねたら、いやいやあくまで「生命(いのち)」なんだ、と。はあ。変な奴らはどこにでもいるもんだな。
明日の始発で出発予定。東京へ。takebono帰還です。
−つづく−
takebono西国漫遊記7−帰路・京都−
2005年8月15日 旅行終戦記念日の朝、広島を後にする。山陽本線を東へ戻る。旅もいよいよ帰り道だ。岡山、神戸と突っ走る。鳥取にも行きたかったんだけどもう疲れちまった。
旅先では会えなかったM君と連絡がつき、明後日の八王子で飲む約束をした。しかしBちゃんとはとうとう連絡がとれなかったな。
京都のビジネスホテルに宿をとる。これまでで一番高いホテルだ。すっごい高級感。従業員がほとんどいないし、ほとんどが全自動なの。初めてカードのルームキーってやつを使った。最初使い方がようわからんくて、なんか5分くらい部屋のドアが開けられなかった。だめね放浪者は、ホテルなんか使っちゃあ。 だから、今回の旅は全体的に「観光」の域を出なかった感じがする。やはりお土産は帰る直前に買うものだと思った。本来、軽装備でリュックに全部詰め込んで、駅や駐車場で野宿し、自分の行きたい所に勝手に向かうものなんだろうな旅ってやつは。各地の観光名所をまわり、名物を食べ、お土産を買い、交通機関やらコインロッカーやら、およそ観光産業の全てに対して、僕の手持ち金が吐き出されてゆく感覚が、旅の終わり頃からいい加減に醜悪な心地を伴うようになってきたのだ。放浪者に優しいコンビニの便利なサービスを受容しておいて、僕はしかしそれが腹立たしくて仕方がなかった。
SJがブログ見てくれたって、あと色々長いメールをくれた。SJも自分の在るべき場所で懸命に生きようとしてるんだなって思った。そんなSJに対し、本当にかけるべき言葉なんてすぐには考えつかないのだけど、でも、全く違う道を歩き尚、しかし君がピンチの時にはやはり僕は駆けつけるんだろうな。SJよ、見てるか?僕らがいたあの時代からもう何年か経って、少なくとも今のtakebonoは、誰かにとってのちっぽけな希望になることが出来ているみたいなんだ。今は自分が自分に基づいてる。T秋が言ってたね。「自分で在れ」と。その「自分」ってやつと、「社会」が認めときにニーズとする(それもまた)「自分」ってやつが、そのバランスに、死ぬほど苦しめられてきたけどさ、大学入って色々なこと考えたり本読んだり、とんでもなく素敵な連中に出会ったりしてな、だんだん輝いていったんだtakebonoは。自分で在ろうとするエネルギーはときに、自分を変えることなく自分を強くするんだってこと。だから結局変わってねえんだし変わったんだよ。俗にいう「自分探し」だったんかもしんないけど、今の僕は、あの頃大嫌いだった「自分」とたぶん同じ「自分」を誇りにしてるんだわ。だから楽しいぜ、今は、何もかもがさ。 SJ、あの頃は君にも迷惑かけたね。一時期、生きてるのが嫌でそれでも死ねなくて、君に依ってたような時もあった。恋だの友情だのそんな戯言に吐き気を催しながらね。だけど、周りの連中みんな死ねばいいと思ってたけど、君だけは生きててほしいと思ってたっけ。そんな僕も死んでいいんだと思ってた。馴れ合いとかじゃねえ。ただあの頃のtakebonoを知ってくれているのはたぶん君だけなんだ。ただそんなことが、ふと懐かしくなるときもあるんよねやっぱり。あんな、どうしようもない時代だったけど、今の僕を創ってくれたのか。だから優しく静かに閉めておこうと思ってんのさ。愚かだろ。 …精一杯考えてここまで書いたわ。いつかでいい。何のしがらみもなく、そしてtakebonoがもう少しだけ輝くようになったとき、外国のビールか何かで君と飲みたいぜSJ。いつかはまた会えるだろ。君の人生の新しい活躍を祈ってるよ。
夜は京都駅周辺を散歩した。多くの人が駅に寝ていた。僕も本来ああすべきだったのだろうな。軽く雨が降ってきた京都の夜空に、今年も終戦記念日の願いをかけた。どうか世界が平和になりますように。旅も終わりだな。こんな夏ももう終わりなのだろう。
−つづく−
旅先では会えなかったM君と連絡がつき、明後日の八王子で飲む約束をした。しかしBちゃんとはとうとう連絡がとれなかったな。
京都のビジネスホテルに宿をとる。これまでで一番高いホテルだ。すっごい高級感。従業員がほとんどいないし、ほとんどが全自動なの。初めてカードのルームキーってやつを使った。最初使い方がようわからんくて、なんか5分くらい部屋のドアが開けられなかった。だめね放浪者は、ホテルなんか使っちゃあ。 だから、今回の旅は全体的に「観光」の域を出なかった感じがする。やはりお土産は帰る直前に買うものだと思った。本来、軽装備でリュックに全部詰め込んで、駅や駐車場で野宿し、自分の行きたい所に勝手に向かうものなんだろうな旅ってやつは。各地の観光名所をまわり、名物を食べ、お土産を買い、交通機関やらコインロッカーやら、およそ観光産業の全てに対して、僕の手持ち金が吐き出されてゆく感覚が、旅の終わり頃からいい加減に醜悪な心地を伴うようになってきたのだ。放浪者に優しいコンビニの便利なサービスを受容しておいて、僕はしかしそれが腹立たしくて仕方がなかった。
SJがブログ見てくれたって、あと色々長いメールをくれた。SJも自分の在るべき場所で懸命に生きようとしてるんだなって思った。そんなSJに対し、本当にかけるべき言葉なんてすぐには考えつかないのだけど、でも、全く違う道を歩き尚、しかし君がピンチの時にはやはり僕は駆けつけるんだろうな。SJよ、見てるか?僕らがいたあの時代からもう何年か経って、少なくとも今のtakebonoは、誰かにとってのちっぽけな希望になることが出来ているみたいなんだ。今は自分が自分に基づいてる。T秋が言ってたね。「自分で在れ」と。その「自分」ってやつと、「社会」が認めときにニーズとする(それもまた)「自分」ってやつが、そのバランスに、死ぬほど苦しめられてきたけどさ、大学入って色々なこと考えたり本読んだり、とんでもなく素敵な連中に出会ったりしてな、だんだん輝いていったんだtakebonoは。自分で在ろうとするエネルギーはときに、自分を変えることなく自分を強くするんだってこと。だから結局変わってねえんだし変わったんだよ。俗にいう「自分探し」だったんかもしんないけど、今の僕は、あの頃大嫌いだった「自分」とたぶん同じ「自分」を誇りにしてるんだわ。だから楽しいぜ、今は、何もかもがさ。 SJ、あの頃は君にも迷惑かけたね。一時期、生きてるのが嫌でそれでも死ねなくて、君に依ってたような時もあった。恋だの友情だのそんな戯言に吐き気を催しながらね。だけど、周りの連中みんな死ねばいいと思ってたけど、君だけは生きててほしいと思ってたっけ。そんな僕も死んでいいんだと思ってた。馴れ合いとかじゃねえ。ただあの頃のtakebonoを知ってくれているのはたぶん君だけなんだ。ただそんなことが、ふと懐かしくなるときもあるんよねやっぱり。あんな、どうしようもない時代だったけど、今の僕を創ってくれたのか。だから優しく静かに閉めておこうと思ってんのさ。愚かだろ。 …精一杯考えてここまで書いたわ。いつかでいい。何のしがらみもなく、そしてtakebonoがもう少しだけ輝くようになったとき、外国のビールか何かで君と飲みたいぜSJ。いつかはまた会えるだろ。君の人生の新しい活躍を祈ってるよ。
夜は京都駅周辺を散歩した。多くの人が駅に寝ていた。僕も本来ああすべきだったのだろうな。軽く雨が降ってきた京都の夜空に、今年も終戦記念日の願いをかけた。どうか世界が平和になりますように。旅も終わりだな。こんな夏ももう終わりなのだろう。
−つづく−
takebono西国漫遊記6−hiroshima−
2005年8月14日 旅行「HIROSHIMA」を知ってるかい?−中国・山陽地方の大きな街の名だ。60年前、この街に大きなBombが落とされたんだって。人類史上初の、そう、核兵器ってやつがさ。ウラン型の原爆がただ一発だけ投下されて…この地に住む人々の生活圏を消滅させたんだ。原子爆弾のネーミングは「リトル・ボーイ」って言うんだよ。大したボーイです。相変わらずアメリカはふざけた命名をするだろ?(ちなみに長崎に投下したプルトニウム原爆はその形から「ファット・マン(ふとっちょ)」だぜ)そのボーイ核爆弾が、実に20万人を超える人々の生命を一瞬にして奪い、ウランの爆炎が街を焼き払った。ジェノサイドってやつ? 大したガキだよな。〈Fuck!!〉 キノコ雲の真下で地獄は生まれた。そして「HIROSHIMA」は生まれたんだ。 そして日本はその数日後に降伏して…忌まわしき戦争がやっと終わったっていう…歴史。広島は日本国のために、核の炎の前に差し出された生贄だったのさ。本土を守るために盾となった沖縄と同じようにね。
それからもう60年の月日が流れ、明日の終戦記念日を前に、いま僕はその地を歩いている。そういえばちょうど3年前の今頃も僕はこの地を歩いてたっけ。原爆ドームの周りをぐるぐる歩く。ゆっくり、何周もかけて歩く。元安橋から見上げる空。地上何Mだったっけ?角度的にはあの辺だったよな。そう、原子爆弾が炸裂したというのは確かあの辺だ。イマジンするしか僕らにはできないけど、それがとんでもないことだったってことくらいはわかるぜ。人々が暮らしてる小さくもない普通の市街に、核落としやがったんだからな。悔やめよ、人類。 それにしても暑っちいなあ。
僕のリアルはどうしたって60年後のリアルでしかない。およそ悲惨だとか残酷だとかいう衝撃は、今やより悲惨で残酷な映像や物語がいくらでも消費される高度情報化社会において、ただゆっくりと薄まっていっている。そして60年を経て、被爆者の方々の「口伝」も実際に限界が近づいている。なによりも、「戦争反対」だけではどうしようもないほど複雑に歪んだ現実と、そこへの無力を僕は感じている。戦争の悲惨さは、知らされないのと同時に、使い古されたかのように今や無造作にある。いくらでも、そういくらでも、今の世の中は残酷に歪んでいて、リアルに僕らの精神を締め付けてくる。それでも尚歴史は問いかける?僕に何をしろというのか。自虐史観?愛国心?平和?僕らは現実の何を知っている?なのに歴史を回顧してる? 様々なしがらみや思想や思惑の絡み合い鬩ぎ合いが、あのリアルを意図的なものに変えていってるのだ。そいつが僕は嫌だった。疑いようもなく「平和」をシャウトする連中も、千羽鶴を燃やすような狂った連中も、結局狂気に依っているだけなんじゃねえかって。
かつてAとC氏とで平和イベントを見に行ったっけ。乱立する組合の幟、左翼政党の幟、政治団体の幟、巻かれる極左のチラシ、お年寄りから団塊の世代までくらいの中高年集団が「○○はヤメロー!」と叫びながら闊歩するデモ行進。どれもこれもウンザリだった。僕らの「平和」はそこにあるのかって。 何にも依らない、しがらみなく純粋に、「平和」を表明したい気持ちは、一体何処にその場所を見出すのだろうか。太陽が照りつけ、陽炎が揺らめく中、僕はそんなことを考えた。 今後益々薄れゆくであろう「HIROSHIMA」を、僕らの「平和」で守ってゆくこと、背負ってゆくことだろう。歴史が問うものは善悪じゃない。正しくても悪くても人類は滅亡するまでは歩くのだから。過去を振り返り、よりよい未来を眼差すことにこそ、歴史の意味があるんじゃないかと思う。どうしたってノーモアヒロシマ、ナガサキ。ノーモアワールドウオー。
「お好み村」でお好み焼きを食べた。3年前もここで食ったっけ。岡山のTRと語り合ったっけ。あのHSと知り合ったのもここだった。何もかもみな懐かしいな。
暗くなってからホテルを抜け出し、そこら辺をうろついた。人気のない橋の上などにたたずむ。一人旅の中でさらに独りになれる素敵な感じ。希望とか不安とか、過去や未来、現在ひっくるめて、ここにいるのが自分なんだなって思う。旅をしてるとそんなふうにいつも思う。自分を確認するのだ。
あれから3年が経った。自分がより見えてきた。僕は僕の思うように、「周囲」に埋もれている僕を掘り返したのだ。この感覚。自分は自分次第であるこの感覚。僕の最期は事故か自殺だろうな。 旅の果て、広島の夜更けにビールが心地よく胸に染みました。
−つづく−
それからもう60年の月日が流れ、明日の終戦記念日を前に、いま僕はその地を歩いている。そういえばちょうど3年前の今頃も僕はこの地を歩いてたっけ。原爆ドームの周りをぐるぐる歩く。ゆっくり、何周もかけて歩く。元安橋から見上げる空。地上何Mだったっけ?角度的にはあの辺だったよな。そう、原子爆弾が炸裂したというのは確かあの辺だ。イマジンするしか僕らにはできないけど、それがとんでもないことだったってことくらいはわかるぜ。人々が暮らしてる小さくもない普通の市街に、核落としやがったんだからな。悔やめよ、人類。 それにしても暑っちいなあ。
僕のリアルはどうしたって60年後のリアルでしかない。およそ悲惨だとか残酷だとかいう衝撃は、今やより悲惨で残酷な映像や物語がいくらでも消費される高度情報化社会において、ただゆっくりと薄まっていっている。そして60年を経て、被爆者の方々の「口伝」も実際に限界が近づいている。なによりも、「戦争反対」だけではどうしようもないほど複雑に歪んだ現実と、そこへの無力を僕は感じている。戦争の悲惨さは、知らされないのと同時に、使い古されたかのように今や無造作にある。いくらでも、そういくらでも、今の世の中は残酷に歪んでいて、リアルに僕らの精神を締め付けてくる。それでも尚歴史は問いかける?僕に何をしろというのか。自虐史観?愛国心?平和?僕らは現実の何を知っている?なのに歴史を回顧してる? 様々なしがらみや思想や思惑の絡み合い鬩ぎ合いが、あのリアルを意図的なものに変えていってるのだ。そいつが僕は嫌だった。疑いようもなく「平和」をシャウトする連中も、千羽鶴を燃やすような狂った連中も、結局狂気に依っているだけなんじゃねえかって。
かつてAとC氏とで平和イベントを見に行ったっけ。乱立する組合の幟、左翼政党の幟、政治団体の幟、巻かれる極左のチラシ、お年寄りから団塊の世代までくらいの中高年集団が「○○はヤメロー!」と叫びながら闊歩するデモ行進。どれもこれもウンザリだった。僕らの「平和」はそこにあるのかって。 何にも依らない、しがらみなく純粋に、「平和」を表明したい気持ちは、一体何処にその場所を見出すのだろうか。太陽が照りつけ、陽炎が揺らめく中、僕はそんなことを考えた。 今後益々薄れゆくであろう「HIROSHIMA」を、僕らの「平和」で守ってゆくこと、背負ってゆくことだろう。歴史が問うものは善悪じゃない。正しくても悪くても人類は滅亡するまでは歩くのだから。過去を振り返り、よりよい未来を眼差すことにこそ、歴史の意味があるんじゃないかと思う。どうしたってノーモアヒロシマ、ナガサキ。ノーモアワールドウオー。
「お好み村」でお好み焼きを食べた。3年前もここで食ったっけ。岡山のTRと語り合ったっけ。あのHSと知り合ったのもここだった。何もかもみな懐かしいな。
暗くなってからホテルを抜け出し、そこら辺をうろついた。人気のない橋の上などにたたずむ。一人旅の中でさらに独りになれる素敵な感じ。希望とか不安とか、過去や未来、現在ひっくるめて、ここにいるのが自分なんだなって思う。旅をしてるとそんなふうにいつも思う。自分を確認するのだ。
あれから3年が経った。自分がより見えてきた。僕は僕の思うように、「周囲」に埋もれている僕を掘り返したのだ。この感覚。自分は自分次第であるこの感覚。僕の最期は事故か自殺だろうな。 旅の果て、広島の夜更けにビールが心地よく胸に染みました。
−つづく−
takebono西国漫遊記5−四国・香川〜広島−
2005年8月13日 旅行始発の高徳線で香川・高松駅に到着。高松駅前は展望タワーと公園施設のようなものの建設中で、発展途上でした。ホントどこの観光業界も似たようなことやってやがるのな。 さて香川といえばうどんです。好物の一つにうどんをあげるtakebonoさんはうどん屋を2つまわり、うどん2杯食べました。超美味かった。コシがいいね。
そして駅周辺をぶらぶらして、早くも瀬戸大橋線に乗り込みました。四国脱出です。結局事実上四国は一周できて満足しました。眠気の中で、瀬戸大橋を電車が渡ってゆきました。ガタンゴトンって。
そういえばこの放浪の途中どこかで、関西でBちゃんと、名古屋でM君と、それぞれ会って遊ぼうと思ってたんだけど、なかなか難しそうです。2人とも、いや僕もだが、かなりのマイペースですから、人の旅程にあわせるなんてできないだろう。しかし、願わくば京都あたりでBちゃんと古都デートをし、名古屋でM君と愛知万博巡りなんか出来たらおもしれえなあ、なんて微かな期待を抱きつつ、僕を乗せた電車は岡山から山陽本線を、西へ。
そしてやってきたのは広島です。降りたのは3年ぶりか。そう、あの3年前の広島が僕の何かしらの原点でもあった、その場所です。広島はものすごく栄えてて、駅前は歓楽街もだいぶ広がっています。駅の裏に安いビジネスホテルを発見し、しかも割引期間だったのでとてもラッキーでした。フロントのオヤジが愛想いいの。部屋でくつろいだ後は、そうもちろん念願の広島市民球状ナイターへ。最下位カープを応援するために。中日戦。がんばれカープ。前田さん。 球場前のコンビニはレジまで20分くらいかかって買ったアイスが溶けた。この暑さだし。 向かうはもちろんホーム・ライトスタンド。もう満員で最上段の看板の下で立ち見でした。でも最上段は結構涼しくて景観も最高。ビールと焼き鳥で野球観戦は最高です。前の席にカープのユニフォーム着た2人の兄ちゃん。隣はJリーグ・サンフレッチェ広島のユニフォーム着たおっさん。そういや昼間Jリーグだったな。 さあ応援開始です!球場前で買った応援バットでtakebonoさんも絶叫です。「かっとばせーっ!まーえーだ!まーえーだ!まーえーだ!」 しかし好機に併殺や凡退を繰り返すカープ。中日先発・野口を助ける展開。こっちはエース黒田で負けるわけにはいかない!0−0のジリジリする投手戦が続き、6回。キング新井のホームランが炸裂!先制!1−0!うわおおおおあらいいよくやった!! しかし完封目前の黒田が追いつかれます。代打高橋光のタイムリー!同点!1−1!ああまたしても完投しながら黒田は勝てないのか。9回、リリーフ勝負では勝ち目のないカープは黒田に代え代打・森笠を投入!…凡退し2死!うわもうこれ延長戦じゃんよ。そうなったら黒田の勝ち星は消えるし、うわホテルの門限ってあったんだっけかな〜まいるな〜。…しかし!ズガッ!おお!緒方が打っ…あ…ああー!!サヨナラホームランだー!!やりやがった。うわあおおおおがたあああ!!takebono絶叫!看板によじ登り絶叫!前の兄ちゃんや隣のおっさんや後ろで諦めかけてたバンドマンの兄ちゃんらとメガホンを叩き付け合う!カープ!カープ!広島カープ!いや〜楽しかった。
ホテルに帰ってフロントのオヤジと少し話した。サヨナラっすよサヨナラ。巨人は射程圏だなハハハ。さすが地元ホテル。ビール飲みながらスポーツニュースを堪能。いやいや。楽しかった。
そして広島にもう1日滞在することを決めた。二晩連続ナイターも考えたけど、それよりも何か、この再び踏んだ広島の地で、僕は何かまた感じるものがあるのではないかと思ったからだ。明日は歩いてみよう。3年前と同じようにだ。
60年前、全てが廃墟と化した街もいまや賑やかすぎる程に復興した。消費世界が広がるそこには戦争の欠片すら見えない。ただあの原爆ドームが、そう、ただそびえ立つ山のように、そこに在るだけである。僕らは歴史の前に何を恐れるわけでもない。それでもしかしあの世界遺産モニュメントは、世界人類の記憶モニュメントとして、僕らに絶えず何かを投げかけてくる。靖国問題がくだらなく思えるほどに。
明日はきっと回想しながら歩くだろう。僕自身を、世界を、平和ってやつを。憂いと希望と、まだ見ぬ未来への、ソウルらしき使命感のようなもの。奇跡への、礼儀のようなもの。広島は僕に何を語りかけるだろう。
−つづく−
そして駅周辺をぶらぶらして、早くも瀬戸大橋線に乗り込みました。四国脱出です。結局事実上四国は一周できて満足しました。眠気の中で、瀬戸大橋を電車が渡ってゆきました。ガタンゴトンって。
そういえばこの放浪の途中どこかで、関西でBちゃんと、名古屋でM君と、それぞれ会って遊ぼうと思ってたんだけど、なかなか難しそうです。2人とも、いや僕もだが、かなりのマイペースですから、人の旅程にあわせるなんてできないだろう。しかし、願わくば京都あたりでBちゃんと古都デートをし、名古屋でM君と愛知万博巡りなんか出来たらおもしれえなあ、なんて微かな期待を抱きつつ、僕を乗せた電車は岡山から山陽本線を、西へ。
そしてやってきたのは広島です。降りたのは3年ぶりか。そう、あの3年前の広島が僕の何かしらの原点でもあった、その場所です。広島はものすごく栄えてて、駅前は歓楽街もだいぶ広がっています。駅の裏に安いビジネスホテルを発見し、しかも割引期間だったのでとてもラッキーでした。フロントのオヤジが愛想いいの。部屋でくつろいだ後は、そうもちろん念願の広島市民球状ナイターへ。最下位カープを応援するために。中日戦。がんばれカープ。前田さん。 球場前のコンビニはレジまで20分くらいかかって買ったアイスが溶けた。この暑さだし。 向かうはもちろんホーム・ライトスタンド。もう満員で最上段の看板の下で立ち見でした。でも最上段は結構涼しくて景観も最高。ビールと焼き鳥で野球観戦は最高です。前の席にカープのユニフォーム着た2人の兄ちゃん。隣はJリーグ・サンフレッチェ広島のユニフォーム着たおっさん。そういや昼間Jリーグだったな。 さあ応援開始です!球場前で買った応援バットでtakebonoさんも絶叫です。「かっとばせーっ!まーえーだ!まーえーだ!まーえーだ!」 しかし好機に併殺や凡退を繰り返すカープ。中日先発・野口を助ける展開。こっちはエース黒田で負けるわけにはいかない!0−0のジリジリする投手戦が続き、6回。キング新井のホームランが炸裂!先制!1−0!うわおおおおあらいいよくやった!! しかし完封目前の黒田が追いつかれます。代打高橋光のタイムリー!同点!1−1!ああまたしても完投しながら黒田は勝てないのか。9回、リリーフ勝負では勝ち目のないカープは黒田に代え代打・森笠を投入!…凡退し2死!うわもうこれ延長戦じゃんよ。そうなったら黒田の勝ち星は消えるし、うわホテルの門限ってあったんだっけかな〜まいるな〜。…しかし!ズガッ!おお!緒方が打っ…あ…ああー!!サヨナラホームランだー!!やりやがった。うわあおおおおがたあああ!!takebono絶叫!看板によじ登り絶叫!前の兄ちゃんや隣のおっさんや後ろで諦めかけてたバンドマンの兄ちゃんらとメガホンを叩き付け合う!カープ!カープ!広島カープ!いや〜楽しかった。
ホテルに帰ってフロントのオヤジと少し話した。サヨナラっすよサヨナラ。巨人は射程圏だなハハハ。さすが地元ホテル。ビール飲みながらスポーツニュースを堪能。いやいや。楽しかった。
そして広島にもう1日滞在することを決めた。二晩連続ナイターも考えたけど、それよりも何か、この再び踏んだ広島の地で、僕は何かまた感じるものがあるのではないかと思ったからだ。明日は歩いてみよう。3年前と同じようにだ。
60年前、全てが廃墟と化した街もいまや賑やかすぎる程に復興した。消費世界が広がるそこには戦争の欠片すら見えない。ただあの原爆ドームが、そう、ただそびえ立つ山のように、そこに在るだけである。僕らは歴史の前に何を恐れるわけでもない。それでもしかしあの世界遺産モニュメントは、世界人類の記憶モニュメントとして、僕らに絶えず何かを投げかけてくる。靖国問題がくだらなく思えるほどに。
明日はきっと回想しながら歩くだろう。僕自身を、世界を、平和ってやつを。憂いと希望と、まだ見ぬ未来への、ソウルらしき使命感のようなもの。奇跡への、礼儀のようなもの。広島は僕に何を語りかけるだろう。
−つづく−
takebono西国漫遊記4−四国・徳島−
2005年8月12日 旅行ホテルをギリギリにチェックアウト。どうしても食べたかった有名な徳島ラーメンの店へ行く。昼時だからか、長蛇の列。30分くらい並んでやっと食えた。超美味かった。
そして夕方ごろから市内の各地で阿波踊りが始まった。ビールを片手にじっくり見物した。素晴らしかった。高知のよさこいもそうだったけど、躍動し踊り狂う女性たちのなんと美しいことか。そこらじゅう徳島美人だらけだった。はああ。時間にして3時間くらい僕は、延々と続く阿波踊り行列に魅入ってしまった。白人の美しい女性が熱心に阿波踊り見てた。ニッポンのマツリは興味深かったかな。もちろん話しかけようとしたのだけど、人混みで近づけず断念。それにしても祭りの規模がすごい。徳島全体が浮き上がっているかのようだ。赤い顔をした男たちが多い。露出がきわどい女たちが多い。祭りという非日常空間がそうさせるのだ。きっと、随分昔から、例えば江戸時代とか明治とかの娘たちもこんな風に一夜限り着飾って町にくりだしたのかもな。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」 飛び入り参加の踊り行列で調子こいて少し踊ったよ。ほーれほれ!あらよっと!
そして気がついたら阿波踊りは終わっていて夜だった。今夜の宿は先ほど見つけたファミレスかと思ってたら駅前に漫画喫茶が。ホント、漫画喫茶一つ探すのも苦労するわ。そう考えるとやっぱ東京ってすげえ。なんでもあるもんな。
明日は四国をもう出ようかな。気まぐれな放浪はまだまだ続く。そうだ、今回は有り金が尽きるまで放浪してみようかな。
−つづく−
そして夕方ごろから市内の各地で阿波踊りが始まった。ビールを片手にじっくり見物した。素晴らしかった。高知のよさこいもそうだったけど、躍動し踊り狂う女性たちのなんと美しいことか。そこらじゅう徳島美人だらけだった。はああ。時間にして3時間くらい僕は、延々と続く阿波踊り行列に魅入ってしまった。白人の美しい女性が熱心に阿波踊り見てた。ニッポンのマツリは興味深かったかな。もちろん話しかけようとしたのだけど、人混みで近づけず断念。それにしても祭りの規模がすごい。徳島全体が浮き上がっているかのようだ。赤い顔をした男たちが多い。露出がきわどい女たちが多い。祭りという非日常空間がそうさせるのだ。きっと、随分昔から、例えば江戸時代とか明治とかの娘たちもこんな風に一夜限り着飾って町にくりだしたのかもな。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」 飛び入り参加の踊り行列で調子こいて少し踊ったよ。ほーれほれ!あらよっと!
そして気がついたら阿波踊りは終わっていて夜だった。今夜の宿は先ほど見つけたファミレスかと思ってたら駅前に漫画喫茶が。ホント、漫画喫茶一つ探すのも苦労するわ。そう考えるとやっぱ東京ってすげえ。なんでもあるもんな。
明日は四国をもう出ようかな。気まぐれな放浪はまだまだ続く。そうだ、今回は有り金が尽きるまで放浪してみようかな。
−つづく−
takebono西国漫遊記3−四国・高知−
2005年8月11日 旅行高知入りしたのは夜中だったので、今日の寝床は漫画喫茶でナイトパック。受付の兄ちゃんが日本語カタコトなの。恐えっ。
朝、駅に向かいました。18きっぷ残り3枚がどうも足りなさそうなので、買い足すか、どっかで使わずに動くか。そうすっとお得乗車券や高速バスなんかも視野に入ってくるけど、やっぱ高いなあ。翌朝で電池完全に切れた携帯を有料充電しながら、ぼーっとしてました。旅ってのは、観光とも限らず、とりわけ一人旅ってのは独りになるという状況なわけで、色々なことを考えるわけです。そう、恐らくは普段考え悩みうる全てのことを。観光も所詮は金を落としていくかにかかってくるわけで、そういう意味では観光客って連中は非常に滑稽で愚かなわけです。何の意味も無いグッズやキーホルダーに価値がついたり、何の意味も無い岩や木や自然現象に価値がついたり、意味も知らない歴史的建造物にお金を払うわけですから。やはり観光産業ってのはとてもすごいといつも感心してるよ僕は。だって、東京には何でもあるから。あれ以上のものが、普通にあるから。でも都市部の人たちが地方旅行を望んでたりして。皮肉なことだな。
そうこうしてるうちに始まりました。ソウル溢れる「よさこい祭り」が! よさこい祭りはすごかった。特に、個性溢れる団体が各々のカラーでもってソウルでもって、参加してくるところが。純粋な民謡的よさこい踊りに始まり、ロック、演歌、様々な振り付けのダンス、殺陣。すばらしいものばかりでした。こんな風に老若男女様々な世代が、一つのコミュニティーの中でしかし独自にソウルを発揮してるってのは、こんな四国ならではなのかな。東京じゃありえねえだろ。みんなバラバラだもんな。 僕がふと思ったのは、これをどうにか僕が目指すピースウオークに生かせないものかということだった。よさこいミュージックを引っ張る、カラフルにデコレーションされたトラックやワゴン。様々なスポンサーの名前。あれを賛同者の名前にしたらどうだろうか。ピースポンサー。うむ。バカなことかもしれないけれど、今度あの平和狂宗教団体に話を持ちかけてみようか。あそこのトップのMYは未だに僕にメールをくれるんだ。あいつらのソウルと僕のソウルなら…だがまだソウルが足りない。「手垢にまみれてない」純粋な一撃の「ピーソウル」がほしい。
よさこいにすっかり魅了された僕は猛暑の中ずっと立ち見してて死にそうになった。 そして急に思った。「もう高知を離れよう」と。そしてその一時間後には土讃線に乗り込んでいました。阿波池田で徳島線(よしの川ブルーライン)に乗り換えます。そう、次の目的地は徳島です。いま、高知がよさこい祭りなら、徳島はこれまた一年に一度のあの情熱の狂騒「阿波踊り」の時期なのです。「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」
徳島到着。改札を抜けてから清算の必要に気づきました。1500円くらい払ってないわ。だめだね人間の改札は。まあおかげで18きっぷを一枚使わずにすみました。でもごめんねJR。
高知もそうだったけど徳島も、祭りの時期にはビジネスホテルの値段が跳ね上がりしかしそれでもどこも満員なのです。今夜もまともな寝床がキープ出来ないのかーと思ってたら、まだ阿波踊りは前日ということもあって徳島のビジネスホテルが少し部屋が余ってた。よかった。高くつくけどちゃんとしたとこで眠れるのはうれしいわあ。ビールをたくさん飲んで爆睡しました。さあ明日は阿波踊りだ。徳島よ!僕にソウルをみせてくれ!
本当に四国を一周しにかかっているtakebonoさん。旅はまだまだ続きます。
−つづく−
朝、駅に向かいました。18きっぷ残り3枚がどうも足りなさそうなので、買い足すか、どっかで使わずに動くか。そうすっとお得乗車券や高速バスなんかも視野に入ってくるけど、やっぱ高いなあ。翌朝で電池完全に切れた携帯を有料充電しながら、ぼーっとしてました。旅ってのは、観光とも限らず、とりわけ一人旅ってのは独りになるという状況なわけで、色々なことを考えるわけです。そう、恐らくは普段考え悩みうる全てのことを。観光も所詮は金を落としていくかにかかってくるわけで、そういう意味では観光客って連中は非常に滑稽で愚かなわけです。何の意味も無いグッズやキーホルダーに価値がついたり、何の意味も無い岩や木や自然現象に価値がついたり、意味も知らない歴史的建造物にお金を払うわけですから。やはり観光産業ってのはとてもすごいといつも感心してるよ僕は。だって、東京には何でもあるから。あれ以上のものが、普通にあるから。でも都市部の人たちが地方旅行を望んでたりして。皮肉なことだな。
そうこうしてるうちに始まりました。ソウル溢れる「よさこい祭り」が! よさこい祭りはすごかった。特に、個性溢れる団体が各々のカラーでもってソウルでもって、参加してくるところが。純粋な民謡的よさこい踊りに始まり、ロック、演歌、様々な振り付けのダンス、殺陣。すばらしいものばかりでした。こんな風に老若男女様々な世代が、一つのコミュニティーの中でしかし独自にソウルを発揮してるってのは、こんな四国ならではなのかな。東京じゃありえねえだろ。みんなバラバラだもんな。 僕がふと思ったのは、これをどうにか僕が目指すピースウオークに生かせないものかということだった。よさこいミュージックを引っ張る、カラフルにデコレーションされたトラックやワゴン。様々なスポンサーの名前。あれを賛同者の名前にしたらどうだろうか。ピースポンサー。うむ。バカなことかもしれないけれど、今度あの平和狂宗教団体に話を持ちかけてみようか。あそこのトップのMYは未だに僕にメールをくれるんだ。あいつらのソウルと僕のソウルなら…だがまだソウルが足りない。「手垢にまみれてない」純粋な一撃の「ピーソウル」がほしい。
よさこいにすっかり魅了された僕は猛暑の中ずっと立ち見してて死にそうになった。 そして急に思った。「もう高知を離れよう」と。そしてその一時間後には土讃線に乗り込んでいました。阿波池田で徳島線(よしの川ブルーライン)に乗り換えます。そう、次の目的地は徳島です。いま、高知がよさこい祭りなら、徳島はこれまた一年に一度のあの情熱の狂騒「阿波踊り」の時期なのです。「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」
徳島到着。改札を抜けてから清算の必要に気づきました。1500円くらい払ってないわ。だめだね人間の改札は。まあおかげで18きっぷを一枚使わずにすみました。でもごめんねJR。
高知もそうだったけど徳島も、祭りの時期にはビジネスホテルの値段が跳ね上がりしかしそれでもどこも満員なのです。今夜もまともな寝床がキープ出来ないのかーと思ってたら、まだ阿波踊りは前日ということもあって徳島のビジネスホテルが少し部屋が余ってた。よかった。高くつくけどちゃんとしたとこで眠れるのはうれしいわあ。ビールをたくさん飲んで爆睡しました。さあ明日は阿波踊りだ。徳島よ!僕にソウルをみせてくれ!
本当に四国を一周しにかかっているtakebonoさん。旅はまだまだ続きます。
−つづく−
takebono西国漫遊記2−四国・松山−
2005年8月10日 旅行「ムーンライト松山」が出発したというのに乗車してる人がめっきり少なく、でもアナウンスが「満席」とほざいてるし、どういうことだと思っていたら、なるほど次の駅くらいからちらほらと人が乗り込んできました。おっちゃん連中がマウンテンバイク5台くらいかついで乗り込んできた。だらしなく通路に手を投げ出していた兄ちゃんにぶつかる。ガツッ!「ぃでっ!」「悪ぃ悪ぃ」面白いわあ。しかし置く場所ねえだろあれ。 そして注目の隣座席は、顔色の悪い兄ちゃんだった。超暗いの。あれじゃあな…。話しかけられなかったっす。 右前方に座ってた兄ちゃんは少年ジャンプくらいの大きさの時刻表読んでるし、その隣には自分よりでけえくらいのカバン背負った浮浪者みたいなバックパッカーの兄ちゃんがいて、大きすぎて荷物上の網棚に入らなくて、座席とカバンで圧死する格好になってて、ホント笑えたわ。 フランスパンみたいなでけえパンを食ってる兄ちゃんがいたりして。ホント夜行列車はイカれてそうな人々がたまにいて面白い。くせになる。
そして朝日が輝く頃にはついにtakebono四国入り。愛媛県・松山にやってまいりました。うん四国は雰囲気がいいな。さっそく歩き出す。僕の旅は経費節約貧乏旅行というのもあるけど基本的にどこまでも徒歩なのです。一昨年は石垣島を半周したところで足がオシャカになったからな。でも歩くのっていいんだわ。じっくりと一歩一歩、方向・体力・目的を、つまりは自分の歩みを確かめながら歩くのです。まさに人生を感じるじゃないか。
松山駅からまず歩きやってきたのは「子規堂」。そう、あの正岡子規のモニュメント。子規もまた四国だったっけ、と。
それから「銀天街」というアーケード商店街を歩きました。有名な松山銀天街はまだ早朝で目覚めておらず、静かでした。
銀天街を抜け、山の上の松山城に向かいます。ロープウェイかリフトを選択できるんだけど、どっちも無人だったので僕は貸しきり状態のロープウェイへ。そこへ7人くらいのじいさん集団がやってきて、どっちに乗るかでなにやらもめ始めた。せっかちな5人のじいさんがロープウェイが定間隔で出発する時間を待てなかったのだ。結局5人のじいさんはガンガンやってくるリフトに乗って行ってしまった。2人のじいさんはロープウェイに乗ったもののすぐに出発しないことに焦り出した。「まだー?人数揃わないと出発しねーんじゃねえのー?」しょうもねえ年寄りばかりだなあ。係のお姉さんが優しく対処。働く女性って素敵だなあ。そしてロープウェイは動き出してあっという間に、先行したリフト組のじいさん5人を追い抜いた。2人のじいさんは笑いが止まらない。しょうもねえ年寄りばかりだなあ。それにしてもロープウェイはまだそのスピードによる風があり涼しいのだが、あの遅いリフトはまさに日干し。この暑さで拷問状態。5人のじいさんが一人ずつリフトに乗せられ運ばれる姿は痛ましかった。 そんなこんなで辿り着いた松山城は全体的に改修工事中で、天守閣とか登れず、面白み半減でした。でも充分に日本のお城というものを堪能しました。すっげえな松山城は。山の頂上に立つ要塞だわ。
松山城を下った後は、あの有名な「道後温泉」に。うわまさに「坊ちゃん」の世界ですよ。道後公園で武家屋敷跡などを堪能してから早速温泉へ。湯は最高でした。
路面電車で駅へ戻ります。広島以来だわ路面電車。なんて情緒的だろう。
駅周辺でアンケート調査を求められました。旅行者だから意味ねえっすよって言ったのに、無理矢理。でも声かけてきたのがかわいらしい女性だったからね。見つけました松山美人。年齢を聞いたら20歳だって。はあ偉い、もう社会人なんだね。それに比べて僕は高等ルンペンか。そんなこと考えてたら肝心の写メ忘れました残念。せっかくの松山美人が…。
駅で特産名物のじゃこ天うどんを食べました。美味しかった。
そしてtakebono早くも松山を後にして高知に向かいます。そう、いま高知では年に一度の狂乱の祭り、あの「よさこい祭り」が行われてるからです。明日を逃したら終わりだったのでなんとしても今日中に高知へ。
予讃線で宇和島まで行き、そこから予土線(しまんとグリーンライン)とかいう3両ワンマン列車で進みます。そして土讃線に乗り換え進んでる頃には、窓の外は真っ暗。ホント、トンネルでもないのに。街灯一つ無えド田舎。列車内見渡せば車掌が一人、乗客は僕一人でした。恐え。うわ早く人が住む灯りが見たいなあ、なんて思ってたら、対抗列車の遅れとかで「スミマセンお客さん」真っ暗闇に列車ストップ。窓を見ると、虫っ。大量の虫たちが闇の中唯一光るこの列車の窓に群がり…まるで「ミクロイドS」状態。うげ最悪。僕と車掌はこんな闇の中でこの虫どもに殺られるんじゃないだろうか、なんて思った。でも車掌いい人だった。たった一人の乗客である僕に対して何度も「スミマセン」と頭を下げる。いい人だわこんな超ローカル線で。やっぱ最近の公共事業民営化系の改革に抵抗があるのはこういう側面でもあったりするなあ。
さあ日付変わる前に高知に降り立ちました。よさこい祭りの1日目が終わった後で、まだ余熱冷めやらぬ感じの夜の街。明日は2日目、よさこい最終日。高知県よ、明日は僕にソウルを見せてくれ! 旅はまだまだ続く。
−つづく−
そして朝日が輝く頃にはついにtakebono四国入り。愛媛県・松山にやってまいりました。うん四国は雰囲気がいいな。さっそく歩き出す。僕の旅は経費節約貧乏旅行というのもあるけど基本的にどこまでも徒歩なのです。一昨年は石垣島を半周したところで足がオシャカになったからな。でも歩くのっていいんだわ。じっくりと一歩一歩、方向・体力・目的を、つまりは自分の歩みを確かめながら歩くのです。まさに人生を感じるじゃないか。
松山駅からまず歩きやってきたのは「子規堂」。そう、あの正岡子規のモニュメント。子規もまた四国だったっけ、と。
それから「銀天街」というアーケード商店街を歩きました。有名な松山銀天街はまだ早朝で目覚めておらず、静かでした。
銀天街を抜け、山の上の松山城に向かいます。ロープウェイかリフトを選択できるんだけど、どっちも無人だったので僕は貸しきり状態のロープウェイへ。そこへ7人くらいのじいさん集団がやってきて、どっちに乗るかでなにやらもめ始めた。せっかちな5人のじいさんがロープウェイが定間隔で出発する時間を待てなかったのだ。結局5人のじいさんはガンガンやってくるリフトに乗って行ってしまった。2人のじいさんはロープウェイに乗ったもののすぐに出発しないことに焦り出した。「まだー?人数揃わないと出発しねーんじゃねえのー?」しょうもねえ年寄りばかりだなあ。係のお姉さんが優しく対処。働く女性って素敵だなあ。そしてロープウェイは動き出してあっという間に、先行したリフト組のじいさん5人を追い抜いた。2人のじいさんは笑いが止まらない。しょうもねえ年寄りばかりだなあ。それにしてもロープウェイはまだそのスピードによる風があり涼しいのだが、あの遅いリフトはまさに日干し。この暑さで拷問状態。5人のじいさんが一人ずつリフトに乗せられ運ばれる姿は痛ましかった。 そんなこんなで辿り着いた松山城は全体的に改修工事中で、天守閣とか登れず、面白み半減でした。でも充分に日本のお城というものを堪能しました。すっげえな松山城は。山の頂上に立つ要塞だわ。
松山城を下った後は、あの有名な「道後温泉」に。うわまさに「坊ちゃん」の世界ですよ。道後公園で武家屋敷跡などを堪能してから早速温泉へ。湯は最高でした。
路面電車で駅へ戻ります。広島以来だわ路面電車。なんて情緒的だろう。
駅周辺でアンケート調査を求められました。旅行者だから意味ねえっすよって言ったのに、無理矢理。でも声かけてきたのがかわいらしい女性だったからね。見つけました松山美人。年齢を聞いたら20歳だって。はあ偉い、もう社会人なんだね。それに比べて僕は高等ルンペンか。そんなこと考えてたら肝心の写メ忘れました残念。せっかくの松山美人が…。
駅で特産名物のじゃこ天うどんを食べました。美味しかった。
そしてtakebono早くも松山を後にして高知に向かいます。そう、いま高知では年に一度の狂乱の祭り、あの「よさこい祭り」が行われてるからです。明日を逃したら終わりだったのでなんとしても今日中に高知へ。
予讃線で宇和島まで行き、そこから予土線(しまんとグリーンライン)とかいう3両ワンマン列車で進みます。そして土讃線に乗り換え進んでる頃には、窓の外は真っ暗。ホント、トンネルでもないのに。街灯一つ無えド田舎。列車内見渡せば車掌が一人、乗客は僕一人でした。恐え。うわ早く人が住む灯りが見たいなあ、なんて思ってたら、対抗列車の遅れとかで「スミマセンお客さん」真っ暗闇に列車ストップ。窓を見ると、虫っ。大量の虫たちが闇の中唯一光るこの列車の窓に群がり…まるで「ミクロイドS」状態。うげ最悪。僕と車掌はこんな闇の中でこの虫どもに殺られるんじゃないだろうか、なんて思った。でも車掌いい人だった。たった一人の乗客である僕に対して何度も「スミマセン」と頭を下げる。いい人だわこんな超ローカル線で。やっぱ最近の公共事業民営化系の改革に抵抗があるのはこういう側面でもあったりするなあ。
さあ日付変わる前に高知に降り立ちました。よさこい祭りの1日目が終わった後で、まだ余熱冷めやらぬ感じの夜の街。明日は2日目、よさこい最終日。高知県よ、明日は僕にソウルを見せてくれ! 旅はまだまだ続く。
−つづく−
takebono西国漫遊記1−京都・大阪−
2005年8月9日 旅行さあ旅の始まりです。
まずは東京駅から「ムーンライトながら」に乗り込みます。一ヶ月前ゲットしたプラチナチケット。さらに「青春18きっぷ」を併用することによって、莫大な長距離移動が安価でしかも夜の内に可能になるのです。 23時43分発。なぜこんな中途半端な時間なのかといえば、そう、日付が変わるからです。18きっぷは0時から24時までのJR線が乗り放題な5枚つづりの券なわけで、23時なんかに使い始めちゃったら大損です。だから日付変わるまでの乗車券は普通に買った方がいいわけです。JRもそれを見越して発車時間つくってんじゃねえかと思う。12時1分発にすりゃいいのによ。てなわけで日付が変わる駅「横浜」まで買ったんですが、なんと今宵のJRにダイヤの遅れが!えっホントかよ?「ながら」も遅れてるの? 結局30分遅れで12時10分くらいに発進。こんなんなら日付越えきっぷ買わなきゃよかったな。恐らくホームにいたほとんどの人がそう思ったはず。
さて一路takebonoさんを乗せた「ながら」は深夜の線路を、西へ。 さてさて独り夜行でいつも気になるのが隣の座席の人ですよ。どんな人が隣かなーワクワクって。ちなみに一昨年の「ながら」では、超かわいい女の子がお隣だった。なんかねーモデルみたいに美しかったっすあの子。当然声をかけたのですが、あっさり空振り。どーんぱらぱら。 その次に乗った夜行では、ヒゲモジャの浮浪者とレスラー合わせたような男だった。うえー恐えかったわあんときは。 そして今回、いや女性がいいねやっぱり、ナンパってわけじゃないですが、せっかくだしね、なんて思ってたら、隣はヤンキーみたいな姉ちゃんだった。うおこれはまたどうしようか…一応女性ですから優しく声かけるべきでしょうか。しかしこの姉ちゃん、ちゃんと座らずに座席シートに体育座りとかあぐらとかで座ってんの。何故?恐えっ。しかもグラサンかけてて超恐えの。はああ。僕が寝ようとしてアイマスクして眠れなくて一回アイマスクとって横向いたら、姉ちゃんもアイマスクしてて、しかしそのアイマスクが面白顔のやつなの。バラエティー番組とかで使うやつ。笑っちったよ。まあそんなこんなで夜は更けていきまして、僕を乗せた列車は大垣に到着。
うっかりウトウトしてしまって、乗り換えに遅れそうになって席に座れず、京都まで1時間ほど立つことに。僕としたことがしくじったな。
さあ京都です。まずは山陰本線で「花園」駅へ。やってきました「妙心寺」です。やっぱ寺は素敵。さらに「仁和寺」へ。この辺はいいコースだわ。しかし暑い暑い熱い。水分を取るわ取るわ。散策コースみたいの歩いてたら死にそうになった。 途中で立命館大学の平和ミュージアムがありました。気になって入ったら内容はすげえよかった。そういや今日は長崎原爆の日だった。何かがピースウオーカーtakebonoさんを導いたのかな。絶対今度ピースウオークするぞ。Tちゃんが言ってたように、「手垢の付いていない」ピースウオークだ。もう組織とか思想とかしがらみ抜きのやつをだ。僕だからこそ、意味があるようなやつをだ。
その後はやっぱり「金閣寺」です。外人に写真頼まれた。それにしても外国人の方が多いな。さすが古都。 バスで京都駅に戻り、一路大阪へ。大阪・なんばウオーク。大阪環状線って東京の山の手みたい。ややこしいの。道頓堀でたこ焼きを食って口を火傷。でも美味かったわあ。ビールとあわせて最高!
そんで京都に戻って丹波口駅の温泉施設で汗を流し、いよいよ四国へ渡るべく、夜行「ムーンライト松山」に乗り込んだのでした。またしても遅れてやがんの。しかしビールとえんどう豆プリッツの組み合わせが、火照った肌に、もう最高。夏はビールだ。ビール旅。そして気になる今夜の隣座席は…。
一日目は関西で過ごし、明日から四国入りです。四国大陸が僕を待っています。ゆくべしゆくべし。
−つづく−
まずは東京駅から「ムーンライトながら」に乗り込みます。一ヶ月前ゲットしたプラチナチケット。さらに「青春18きっぷ」を併用することによって、莫大な長距離移動が安価でしかも夜の内に可能になるのです。 23時43分発。なぜこんな中途半端な時間なのかといえば、そう、日付が変わるからです。18きっぷは0時から24時までのJR線が乗り放題な5枚つづりの券なわけで、23時なんかに使い始めちゃったら大損です。だから日付変わるまでの乗車券は普通に買った方がいいわけです。JRもそれを見越して発車時間つくってんじゃねえかと思う。12時1分発にすりゃいいのによ。てなわけで日付が変わる駅「横浜」まで買ったんですが、なんと今宵のJRにダイヤの遅れが!えっホントかよ?「ながら」も遅れてるの? 結局30分遅れで12時10分くらいに発進。こんなんなら日付越えきっぷ買わなきゃよかったな。恐らくホームにいたほとんどの人がそう思ったはず。
さて一路takebonoさんを乗せた「ながら」は深夜の線路を、西へ。 さてさて独り夜行でいつも気になるのが隣の座席の人ですよ。どんな人が隣かなーワクワクって。ちなみに一昨年の「ながら」では、超かわいい女の子がお隣だった。なんかねーモデルみたいに美しかったっすあの子。当然声をかけたのですが、あっさり空振り。どーんぱらぱら。 その次に乗った夜行では、ヒゲモジャの浮浪者とレスラー合わせたような男だった。うえー恐えかったわあんときは。 そして今回、いや女性がいいねやっぱり、ナンパってわけじゃないですが、せっかくだしね、なんて思ってたら、隣はヤンキーみたいな姉ちゃんだった。うおこれはまたどうしようか…一応女性ですから優しく声かけるべきでしょうか。しかしこの姉ちゃん、ちゃんと座らずに座席シートに体育座りとかあぐらとかで座ってんの。何故?恐えっ。しかもグラサンかけてて超恐えの。はああ。僕が寝ようとしてアイマスクして眠れなくて一回アイマスクとって横向いたら、姉ちゃんもアイマスクしてて、しかしそのアイマスクが面白顔のやつなの。バラエティー番組とかで使うやつ。笑っちったよ。まあそんなこんなで夜は更けていきまして、僕を乗せた列車は大垣に到着。
うっかりウトウトしてしまって、乗り換えに遅れそうになって席に座れず、京都まで1時間ほど立つことに。僕としたことがしくじったな。
さあ京都です。まずは山陰本線で「花園」駅へ。やってきました「妙心寺」です。やっぱ寺は素敵。さらに「仁和寺」へ。この辺はいいコースだわ。しかし暑い暑い熱い。水分を取るわ取るわ。散策コースみたいの歩いてたら死にそうになった。 途中で立命館大学の平和ミュージアムがありました。気になって入ったら内容はすげえよかった。そういや今日は長崎原爆の日だった。何かがピースウオーカーtakebonoさんを導いたのかな。絶対今度ピースウオークするぞ。Tちゃんが言ってたように、「手垢の付いていない」ピースウオークだ。もう組織とか思想とかしがらみ抜きのやつをだ。僕だからこそ、意味があるようなやつをだ。
その後はやっぱり「金閣寺」です。外人に写真頼まれた。それにしても外国人の方が多いな。さすが古都。 バスで京都駅に戻り、一路大阪へ。大阪・なんばウオーク。大阪環状線って東京の山の手みたい。ややこしいの。道頓堀でたこ焼きを食って口を火傷。でも美味かったわあ。ビールとあわせて最高!
そんで京都に戻って丹波口駅の温泉施設で汗を流し、いよいよ四国へ渡るべく、夜行「ムーンライト松山」に乗り込んだのでした。またしても遅れてやがんの。しかしビールとえんどう豆プリッツの組み合わせが、火照った肌に、もう最高。夏はビールだ。ビール旅。そして気になる今夜の隣座席は…。
一日目は関西で過ごし、明日から四国入りです。四国大陸が僕を待っています。ゆくべしゆくべし。
−つづく−