おまけに憂う

2005年7月19日
ジグレールお父さんが息子カリム少年に話した「飢え」の真実。−「世界の半分が飢えるのはなぜ?」−僕が通う大学の先生がこの本を監訳したらしいのです。その先生が日本の若者に出した3つの宿題。Takebonoさんと一緒にちょっと考えてみませうか。

?日本ではいま食べ物の「安全性」が注目されるようになりました。だけど「飢え」を抱える「南」の人たちは、まず食べることだけが優先され、食べ物の「安全性」は二の次になっています。こんな状況につけ込んで、「北」の国々の援助機関や企業は、輸入が事実上許可されていない(EU)か、或いは表示が部分的に義務づけられている(日本)といった、いわゆる「遺伝子組み換え食品」や「危険な農薬」を、しばしば「南」の国々に持ち込んでいます。このような行為を誰が監視すべきでしょうか?
→「じゃあ持ってくる食糧減らすわ」って言われたらそれまでなのかなあ?まるで南半球は人体実験場じゃないか。国際機関とかも無力なんだな。でも普段僕も添加物とりまくってるしな。結局金持ちだけが、美味しくて健康にも良くて栄養もある安全な食べ物食えるんだなあ。どうしたらいいんだろう?

?日本ではコメ中心の家族農業が、コメ輸入自由化の影響でピンチです。世界中から安くコメを買ったり、企業が農業地を押さえたりすれば、確かに日本国民に安い値段でコメを提供することができるのだけど、日本の伝統的農村風景…四季折々の情緒…とか、素敵なものが二度と見れなくなります。僕らが食うコメも、コメを日本に輸出する国々の農業の豊作不作に左右されることにもなります。もし不作だったとき、日本は金の力でコメを買い漁ることになり、価格上昇に伴い他の国でコメが輸入できなくなるとも言われています。誰もが食べる権利を持つのなら「コメの自由貿易」は何を意味するのでしょうか?
→いつだったか。コメ不足のとき。僕らがまずいまずいと言いながら食ったあのタイ米。でも日本が大量にタイ米を買い漁ったから、アフリカ諸国はコメを充分に輸入することができなかったんだって。ひでえ話。日本はそのうちコメすら作らせてもらえなくなるのでしょうか?日本のお米をもっともっとみんなで食べようぜ!アメリカの遺伝子組み換え小麦のパンやBSE牛肉食わされて、僕らの脳がこれ以上狂っちまう前にさ。

?「飢え」は、「つくれない」「もらえない」「買えない」のいずれか、或いは重複し起きると言われてます。「貧困」と「戦乱」という人災が決定的要因なのです。「飢え」をなくすために、「貧困」と「戦乱」をどうしたらなくせるのでしょうか?
→さあどうしたらいーんだろ?21世紀になってもただ憂うばかりだ。
「飢え」に立ち向かうすべ。土地改良。砂漠化対策。スラムのインフラ対策。農業援助。井戸づくり…。 しかしどれも応急処置でしかない。飢餓問題の根本的解決には、各国の自給自足経済の確立と、民主的な国家建築以外にないのではないかと思う。狂った市場原理主義経済と暴力的金融資本。国民から富を巻き上げるクズ国家。愚かな戦争。そして僕ら北半球人の脳死的無関心と圧倒的な無力感。正義って何だ?悪って何なんだ?僕らには関係ない…でも何で僕らは遠い国の人たちの「飢え」を憂いているのだろう?…
カリム少年はジグレールお父さんに最後の問いを投げかけます。「本当の出口ってどこにあるの?」 そしてジグレールお父さんは優しく優しく答えるのでした。「飢えに苦しむ人たちの様子を日常の風景にしてしまうような社会、人を人として扱わなくなった殺人的な社会構造を変えることだ」と。
社会倫理を逸脱した市場原理主義経済に対して、或いは様々な暴力による支配に対して、僕らには何かを考える意味が在るはずなのです。カリム少年はもう知っている。「飢え」は運命でも自然淘汰でもないことを。 ジグレールお父さんは最後に僕たちに語りかけてくれました。
「自分たちの手で自分たちの国づくりを」
「自立した経済を」

市場原理主義経済というモンスターの台頭は、弱肉強食のジャングル資本主義にあって、良心の呵責を感じることなく生きていきたいと願う悪魔どもの、罪深き精神基盤である。なぜ飢える人々がたくさんいるのか?それは食べる物を買うお金がないからだ。南半球の人々は、北半球の人々の食卓を豊かにするための作物を、クズ値で買い叩かれながらも植民地時代から大量に作り続けている。北半球の人々はそれを利用しておきながら、南半球の自然破壊を懸念する。そして他の農産物を「つくらせない」ために、余剰穀物を「食糧援助」するアメリカ。輸出入で安くさばき儲ける国際大企業と、搾取を続ける南半球諸国のクズ政府。そして愚かな終わらない戦争がいつも弱者を傷つけて追いつめてゆく。かくいう南北問題ってやつの、背景。世界中の人間の醜い部分が、蓄積された末の掃き溜めみたいに、世界の問題として僕たちの前に現れてきてる。誰が一体悪いのか?どうすればいいのか?単純な答えは難しい。人類のあらゆる負の遺産を抱えた問題はとても複雑なものなのだ。

世界の問題。目を背けても別にいい。むしろ人間的だろう。その時々でわからないことがほとんどじゃないか。世界ってそういうもんじゃないか。自分自身の人生を一生懸命生きることが、本当は一番大事なことなんだって、僕は思うのだ。
だけど…それでも僕たちが「飢え」を憂うのは、やはり人間だからなのだ。食って吐いて糞をして、睡眠欲と性欲と自己顕示欲にまみれた僕たちが、それでも遠い国で「飢え」ている人のことを時に思い、世界を憂うのは、やはり人間だからなのだろう。幼いカリム少年の思いに対し、真剣に答えてくれたジグレールお父さんもまた人間なのだ。
人を殺すのも人ならば、人を救うのもまた人だ。人を憂うのもまた人だ。世界を恐怖させるテロリズムも、世界に勇気を与える平和活動やスポーツも、人の行いなのだ。
「飢え」の中、必死で生きようとしている人たちがいる。誰のせいで「飢え」ているのか、何のせいで「飢え」ているのか、彼らには知るすべもない。僕らがそれを知ったところで、僕らもまた神に祈るしかないのだろうか。不幸の中で死んでゆく不幸。テロに脅え、年金に脅え、あの娘の態度に脅え、金に脅え、プライドに脅え、自分自身に脅え、未来に脅え…、ただ、それだけじゃねえってこと。生きるってことは。
僕は何が言いたいのかな…。なんつうか、僕らが多くのことに脅え勇気を出し立ち向かうことに、それは賞賛されたり励まされたりするんだけど、そうやって人は成長するんですよみたいなことを言われるけど、そうじゃねえってこと。確かに僕たちの社会で僕たちは誠実に生きることが、その方がいいに決まっている(と僕は思う)。だけど、今日僕が食った柿ピーのピーナッツとか、サラダにぶっかけたドレッシングの落花生オイルとか、みんな途上国の人たちが「飢え」と紙一重の構造の中で作ったものなのだ。僕らは「飢え」を救わない。明日失恋しても、リストラされても、勇気を出してまた立ち直るくせに、僕らは「飢え」には一切の力を使わない。まがい物とは言わないけれど、僕たちは僕たちに与えられた恐怖と幸福の中でそれらと葛藤させられて日々を過ごしている。こんなことほざくのも、甘いし若いのだろうけど、でも立派な大人たちが「飢え」を憂おうとしてるようには見えない。どうしようもないことにはいちいち憂わなくなるのが大人なんだろうか?世界で何億人が「飢え」ていても、僕らは年金や郵政や雇用に脅え、勇気を出し全力で立ち向かおうとだけしている。それが悪いわけじゃない。むしろ正しいことだろう。でも、それ故に僕らはテロで死んでいいのかもしれない。誰も悪くないのにな。くそう。 自立してからほざけって言われるだろうな。それでも今の僕は世界を憂う。
「飢え」の中で必死に生きてる人がいる。僕らは「飢え」の外側で必死に生きようとしてる。どんな理由をつけても埋まらない現実。だからこそ、僕は世界を憂う。

思い出の彼方

2005年7月17日
昨日から兄が家にきてたので、昨夜から深夜まで橋本真也追悼飲みをしていて、起きたのは昼頃。それから兄と遊びに出かけて、それからチームでサッカーしました。
相撲観てたら、朝青龍が琴欧州に敗れたのでびびりました。うわすげ!名古屋おもしろくなんぞこりゃ!
その後家で飲み会。橋本真也追悼飲み。2次会はSK兄貴の店。
皆で昔話を楽しくしました。振り返ってみると、随分今の僕は今の人生を楽しめるようになってきたのだと思います。あの頃の僕は、何をやってもつまんなくて、不愉快で、静かにキレてました。でも、ある程度までいったら今度は何もやらなかったことを後悔しました。生きてる限りは、何かやらないと、息してる時間を生きてるって思えないのです。それを知りながらも、周囲の反応や社会の流れなど外的なパワーと、自分の個性や内面とのバランスにいつも揺れていました。快楽や欲求と精神的安定のバランスにも。
いろんなことがあって、いろんな人に会って、僕はイカれていったのです。言葉を変えると「成長」なのでしょう。「自分探し」の末に、愚かでどうしようもない真実の自分を見つけた感じです。そいつが自分なら、それが闇でもいいと思います。嘘っぱちの陽の光の中で、いくら自分探そうとしても、見つかるはずがなかったんです。サドでもマゾでもいいよ。たった独りの自分なんだから。僕はもう狂うことで負けない。
矛盾した世の中なんかにはもう振り回されないです。だけどそれは例えば楽して金儲けしたいとか、暴走したいとか、ボランティアしたいとか、ずっと寝ていたいとか、かわいい女の子をはべらしたいとか、そんなんじゃーなくて、ただ自分を生きていきたいと思うだけなのです。こんな僕が一体誰に比べて不器用だというのでしょう?誇れるものは、この自分自身でしょう。愛すべきはコンプレックスでしょう。
少しだけでも社会学部をやっててよかったと思う。わけもわからずに社会を否定するようなキレ方は、やっぱ希望無かったから。僕は僕から逃れられない。幸せに脅える必要もなく、僕は結局僕でいようと思う。別に社会を否定しない。本当は何者かで在ろうとも思ってない。ただ心臓は今日も鳴る。生きてるのだ。
残酷にも「飢え」は続く。世界で「砂漠化」や「森林消失」が進んでいること。原因は異常気象でも人災でもあるけど、とにかく農業を失った人々は「環境難民」になってゆく。都市に辿り着いてもスラムに住むしかない。生きるためには犯罪でもするしかない。どこまでいっても彼らにとっては地獄なのだ。アフリカとかラテンアメリカとか、いわゆる第三世界ってのは、結局解けない呪いをどこまでも抱えているといっていい。
解けない呪いの正体。かつて欧米が第三世界を植民地化してた。大戦後、確かに第三世界の国々がたくさん独立したけど、その傷跡は未だ癒えていないってこと。フランスの植民地だったセネガルっつう国は、今尚ピーナッツだけを大量に生産している。モノカルチャーってやつだ。他の作物を生産するシステムが作られていないため、ピーナッツだけを膨大に生産し、腐敗した政府は農民から不当に安い価格で買い取って輸出し、他の食物は輸入でまかなうしかない。単一栽培型農業を続けている限り、輸入に頼るしかないのだから、どんなに働いても自給自足はありえず、ゴミみたいに安い価格でピーナッツを売り続けるしかない。セネガル人は働き者が多いらしい。でも、働いても働いても死ぬほど働いても、彼らが豊かになることはありえないのだ。構造故に。本当は教育とか自立支援プロジェクトとかが必要なんだろうけど、別に誰もやろうとしてない。セネガル政府も、アメリカも、そしてやはり僕らも…「飢え」を本当に救おうとはしていないのだ。 前回のW杯でセネガルがフランスを倒すという大波乱を起こしたとき、僕はちょっとだけ嬉しかった。ジダンやアンリ…フランスのスター選手達が敗北のショックで顔を歪ませてたとき、僕はセネガルに拍手を送っていたのです。サッカーに政治を持ち込みたくなかったけど、まあサッカーの醍醐味である大波乱という意味も含めてね。 フランスもまたアフリカ諸国が自立しようとするとぶっ潰したりしてたから。大国はいつだってそう。日本はといえば自給自足も出来ない経済で、靖国がどうとかまだいってやがる。神の国だ?脳死の国だろが。靖国じゃなくて安い国だろが。

これまで長々「飢え」について話してきましたが、とうとうジグレールお父さんのお話を息子カリム少年は全て聞き終えます。そして、今まで話されてきた「飢え」の真実に、カリム少年は絶望するのです。それでもジグレールお父さんは静かに言うのです。
「くりかえさざるをえない悲劇−これがとどのつまり現在の世界の状況だ」と。 …そしてジグレールお父さんは、カリム少年の最後の問いに答え始めるのです。

こんなどうしょうもねえ僕が思う。こんな意味のねえ僕が世界を憂う。世界に希望はあるのでしょうか?無力すぎる僕らに、それでも何かゴミの欠片くらいでも世界を救うために出来ることはないのでしょうか?偽善も必要悪も、開き直りも、もうどうだっていいのです。僕らは日本にいる限りいろんな物を食って吐けるのだから。来週飲み会だし。傲慢だとか愚かだとか、そんなんじゃなくても、少なくとも人は人の痛みを感じちゃう存在だってこと。そうやって人類は豊かになりながらもちょっとずつ平和の歴史を歩んできたのだとも思うから。僕らは後世代に愚かな歴史を語られるかもしれない。僕らが人類史を戦争や略奪の歴史だととらえているように。だけど、等身大の愚かな僕らで、狂った世界のために何か希望のようなものを生んでいけたらとも…僕はときどき夢見るのです。
−ラストへつづく−
「飢え」の正体。戦争、暴力、独裁政権。 ここまでダベってきて本当によくわかる。人間は食わなきゃ死ぬってこと。だから「飢えは武器になる」ってこと。そして勿論、飢えを武器として利用してるのは戦争や国家だけじゃない。そう、繰り返すけど、国際大企業の奴らがそうだ。ジグレールお父さんは悲しそうに言う。「例を挙げようか。あのネスレだ」ネスレってあの有名なスイスの企業、あのネスレだ。
70年代のチリで、左派の大統領アジェンデ氏が当選した。彼は元小児科医で、チリの子どもたちの栄養失調を解消するという公約で信頼されて当選した。彼は粉ミルクを無料で国民に配給しようとするんだけど、当時粉ミルクを独占市場にしていたネスレがアジェンデ政権に協力しなかった。なんで?栄養失調の子どもたちを救うためじゃん! 当時のアメリカのニクソンと補佐官キッシンジャーの極悪タッグが、アジェンデ政権をぶっ潰そうとしてたからだ。アジェンデ政権は外国からの依存から脱し、チリの自律性を高めることを目指す改革ビジョンを持ってたからだった。アメリカ企業がチリ国内で儲けまくることが出来なくなる、ただそんだけの理由で、アジェンデ政権は叩き潰された。チリへの援助を打ち切り、CIAがストとサボタージュを煽り、西側諸国の銀行・工場・商社もまたアメリカに追随した。「飢え」なんて奴らにとってはそんなもんなんだった。悪魔どもめ。
粉ミルクは配られることはなかった。そしてアメリカCIAとチリ極右グループが共同して起こしたクーデターで、アジェンデは殺された。チリ自立の夢はそこで絶たれたのだった。
アメリカの利権支配のために、僕らはアメリカで捨てるほど余ってる余剰作物での「食糧援助」を受けなければならないことになってしまってる。自国での自給自足を、アメリカ寄りの国でない限りは、アメリカは潰しに来るということだ。核も兵器も駐留軍も、食糧も、アメリカは全世界を握っている。
全てそうだけど、アメリカが動かないと世界は変わってゆかないってこと。国連含めてね。環境問題も、エネルギー問題も、戦争も、「飢え」もだ。これぞパックスアメリカーナ(アメリカによる支配=平和)。何が良くても悪くても、僕らは無力だってこと。だけど、たとえ世界がそんなんでも、僕らはそれぞれのコミュニティーを幸せにしていくことしか今は出来ない。だけどいつか、世界を見渡すことが出来て、この安い命を世界のために使えたらなと、願い、祈る。

家庭教師先の子が、テストの成績が良くなりました。あんなにクソバカだったのにな。うれしいなあ。憂うばかりの日々の中、やはり優しく嬉しくなれる時間もあるのです。
−つづく−

旅立つ君へ

2005年7月14日
昨日はファミレス行く前にぶっ倒れて寝ちゃって、夜中も出来なくて、朝から発表のまとめをしてた。風邪気味かも久々に。喉と頭が痛い。

今日はゼミの補講でした。なんとか卒論の中間発表を終えてきたよ。疲れたわ。あのゼミ苦手。いわゆる大学生の集まりっぽくて。
YY君がアメリカ留学すんだって。彼は遊び人ぽかったけど実は誠実な奴で、それがやっと僕にもわかりかけてきた。陰の無いいい奴だ。ちなみに僕は、陰のあるいい奴。 YY君と品川で2人で飲んだことがあったっけ。HとC氏と4人だったけど、2人帰っちゃって。あん時も、面白いこといっぱい言ってたもんな。この僕が珍しくノれなかったのは、どっか彼に嫉妬してたからなのかも。陽の光を浴びながら歩く彼に。だけど僕は僕なりの闇の道が、僕の道なのだと気付いたときから、彼の明るい道にだって苦難や障害があるって気付いたときから、どうでもよくなってたんだ。人生に損得なんかねえや。アメリカで、がんばってこいYY君よ!
教員採用試験の結果が出る頃には、YY君がアメリカに飛び立つときには、僕は汽車の中〜。 人生こそ旅だ。素敵な旅。遠回りして、のたれ死ねたら、すてきだろうなあ。

小教育論争

2005年7月13日
教育実習の事後指導。春学期最後のを受けてきた。M教授と話したかったのにドタキャンされた。いらついたけど、まあしかたねっか。僕とHを含む学生5人とM教授とで、延々と教育論を展開。M教授サイコーに面白い。 先週の「キレる」論争から、若干因縁めいていたIT君に、今日は牽制しつつ叩き込んだ感じ。僕は討論とか論破とかかなり嫌いなんだけど、どうしてもあの人の考え方が好きになれなかったから、今日は叩き込んだ。M教授の時代はこういうのがホットだったんだろうけど、僕らアフターバブル世代はそれほど闘争的でもないのさ。感情だけでは傷つけ合わないのが僕らだ。IT君とはその後食堂でお茶飲んだし2人でも喋った。でも好きにはなれない。教育学部とかならともかく、この大学で教職課程とって、ゼミみたいのやって、教育論話し合ってんのに、教育放棄しちゃだめだろ。結局子どものことなんか何一つ考えてなくて、サル相手の知識産業か公務員の一つとでも思ってんだろ。それならそれでいいけど、じゃあ「教育」に前がかってくんなよな。
今日は愚痴になりましたか。まあ本人に言ってもどうしようもないし、別に僕にとってストレスでもないので、ただ教育理念というか、教育観の違い。ただ、ああいう先生殴りたかったなって、子どもの頃は思ってたんでね。見せかけの花火だ。ちっとも熱くねえ。ID君今日来れなくてよかった。教育に熱い彼はぶっちギレてたかもしんねえ。
その後食堂でDさんに教科書課してもらった。もう感謝。橋本の死をAにも悼んでもらいました。
今年の花火大会なぜかWさんも行きたいって。Aが嫌がるんだろーなー。はあ。

WORLD PRESS PHOTO 05

2005年7月12日
四国旅行が決まったからって訳じゃないけど、漱石の「坊っちゃん」を読みましたよ。痛快痛快。なかなか読ませるね。 ああ僕も五年後くらいに教採受け直すときは四国にでも行こうかなあ。だから「松山坊っちゃんスタジアム」っつんだね。

ああそうそう、先週恵比寿に写真展観に行った。とてもよかったのに日記に書き忘れてた。写真てすごい。決して真実そのものではない。曖昧なものだけど、でもあれは真実の一部なんだ。日頃はマンガとか小説とか映画とか、創作芸術に魅力を感じる僕なんかは、写真にびびりましたね。「世界報道写真展2005」だったかな? 一番震えたのは、こないだの大津波で、家族を失ったお母さんが地面に顔をこすりつけて泣き叫んでる写真。隣にはウジのわいた死体の腕だけがフレームに収まってんの。すげえと思ったよ。 あと、パレスチナで、ゲリラに間違えられて、家の窓を開けた瞬間にイスラエル兵に頭を打ち抜かれちゃった少年の写真。 あとは、中国の工場の写真。まさに高度成長期の日本を思わせるように、大規模に労働者達が、狭い宿舎と管理された労働環境の中で、ガンガンに働いてる写真。でもその裏ではずさんな安全管理の犠牲者の写真や、成長する経済の裏の貧困層の写真とか、とても興味深かった。 ブッシュ再選に沸くアメリカの写真とか、スポーツの瞬間を撮った写真とかもすごかったよ。今度写真やってみよっかな〜カメラ買おうかな〜。
恵比寿の東京都写真美術館で7月末までやってるらしいんで、興味ある人は是非。学割きくんで学生証貸してあげます〜。

僕は内戦やテロとか戦争系に涙もろいです。罪のない人が傷ついていく姿に、悲しみと憤りと、人間の愚かさと無力を感じるんだよね。所詮関係ないのだけど、偽善無く悲しんだっていいじゃないかと思うしさ。

さよなら破壊王

2005年7月11日
橋本真也が死んだ。。享年40才の若すぎる急死。あの破壊王がこんな形で逝くなんて…。帰りの電車の中でおっちゃんが読んでた新聞の一面見出し読んで、そこでいよいよ実感がわいた。もう橋本も橋本のプロレスを観ることもできないんだよなあ。動揺した僕は電車を降り損ねて、結局倍の時間をかけて帰宅した。
今日に限って、食堂でDさんを相手に相撲とプロレス論について語っていた僕。その後届いた訃報。何かの予兆だったのかなあ。
小せえ頃。何もかもわかんなかった子どもの頃。橋本が強いことだけは知っていたし信じていた。リングに向かう橋本の姿、闘う橋本の姿、ホントサイコーにカッコ良くて、兄と一緒にいっつも応援してたっけ。天龍と闘ったときも、あの小川との引退をかけたデスマッチのときも、いつもいつだって橋本真也はカッコよかった。実況アナが絶叫する。「立ってくれ!頼む!立ってくれ橋本ォォーっ!!」そのたびに、絶体絶命の淵からいつも立ち上がってきた橋本。僕らの橋本。もうお前は立てないのか?お前のプロレスをみんなが待ってるのに。やっぱりここで終わっちゃうのか?できることなら逝かないでくれと、僕が何回語りかけたって、やっぱり橋本は帰ってきてくれない。「人は、いつか死ぬ…。例外なんか、無えのさ…」(by赤木しげる)
ゼロワンとかよくわかんねえけど、蝶野や武藤、バラバラになっちゃったかつての闘魂三銃士が、いつかは奇跡のように同じリングに立つのかなあとか僕は密かに思ってたのに…。
涙は出ないけど、すごく悲しい。だって橋本はすげえカッコよくて超強えプロレスラーだったから。僕の胸の奥に、今日は一日中あのコールがずっと響いてる。
…はっしもとっ!はっしもとっ!はっしもとっ!はっしもとっ!はっしもとっ!はっしもとっ!…
今日は超久しぶりに、プロレスゲームでもやろうかな。橋本よ、お前のプロレスを観ながら酒でもどうだい。ああ橋本よ、どうか安らかに眠ってくれやしないか。僕の胸の中の橋本よ。さようならだぜ。
今夜のプログは偉大なプロレスラー、破壊王・橋本真也に捧ぐ。ご冥福をお祈り致します。

うたかたの夏の日

2005年7月10日
朝っぱらから教員採用試験。絶対受からない試験に、僕はスーツを着て臨んだ。受験票に写真すら貼ってなかったので、駅で写真撮って、新宿から京王線で下高井戸の日大まで。 試験は難しかった。しかしこんなんで教師が決まるのかと思うと、なんだかなあとも思う。くだらない問題ばかりだ。東京中の教師志望者が集まってきたっつうのにさすがマンモス日大は広く、いま日大でテロ起きれば、未来の教師が全員死んで、日本の未来は危ういかもなあ、なんてバカなことを試験中ずっと考えてた。やるきね〜。
ID君も受けに来てた。終わった後クソ暑い中帰るのにもイラついたので、二人で吉祥寺へ。まあお疲れということで、お好み焼き屋でビールを美味しく頂いた。結構いい時間飲み食いしたのにまだ外は明るく、もう一軒。吉祥寺の裏通りで見つけた素敵なバー。店内は静かでBGMカーペンターズとかがかかってて、人が誰もいなくて貸し切り状態で、渋いマスターと、若いバーテンダーの兄ちゃんがカウンターにいた。適当にカクテルとか飲んでると、マスターが買い物かなんかに出掛けちゃって、バーテンの兄ちゃんと話し込んだ。25才のその兄ちゃんの名前は「キヨ」。最初はお互いのこととか、大学のこととか、最近のこととか話してたけど、途中からキヨのテンションが上がってって、いや初めから彼は少し酔ってた感じはしたけど、店の酒を勝手に持ち出してきてついじゃったり飲んじゃったりするようになって、カウンター内でふらつきながら喋るようになってった。冷蔵庫からメロン出してきて「食べてよ〜」とか言う。「あ〜タマネギもあるな〜」とかって取り出したのはグレープフルーツだった。やべえ。こいつ相当酔ってる。バーテンがこんなに酔ってて他に客とか来たらどうすんだこれ? キヨの行動は益々酷くなり、僕のことを「横井」とか言い出した。ろれつが回らなくなり、店の入り口に向かって中指を何回も立てたり、「○○(たぶん店長の名前)〜!ぶっ殺す〜!」とか叫ぶようになった。カウンター内の酒とかこぼしちゃうし、グラスも落っことしまくってた。泥酔まであと一歩だな。聞けばこんな夜勤なのにキヨは薄給で、今月で違う店に移るそうだ。だからちょっとだけ荒れてたのかもしんない。そうこうしてる間にマスターが帰ってきて、「お前…なにやってんだ?」とかって、腕掴んで店の奥の方にキヨはつまみだされてしまった。「すいませんでした」と渋いマスターはその後色々サービスしてくれた。
僕としては、すげー楽しかった。キヨに色々人生のこととか話して、すげー満足した。「金掴んでいい暮らししてる奴らも結構つまんねえ生活だなあって思ってるんだろうし、乞食みたいな成功しなかった奴らもサラリーマンを見下しつつも困窮してるじゃねえか。自分の状況に満足できた奴が勝ちなんだと思うのよオレは」とかキヨは言っていた。「やりたいことやってほしいのよ。もったいないじゃんって思うのよ」と。その後「…でも家族や安定もほしいけど」とぽつり。
キヨが移るという高田馬場の店に今度飲みに行ってやろう。絶対僕らのことは覚えてないだろうけどな。

その後地元戻ってSK兄貴とファミレスや公園で飲みながら色々語った。大学以外で語り合える友達は嬉しいわ。土手で一服しながら夜明けを迎えた。汗の臭いとマルボロの煙と、緩やかな川の流れ。結局夕方から明け方まで飲みっぱなしだったなあ。

朝がやってきたのだ。夜と朝がつながってるってこと、一体いつから僕らは知ってしまったのだろう。何万回も太陽が昇り沈み、僕らは生きてゆき、死んでゆく。この瞬間があって未来がある、この使い古した生命がそれでも躍動するこの感じ。フレームに切り取りたくなるくらい味があるんだろう。だけど間違いなく、生きてるって面白いことなんだ。世界はどこまで続くんだろう。僕はいつまで僕で在りながら生きてゆくんだろう。そんなことだけをただ思った。思わなくてもいいことを、でも思ったっていい。夜明けを前にちっとも眠くなかった。 今日も朝はやってきた。もしかしたら2度と見れないような光が、いつも通り街を包んでいった。

埼玉ダービー燃ゆ

2005年7月9日
姉夫婦が招待してくれて、埼玉スタジアムまでJリーグ観に行った。浦和レッズVS大宮アルディージャの、通称「埼玉ダービー」だ。席はVIP席と聞いていたけど、VIP席の一つ隣のスペースだった感じ。それでも、あの小野伸二を生で見れました。小野!小野ぉ〜! 試合開始前から埼スタはヒートアップ。まるで甲子園の阪神ファンかってくらいレッズレッズレッズの赤一色でスタジアムは埋まってる。紅ショウガみたいな鮮やかに蠢く赤。隣の人の声も声が聞こえないくらいの大声援。大宮のオレンジ色のサポーター席はほんの少しだけ。すっさまじいな。ウルトラホームスタジアム。
大宮には浦和から移籍した選手も多く、前日の浦和側の「埼玉ダービーだと思っていない」発言もあって、相当の因縁マッチ。雨の中(だけど僕らは屋根付き〜)、キックオフ!!
レッズのパスミスが多く、サントスもキレが悪く、いつものバランス悪い攻めのサッカーに対し、大宮はよく守り、ミスを突いて逆襲を仕掛ける。スキをついたCKにニアに走り込んだトニーニョがヘッドで決めて大宮先制!更にゴール前に持ち込んだ桜井が叩き込んで大宮追加点!2−0!相変わらずレッズサッカーは先制を許す。トゥーリオはまるでFWみたいに上がりまくるし、サントスはボールを取られまくるし、ワンダーボーイ永井も紅き風田中達也も冴えなかった。だけど前半終了間際にサントスのFKにトゥーリオが頭で合わせてゴール!2−1!総立ち!オーオッオッ!!ゴールの歓喜の瞬間はやっぱり最高だ。後半も攻めまくったけどレッズは追いつけず、大宮はイエローを何枚も出し、何人も選手交代を使って、レッズの司令塔長谷部を徹底的に潰し、根性で守り抜いた。結局2−1で試合終了。なかなかいい試合でした。小野も見れたしね。
姉夫婦は明日からバンコク旅行だって。今日はありがとよん。
酷い雨の中地元に帰りました。酒飲みながら夜中のスポーツニュース観てたら、決勝ゴールの桜井が、「そういうこと(レッズ側の「埼玉ダービーだと思ってない」発言)言ってるチームには絶対負けたくないと思ってたんで」ってキレてた。いや実際よくやった桜井。あのウルトラアウェイの中で、レッズからの移籍組には特に大ブーイングだったからな。
さあ明日は教員採用試験だ。早く終わって色々なことしたいわ。僕の教職課程は明日の試験で一つのしめくくりを迎える。別に何とも思ってない。普通に落ちるだろう。なんつうか、けじめ。今まで教職課程やってきた自分への。
朝10時に馬喰町でリベンジ。一昨年は取れなかった「ムーンライトながら」の指定席を取りました。前回は新小岩で失敗したからな。よかった。でも駅員が若干手間取って、禁煙席取れねーでやんの。イラついたけど、ながらを取れた喜びの方が大きかった。これで夏は四国旅行が決定。
レポート提出はID君に任せて、昼から学校へ。ゼミはつまんなかった。皆の卒論発表も興味深いけど、今はやっぱ自分ので手一杯だもんな。
食堂の入口でKさんに会った。半年ぶりか。あのKさんに。僕がつるむ友達以外に、久しぶりにソウルを感じたこの人と、もっと僕は仲良くなりたいなとずっと思ってた。この機会を逃さねえと思った僕は夢中で色々話しちゃった。ケータイも聞けた。今度飲みに誘ったらさすがに怪しむだろうな。女の子って難しい。むしろ下心があった方が近づきやすいってのは変な話だ。恋愛めいたツールを使用しなければ、親しくなることも叶わないのかな。人間としての興味があるだけなのに。だけど別に彼女が同性だったら、とか、そんなことは思わない。彼女は女性だから彼女で在るのだ。「性」は「生」である。存在基盤そのものだから。だからこそ、アプローチするモチベーションは「生」なのだけどな。ここんとこをわかってくれる女性は少ないように思う。バカな脳死文化のせいだな。
彼女に近づきたい。もっと話したい。魅力があるから。それだけなのにな。諦めないぜソウル。ソウルはそもそも諦めるとかいうものではないしね。
インスタントの冷やし中華はAとKSさんとS氏に見せてあげました。誰も出来上がりを見たいとも思わなかったみたい。でも美味かったぞ。二度と食わないけど。
その後ファミレスで勉強。厨房から出てきたIG君を呼び止めて話し込みました。人生いろいろだね。

テロリズムの空へ

2005年7月7日
ロンドンでテロが起きた。あんなメジャーな都市で…。まあメジャーだからこそ起こるのだよな。オリンピック誘致で沸いた翌日のテロリズム。よっぽど犯人はフランス人かと思いたいくらいだ。それだけテロってやつは、恐怖そのものだ。日常が、やられる。平和な、いつもの、何気ない一日が、狙われる。日本でも、必ずや起きるだろう。おそらくは都市部で。祈るしかないか。運が悪かったって。でも、無念だろうなみんな。くそう。昨日の写真展で衝撃を受けたばかり。これ現実なんだってこと、これでもやっと少しだけ、こんなに人が死んでやっと、平和がすばらしいものだって気付く。
あの9・11を思い出す。4年前、僕は浪人生で、夜中受験勉強をしてた。Nちゃんのメールで焦ってTVつけたら、ツインタワービルに大穴が空いてて黒煙が上っていた。ペンタゴンもやられてた。戦争かと思った。あの超大国アメリカが攻撃されてるのか?マジでビビった。何かの幕開けだと思った。歴史が動く瞬間を見てしまったみたいで、僕はでも受験勉強するしかなかった。だけど、あの9・11がその後の僕の生き方を変えていったのも事実だ。いや、生きるってことが、本当に貴重なことで、平和っていう平凡な日々が、どれほど価値のあるものかということを思い知ったのだとも思う。
世界のあちこちで噴出する、誰の中にも存在する、いまこの時代に生きる僕らは、あらゆるテロリズムと共存してゆかなければならないのだ。人間を狂わせてゆくものを眼差さなければならないのだ。
テロは恐い。でも、恐怖に敗れて狂ってゆく人間達の方が恐い。眼を見開いて、人間の闇の部分に立ち向かってゆくこと。誰もが殺し合う必要のない世界を、僕はただただ願う。奇しくも七夕の季節に毎年同じことを僕は願う。9・11が起こる前、参加してた障害者支援のボランティア団体かなんかで七夕大会かなんかがあって、僕は短冊に書いたっけ。この僕がこの世界の夜空に願うことなんて、きっとその頃から何も変わっていないんだ。「世界平和」。

日々のきれぎれ

2005年7月6日
教育実習のクラスでまた事後指導を受けた。行く必要なかったんだけど、M教授に会いに。そして勿論このクラスでの飲み会を提案するためにだ。昨夜もファミレスで、ほとんど寝てなかったからフラつきながらも。「なぜキレる子が増えてるのか?」なんて、結構語り尽くされてるような議論が始まっちゃって、眠くて眠くて、自分自身がキレそうだった。
アプローチ的には山ほどあるし、バカみたいに色々学説が飛び交ってるし、ネタ的にはつまらないんだけど、でも学生同士で議論するのはいいことだ。ただ、僕が明け方に書いてた小説がとってもイカれた小説で、何だか同じ自分が今度はマジメな議論してることがとっても不思議だったのだ。

−冒頭からグロい3つの無差別殺人事件の描写。犯人はどれも少年。実に色々なタイプの少年が、ある子は無差別に、またある子は復讐に、計画的に、衝動的に、それぞれの狂気と凶器を持ってして、それぞれのターゲットを殺してゆく。一見全く関連性のない凶行に、実はある共通点が隠されていた。世の中で「おれ」一人が、その3人のことをよく知っていたという事実だ。−少年が「キレる」とき、彼の中の「何」かが「キレる」。大人達が血眼で追う陳腐な神秘を、「おれ」も知りたかった。「おれ」は第三者の少年D。「おれ」がとうとうその神秘を知ったとき、そのとき「おれ」は人を殺していた…。

いや、たぶん教育者目指す者が書くような小説じゃないのだろうね。だけど結構ドツボ突いてると思うんだけどね。
僕は、誰にでも「キレる」可能性はあると思ってる。それは環境要因と個人要因があるだろうけど、明確な解答なんか出されていない。明日そいつがキレるかどうかなんて誰にもわかんねーんだ結局。脳味噌もまだまだそんなに解明されてはいない。僕の脳味噌はたぶん僕がキレて凶行に走った後で調べられるんだろう。そんなもんだ。正常異常を分けるものなんて可視的なもんにはなくないか。自分らが正常であの子達が異常とでも思ってんのか?っていいたくなる。教職課程とってる人はマジメ君マジメさんが多いのかも。「キレる」子の気持ちなんて理解しようなんて思わない方が、幸せだと思うときもある。
こないだ食堂で、隣のテーブルの女の子二人がヤクの話をしてた。「注射針使い回すのってヤバいのかな〜」「んでさ〜酔っぱらってる間に打たれちゃった〜」とかって、笑いながら。僕はウオークマンのイヤホンつけてたから聞こえないと思ってたのか、でも電池切れで音楽鳴ってなかったから丸聞こえだった。見れば普通のお嬢様だ。まあそんなもんだろ。
中学や高校の時だって、周りにはキレそうな奴らたくさんいたように思うけどな。
M教授が僕のことを「いい子」だなんて思ってたら、むしろ教師の無力が証明されてしまうようで、少し心配だ。来週話す約束をした。今から楽しみだ。
今尚内戦が続くアフリカ。スーダン、リベリア、アンゴラ、ルワンダ…様々な国で終わることのない戦争が続いている。民族、宗教、利権、思想、あらゆる対立が渦巻いて、殺し合いはいつ止むのだろうか。戦争は人を殺し、また人を「飢え」させる。政治難民の半分はアフリカで生まれているのだ。
シエラレオネという国のことを、僕は去年のNHKのドキュメントで知った。貧しい国なのに、内戦が続いてるんだ。反政府軍はゲリラ戦の中で、罪もない農民たちをたくさん捕まえて、腕や手首を切り落としまくった。農作業を出来なくするためにだ。手を切断された農民はただ「飢え」ていくしかない。政府軍にダメージを与えるためだけ、国力にダメージを与えるためだけに、あえて殺さず、何も出来なくさせて食料を使わせ「飢え」させる戦略。なんてことだ。これが人間のすることなのか。僕は涙が止まらなかった。シエラレオネの人たちに、そして人間の愚かさに。
アメリカも先進国も、リスクをかけてでもアフリカを救おうとは思ってない。イラクだけに「人道支援」が行くのはやはり石油があるからなんだということがハッキリわかる。シエラレオネの人々も「解放」してあげろよ。「人道支援」してあげろよ!って思う。有意義な資源が無いアフリカを、どこの国もなかなか救おうとはしない。
ルワンダ、コンゴ、そして北朝鮮。支援団体や国連が送る、飢える人々を助けるはずの支援物資が、腐敗した政権に横取りされることがこれらの国では多々ある。援助活動が独裁者を維持させてしまってるって意見は、悲しいことだが確かにそうかもしれない。でも、援助を止めたら一人の子どもの命も助からないってこともまた事実なんだ。湾岸戦争以降の国連の経済制裁で、イラクがどんなに苦しんだことか。だけどフセインはのうのうと王様生活を続けてやがった。今後結局は発動されそうな北朝鮮への日本の経済制裁が、北の人々をどれだけ苦しめることか。だけど金正日はのうのうと王様を続けることだろう。

結局何が正しいとか先に求めるべきじゃねえ。現実を現実に見て知って、全てはそれからなんだ。 人が人を傷つける。人が人を殺す。そして人が人を飢えさせているってこと。
−つづく−
食糧自給率を超えて穀物を生産できるのは何もアメリカだけじゃない。EUもそうだ。だけどそのEUも、肉の山と数百万トンの農産物を定期的に焼却処分しているという驚く現実がある。は?なんで?なんでその食糧を「飢え」に回さないで燃やしちゃったりすんの?バカじゃねえの?いや、EUはバカじゃない。アメリカのような異常なウルトラ生産力に対して、EU農業は農産物の価格破壊を防ごうとしている。「最低価格を保障する」ために、生産を抑制する政策をとっているのだ。農家に対して制約を課したり補助金を出したりしてね。だから、余った農産物は市場に流す前に火葬の山となる。「飢え」の国に届くことはないのだ。EU自体は「飢え」に対して少しずつ取り組んでるが、慢性構造的な問題部分には踏み込めないという現実がある。
そうなのだ。世界の食糧の公平な分配とは、ただ単純に余ってるから回せるねなんて話じゃなかった。食料の価格決定も、生産量の決定も、全てに権力を握っているのは世界市場なのだ。ジグレールお父さんは静かに言う。「飢えた人々を生かすも殺すも市場の気分しだいなんだよ」と。
「飢え」の正体。それは僕らには手の届きようもない世界構造の中にある。僕らが給食を残さずたいらげても、たいらげなくても、「飢え」はなくなりはしない。例えば社会の時間とかに、「飢え」の写真とか見ても、「かわいそぉ」で終わる。そんな状況を例え嘆いても批判しても、やはり何も変わらない。僕らは無力だけを知ってしまうだけだ。学校は世界の構造を何も教えない。僕らは大量生産消費と飽食の中で大人になってゆくのだ。
「飢え」の正体。それは自然災害。それは政治腐敗。それは市場価格操作。そして、もうどうしようもなく人間の愚かさを証明するものが極めつけの原因としてある。そうだ。「戦争」だ。人が人を殺し、希望さえ存在しない。戦争こそ悲劇なのだ。僕は戦争の愚かさをまたも思い知ることになった。

「飢え」を見ること。そんなこと考えなくてもいいのかもしれない。鎌倉幕府とか2次方程式とかの方が大事なのかもしれない。教育論で争ってもどうしようもない。だけどさ、同じ人間なんだぞ。人間が人間のことを考えるのは人間らしくないかい?思いやりがどうとか、問題解決学習がどうとか、心の教育がどうとかよ。バカみたいだな。現実のグロい部分から目をそらして「命の大切さ」も無いだろ。教育ってホント欺瞞に充ちたものなのだ。もはや責められもしない。結局何もかもの人間の弱さを、人間自身が顧みることなんだろが。一週間後に迫った教採試験に向けて、勉強する日々だけど、「教育」なんてヘドが出るね。
−つづく−
教育実習が終わってからというもの、小説を読みふける日々が続いてる。身近にこんなにすばらしい表現文化が存在することを再確認してる。活字の凄さは映像に匹敵する。いやむしろ映像文化で育った世代がいま活字文化で何かと出会い、また違う創造をしてくのかもしれない。作家になりて〜な〜と思った。でもやっぱマンガも描きたいな。

宮部みゆきと村上春樹を一冊ずつ読んだ。そのうち制覇しよう。 それから石田衣良の直木賞の「4TEEN」と「池袋ウエストゲートパーク」読みました。若者特有の文化世界がとてもおもしろかった。こういうの書けたらなー。 あとは乱読。柳原慧という人の「パーフェクトプラン」というのを読みました。人工授精、幼児虐待、インターネット、マネーゲーム、どれもこれも超現代の重要ツールが飛び交う中、それらが誘拐という完全犯罪に帰結する…。とてもおもしろく読んだ。現代だわ現代の誘拐。優しさのある犯罪集団が切ない。 本田考好という人の「MOMENT」というのを読みました。ある病院の話。死を前にした患者の元に、たった一つだけ願い事を叶えてくれる仕事人が現れるという噂が流れ…。死を前にした人間の、美しさ、どす黒さ、儚さ切なさ、そして生きるということの何たるかが、とっても暖かくて少し感動しました。人は何のために生きるのかをずっと考えながら、それで死んでいくんだな。それはきっと人間的なことで、すてきなことだと僕は思うな。生きて、死にたい。当たり前のこと。 で今日は吉本ばななの「キッチン」を読みました。いいわ。少し感動した。電車の中で読んでて止まらなくなって降りても駅のホームのベンチで最後まで読んじまった。なんつうか、こういうのすきです。明日から料理に挑戦しようと思ったよ。 太宰も少しずつ読んでる。やっぱおもしろい。
牛のエサにするために世界市場に流通する穀物が不足している。豊かな国の人間が食う肉商品の確保のために、「飢え」はなくならないのだ。そして、やはり飢餓の正体はそれだけじゃない。人間が人間を殺す構造の構造たる部分、多くの人が知らなければならない現実とは、それは一部の人間たちによる穀物市場の支配である。
アメリカ農業が、その広大な土地と、悪魔のような科学技術と効率型大量生産システムを駆使して、狂ったように穀物を生産した結果、穀物は自給率を遙かに超え吐いて捨てるほど余った。この過剰生産分をアメリカは輸出に回している。世界の穀物輸出総量の中でアメリカの穀物輸出がどれくらい占めているか知ってるかい?とあのY先生は僕に語りかけた。実際にデータを調べた僕は、アメリカの穀物輸出がなんと世界の穀物輸出総量の半分近くを占めていることを知った。とうもろこし、大豆、小麦…世界の人々の胃袋をまさにアメリカは握っているのだ。日本を殺すには、経済制裁で例えば大豆を止めてしまえば、日本食に欠かせない味噌、醤油、豆腐…日本は全部失うことになる。経済は大ダメージ。この国際経済社会の中そんなことは起きないだろうが、それでも日本はアメリカに命を握られていることは確かだ。何しろ日本は貿易しないと飢え死にする国だから。
では、世界の穀物総輸出をアメリカが半分制圧しちゃってるということがどういうことなのか。そう、独占状態だ。この世の全てのものは売られている。その売り物を半分も制圧すれば、市場を支配し、市場価格をも操ることが可能なのだ。需要と供給という資本主義市場原則を、資本主義市場原理が裏切った形。今や資本主義は自らを統制できなくなった。そうだ、これがいわゆる価格操作ってやつだ。「利潤の集中」が、需要と供給という「神の手」を否定する。円ドルや株のように、農産物もまた投機の対象になった。過剰生産された穀物は、でっけえ輸出入業務用貯蔵倉庫に入れられ、その倉庫にため込んだ穀物を、世界に向けてどれくらい流すか調節されている。儲けるためにだ。もし、ため込んだ穀物を小出しにするような、巨大な「在庫隠し」を行えば、人為的な穀物不足を作り出すことができ、世界の穀物価格を急騰させることもできる。逆に、ため込んだ穀物を大量に世界へ流出させれば、人為的な穀物過剰を作り出し、穀物価格を暴落させることもできる。世界の穀物輸出量を独占するとはそういうことなのだ。そんなこと出来る奴らがいるのかって?いるんだ。怪物みてえな奴らが。穀物の国際取引を支配している奴ら…「穀物メジャー」という超大企業の連中だ。こいつらは一握りの連中だが、想像を絶する力を持っていて、株式も公開してないらしいから、正体は謎に包まれている。とにかくも、こいつらの思惑によって、世界の穀物価格は左右されている。こいつらは価格操作で儲けることしか考えていない。どこかの世界で「飢え」で苦しんでいる多くの人々のことなど何も考えちゃいない。国連や援助団体、飢えに苦しむ国々は、穀物メジャーに左右された価格で穀物を買わなければならない。儲けるためだけに奴らは穀物をため込んでいる。儲けるためだけに奴らは穀物を牛に食わせている。作った穀物を全部世界市場に流出させれば、助かる人々がどれだけいるのかって。一部の人間達が儲けるためだけに「飢え」はなくならないのだ。
金八先生が前に言ってたね。「全世界の人々を養うだけの食べ物は既に地球上に存在する。だけど、なぜ飢える人はなくならないのか、皆で考えてみよう」と。
いま世界では、一部の人間達の思惑のために、何億人かが飢えている。人が人を殺す構造ができちまってる。それは僕らが「食べ物を粗末にしない」ことで済む問題じゃない。僕らが毎日を誠実に生きることで済む問題じゃない。だけどさ、だけど、僕らが何か考えないといけないんじゃないかってホントは思う。おかしいぜこの世は。飽食と飢餓。過労と浪費。食って吐いて、破壊して創造して…死ぬまでこんな世界かよって思うと死にたくなる。人間は愚かで、弱い。希望はあるんだろうか。まあ、あるから生きてるんだけどね。久しぶりにNちゃんに会って話してどこかホッとして、だけど今この瞬間も飢え死にしてる人がいることを、やっぱり忘れることは出来なくて、それでも蒸し暑い夜のビールを美味しいと思いました。それも人間らしさなのだと、やはり思えるのです。
−つづく−

夏が来る

2005年7月1日
レポートテーマの発表があったのに1限に遅刻しちまって、まあ家でビデオ観てたからなんだけど、まいったなあと思ってたら偶然IS君を見かけて、おしえてもらった。ラッキ!
3限のゼミは相変わらず特に面白くなかった。
4限はパレットゾーンで、夏にやるシンポジウムイベントの打ち合わせでしたが、Bちゃんがいたので話が進まないこと進まないこと。笑えるくらい。「なかなか話の腰を折るね」とTHさんが苦笑い。KBさんは5年生なのに今年も単位がやばいとかって、大変だなあ。
その後食堂におりてったら、EBさんを見つけて、合宿の際には日本酒を差し入れてやろうと思った。昨日の僕のごり押しのせいできつくなった人にはそれぞれ酒を差し入れてやろう。焼酎かワインか。WDさんがいつものように一人で飯食ってたから付き合ってやった。この人ようわからん。
帰りSTさんに偶然会った。サッカートークなぞして歩いた。
その後バイトに行った。偶然知り合いに会うことが多い日でした。大学という世界は狭いな。

今年の夏はどうしようかな。まず花火観てそれから。 1年の時は広島を堪能。2年の時は京都奈良、博多、沖縄、鹿児島、と西日本を堪能。こないだは仙台、山形、と東北を堪能。南を極めたから北も極めようか。でも北海道は修学旅行で行ったからな。秋田や青森にするか。それとも中国地方をうろつくか。いやいやまだ行ってない地方があるな。そう、四国。四国を一周してこよう。それから鳥取や岡山をうろつこうかな。大阪や名古屋もうろつこうかな。 面白いことだけ、求めて。思いっきり夏を楽しんでやるぞ。

成長したな

2005年6月30日
今日は教職のゼミでした。なんだかんだいって配慮した発言をしつつ、全体の方向性を修正した感があります。なんだかいつもこうだなグループワークってやつは。めためたに突き進む。まあそんなもんなんだろう。「リーダー」ってやつほどうぜえやつはいないといつも思ってるので、今日はなかなかよかったんでないかな。これがリーダーシップってやつだろうホントのとこの。気持ちが乗ったときの僕のセンス、自分でもたまには評価してあげようかなあ。
夏合宿の日程が学部のゼミ合宿ともろかぶり。おいまじかよ楽しみにしてたのによ〜。いったん日程再考を提言したのに、やはりそんなのムリ、ダメ、というギリギリの所、チャイムが鳴って、一人目がドアから出て行く瞬間。諦めてもよかった。諦めればそれはそれで終わってた。運命は閉じかけた。だけどソウルがそれを許さなかった。考える前に立ち上がって僕は叫んでた「みんな!聞いてくれ!」 粘りに粘って、一日だけ日程をずらすことに成功。ごり押し。強い意志と行動力が、状況を打開することって多々あるのよね。何度も見たことあるソウルのパワーを、今日の僕は自ら証明した。やってくれたぜ今日の僕は。
同じグループのM君が相撲ファンだった。いるもんだね。大学で初めて会った。
昨日ほとんど寝てないから死にそうだ。

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