◇京極夏彦『百鬼夜行−陰』。
妖怪シリーズのサイドストーリーの短編集。なかなか面白かった。シリーズ全部読んでても、どの事件のサイドストーリーだったけかと混乱。
すきなのは「目目連」と「煙々羅」かな。
人間の狂気の原点こそ妖怪か。
この世で一番不思議なのは人間。
こんなふうなシリーズのパロディ化を色々考えちった。

人の心のいずこより、妖怪共はあらわれん。
 闇の世界の裂け目より、憑き物共はあらわれん。
 さる魔界とは、すなはち人間界に他ならぬ。
 人は群れなして、渦巻く、いとあやしき、それは百鬼夜行。
 陰の扉が静かに開く。
 京極堂無き、とむらひのゆふべ。

 
あの忌まわしく凄惨な事件の裏で、密かに進行していた10のサイドストーリー。ここに発現。
Sちゃんと御飯食べにいった。会うのは夏以来。また久しぶりになっちったね。
僕が卒業した大学は最近またしてもイメチェンをくわだてているらしい。ちぇーっバカ大学がー。
なんにせよやりたいことやり尽くして早く卒業しーよSちん。そんで共にいろんなことぶつかってこーよ。ねー。これからって時代厳しいけど絶対楽しくもあるからさ。 励まし合ってこーぜ。

そんで、かねてより対談させたかったことを思い出してあのKT画伯をその場に呼んでみた。
思いついたときは「KT氏にSちゃんを会わせてみたかった」だったけど、今回むしろ「SちゃんにKT氏を会わせてみたかった」だった。
昨夜の大暴走から一夜明け上機嫌のKT氏はいろんなこと語ってくれたのでなかなかよかった。

人はどうしてもある程度の固定観念で人を見てしまうから、僕だって結局は絶対にそうだから、だから、自分の情報量キャパ量いわば範疇を、むしろ超えたり度外視するような存在に会わなければ、やっぱりソウルは生まれにくいんだよね。
僕は「出会い」ってのはそうゆうもんだと思うし、ある程度都合良く作動しちまう脳体系の中であっても、ちっぽけでもいいから「出会い」続けることなんだと思うんだよね。
他者になんといわれようと、自分の感動は自分のものやん。
新しいものに出会うってすてきなことだ。
僕は、新しい人やものに出会い続けたくて。そして、人に人を出会わせてやりたいとも思っちょって。
ソウルとソウルを繋ぐことが、僕のソウルでもあるということか。
なんにせよいま一つの時代がきてるぜ。それが僕の中で渦を巻いてやがるよ。
ソウル脳、つくってこ。
KT画伯と昼下がりの高円寺をぶらぶら。
古着屋。アクセサリー屋。古本屋。ふらふら。
まったくまったりする街。
行列のタイ焼き屋でタイ焼き食べて、意味不明な喫茶店で珈琲でまったり。
AさんOくん合流してふらふら。
MM氏合流してMM氏趣味の音楽バーのようなとこでビール。演奏やらダンスやら雰囲気堪能。
その後焼鳥屋でだらだら飲んでたら終電逃して。

こっからが大変。
MM氏、KT画伯、二人の酒乱が大暴走。迷惑行為大連発。ほんとにいやになった。
夜中歩き通してどこまでいけるか、とかいう発想が既におかしーんだよキミタチは。真夜中のウイスキーに、ウイッッ。
奇声をあげながら道々の看板を殴りつけながら疾走するMM氏。奇声をあげながら歩道の植木にダイヴするKT氏。
結局新宿まで歩いてダウン。
どんだけクズなんだっっ。
もーこのメンツで遠出飲みは二度としないからなっ。

でもまー結局たのしかった。
こんな一日もモチロンすきさ。
さよならの日
午後8時20分。
愛する我が家のねこさん・ぷうたんが天国にゆきました。

ここ数ヶ月痩せたり声が変わったりしてたけど、
食欲旺盛で行動も活発だったし、
最後の最後まで元気だった。
昨日も家の外をウロウロしてた。ねこは死期が近づくと死に場所を求めてどっかいっちゃって戻ってこなかったり誰にも知られない場所で死んだりするっていうけど、ぷうたんはいつもと同じように家に戻ってきて、いつもと同じように毛布の上に寝転がって、いつものように眠るように、安らかに息を引き取った。
享年(推定)19歳。天寿をまっとう。
神様ありがと。
楽しい日々をありがと。

酔いが覚めてからtakebono、だだ泣き。だだ泣き。
自分の涙がぽとぽと落ちんの、泣いてる自分の目で見てるなんて、もう。
動揺したくなくて、無意識に気持ち抑えて、こらえてたんだね。ばかだなー。
供養になるかな。天国いけたかなあ。酷いなー。泣きすぎだ。

ねこのぷうたろう。
おまえあつかましかったけど、みんなから愛されてたよ。
いろんなことあったね。物心付いたときから僕の隣にはおまえがいて、わにゃーっと鳴いてて、
どんなときも、どんなときもさー、
僕が最低だったときも、
周り全部敵に見えてたときも、
ひとりぼっちが恐くて、自分も他人も恐くて、うずくまってたときも、
ごろにゃーごろにゃーにゃーにゃー、
おまえだけは僕のそばに寄ってきて。そう、
おまえだけは僕の味方だった。

僕の布団はおまえの布団でもあったね。おまえのぬくもり永遠に残ってるよ。
夢の中で。ごろにゃーご。
さよならー。さよならーぷーたん。マジこれでさよならなんだね。ぷうたん。さよならだよ。僕おまえのこと大好きだったんよ。

天国で、僕のソウルの一部になって、ずっとtakebonoを見守っててくれ。僕の生命をみててくれ。これからの僕をみててくれ。
さよなら。本当にさよなら。
またにゃ。
お受験シーズン。
教育産業はなにかとおおわらわ。
文法中心の英語教育等々。しかし不毛だと知りつつ上に上がるために不可欠。
有意義か無価値かではなく、ただ情報処理能力の鍛錬。
不条理への耐性づくり。比較することでのモノサシづくり。効率の良いレールとピラミッドづくり。
矛盾だらけの世界で生きていくためには、矛盾なんかにかまってはいられないわけですよ。
「豊か」になるために。いつだって。
限られた椅子や、パイの奪い合い。
そうだったっけ。いつだってそうだったっけ。
「競争」の意味自体、わかってる親とわかってない親がいて、わかってる子どもとわかってない子どもがいるわけだ。

なんにせよまるなげ。
教育のまるなげ。
社会のまるなげ。
人生のまるなげ。

子どもたちがメッチャかわいすぎるだけに、
僕らの教育は罪深すぎる。

まあしかしとにもかくにも、
へこたれずがんばった奴らが親の希望に沿った自分の希望通りの学校に合格していく姿は、それでもうれしいことはうれしいわけです。
レールとはいえ、誰も教えてくれない進路を自ら掴み取ったわけだから。祝うわ祝う。おめでとう。

あらゆる意味で、もはや教え子の方が頭がいい。
センター問題なんかもうわかんない。
なんのためにいるのか?
半分くらい賃金のためだったけど、
もはやいい。よいかげん。
ちっちゃい夢また叶って。
そろそろ潮時。
あとなにすっか。

どろろー

2007年2月1日 映画
1000円の日だったので「どろろ」観てきた。
全体的には原作に忠実。2時間に無理矢理詰め込んだ上に若干間延びもいたしかたないかなというところ。

妻夫木さん百鬼丸は期待以上まずまず健闘。回転斬りも義手も目玉落としもなかなかよかったんでないか。一応最初の百鬼丸は「心の目」で見てるわけだから目線とかもちゃんと考慮して演技してたかんじ。
柴咲さんどろろがやっぱりまあ期待通りうわってかんじ。こんなもんやろと。セクシーで美しいどろろですこと。

心臓簡単につくっちゃうのはどうなのかなー。
妖怪はよかったけど、ウルトラマンの怪獣や仮面ライダーの怪人みたいのもいたぞ。いいんかなーあれでー。

ま、よくわからん。よくもなしわるくもなし。
たぶん鬼太郎よりはましだろ。

リングへ

2007年1月31日 読書
昨日に引き続き北島行徳の本。『弾むリング―四角い「舞台」がどうしても必要な人たち』。 外伝、てかんじ。

再認識。
「普通」なんていない。
オンリーワン讃えるわけでもないが。
一喜一憂する基準モノサシが「普通」だってのは虚しいこと。
捨てるとまではいかないけれど、
「普通」に脅える必要はもうないんだよね。
それなのに生き急がされる方向向かされちゃってたな。
一回限りの人生で、
一回限りの今だから、
僕はリングに立ちたいなあ。
僕は僕なりのリングに立ちたいな。
みんなみんな心の不自由な魂の障害者じゃないか。
北島行徳『無敵のハンディキャップ―障害者が「プロレスラー」になった日』。
こないだ観に行った障害者プロレス団体「DOGLEGS」の歴史を、代表・北島行徳が綴った本。なるほどMM氏、これはおもしろい。読んでから観ればまた違った感動があっただろな。

「許されようなんて思わない」(byカイジ)

「しょうがいしゃ」も「けんじょうしゃ」もほんとうはいないよ、と。
ただ現実が僕らを切り離しているだけだと思う。
残酷すぎるのは、
人の痛みや苦しみを何一つもかえりみないリアル社会が、
同情と偽善という免罪符的な幕だけはしっかり被っているということ。

心が不自由なのは、僕らなのだろう。
僕もかつて障害者施設のボランティアをしていたことがある。当時、汚いなと思ったのは、
知的障害者のヨダレだけじゃなくて、
僕らがつくった僕らの社会そのものと、そこに生きる僕らのよくできたエセヒューマニストぶりだった。

「平等」「理解」という大差別。
現実をねじ曲げ、蓋をしながら、五体に満足して生きているのは健常者たちだ。
誰よりも現実と闘わされているのは障害者たちなのに。
無知無力な僕はせめてソウルを誇る。
弱者は弱者だと叫び、愚かは愚かだと叫ぶ。
僕だってハンディだらけなんだ。
どこかしらの立場に立つ意味すらわからない。
わからないから何かを考えてみたいと思う。

ただ僕は格闘技がすきだ。
人間と人間が必死で闘っている姿が好きだ。
一瞬一瞬に命を賭けて闘うから、リングって感動するのだ。
現実と夢が入り乱れる一夜に、
障害者という人間たちの魂を見たこと。
あの感動は忘れないんだろうな。

こころたち

2007年1月29日 読書
中島らも『心が雨漏りする日には』。らもエッセイ。

らもはすごいな。
おもしろすぎ。
くたばれ、うつ病。
「心」を過信しちゃだめなんだな。
それでも「心」に脅えてもだめなんだな。

大丈夫なんだ。
なにもかもうまくゆく。
そんな気がする。

君を守ってあげる。
この世界には僕がいる。

だから、無限のこころたち、
ゆっくりゆっくり息しておくれ。
いまはいつでもないのだから。
R−SOMAでチキチキ記録会やらスポーツやら楽しみまくった後、我が家で飲み。

KAZUYAたん、もービールありがとー。うれしーマジ。
Nっちゃんは心優しき異次元人ぶりを今日も大爆笑披露。
くず親友のAさんOくんと、
地獄闇画伯KT氏と、
酒が飲めないのにワインをやたら飲んでやばくなってる天然人MTR氏とで、
楽しく楽しく飲めました。あはは。ははーははは。

みんな帰ってからKT画伯と2次会しよかと思ったらグルングルンに酔いが回ってきてダウンダウン。KTくんゴメンゴメン。

うーおもれー奴ばっか。
一人ずつサシで飲みてー奴ばっか。
なにこの時代。
たのしすぎ。
ツケはいつ?
もーよーしらん。

徳不孤必有隣

2007年1月27日
徳不孤必有隣
母さんの友人知人のお宅で、なんやよくわからん会合のようなものが開かれてて、若い人来てーご馳走してあげるーというからイェイ♪とtakebonoさんのこのこ出席。
写真はそこのお宅のねこさん。もー元気元気。かわゆい。

そのお宅のキッチンはバーのカウンターみたいになってて、白髪ロン毛とヒゲの超渋いダンディーなおじさんがなんと寿司を握ってくれた。
「趣味で上達したんですよ」
堪能。激うまっ。

このおじさんすっげーカックィーの。
話すことも渋く、広く、優しい。
こんな大人になりたいもんだと思った。

〈徳不孤必有隣〉
(徳のある人は孤独になることはない。その徳を慕って必ず人が集まってくる。有徳を目指す意を込めて−)
おじさんがくれたこの言葉。すんごい素敵。大事に大事にしよ。

「またきてよ。がんばってな」
うー、絶対またこよ。誰かつれてこよ。
いやたのしかった。
朝母さんと話して、
昼間にKTと話して、
その後Nっちゃんと御飯食べに行って話して、
それから仕事行って、ベラベラ適当なこと話して、
夜はSKと飲みに行って話しました。Nっちゃんも合流してホッピーだのカラオケだのなんだかんだあってたのしかった。友達っていいもんだなー。

適当なもんだ。
シンプルな方だ。

単独行動や、黙々としてることもすきだけど、
人と自然な形で話すこともすきなんだね。
人の話を聞くのは元来すきで。
コミュニケーション能力なんぼのもんじゃい。
僕はこれからそうゆう仕事を探そっ。

うすぼけ

2007年1月25日
昨日と今日、なぜかAYUさん家でマッタリしてました。

時が経つのがはやすぎる。
あかん。
あかんて。

ら〜らら。

揺れ動く平和

2007年1月24日 読書
太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』。

「矛盾」を除けば、「普通」になれる?
僕の生も、ソウルも、君の発する声も、誰かが今してる呼吸も、
奇跡という名の矛盾じゃないのか?
矛盾や非合理という、奇跡の価値を、排除しちゃったら、
人は人じゃなくなるって。
わけのわからん本ではあったが、
太田はインテリになってた。

自己を疑う勇気。
正しさを見つめ直し続ける勇気。
簡単に何かを崇拝なんかしちゃいけない。
僕たちは僕たちを、完全に肯定なんかしちゃいけない。
考えて考えて考えて話して話して話し続けること。

矛盾だらけの世界で起きる、
「普通」の戦争と、
混沌とした平和。

十字架に祈るような思いで、
僕は憲法9条を見ているんだよな。

平和に酔いたくないから、起こりうる現実への覚悟もいる。
なんにせよ気持ちよくなんかないよね。
たぶんそれだけ、
平和というやつはものすごいやつなんだ。
きっと命を賭けて、見つめなきゃならないもんなんだ。

世界遺産認定はどうかしらんが、
僕たちにとっての貴重な遺産ではあってほしいな。
戦場で生まれた子どもみたいなもんだ。
KT氏と卓球した。マジ強えぇぁなあぁーKTさん〜。

その後ラーメン食べに行ったり。KT氏の家でぐだぐだ飲んだり。音楽聴いたり。マジ語ったり。
KT画伯という人物は、実際、周囲の評価はパロディーイカレキャラではあるが、非常に本質的で、且つ楽しく話し込める友人の一人だ。スピリチュアルなんか翳さなければもっともっと良い男だと思うのにな。
受験脳が下す合理的な判断は、ピンポイントで、誰よりも論理に説得力があるし、実際回転は速いなと思う。
ただ心がついていってない、という。
心か。心ね。

思いやりや優しさという、ある意味非合理極まりなく愚かなものが、何から生まれるのか、未だわからない。
誰だって僕だってキチガイだっつぅことでもある。

きりがない。きりがないという。その、きりのなさ。
わかってるし。
わかってるんだけど。
いま合理的でなくてもいいじゃんか、ってのもある。
いま馬鹿愚かだって素敵じゃんか、と。

きりのない悲しみを、果てのない人間の弱さを、
共に憤ったり、涙を流したり、ほんの少しだけでも立ち向かったり、できる人。
そんな人を僕は優しいと思い、すきになるみたいだから。
若いことなんてやっぱりわかってるんさ。

間違っているかもしれないけれど、
僕は、他者に優しく在れる人がすき。
賢明な解答と五分五分くらいに、この非合理は食らい付いてくる。
何事もなかったように過ぎたり、終わるとしたって、
それもまた、後悔のない生の使い尽くし方なんだろうと思う。

まるで少年のようなまっすぐなカヲス。
抱きとめたいくらいにあやうい輝き。
僕に余裕があるうちに、
何か、を。

自分の力で考えられるなら、
自分の言葉で話せるでしょっ。
加藤諦三『行動してみることで人生は開ける』。隠れ名著だと。

言葉が力になるときがある。
KT氏に読めといわれたこんな本を読んでみるとそう思う。
いまの僕にはあまり必要がないなと感じたのは、いまの僕がちゃんと精神世界にバランスを取って、幸福と感謝を感じながら生きれてるからなのだろうか。
言葉は、意思だ。
僕が必要としている言葉はこの本の中にはほとんどない。
それでも、僕は読み終わっていろんな人のことを思い出さずにはいられなかった。

普遍的な説得力、というよりも、いわば「理」のコードやリズムのようなものが、それぞれのレベルで共鳴したり一致したりすると、言葉はまた「理」の弊害としての壁を打ち破るのだと思う。
思い込みによって作られてしまった自分を縛る鎖は、また同様に、思い込みによって解けるのだと思う。 自分の殻は結局自分で破るためにある。自ら見た悪夢は自ら終わらせる以外にない。
他人を介在する言葉は、自分のものではないからこそ自分を押してくれるし、自分の力に変わってったりする。
伝播する。
だから言葉は奇跡だと思う。

自分が自分に基づいていると思ったのはいつだったか。
自分の言葉で語ろうと思ったのはいつだったか。
自分に自分なんか存在しないと思ったのはいつだったか。
他者が優しく見えたとき、僕は強くなれた気がした。
何一つ成し遂げられなくても無価値ではないと知ったとき、初めて何かをやってやろうと考えた。
何者かになれなくても構わないと知ったとき、初めて僕は何者かになることができたのだ。
みんな言葉だった。
言葉とは、一瞬で肉体に溶けて染みこんでいくあの湧き水のような、僕のソウルの一部だった。

君と僕は同じ人間ではないのだから。
信じられる? 出会わないという結末だってあったんだよ。
君が生きる意味を本当に求めたとき、世界は君を拒否しない。
いつか死ぬことを信じられるのなら、いま何ができるかも考えられるだろ。
焦らなくても良い。
君の素晴らしさ、知ってるから。
ガンバレなんて言わないから。
いまは、
少しだけ前を向いてみな。
後ろや下を向くよりは、
なにかしら見えるだろ?
なあソウルメイツ。
僕の姿は見えるかい?

希望を詰めたものたちへ
R−SOMAでスポーツ。もうー今年も笑かせてくれるなあKAZUYAたんは。

その後、新宿で大学の同期飲み。
またしてもBちゃん待ちぼうけさせちゃって、マジギレ予想されたのに、Bちゃんヘコんでたからある意味助かった。
S氏ともYY氏とも久しぶりの再会。なんだか大学時代が本当に懐かしかったわ。
トルコレストランでトルコビールをぐびぐび。(写真)

話題の中心は計画中のルームシェアリング。当然だけどそれぞれの状況や条件が違いすぎるから全くまとまらず。「勢いでするものだ」と僕もそう思うけどやっぱりそれだけじゃだめで。なにより今僕はまだ地元でやるべきことややっておきたいことがたくさんたくさんあるんだよね。そう、充実してるんだね今が。
ルームシェアリングは僕の夢。人生それも20代で一回はやってみたい夢。絶対にやってみたいし、いまを逃すともうチャンスはこないかもしんない。でも、今を充実し、決して遠い未来ではない位置づけとしてこの夢をおいておきたいとも最近思ったのだ。
結論から言えば今年は地元にいることにした。だけど1年後或いは2年後、まだ夢が夢のままであれば、僕は夢を叶えに動くだろう。

そして今日の僕、今日の僕は初めて少しだけ、人がときにどうしようもないものと闘う意味のようなものを知った。
思えばあの時や、あの時や、あの時も、
涙は堪えきれずに落ちていればよかったんだと。
誰も彼も、本当に、ちっとも強くなんかない。
僕以外の人は皆、繊細じゃないか。
強がってばかりいたのは、
意味のわからないことをしてたのは、
傷を見られたくないからで、
人が恐くて、人の優しさが恐くて、
触れることも、触れられることも、恐くて、
かつての僕のソウルのように、
触るんじゃねー理解するんじゃねーと叫びながらも、
ひとりぼっちが恐くて恐くて、たまらなくて、
誰かをずっと探してたのかもしんない。

みんな、僕は良い奴で在れてるか?
いま、本当は辛くはないかい?
いま、君がひとりぼっちで、自分の身体を自分で抱きしめてるなら、誰かに話を聞いてほしいなら、
僕がそこにいくよ。
友達だろ。
ソウルだろ。
僕は全ての友達の味方だよ。

親友のBちゃんがバイト先から貰ってきたパンをくれた。
友情の味がして、ソウルが薫った。

絶望はもう充分だよな。
僕ら。
これから。
希望を探そっか。
僕メインプロデュースの小さな企画。今日本番でした。いや大学を思い出した。いろんなことをしたっけなあ。
結果としては、まーまー納得する成功、なのかなあ。
ピンポイント且つ、正面から行った。それがこの場所の価値だし、僕の在り方だと思ってたから。
届いたことは届いたし、可能性は繋いだと思う。
僕が提案しなければ生まれなかった空間と時間、共有したもの。そうゆうものはよかったと思う。

個々相対的に繋がり方を模索するのも大事で。一歩一歩いくのも大事なんだけど、
実際…、実際なんだよな。
それは僕たちなんだよ。
僕たちは本当にリスクを背負えるのか?
フリーライダーに本当に立ち向かえるのか?

犠牲や負担が大きすぎる試みは、むしろ、
参加できる奴とできない奴という壁を生んでしまう。

僕たちは手を繋ぎきれるのか?

なんつうか、なによりも、なによりも、
僕にはまだ見えてない。見えてこない。
真理とかじゃない。在るべき形なんてとんでもない。
なんていうか、希望がだ。
曖昧なものを曖昧にしすぎてる。
無為を肯定していては、意義はあっても伝わらない。
なにより、どーにも見えてこないんだよなー。わっかりづらい。

おしえてほしいものがなにかもわからない。
僕が自分で考えなければならないことがなんなのかもわからない。

なにかがおかしいと思っているけど、
なにがおかしいのかがわからない。

僕らになにができるのか。
僕らになにができないのか。

焦っていると言われても仕方ないだろうな。
現実を目の前に僕ですら揺らいでいる。
信頼してる人はたくさんいるし。甘えたくないけど大ピンチには助けてくれると思うし心強いのだけど。
でもそれ以前に、

僕は僕が余裕をなくすのが恐い。
ソウルの敗北が恐いんだ。


人に優しくできなくなったときの僕には、もう何も価値や意味がなくなっちゃう気がして。

そして、タイムリミットはあると思う。
僕が僕であるタイムリミットはあるんじゃないかと最近思う。
焦らなければむしろ落ち着かない。
長いスパン。積み重ね。数カ年計画。成長と熟成。
みんなわかってるんだけど、

一方で僕のソウルが囁くんだ。
いましかないんだよ、と。

何かを考えてるとき、僕は遠い目になるみたいだ。
僕はきっといまがピークだ。だからこそ思考を止めたくない。
ここ最近、この人は大丈夫だな、心配いらないな、と思ってた人が、結構倒れてってる。
たぶん、何かが凄く、そういう時代なんだと思う。
一方で、何かと心配してたり気遣ってたりしてた人が、自分の足で歩き始めようとしてる。そういうところにも微かな希望を見たりする。

僕も例外ではないだろう。
いつかは僕も敗れ去る。
立ち上がれなくなるときがくるんだろう。

一生は間違いなく一度だから
いつだってせいいっぱい悔いなく生きるしかないのだけど。

なにかね。この時代。
僕たち、もうすでに大人なのに。
確実なものなんか何もなくて。
10代の頃散々苦しめられた「正しさ」ってのはなんだったんかなあと。やっぱり思う。
茶番じゃないのかと叫んだものは、そんなことはない甘い若いお前は何も知らぬと散々否定された末に、いまよくよく見ればやっぱり茶番だった。

このオトシマエをどうつけさせるか。
それだけでボーッとすることもある。
すっげー愚かな僕のソウル。
時間ももうあまりない。
燃え尽きたっていいかもしれない。
間近に迫ったミニ企画のプレ企画というか打ち合わせというか打ち合わせることなんかほとんどないけど小さな会議。

大学を思い出す。こんな風なワクワクはそのものだ。
あーでもないこーでもないと。
少数精鋭タイプの民主主義。

自主ゼミを思い出す。
教職課程を思い出す。
学部のイベントを思い出すな。

「正しさ」に挑む。
いつだって、現実の切り取り方の多様さを知ることだった。

真実はいつも一つじゃないからなあコナン。

無力を実感する挑戦と知って、だけどやめない。
無知の知を力に、
ぶつけなければ、
ぶつからなければ、
動いたことにすらならないのだ。

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