WBS

2006年4月14日
ちょっと前から、テレ東の「ワールドビジネスサテライト」をよく観てる。つうか最近では毎日録画して暇なときに全部まとめて観てたりする。株価ニュースなぞは遅れて見るもんじゃないとは思うけどね。まあなかなかどうしてWBS興味深いのだ。

前提は、銀行にしろタンスやサイフにしろ所謂「だぶついてるマネー」ってのを、どのように市場に供給してゆくか、に尽きる。飽和した経済の中でどのように新たなニーズを創ってゆくか。どの層からどのように金を吐き出させるか。どのようにコストを削減するか。あらゆる過剰競争へ駆り立てられる各企業の、たゆまない創意工夫と葛藤と努力を垣間見てると、なんだかtakebonoは実に感心するばかりなのです。
狙われるのは、「家庭」だけじゃなく。
2007年前後に労働社会から降りる団塊世代や。
結婚せず家庭を築いていない金余り独身男性・女性たちや。
豊かな家庭に生まれた数少ない子どもたち。
たくさんのお年寄り。
中国。インド。
ITはすごい。
「下流」すらも。
実に個人的な欲望すらも。
一般的な家庭が消費経済の主体であることは変わりないけど、今やピンポイントで「だぶついてるマネー」や「機会」が、どんどん狙いにいかれてる。それぞれの層の人間がカネを払うモノとは何か?を、必死で起業はリサーチしてる。何がビジネスになりうるのか? 流星みたいだまるで。現れては消えたり輝いたり、儚い。こうしてる今も、ものすっごいスピードで、経済は動いてるんだよな。
シンプルだよな。何が人を惹き付けるか?だ。
食欲を超えた食欲。性欲を超えた性欲。物欲を超えた物欲。支配欲や征服欲を超えた何かや、偽善や、感動や、温情や激情すら、消費社会では産業のターゲットになる。僕のソウルだけは食い物にされるものか、と思う。
政府も日銀も、せっかく上向いた景気を冷やさないようにと、慎重に動いてる感じ。でもその最中でも「改革」で既存と惰性を壊してかなきゃなんないからジレンマなのだろ。
時代はもう、「何を」売るか?だけでなく、「どのように」「誰が」「何処で」売るか?になってきてる。見えないものこそが確実に消費されてるからだ。
そして益々突き進む消費の二極化と個人化。
よくSKと飲みながら隙間ビジネスの話をしたことがあったけど、実際にアイデアと実行力こそがベンチャーを決めうるなと思う。ハイリスハイリタ一発ドリームよりも、ローリスローリタゼロからスタートで隙間を駆けめぐりつつ持続可能なものとかって作れないのかなあとかってのも思う。

ちまちまと経済学と経済に触れていきたいので、今後もWBS観ていきたい。「ガイアの夜明け」もこれからは観るべえ。あと村上龍と小池栄子で新番組あるらしいね。それも観るべえ。

DVDたいむ

2006年4月13日 映画
ここんとこしばらく映画のDVDをPCで観てました。

・「SAW2」観た。まあまあだな。SAWったって全開と違ってもうノコギリ関係ないじゃん。人数と仕掛けが増えてどこか動的だったのでむしろ「CUBE」っぽかったな。
・「エイリアン」観た。「1」「2」「3」続けて観た。「4」はこないだ観たのだ。監督はリドリー・スコットとジェームズ・キャメロンとデビッド・フィンチャーなのだ。すごいわ。シガニー・ウィーバーはやっぱカッコイ。
・「ステルス」観た。ザ・あめりか映画。ちょっとひどくね?って思うとこ多。
・「NANA」観た。まあまあ。コミックはもっと面白いのかな。

そんなかんじ。

いまヤフーニュースみた。
藤田がPRIDE無差別級GP参戦決定だと!? やろーおめー震えるじゃねえかあ! 絶対皇帝ヒョードルをあと一息まで追いつめながら壮絶に散ったあの試合は、僕は今でも思い出しては震えるんだよ。後にも先にもお前だけだったよなヒョードルをぐらつかせたのはよう。あの死闘以来PRIDEのリングに姿を現さなかった“日本最後の砦”が、遂に立ち上がった。ハントだ。マーク・ハントとやれえ!
◇戸梶圭太を初めて読む。読んでみたいなと前から思ってた『自殺自由法』を読む。タイトルから推測するに、ともすればありがちな展開かなぁとか思ってたけど、淡々としたイカれたストーリーがシンプルに面白かった。自殺というのはそれこそ究極のニーズであり、その規制緩和がなされるとき、こんな社会になるのかなと思った。社会の合理的排除のさらなる効率的なシステム化というか、考えるところは大きいなと。まあネタ的にはすき。
−生死の選択は個人の自由である。画期的な法律が制定された。〈自殺自由法〉――〔日本国民は満15歳以上になれば何人も自由意志によって、国が定めたところの施設に於いて適切な方法により自殺することを許される…〕  法律が施行されてからというもの、毎日のように「自逝センター」に群れを成す人々の列は、この国初の自殺自由化政策がもたらす数々の人間ドラマの序章にすぎなかった。
「若者だから未来があるとでも言うんですか?…冗談じゃないですよ。…未来のある奴とない奴がいるだけでしょう。それだけですよ。…自逝というもう一つの選択肢ができたことを僕は喜ばしく思います。選択こそ人生ですからね。死を選択できないから生きているだけの人間ほど惨めな存在はありませんから」
「自治体が何も審査しないで右から左に流すみてえに自殺を処理してっから俺たちは金の貸し損なんだよ!」
「君はくだらない人間だ。どこまでも不毛で何一つ自分らしさというものがない。僕も人のことは言えないかもしれないけど、君を見ていると本当に気分が悪くなる。でも、死ぬ事を決意しただけでも君は偉い。…間違ってもやっぱり死にたくないなどと思い直したりしないでくれ。…いつか街でバッタリ会ってしまったら、そのときは僕が君を殺す。絶対に殺す。目障りだからだ。…生き延びていたら承知しないぞ。君のおかげで僕は目が覚めた。そういう意味では感謝する」
「あたしが今日死んじゃいけない理由があるんですか? あるとしたら何ですか? …死にたいんじゃないの。あたしが生きる理由と、この世に存在する価値が、ないってことが嫌なの。つい半年前まではあったのに、今はないの。待っていてももう二度と元には戻らないの。自分でわかるの。それが嫌なの。それで、生きるためにしたくもないことをすることもできないわけ」
『〈自殺がいけないなんて言ったの誰!?〉〈あなたにはあなたのライフデザイン♪ライフエンド♪〉〈自逝についてのお問い合わせは最寄りの自逝センターへ〉 政府公報』

自殺はトレンドになり切り札になりテロになりビジネスになり、救いや策略にもなり、合理的な「生」の一部にもなった。結局ニーズなのだ。ラストもそれなりによかったです。
作者の戸梶氏は、執筆後うつ病になったそうです、二日間だけ。
僕は読み終えてからバイトに行きました。生きる気満々。
勉強の日々。だが。独学のデメリット――早くも勉強が手につかない。どうしても小説を読んじゃうんだなあ。

◇定期的にTAから借りる森博嗣ミステリ。7冊目は『笑わない数学者』。相変わらずイカれ理系子弟コンビの活躍が面白い。理系とミステリの根源的な絡みのようなものがそもそも面白い。
−偉大な数学者が住むオリオン座の館。パーティーの席上で、12年ぶりに博士は庭にあった数トンのオリオン像を一瞬で消してみせた。一夜明け、再び出現したオリオン像と共に2つの死体が発見される。 3つの家系。3人の失踪者。3つのドームとオリオン座。宇宙における密室はどちら側だ? 神のトリックがそれを可能にするとき、「定義するものが存在するものである」と博士は言った。円の中心に立ちながら円をまたぐことなく円の外へ、僕らは出られるのか? 出られなければこの謎は決して解けない。
「数学が何の役に立つんです?」
「鶯の美しい声に何の意味があろう?森へ行って聞いてみるがよい。…全ての美は、それを尋ねる者には、役に立たぬものだ。…哲学者は何の役に立った?存在の複雑さをベクトルのようなものに置き換えて何になる? 心理学者は何の役に立ったかな?解放と処方を入れ替えて、絶叫と抑制の多角形の頂点を一つ移動したに過ぎないではないか。 物理学者は、世界中の金を集め、統合というただ一つのマジックさえまだ完成させてはいない。…誰が何の役に立った?一人でもよい、役に立った者を思い浮かべてみたまえ。よいか…、少なくとも数学者だけは、自分たちが役に立つなどとは決して言わなかった。何故なら、それが我々の唯一の真理であり、名誉なのだ」

◇定期的に読むホラー系小説。今回は、そのぞっとする恐ろしさで評判の、貫志祐介の『黒い家』を読みます。確か映画にもなってたな。絶叫するスプラッタ系の恐さじゃなく、独特のぞくぞくするおどろおどろしい恐さだとか。で、読んでみて…。…恐えぇコレ、ものすんごい恐えぇ…。ノンストップの悪夢のような現代ホラーだ。僕は久しぶりに寒気を感じたよ。今や生保ってなんなんだろう。「モラル崩壊」なんだそれ?って感じ。今夜はよく眠れそうだ。
−生命保険会社の保険金支払い査定業務を担当していた会社員・若槻慎二は、ある日顧客の家に呼び出され、その家の子供の首つり死体の第一発見者となった。後日、死亡保険金の請求に訪れた顧客の不審な態度が、若槻にある疑惑と恐怖を抱かせる…。 善意で踏み固められた道も、地獄へ通じていることがある。人間社会に潜む悪夢のような恐怖。黒い家の人間には、心が無い。人間の恐ろしさを究極にまで描ききった衝撃作品…。恐いぞお。

◇定期的に読む石田衣良。今回は『エンジェル』を読んだ。やっぱり、石田衣良作品いい。今回も少しだけ感動した。
−僕は誰かに殺された――そして未だ世界を彷徨っている。フラッシュバックが輝くとき、空白の記憶は僕自身の選択でもあったことに僕は気付く。僕は幸せにこの世を生きたのだろうか。死んでしまった今、僕は初めて思う存分に生きている。死の中の「生」は、ただ繰り返す生命の追憶を、儚さと微睡みをもってして僕をその中で迎えていた。かつて僕が愛していた人を守り抜くために、いま天使の最後の攻撃が始まった。

生きる

2006年4月10日
父親がケータイを買った。必要になったらしい。家族割引にしようと思う。
母親と少し話した。僕は外面は父さんに似て、性格は母さんに似ていると自分では思う。この時代に生まれて男だったら、母さんは僕みたいになってるだろう。だからちょっとだけ聞いてみた。「僕の時代に生まれてたらどうしてた?」
母上はこう答えた。
「なにをやれってんだ!?って思うよねーやっぱり」

そうだろうな、と思った。

今日から新しいバイトを始めた。息抜きにもなるし、あらゆる面で生活スタイルを確立する指標にもなる。
低消費サイクルも本格的に始動させることになるだろう。景気に逆行して、takebonoはもうお金を使わない。
もっともパラサイトであることには違いないのだが。
しかし中心に勉強を据えることには希望さえ抱く始末だ。
まだ、まだ、まだ、甘い。

長い長い闘いが始まったのだと思う。
根拠などない全存在をかけて。
「あとは…勇気だけだ」(by島村ジョー)

いまさらな。
虫がよすぎるけど。
みんな。
僕に力を下さい。

始動

2006年4月9日
朝起きて、読みかけの本と小説を読んだ。
勉強も少しやった。
体系化されたものをきっちり押さえるのと。
自分故の思考や葛藤を繰り広げることと。
すべきこととやりたいことは山のようにある。
果てしなく。だがそれが面白いし素晴らしかったりする。

無謀なだけではない勇敢さが。
優しいだけではない強さが。
僕の心をうつ。
そんな生き方ができたらと。
僕はいま初めてそう思ったよ。
涙が出るほどに。
生きたいと。

夜は焼鳥屋でくずで飲みました。
なんか普通にほろ酔いました。
みんなそれぞれ新しい未知なる道へ。
歩んでゆくんだなあ。
僕も。負けない。

叫ぶ

2006年4月8日
朝の6時半頃。なんか悪夢を見ていたらしくて。ぱっと目が覚めた。
次の瞬間ドキッとした。
布団敷いて寝てる薄暗い部屋の隅に…。
誰だ…?
誰かいる。
壁により掛かってこっちを向いてる。
すぐそこ。
ぞっとした。
雨戸を閉めてなかったのでカーテンから朝日が漏れてて。
そいつがそこに立っていたのだ。

「うわあああぁぁああぁぁッッ!!!」

何年ぶりかに叫んだ。
隣のお家に聞こえるくらい大声で。絶叫。
それほどに恐かった。
そして。

人の影に見えたものは。
ハンガーにかかってた僕のパーカーだった。

ああっ…!?
ばかなっ…。
僕は寝ぼけやがったんだ。
なにいまの…?って両親の会話が下の階から聞こえた。
朝から大声出して…。

なにやってんだ僕は。
死ねっ。死ねっ。

何か少しだけおかしかったtakebonoの朝でした。

春先の様子

2006年4月7日
3日間オンリーの短期バイトが今日で終わりました。底辺労働で端金を稼いだぞ、えっへへへん。
さて、分割株式でも買おうかなあ。まあ勉強の気分転換には丁度良かったわ。もう短期なんて慣れたもんなんだけど、こんなスキルにも経験にもなりそうもないプリーター労働ってのは本当に、使い捨て労働力だな。つまんないし、低賃金だし。
「班長は言うだろうぜ。とても正気の沙汰とは思えない、ってな」(byカイジ)

最近興味のある労働問題もそうだけど、雇用破壊ってのがうっすら実感してきたな。僕らがすべき事も見えてくるかんじだ。
いずれにせよフリーターは定着させるものであってはいかんようにも思う。自由で気楽かもしれないが、それは弊害の一部だ。魅力ってばそんなもんだべな。ひずみの一角でもある。それだけ現代社会が狂ってるということでもある。

西村京太郎は下積み時代に30種ほど仕事をしたんだって。
じゃあ僕は40種に挑戦しなきゃならんだろう。
アハハハッハー。

帰りに新社会人SKと新しくできた100円立ち飲み屋で飲みました。僕が卒業した大学のそばにも立ち飲み屋があったけど、そこは一律300円。でも今日行ったとこは一律100円だけど食べ物はチンケだった。ビール飲むだけなら結構いいなと思った。でも地元ならやはり家飲みだろうな。
我が親愛なる悪友SK兄はちゃんと新社会人になってました。マルボロ美味そうに吸い過ぎなんだよ。しかしがんばれよ。お互いが選んだ道は、せいぜい後悔がないように生きようぜ。僕が起業するときは君が社長なんだぞ。

法律の勉強を始めました。まともにやるぞ。まず憲法から制しにかかってます。八重洲ブックセンターで2500円の本と2000円の問題集を買いました。これこそ意味のある買い物ですよ。浪費じゃないのですよ。
今の僕のおよそ前向きな人間的なビジョン。法律を学んでいろんな経験を積んで、たくさん活躍した後、作家を目指しながら起業する。徹子の部屋に出演する。その後区議会で某正当の推薦を受け政界へ出馬。

そういや民主の内部抗争、小沢が勝ったようだね。ハッ、ホラみろ僕の予想通りじゃん!TAくん、ビールを賭けてたよね。いただきだよんっ。 いよいよ民主党も本格的に保守政党か。いやになるな。
今回は、先月の教職課程のシンポジウムで僕の隣に座っていた先生が薦めてくれた、重松清氏の作品を読みます。重松氏の作品は教職課程の指定文献にすべきだと思う。デューイも大事だけど、ペスタロッチやヘルバルトやルソーだって大切なんだけど、しかしこういうものこそがなによりも大切だと僕は思うのだけどね。

◇まず重松清の代表作『エイジ』を読む。「普通」の中学生エイジを視点とした少年の世界観や学校文化が等身大で描かれるのが、とても素晴らしかったです。僕らが僕らを自覚し、大人が大人を自覚するのなら、せめてこんな小説を少しだけでも読んでみたらどうでしょうか、って言いたい。takebono絶賛とまではいかないけれど、間違いなく素晴らしい作品ですね。こんな小説を書きたかったあ。
−東京郊外のニュータウンで相次いで起きていた通り魔事件。その犯人は僕の同級生だった。○○…、おまえって、どんな奴だったんだ――? それでもそんな事件は「普通」の「少年犯罪」として、大人だけが関心を持ってゆく。いずれ僕らに忘れ去られてゆくためにだ。…だけど、そんなもんいまの僕には何の関係もない。家族のこと…友達のこと…恋愛のこと…。僕が揺れ動くものなんて他にもいっぱいあるんだよねっ! 14歳の少年エイジが暮らす「普通」の日常。普通の当たり前のちっぽけな世界。だけどここで全てが起きている。「その気」って誰にでも「ある」んだってこと。それを認めなきゃいけないんじゃないかってこと。どうやってみんなはそれを隠しているの?僕や誰もがここで生きているのにさっ!
「意味は違うんじゃないか。我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。自分と相手とのつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか」

◇短編集を読む。中でも一番良かったのは、賞も取ったという『ナイフ』という短編。
−私はナイフを持っている。絶望のゲーム〈いじめ〉に遭っている息子。それを守ってやれない父親は、必死で小さなナイフを握りしめた。遠い国の内戦に派遣された元同級生の「ヨッちゃん」は、TV画面の中で自動小銃を携え、あの頃のように凛々しく立っていた。そして私のナイフは、暴力の開放による暴力からの解放をただ待ち続けていた。

あと『ワニとハブとひょうたん池で』も結構よかった。読まなければいけないなんてこたないけれど、教育に携わってゆく者ならやっぱ読むべきだと思う重松氏の作品。もう僕は教育にはあまりまなざしが向かないけれど、僕はやっぱりこういう作品の存在がどこかうれしかったのです。
先週に引き続きtakebonoミステリー読書週間です。今回はTAから借りまくった森博嗣作品3連発。

◇TAに借りる森博嗣ミステリははや4冊目『捩れ屋敷の利鈍』を読みます。この作品はVシリーズのお馴染みイカれ保呂草くんと、S&Mシリーズのイカれアイドル萌絵ちゃんが登場し対決するという夢のシリーズコラボ作品なんですね。ホームズVSルパンみたいだあ。
−密室の巨大メビウスの帯の中で死体が発見された。そして少し離れたもう一つの密室でもうひとつの死体が発見された。同時に秘宝が消失した。メビウスは捻れた密室を作り上げる。誰が何処に何の罠を仕掛けたのか? いま、シリーズの垣根を越え、殺人事件が美しくリンクする!まさに一夜限りのメビウス的なファン感謝祭。

◇そして5冊目『すべてがFになる』を読みました。賞をとったデビュー作ですね。素直に、すごかった。見事な衝撃でした。
−孤島の研究所に、少女時代からハイテク完全隔離生活を送る天才女性工学博士がいた。誰も会うことができない完璧なセキュリティの城で――誰も入らなかったはずの完全なハイテク密室で――起こるはずのない原因不明の異常が起こり――初めてその2重の扉が開かれたとき――両手両足を切断されたウエディング姿の博士の死体がロボットに括り付けられながら出現した! 人間が創ったものの中でもっとも人間らしく、そしてもっとも自然なものとしてのコンピューターが、生身の人間の移動と接触を不毛な高価値であると結論づけ、現実世界の膨大なデータは、不必要で無意味で捨てられるためだけの情報のゴミとなった。生命というバグが、「7」を孤独な数字に変えるとき、その恐ろしき自由が翼を羽ばたかせ求められた。距離と時間は、不完全な完全さを求める思考が決めうるものである。だが人はそれでも人らしく、また不自由故にその殺人を犯したのである。そして最後には、全てのものがFになった。
「現実って何でしょう?」「現実とは何かと考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ。…普段はそんなものは存在しない」

◇6冊目『今はもうない』を読む。S&Mシリーズナンバーワンの声も多いらしいこの作品だが。うーんなかなかうまい逆転が。うーん。
−避暑地の別荘を台風が襲った夜。隣り合わせの密室で、美人姉妹が一人ずつ死体で発見された。密室の映写室で、死体の横で回るフィルム映画がエンドロールを映し出す。 終わりのない結末は、同時に解答のない始まりでもあった。 ――人間が世界を支配している? 誰がそんなことを言ったのだろう? もちろん、人間以外には言わない。
「小指と小指が、目に見えない赤い糸で結ばれているとか、言いますよね?」「目に見えない、という日本語は重複している。見えない、だけで充分だ。それに、見えないのに赤いというのも、矛盾している」「顕微鏡で見れば赤いけど、細すぎて肉眼では見えない、という意味です。矛盾はしていません」「この議論は不毛だ。話を変えよう」「何のお話でしたっけ?」「最初はUFOだよ」
〈9・11〉後も世界は続いた。戦争後だってそうきっと世界は続くのだ。生き残った者たちは絶望の後も生き続けなければならない。

知り合いの知り合いの、誰だったっけあの人は?留学先のアメリカで、「テロ反対&報復戦争反対」のピースウオークをして帰ってきたというその彼女に僕は尋ねた。「投石されたり、威嚇射撃されなかった?」って。
そんなことはなかったよと彼女は笑って答えた。

なんだろうな。なんだろうな。なんなんだろうなー。
どっかの国でテロが起きて戦争が起きてること知ってる。それは僕らは別に「関係無い」んだいつもそういつもそうなんだ。じゃあ「関係ある」ことってなんなんだ?自分の所得と資産と地位と心の安定…とかなのか。本当にそれだけ考えていればオーライなのか。幸せになれるのか。そもそも幸せになりたいのかな。幸せって何かも分からないのにな。でもテロってのは…そうゆうささやかな幸せのようなものをこそ、無差別にぶっ壊しにくるもんなんじゃないのか…?
そんなことを色々考えた。だけど無力感だけが残るから考えるのやめた。そのときの僕は受験勉強するしかなかったからだ。これだって戦争だよな、とかって思いながら。

受験勉強の傍ら、僕は一つの短編小説を書いた。『クラムボン』というタイトルのノンジャンル小説だった。 ストーリーは、人間爆弾の少年の話。ただし人間爆弾の少年「ボン」(bomb)は、作品中には一回も登場しない。最初から最後まで、少年「ボン」の親友である「僕」と、彼の恋人「ミユ」との戦場逃避行を描いた作品だ。いま読み返すとくだらん小説だ。
その小説のあとがきに当時の僕はこう締め括った。
「今日、新宿アルタに飛行機が突っ込まないことが、平和ってやつなのか?」

テロは日常を襲う。人が人の平和を奪う。
じゃあ「運良く」僕らは生きているのか?そしてそれならば…それでいいのか?
平和ってなんだ?

大学に行く意味ってなんだ?この僕が大学に行く意味ってなんだ?
友達100人?恋人?サークル?仲間?イベント?「キャンパスライフ」?
考えただけで少しイラッとした。
みんな死ねないから生きてるだけなんじゃないのか?

わかんない。何もかもわかんないままだったんだけど、考えたことに価値があったような気がした。僕が大学に行く理由ってのは、きっとそれは、僕の生き方そのものなんだ。

そして春を迎えた。僕は希望の大学に受かった。周囲からは奇跡だと言われた。ちっぽけな奇跡だ。そんなものは、ソウル次第でいくらでも起こせるものだということ。そんな簡単なことさえ、ここまでこなければやはり気付かなかったのだ。

そして僕は奇跡の果てに在った大学で4年間を過ごした。僕以上のソウルフルなクズに何人も出会った。それはもはや言葉にはならないものだった。言葉にしちゃうと陳腐になりそうで、僕はそれを言葉にしなかった。それが素晴らしすぎたんだ。

振り返るとわかる。取り返しなんかつかない。ついてはならない。だから後悔もするのだし、だから素晴らしいものだったんだ。
限りある生は、他のどんなものよりも遙かにかけがえなく、輝くためにそこに在る。いまはそう思う。綺麗事や偽善に何よりも嘔吐していた僕がこんなこと思うのは少しおかしくもある。昔の僕を知る人に聞いてみたいな。やっぱり僕は変わったんだろうか?

あのテロリズムは、生命と平和という世界の奇跡を、僕に再認識させた。
〈9・11〉は僕の幾度目かの、しかし記憶に残るまでの、何かの始まりだったともいえる。人間の弱さ。愚かさ。万物の中に存在するテロリズム。そしてtakebonoのソウル。そんな、どうにもなりそうにないものたちと、向き合ってくために。
それは長い長い平和への道のりなのかもしれないし。
また違うものだったかもしれない。

向かうってことがどういうことなのか。わかり始めてきた。
生きるってすんごいことだったんだ。
きっとそのために、自分や世界を知ろうとしてきたんだ。
一生は絶対に短い。
ソウル続く限り生きることだ。
具体的に。追われることによっても追い続けることだ。
いつかソウルフルに生きれたらいい。
いつかソウルフルに死ねたらもっといい。

ブルーダークメモリはまだ、いつかもまた、続いてく。
【END】
僕の受験戦争が始まり、僕は予備校に通った。津田沼の代ゼミの、最低ランクのそのまた最底辺レベルのクラスだった。授業はバカみたいにわかりやすかった。英語の最初の1時間目で「be動詞」が何なのかがわかった。中高6年間の英語の時間で僕は何をしてきたんだろうかって思った。2時間目に「文型」を理解し、3時間目には文法の使い方が少しわかってきた。偏差値は30くらいからのスタートだったけど、勉強がわかってくのは楽しかった。一日最低10時間は勉強するようにした。予備校でも友達なんかつくらずに、ずっとずっと空き時間も全て勉強した。朝「いってきます」の次に発した言葉は夜の「ただいま」だった日が何日も続いた。最低クラスの連中は次々と授業に姿を見せなくなってったけど、僕は休まずに通った。一度、授業が僕一人のときがあった。あれは先生がかわいそうだったな。

大学に行きたかった。どうしても行きたかった。でも時々、予備校のテキストを引き裂きたくなったし、シャーペンをへし折りたくもなった。都合のいい夢ばかり見た後で、どんな締めくくりを信じることが出来るだろうかって、それだけが本当に恐かった。ちっぽけな希望を失う恐怖が、また僕を前進させてもいた。

模試の結果は徐々に良くなっていって、夏頃には、3流大くらいなら入れそうにまで僕の頭は進化していた。「大学入ったらパラダイスだぞ」と先生が笑って言った。現在の大学のレジャーランド化は、これがそうかと思った。こうやって、受験戦争の果てに「ゴール」した大学で、皆が脳死してゆくんだろうなって。日本の教育の受験体制は確かに広範囲の「学力」(とかいう極めて曖昧なもの)をもたらしたけど、大切な部分を何も育てちゃいない。「何の役に立つの?」って、そんなこと、ずっと誰かが問い続けてる間にも、レジャーとトレンドの脳死文化と慣習に大多数は楽しく巻き込まれてく。
世界?社会?基準は自分だろ。自分で探すんだろ。意味や価値も。理由も甲斐もだ。自分だろ。自分が創るんだろ。そんなこと、当たり前じゃないか。
だけど僕はそんときはまだ、まだ何も見つけきれちゃいなかった。僕は僕の生き方が恐かった。不本意も、未知も恐かった。恐いものばかりだったんだ。

日本史の先生の雑談がすっげえ面白かったし、現代文の先生が毎時間配るプリントに載ってるコラムのような文章が面白かった(あのプリントは後々の僕に、そしてこのブログにも活かされてる)。ホントに、予備校は学校なんかより全然面白かった。

そしてあの夏の夜も必死で勉強してたんだ。今考えるとあれこそが受験勉強で、僕は脳死してたんかもしれない。戦争は脳を麻痺させる。
夜中に兄から日本史を教わっていたとき、Nちゃんからメールが届いた。
〔世界が、変だぞ!?〕
…なにそれ!?

兄がTVをつけたとき、僕はそれを画面全体に見た。アメリカ資本主義経済の象徴――世界の中心にそびえ立つあのツインタワーが…!? あのシーン。世界貿易センタービルに巨大な穴が空いていたあのシーン。僕はリアルタイムで見たのだ。飛行機が…!?突っ込んだ…!?なに?それ…!? ビルから黒煙がガンガンに吹き出していた。これは…戦争?まさかっ?でも…超大国アメリカが…攻撃されている!?
あの瞬間、世界って震撼したんだと思う。きっとそれこそがテロリズムだったのだ。
もう一生忘れることはない。それが、世界と僕が巡り会った2001年〈9・11〉。
映像の中の狂ったリアルは、僕の心臓を強烈に叩き続けていた。
【つづっく】
節目の季節だからか。かつての節目の季節の記憶をいま思い出した。
初めて未来に向かおうとしたのはいつだった?自分でもわけのわからないものに震え、初めてソウルを形にしようと思い立ったのはいつだったろうか?
あのテロリズムは僕に恐怖を与え、そして希望を与えた。今回はあの5年前の〈9・11〉を巡る話だ。


「お前生徒会もやってるから一応なー」とか言って、小太りの担任教師は書類を数枚机の上に放った。卒業が間近になって、いよいよ進路を決めなくちゃならなくて、しかし何一つ未来など考えたこともなかった僕に、担任教師はかったるそうに「進路指導」の時間を務めてくれていた。「お前ココとココなら推薦で入れるけど?」とか言って彼は書類を指さして軽く突いた。その書類には、聞いたこともないおよそ五流くらいの大学名が幾つか載っていた。彼は僕の顔色も見ずに「お前チコクと欠席多いんだよなー」と別の書類に目を通しながら呟いた。僕は15秒くらいの沈黙の後で焦らず目を見て彼に意思を伝えた。「ソコとソコ、いいです。いかないです」
いつものように、いつの間にか季節は巡っていて、その頃の僕は高校三年生だった。

あてもなく、行方もわからず、僕には何も無かった。何一つ無かった。高校を卒業する間際に一人でいろんなことを考えた。何とかなるとも思っちゃいなかったけど、どうにかしようとも思わなかった。とりあえず五体満足で健康なくせに、自分の人生のくせに、僕は自分で自分を動かせないでいた。勉強もほとんどパーだったし、「やりたいこと」なんてあるわけねえだろ!と思ってた。僕にはマンガを描くことくらいしかなかったから、本気で漫画家でも目指すかなぁとかも思ってた。
例えばこんなクズ校を出て、3流か4流大学に行って(いやそれがたとえ1流大だったとしてもだ)、しかしこんな僕が一体何者になれるのだろうかって、いつも思ってた。成功した人や充実してる人たちが、過去のエピソードとして「あの出会いが無ければ…」なんて話よく聞くけど、それ結果論だろと思ってた。「出会い」なんて実際僕には一つも訪れないじゃないかよって。それが過渡期なのかもわからない。括るのも意味がない。自分で決めて歩くことに関して、僕は僕の何を決めればいいのか。疑うことなのか信じることなのか。自己選択は、吐き気のする幸福を選ばずに、自滅を選んでもいいものなんじゃないのかって。死ねないから生きなきゃいけないのかなって。僕を動かすものはなんなんだろって。ただわけもわからずに、浅はかに、僕はいろんなこと考えた。

知り合いの知り合いの女の子と話をした。その人は僕の100倍くらい頭がいい人で、進学校に通っていて、すごいいい人で、でも親の仕事が失敗したことで大学進学を諦めて就職が内定していた。もっと勉強したかったけど仕方ないよねって寂しそうに笑う彼女に、僕はやりきれない思いだった。こんな素晴らしい人が機会を閉ざされていて、一方でこんな僕のようなゴミクズが、機会を前にしておいて自分でそれを潰そうとしてやがることに。歯ぎしりした。
後悔が押しもした。高校では僕はいろんなものを粗末にし、大切なものを放り出してしまってたことにやっと気づいてた。何もかもに申し訳ない思いだけはあった。クズの僕が五体満足な僕で在る奇跡をこれ以上冒涜しちゃだめだって思った。可能性いくつ?きっと僕にだって生きたい瞬間があるんじゃないかって。
何者かになろうとするとき、ソウルを考えた。大学にはきっとソウルがあるだろうって。僕が求めるもの、僕を何度だって揺らすものがあるだろうって。
大きな後悔とちっぽけな希望こそが背中を押していた。

2001年春。高校を卒業し僕は受験浪人になり、最初で最後の受験戦争が始まった。それは間違いなく自分との戦争だった。そうだ。あの〈9・11〉が起こるまで、僕はそんな風にして生きていたんだ。
【つづっく】

僕の右手

2006年4月1日
昼間にAにメールでころっと騙された。今日はエイプリルフールだったのだ。
さすがにハイセンスクズのA。まったくくだらねーこと仕掛けてきやがってえ。しかし、このタイミングできたかあ、と思うくらいAはうまかったので、ある意味感動した。そして先手を取られたことが悔しかった。だから兄貴を騙すことにした。似たような手口のガセネタメールを送ったら兄貴もころっと騙された。若干キレてた。すんませんでした悪気大ありの悪ふざけでえす。

夜は五反田でM君とC氏とで飲みました。最初ホントにエイプリルフールを疑ってしまった。待ち合わせ場所に誰もいなかったらどうしようって。そんなことはなくてホッとした。
飲んでからカラオケ。いつものことだけど喉枯れるまで歌った。ブルーハーツと尾崎から未だ卒業できない僕。まあでも基本的に楽しければいい。M君とC氏も楽しんでたようでよかった。

またいきたいなとも思うんだけど、そんなこといってもいられなくなるのかなってのも思う。これからの僕は、僕の見つけた生き方に僕の全てをダイヴさせるからだ。自分の存在する地点を含めて、空間を歪めなければ次元なんて決して変わらないからだ。
これからの現実は僕らを、自分だけを守ることだけに精一杯にさせるだろう。僕らはより規準や基準というやつを思考することになるだろう。そこで思うことは、いま思っていることではない。だがしかし、それぞれの生き方が目の前にあるとき、それはやはり動かされるべきなのだ。それ含めて僕が生きることが、新たな奇跡を生むと確信してる。

僕は時代をこのようにして進める。
僕らの現在はこのようにして終わる。

もし世界が合理的な大人たちだけで形成されていたら、僕なんか生きてこられなかった。僕を生かしてくれた人たちは、ときに非合理な優しさというやつをもっていた。他人なんて見なければ自分を幸せにすることができるのに、その能力ももちながら、しかしその人たちはこんな僕に手を差し伸べてくれたのだ。無駄と人は言うだろう。そんなクズ助けてどうすんのって人は言うだろうね。でも僕はそのおかげで生きてこられた。確立論なんか持ち出したっていいし、それぞれの正義論をかざしてもいい。でも僕は実際に、その人たちの優しさに生かされてきた。

世の中が歪んでいることをもう僕らは知っている。それが隠されながら、それ故に世の中が回転してることも知っている。
僕の右手。
僕を超えてくれ。
優しさを守るために。
平和を守るために。
僕の右手。
たのむぜ。よろしくな。

宣誓

2006年3月31日
年度が変わる。とうとう「学生」じゃなくなる。
社会人になれなかったかわりに、命をかけられるくらいの目標を見つけかけてる僕。

家庭教師バイトにいった。もうやめてもいいんだけど。あの子ももうこんな意味のない勉強を繰り返すよりももっと、自分の生き方をもっと家族と話し合って探した方がいいんではないかと思う。でも。
もう少し続けてみてもいいかもしんない。あの子がこれからどう生きてくのか、もう少しだけ見守ってやりたいとも思う。
なんにせよ大変な時代がやってくるんだ。

いまは勉強がしたい。バイトもしなきゃだし。4月からが落ち着いてきたら満を持して法律にいく。
それまでは経済学を。
今日また経済学の本をまとめ借りしてきた。
作家業もものすげえやるぜ。

躊躇してらんない。
予感がある。
僕の生命が終わりかけてるこの感覚が。
このあとってあるんだろうか。
僕のソウルがいま生き急がせる。
気が狂うまで生き尽くす。
歴史が問いかける。
恐れる段階ですらない。
もう奇跡を無駄にはしない。
僕ができる全てをかけて。

この日。覚えておこう。
新しい終わり。
悠久の始まり。
僕がそこへ向かい始めた日。

むーびー

2006年3月30日 映画
SKのつてで六本木のミニシアターに口コミ試写会観に行きました。来月1日公開予定の「ナイトウォッチ」というロシアの映画。ダークファンタジー(?)映画。内容は「マトリックス」と「コンスタンティン」と「Xメン」を合わせたような感じ。3部作の最初なんだと。まぁまぁ突っ込み所満載の映画でした。

ついでに最近観たDVD映画。どれもこれも☆3つ。

「トロイ」
「オールドボーイ」
「オペラ座の怪人」
「ランド・オブ・ザ・デッド」 グロすぎ。
「モーターサイクルダイアリーズ」 チェ・ゲバラの話でした。すごいよかった。
「リンダリンダリンダ」

あと、「機動戦士ガンダム−逆襲のシャア」観ました。 アムロ・レイそしてシャア・アズナブル。二人の英雄の宇宙叙事詩も遂に最終章。宿命と呼ぶに相応しい最後の戦いは壮絶なフィナーレでした。 スペースノイドそしてニュータイプのために立ち、地球に見切りをつけ一つの時代を切り開こうとするシャア。人類の可能性を信じ、最後まで地球を捨てることなく戦い続けるアムロ。どっちが正しいのかなあ。これで一番最初の「ガンダム」から時系列的にとりあえずこの一区切り辺りまで長いこと見終わったわけだが。このあとって「F91」?…もう観る気しないな。
「しかし…この暖かさをもった人間が地球さえ破壊するんだ!それをっ…!わかるんだよアムロッッ!」
「…わかってるよッ!だからっ…世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろッ!!」

どっちが正しいのかなあ。でも戦争は嫌だな。
みんなは生きててマジでビビったときってあるかい? 「ビビる」は「恐怖」とは少し違うんだよ僕の中では。あれは一瞬の「危機意識」みたいな、発作のような、硬直するような、そんな感覚なんだ。元来ビビり屋のtakebonoは、あの当時よく「恐怖」以外にも色々なものにビビってたっけ。
今回は、takebonoがものすげービビったある日の出来事の話だ。


その日の夕方。いつものように、僕はくだらねー高校の帰り道で。だらだらっと自転車に乗りながら、高速道路のガード下を進んでいた。
人気の無い高速ガード下――。僕が漕ぐ自転車の前方には、これまたどっかの高校の制服姿で、体すごくでかいヤンキーっぽい男が、これまただらだらっと自転車を走らせてた。僕は別にそんなん気にしないで、自転車の前カゴに入れてたmyカバンを何となくいじってた。そしたら手がひっかかって自転車のハンドルのとこのベルを若干鳴らしてしまった。いけねっ、っと思った。
そしたらいきなしその男が自転車を方向転換させて、僕の自転車の横側に並んできた。
「コラてめー」とそいつは言った。
なんだ?え?僕か?こいつ何?誰?いきなりどうしたのよ?狂ってんのか?と、僕は思った。
「サイフ出せコラ」
まずビビった。でもまだ頭のどこかで、これ現実?とか思ってた。危機意識の無いジャパニーズというより、ただ鈍感というか…。おぉっこれが「カツアゲ」ってやつかぁ☆なんて考えてた。バカなtakebonoくん。
その間に、そいつは自分の制服の内側の胸ポケットをゴソゴソし始めた。
なにやってんだコイツ?って最初思った。でも次の瞬間それが何を意味してるのか一瞬でわかって、僕は初めて心臓が凍り付いてバゴンとそれが割れたように鳴った。
「刺すぞコラ」
マジかよッ…。直感した。ナイフだ。
サイフ出せっつってコイツはナイフ出しやがッた。バカかッてめえッッ。やべ、やべー、やべーぞ!おいおいおい!
声が震えて上ずった。「やめろ…」とかって言ったかと思う。確かそうだ。まぁ当然そいつはやめるわけないんだけど。とにかくホントにビビった。マジで。
そんで、考える前に体が動いた(ってのはこうゆうことだろうと後で思った)。僕は、横付けしてたそいつの自転車の車輪を思い切り足の裏で蹴り付けた。ガシャコーン!!
そいつは自転車ごとのけぞった。ここしかねえ!いま逃げるしかねえ!
火事場の馬鹿力ってあのことですよ。ものすげえ脚力で僕はペダルを漕いだ。競輪の選手みたいに。グアシグアシギュギュギュ!って。逃げっ…た、と思った。
だけどそいつ!追ってきやがったのだ!
恐えー!恐えーっ!わあああぁぁ!
猛スピード!追う者!追われる者!
すぐ先に車がガンガン走ってる道路があった。突っ込んだらやべえ!二人とも死ぬぞ!だけど止まるわけにいかねえんだこっちは!そして突っ込んだ。プァ・パ・パ・パー!!…死ぬぞっ!
猛スピードで交差点に突っ込んだ僕は、衝突寸前でトラックをかわし、そのまま道路を突っ切ってしまった。
すぐ後方の気配が無くなったのがわかった。振り返ると、道路の向こう側でUターンしてくそいつの自転車の後ろ姿が見えた。はあああああ…逃げ切ったわあ…。
気が付くとハァーハァー呼吸してた。汗がどっと出てた。
「退屈な日常」だなんて冗談じゃねえよ。スリルありすぎなんだよ。何で僕がこんな目に合うんだよ畜生、と思った。
ばかげすぎてんだよ高校生。なんなんだよ、くたばれよ、と思った。でもホントはすっごくホッとした。バカヤローと呟いてた。

そんなこんなである日のブルーダークメモリでした。
【END】
takebonoミステリー読書週間です(勝手に決めたけど)。ミステリばっか読むのです。今回はMM氏に借りた東野圭吾3連発。

◇まずMM氏推薦1冊目は『鳥人計画』。なかなか面白かった。これが東野ミステリか。うむ。
−日本スキージャンプ界を担う「鳥人」エース・楡井が毒殺された。捜査が行き詰まる中で、警察に一通の手紙が届く。それは犯人の正体を告げる密告状だった。警察に逮捕された犯人が留置場で推理を巡らせる。「何故俺が犯人だとわかったのか?誰が密告したのか?」 恐るべき「計画」が姿を現す中、犯人が「密告者=探偵」を推理するという逆転の展開が、二転三転を繰り返した末に衝撃の結末へと読み手を誘う!
「人間らしさとは敗北を意味する。それとも科学力を駆使した勝利よりも、人間らしさを追求した敗北の方が価値があるとおっしゃるのですか?」

◇MM氏推薦東野圭吾2冊目『魔球』。これまたなかなか面白かった。
−弱小だった開陽高校野球部に突如出現した天才投手・須田は、その剛速球で高校野球界を震撼させていた。地区大会予選9回裏二死満塁で、須田はたった一度だけの魔球を投じる。――大会後、須田とバッテリーを組んでいた主将兼捕手・北岡が刺殺死体で発見された。犯人は?野球部の中にいる?? そしてその数日後、エース須田が右腕を切り取られた変死体で発見された。2つの殺人に共通するダイニングメッセージ「魔球」を巡り、あらゆる思惑が交錯する。そしてラストは驚愕の真実が読み手を襲う!

◇3冊目は『悪意』。登場人物の手記と記録だけで構成される綿密なストーリー展開がとても面白かった。つまり読み手にとって必要不可欠な「客観性」がなかったりするのだ。実際そこにヒントがあったりなかったり。絶妙。
−人気作家が仕事場で殺された。第一発見者となった幼なじみが、手記によって事件を記録する。同時進行する刑事の記録が、事件の奥深くに潜む悪意を探し出す。そして逮捕された犯人の手記が、また新たな謎と疑惑を呼び覚ます。人が人を殺すことに、人が人に殺されたことに、僕たちはどこかに何かを意味づけることができるのだろうか。ラストは戦慄の真相が読み手を震撼させる!

これからもtakebono

2006年3月27日
ずっと飲みながら、夜中もずっとしゃべってた。明け方までしゃべってた。学生としてはもう最後の学生っぽい夜の更け方だったな。
思えば、みんなが僕を生かしてくれて。僕は人嫌いだったはずなんだけど。どっかでもうすきになってた。友達がものすごく大切なものになっていた。みんな、すばらしい奴らばかりだったからだ。お前が言えた事かよってみんなが笑うんだろうけど、生きることって捨てたもんじゃないよ。この僕がこんな素敵な奴らに出会えたんだからな。
あの頃に比べ、僕は優しい人間になれたのかなあ。

能力も努力も僕にとって最初じゃない。最初はソウルだ。そんなかでも、優しさというソウルだ。非合理なこのソウルで、僕は生きてこられたんだ。
優しい人間たちを守りたい。守らなきゃいけないと、いつだったか僕は思うようになってたんだ。僕だけじゃなくて。社会が彼らを失ってはいけないんだってことにも。人に優しく在れる人が、人に優しく在れるとき、きっとひとつずつ平和になってってる気がするのです。だから、優しい人を守りたい。誠実なコミュニティーを。
僕なりの、強者の論理への回答だ。法律を学びたい。いろんなことを学び直したい。

色々なことがあると思うねん。実際あったじゃないかっていくらでも。キレそになったりさ、絶望したりさ、狂ったふりをしたくなったりさ、間違ったことをしちゃったりさ、その度にグラグラしてさ。この世は常に不条理で。だめかもなんていくらでもさ。何やってもうまくいかないことなんかいくらでもさ。それでもさ、それでもきっと、生きてきたんだし、そんなん小さすぎることだと思うのだ。僕のくだらない創作も、不毛な暴力も、無意味な苛立ちも、何かを棚上げにした正義感も、偽善も、きっとたかがしれている。何一つ現実に立ち向かう力にはならなかった。だからそんなのちいせえことだっての完全に認める。これから、ここから、本当に大きなものに立ち向かうためにだ。これでよかったんだよな。
いくらだってキレてみても、はしゃいでみても、何度だって白々しかった。僕なんて、恵まれてたんだ。不幸なわけがないんだよこのやろ。だから醜悪なんだ。だからもう、僕はいろんなものに対して申し訳なくは生きれないんじゃないか。あるとするならば、僕の生への礼儀と感謝。運命への敬意。

同じ時代に生きてる人たちの息づかいが、僕に勇気をくれました。それは、かつては僕には必要ないと思ってたものだった。でもいま思う。これに気付かなければ人生は全く違ったものになっていたって。きっとそういうことだったんだなって。
僕なんか死んでいい。誰かのために死んでいい。だからくだらんことで死にたくない。
過去なんてもういいんだ。ブルーダークで充分なんだ。僕にはこれからしかない。これからが全てなんだ。

いつかの別れ。最初から知ってた。
だからこそすばらしかった。4年間。僕は生涯忘れないだろうな。

ふと見れば桜は五分咲きで、季節はもう春でした。

大団円

2006年3月26日
朝青龍!執念のリベンジ優勝!しかし白鵬も素晴らしかった。今後この二人は何度となく死闘を繰り返すことだろう。魁皇は執念で大関の地位を守り、琴欧州も膝をぶっ壊しながら必死で千秋楽まで戦い抜いた。とりわけ栃東の魂の相撲には何度も何度も打ち震えた。十両ではバルトが15連勝。恐るべき白人力士がまた幕内に上がってくる。相撲最高。今場所一人も休むこと無かった力士たち、感動をありがとう。

夜は家で少人数でくずのみ。
Aたんお疲れ。君はくず入れに叩き込みたくなるくらい素敵。

もしかしたらそろそろ引っ越すかもしれなくて。両親もすぐには地方に行かないと思うけど。このボロ家でくずゴミュニティーで飲むのも最後かなあとか思いつつ。

4年間。あっという間だった。色々なことがあったなあ。僕なんか、なんか生きてて申し訳ないくらい楽しかった。もう死んだっていいくらい楽しかった、だからこそ絶対死なないでこれからをソウルフルに生きてくのだ僕は。
作家を目指す者にしてありふれた月並みな言葉だが、この言葉が持つ意味が本当に奇跡で特別すぎるものだってこと、みんなにだけは伝わるはずだ。馴れ合いなんてありえないし、傷つけ合う必要なんて無いし、僕ら笑い飛ばし合えるんだ。みんなのことがすきだ。僕は優しい人がすきになった。みんなに会えてよかった。卒業おめでとう。

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