◇京極堂シリーズ4『鉄鼠の檻』。1300Pもあるともう辞書並みの厚さ。持ち運ぶのにもウンザリザリ。
つい先日、シリーズ最新刊も出たようですな。読みたいーー。

−積雪の箱根の山中にその魔境は在った――。
庭に忽然と出現した座禅する僧侶の屍。
雪の山中に出没する振り袖の童女。
「檻」の中に生きる僧侶の集団。
鉄鼠――それは檻中の大鼠。
「檻」の中で、僧侶たちが次々に惨殺されてゆく!
謎が絡みゆく巨刹・明慧寺を巡り、ここに『箱根山連続僧侶殺害事件』の幕が切って落とされた!
鉄鼠の正体――?
我らが京極堂、今宵は「檻」に挑む!
「憑き物落とし」は炸裂するか!?
「この世には――不思議なものなど何一つ無いのだよ」

禅についてよくわかりました。全くよくわからんということもよくわかりました。
京極堂が毎回のように対峙(退治)するのは、「脳」という「檻」と、そこに巣くった(救った)「憑き物」なのだな。
僕の「憑き物」も落としてほしい。
伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』。今季の芥川賞受賞作。こないだMM氏ん家にあった文藝春秋めくってて、まあ毎度のことらしいけど右翼都知事石原王が「またしても不毛」とボロクソってたので読みたくなって読んだ。
普通によかったよ。芥川賞っていつもこんなふうによい。大体文学なんてちゃんとわかってないもんだから。 とにかく現代の底辺リアルがさらりと描かれてるなあと。僕がいいなと思ったところは、たぶん都知事がつまらなく思ったところなのだろうと思うけど。要するにこの作品はフリーター文学ってやつだ。フリーターの人は読んだ方がよいかもねえ。

−或る暑過ぎる夏の一日。僕は30歳を目前に離婚する。自動販売機補充のバイトは今日もしんどい。相方の水城さんはシングルマザーでトラック乗り。彼女は今日でトラックを降りる。
色褪せる夢。迫り来る現実。すれちがい。なんにもなくても幸せだったあの頃はもう戻ってこない。こんな時代にこんな人生を歩む。八月の路上に捨てたもの。もうどうしょうもないアスファルト。

もうたんたんたん。淡々。
震えて読むフリーターいるかもしんねえな。
僕は、少し違うんだよね。なんでだろ。同じ無根拠のくせにそう思うの。
◇藤原伊織の『テロリストのパラソル』。直木乱歩W受賞してんだ。おもしろかったわ。

−アル中バーテンダーの島村は、過去を隠しながら、新宿に20年間潜伏し生きていた。
ある日島村が立ち寄った新宿中央公園で、爆弾テロ事件が発生する。
爆発に巻き込まれた被害者の中に、昔の恋人と、かつての友がいた!?
失われた20年が運命の糸となり結びつく。
いつかの日の青空にも似た、孤独なテロリストの哀歌が響きわたる。

「我々が闘っていたのは一体なんなんだろう。…権力やスターリニストを超えたものだって気がしてきたんだ。いわゆる体制の問題じゃない。もちろん、イデオロギーですらない。

それは、この世界の悪意なんだ。
この世界が存在するための必要成分でさえある悪意。空気みたいにね。
その得体の知れないものは、僕らが何をやろうと無傷で生き残っている。


…結局、僕らがやっていたのは、ゲームだったんじゃないのかな。潰すか潰されるかみたいなゲームでもない。最初から負けはわかってた。そう決心して始めたゲームさ。

世界に不可欠な悪意が僕らを取り巻いて無傷でいる以上、もう手の打ちようが無いんだよ

「これが宿命なんだよ、きっと。これがあの闘争を闘った僕らの世代の宿命だったんだ」
「私たちは世代で生きてきたんじゃない。個人で生きたきたんだ」

かつての闘争の時代ってのはきっと、右翼だって左翼だって、くるくる回すパラソルの下にいたんだろう。戦時下だってそうだったんかもしれない。
人は皆、孤独でどうしようもねえ、テロリストなのだな。
◇武者小路実篤『友情』。

−主人公・野島が愛した女・杉子は、密かに彼の親友を慕っていた。親友は一言も発さずに、ただ彼のためを思っていた。
青春は、恋と友情の間で揺れ動く。青春幻影プロトタイプノヴェル。ここに極まれり。

「あなたは何もかも御存知のくせして、無理にも友情をふるい起こしてその他のものをはらいのけようとなさっていらっしゃいます。…私はあなたの脇にいて、あなたを通じて世界のために働きたい、人生のために働きたい。私のこの願いをどうか、友情という石で叩き潰さないで下さい」
「お前は友情のない男だ」
「何とでも云え。俺は運命の与えてくれたものをとる。恐らく、友は最後の苦い杯を飲むことを運命から強いられてそこで彼は本当の彼として生きるだろう」

恋の素晴らしさ。その残酷さ。
友情の素晴らしさ。その残酷さ。
そして、運命に対しぶつかってゆく人間の在り方。
生きるって、誠実なほど、それは大変なことなのです。

野島。杉子。親友。三者三様の生と愛。あなたは3人の中の誰に一番共感しましたか? これ人によって違うだろうなあ。
読んだ人に聞いてみたいね。
そうね、僕は…。
◇花村萬月『皆月』。

−「みんな、月でした」
謎めいた言葉を残し、なけなしの1千万の貯金と共に、妻は失踪した。
全てを失った四〇男・諏訪徳雄は、フリーヤクザの義弟とソープ嬢と共に、妻の行方を追って旅に出る。
愛に生き、愛に生かされ、その愛の果てにも、やはり愛があった。

「人間の性は、性欲を発散するためでもなく、子孫を残すためのものでもない。性の根元にあるのは、孤独だ。この世界にたった独りでいることに対する不安だ。…だから他人を求めるのだ」

暴力と。
セックスと。
言葉にならぬ感情。
切なさと優しさの。
エレジーのような。
生きることの。
喉の奥からの叫びのような。
人間というものを描く。

花村萬月か。
確かに。
ぐっとくるものがあるかもなあ。
◇花村萬月『重金属青年団』。(表紙映像無し)

−社会不適合者が集う「H・M・C(ヘビーメタルカフェ)」。タカミは、ヤク中の作家くずれ・ブンガクさんと共に、或る夜の中央高速を走り抜け、そこに辿り着いた。
ヘビメタが泣く。バイクが呻る。ドラッグと暴力とセックスが、風に飛び散り四散する。
重金属の爆音を響かせ、8人は北へ疾走(はし)り出した!!
自らの在処を背負いながら――8人の魂のロード・ノヴェルここに散華!!

良かった。こうゆうイカれキャラ総出モノはすき。
◇花村萬月のデビュー作『ゴッド・ブレイス物語』。MM氏に借りて読みました。なるほどなるほど、MM氏っぽい?のかなあ。 まあ悪くない。カラーがあるなあ。

−ロックシンガー・朝子がボーカルを務めるハードブギバンド《ゴッド・ブレイス》は、メジャーではないものの、一部ではカリスマ的人気を誇るバンドである。 ある京都の興行で、騙されてタダ働きをする羽目になったメンバー達。彼らはそこで濃密な愛と奇跡の日々を過ごすことになった。

「切ない恋心に胸を焦がしたことのある人なら、自分の不誠実な生き方に後ろめたい想いを抱いて生きている人なら、読んで涙せずにはいられない! 花村満月、鮮烈のデビュー作!!」(by解説文)

花村萬月は、濃い。えぐってくる感じだと思う。
切ない。こうゆう切なさは読んだことがなかった。

やっぱしMM氏は、村上春樹も石田衣良もだめだわなこりゃ。と思った。

takebono日和

2006年9月16日 読書
久しぶりに村上春樹読んだ。『カンガルー日和』。
どちらかというとすきな部類の短編集だった。
ふっとあのGYさんの顔がよぎった。あの人はいま幸せに生きてるだろうか。あの人は今も村上春樹を読み続けているだろうか。

本当に良い天気だったので、S公園のグラウンド見えるベンチで缶コーヒー飲みながら、少年野球の練習風景観ながら、まったりしながら読んだ。まさにこれぞカンガルー日和であり、takebono日和。
天気の良い日の公園で読書。すてきすぎら。

takebonoが、こんなtakebono日和の穏やかな日に公園のベンチで読むために。
この本は最初からそんなふうにして僕に読まれるために、村上春樹に書かれ、タイトルを付けられ、点々とした末にブックオフの手に取りやすい棚に置かれたのだ。


↑春樹風に感想をまとめたつもり。

その後Nっちゃんとまた自転車でふらふらしようと思ったら、江戸川区の真ん中くらいで大きい火事があったらしくヘリコプターが5、6台飛んでた。すっかりヤジウマになってギリギリまで近づいたら煙を吸いすぎた。グエッゴホッゴホン!!ヤジウマはやめましょう消火活動の迷惑です。

その後は公園でビールを飲んで涼みながらダベってた。
takebono日和でした。
正高信男『ケータイを持ったサル』

面白くもなかった。
僕は大学の学部ではこうゆう類の本ばかり読まされたな。
わかる部分もある気はしても、結局「そんなこといわれてもね」だ。

こないだ早朝5時半に目が覚めてTVで景気ニュース観た。政府お抱えの経済専門家がとんでもないことを言ってた。経済は「社会問題」嘆き憂い芝居なんかよりよっぽど現実に正直で魅力的だ。

僕がいた学部で、僕らが学んできたことに、わかっちゃいたけどガックリくる。だから僕は今度あのM教授に会いにゆこうと思う。悪いけど、ソウルだ。学部時代、M教授に取り入る奴らが多すぎて、はっきり言えばみんなうざかった。僕はエセインテリぶるのが嫌だった。M教授に取り入ってた奴ら、あいつら、結局誰もが今は市場経済に追われて目をモノクロにさせてるんだろうさ。わかっていながらさ。なぁみんなはさあ、なんのために、M教授が僕らに伝えようとしたことを聞いてたんだよぉって。僕は思うんだよ。
理想を語ることは素晴らしいけれど。だからそれ故に決して綺麗事では済まされなかったはずだ。綺麗事ではないから、持ち続けなければならなかったはずだ。

本の内容は、要するに「若者」批判だった。
母子密着型育児と、同調・協調性育成型教育で、あと消費文化の低年齢化がきてたりして、結果子どもを甘やかして育ててしまった、というやつ。
「傍若無人でコミュニケーションがとれない若者が増え」ていて、「人間らしさを失ったサルに退化している」というわけですね。
MM氏読んだらぶっちぎれそうな本だな。

サル研究がまず無理矢理だからピンと来ない。
「子ども中心主義」の批判はいつもこんな感じじゃないかと思う。だけど僕は、これまで子どもが中心だったことなんか実際あるの?って思うから。ホントうそこけって。いつだって教育側の惰性とエゴだったぞ教育は。
takebono家は、消費文化の商品なんかは、ほとんど何一つ買い与えられなかったけれど、両親はいつも僕を中心に置いてくれた。
そして僕は出来損なったのか?
この社会で一体誰が「人間らしい」のか?

いまや現状をもっと突き詰めた本がたくさんあるから。
でもまぁ大人が「若者」とか使っちゃうとき、一番最初に思うことなんかもしれないな。「サルじゃん」ってのは。
そしてサルは言うだろう。
お前ら愚かな人間ども、みんなくたばってしまえ、と。

進化して人間になろうが。退化してサルになろうが。
ろくなことしなければそれは全部ろくでもない。

サルを見て、人間の愚かさを感じやしないかね。
←ブックレビュー機能があるのをいっつも忘れちゃってて。やっと利用。次からちゃんとこれでやります。

◇阿部公房『壁』。阿部公房は『砂の女』以来ですが面白かった。少し、ハマる兆し。
−或る朝突然「名前」に逃げられた男。慣習に塗り固められた現実世界での存在権を失った男が彷徨うことになった壁の中の世界――。

特に関係ないけれど、この『壁』を読んでる間によく悪夢を見た。先日の悪夢には、青木さやか氏が現れた。くだらなさを突き詰めるような悪夢だった。

壁と言えば。
takebonoのひきこもりルームには依然として薄汚い「壁」がある。猫の爪跡はカレンダー等で隠されている。
即ち境界を「壁」として、僕らは世界の果てにやってくる。この目に映るこのディスプレイ、その後ろにそびえ立つ汚い部屋壁は、あっさりとそのままに世界の果てに繋がっている。御覧なさい。僕らと僕らを隔てるものは、無限に開かれた空虚だ。貴方が貴方を生きていくために、貴方の前にはいま壁があるわけである。名も無き芸術的な落書きのように、貴方の存在権をそこに描き込んでやればいいのだ。
僕は、僕の拳がイカれるまで壁を殴ってはぶち破り、その壁の残骸パーツを拾い上げると、ただ“takebono参上!”と、目の前の壁に刻み込んでゆくのでした。

えほんをのべる

2006年9月6日 読書
えほんをのべる
佐野洋子『100万回生きたねこ』
マイ絶賛。

僕ん家は、物心ついたときから猫を飼っていた。
だからかもしれない。

年に一回は僕はこの本を開く。
子どもの頃は、ただわけもわからずに泣いた。
大人になってからは、わけをわかろうとして泣いた。

本当はきっと。
可笑しいわけでもない。
悲しいわけでもない。
誰と共有するものでもない。

自分一人だけのとき。
そっと。
ただ涙を流す本がある。

生きているということに。
ただ涙を流す本がある。

抱きしめたくなる。
僕にとってこの本はそんな一冊だ。
うちのねこさんもそんな存在だ。

うちの猫のプーたんに、似てんのよね。
なぜあの国にまだ希望があるのか
堤未果『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命−なぜあの国にまだ希望があるのか』

考えちゃった。僕って頭悪いな。
真実って一体どこまでホントなンだろう。
現実ってどこまで真実を内包しているンだろう。
これまで僕は、一つの主張や出来事に対して、どこかで何かしらの反駁であったり別角度のアプローチであったりを、無知ながらにして出来るだけ中立的に組み立てたいと考えてた。経済からとか、政治から、文化から、そして僕の限りある思考や立場から、そのことが意味としてどういう存在であるといえるのかをだ。だけど、現実が見せる一面だけが、やはりどうしたって真実ではありえないことが、いつだって無力感に晒させるし、それは憤りだったり悲しみだったり、でも自分の都合の良さでもあるような気持ちにもさせるものだったり、ちいせえ不安や見栄や罪悪感や満足感に囲まれてのうのうと息をする自分自身の姿でもあった気もしてた。この感情のようなものを、どうやってとらえればいいんだろって考えさせられるくらい、それは僕に突きつけていたんだと思う。
「現実」の存在を。

僕がバカだってこと。誰も教えてくれないこと。隠されていること。そんな世界を僕たちは生きているということ。わかっていても、知ろうとしないんじゃ同じことなんだ。

アメリカ。世界の富の4分の1を持つ超経済大国。
だけどこの国では同時に3000万人が飢えている。
4500万人が医療保険に入ってない。
9・11以降、恐怖経済が買い漁らせた銃は、国内2億3000万丁にのぼる。
日本で言えばフリーターみたいな、先の見えてない若者たちが、次々に軍隊にリクルートされて、ベトナムやイラクまで行かされた。
心も体もボロボロになり、社会復帰さえできなくなった帰還兵たちに、涙が出る。どんな、思いだ?

アメリカを、アメリカたらしめているもの。それを、もう正面に据えよう。
こんな。国に。
しちゃいけない。
僕の生きる時代を。
見過ごしちゃいけない。

「なぜあの国にまだ希望があるのか」
今なら。
答えられるのかもしれん。
「弱者」の側に立つ一人として。

しっかり伝わったよ。
このリズム。忘れない。
ノベルを述べる61
◇夢枕獏の『餓狼伝』、読み始めた。こ、これ…抜群の面白さッッッ!!
イタガキ先生のマンガも最高だけど、いや獏の小説も凄まじいな。
震えるな。

−何で闘うのか――? 何のために闘うのか――?
「あんたが恐かった」

闘うために生まれてきた男――孤高の格闘家・丹波文七。6年間の沈黙を破り、彼は帰ってきた!!
自分を叩きのめしたたった一人の男――プロレスラー・梶原年雄を倒すために!!

「人の体重――つまり、引力とてこの原理を応用した関節技は、科学の域にまで達している」 ――ツイスト!?
「人を殺せる素手である」 ――orフィスト!?

どれほどの宿命を費やし。
どれほどの血を流し。
どれだけ互いのことを想い。
傷つけ、磨き上げ、
気の遠くなるくらい創り続けた己の肉体。
他に信じるもの全てを捨てて。
いま。存在と存在が、互いに獣臭を放ち、激突する!!

“おれとおまえとはどちらが強いのかッッ”

2人の野獣が夜の闇に相見え、そして吼えた!!!
おおおおおおお――――ッッッッッッッ!!!!!!!

たりないぴーす

2006年8月29日 読書
たりないぴーす
『たりないピース』。

何でこんなん読み始めた?
でも読み終えてた。
宮崎兄妹のインドの旅ドキュメント。
中国に続き急成長を続けるインドのリアル。

考える枠組みを考えてしまうことは、つきもので。
僕らが知らなきゃいけないことをもっと知りたくて。
もう反吐を吐くのもやめたいと思うよね。

うん。
いつか。
宮崎あおいに。
会えるような気がしてきたぞ。

それこそ。
足りないpieceは何だろ。
足りないpeaceとは何なのだろ。

想像力。
機会。
ソウル。仲間。資本。

欲しいのは強さだけど。

それは。
創造力だと考える。

いまの僕の想像力の限界に在る。
創造力。

たりない、
どころじゃない。

ピースを。求めて。
ノベルを述べる60
◇京極夏彦の妖怪シリーズ第3弾『狂骨の夢』。900Pがなんのその。やっぱり面白くてあっという間に読み終えた。インパクトは『姑獲鳥』や『魍魎』ほどではないようだが、全くかなり面白かったですよ。あららハマってる自分がいるわ。
京極シリーズ全部読んじゃいそ。

−死んだ夫は4度甦り、女は4度首を絞めて殺し、3度の首を斬り落とした――。
教会に現れた女が行った告白は、精神科医に「髑髏の夢」を回顧させ、牧師に「髑髏の記憶」を呼び覚ました。
狂骨――それは井中の白骨。
女。精神科医。牧師。そして狂骨に戦慄する彼等3人を嘲るかのように、逗子海岸を漂う金色の髑髏が目撃される。
「狂骨」の正体は――?
事件が混乱を極める中、とある山中で奇怪な集団自決事件が発生する。
そして――女はまたしても夫を殺した!
全ての怪奇現象と事件の謎が解けるとき、今宵も京極堂の「憑き物落とし」が始まる!!
「この世には、不思議なことなど何一つ無いのだよ」

日本史の部分はまだいいとして、フロイトやらユングやらかじってると面白いんだろうな。しかし民俗学が相変わらず良い。

最近は夏目漱石と京極夏彦しか読んでないな。夏。夏。夏。

takebonoのこころ

2006年8月24日 読書
昨日の「こころ」が頭を離れない。何かがグシャッときた感じ。

人は。どんなときも。それぞれの偶然や奇跡に。生かされているのかな。
ならば。
どんな人もそれぞれの偶然や奇跡に。死にうる瞬間をも秘めているのかな。

その人のコアのようなもの。
僕ならばそれはソウル。
それが大事なんだな。たぶん。なによりも。
希望、かもしれない。

たぶん。
手に入れたい、という願いよりも。
失いたくない、という思いの方が。圧倒的に強く。重い。
それを手に入れた瞬間から。それは失う不幸を内在する。
守らなければならない苦しみを生む。
誰かや何かのために生きることになったとき。
生が、自分と乖離するんだな。
死ねなくなることで、生きていけるのだ。
地上に生をとどめておくための。
希望の鎖。

だから。
僕が思う「不幸」とは。
「本当は手に入れたくもなかったもの」を「手に入れてしまった」こと、だと思う。
これしかない。

「手に入れてしまったもの」を「失えない」ために。
自分も他人も傷つけなきゃなんない。そんなことしておきながら。
後悔なんかしてみたり。
「本当」を恐れて、そっと振り返ってみたり。なんて。
哀しいことだと思うばかりだ。

最近思う。いや前からも思う。
僕らを動かしていたものも、また誰かや何かに動かされていたことをだ。
僕らを操っていたものも、また何かに操られていた。
僕らの世界は誰かが用意したもので、その誰かもまた何かに世界を用意されていた。
最初っから。バーチャルこそ秩序だった。その向こうに。

ただ経済があるだけだった。
だだっぴろく。経済が。

僕を殺そうとした人も、いずれ誰かや何かに殺されるだろう。
僕を生かしてくれた人も、誰かや何かによって生かされている。
僕は、僕が愛する人たちが、誰かによって愛されることを。願ってやまない。

剥き出しで、其所に在った、誰にも語れやしない「こころ」に感謝する。
「先生」も「K」も、きっと。
そのような「こころ」に触れて死んだのだと思う。

僕のこころは。
結局は僕にしかわからない。
でも伝えることはできるのかもしれない。
遺書なんかではなく。
takebonoの言葉で。
ノベルを述べる59
◇漱石の『こころ』。 非常に面白かった。長っげえ「先生の遺書」は、あれこそ「こころ」そのものだと思ったよ。
−或る夏の海岸で偶然に出会う私と「先生」。段々と彼の魅力に惹かれていく私に、ある日「先生」から自らの過去を語る遺書が届く。
「先生」と「K」――。
魂と生命と贖罪の物語。

学校の教科書かなんかで読んだときにはわからなかったな。
単なる「痴情のもつれ」と「罪悪感」の話だと思ってた。
全然違った。全然、すごかった。
これが「こころ」なんだね。
ソウルと混沌そのものじゃないか。
安易に人の「心」を語りうる連中に、読ましてやりたい。
「K」は何故死んだのか?
「先生」は何故死んだのか?

考えるだけで、涙が出そうになる。
人のこころって、なんて、なんて凄まじさなんだろう。

これから土手か公園にでも行って、涼みながらビールでも飲もうかな。
そんな気持ちに、させられた。
ノベルを述べる58
◇京極夏彦の妖怪シリーズ第2弾『魍魎の匣』。1000Pが何のその。あっという間に読み終えた、抜群の面白さ。『姑獲鳥の夏』も面白かったけど、これはそれ以上かもしれん。

「楠本君、君は私の、そして私は君の生まれ変わりなんだ。…だから、君の代わりは、私なんだ。…これをとっちゃいけない。これは縁の紐というおまじないなんだ。これで、君は私だ」――。

−ある月夜の晩に、一人の少女がホームから転落した。少女は重傷のまま、森の中の巨大な「箱」に吸い込まれた。そして少女は、そこで、多くの人間が見守る中で、消えた――。
一方で、連続少女バラバラ殺人事件が巷を騒がせていた。少女達の四肢が箱詰めにされて次々と発見されたのだ。事件と時を同じくして、一人の霊能者が現れる。彼は箱を背負い、「魍魎」を祓いにやってきた。
「魍魎」の正体――。そして、箱の中の娘――。
全ての奇怪な謎を前にして、陰陽師古本屋・京極堂が静かに答える。
「この世に不思議なものなど、何一つ無いのだよ」

京極堂が語る、民俗学だとかのうんちくがすげえおもろい。宗教者と霊能者と占い師それぞれに興味が出てきちゃった。

匣の中には綺麗な娘がぴったり入ってゐた。
ああ、生きてゐる。
ノベルを述べる57
◇漱石の『吾輩は猫である』読み終える。
−猫の視点で描かれる明治ワールド、漱石ワールド。いわばクズな「太平の逸民」たちが、笑えるほど愉快なキャラクターをもってして、淡々と展開。これまた時代性もあるのでしょう。風刺コメディともいえる。
それにしても人間というのは面白いなあと、猫の視点によって改めて気付かされるような本でした。

写真は、うちのねこさんが夏の暑さにやられて床にべたーっと寝てるとこ。

明後日旅行出発だというのに風邪です。
どうしましょー。
ノベルを述べる56−めくるめくラブストーリー
姉が残してった本の中で、とりわけ恋愛小説を続けて読んでる。とりあえずハードカバーから2冊読んだ。

恋愛は感情を描き彩る重要な要素だと思った。世界には、狂気と同じくして、やはり1億通りの恋愛が存在するのだと。そしてそれらの、あのあらゆる生身の感情と精神と全人格のコミュニケーションが、やはり、本当に多様で艶めかしく或いは幻想的に優雅に、ときに残酷や冷淡や透明感に溢れながらも、原始的な創造的な起伏や振幅を生み出して、性そして生のリアルを鮮やかに映し出すものだと、僕には思えました。

◇まず、江國香織の『東京タワー』読んだ。2人の少年と2人の年上の女性が登場する、つまりは二組の不倫カップルによって展開するストーリー。淡々とした泥々話といえるのかな。映画にもなってたっけ。
−「恋はするものじゃなく、おちるものだ」――と彼女に教わった。
「待つのは苦しいが、待っていない時間よりずっと幸福だ」――と思うようになった。
2人の少年――。19歳の大学生・透と、その親友・耕二。
彼らの年上の恋人――。ショップ経営者の詩史と、主婦の貴美子。
世界を充たす――この果てに。
恋の極みがここに描かれる。

◇あと、柴門ふみの『恋愛物語(ラブピーシーズ)』読んだ。恋愛メシア柴門ふみの初の小説短編集。姉はこんなん読んでたのかなあ。
−恋を探して――。11人の素敵な恋のフォトグラフ。

しかし恋愛小説って入り込みにくい。
恋愛小説なら村山由佳が良いよと、あの狂えるIっちゃんが言ってたけど。
続けて読むもんでもないな、と。
ある意味、何が描かれているのかよくわからなくなる。
恋愛ストーリーは難しい。
共感のしようがないからだ。
takebonoなりに、愛を真剣に想う故に。
恋はノベルで述べきれないな、と。
それもまたソウル的には悪くないが。

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