忘れたものを忘れましょう
2006年12月8日コメント (2)R−SOMA忘年会でした。もうハチャメチャ。
SOMAのリニューアルとかムエタイとかバンドとか、SK君のバイオレンストーリーや、神の子NGさんの伝説話なんかを笑い転げながら話してた記憶があります。なんせ天井が低かった。焼酎が美味しかった。めちゃくちゃ。
2次会カラオケ。もうハチャメチャ♪
MM氏例の如く暴れ出し。我々は狭い室内入り乱れ。クァー!だのキィキィキィー!だのワァーッッ!だの。めちゃくちゃ。
いやいやいや。笑い転げすぎ。
あぁーブルーハーツで喉を痛めたわいつもそうだけど。
いや実際SK君いたらとんでもないことになってたわよ。
たのしかったー。
たのしかったー。
いやー、一年早かった。
忘れた忘れた日頃の憂さを。
大切なものも忘れそうだなあ。
そーだそーだケータイ見つかって良かった。
ブログにのっけるために写真結構撮ってたのに、ろくなのがありませんっ。写真なしっ。
SOMAのリニューアルとかムエタイとかバンドとか、SK君のバイオレンストーリーや、神の子NGさんの伝説話なんかを笑い転げながら話してた記憶があります。なんせ天井が低かった。焼酎が美味しかった。めちゃくちゃ。
2次会カラオケ。もうハチャメチャ♪
MM氏例の如く暴れ出し。我々は狭い室内入り乱れ。クァー!だのキィキィキィー!だのワァーッッ!だの。めちゃくちゃ。
いやいやいや。笑い転げすぎ。
あぁーブルーハーツで喉を痛めたわいつもそうだけど。
いや実際SK君いたらとんでもないことになってたわよ。
たのしかったー。
たのしかったー。
いやー、一年早かった。
忘れた忘れた日頃の憂さを。
大切なものも忘れそうだなあ。
そーだそーだケータイ見つかって良かった。
ブログにのっけるために写真結構撮ってたのに、ろくなのがありませんっ。写真なしっ。
とかく兎角に人の世は住みにくいしぃ
2006年12月7日 ひとりごとわからないし、わかるものではないし、わかってもいけないのだと思う。それでも知らず知らずのうちにわかった気になっていたり、わかることがさも良いことかのように振る舞ったり。
自分は豊かさを享受している。
安心や平穏に埋もれちゃだめだな。
もうつまらぬ箇所にもひっかからない。
声を聞いてあげることと、
寄り添ってあげることは、
ただ僕らに許された
人への優しい優しい触れ方
僕はみんなのことすきだよ。
これだけは全く変わらない。
優しい人がすき。僕以外のあらゆる人に対し、より優しく在れる人がすきです。
KTくんのヘッドの回転。
どうにかして、生かし活かしきりたいな。
みんな活かしきれてないんじゃないかな。
これを活かすフィールドこそが求められているし、これが活きてくれば素晴らしいのにな。
いずれにせよ僕が殺させない。
タイムリミットは来てる。いましかないのもわかってる。
なにかしたいな。
ビール飲み過ぎやん!
自分は豊かさを享受している。
安心や平穏に埋もれちゃだめだな。
もうつまらぬ箇所にもひっかからない。
声を聞いてあげることと、
寄り添ってあげることは、
ただ僕らに許された
人への優しい優しい触れ方
僕はみんなのことすきだよ。
これだけは全く変わらない。
優しい人がすき。僕以外のあらゆる人に対し、より優しく在れる人がすきです。
KTくんのヘッドの回転。
どうにかして、生かし活かしきりたいな。
みんな活かしきれてないんじゃないかな。
これを活かすフィールドこそが求められているし、これが活きてくれば素晴らしいのにな。
いずれにせよ僕が殺させない。
タイムリミットは来てる。いましかないのもわかってる。
なにかしたいな。
ビール飲み過ぎやん!
僕たちのリアル未来を賭けた、僕の一部のその一分 の?
2006年12月6日 戯言戯言諸々その他「そもそも、労働の商取引化や雇用の融解現象は、競争に勝ち抜くための効率化に向けた企業戦略である。景気は回復しても、競争関係を激化させる経済社会構造が維持される限り、この流れが解消されると考えることは非現実的だ。これを食い止める方法は、新しい経済に対応して競争を抑制する労働システムを新たに構築する以外にない」(『労働ダンピング』p38)
非正規雇用の拡大が、全ての根源的破滅を招いている。
僕は頭が悪りぃから、根本的なことを中心に話す。それは、一体何が起きているのかということと、それがなぜ問題なのかということだ。
まず、雇用契約の有期化である「有期雇用」が増大していることがそもそもの問題だということだ。短期間でその都度更新を繰り返す雇用契約形態は、解雇と労働条件のダンピングを容易にさせた悪魔のシステムだ。契約更新時に時給ダウンと労働条件の変更が宣告され、飲めなければクビ、というケースが後を絶たない。解雇予告手当の負担も、残期間賃金も雇用者側は回避できるという。労働基準法の正常機能以前に、雇用自体が既に破壊されている。3ヶ月や半年で更新がやってくる「細切れ契約」に至っては、労働者はブタコマ切れ肉並みの扱いを受ける。
実際この有期契約におけるダンピングは、訴訟でもイカれた判決が下りてる。結局、契約次第なのだから、どうしても労働者側が弱い。逆に言えば、正規雇用というものは企業にとって凄まじいリスクを背負ってるものなのだ。しかし、リスクを背負いたくなければ経営者にならなければいいのだからやはり容赦はしない
そして非正規雇用は不安定の上に低賃金である。非正社員は、正社員と同じ労働をしながらもその半分の賃金しか支払われない。何もかもが格差とワーキングプアを生む土壌になるわけだ。とりわけ現代の若者の半分近くは非正規雇用であります。お先真っ暗だね。
責任の押し付けや長時間労働やサービス残業が嫌だという程度の理由なら、決して非正規雇用を選択すべきではない。同一労働同一賃金が守られない日本雇用社会では非正規雇用はイコール貧困層への道なのだ。「退職金、ボーナス、有給、諸処の手当、社会保険」は、やはり正社員の特権なのである。最近では、正社員の残業代を節約するために、派遣労働者にだけ残業をさせる企業すらあるのだ。
非正規雇用者は決して能力が低い労働者ではない。努力が足りないわけでもない。むしろ彼らは貴重な戦力として扱われていることさえある。なぜなら非正社員の増加は、正社員との入れ替えで起きているからだ。能力云々の話は二次的なものなのですね。コスト戦争の現実の前には、「再チャレンジ」などデタラメな題目として社長さんにも笑われている。
市場原理である。悪魔のような雇用の有期化もダンピングも、健全な市場原理であるという。その健全な原理とやらに多くの人々が殺されかけている。いわば必要悪に殺されかけている。
いま要るのは、目新しい政策でも、そのための財源論議でもない。現行で存在する権利や制度を、正しく行使・利用できる、政治的社会的なシステム整備だ。経済と社会制度の正常な機能だ。
非正規雇用はもはや終わってるけど、じゃあ正規雇用は恵まれた層なのかといえばやっぱりそうじゃない。労働力が非正規雇用にシフトした分、正規雇用もダンピングの洗礼を受ける。
長時間労働とサービス残業はまあ当たり前として。ノルマや成果主義はまだいいのかもしれない。近年では、「自爆」と呼ばれる、ノルマ未達成分が労働者負担として課せられるという驚愕の実態まで露見している。さらに最近は「ホワイトカラー・エグゼプション」と呼ばれる悪魔の構想が進行中だ。これは要するに、ホワイトカラーが無制限の労働時間を押し付けられるものなのだけど、労働の概念から「労働時間」の存在が弱く成りつつあるというのは本当にゾッとする。
際限無きダンピング競争の中での労働力とは、非正規雇用を「切り捨て」「使い捨て」だとすれば、正規雇用は「丸投げ」「過重責任」である。いずれにせよまっとうに働く者が泣きを見る時代である。
年金?少子化? そんなもの、おまけに出てきた問題でしかない。
この現実をみろ。
何を憂うべきか。
何を守るべきか。
何もしなければ生活は良くはならない。
非正規雇用の拡大が、全ての根源的破滅を招いている。
僕は頭が悪りぃから、根本的なことを中心に話す。それは、一体何が起きているのかということと、それがなぜ問題なのかということだ。
まず、雇用契約の有期化である「有期雇用」が増大していることがそもそもの問題だということだ。短期間でその都度更新を繰り返す雇用契約形態は、解雇と労働条件のダンピングを容易にさせた悪魔のシステムだ。契約更新時に時給ダウンと労働条件の変更が宣告され、飲めなければクビ、というケースが後を絶たない。解雇予告手当の負担も、残期間賃金も雇用者側は回避できるという。労働基準法の正常機能以前に、雇用自体が既に破壊されている。3ヶ月や半年で更新がやってくる「細切れ契約」に至っては、労働者はブタコマ切れ肉並みの扱いを受ける。
実際この有期契約におけるダンピングは、訴訟でもイカれた判決が下りてる。結局、契約次第なのだから、どうしても労働者側が弱い。逆に言えば、正規雇用というものは企業にとって凄まじいリスクを背負ってるものなのだ。しかし、リスクを背負いたくなければ経営者にならなければいいのだからやはり容赦はしない
そして非正規雇用は不安定の上に低賃金である。非正社員は、正社員と同じ労働をしながらもその半分の賃金しか支払われない。何もかもが格差とワーキングプアを生む土壌になるわけだ。とりわけ現代の若者の半分近くは非正規雇用であります。お先真っ暗だね。
責任の押し付けや長時間労働やサービス残業が嫌だという程度の理由なら、決して非正規雇用を選択すべきではない。同一労働同一賃金が守られない日本雇用社会では非正規雇用はイコール貧困層への道なのだ。「退職金、ボーナス、有給、諸処の手当、社会保険」は、やはり正社員の特権なのである。最近では、正社員の残業代を節約するために、派遣労働者にだけ残業をさせる企業すらあるのだ。
非正規雇用者は決して能力が低い労働者ではない。努力が足りないわけでもない。むしろ彼らは貴重な戦力として扱われていることさえある。なぜなら非正社員の増加は、正社員との入れ替えで起きているからだ。能力云々の話は二次的なものなのですね。コスト戦争の現実の前には、「再チャレンジ」などデタラメな題目として社長さんにも笑われている。
市場原理である。悪魔のような雇用の有期化もダンピングも、健全な市場原理であるという。その健全な原理とやらに多くの人々が殺されかけている。いわば必要悪に殺されかけている。
いま要るのは、目新しい政策でも、そのための財源論議でもない。現行で存在する権利や制度を、正しく行使・利用できる、政治的社会的なシステム整備だ。経済と社会制度の正常な機能だ。
非正規雇用はもはや終わってるけど、じゃあ正規雇用は恵まれた層なのかといえばやっぱりそうじゃない。労働力が非正規雇用にシフトした分、正規雇用もダンピングの洗礼を受ける。
長時間労働とサービス残業はまあ当たり前として。ノルマや成果主義はまだいいのかもしれない。近年では、「自爆」と呼ばれる、ノルマ未達成分が労働者負担として課せられるという驚愕の実態まで露見している。さらに最近は「ホワイトカラー・エグゼプション」と呼ばれる悪魔の構想が進行中だ。これは要するに、ホワイトカラーが無制限の労働時間を押し付けられるものなのだけど、労働の概念から「労働時間」の存在が弱く成りつつあるというのは本当にゾッとする。
際限無きダンピング競争の中での労働力とは、非正規雇用を「切り捨て」「使い捨て」だとすれば、正規雇用は「丸投げ」「過重責任」である。いずれにせよまっとうに働く者が泣きを見る時代である。
年金?少子化? そんなもの、おまけに出てきた問題でしかない。
この現実をみろ。
何を憂うべきか。
何を守るべきか。
何もしなければ生活は良くはならない。
僕たちのリアル未来を賭けた、僕の一部のその一分 の?
2006年12月5日 戯言戯言諸々その他引き続き労働問題論を論じます。
かつて僕は長期休みのときなどに工場で働いたことがある。単純作業の労働というのは、あれはあれで僕に不向きなようであって、ときに興味深いものだった。ある工場では、非能率的に仕事をする人がたくさんいて、そんな状況が普通に慣習としてまかり通っていた。普段でさえそうなのだから、仕事の少ない時期などはより非生産的な労働状況になるという。あくまで正社員が、である。そうつまり雇用というのは、雇用者側の利潤追求のためにだけあるのではなく、個々の労働者の生活の保障手段でもあったのだ。もちろん生産性が上がらなければいずれ競争に敗れていくわけだけど、そんなことは労使交渉なり協調なりして煮詰めていくべき問題なのであって、雇用本来の意義とは別問題なのだ。
僕が言いたいのは、生活保障としての本来の雇用の意義のことだ。その根本自体が破壊されているということなんだよ。
経営やら経済的合理性に適う形で、かつては「聖域」と言われた人件費に手が付けられている。やはり外国人やフリーターを非正規雇用として雇い入れ、仕事の多い時期にだけ派遣労働者を使えば、それが経営者としてコスト戦争を生き抜く「正しい経営」なのだと僕だって思う。だが故に、雇用は破壊される。生活を守るために、この国の憲法が保障する権利を行使しようと思うならば、僕たちは「正しい経営」にこそ牙をむかなくてはならないのだ。
繰り返しだが、雇用は守られるべきものだ。倒産より優先させなければならないものであるとさえ僕は思う。倒産が増え失業率は上がるけど、僕ら底辺には本来そういうことは関係がない。むしろ失業保険の拡充を政府に求めるべきなのだ。明日の生活が守られて初めて、僕らにとって雇用の意味は存在する。僕らの生活破壊という犠牲の上に、倒産が減り失業率が下がっても、僕らが痛みに耐えられなければそれは本末転倒なことではないか。愚かで不毛な人間たちが死んでゆくことは、経済にとって効率的なことなのかもしれないけれど、僕らにとっては悪夢だ。愚かで不毛な人間である僕らにとっては悪夢だ。例え企業が死にかけていても、人材という「聖域」だけは守らなければいけなかった。こんな景気回復がくることもわかっていたくせに。もう多くが遅すぎるのだけど。
いま労働現場は激変している。この国の3人に1人の労働者は非正規雇用になった。この異常事態は、暴走した経済の要請であり、国がそれをガンガン推進した結果でもある。「雇用の融解」は90年代から着々と進み、かつて安定していた雇用社会はいま崩壊へ向かい、今日の絶望的状況を生み出してきた。
単純明快である。正社員を減らし、非正社員にすげ替えること。要するに不況を脱するための人件費戦争とは、労働者に対し賃金だけではなく、退職金とボーナスと、保険及び諸処の手当を、払わずに済ませること、なのである。
その最たるものが派遣業だ。必要なときに必要なだけ労働力を供給する超効率システムは、雇用本来の意義を完全に破壊した。
今日の悪夢は、具体的には86年施行の労働者派遣法が、職業安定法では違法であった労働者供給事業を「労働者派遣」という形で合法化させたことに始まる。これにより、人間が業者間の「商取引」の対象となることが合法化された。働き手のリスク増大の一方で、ユーザー側は労働力を自由に「使い捨て」できるという最大のメリットを得た。労働条件をダンピングし、正社員雇用をストップし、派遣労働者にシフトするのである。
コスト戦争のためにやむをえなかった悪夢というわけだが。ふざけるな、だ。
そう、だからこそ労働者派遣法はそもそも労働者派遣を規制した法律だったのである。派遣対象業務は政令指定の専門業務に限定されていたのだ。今日の悪夢の元凶は、政府が進めたその政令指定業務の規制緩和にある。何もかもが僕ら末端を地獄に追い込んでゆくように時代は用意されている。かくして、人間のダンピング競争は始まってしまった。
「聖域」は崩れ、神話は崩壊を続けている。僕らはもう「労働」というものをタヴー視してはならない。現実をしっかりと見つめなければいけない。誰もが経済社会の中で自分なりの居場所を確保しなければならないと考える故にだ。そして取り返しのつかない破壊を食い止め、破壊者と闘わなければならないだろう。僕ら愚かな末端の生活を守るためにだ。
これは誰もが意識しなければならないシンプルな闘いの意味だ。狂ったように回転を続ける市場経済からは多くの人が逃げることはできないからこそ、僕は労働というものに向き合うことに容赦や妥協をしてはならないと考える。
働くことは、生きることである。(『労働ダンピング』)
かつて僕は長期休みのときなどに工場で働いたことがある。単純作業の労働というのは、あれはあれで僕に不向きなようであって、ときに興味深いものだった。ある工場では、非能率的に仕事をする人がたくさんいて、そんな状況が普通に慣習としてまかり通っていた。普段でさえそうなのだから、仕事の少ない時期などはより非生産的な労働状況になるという。あくまで正社員が、である。そうつまり雇用というのは、雇用者側の利潤追求のためにだけあるのではなく、個々の労働者の生活の保障手段でもあったのだ。もちろん生産性が上がらなければいずれ競争に敗れていくわけだけど、そんなことは労使交渉なり協調なりして煮詰めていくべき問題なのであって、雇用本来の意義とは別問題なのだ。
僕が言いたいのは、生活保障としての本来の雇用の意義のことだ。その根本自体が破壊されているということなんだよ。
経営やら経済的合理性に適う形で、かつては「聖域」と言われた人件費に手が付けられている。やはり外国人やフリーターを非正規雇用として雇い入れ、仕事の多い時期にだけ派遣労働者を使えば、それが経営者としてコスト戦争を生き抜く「正しい経営」なのだと僕だって思う。だが故に、雇用は破壊される。生活を守るために、この国の憲法が保障する権利を行使しようと思うならば、僕たちは「正しい経営」にこそ牙をむかなくてはならないのだ。
繰り返しだが、雇用は守られるべきものだ。倒産より優先させなければならないものであるとさえ僕は思う。倒産が増え失業率は上がるけど、僕ら底辺には本来そういうことは関係がない。むしろ失業保険の拡充を政府に求めるべきなのだ。明日の生活が守られて初めて、僕らにとって雇用の意味は存在する。僕らの生活破壊という犠牲の上に、倒産が減り失業率が下がっても、僕らが痛みに耐えられなければそれは本末転倒なことではないか。愚かで不毛な人間たちが死んでゆくことは、経済にとって効率的なことなのかもしれないけれど、僕らにとっては悪夢だ。愚かで不毛な人間である僕らにとっては悪夢だ。例え企業が死にかけていても、人材という「聖域」だけは守らなければいけなかった。こんな景気回復がくることもわかっていたくせに。もう多くが遅すぎるのだけど。
いま労働現場は激変している。この国の3人に1人の労働者は非正規雇用になった。この異常事態は、暴走した経済の要請であり、国がそれをガンガン推進した結果でもある。「雇用の融解」は90年代から着々と進み、かつて安定していた雇用社会はいま崩壊へ向かい、今日の絶望的状況を生み出してきた。
単純明快である。正社員を減らし、非正社員にすげ替えること。要するに不況を脱するための人件費戦争とは、労働者に対し賃金だけではなく、退職金とボーナスと、保険及び諸処の手当を、払わずに済ませること、なのである。
その最たるものが派遣業だ。必要なときに必要なだけ労働力を供給する超効率システムは、雇用本来の意義を完全に破壊した。
今日の悪夢は、具体的には86年施行の労働者派遣法が、職業安定法では違法であった労働者供給事業を「労働者派遣」という形で合法化させたことに始まる。これにより、人間が業者間の「商取引」の対象となることが合法化された。働き手のリスク増大の一方で、ユーザー側は労働力を自由に「使い捨て」できるという最大のメリットを得た。労働条件をダンピングし、正社員雇用をストップし、派遣労働者にシフトするのである。
コスト戦争のためにやむをえなかった悪夢というわけだが。ふざけるな、だ。
そう、だからこそ労働者派遣法はそもそも労働者派遣を規制した法律だったのである。派遣対象業務は政令指定の専門業務に限定されていたのだ。今日の悪夢の元凶は、政府が進めたその政令指定業務の規制緩和にある。何もかもが僕ら末端を地獄に追い込んでゆくように時代は用意されている。かくして、人間のダンピング競争は始まってしまった。
「聖域」は崩れ、神話は崩壊を続けている。僕らはもう「労働」というものをタヴー視してはならない。現実をしっかりと見つめなければいけない。誰もが経済社会の中で自分なりの居場所を確保しなければならないと考える故にだ。そして取り返しのつかない破壊を食い止め、破壊者と闘わなければならないだろう。僕ら愚かな末端の生活を守るためにだ。
これは誰もが意識しなければならないシンプルな闘いの意味だ。狂ったように回転を続ける市場経済からは多くの人が逃げることはできないからこそ、僕は労働というものに向き合うことに容赦や妥協をしてはならないと考える。
働くことは、生きることである。(『労働ダンピング』)
ゴミソウルトリオで飲み。
こんな外れの外れの空間の酒気もまたいいのではないか。
全てを無視した天才画伯が言う。
すげえ、毎日、何かがある
変わらないものなどない。
自己増殖する自己に合わせて、世界を拡大させること。
震えるくらい素敵な生き方ができれば、あとなんにもいらない。
時間が足りない。時間が足りない。
でも感謝できることが幸福だとも思う。
あの日の約束のように、
いま僕は素晴らしく生きている。
こんな外れの外れの空間の酒気もまたいいのではないか。
全てを無視した天才画伯が言う。
すげえ、毎日、何かがある
変わらないものなどない。
自己増殖する自己に合わせて、世界を拡大させること。
震えるくらい素敵な生き方ができれば、あとなんにもいらない。
時間が足りない。時間が足りない。
でも感謝できることが幸福だとも思う。
あの日の約束のように、
いま僕は素晴らしく生きている。
師走SOMA
2006年12月3日ぐっだぐだに朝まで飲んでたのでもうぐっだぐだ。
久々に体育館でSOMA活動。
久々に体を動かしましたなあ。
今年ももう残り僅かですなあ。
レッズが優勝し。
セーム・シュルトが連覇した、と。
あーららあらら。
もう残り僅かなのだから、なんにせよ好き放題やってまおう。
久々に体育館でSOMA活動。
久々に体を動かしましたなあ。
今年ももう残り僅かですなあ。
レッズが優勝し。
セーム・シュルトが連覇した、と。
あーららあらら。
もう残り僅かなのだから、なんにせよ好き放題やってまおう。
年忘れソウルフル巨頭会談
2006年12月2日 ソウルその他
忘年会というわけでもないが。
ソウルフル巨頭が集いしtakebonoゴミ部屋飲み。
N先生の荒技キリンビールのケース買いは最高に素敵!(写真)ますます惚れますよ、Nねーさん。
モツ鍋で一杯。
美味いワインやのー。
今宵も夜は更け、我々はだらだらと語り合うのでした。
なんて素敵なんだ。
ほら楽しい。こんなに楽しいのさー。
奇跡に乾杯。
酒乱エモーショナルソウルDJサクソフォーンドラゴニックファンタジスタミュージシャンMM氏。
慈愛猫愛たわばトキワカリスマンガ漫画家N先生。
ダークフォース妄想狂ヘポポ教マドロミ死神天才アーチストKT画伯。
そしてお馴染み我らがヘボーンメシア、ソウルフルずぶねリストクズゴミュニティー作家takebono。
どこまでもくだらないことも。
どこまでも真面目なことも。
たくさんたくさんお話しできるからこの巨頭たちすきさ。
僕には、
MM氏みたいに、音楽に刻むうるものもないし、
N先生みたいに、マンガで創造することももうないし、
KT画伯のように、絵に叩き込むこともできないけど、
あるならば、言葉だ。
僕はやっぱり言葉がすきだ。
人と人を繋げる、シンプルで力強く、決して負けない、魂のこもった言葉がすきだ。
ものを書くのもすきなんだけど、それ以上に僕は人と話すこともすごいすきなんだ。
僕が世界と向き合うために選んだソウルは、言葉の価値なんだ。
限られた自由を、限りなく生き尽くすための、僕のコア。
結局朝まで飲んだった。
N先生優しいっ。素敵だなあ。
KT画伯、暖房のリモコンを箱の中に隠したでしょ。意味不明なくだらんことすなっ!
はあ楽しかったっ。
ふらふら。でもまた飲みたいっ。
ソウルフル巨頭が集いしtakebonoゴミ部屋飲み。
N先生の荒技キリンビールのケース買いは最高に素敵!(写真)ますます惚れますよ、Nねーさん。
モツ鍋で一杯。
美味いワインやのー。
今宵も夜は更け、我々はだらだらと語り合うのでした。
なんて素敵なんだ。
ほら楽しい。こんなに楽しいのさー。
奇跡に乾杯。
酒乱エモーショナルソウルDJサクソフォーンドラゴニックファンタジスタミュージシャンMM氏。
慈愛猫愛たわばトキワカリスマンガ漫画家N先生。
ダークフォース妄想狂ヘポポ教マドロミ死神天才アーチストKT画伯。
そしてお馴染み我らがヘボーンメシア、ソウルフルずぶねリストクズゴミュニティー作家takebono。
どこまでもくだらないことも。
どこまでも真面目なことも。
たくさんたくさんお話しできるからこの巨頭たちすきさ。
僕には、
MM氏みたいに、音楽に刻むうるものもないし、
N先生みたいに、マンガで創造することももうないし、
KT画伯のように、絵に叩き込むこともできないけど、
あるならば、言葉だ。
僕はやっぱり言葉がすきだ。
人と人を繋げる、シンプルで力強く、決して負けない、魂のこもった言葉がすきだ。
ものを書くのもすきなんだけど、それ以上に僕は人と話すこともすごいすきなんだ。
僕が世界と向き合うために選んだソウルは、言葉の価値なんだ。
限られた自由を、限りなく生き尽くすための、僕のコア。
結局朝まで飲んだった。
N先生優しいっ。素敵だなあ。
KT画伯、暖房のリモコンを箱の中に隠したでしょ。意味不明なくだらんことすなっ!
はあ楽しかったっ。
ふらふら。でもまた飲みたいっ。
カラフルダークの少女かく語る
2006年12月1日 ソウルその他「かわいくなくない?って使いますよね?
え?実際?かわいくないんですよ。まずくない?って聞くじゃないですか。だから、まずくなくない?も普通にありますよねぇ。
で、試験?はあ…まあまあでした。
あ、あれ出ましたよ。ス、スラ、…スターリン。
え?トロツキー?…は出なかったですハイ。
先生、「ウバタマ」って知ってますか? え?植物?種子?そうなんだ。え、なんかそれでハイになれるらしいんですよ。あ、あとバナナの皮から幻覚剤つくれるらしいんですよ。…え?やってないですよー。でもそゆこと考える人すごいですよねー。
なんか、ただの何でもない粉飲んでハイになれる人もいるらしいんですよ。え?プラシーボ?へー。はー。
人間の思いこみってすごいんですねー。脳?あーなるほど。
目と耳どっちか器官失うならどっちがいいですか? え?あたし絶対耳。音楽聴きたいし。ピアノやってんですよあたし。
知覚?夢?あーあたしこないだお姉ちゃん死ぬ夢見たんですよ。でも起きたら泣いてたんですよー。そー。悲しくて。
こないだー、「女性専用車両」初めて乗ったんですよー。そう時間帯のやつ。え?あーもう女ばッかですよー。そー。一人くらいオカマもいるかと思ったんですけど、いないンですよー。超キモいですよ女ばっかりって。そんで変な女が「全時間帯さー女性専用車両にしろよー」とか言ってんの!もうバカですよ。それでイライラッですよハイ。だから今普通にラッシュにのまれてますよ。女性の視点?はあそんなもんですよ。
イラつくことってありますか? え?政治?ハア。あたし小学生の時、選挙カーがスピーカーやかましくて家の前演説しながら通ってて、ベランダから「うるせんだよーー!!」ってキレて叫んだんですよ。そしたら「すみません申し訳ありません」ってスピーカーで候補者に謝られたんですよ。そんでそのあとお母さんにむちゃくちゃ怒られたんですよー。でもね、あとでお母さん笑ってました。ハハ♪」
え?実際?かわいくないんですよ。まずくない?って聞くじゃないですか。だから、まずくなくない?も普通にありますよねぇ。
で、試験?はあ…まあまあでした。
あ、あれ出ましたよ。ス、スラ、…スターリン。
え?トロツキー?…は出なかったですハイ。
先生、「ウバタマ」って知ってますか? え?植物?種子?そうなんだ。え、なんかそれでハイになれるらしいんですよ。あ、あとバナナの皮から幻覚剤つくれるらしいんですよ。…え?やってないですよー。でもそゆこと考える人すごいですよねー。
なんか、ただの何でもない粉飲んでハイになれる人もいるらしいんですよ。え?プラシーボ?へー。はー。
人間の思いこみってすごいんですねー。脳?あーなるほど。
目と耳どっちか器官失うならどっちがいいですか? え?あたし絶対耳。音楽聴きたいし。ピアノやってんですよあたし。
知覚?夢?あーあたしこないだお姉ちゃん死ぬ夢見たんですよ。でも起きたら泣いてたんですよー。そー。悲しくて。
こないだー、「女性専用車両」初めて乗ったんですよー。そう時間帯のやつ。え?あーもう女ばッかですよー。そー。一人くらいオカマもいるかと思ったんですけど、いないンですよー。超キモいですよ女ばっかりって。そんで変な女が「全時間帯さー女性専用車両にしろよー」とか言ってんの!もうバカですよ。それでイライラッですよハイ。だから今普通にラッシュにのまれてますよ。女性の視点?はあそんなもんですよ。
イラつくことってありますか? え?政治?ハア。あたし小学生の時、選挙カーがスピーカーやかましくて家の前演説しながら通ってて、ベランダから「うるせんだよーー!!」ってキレて叫んだんですよ。そしたら「すみません申し訳ありません」ってスピーカーで候補者に謝られたんですよ。そんでそのあとお母さんにむちゃくちゃ怒られたんですよー。でもね、あとでお母さん笑ってました。ハハ♪」
僕たちのリアル未来を賭けた、僕の一部のその一分 の?
2006年11月30日 戯言戯言諸々その他「人間の労働が“物件費”に組み込まれ、商品以上に買い叩かれる。競争に競り勝って仕事を得ても、正社員とのポスト争いで泥沼。働く職場がダンピング攻勢にさらされている。有期雇用・派遣・パート・偽装請負…雇用の液状化現象が働き手を襲う」(『労働ダンピング』)
「食べていけない」「自立できない」「結婚できない」「健康に生きてゆけない」
今後増大するワーキングプア及びその予備軍たちの声である。
今さらここでの格差問題自体の論議はしない。今後予測される恐るべき事態とは、既に「格差拡大」などではない。もはやそれは「貧困化」問題なのだ。
市場原理による景気回復を褒め称えながら、一方で沸き起こる膨大な嘆き叫びを増加させざるをえない労働環境を許すことで、いったい未来に何がもたらされるというのか?
それは、活力ある社会とかいうものとはまったく似ても似つかない破綻である、と筆者は言う。
僕は思う。
例えば世界の片隅には、もうどうしようもなく貧しく凄惨な生き方を運命付けられている人々が、これでもかというくらいいるはずだ。僕たちの豊かな社会は、豊かさの中でまた意味不明な「貧困化」を抱え、それでも経済成長路線を走り続けている。僕の思っていることはいつだって狭い世界のちっぽけなことなのだろう。
僕の非正規雇用先の職場は個人経営に近い。どこもそうだろうけど厳密に見れば労働基準法違反だらけだ。takebono阿修羅面を〈怒り〉にすれば勿論いくらでも僕は利害を正当に主張し雇用主に噛み付くことができる。でも一方で職務は楽でありむしろ楽しいときさえある。つまり僕自身が、少しくらいの不条理な違法は大目に見ているわけでもある。
それもパワーバランスなのだろうと思う。
前近代社会のように、ムチで殴られて僕らは強制労働させられているわけではない。
それこそ笑顔で。
頼み込まれたり。
泣き落としさえ使われて。
サービス残業を初めとする、違法で不当で卑怯で不条理な労働環境はそうやって、惰性や馴れ合いの部分で維持されているケースだってあるのだ。
「ここぞというとき、そんな急所…、悪魔はみな、優しいのだっ」(by涯)
強者と弱者それぞれにある、愚かさと醜さを、しっかり見つめるときがきている。
コスト戦争の中では、派遣やパートを酷使し、或いは何らかの違法やら偽装までしなければ、競争には勝てないし、倒産するのだろう。それもわかる理屈だ。だけど、だからといって、末端は黙って殺られるわけにもいかない。
「そうさ、ライオンに襲われたシカは逃げるだろう。逃げることがシカの戦いなんだ。悪魔が天敵でも、人間は全力で戦わねばならない」(by飛鳥了)
なにより、綺麗事を言ってる場合じゃなくなるのはこれからなのだ。
枯渇したソウル。生命のインフレ。
そして人間のダンピング。
今後の熾烈極まる経済戦場で、僕らが悲劇を生むことなく生き延びることを考える。
生活を破壊してまで成り立たせなければならない雇用社会など、僕は認めないし選ばない。
省み、顧みるときがきている。
「食べていけない」「自立できない」「結婚できない」「健康に生きてゆけない」
今後増大するワーキングプア及びその予備軍たちの声である。
今さらここでの格差問題自体の論議はしない。今後予測される恐るべき事態とは、既に「格差拡大」などではない。もはやそれは「貧困化」問題なのだ。
市場原理による景気回復を褒め称えながら、一方で沸き起こる膨大な嘆き叫びを増加させざるをえない労働環境を許すことで、いったい未来に何がもたらされるというのか?
それは、活力ある社会とかいうものとはまったく似ても似つかない破綻である、と筆者は言う。
僕は思う。
例えば世界の片隅には、もうどうしようもなく貧しく凄惨な生き方を運命付けられている人々が、これでもかというくらいいるはずだ。僕たちの豊かな社会は、豊かさの中でまた意味不明な「貧困化」を抱え、それでも経済成長路線を走り続けている。僕の思っていることはいつだって狭い世界のちっぽけなことなのだろう。
僕の非正規雇用先の職場は個人経営に近い。どこもそうだろうけど厳密に見れば労働基準法違反だらけだ。takebono阿修羅面を〈怒り〉にすれば勿論いくらでも僕は利害を正当に主張し雇用主に噛み付くことができる。でも一方で職務は楽でありむしろ楽しいときさえある。つまり僕自身が、少しくらいの不条理な違法は大目に見ているわけでもある。
それもパワーバランスなのだろうと思う。
前近代社会のように、ムチで殴られて僕らは強制労働させられているわけではない。
それこそ笑顔で。
頼み込まれたり。
泣き落としさえ使われて。
サービス残業を初めとする、違法で不当で卑怯で不条理な労働環境はそうやって、惰性や馴れ合いの部分で維持されているケースだってあるのだ。
「ここぞというとき、そんな急所…、悪魔はみな、優しいのだっ」(by涯)
強者と弱者それぞれにある、愚かさと醜さを、しっかり見つめるときがきている。
コスト戦争の中では、派遣やパートを酷使し、或いは何らかの違法やら偽装までしなければ、競争には勝てないし、倒産するのだろう。それもわかる理屈だ。だけど、だからといって、末端は黙って殺られるわけにもいかない。
「そうさ、ライオンに襲われたシカは逃げるだろう。逃げることがシカの戦いなんだ。悪魔が天敵でも、人間は全力で戦わねばならない」(by飛鳥了)
なにより、綺麗事を言ってる場合じゃなくなるのはこれからなのだ。
枯渇したソウル。生命のインフレ。
そして人間のダンピング。
今後の熾烈極まる経済戦場で、僕らが悲劇を生むことなく生き延びることを考える。
生活を破壊してまで成り立たせなければならない雇用社会など、僕は認めないし選ばない。
省み、顧みるときがきている。
僕たちのリアル未来を賭けた、僕の一部のその一分
2006年11月29日 戯言戯言諸々その他
何か学びたいと思ったとき、大した紆余曲折も経てはいないのだけど。僕はやっぱり雇用問題に戻ってきてしまった。
矛盾と混沌だらけのこの世界で、自分の無力はもう当たり前のことだと気付いてから、正しさとは何か?なんて問うまでもなく、奪われ殺されてゆくのは実のところ僕らなのだということにも気付いてしまった。だからいまの僕は、自分たちの力で自分たちの生活を守っていくことに対し、もはや何の躊躇いもなく意志を向けられるのだ。
中野麻美『労働ダンピング』を読んで思ったのは、そんなシンプルなことだった。
僕はこの世界において、もう子どもではいられないのだ。汚く卑劣で卑怯すぎて頭の良すぎる大人達と闘うために、僕は大人になりたいと初めて思った。たとえ馬鹿でも愚かでも、心から優しい人間達と、共に成長しこの社会に責任を持ち、そして豊かで有意義な人生を過ごしていきたい。この綺麗事には、押し通すだけの意義がある。僕はそこに価値を認めたのだ。
かつて僕は『雇用破壊』を中心に雇用・労働問題を論じた。そのほとんどは、決して必要悪とみなされることのない経済効果たちだった。構造が必然的に生む悲劇は、何の対策もなく放置され、むしろ予定調和の想定内として、社会の崩壊を押し進めている。雇用破壊は、生活と社会の破壊であると僕は断言する。
もちろん暴動も飢餓も起こりはしないだろう。だけどこれは、僕らが僕らの力で僕らの社会を、そして僕ら自身の生活を守っていけるかどうかというシンプルな問いなのだ。庶民の雇用社会を守ること。目を背けようと思えばいくらでも背けられるけど、それはみんなどこかでツケになっていく。
いま景気拡大期?こんな景気回復を認めるわけにゃいかない。
終身雇用は崩壊し、格差は拡大し、社会保障は削られ、自己責任が叫ばれている。不安定雇用は増殖し、生活保護は倍増し、社会の衰退は加速している。これからの社会では、能力の高い者はよりチャンスを広げ、能力の低い者はより地獄を見ることになる。被雇用者のほとんどにあたる末端労働者は、その多くが使い捨てられ、酷使させられ、逃げ場もなく、落下したくなければ底辺をはいずり回るしかなくなる状況は確実に来る。かといって、今日の末端労働者には正当な権利を行使する力もなければ、利害を一致させ団結するすべもない。痛覚に鈍感な日本の末端も、これからは発狂するまで奪われ続ける時代がやってくる。
ふんぞり返って見ているだけの、君も、君も、君も、ツケを払わされるだろう。
僕は東京下町でどうしようもなく暮らすゴミに近き一般市民である。大層な思想も理屈も持ち合わせていない。ただこの狂った経済社会の中で、市場原理やら競争淘汰の下で、殺され殺し合わされながらも、これからの僕の立場は、どうしたって景気回復のおこぼれにはありつけないのだということを既に理解してしまったのである。
願うのは、健康で文化的な最低限度の生活だ。
望むのは、革命でもなく、画期的な政策アイデアでもなく、ヒーローの誕生でもない。
僕は、現在世界において、必要最低限僕らに許され、法律等が認めている権利なるものを、僕ら自身が主体的に、自力で、行使するために、立ち上がり動くことだけに、いま希望を見ている。
そうだ。正々堂々と生き延びてやるんだ。殺されてたまるか。
これは、これからの経済社会に殺されてゆく下流たちの、そして例外なく僕も含む、誰にとっても決して他人事ではありえない、ほとんどの末端賃金労働者の未来を賭けた闘いの、その序章における僕の一分である。
矛盾と混沌だらけのこの世界で、自分の無力はもう当たり前のことだと気付いてから、正しさとは何か?なんて問うまでもなく、奪われ殺されてゆくのは実のところ僕らなのだということにも気付いてしまった。だからいまの僕は、自分たちの力で自分たちの生活を守っていくことに対し、もはや何の躊躇いもなく意志を向けられるのだ。
中野麻美『労働ダンピング』を読んで思ったのは、そんなシンプルなことだった。
僕はこの世界において、もう子どもではいられないのだ。汚く卑劣で卑怯すぎて頭の良すぎる大人達と闘うために、僕は大人になりたいと初めて思った。たとえ馬鹿でも愚かでも、心から優しい人間達と、共に成長しこの社会に責任を持ち、そして豊かで有意義な人生を過ごしていきたい。この綺麗事には、押し通すだけの意義がある。僕はそこに価値を認めたのだ。
かつて僕は『雇用破壊』を中心に雇用・労働問題を論じた。そのほとんどは、決して必要悪とみなされることのない経済効果たちだった。構造が必然的に生む悲劇は、何の対策もなく放置され、むしろ予定調和の想定内として、社会の崩壊を押し進めている。雇用破壊は、生活と社会の破壊であると僕は断言する。
もちろん暴動も飢餓も起こりはしないだろう。だけどこれは、僕らが僕らの力で僕らの社会を、そして僕ら自身の生活を守っていけるかどうかというシンプルな問いなのだ。庶民の雇用社会を守ること。目を背けようと思えばいくらでも背けられるけど、それはみんなどこかでツケになっていく。
いま景気拡大期?こんな景気回復を認めるわけにゃいかない。
終身雇用は崩壊し、格差は拡大し、社会保障は削られ、自己責任が叫ばれている。不安定雇用は増殖し、生活保護は倍増し、社会の衰退は加速している。これからの社会では、能力の高い者はよりチャンスを広げ、能力の低い者はより地獄を見ることになる。被雇用者のほとんどにあたる末端労働者は、その多くが使い捨てられ、酷使させられ、逃げ場もなく、落下したくなければ底辺をはいずり回るしかなくなる状況は確実に来る。かといって、今日の末端労働者には正当な権利を行使する力もなければ、利害を一致させ団結するすべもない。痛覚に鈍感な日本の末端も、これからは発狂するまで奪われ続ける時代がやってくる。
ふんぞり返って見ているだけの、君も、君も、君も、ツケを払わされるだろう。
僕は東京下町でどうしようもなく暮らすゴミに近き一般市民である。大層な思想も理屈も持ち合わせていない。ただこの狂った経済社会の中で、市場原理やら競争淘汰の下で、殺され殺し合わされながらも、これからの僕の立場は、どうしたって景気回復のおこぼれにはありつけないのだということを既に理解してしまったのである。
願うのは、健康で文化的な最低限度の生活だ。
望むのは、革命でもなく、画期的な政策アイデアでもなく、ヒーローの誕生でもない。
僕は、現在世界において、必要最低限僕らに許され、法律等が認めている権利なるものを、僕ら自身が主体的に、自力で、行使するために、立ち上がり動くことだけに、いま希望を見ている。
そうだ。正々堂々と生き延びてやるんだ。殺されてたまるか。
これは、これからの経済社会に殺されてゆく下流たちの、そして例外なく僕も含む、誰にとっても決して他人事ではありえない、ほとんどの末端賃金労働者の未来を賭けた闘いの、その序章における僕の一分である。
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2006年11月28日 読書 コメント (2)
はい。
つづきですね。
◇『塗仏の宴―宴の始末』。この上下巻には、いいかげんにしろと思ったけれど、まさしく一気に読んでしまった。読みふけり、気付いたら真夜中、てなことも。ぐっ、これこそ憑き物じゃないかっ。
「この世の中には――不思議でないことなどないのです。
世界は不思議に満ち満ちている。ここに私がいることも、そこにあなたが居ることも、不思議と云えば皆不思議だ。
あなたは何を以てしてあなたの記憶しているあなたの歴史を信じるのです?」
−大戦下、伊豆山中の或る一つの集落が忽然と消滅した――。15年を経て「宴」の支度は整い、京極堂の沈黙を余所に、そのおぞましく凄惨な幕が開く――。
開かずの間の前で行われた大量殺戮。
記録と記憶を巡る攻防戦の最中、唯一生き残った女は、全裸で木に括り付けられ発見された。犯人は――私だった!?
塗仏の台座に座りしそれを知る者、己の在処を喪失せり。
「知りたいですか?」
「知り――たいです」
新興宗教VS風水VS気功VS教えVS財閥VS予知能力VS京極堂!!!
怒りと哀しみの京極堂、立つ――!!
6つの集団と幻の村を巡り、いま6つ巴の争奪戦が開始された。
この恐るべき「宴」の驚愕の真実は――!!?
「意味があることにどんな意味があるのです? 得があることや、救いがあることや、根拠のあることは、損をすることや救われないことや無根拠なことより勝っていると云うのですか?
この世には――不思議なことなど何も無いのです」
今回は「記憶」「記録」をめぐる攻防戦。いまここにいる自分ですら、それを形成してる「記憶」「記録」ですら、実は相当に不確かなもの。現実とはそういうもの。塗仏のようなもの。「わたしはわたし」であるということは、惰性であり奇跡であるわけだな。
京極堂はいつもいいこと言うよね。
つづきですね。
◇『塗仏の宴―宴の始末』。この上下巻には、いいかげんにしろと思ったけれど、まさしく一気に読んでしまった。読みふけり、気付いたら真夜中、てなことも。ぐっ、これこそ憑き物じゃないかっ。
「この世の中には――不思議でないことなどないのです。
世界は不思議に満ち満ちている。ここに私がいることも、そこにあなたが居ることも、不思議と云えば皆不思議だ。
あなたは何を以てしてあなたの記憶しているあなたの歴史を信じるのです?」
−大戦下、伊豆山中の或る一つの集落が忽然と消滅した――。15年を経て「宴」の支度は整い、京極堂の沈黙を余所に、そのおぞましく凄惨な幕が開く――。
開かずの間の前で行われた大量殺戮。
記録と記憶を巡る攻防戦の最中、唯一生き残った女は、全裸で木に括り付けられ発見された。犯人は――私だった!?
塗仏の台座に座りしそれを知る者、己の在処を喪失せり。
「知りたいですか?」
「知り――たいです」
新興宗教VS風水VS気功VS教えVS財閥VS予知能力VS京極堂!!!
怒りと哀しみの京極堂、立つ――!!
6つの集団と幻の村を巡り、いま6つ巴の争奪戦が開始された。
この恐るべき「宴」の驚愕の真実は――!!?
「意味があることにどんな意味があるのです? 得があることや、救いがあることや、根拠のあることは、損をすることや救われないことや無根拠なことより勝っていると云うのですか?
この世には――不思議なことなど何も無いのです」
今回は「記憶」「記録」をめぐる攻防戦。いまここにいる自分ですら、それを形成してる「記憶」「記録」ですら、実は相当に不確かなもの。現実とはそういうもの。塗仏のようなもの。「わたしはわたし」であるということは、惰性であり奇跡であるわけだな。
京極堂はいつもいいこと言うよね。
◇京極夏彦妖怪シリーズ6弾『塗仏(ぬりぼとけ)の宴―宴の支度』。相変わらず辞書並みの厚さ。しかも、ゲッ、1冊で終わらねえのかよこれー。
しかし、しかししかし、京極堂シリーズ集大成とも思わせるような、キャラ総出演、妖怪だらけ。
息つく間もない展開またサプライズ。
え?どうゆうこと?の連続。くらくらするぜ目眩坂。
囚われた関口。救出は成るのか京極堂。
そして、、、真犯人は誰なんだョ??
塗仏、恐えー。
自分は自分で在って自分ではないんだな。
ええ。
つづくのですね。
しかし、しかししかし、京極堂シリーズ集大成とも思わせるような、キャラ総出演、妖怪だらけ。
息つく間もない展開またサプライズ。
え?どうゆうこと?の連続。くらくらするぜ目眩坂。
囚われた関口。救出は成るのか京極堂。
そして、、、真犯人は誰なんだョ??
塗仏、恐えー。
自分は自分で在って自分ではないんだな。
ええ。
つづくのですね。
日が沈むのはやいよな
2006年11月26日本日のオフシーズンSOMA活動は、アリーナでバドミントン。
KAZUYAたんと二人ぼっちだったわよっ。
まだまだオグシオへの挑戦権は遠いな。ふふ。
朝青龍圧巻のV3!!!
圧倒的強さね。栃東の逆襲やら魁皇の奇跡やらを信じていたが、今場所もガックリ。しかしドルジは伝説の横綱になりつつあるな。ふふふ。
さてさて今年もあと僅か。
だらだら過ごしちまったなあ。遊びすぎだよtakebonoさん。なにやってんのよバカだね。ふふふふ。
やりたいことをやり尽くす。そゆことです。はっはははん。
KAZUYAたんと二人ぼっちだったわよっ。
まだまだオグシオへの挑戦権は遠いな。ふふ。
朝青龍圧巻のV3!!!
圧倒的強さね。栃東の逆襲やら魁皇の奇跡やらを信じていたが、今場所もガックリ。しかしドルジは伝説の横綱になりつつあるな。ふふふ。
さてさて今年もあと僅か。
だらだら過ごしちまったなあ。遊びすぎだよtakebonoさん。なにやってんのよバカだね。ふふふふ。
やりたいことをやり尽くす。そゆことです。はっはははん。
あまりにも、
あまりにも、
敷かれたものに無自覚。
恐るべき平和。
奪われているものにすら気付かないとは。
本当に殺られるぞ。
安定という鎖。
幸福という鉄格子。
冷たい牢獄から、しかし君は外には出るな。
嘆きの壁が、君を守ってくれるはずだ。
ドアを開けてはいけない。
僕だって、
そう思う日もあるということだ。
闇は増殖している。
あまりにも、
敷かれたものに無自覚。
恐るべき平和。
奪われているものにすら気付かないとは。
本当に殺られるぞ。
安定という鎖。
幸福という鉄格子。
冷たい牢獄から、しかし君は外には出るな。
嘆きの壁が、君を守ってくれるはずだ。
ドアを開けてはいけない。
僕だって、
そう思う日もあるということだ。
闇は増殖している。
そうだ。
こんなふうにできている。
誰にでも、居場所が在るように、つくられてる。
だからこそ、
安易ではなく、それが問題なのだ。
いずれにせよ僕は、
否定されることに慣れてしまっていて、
誉められると落ち着けないんだ。
人はこんなふうに殺されるのか。
拳が届かない。
矛先はきっと違う。
気付かなければいけないこと。
気付いてしまってはいけないこと。
目前に立ち尽くすのもまた、人間社会のおもしろいところ。
なんにせよ、いままだ闇は明るい。
こんなふうにできている。
誰にでも、居場所が在るように、つくられてる。
だからこそ、
安易ではなく、それが問題なのだ。
いずれにせよ僕は、
否定されることに慣れてしまっていて、
誉められると落ち着けないんだ。
人はこんなふうに殺されるのか。
拳が届かない。
矛先はきっと違う。
気付かなければいけないこと。
気付いてしまってはいけないこと。
目前に立ち尽くすのもまた、人間社会のおもしろいところ。
なんにせよ、いままだ闇は明るい。
takebonoソウルアーチスト
2006年11月23日 読書
岡本太郎の伝説のベストセラー『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』。
「――岡本太郎はね、takebonoくんがいつも言っていることと、ただ同じことを言ってるんだよ」
そんなことを言われて手渡され、読んでみた。
そこに溢れていたものはソウルだった。
これこそがソウル。ソウルフル。
これが50年前に書かれた本だと信じられるか。
岡本太郎はソウルの鬼だった。
「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
生命の燃焼。
自由への自覚。
魂と魂のファック。
何者でもなく、何者にもとらわれぬ、
グッチャグッチャの、
メッチャクッチャの、
吐き尽くした後の涙のような。
血液に混じった体液のような。
あるものが、ありのままに出るということ、まして、それを自分の力で積極的に押し出して表現しているならば、それはけっして恥ずかしいことではないはずです。
芸術の問題は、うまい絵をではなく、またきれいな絵をでもなく、自分の自由に対して徹底的な自信を持って、表現すること、せんじつめれば、ただこの“描くか・描かないか”だけです。あるいはもっと徹底した言い方をすれば、「自信を持つこと、決意すること」だけなのです。
鎮魂歌に耳をふさぎ、
誰にでも存在するものを、
誰もが爆発させようと、
己の全存在をかけた狂気なるビッグ・バンを、
わけもわからぬまま、
あらゆるやり方で、
どんなことをしてでも、
どうにかして、
開放させること。
解放させること。
「自分が、
現在、
すでにそうである、こと」
現在にないものは永久にない。
将来あるものならば必ず現在ある。
生命の衝動。
存在の渇望。
心臓の鳴る世界を生きている。
そのものの答え。
ソウルを求める全ての人に読まれる伝説の著書。
魂を揺さぶる一冊となろう。
この感覚を、生涯忘れたくないな、と思った。
「――岡本太郎はね、takebonoくんがいつも言っていることと、ただ同じことを言ってるんだよ」
そんなことを言われて手渡され、読んでみた。
そこに溢れていたものはソウルだった。
これこそがソウル。ソウルフル。
これが50年前に書かれた本だと信じられるか。
岡本太郎はソウルの鬼だった。
「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
生命の燃焼。
自由への自覚。
魂と魂のファック。
何者でもなく、何者にもとらわれぬ、
グッチャグッチャの、
メッチャクッチャの、
吐き尽くした後の涙のような。
血液に混じった体液のような。
あるものが、ありのままに出るということ、まして、それを自分の力で積極的に押し出して表現しているならば、それはけっして恥ずかしいことではないはずです。
芸術の問題は、うまい絵をではなく、またきれいな絵をでもなく、自分の自由に対して徹底的な自信を持って、表現すること、せんじつめれば、ただこの“描くか・描かないか”だけです。あるいはもっと徹底した言い方をすれば、「自信を持つこと、決意すること」だけなのです。
鎮魂歌に耳をふさぎ、
誰にでも存在するものを、
誰もが爆発させようと、
己の全存在をかけた狂気なるビッグ・バンを、
わけもわからぬまま、
あらゆるやり方で、
どんなことをしてでも、
どうにかして、
開放させること。
解放させること。
「自分が、
現在、
すでにそうである、こと」
現在にないものは永久にない。
将来あるものならば必ず現在ある。
生命の衝動。
存在の渇望。
心臓の鳴る世界を生きている。
そのものの答え。
ソウルを求める全ての人に読まれる伝説の著書。
魂を揺さぶる一冊となろう。
この感覚を、生涯忘れたくないな、と思った。
◇村上龍『五分後の世界』。なるほど傑作かも。
−いつしかその世界に迷い込んだ。腕時計は5分ずれていた。
本土決戦により焦土と化した敗戦国日本は、各大国により分割され、内戦を勃発させていた。人口を激減させた日本人たちは、地下に新たなアンダーグラウンド国家を建設し、駐留国連軍とのゲリラ戦を繰り広げていた。
5分のずれで現れたもう一つの日本は、独立戦闘国家として、世界中に勇気とプライドを示し続けていた。
ナショナリストが喜びそうなストーリイだなや。
だがしかし戦闘描写は凄まじい。飛び散る肉片また肉片。
アンダーグラウンドで使われている教科書を、主人公が読むシーンは必見。おお。
−いつしかその世界に迷い込んだ。腕時計は5分ずれていた。
本土決戦により焦土と化した敗戦国日本は、各大国により分割され、内戦を勃発させていた。人口を激減させた日本人たちは、地下に新たなアンダーグラウンド国家を建設し、駐留国連軍とのゲリラ戦を繰り広げていた。
5分のずれで現れたもう一つの日本は、独立戦闘国家として、世界中に勇気とプライドを示し続けていた。
ナショナリストが喜びそうなストーリイだなや。
だがしかし戦闘描写は凄まじい。飛び散る肉片また肉片。
アンダーグラウンドで使われている教科書を、主人公が読むシーンは必見。おお。
いま以外にいつがある?僕以外に誰がいる?
2006年11月21日 ひとりごと殺されてたまるかと思った。
僕にはまだ闘うすべがある。
いまは少しでも僕自身が力をつけるときだ。
そして少しでも力を結集させておくときだ。
誤解は、つまらない。
妥協は、くだらない。
不毛な消耗は、それ以前に愚かである。
僕はもうこれからは、
僕の力で、僕自身を活かしていくこともしなければならない。
走れ走れ。
僕にはまだ闘うすべがある。
いまは少しでも僕自身が力をつけるときだ。
そして少しでも力を結集させておくときだ。
誤解は、つまらない。
妥協は、くだらない。
不毛な消耗は、それ以前に愚かである。
僕はもうこれからは、
僕の力で、僕自身を活かしていくこともしなければならない。
走れ走れ。
巷で人気作家の伊坂幸太郎の『終末のフール』。
−あと3年で世界が終わるなら、僕らは何をするだろう?
「8年後に小惑星が落ち、地球は滅亡する」と発表され5年が経過。犯罪の増加と秩序の崩壊は徐々に治まり、小康状態を保つ仙台市が舞台。北部団地に住む人々は、終末へ向け、それぞれの人生を過ごしていた。それぞれの終末を描く短編集。
終末は人々を自由にする。優しく微笑む女神のように。
あと3年で世界が終わるなら、、、
憎んでいたあの人を許してみませんか?
生命を産んでみませんか?
復讐を遂げてみませんか?
恋をしてみませんか?
夢を叶えてみませんか?
誰かのために何かをしてあげようと思いませんか?
最後の最後の最後の瞬間まで、必死に生きてみようと思いませんか?
出産に悩む夫婦。復讐に燃える兄弟。恋に走る少女。運命に萌える男。使命に輝く女。最後の瞬間まで必死に生きようとする家族。どれも素敵なストーリーでした。
だけどなんといっても5話目の『鋼鉄のウール』だね。
あと3年で世界が終わるというのに黙々とトレーニングに励む無口で愚直なキックボクサーの話。物語の中で彼が「明日死ぬって言われたらどうする?」と質問されるシーンがあるのだけど、彼はこう答えるんですね。
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
そして続けてこう言うの。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?
あなたの生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
この物語の主人公はその言葉に涙を流すのだけど、考えてみればシンプルな言葉なのだ。
そんでもって、この本の最後の「謝辞」まで読んでみてビックリ。
このキックボクサーのモデルは、あの武田幸三なの!!!
それを知ったときに初めて涙を流しましたよ僕は。ああぁ、ってね。
なるほどなぁ。伊坂幸太郎も僕と同じことを思ったに違いないや。たとえ世界の終わりが来ても、武田なら黙々とサンドバッグ叩いてるだろうからな。
世界の終わりが来たら、僕はビールを飲みながら昼寝したいね。
−あと3年で世界が終わるなら、僕らは何をするだろう?
「8年後に小惑星が落ち、地球は滅亡する」と発表され5年が経過。犯罪の増加と秩序の崩壊は徐々に治まり、小康状態を保つ仙台市が舞台。北部団地に住む人々は、終末へ向け、それぞれの人生を過ごしていた。それぞれの終末を描く短編集。
終末は人々を自由にする。優しく微笑む女神のように。
あと3年で世界が終わるなら、、、
憎んでいたあの人を許してみませんか?
生命を産んでみませんか?
復讐を遂げてみませんか?
恋をしてみませんか?
夢を叶えてみませんか?
誰かのために何かをしてあげようと思いませんか?
最後の最後の最後の瞬間まで、必死に生きてみようと思いませんか?
出産に悩む夫婦。復讐に燃える兄弟。恋に走る少女。運命に萌える男。使命に輝く女。最後の瞬間まで必死に生きようとする家族。どれも素敵なストーリーでした。
だけどなんといっても5話目の『鋼鉄のウール』だね。
あと3年で世界が終わるというのに黙々とトレーニングに励む無口で愚直なキックボクサーの話。物語の中で彼が「明日死ぬって言われたらどうする?」と質問されるシーンがあるのだけど、彼はこう答えるんですね。
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
そして続けてこう言うの。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?
あなたの生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
この物語の主人公はその言葉に涙を流すのだけど、考えてみればシンプルな言葉なのだ。
そんでもって、この本の最後の「謝辞」まで読んでみてビックリ。
このキックボクサーのモデルは、あの武田幸三なの!!!
それを知ったときに初めて涙を流しましたよ僕は。ああぁ、ってね。
なるほどなぁ。伊坂幸太郎も僕と同じことを思ったに違いないや。たとえ世界の終わりが来ても、武田なら黙々とサンドバッグ叩いてるだろうからな。
世界の終わりが来たら、僕はビールを飲みながら昼寝したいね。
昨日は姉が実家に帰省し、入れ違いで今日は兄が帰省。
末っ子パラサイトのtakebonoは、風邪でずっと寝てました。はあ。
しかし両親とりわけ母様は、長男長女が実家帰ってくると、わかりやすくはしゃぎますな。ふふふ。
風邪早く治んないかなー。昨日よりはだいぶよくなったけど。
本も読めやしない。くそ。
寝れ、寝れ。
末っ子パラサイトのtakebonoは、風邪でずっと寝てました。はあ。
しかし両親とりわけ母様は、長男長女が実家帰ってくると、わかりやすくはしゃぎますな。ふふふ。
風邪早く治んないかなー。昨日よりはだいぶよくなったけど。
本も読めやしない。くそ。
寝れ、寝れ。