川端裕人『動物園にできること』
ネイチャーライター川端裕人が行く、フィールドワーク動物園事情バイブル。
人間のエゴと言われればそれまでなのか。
尊厳絶滅はありなのか。
あのたくさんの動物たちが暮らす場所は、平和の園なのだろうか。
あれだ、「ジュラシック・パーク」を思い出したわ。
僕は、人間が野生動物を飼うという営みがいったい何なのか知りたい。動物園というものが、人間にとって、野生動物にとって、それぞれ何を意味するのか知りたい。
人間が壊し、そしてつくってきたものに、人間が責任を持つ。だけどどうやって?
エンリッチメントというのと、ランドスケープ・イマージュンというのは興味深かった。
今度超久しぶりに上野動物園に行きたいと思う。
ブロンクスにも行ってみたい。
うちのミキティは今だによそよそしく膝に乗る。
ネイチャーライター川端裕人が行く、フィールドワーク動物園事情バイブル。
人間のエゴと言われればそれまでなのか。
尊厳絶滅はありなのか。
あのたくさんの動物たちが暮らす場所は、平和の園なのだろうか。
あれだ、「ジュラシック・パーク」を思い出したわ。
僕は、人間が野生動物を飼うという営みがいったい何なのか知りたい。動物園というものが、人間にとって、野生動物にとって、それぞれ何を意味するのか知りたい。
人間が壊し、そしてつくってきたものに、人間が責任を持つ。だけどどうやって?
エンリッチメントというのと、ランドスケープ・イマージュンというのは興味深かった。
今度超久しぶりに上野動物園に行きたいと思う。
ブロンクスにも行ってみたい。
うちのミキティは今だによそよそしく膝に乗る。
川端裕人『オランウータンに森を返す日』
大阪のあるペットショップで、密輸されたオランウータンが発見された。彼らのふるさとは、日本を遠く離れたインドネシアだった。インドネシアでは、オランウータンを保護する施設が満杯になっているという。筆者はいま起きていることを知るべく、インドネシア・カリマンタン島へ向かった。
オランウータンに森を返してやりたい。自然を破壊し、色々なものを奪っておきながら、人間としてやっぱりそうゆうことも思う。
大阪のあるペットショップで、密輸されたオランウータンが発見された。彼らのふるさとは、日本を遠く離れたインドネシアだった。インドネシアでは、オランウータンを保護する施設が満杯になっているという。筆者はいま起きていることを知るべく、インドネシア・カリマンタン島へ向かった。
オランウータンに森を返してやりたい。自然を破壊し、色々なものを奪っておきながら、人間としてやっぱりそうゆうことも思う。
川端裕人『クジラを捕って、考えた』
商業捕鯨再開論者でも反対論者でもない筆者が、クジラが見たい一心で調査捕鯨船に乗り込んで半年間の航海に旅立ちその体験記録を残した一冊。
捕鯨にまつわる様々な問題を一つずつ生身のルポで確かめてゆく様子は素敵。
漁師にも科学者にもグリンピースにも日本にもアメリカにもヨーロッパにもそれぞれの考え方と主張があり、当然誰一人クジラの絶滅を願っている者はいない。
捕鯨に限らずそうかも。多くの問題は、様々な立場というやつが、それぞれよりよい未来を選択しようとして衝突しているということでもある。もちろん決定を下すときには選択に責任を持つんだけど、自身何かに対し明確な方向性を持ってるわけじゃないし。だから衝突を不毛だと思うのも恐いなと。 物事って、分かり切られていないから、どっかでバランスして、それなりの均衡になってんだなって。
ぶつかりもしないで、葛藤もしないで、方向性に確信を持ってるのは恐い。
真摯な受け止め方として、揺れていることだってある。
都合良く見えてるものを、疑い続けたい。
わからないから、考え続けるのだと。
ぶつかる場のようなもの、さらにそこへのクッションのようなもの、有意義なものを保障するような試みをしたいな。
そんなこと思った。
商業捕鯨再開論者でも反対論者でもない筆者が、クジラが見たい一心で調査捕鯨船に乗り込んで半年間の航海に旅立ちその体験記録を残した一冊。
捕鯨にまつわる様々な問題を一つずつ生身のルポで確かめてゆく様子は素敵。
漁師にも科学者にもグリンピースにも日本にもアメリカにもヨーロッパにもそれぞれの考え方と主張があり、当然誰一人クジラの絶滅を願っている者はいない。
捕鯨に限らずそうかも。多くの問題は、様々な立場というやつが、それぞれよりよい未来を選択しようとして衝突しているということでもある。もちろん決定を下すときには選択に責任を持つんだけど、自身何かに対し明確な方向性を持ってるわけじゃないし。だから衝突を不毛だと思うのも恐いなと。 物事って、分かり切られていないから、どっかでバランスして、それなりの均衡になってんだなって。
ぶつかりもしないで、葛藤もしないで、方向性に確信を持ってるのは恐い。
真摯な受け止め方として、揺れていることだってある。
都合良く見えてるものを、疑い続けたい。
わからないから、考え続けるのだと。
ぶつかる場のようなもの、さらにそこへのクッションのようなもの、有意義なものを保障するような試みをしたいな。
そんなこと思った。
◇ロバート・B.パーカー『初秋』
−離婚した元夫が連れ去った子どもを取り戻してほしい、という依頼を受けた探偵スペンサー。あっさりと解決したかに見えた事件は、少年の閉じきった心によって新たの展開を見せる。
ハードボイルドの優しさは、少しずつ少年の心を揺り動かしていく。
君だって覚えているだろう? あの頃の季節が初秋だったことを。
−離婚した元夫が連れ去った子どもを取り戻してほしい、という依頼を受けた探偵スペンサー。あっさりと解決したかに見えた事件は、少年の閉じきった心によって新たの展開を見せる。
ハードボイルドの優しさは、少しずつ少年の心を揺り動かしていく。
君だって覚えているだろう? あの頃の季節が初秋だったことを。
◇村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
−あの冒険から4年――。「僕」は帰ってきた。雪の降りしきる札幌の街の「いるかホテル」に。
でも結局のところ、全てはそこから始まるのだ。僕にはそれがわかっていた。そこからしか始まらないのだ。
「僕はいったいどうすればいいんだろう?」
「踊るんだよ。音楽の続く限り」
ステップを踏もう。ビートを無視して。リズムを刻め。ハイにロックにエレガントに――。
僕のために泣いてくれる多くの人たちのために。
全てを喪った僕のラストダンスは続いていた。そしていま時代は流れ飛ぶ雲のように、当然の不規則のままに、確実に過ぎ去っていこうとしている。
3部作の続編にして完結編。こんなふうに終わり始まるものがそこにあるなら、僕はそれが面白かったと思っている。
さよなら、羊男。
−あの冒険から4年――。「僕」は帰ってきた。雪の降りしきる札幌の街の「いるかホテル」に。
でも結局のところ、全てはそこから始まるのだ。僕にはそれがわかっていた。そこからしか始まらないのだ。
「僕はいったいどうすればいいんだろう?」
「踊るんだよ。音楽の続く限り」
ステップを踏もう。ビートを無視して。リズムを刻め。ハイにロックにエレガントに――。
僕のために泣いてくれる多くの人たちのために。
全てを喪った僕のラストダンスは続いていた。そしていま時代は流れ飛ぶ雲のように、当然の不規則のままに、確実に過ぎ去っていこうとしている。
3部作の続編にして完結編。こんなふうに終わり始まるものがそこにあるなら、僕はそれが面白かったと思っている。
さよなら、羊男。
学生時代
2007年5月12日所用と、あとSちんに会いに、母校の大学に赴いた。
本当に懐かしかった。
学食も懐かしかった。
ついでにSちんと一緒に、Sちんのとってる授業にもぐってみた。
うーん眠くない。それほどおもろくもない34限連続講義だったのに、ずっと聴けた。学生の頃はやっぱりいろんなものに引きずられてたんだと思った。今が一番焦らず余裕で本も読めるし授業も受けれるってのは皮肉なものだ。
僕はやっぱりもう一度本格的に机に向かってみたいかんじだ。
学生たちをみてそう思った。やっぱりうらやましいし、そしてもったいないかんじ。
少しずつ変わっていた通学路にも、
爽やかな風と陽気な日差しにも、
無駄に小ぎれいな校舎にも、
思い出したのはあの頃の、本当に一日一日の思い出だった。
僕にとってそれは、永遠のような一瞬を連ねた、喜びだけが続く日々だった。
時はやっぱり流れてたんだね。
本当に懐かしかった。
学食も懐かしかった。
ついでにSちんと一緒に、Sちんのとってる授業にもぐってみた。
うーん眠くない。それほどおもろくもない34限連続講義だったのに、ずっと聴けた。学生の頃はやっぱりいろんなものに引きずられてたんだと思った。今が一番焦らず余裕で本も読めるし授業も受けれるってのは皮肉なものだ。
僕はやっぱりもう一度本格的に机に向かってみたいかんじだ。
学生たちをみてそう思った。やっぱりうらやましいし、そしてもったいないかんじ。
少しずつ変わっていた通学路にも、
爽やかな風と陽気な日差しにも、
無駄に小ぎれいな校舎にも、
思い出したのはあの頃の、本当に一日一日の思い出だった。
僕にとってそれは、永遠のような一瞬を連ねた、喜びだけが続く日々だった。
時はやっぱり流れてたんだね。
◇吉村昭『闇を裂く道』
−大正7(1918)年に着工された丹那トンネルは、その完成までに16年もの歳月を要した。日本最長トンネルを富士火山帯断層地帯に貫くという究極悪条件の難事業は、度重なる犠牲を払いながら敢行されたのである。
崩落。湧水。動く断層。救出劇。暴動。
人闇を裂く道に光が射す日、人々は何を思うのか。
終わりなき自然と人間の闘いを圧巻のスケールで描く記録文学。
3年目の坑道大崩壊のストーリーは圧巻の一言。4つの救出ルート。暗闇の8日間。生存者のリアル描写はすごかった。農民の暴動も読みごたえあり。
一次大戦やら満州事変やら、戦時下の状況も密接に絡みつつ、トンネル事業のその後は現代まで引き続いていて、歴史性リアル。
−大正7(1918)年に着工された丹那トンネルは、その完成までに16年もの歳月を要した。日本最長トンネルを富士火山帯断層地帯に貫くという究極悪条件の難事業は、度重なる犠牲を払いながら敢行されたのである。
崩落。湧水。動く断層。救出劇。暴動。
人闇を裂く道に光が射す日、人々は何を思うのか。
終わりなき自然と人間の闘いを圧巻のスケールで描く記録文学。
3年目の坑道大崩壊のストーリーは圧巻の一言。4つの救出ルート。暗闇の8日間。生存者のリアル描写はすごかった。農民の暴動も読みごたえあり。
一次大戦やら満州事変やら、戦時下の状況も密接に絡みつつ、トンネル事業のその後は現代まで引き続いていて、歴史性リアル。
価値のない勝ち、勝ちのない価値、
2007年5月10日 読書 コメント (2)そんなわけで。
僕は恵まれているですよ。ハッキリと自覚がある。
僕はいま完全に思う。ワーキングプアになっちゃだめだな。
こんなに恵まれてるくせに。恵まれない人々がいくらでもいるくせに。愚かすぎる。これでワープアになっちゃ申し訳がなさすぎる。
筆者も繰り返し述べているけど、イデオロギーからくる二元論は全く意味無い。
もちろんハンディを負った人が全員ワープアになるわけじゃないだろう。だけど、ハンディが絶対的な原因でワープアになった人は圧倒的に存在してる。
環境が貧困の原因かどうかなんて、白黒でも是非でもイエスノーでもない。要因としてそれは在るのだ。あらゆる前提に先んじてだ。そもそも環境以上に単純明快な要因があるわけないんだ。
筆者は繰り返し言う。貧困の原因は、物質的なものと精神的なものとの複合であり、個人的なものと社会的なものとの複合であると。改善課題は、雇用や賃金だけでなく、個人の意志や能力から、家族、育児、教育、職業訓練、医療、住宅、福祉制度、社会運動、政治制度にいたるまで、多岐に渡っているのだと。
右とか左とか関係ない。焦点を当てれば自己責任であり、背景として社会の責任なんだね。
ただほとんどの問題は、お金で解決できるということ。予算編成の際の言い訳にはならないということ。僕たちは、誰のために何ができるかということをとっくに知っているし。だからあとは、それをどれだけできるのかということを、突きつけたいんだろうね。
僕は、この本の序文にあるように、現状へのアプローチを支持する。
弱い立場にいる人々のために本当に有効な福祉予算が計られるのならば、増税だって支持をする。
絶望は、絶望的状況を更に追い込む。
生きてゆくには、まず希望が必要なんだね。
貧しくてもも、希望や目標を持っている人は強く生きていた。心を打たれるのは、いつだって底辺で懸命に生きようとする人々の姿だった。
「読者は、本書を読み進むうちに、章の数だけの異なるドラマに出会うだろう。そして今日の豊かな社会を支えているのは、社会に不可欠なさまざまな財やサービスを、低賃金のハードワークで作り出している、ワーキング・プアの人々であることがわかるだろう」
アメリカンドリームでも、ペシミズムでも、シニシズムでもない。アルコールでもドラッグでもナショナリズムでもない。
これからの社会で不可避な絶望を、それを少しだけ上回る希望こそが、庶民にとっては必要だ。
これから日本は不安定社会に突入する。
弱い者が弱い者を叩いてもなんにもならない。
希望を持って生きてかなくちゃだめだ。
何が起きるかわからない。明日は我が身。強がりも言えなくなってくる頃にようやく考え始めること。
政府には、上っ面だけでないワーキングプア対策を心から望みます。
僕は、何を話し合うために何を話し合う必要があるのか、だんだんわかってきたかんじ。ただそれは、僕がどれくらいそこに思い入れをするかということなんだよね。肩入れというやつになるのだろうね。いまそんなバヤイじゃないということもわかっていながら僕はそンなことも思う。
僕は恵まれているですよ。ハッキリと自覚がある。
僕はいま完全に思う。ワーキングプアになっちゃだめだな。
こんなに恵まれてるくせに。恵まれない人々がいくらでもいるくせに。愚かすぎる。これでワープアになっちゃ申し訳がなさすぎる。
筆者も繰り返し述べているけど、イデオロギーからくる二元論は全く意味無い。
もちろんハンディを負った人が全員ワープアになるわけじゃないだろう。だけど、ハンディが絶対的な原因でワープアになった人は圧倒的に存在してる。
環境が貧困の原因かどうかなんて、白黒でも是非でもイエスノーでもない。要因としてそれは在るのだ。あらゆる前提に先んじてだ。そもそも環境以上に単純明快な要因があるわけないんだ。
筆者は繰り返し言う。貧困の原因は、物質的なものと精神的なものとの複合であり、個人的なものと社会的なものとの複合であると。改善課題は、雇用や賃金だけでなく、個人の意志や能力から、家族、育児、教育、職業訓練、医療、住宅、福祉制度、社会運動、政治制度にいたるまで、多岐に渡っているのだと。
右とか左とか関係ない。焦点を当てれば自己責任であり、背景として社会の責任なんだね。
ただほとんどの問題は、お金で解決できるということ。予算編成の際の言い訳にはならないということ。僕たちは、誰のために何ができるかということをとっくに知っているし。だからあとは、それをどれだけできるのかということを、突きつけたいんだろうね。
僕は、この本の序文にあるように、現状へのアプローチを支持する。
弱い立場にいる人々のために本当に有効な福祉予算が計られるのならば、増税だって支持をする。
絶望は、絶望的状況を更に追い込む。
生きてゆくには、まず希望が必要なんだね。
貧しくてもも、希望や目標を持っている人は強く生きていた。心を打たれるのは、いつだって底辺で懸命に生きようとする人々の姿だった。
「読者は、本書を読み進むうちに、章の数だけの異なるドラマに出会うだろう。そして今日の豊かな社会を支えているのは、社会に不可欠なさまざまな財やサービスを、低賃金のハードワークで作り出している、ワーキング・プアの人々であることがわかるだろう」
アメリカンドリームでも、ペシミズムでも、シニシズムでもない。アルコールでもドラッグでもナショナリズムでもない。
これからの社会で不可避な絶望を、それを少しだけ上回る希望こそが、庶民にとっては必要だ。
これから日本は不安定社会に突入する。
弱い者が弱い者を叩いてもなんにもならない。
希望を持って生きてかなくちゃだめだ。
何が起きるかわからない。明日は我が身。強がりも言えなくなってくる頃にようやく考え始めること。
政府には、上っ面だけでないワーキングプア対策を心から望みます。
僕は、何を話し合うために何を話し合う必要があるのか、だんだんわかってきたかんじ。ただそれは、僕がどれくらいそこに思い入れをするかということなんだよね。肩入れというやつになるのだろうね。いまそんなバヤイじゃないということもわかっていながら僕はそンなことも思う。
THA WORKING POOR
2007年5月9日 読書
『ワーキング・プア―アメリカの下層社会』デイヴィッド K.シプラー(著), 森岡孝二(翻訳)
最近いろんな所で度々耳にするのが「格差」や「ワーキング・プア」。そうゆうタイトルの本もたくさん見かけるようになった。日本もいよいよ危険で不安定な時代に突入しようとしているらしい。
これからの日本がたどる道。おそらくその元祖。それがアメリカ。
この本では、元祖ワーキングプア大国アメリカの、その社会の実態がレポートされている。いくら必死に一生懸命働いても、生活保護ラインギリギリの生活を抜け出せない貧困層といわれるワープアは、実際こんなふうに、アメリカの後を追うように、日本でも増加してゆくんだろうなと思った。
世界一豊かな超大国は、一方で凄まじい数の貧困層を抱える国でもある。また、当然この国の労働社会は日本以上にシビアであり残酷な一面も持ち、その絶望の大きさに比べて希望があまりにも少ないように僕には思えた。
読み終えて、僕はまずタメイキ。そして、まだまだ日本は良い国なのではないかと思った。それほど酷いと思った、このアメリカの底辺ってやつは。
貧しい者が更に追い込まれるようにできてる。市場原理があまりにも優先されすぎてる。セーフティネットを行き渡らせる努力がなさすぎてる。矛盾を諦めた絶望色のPOOR。
どうしてもどうしても、「恵まれている」かどうか、にかかってくるよね。
五体満足で健康であること。両親が健在であること。兄弟姉妹がいること。持ち家があること。学校に通わせてもらえたかどうかということ。
一見当たり前で普通の環境がいかに奇跡的でかけがえがないのかということを再認識する。
運不運が公平ならば、「恵まれている」層はたとえ何か不幸なことが起きたときでもその傷が浅く、「恵まれている」ものの大きさに比例して、結局は救われうるのだ。
しかし「恵まれていない」層は、同じように何か不幸なことが起きたとき、大ダメージを受け、即座にピンチに陥ってしまう。
リストラされたとき、再就職のための学歴やスキルや資格や教養の差。
子どもができたとき、託児先や子育ての助言や支援のコミュニティーの差。
住宅環境の差。教育環境の差。
急な出費のとき、預貯金の差。
いざというとき、頼れる先の数の差。
あらゆるストレスへの精神的余裕度の差。
そして、「恵まれない」環境で経過する時間こそが、更にその差を維持し、また拡大を加速させてゆく。
豊かな国の貧困問題は多様で複雑だ。或る「恵まれない」部分が、別の「恵まれない」部分と複雑に絡みつき、潜在的な貧困を顕在化させる要因に繋がってゆく。「恵まれない」層は、恵まれている層に比べ、あまりにも不測の事態に弱く、世間の荒波に脆く、社会の底辺に沈みやすい。豊かな国の貧困問題において、配慮されにくい不幸な部分がこれだ。
少なくとも、ワーキングプアに対して何か言えるのなら、
あらゆる人に健康で教養のある両親や兄弟姉妹を、確かな不動産を、質の高い学校教育や職業訓練を、頼れる友達を、住宅やコミュニティーを、精神的余裕を、あまねく与えたまへ、なのだ。
筆者のいうように、保守にもリベラルにも扱いにくい部分がこれだと思った。
アメリカ庶民の実態に、ジャーナリストが深く細かく踏み込んだ、とてもよいルポルタージュでした。
最近いろんな所で度々耳にするのが「格差」や「ワーキング・プア」。そうゆうタイトルの本もたくさん見かけるようになった。日本もいよいよ危険で不安定な時代に突入しようとしているらしい。
これからの日本がたどる道。おそらくその元祖。それがアメリカ。
この本では、元祖ワーキングプア大国アメリカの、その社会の実態がレポートされている。いくら必死に一生懸命働いても、生活保護ラインギリギリの生活を抜け出せない貧困層といわれるワープアは、実際こんなふうに、アメリカの後を追うように、日本でも増加してゆくんだろうなと思った。
世界一豊かな超大国は、一方で凄まじい数の貧困層を抱える国でもある。また、当然この国の労働社会は日本以上にシビアであり残酷な一面も持ち、その絶望の大きさに比べて希望があまりにも少ないように僕には思えた。
読み終えて、僕はまずタメイキ。そして、まだまだ日本は良い国なのではないかと思った。それほど酷いと思った、このアメリカの底辺ってやつは。
貧しい者が更に追い込まれるようにできてる。市場原理があまりにも優先されすぎてる。セーフティネットを行き渡らせる努力がなさすぎてる。矛盾を諦めた絶望色のPOOR。
どうしてもどうしても、「恵まれている」かどうか、にかかってくるよね。
五体満足で健康であること。両親が健在であること。兄弟姉妹がいること。持ち家があること。学校に通わせてもらえたかどうかということ。
一見当たり前で普通の環境がいかに奇跡的でかけがえがないのかということを再認識する。
運不運が公平ならば、「恵まれている」層はたとえ何か不幸なことが起きたときでもその傷が浅く、「恵まれている」ものの大きさに比例して、結局は救われうるのだ。
しかし「恵まれていない」層は、同じように何か不幸なことが起きたとき、大ダメージを受け、即座にピンチに陥ってしまう。
リストラされたとき、再就職のための学歴やスキルや資格や教養の差。
子どもができたとき、託児先や子育ての助言や支援のコミュニティーの差。
住宅環境の差。教育環境の差。
急な出費のとき、預貯金の差。
いざというとき、頼れる先の数の差。
あらゆるストレスへの精神的余裕度の差。
そして、「恵まれない」環境で経過する時間こそが、更にその差を維持し、また拡大を加速させてゆく。
豊かな国の貧困問題は多様で複雑だ。或る「恵まれない」部分が、別の「恵まれない」部分と複雑に絡みつき、潜在的な貧困を顕在化させる要因に繋がってゆく。「恵まれない」層は、恵まれている層に比べ、あまりにも不測の事態に弱く、世間の荒波に脆く、社会の底辺に沈みやすい。豊かな国の貧困問題において、配慮されにくい不幸な部分がこれだ。
少なくとも、ワーキングプアに対して何か言えるのなら、
あらゆる人に健康で教養のある両親や兄弟姉妹を、確かな不動産を、質の高い学校教育や職業訓練を、頼れる友達を、住宅やコミュニティーを、精神的余裕を、あまねく与えたまへ、なのだ。
筆者のいうように、保守にもリベラルにも扱いにくい部分がこれだと思った。
アメリカ庶民の実態に、ジャーナリストが深く細かく踏み込んだ、とてもよいルポルタージュでした。
人間は都合良くない。
神になんかなっちゃいけない。
人の気持ちを推し量った上での自分の主張でなければ、
かつて自分が傷つけられたように、いまの相手を傷つける。
あの頃の自分が強いわけなかったこと知ってるから、
いまの誰かが弱いせいだなんて言えやしない。
すきな人どうしでもケンカする。
嫌いな人どうしでも尊重しあってるとこある。
欠点も含めて人は魅力的なんだ。
都合の良いものだけが都合良く自分を理解してくれることなんてない。
言葉は発言となり、発言は独り言でない限り他人を巻き込むものだから、
自分の言動に責任を持つことができるレベルでは、とりかえしのつかないことだけは避けるべきだ。
僕は一人一人のささやかな幸福を喜びたいだけだ。
神になんかなっちゃいけない。
人の気持ちを推し量った上での自分の主張でなければ、
かつて自分が傷つけられたように、いまの相手を傷つける。
あの頃の自分が強いわけなかったこと知ってるから、
いまの誰かが弱いせいだなんて言えやしない。
すきな人どうしでもケンカする。
嫌いな人どうしでも尊重しあってるとこある。
欠点も含めて人は魅力的なんだ。
都合の良いものだけが都合良く自分を理解してくれることなんてない。
言葉は発言となり、発言は独り言でない限り他人を巻き込むものだから、
自分の言動に責任を持つことができるレベルでは、とりかえしのつかないことだけは避けるべきだ。
僕は一人一人のささやかな幸福を喜びたいだけだ。
彼は僕の希望そのものでした
2007年5月7日栃東が。
あの栃東が。
僕の希望で在り続けた不屈の力士が、
何度だって甦ってきた不屈の力士が、
今日土俵人生に静かに終わりを告げた。
身体に恵まれなかった小兵力士。
並外れた怪力も、。
ずばぬけたスピードもない。
華麗な相撲技も、派手なパフォーマンスもない。
ただ基礎だった。基礎中の基礎を極めた玄人相撲は、相撲ファンは幾度も唸らせた。
君が魂でつくりあげた相撲がすきだった。
技術と精神力こそが君を勇敢な大関たらしめた。
あなたは希望でした。
新入幕のときからずっと見ていた、あなたの相撲が本当にすきだった。
溢れる相撲魂を、長い間本当にありがとう。
おつかれ、栃東。
あの栃東が。
僕の希望で在り続けた不屈の力士が、
何度だって甦ってきた不屈の力士が、
今日土俵人生に静かに終わりを告げた。
身体に恵まれなかった小兵力士。
並外れた怪力も、。
ずばぬけたスピードもない。
華麗な相撲技も、派手なパフォーマンスもない。
ただ基礎だった。基礎中の基礎を極めた玄人相撲は、相撲ファンは幾度も唸らせた。
君が魂でつくりあげた相撲がすきだった。
技術と精神力こそが君を勇敢な大関たらしめた。
あなたは希望でした。
新入幕のときからずっと見ていた、あなたの相撲が本当にすきだった。
溢れる相撲魂を、長い間本当にありがとう。
おつかれ、栃東。
セカンドハウスライフ 4日目
2007年5月6日降雨。菜園に水をやる手間がはぶけたわい。
屋内で片っ端から音楽をかけながらまったり。
今年のGWはえらくリラックスしたもんだ。
明日帰ります。
シャバでは何か変わったこと起きてるかな。
カープは勝ってるかな。
はあ〜っ、帰りたくない。永住したい。
屋内で片っ端から音楽をかけながらまったり。
今年のGWはえらくリラックスしたもんだ。
明日帰ります。
シャバでは何か変わったこと起きてるかな。
カープは勝ってるかな。
はあ〜っ、帰りたくない。永住したい。
セカンドハウスライフ 3日目
2007年5月5日サイクリングしました。超のどか〜。近くの川には釣り人もちらほら。
夕涼みしながらのビールは最高ですなあ。
夏は庭にテーブルでもおいて屋外テラス風にすればいいな。
持ってきた本はあらかた読んじゃいました。
持ってきたCDは全部聞いちゃいました。
参考書やら勉強道具も持ってきたんだけど、こんなのどかではまったくやる気がおきないっ。
はひ〜、まったりング。
夕涼みしながらのビールは最高ですなあ。
夏は庭にテーブルでもおいて屋外テラス風にすればいいな。
持ってきた本はあらかた読んじゃいました。
持ってきたCDは全部聞いちゃいました。
参考書やら勉強道具も持ってきたんだけど、こんなのどかではまったくやる気がおきないっ。
はひ〜、まったりング。
セカンドハウスライフ 2日目
2007年5月4日
まるで暇でまったりです。何もする必要のない時間って、どうしてこんなに幸せなのでしょう。
読書と昼寝の傍ら、持ち込んだノートPCのデスクトップとフロッピーの整理をしました。昔書いた文章やらレポートやらあらかた整理しました。よくこんだけどうでもいいこと延々と書き続けられたもんだなあと思いました。大学時代は興味持ってた教育社会学だけはたくさんやったのですね。まるで役には立たないの承知で。
相変わらず静かです。人もほとんど見かけないね。ネット環境さえ充実してればマジ1ヶ月くらいひきこもりングを検討するのだけど。
写真は我が家の菜園です。トマトやらタマネギやらニンジンやナスやらよりどりみどり。
はあ〜、まったりング。
読書と昼寝の傍ら、持ち込んだノートPCのデスクトップとフロッピーの整理をしました。昔書いた文章やらレポートやらあらかた整理しました。よくこんだけどうでもいいこと延々と書き続けられたもんだなあと思いました。大学時代は興味持ってた教育社会学だけはたくさんやったのですね。まるで役には立たないの承知で。
相変わらず静かです。人もほとんど見かけないね。ネット環境さえ充実してればマジ1ヶ月くらいひきこもりングを検討するのだけど。
写真は我が家の菜園です。トマトやらタマネギやらニンジンやナスやらよりどりみどり。
はあ〜、まったりング。
セカンドハウスライフ
2007年5月3日
GW後半は都会を離れ、ど田舎で過ごすのです。
房総ラブリーの両親が去年千葉の奥地に買ったセカンドハウスにレッツラゴン♪
大原まで出て、いすみ鉄道(写真)に乗り換え。
田んぼの中を突っ切る素敵な超ローカル線。廃線になりそうなときは反対運動しなくちゃ。
某駅から30分ほどてくてくと田んぼが広がる道を歩き歩き到着。
うーん。まあなんてのどかなとこでしょう!
周り田んぼしかないよ。鳥と蛙の鳴き声しかしないし。静養療養にはもってこい。
TVもネットも新聞も無し。読書か散歩かお茶か昼寝かというまったり生活。あらすーばらしー。時間の流れがゆっくりです。慣れない人には耐えられんかもしれんが僕にはピッタシ。
まあなんせ千葉ですから、軽く来られるかんじですし。これからもちょくちょくひきこもりにいく予定です。みなさんいつでもご招待しますよ〜。
房総ラブリーの両親が去年千葉の奥地に買ったセカンドハウスにレッツラゴン♪
大原まで出て、いすみ鉄道(写真)に乗り換え。
田んぼの中を突っ切る素敵な超ローカル線。廃線になりそうなときは反対運動しなくちゃ。
某駅から30分ほどてくてくと田んぼが広がる道を歩き歩き到着。
うーん。まあなんてのどかなとこでしょう!
周り田んぼしかないよ。鳥と蛙の鳴き声しかしないし。静養療養にはもってこい。
TVもネットも新聞も無し。読書か散歩かお茶か昼寝かというまったり生活。あらすーばらしー。時間の流れがゆっくりです。慣れない人には耐えられんかもしれんが僕にはピッタシ。
まあなんせ千葉ですから、軽く来られるかんじですし。これからもちょくちょくひきこもりにいく予定です。みなさんいつでもご招待しますよ〜。
ゴールデンtakebono
2007年5月2日明日からGW後半ということで。
千葉のセカンドハウスにひきこもってきます。療養。静養。
思いっきりゆったりまったり。
しばらくネットは繋げません。
帰ってから更新します。
ではまた〜。
千葉のセカンドハウスにひきこもってきます。療養。静養。
思いっきりゆったりまったり。
しばらくネットは繋げません。
帰ってから更新します。
ではまた〜。
平和で幸せな一日
2007年4月30日九段下のしょうけい館に行きました。リスペクト水木しげる大先生のソウルに震えまくり。
人間の在り方がそこにはあるなあと。
すぐそばの昭和館にも行きました。リスペクト手塚治虫先生の特別展やってて。でソウル震え。
『来るべき世界』の生原稿は神。
戦争だけはごめんです。
有楽町で映画観てきた。
そんでケーキ食べた。
もーうれしかた。たのしかった。
あやめめし。
ァハ。たのし。
人間の在り方がそこにはあるなあと。
すぐそばの昭和館にも行きました。リスペクト手塚治虫先生の特別展やってて。でソウル震え。
『来るべき世界』の生原稿は神。
戦争だけはごめんです。
有楽町で映画観てきた。
そんでケーキ食べた。
もーうれしかた。たのしかった。
あやめめし。
ァハ。たのし。
僕たちは何のために現実を見る
2007年4月29日 ひとりごとくだらない二元論に振り回される前に
とにかく人の声を聞いてみることなんだろう
僕には何かを否定できる力さえ無い
自分を目一杯肯定するだけで精一杯だからな
初めてじゃないけど
こんな思い
理想なんかいらない
現実を変えたい
とにかく人の声を聞いてみることなんだろう
僕には何かを否定できる力さえ無い
自分を目一杯肯定するだけで精一杯だからな
初めてじゃないけど
こんな思い
理想なんかいらない
現実を変えたい
何かがわからなくて迷うときは
どちらも悪くはないはずだと
そう思えるくらいの自信はあるようだ
どちらにも喜びがあり後悔があるのは
実は素敵なことなのだ
だから
他人に決められたことで後悔するのだけは絶対にいやだ
自分で決めて選んだことにだけ後悔したい
その人を信じる自分を信じてる
こんな自分を信じてくれている人を信じてる
自分の在り方がいまその全てへの敬意なんだ
他者の声を、むしろ自分に届かせるように、耳をすましてる
僕は正面から何もかも見守れるような人間になりたいなと思う
どちらも悪くはないはずだと
そう思えるくらいの自信はあるようだ
どちらにも喜びがあり後悔があるのは
実は素敵なことなのだ
だから
他人に決められたことで後悔するのだけは絶対にいやだ
自分で決めて選んだことにだけ後悔したい
その人を信じる自分を信じてる
こんな自分を信じてくれている人を信じてる
自分の在り方がいまその全てへの敬意なんだ
他者の声を、むしろ自分に届かせるように、耳をすましてる
僕は正面から何もかも見守れるような人間になりたいなと思う