『東京ゲストハウスLife―270軒以上の路線別物件ガイド付き!!』

先月ねこのぷうたんが天国にいったことで、かつて「猫屋敷」とまでいわれた我が家の猫たちもあとはとうとうミキティただ一匹になりました。うちの両親はどうやらミキが死んだら引っ越しを考えてるようでございます。

パラサイトでもよいけれど、これを機に家を一度出るのもいいかもねんと。
千葉のセカンドハウスにひきこもるか、いよいよ地方行きか、夢のルームシェアリング実行か、じゃなければホームレスしかないやがなー、と思っていたけれど、
角田光代の『東京ゲストハウス』を読んでから、ゲストハウスLifeというのもなかなか良いなと。そう思ってこの本読んだ。
悪くない。
ユースホステルの長期滞在型のようなかんじ。
悪魔の地価を誇る東京で、地獄の賃貸で尚生き延びたいのなら、こんな選択肢も考えられるわけだ。
ニーズのマッチがマーケットを生むンだから。
ゲストハウスはそのうちTVかなんかで取り上げられるかもしれん。またしても多様化時代というわけだ。
金無しとコミュニティー愛好家は御一考。ルームシェアよりよい面もある。あーりーうーるー。
流れるように
SKさんとビリヤードで遊んだ。

その後ラーメン食べてたら雪が降ってきて5分で降り止んだ。

夜中O君とネット麻雀で遊んだ。

やれやれだらだらが止まらない。
◇金城一紀『GO』
普通におもろかた。こうゆうポップノベルもよいね。映画は観てませんがね。青春小説は元来すきなほうなのだ。

−都内の私立高校に通う「在日コリアン」で23戦無敗の僕は、ダンスパーティーで素敵な「在日ジャパニーズ」の女の子に出会い恋に落ちた。
ただでさえわかんねえ自分のことを、アイデンティティーとかいうやつが切り刻む。そんなときはきまって僕は拳を振るう。
どこへゆくのか。どこへゆけばいいのか。

「おまえらが俺のことを《在日》って呼びたきゃそう呼べよ。おまえら、俺が恐いんだろ? 名前をつけなきゃ安心できないんだろ? …名前を呼びながら近づいてきてみろよ、おまえらの頸動脈に飛びついて、噛み殺してやるからな。おまえら、俺を《在日》って呼び続けるかぎり、いつまでも噛み殺される側なんだぞ。

…俺は何者だ?俺は『在日』でも、韓国人でも、朝鮮人でも、モンゴロイドでもねえんだ。俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることも嫌なんだよ。俺は俺であることからも解放されたいんだ。俺は俺であることを忘れさせてくれるものを探して、どこまでもいってやるぞ

GO!takebono!
大手町の経団連会館まで、東京新聞主催の景気シンポジウムというやつにいってきた。
去年も今頃も行ったやつね。反吐が出たやつ。
そうでした。去年の今頃日銀は量的緩和策を終焉させたのでした。

今回はテーマ「働く喜び」。まあ、まあまあ。まあ一般論にすぎないトーキングを延々と聞いてきたわけだが。
なんといいますか。
僕が興味あることや聞きたかったことってのは、経済界からすれば自分らの領分じゃないってことなんだね。経済システムの弊害は政治システムに丸投げしますと公言してるかんじ。
実にささやかな基準値の賃金ラインと余暇と健康に暮らせる保障さえ守られていれば、ただそれだけで幸せになれる人がどんだけいるんだろと思っていたんだけど。
都合の良い夢の煽り方と、都合の良い現実の押し付け方をしといて、破綻した後で原点に戻ろう、みたいな。
遠い遠いお話。
ピンとこないのは当たり前なんだ。
チャックルイスのリードジャブよりも遠いところから、殴られてるんだから。
ため息にもならぬ。
愚かでもいい。誠実な生き方や真っ当な闘いをしたいもんだ。

夜はMM氏とSD君とKT氏とSK兄という天然メンツで飲み。
どの方も所謂個性的で優しい人たちなので、やっぱSちんと話させてみたかったな。
とてもたのしかったです。
Nセンセの回復を待って、巨頭会談の早期再開が望まれておりますな。

フルムーン

2007年3月14日 読書
花村萬月『あとひき萬月辞典―花村萬月ベスト・アンソロジー』
あれ?画像がない…。

萬月のエッセイ、どことなくMM氏の文体に似ていませんか?
雰囲気ちゅうか。

そもそも少しイカれた人ですね。おもろいわあ。
いつだって現実に脅え、
いつだって自分自身と闘っていたかんじ
無知に守られて
笑顔に癒されて
その向こう側を見ながらも
心臓がぶっ壊れるんじゃあないかと思いながらも
ピンチを切り抜けるたびに僕は強くなる
この先も生きる勇気があるのなら、
どんな種類の不毛だって力になる
今までは目にさえ映らなかった
必死に生きている人たちを尊敬する
かりそめのカリスマ
わがソウル

かつて心臓の鼓動にさえ僕は脅えていたっけ
いまは恐怖を恐怖のまま受け止めてやることができてるか
◇角田光代『空中庭園』
角田光代はやっぱどこかしらすきだなー。文章がすきなのかなー。げにめずらしい僕のお気に入りかも。

−郊外のダンチで暮らす京橋家のモットー「何ごともつつみかくさず」。でも、透明なドアをひとりひとりが閉ざしている。 秘密をつくらないための秘密がそれぞれにある。
「家族」とは何か?
誰もが営もうとするこのコミュニティー。
ショッピングモールに人々が集うみたいに、
消費主権として個人を確立し尚、
人はそこに人の生命の形を見る。
今この一瞬のバラバラな集合体。

短編連作の家族小説。それぞれの立場の物語。うまいな。

まったり日

2007年3月11日
昼下がりにSKさんと将棋を指してカラオケいってゲーセンいって卓球いってラーメン居酒屋で飲みー。いやリラックスリフレッシュできた。

即物的な娯楽消費で溢れている世界。
心を充たす熱いものはないけれど、
足湯っぽい気持ち良さにはマッタリ。

馴染めないのが生産消費世界。
かといって追求するリアルもなく、
おもしろければそれでよく、

社会不適応者の自分だってちゃんとこの世を生きれてる。
自分の幸福を認め始めた。

僕の居場所を守るため、
小さな希望を守るため、
本当に誠実に生きている人たちに失礼のないように、
僕は僕のできることを考えていくだけ。
みんなで語り合えるようなシンプルな前向きなものを、創ってゆくだけ。
いまも尚生きてて楽しぃ。

けっざい

2007年3月10日 読書
山崎好裕『目からウロコの経済学入門』
うわ、うわしゃー。
ようやく理解した。
無知はその100倍だってこと。

Nっちゃんに数学のテキスト借りました。

ばかだなー。
ばかだねー。
無駄無駄無駄無駄……

あまいッッ。
あまいぞtakebono。

現実を見れ。
ぐわわわ〜〜ん。

本当はね、人一倍弱気なんです。
常にびびッてっからいつも元気だそうとしているの。
打たれることに、人一倍の過剰防衛をしてしまうの、とかいうと笑われたりー。

それでもいッか。

ヨユーの形。

充実だらけ。
後悔だらけ。

もう少し、
もう少しだけ待ってくれまいか。
これは覚悟とも違う気がする。

出来損ないの人間が、
自分の弱さにまた気付く
夢を見る前に思っていたこと
生きる勇気をほしがっていたこと

内田樹『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』

売らんかな本見え見えの割には珍しく、まあまあすーっと読ませてくれたかな。
頷く箇所は多かったがウーンと。
自分のことを言われているようでムムム無無と。

親のみならず、もはや子ども自体が、「高給取りレース」における教育サービスにおいて「賢明な消費者」であろうとしてる。だけどその背景は結局ヒエラルキーピラミッドと市場価値商品経済バーチャル世界でしかない。「商品」の価値を適切に理解し、いち早く選択を行える環境にいる子どもだけが、自分が「教育を受ける意味」を知りうるのだ。
「不快」を代償に、我慢してるだけの子どもは、やはり現実認識が不足しているから終わっていくわけだけど。
でも、
現実に期待させることがそもそも難しい、なと思ってしまうのだがな。
そもそも「教育」は残酷な真実であり、罪ではないか。

やっぱり出来レースだと思う。一生をかけた出来レースだ。
誰が何を憂おうが、これは総体や結果としての流れなのだ。

良き労働者になるためか。良き消費者になるためか。国民全員でこの国の市場経済を守ってゆくためなんだろうか。
それでもいいんだけどさ、
僕があの頃先生に教えてほしかったことは、
この国で僕たちは幸せになれるのかどうか、ということだった気がします。

経済社会から排除される人が増えることが教育問題になるのなら、
それこそ誰が何のために何かを学ぼうとするのだろうか。
教育はとっくに自殺してたんじゃん。

自分の生活のことを、多かれ少なかれ皆考えてる。
落ちこぼれのプライドも、
ニートの気楽さも、
現実の前には、ちっぽけで。

だから僕は、在る、と思うんよ。
それらを満たし、且つ個々に普遍的な知の体系というやつが。
それは、
争いや犯罪に巻き込まれないで平和に誠実に暮らす方法。
自分で自分の生活を守る力だったと思う。

賃金を稼ぐ能力、だけじゃない。
自分の生活立場にとってベストな政策を行う政府を、適切に選ぶことのできる政治意識。
争いや犯罪を回避する、権利や法律の知識。
人生を豊かにするための、教養と健康。

学ばなければならないことと、
学びたいこと、
一致してるものは絶対ある。

その上で、
知らなくてもよかったことと、
知ってよかったことが、
どっちも未知の中にあるということも認めてあげたい。
幾らでも在る真実を、都合の良し悪しで見たり見なかったり、見させられたり見させられなかったりしてるんだから。
◇金原ひとみ『オートフィクション』
相変わらずイカれてやんの。面白くなかった。でも現代ってこれだなー。そうゆう意味では共感もする。若い人は読めばいいと思う。

−私はオートフィクション(自伝風小説)を書き始める。これは彼女が殺した過去の記録であり、過去に殺された彼女の記録でもある。きっと全ては破綻した。全ては神になった。彼女の物語がいま世界をえぐる。

都心で

2007年3月6日コメント (1)
靖国神社と北の丸公園と皇居周辺を歩きました。
鳥居は大っきいー。
お堀は大っきいー。

美しい国の象徴地か。
都の心か。
神聖さと厳かさをすきになるくらい、ナショナリズムが歪んでいなければ。

僕は愛を誇りたい。
国よりも、神よりも、いま僕には好きな人がたくさんいるんだ。

鳥居をくぐれば異空間。
僕はソウルを再確認したの。

職場にて

2007年3月5日 お仕事
今月いっぱいで辞めることを伝えようとした矢先、
正式なクラス授業受け持ちを任されてしまった。
「ひとつ頑張って下さい」だと。タイミング最悪。
低賃金が若干増えるけど、
これで多少メンドーになった。

せっかくだし、市場価値競争最前線にも一度は立ってみたかったし、
来年度途中で辞める予定ということにして、そう伝えた。

てなわけで、
今年の夏くらいまでには今の仕事を辞めまする。
一度やってみたかった職業だったからよかったな。また一つ夢が叶ったわけだ。充分すぎるほど楽しめたよ。
心残りはもちろんカラフルダーク少女A。あとくだらんことばっか語る背伸び少年E。あと野球ファン友達になった少年T。僕の指関節を真逆に折り曲げようとしたイカれ問題児少年N。唯一未だ心を開いてくれない少女M。
みんなみんな愚かなガキンチョで、僕はすっげー好きだ。
君たちは間違いなくこの国の本当の宝物だ。最後まで面倒見たかったけど、
君たちの未来をもっともっと見てみたかったけど、
それだけ残念なんだね。もー少しでサヨナラだぜお前ら。
まーまだ時間はあるか。最後まで楽しみ尽くしてみっか。

やっとわかったわ。
僕はやっぱり子どもが好きだった。
そしてやっぱり「教育」は死ぬほど嫌いだった。


どれもこれも人生。
端金も貯まったし、仕事辞めた夏には外国放浪してくるかね。
本日のSOMAはミラクルフルメンバ。
KAZUYAたん、isaonono氏、KWT氏、SK兄、Nっちゃん、KT画伯、MTR氏、そして吾輩takebono。
いいかげんホームアリーナが狭いなー。スペースがないからフットサルにならんわ。近いうち試合を組まないと。

MTRくんと夕飯食べながら語った。彼はハチャメチャ。タバコやめろ。

KT画伯がサイフ忘れて取りに戻ってきました。このうっかり者めー。

8時からKAZUYAたんとK−1観ました。武蔵引退か。角田ありえね。

その後SK兄と自転車こぎながら、過去に彼が警察に逆ギレしたという話をゲラゲラ笑い合ってたら、パトカーが我々の横にすーっときて自転車止められました。つくづくトラブルを呼ぶ男SKさんですな。

つくづく愉快な連中ですなあ。
ぐーだぐだぐだぐーだーらだらだらだーらだら。
こんな一日が超素敵。
なんか幸福。
つくづくスロー。
24時間、非生産非消費、非経済活動。
あー楽。
ふにゃー。
「何にもしていない」時間を、退屈と感じることがない世界が、
僕はこの世で一番幸福な世界だと思うの。
はー。
新しい講師きやがた。
超つまんね男二人。コネクションで呼びやがった。マジ超つっまんねーマジメさん先生。
ビシバシやります、だと。成果主義でもないのに意味不明な教育エゴ。
子どもたちかわいそすぎ。
反吐。
反吐が出た。
一応愛想振りまこかと思ったけど出来なかった。形式的スマイルで速攻逃げてきた。
つくづく僕は教育産業どうしょもねーんだな。
塾講師のくせになにやってやがると非難されても仕方ないほどに。
なんで塾講師なんかやってんやろと思う。やめちまえだ。やめだもーいー加減もー絶対ノー。
だけど僕は人気?1先生なの。えー自称ですが。
でも塾は子どもたちの悩みを聞いてあげる場所でも、コミュニケーションをする場でもないンだよね。悲しいけどコレ産業なのよね。競争最前線なのよね。
だから僕はこの産業戦線にそぐわないダメ先生だってわけさ。
子どもたちと楽しいお話することがすきだからだね。
最近僕の性質見破られてきたからあまり仕事任せてもらえない。
結局甘いのだと思う。好都合なんだけど。
まあ親のニーズに良く応えたとしても、どうせ時給制非正規なんだから、
もちろん要領よくこなすだけで、
モチベーションはゼロいわけだけど。
そもそも不労所得だと思ってる。

教育嫌い。
大嫌い。
この、罪め。
僕に賃金を吐き出し、罪な構造を維持し続ける大罪が。
この産業における正義は、僕がもっとも忌み嫌っていたものだった。

単純な愚痴で終わっていた方がまだマシだ。
不労所得を守るために、どーしょーもねーものを続けている。
近く、いつか、終わらせなければならないことを知っている。
◇角田光代『東京ゲスト・ハウス』。
僕は角田光代のさりげなく良い感じがすきです。僕は小さなストーリーに小さく感動する人間のようだ。

−なんとなく決行したアジア放浪旅から半年ぶりに帰った僕。変わらないはずの恋人は、別の男と暮らしていた。僕は旅先で知り合った女性の一軒家に転がり込む。そこは、行くあてのない人間たちが一時的な共同生活をおくる、旅の途中のゲスト・ハウスのような場所だった。旅の終わりを探す新しい日常が始まった。

僕は独り旅がすきでたまにふらふらと日本中をうろつくことがある。
《ここではないどこか》を見てみたくて旅に出ながら、
自分が帰るべき場所を探すためにも旅を続ける気持ち、よくわかる。
旅先が現実と地続きであることを知ってる。
旅の終わりはいつだって日常の始まりだったから。
だけどなんつうか、あれが夢だったとは思わない。
日常は、つまらない現実なんかではないからだ。
素敵な現実は存在するし何処までも続いているし、
その果てをむしろ夢見ている感じだ。
旅の終わりに思うことこそが夢だったり。

そして旅に出たい。あー旅に出たい。

存在祝い

2007年2月28日 ひとりごと
ホントたまたまなんだけど偶然ブルハツの「HAPPY BIRTHDAY」聴いてたの。「HIGH KICKS」は意外と素敵だったんだ。
N先生お誕生日おめでとー☆
地獄でしたか。僕は楽しかったけどー。
存在が誕生したことへの感謝。喜びの形としてあってもいい。

 いつのまにか生まれてきて
 いつのまにか歩き出す
 さなぎになり 蝶になり
 飛んでいけるんだよ

 生きる人に生まれてきて
 生きる人に勇気はでる
 生きる事はカッコイイ!!

 誕生日おめでとう♪


ぱーん☆−☆

Darwin’s Nightmare

2007年2月27日 映画
巷で話題の衝撃作「ダーウィンの悪夢」観てきた。

人類発祥の地・アフリカ。舞台はタンザニア・ヴィクトリア湖のほとりの小さな町。この小さな町に、頻繁に飛行機が降り立っては飛んでゆく。「魚」を積んでゆくのだ。
半世紀ほど前にヴィクトリア湖に放たれた肉食巨大魚「ナイルパーチ」が、美しい湖の在来種を激滅させ、豊かだった生態系を破壊した。いまこの町はその「ナイルパーチ」の漁と加工業でかろうじて成り立っている。

グローバリズムの悪夢の連鎖。産業の変換がもたらす社会の悲劇。
ナイルパーチ依存に落ちたこの町で、当然のように現れる劣悪な環境と圧倒的な貧困は、暴力とストリートチルドレンを生み、売春とエイズとドラッグを生んで。
映像にはあまりにも救いが無い。

魚を運ぶ飛行機のパイロットに群がる売春婦たち。
食べ物を奪い合い殴り合う子どもたち。
安定した生活のためには、軍隊に入るだけでなく戦争だって必要だと言い切るおっさん。

魚を運ぶためにやってくる飛行機には、アフリカの紛争で使われる武器が積まれ。
加工工場の廃棄物であるナイルパーチの残骸を、人々は食料として漁る。
工場の発泡スチロールを燃やし少年たちはラリって死ぬ。
食料援助の一方で、産業誘致成功に胸を張るEU。

たしかにいまナイルパーチがなくなればこの町は終わる。
だがこれはなんなのだ。
悪夢を続けなければならないという悪夢。

「ナイルパーチ」の切り身は、欧州そして日本に輸出されている。僕たちはそれを食っている。昨日食った白身魚は、この悪夢の負の連鎖から生み出されたものかもしれない。
たったそれだけでも、グローバリゼーションは関係ないだなんて僕たちにはとても言えないのではないだろうかと思う。
僕たちの豊かさが廻りまわって、この国の人々の貧困や飢餓を生み出し、戦争を裏で支え、生態系を崩壊させ、環境破壊を許しているのだと、映像は告げる。まさしく進化論のような「世界の摂理」の連鎖の中。僕たちの食卓と地続きの悲劇。

僕たちは何を見せられ、何を見せられていないのか。
これがグローバリゼーションなのか。ダーウィンの悪夢なのか。
ドキュメンタリ映画だから仕方ないのかも知れんが説明不足で。
僕には何一つわからないけど。
観てよかったと。
心を痛める以前に、僕たちは世界のことを何も知らないのだ。

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